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Channel: まちかど逍遥
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旧伊庭家住宅

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安土にある旧伊庭家住宅を見に行ってきた。
去年、高倍率の抽選を勝ち抜いて一般公開に行ってきた石山の住友活機園は伊庭貞剛の邸宅、
ここは貞剛の四男伊庭慎吉が住んでいた家で、ヴォーリズの設計による建物である。
(ありゃ、記事書き損ねていたなぁ〜)


あちらは完全な和館と洋館が併存する邸宅であったが、こちらはもう少し融合している。
ぱっと見ると全体的なフォルムはハーフティンバー風の壁と急勾配屋根が特徴的な二階建て洋館。
しかし玄関は茶室かと見まごうような数寄屋風、内部も赤色の壁にくねった木使いのベンチという奇抜な意匠だ。

畳敷きの玄関の間と廊下は船底天井になっている。

主屋の1階は、北側の庭に面して廊下が通る平面構成が完全に和館だ。廊下の天井の網代が素敵。




一番手前に続き間の座敷、そのとなりの和室はちょっと面白い。祭壇のような床の間?書院?の
幾何学的なラインと真っ白な壁が、和洋折衷的な雰囲気をかもし出している。

この裏は階段ホール。

さらに進むと廊下に面して腰高窓がふたつ。中を覗くとダイニングルームである。廊下に面してドアはなく
洋の空気が廊下に漏れ出さないよう配慮されている。
廊下の突き当たりには離れのような和室があり、その手前にダイニングへ通ずる廊下が伸びている。
つまり和室に囲まれた中央部にダイニングが位置していることになる。


ダイニングへのアクセスはこちらの廊下からまたは階段ホールからとなっている。
平面的には融合しているが動線で廊下側の和空間とうまく分けられているのだ。


サンルームはもともと外部のテラスだったところに増設したもの。水色の布目タイルがさわやか〜。


落ち着いたダイニングの奥には暖炉が。その両脇にはイングルヌック風にソファがしつらえてある。
装飾はシンプルだがちょうな仕上げの梁など手仕事の跡が温かい。そして・・・


うわっ!暖炉の足元には、絶妙な色合いの窯変タイルが!色・柄はすべて違っている。




う〜ん素敵!!こんな色を出したいなぁ〜


緩やかな階段を上ると2階はベッドルームなどほとんどが洋室である。


窓から見える屋根はカラーベストのようだ。元は天然スレート葺きとのことだがすでに替わってしまったのか。
それともこの上の屋根は変わらずスレートなのだろうか・・・・


旧伊庭家住宅は春と秋に一般公開しているとのこと。今回の公開はこの日曜を残すのみ!
午前10時から午後3時まで。

アップが遅くなったのでもう時間がないが・・・・行きたい人は急いで〜

カメラを買った。。。

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新しいデジカメを買った。Nikon COOLPIX P310

今使っているのはリコーのGX200で、3年ぐらい前に5万円ぐらい出して買ったのだが、
最初から何かと悩まされ、思うように使いこなせていなかった。
その前に使っていたオリンