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摂津本山駅が、ない。

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仕事で摂津本山へ。あぁ久々だなぁ、と階段に向かってホームを歩いてきたら、、、

ない!あの駅舎がない!!(涙)


海側も山側も、あの控えめでかわいい駅舎の建っていた場所には、重機が土足で踏み込んでいる。


今もそのままの地下道を通り、外へ出る。
うわぁ・・・阪神間にひっそり残る小さな各停駅まで、建て替えの波が押し寄せてきたなぁ。。。


橋上駅になるらしい。じゃぁあの地下道もなくなるのか。地上レベルのホームから地下へ
降りていくのが何か不思議で結構気に入っていたのに。


ほんとに建て替えの必要があったのかなぁ。。。


帰りに甲子園口駅を車窓から見た。ホームの雰囲気は変わったような気がしたが
駅舎はまだ無事のようだ。

美作土居駅

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美作土居駅は美作江見からひと駅だが歩くには遠すぎる。このあたりは駅間が長い。


改札ラッチは人砥ぎ。ひんやり、つるつる。


「善意銀行」。この中には傘がいっぱい入っていた。ここでなら急な雨に降られても大丈夫そうだ。




駅舎の前にはタイル文字で「美作土居駅」と書かれたカワイイ駅名標が。もとは頭上に掲げられて
いたのだろうか。


駅前には何かいわくありそうな建物がある。住宅のようだがかなり古そう。。。建部駅のような
国鉄職員のための宿舎だろうか?


向かって左側も古そうな倉庫?
美作江見とは違って古い建物に囲まれた美作土居駅である。


ここは出雲街道の宿場町「土居宿」だったところらしく、まちなかを一本の道が貫いている。
次の列車まで今度は一時間あるので、街道沿いに歩いてみたが、シンボル的に整備された
西惣門跡以外に宿場町らしいものは、今はもう見当たらなかった。






日が暮れて寂しくなってきた。。。さぁ姫路まで出て、大阪へ帰ろう。


広島づいてる今日この頃。

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一度行くとなぜか次々と同じ方面へ行く機会が訪れるのは、その場所に呼ばれているのだろうか。

先週末にプライベートで広島へ1泊2日旅してきたところなのに、今週また仕事で
呉へ行くことになったのだ。こないだから3回出張しているのとはまた別件である。
しかも初めて、金曜日の出張ときた(笑)

夕方まで仕事をしたあと、入船山公園、歴史の見える丘と歩いて、昨日チェックしておいた
渋いお風呂屋、神原湯へ。いや〜〜素晴らしかった!!

今日は広島市内の宿で泊まって(もちろん自腹)明日また広島近辺をうろついて帰ろう。
報告はまた後日アップします。しかし先週のが先だな・・・忙しい(苦笑)。

広電廿日市駅

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こないだ何かのきっかけで広電廿日市駅の駅舎が古くて素敵なことを知った。
へぇ〜、次回の呉出張の時に見に行こう〜

と思って検索したら、なんと、さよならイベントが。。。えっ、壊されるの!?
いろいろ読んでみたら、来月(10月)に解体されるとか。ヤバい!何とか9月中に広島へ行きたい。
誘いに乗ってくれた友人と9月最終週末に広島行きの安いツアーで行くことに。
ひとりだと安い手段がないので苦労するのだ。。。

台風が近づき土日とも雨予報の中、新幹線で広島へ、そしてそのまま廿日市へ。
雨はまだ降っていない。

JRの駅から斜めに伸びる細い通りを進むと2分ほどで広島電鉄の線路にあたり、古い屋根が見えた。
おおっ!あれだ。

その道は細い割に車の往来が激しく、うかうか写真を撮ってるとひかれそうだ(汗)

ほほぅ、意外と小さいな。向かいの漬け物屋さんも古く、その一角だけはずっとこのまま変わって
いないように見える。

しかし確かに古い。。。屋根瓦は台風が来たら飛びそうだ。

さよならイベントを終えた後もまだ変わらない姿とあり、ポツポツとカメラをぶら下げた人がやってくる。




待合室の中で古い写真のコピーを手にしていたおじいさん、昔きょうだいと共に駅で撮った写真だと言い、
写真の背景と今の建物を見比べている。
その写真は昭和11年(だったっけ?)に撮ったもので、駅舎はその前からあったと話された。


そのおじいさんはご家族と来られていたようで、このあとホームで揃って記念写真を撮って
おられたのが微笑ましかった。思い出の駅なんだな。。。



古い駅舎が次々なくなっていく。
私は小さな古い駅舎好きだが、なくなる前に駆けつけて写真をとることしかできない。
日頃からせっせと電車に乗って駅を利用する・・・ことも鉄道会社の応援にはなるけれど、
古い駅舎の維持には直接つながるわけではない。利用客が増えたから逆にきれいに建て替える例もあるし。
レトロだと注目されれば、また逆に新建材で全面改修してピカピカの「レトロ」にしてしまう例もあるし。
木造の味わいのある佇まいを維持しながら使い続けてもらいたいのに、自分の非力さがもどかしい。。。

広電江波車庫

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廿日市から市内へ戻り、友人がピックアップしてくれた地図を頼りに近代建築をめぐる予定。
広電江波線で終点まで行き、旧広島地方気象台を見に行こう。

終点の江波で電車を降りたら、、、あっ、車庫だ!いろんな車両が停まっている。


ちょ、ちょっとだけ見ていい?鉄道には特に興味のない友人に一応断っておく(笑)
広電の事務所にも声をかける。ちょっと電車見たいんですけどそこまで入らせてもらっていいですか?


にも書いたが、広電はもと京都市電や大阪市電の古い車両を最新の車両とともにたくさん走らせていて、
次はどんなのが来るかと電停で待っているのも楽しい。


江波車庫には古い車両が多い。そして私が遠目で気になっていたのが、車庫の奥の方に鎮座している、これ。
他のとはなんか趣が違うのだ。顔が細くシュッとしている。


整備をしていたおっちゃんがふらりと近づいてきて、「これはドイツのハノーバーから来たんよ」と
教えてくれた。なんでも、広島市とハノーバー市が姉妹都市だというので贈られたそうだ。
今101というレトロ列車を午前中のみ走らせているが冬は寒いのでこのハノーバー電車が代わりに
登場するらしい。面白いなぁ!


細い顔立ちと三枚スライドドアが斬新。


101は上は作り直したものだが台車は古いのだとか。車輪が少ないのでガタガタ揺れるらしい。


よそから購入した車両は広電カラーに変更せずできるだけオリジナルの色のままずっと塗り直して
いるそうだ。長い車両を路面電車用に切り分けて短い車両の編成に改造したりもしているとか。
最近は低床型の車両が増えてきてだんだん古い車両は現役を退きつつあるが、「京都市電なんかは
まだ当分使うんじゃないかな」とおっちゃんは言っていた。

新旧取り混ぜてほんとにうまく使っているなぁ。古い車両に対する愛情を持っているからだろうな。

いろいろ教えてくれたおっちゃんにお礼を言って出口近くまできたら、停まっていた花電車みたいな
オープンカーに運転士さんが乗っているのに気づいた。
これも古いんですか?声をかけたら、これは大阪から来たと教えてくれた。昭和4年製。床が木だ!
普通の車両の上の部分をスパッと取り去って改造したんだって!へぇ〜
パンタグラフが面白いことになっているなぁ。
これも市内を走るんですか?と聞いたら、カープが勝ったりした時に走るイベント電車だと。
しかし最近カープは弱くて困る、ファンをやめたくなるよ、と(笑)


事務所からもう1人乗務員さんが来て花電車を車庫の外へ走らせ、市内へと去っていった。
今からどこへ行くの〜


いや〜楽しい。友人も結構楽しかったようでホッ。。。
お仕事中にも関わらずとっても親切に対応してくれた広電の職員さんたち。ありがとうございました!
ますます広電が好きになった!

広島の近代建築めぐり 〜その1

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広電廿日市駅江波車庫、とここまで鉄関係ばかりで同行者には申し訳なかったが、今からは近代建築めぐり。
南へしばらく歩いた小高い丘の上に建つ、旧江波気象台(現広島市江波山気象館)。
遠目なこともあり間違いそうになるが、下の道路から見上げたときに見えるのは平成になってからの建物で、
その奥の2階建の方が昭和9年の建築である。

アシンメトリーなデザインのモダニズム建築だ。やはり玄関まわりに目を引かれる。この一本柱が強いインパクト!

内部は気象に関するミュージアムになっていて、風速を体感できる設備などがあり結構面白い。


建築的にも、ホールや階段などは比較的そのままで、屋上に出て塔の上まで上れるなどなかなか楽しめた。

さて市内中心部に戻り、十日市町駅から歩きだそう。

これは建築ではないかもしれないけど・・・きのこ!


天八きのこ麻布きのこ、もあったなぁ。大阪の天八のはもうなくなっている。


小学校の修学旅行で来たはずの平和記念公園で広島平和記念資料館や慰霊碑、原爆の子の像などを
見ながら、ほとんど記憶に残っていないことを恥じつつ。。。
こちらは旧大正屋呉服店(現広島市レストハウス)。


原爆ドームはそのシルエットだけがイメージとして頭の中に残っているが、実際に見てみると
(すでに一度は実際に見ているはずなのだが・・・)正面部分の外壁が入口まわりの意匠も含めて
結構残っており驚いた。元の優美な建物の姿を髣髴させると同時に、原爆による街の破壊がリアルな
ものとして伝わってくる。


まちなかを歩き、旧日本銀行広島支店へ。昭和11年の竣工。
ここは前に市役所へ行きしな見つけて5分くらいダッシュで見たことがあるが、今回はゆっくり。


今は無料で内部を見学できる。何かの展示などに一部使っているんだろうが、このときは上の一部屋を
除いてからっぽ。もったいないなぁ。


2階にはこんな暖炉もあった。素敵なタイル!床の寄木、幅木の木目模様の大理石など豪華な仕様。


地下室のトップライトは中庭からの光を取り込むもの。地下には金庫室もあり、こちらは撮影禁止だが
分厚い金属製の金庫の扉を見ていたら、こんなところに閉じ込められたら・・・と怖くなってきて
そそくさと1Fへ(苦笑)。


商店街の中にある、旧三井銀行広島支店(現広島アンデルセン)。

ところでこれらの建物は、「被爆建物」というプレートがつけられている。
広島市では被爆建物等の保存・継承のために、爆心地から5km以内に現存する物件を登録しているそうだ。
多くがいわゆる「近代建築」とかぶってくるが、やはり鉄筋コンクリート造の銀行・官庁・軍関連が多い。
逆にリストに載っていない建物はすべて破壊されたということか。恐ろしい。。。

福屋百貨店。これもそうらしい。もちろん改修はしているだろうが古さを感じさせない美しい建物だ。


日も落ちてきたが広電に乗って移動、千田公園の中に建つ旧広島文理科大学を見に行く。現在は
「広島大学旧理学部1号館」らしいが、フェンスで囲われた建物は使われている様子は見られない。


入口まわりのレンガ使いが洗濯板みたいで面白い。柱の中に埋め込まれた照明などもクールで
赤レンガ建築ながらモダニズムデザインである。


すでにとっぷり日は暮れ写真は厳しいが、最後にもう一つ。広島電鉄千田町変電所。広電本社と車庫に
隣接し今も使われている。(この写真は裏)
車庫の東側を回ればすぐだったのに、西側の道を行ってしまったから広い車庫をぐるっと1周歩いた・・・


さすがにこれで一日目タイムリミット。あぁ疲れた。。。

奇跡の勝利湯

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広島市内の近代建築めぐりの途中に素晴らしいお風呂屋を見つけた!
「勝利湯」
今回は友人と一緒だったので事前にチェックしておらず、これはほんとにたまたま。
よくぞ目の前に現れてくれた!


台形に凹んだ踏み込みから左右に男女それぞれのドアがある。木造モルタル塗りの素晴らしく
素敵なファサードだ。しかし暖簾が見あたらない。。。
ここまで味わい深い雰囲気を放っているお風呂屋はたいがい、近づくとすでに廃業されていて
悲しい思いをするのだが、この勝利湯は今も現役のようだ。
入りたい!!




うわぁぁぁ


内部も期待に違わぬ渋さ。一段上がる脱衣所と番台は靴脱ぎとは透明のガラスで仕切られている。
靴箱は古い木の扉に墨書きである。


石鹸を買ってタオルは借りる。
古いですね!番台のおばあちゃんに声をかけると、84年前ですよ、ここの名前をご覧なさい、と。
あぁ、「かつとし」ってご主人の名前かと思っていたら(笑)、文字通りvictoryを願った名前だったのか!

戦災があったのによく残りましたね!傾いたのを起こしたのよ、中は直したけどね。ニコニコと答える。
すごい!あっぱれ!原爆投下のあった広島で、戦前の木造建築のお風呂屋が現役で営業されているなんて!

浴室の壁は天井まで一面のモザイクタイル。圧巻だ。

ぬるめのお湯でゆったり。

番台代わられた奥さんともお話して、写真を撮らせてもらう。
時々出張のビジネスマンも入りに来て写真を撮って帰るそうで、やはり貴重な存在だ。

昼の2時から5時のたった3時間の営業。その時間を狙って近所のおばあちゃんたちがポツリポツリとやってくる。
5時前でもお客が途切れたら閉めると言うから、今回は素晴らしくタイミングがよかった!


「いつまでできるかわからないけど・・・」
保健所からはいつも誉められるという水質はお手入れのたまもの。また入りに来ますから頑張って下さい〜

広島の近代建築めぐり 〜その2

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翌日は江田島へ行くべく朝から宇品港へ向かう。
前日は台風接近で雨予報にもかかわらず、よっぽど日頃の行いがいいのか(笑)結局夜まで
天気がもったが、さすがに今日は朝から雨。。。まぁ船は欠航していないから行くことにしよう。

港へ行く途中にもいくつかチェックポイントがあり、朝のうちに見れるところは見ておきたい。

車窓からちらりと見えた旧広島高等学校講堂(現広島大学附属中・高等学校講堂)。
ソテツの植栽が、新しく作られた渡り廊下の屋根を隠してくれている。


クリーム色のテラコッタによって飾られたファサードは堂々として学校の顔にふさわしい。


電車通り沿いの旧中国配電南部変電所。
ひさしまわりとパラペット部分にわずかにデザインが見られるものの、飾り気のない建物だが
ハードなイメージをうまく生かしたおしゃれなイタリアンのお店になっている。
前の2本の鉄塔も気の利いたアクセサリーと言ったところ。


入口を入ったところは吹き抜けのホール。2階の天井からチェーンがぶら下がっている!


上はスタジオらしいがこの時は使っていなかったので階段を上がらせてもらった。
上から見下ろしてもまたカッコイイ〜


変電所の建物のコンバージョンってあまり知らないが、こんなふうに使えるのか、と驚き。
店名の「Sottostazione」とは「変電所」という意味らしい。やるねぇ!


旧宇品警察署。こんな明治の木造建築が港に程近い吹きさらしの場所に建っているのは
何か残酷な気さえする。戦災はもちろんだが潮風にも耐えよく今まで残ったものだ。


広島水上警察署として1881(明治14)年に建てられて以来、警察各署、港湾関係事務所として
使い込まれ、ちょうど100年経った1981(昭和56)年に役割を終えて、以来空き家だとか。

小さいながらも凝った意匠が施された瀟洒な洋館は、港のランドマークとして人々に親しまれたことだろう。
このまま朽ちていきそうに思え、少しは補修してあげればいいのに、と思うが・・・予算がないのか。

さて広島港から高速船で江田島に渡る。旧海軍兵学校を見に行くのだ。
今は海上自衛隊第1術科学校・幹部候補生学校である。施設内は海上自衛隊OBの方の案内で見学する。

この堂々たる建物は大講堂。さすが国の威信をかけた軍の建物、半端でないお金がかかっていそうだ。
最近手入れされたのか外壁の石材も新品と見まごうきれいさ。宇品警察署とは対照的である。




旧海軍兵学校生徒館(現幹部候補生学校)。ここで自衛隊のエリート教育が行われている。


朝から夕方まで泳ぎっぱなしという厳しい訓練も行われるそうだ。海難に遭ったときに
救助が来るまで生き延びるためと聞くと、命の危険と隣り合わせの世界なのだなと思う。


そして、教育参考館。
ここには特攻隊として戦地で亡くなられた若き兵士の遺書や遺品などが多数展示してある。

それらの遺書を読んでいくと涙が止まらない。悲しく、怖い気持ちを必死で隠しながらしたためられた、
残る家族への感謝、激励、自分を奮い立たせる誇らしい言葉。紙面には涙の跡も。
私よりずっと若い青年たちの命が、爆弾の起動装置として戦地に消えていった時代。異常であった。

平和ボケの現代の人々にこれを読んでほしいと思う。
建物を見に来た自分がなんだか不謹慎に思えてしまう場所だ。

雨はすっかり上がって夏の日差しが戻ってきた。

平野駅のタイル

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久々に大阪ネタを・・・

仕事で平野へ。地下鉄谷町線の平野駅で降りたら・・・・おお〜っ、美しいストライプ!


光の加減で黒に見えるが、つややかな藍色のタイルだ。真っ白のタイルにくっきり映える。


迫ってくるような遠近感がいいね。


コンコースのタイルはまた何の共通性もないのがほっこりするなぁ(笑)

広島の近代建築めぐり 〜その3

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さて江田島からまた宇品に戻り、行きしなチラリと見えて気になった建物を見に行く。

うわぉ!これこれ!瀬戸内海汽船。このファサードはやはり焼き物だ。カッチョイ〜!


パーツだけでなく建物全体のデザインもいい。


テラコッタのスクリーンの内側はガラス張り。事務所で人が仕事をしていたのであまりのぞき込めなかったが、
中央のホールは裏まで貫通しているようだ。



定礎プレートには昭和39年とあった。いいなぁー、この時代も。


旧宇品陸軍糧秣支廠というカンヅメ工場だったレンガ建築が、今は広島市郷土資料館となっている。
ここは100円払って入館してみたのだが、広島のまちのなりたちや産業についての展示がとても面白い!

見慣れた地図が出てきたと思ったら大阪の大正期のかき船の分布図で、市内中心部にあった
35ヶ所のかき船の営業権は広島の3村の業者が独占していたといい、うちの近所の安治川にもあったし
堀江川、立売堀川、難波新川、天満堀川などの細い枝川にもあったようだ。今では想像がつかないが
風流な光景が市内のあちこちで展開されていたんだなぁ〜〜

旧広島陸軍被服支廠は電停からちょっと離れているけどせっかくだから見に行こう、と歩いていったら、
住宅街のひと筋中に入ったところにぬーっと現れた!うぉ〜、デカイ!


一辺100mぐらいあるだろうか、異様である。


上質なレンガが隙間なく積み上げられた建物は、終戦から約70年の年月を経た今もほとんど無傷の
美しい姿を保っているが、爆風を受けた側のよろい戸は一様に凹んでいた。


山陽文徳殿。こんな和風とも洋風ともつかない面白い建物だが、今は草むらに覆いつくされつつある。
その草むらに足を踏み入れたら・・・・みるみる蚊に取り囲まれた!!う〜〜〜ん退散。。。


日が落ちてきたけど村野藤吾の平和記念聖堂は見ておきたい。

うわぁ。。。すごい。荘厳というか、、、、見ていたらなぜか無言になってしまう建物。
この壁の色のせいだろうか、夕方だから余計だろうか、人々の信仰心が沁みついているせいだろうか。


心洗われるような神聖な空間だ。


最後に広島駅近くの旧住友銀行東松原支店を見て終了!

ほんとはもう少し早く駅前に戻り、パールでゆったりお茶を楽しむ予定だったのだが、
勝利湯に入ったりしていたらギリギリになってしまった〜





我孫子会館

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最近は出張に行くこともあるがもちろん近場での仕事もしているのである。
あびこでの仕事に行ったとき、ちらりと見えたこの建物、そういや前にも一度見つけて写真を
撮ったことがあったな。


帰り駅へ向かうのにこの前を通り、写真を撮る。「我孫子会館」。公民館だな。


御堂筋線のあびこ駅から少し入っただけのところだが、あびこ観音があるこの付近は
とても古いまちなみが残っている。


区画整理後のガラス窓のように規則正しい街割りの中で、ひびが入ったような、部分的に崩れた区画を
見つけたら、それは古くからあった集落であり、たいがい中心にお寺や神社がある。
ここもそういう場所である。

呉の港湾風景と神原湯

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広島旅行の翌週、また呉へ(苦笑)。定時の5時まで仕事をしたあとは、開放〜(笑)

まだ日暮れまでしばらくあるので入船山から歴史の見える丘まで歩こう。
入船山はもう門扉を閉めるところ。えー、敷地に入ることもできないのかぁ。旧呉鎮守府司令長官官舎を
外からは見れると思ったのに。。。仕方ない、出直すか。

市民広場を横目に南へ歩いていくと、海上自衛隊呉地方総監部の敷地が広がっている。
敷地内にはいくつかのレンガ建築が見えた。


その先にはさらに広大なIHIユナイテッドマリンの造船所がある。皆5時が終業なのか、
自転車や徒歩で帰途につく人々とすれ違う。アジア人労働者も多いようだ。私ひとりその波に逆らって、南へ。
それほど急坂を上った感覚がないのにかなり高いところに来ている。

歴史の見える丘の手前の歩道橋の端から造船所がよく見える。デカい貨物船(だろうか)が建造中。


すごいな。。。あの巨大な船を、いちばん最初はどこから作り始めるのだろう。
さっきすれ違った彼らがこれを作っているのだなぁ。
自分が一日一日行う作業の積み重ねがこの巨体になるのだと思えば、夢がある仕事だろうな。
出来上がったときの感慨はどれほどだろう。。。



あぁやっぱり船はいいなぁ。日が暮れるまで造船所を眺めながら物思いにふける・・・

さて、ここまで来たのはもう一つ目的がある。古い素敵なお風呂屋があるのだ。
実はこないだ宇品で勝利湯に出会って、広島にも意外に古いお風呂屋が残ってるんだなと驚いて、
改めてネットで見てみたら、呉や広島市内にも昔ながらのお風呂屋が結構あるのだ。

道すがらにはこんなレトロな美容院も。


なにこれ!幼稚園の園庭の片隅に置かれた電車の車両、屋根がかかっている!?


気になるモノがいろいろあるが・・・・煙突が見えた!
近所のおばちゃんに教えてもらった路地を入ると・・・あった、神原湯。


この由緒正しき和風の佇まい。正面にはマジョリカタイルが!!うひょ〜、素敵〜


中に入ると思わず声がでてしまうノスタルジックな空間。。。

番台のおばちゃん、即座に私がよそ者とわかったようで、どちらから?と。大阪だというと、
なんとおばちゃんも大阪、それも長堀というからご近所じゃないの!
生まれはここで、時々弟のやっているこのお風呂屋を手伝いに帰ってくるんだとか。

適温のお風呂でリラ〜ックス!ここの浴槽もシンプルで、今は使われていない薬湯の浴槽が
片隅に放置されていた。しかし実はここに、大判の本業タイルが隠されているのだ!


あとは広島市内に戻って宿に入るだけ。お風呂上がりに時間を気にせずゆったりできるのは極楽。。。
番台代わられたご主人が話しかけてきて、いろいろ昔の話を聞かせてくれた。


焼夷弾が近くに落ちてすぐそこまで焼けたがここは免れたこと、戦災の後も室戸台風の被害が大きく
道が川のようになったこと、そして断水が続く中、山の方から竹筒をつないで水を引きいち早く
お風呂を沸かしたら人々が行列をなして入りにきたこと、、、
呉の歴史と共にあるお風呂屋だと言っても過言でないだろう。


男性のお客がいなくなったのをいいことに男湯も見せてもらい、レトロなステレオで由紀さおりの
レコードも聞かせてもらった(笑)




大阪から遠く離れた呉のお風呂屋で、夜遅くまで(このあたり8時でも深夜のようだ)
ゆっくりくつろいでいるのがなんだか不思議な気分。

また来たいなぁ。
ありがとうございました!これからも頑張って下さい〜

広島の市内遊び

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翌日、朝から広電本社車庫をちらっと見に行く。分岐して車庫へ入り込んでいくレール。


広電本社の隣にはこんな路面電車が。外国顔をしたこれは、ハノーバー電車ではなく、「バー」電車である(笑)。
スーパーの前に置かれ、先週夕刻見たときは、おしゃれなオジサマ方が集っておられた。

ネット検索してみると、これもドイツのドルトムントから広島電鉄が購入した車両だそうで、2008年まで
営業運転された後1編成がこうしてイートインスペース「トランヴェール・エクスプレス」になったらしい。
ほほえましいねぇ。

まだ乗ったことのない横川線に乗って終点横川まで行ってみよう。JR横川駅のロータリーに隣接した
堂々としたターミナルだ。行列・・・広島では路面電車はなくてはならない人々の足。


横川駅に101の運行時刻が貼り出されていた。ははぁ、江波〜横川間を走るのか。見るとちょうど
江波車庫を出たばかりのようだ。十日市町ぐらいですれ違いそうだな。せっかくだからまちなかで遭遇したい。
十日市町で降りて待っていよう、多少遅れて来るだろう。

・・・と高をくくっていたら、前方にえび茶色の電車が見えてきた。うわっ、ジャストタイムか!
降ります、降ります!

時間もないのでもともと乗るつもりはなかったが、ひとつ手前の寺町電停のホームで待つ方がよかったな。

ちょっと早いお昼ごはんは、以前来たとき喫茶タイムに間に合わなくてチラッとだけ見せてもらった
ひろしま国際ホテルの回転展望レストランKURUKURUにて。
2時間で1周と聞いていた通り、滞在時間中に回ったのは150度ぐらいだった。


駆け足で白島線も乗ろう。なぜか「白鳥(はくちょう)」と思っていたが「白島(はくしま)」だった(笑)。
本線と線路はつながっているのに、この線だけはなぜか乗り入れしておらずピストン運転で、
料金は均一100円である。
八丁堀から終点白島までたった5駅。終点にはいったい何があるのだろう?と興味深々だったが
なんてことのない道路の真ん中で、ぷつりと線路は終わっていた。・・・謎。

横川駅とは大違い。

後の予定があるため散策する時間もなく、折り返す電車に飛び乗って八丁堀へ戻る。
広島港へ行くにはどっちまわりが早いかな!?
的場町での乗り換え電車が大幅に遅れ(広島駅から2駅来るだけなのになんで遅れる??)、結果的には
市役所まわりの直通電車の方が早かった。。。。

広島から船に乗って。

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広島港からは江田島へ渡る船の他に松山へ渡る船もでていて、以前からとても惹かれていた。
あの高浜の港に海路で入るなんてワクワクするじゃないの〜(あ、松山の記事も途中で終わってたな・・・汗)
今回よっぽど松山へ渡ってそこから特急で大阪へ帰ろうかとも考えたのだが、
広島もまだ見たいところがあるので次回に譲ることにした。


そのかわりと言っては何だが、松山行きフェリーの寄港地、呉まで乗ることにした。
やはり島へ渡る船よりも大きいので、テンションが上がる!


一番上のデッキに上って風に吹かれていると、今からはるばる遠くの町へ「航海する」という気分〜
先週乗った江田島航路と途中までほぼ同じなのだが(笑)。


呉線の車窓から見える風景を海側から追いながら、約45分で呉に到着〜
呉の港に入る直前には、海上自衛隊の港や昨日見たIHIユナイテッドマリンの造船所、日新製鋼の
ゴツい風景も間近で見られるのだから、工場クルーズも兼ねて十分楽しめる。これで900円。


呉ではほぼタッチ&ゴー。見ている間に松山行きフェリーは離岸し、沖へと出て行った。


さてまた来た呉、昨日閉館時間を過ぎて見れなかった入船山に見に行こう。
入船山のふもとにあるこの印象的な建物は、海上自衛隊呉集会所。外壁は付近のレンガ建築に合わせて
塗られたのだろうか、レンガでないのにレンガ色。


昨日の夕方見ていたときは事務所が開いており、「自衛官募集」に応募しに来たと思われると困るので(笑)
立ち入らなかった。今日は事務所が休みだったので、ちょいと中庭を覗いてみた。
中庭は一般の駐車場になっているのかな?車が出て行った。


さてこれが旧呉鎮守府司令長官官舎(現入船山記念館)。素晴らしく瀟洒な洋館だ。
スレート葺きの屋根が洗練されたイメージを放っている。スレートはやはり有名な雄勝産。

裏にはこれまた広くて立派な和館があり、洋館とは廊下でつながっている。和館側から入って
洋館内部も見学できる。

この洋館の見所は壁や天井を鮮やかに飾る金唐紙。戦後接収されたときにペンキを塗りたくられたが
(欧米人のセンスのないことよ)わずかに残っていたオリジナルの表皮から技法を復元したのだとか。
この上田尚という人が世界で唯一金唐紙の技術を保持しているそうだ。


深い凹凸のエンボスに着色された金唐紙はきらびやかで、この建物が生活の場でないことを物語る。


天井も。




この隣にある美術館は遠目には赤レンガ建築に見えるので古いものかと誤解しそうだが、
昭和57年の建築である。赤レンガ色の六角形タイルで全面埋め尽くされ、なかなかカッコイイ建物だ。




これを見て思い出したのが、広島市内の大通りに面して建つ中国電力のビル。こちらもクールで
カッコイイと目をつけていたもの。


さて、そろそろ駅へ戻ろう。

日の出湯と神楽

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さて呉駅に戻って電車に乗り、矢野で下車。帰る前にお風呂に入ろうという魂胆。
駅から歩き出すと白い紙のぶら下がった縄がまちなかに張り巡らされ、細い道には夜店も出ている。
ははぁ、秋祭りかぁ。
駅のほど近くに舌のように張り出した高台は、尾崎神社。あとで行ってみよう。

目的の日の出湯はモルタル塗りの建物だが、道すがらの民家は古く、この集落が戦禍を逃れたことを物語る。




狭い靴脱ぎが脱衣所と一体になったスタイルは広島のお風呂屋の特徴だろうか。


古いが明るくきれい。浅・深だけのシンプルな浴槽が洗い場の真ん中にドンと。いいねぇ〜
広島のお風呂は熱すぎないのも気に入った。


常連のおばちゃんによると7時頃になるとお客が多くなるらしい。繁盛してるようでうれしいね。
今日はお祭りですか?番台のおばちゃんに聞いたら、尾崎神社で神楽もやるよ、神楽が出るところは
珍しいよ、行ってみたら、と。


出てこられた若奥さんも一緒にしばらくお話して、大阪からネットを見て入りにきたのだと言うととても喜ばれた。
入り組んだ町の中にあって媚びもてらいもない地元密着のお風呂屋。こういうところがいいなぁ。
これからも頑張ってほしいなぁ。




また来ます、と言って日の出湯を出、夜店を見ながらふらふら歩く。お風呂上りの散策は気持ちいいなぁ。
おなかすいたので何か買おうかな。あ、おいしそう・・・せいろに並べられた「いがもち」を買う。


夢のように続く提灯の灯り。。。




神楽が始まった。ストーリーがよく分からないが人々は楽しそうに見ている。
毎年毎年続けられるこういう地元のお祭りは、ふるさとの原風景として人々の心に残るんだろうな・・・

神楽を遠巻きに見ながら、ひとりよそ者の私はちょっと寂しくなった。。。


帰りはみずほでビュン!車内でさっきの「いがもち」を食べたのだけど、すごくおいしい!
10個ぐらい買っておけばよかったな!

帝塚山の塀の中には・・・

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関西有数の高級住宅街である帝塚山、よく知る人によればひとむかし前までは立派な洋館が歴々と
並んでいたのが今やすっかりなくなってしまったそうだが、よそから来た小市民の私などの目には
まだまだすごいものが潜んでいそうな雰囲気に満ち満ちているように見える。


わずか数ブロック歩くだけでいろんなものが目に入る。すべては高い塀の中であるが・・・




塀や門自体も魅力的だ。
たて溝ボーダータイルが下方にあしらわれた塀を愛でながら角まで歩いてくると、おぉ、こんな門が。


うわぁ〜、素敵!いいなぁ、このアール。

一度すみずみ歩いてみたいね!

一ツ家踏切が、、、

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天王寺からJR難波行きに乗ってぼーっと窓の外を見ていたら、おや、一ツ家踏切が閉鎖されてるじゃないの!
天王寺と新今宮の間で、南海天王寺支線が分岐していたあたり。環状線で唯一残っていた踏切であった。
買い物や通勤などの人の動線からは外れているが、今まで残っていたのはやはり地元の人の主要な通り道だったからだろう。

携帯で検索してみたところ今年6月に閉鎖されていたらしい。開かずの踏切であり閉鎖直前にも事故が起こっていたようだ。
1が0になってしまったのは大変残念であるが、安全第一、仕方ないか。。。

赤堀駅

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兄と近鉄内部・八王子線に行ってきた。前回行ったのはもう4年近く前か。。。
少し前に、近鉄がこの線を廃止してバス代替を検討をしているとかいう不穏なニュースがあり、
気になっていたのだ。

内部・八王子線は近鉄四日市から内陸方向にちょろっと伸び、途中で二俣に分かれている。
近鉄の本線とは接続しておらず、高架下の地上ホームから15分ごとに西日野と内部へ交互に、
おもちゃみたいなナローゲージ車両が発着する。
今好評発売中の「内部八王子線1日フリー乗車券」で途中下車を楽しもう。

簡素なつくりの駅が多いが、一番気に入ったのが四日市からひと駅の赤堀駅。


ここも片側ホームの棒線駅で特別古い駅舎があるわけでもないのだが、雰囲気がいい。
ホームの床も正面に迫る民家の壁も長年の間に錆色に染まっている。




小さな駅舎が巨大な楠の木のたもとに、守られるように・・・


このあたりは三重軌道が大正元年に最初に開業した区間らしい。雰囲気は当時から今まで大きく変わった
ようには見えない。このまま白黒写真にしたら・・・・いや、このままでもすでにセピア色だ。

あぁ、いいなぁ・・・



ベンチもナローゲージ(微笑)

近鉄内部・八王子線の駅たち

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赤堀駅の他にも魅力的な駅がたくさんある。

分岐駅はどこも素敵だ。内部線と八王子線が分かれる日永(ひなが)駅は、小文字の「r」の形をしている。
軒飾りのあるホーム上屋が素敵。


四日市駅までの間も単線なので、毎回ここで内部線の列車と八王子線の列車がお互い通過待ちをする。
向こうからやってきたのは・・・・か〜わいい〜〜!思わず微笑んでしまう。


左に見えるのは内部線下りホーム。上りと下りで別々のホームを使っているのは、ここと、泊駅だけかな。


八王子線も昔は別々のホームを使っていたんだろう、向かい側に旧ホームが残っているが
構内踏切はもう通じていない。



八王子線の終点は、かつては伊勢八王子であったが今は西日野。その先の路線は1974(昭和49)年の
集中豪雨で被害を受けて休止されたまま2年後に廃止となったようだ。。。。


この駅舎はそのときの復旧で建てられたものらしく、仮駅舎のように実に簡素。


自転車に埋もれそうな西日野駅。しかしこれだけの人々がこの駅を利用しているという証拠だ。
廃止するなんて言わないでよ、近鉄さん。



南日永駅。ここも味のある駅だな。


ホームに降りてまず目に飛び込んできたのは、かわいらしいモザイクタイル使いの手洗いシンク。


そして古びた木の電柱、川原の石を積み上げた石垣。いいねぇ〜


ここの駅舎もとっても簡素だが、バリアフリー!
橋上駅舎にしてエレベーターをつけるより、のりばが近いのが一番のバリアフリーだと思うんだけどな。



泊駅。内部線はたった5.7kmの路線だが、1編成の列車がピストン運転しているのではなく、
2編成が交互に往来しているので、ここで行き違いを行うのである。
私が近鉄沿線に育ったこともあり、リアルに懐かしい雰囲気の駅舎だ。


今はもう無人駅になってしまったと見え、斜めに張り出した窓口は各種看板で塞がれている。


近鉄駅には昔からこういうタイプのベンチがあったのだ。


駅から2分ぐらい歩いて国道を渡るとすぐに、マックスバリュと多くの飲食店などの集まった
ショッピングモールがあった。電車で買い物に行くのに便利な立地なのに、駅への案内がないし
駅にもこの商業施設への案内もない。お互いに案内したら電車に乗る人も買い物に行く人も
増えるだろうになぁ・・・


タイムリミットで降りれなかった駅がひとつ、小古曽駅。また来よう。

あぁ折尾駅

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折尾駅の建て替えの話が取り沙汰されてからずいぶん経つ。
3年前の春に初めて行ってその後2〜3回見ているが、今どうなっているのか気になっていた。

小倉から特急で折尾に着いてホームに降り立つと、、、あちこちに作業員の姿、バリケード、カンカンいう音。。。


目指す出口はいったいどこだ?複雑な構造の通路は健在で、わざと迷いながら駅の中の様子を見ていくと、
ホームはあまり変わらないものの、裏側(ということは即ち外側)では結構工事が進んでいるようである。


階下へ下りて歩いていくと、見慣れず新しい自動改札に行き当たる。これどこ???
何とここはあの駅舎正面の改札口の代わりに作られた、仮設の「東口改札」だった!


たくさんの人々が出入りしベンチで列車を待っていたあの開放的な待合所は、固く閉ざされていた。。。


駅前の様子もずいぶん変わってしまった。ロータリーの向こうにねじりまんぼが見える。
あれは残ったんだな、良かった。・・・・・ん?


この手前の路地にもアーチがあったはず。すっからかんになってるじゃないの!
新しくできた公衆トイレの横に、もとの状態を記したプレートがあった。撤去されたレンガの残骸と共に。。。
モニュメントの説明にある再生レンガって何だろう。粉砕して焼き直したものだろうか。


駅をぐるっと一周まわってみる。


直方方面へ向かう線路の横に、橋台のようなものが。元はどうつながっていたんだろう。


北口の新しいバスロータリーの端に追い詰められたように、アーケード街のわずかな一角が残っていた。


次来るときにはこのアーケードもあの駅舎もレンガ積みの通路も、全部なくなって、
一大複合ターミナルになっているのかなぁ。。。


あぁ名駅舎がひとつ、消えてゆく。



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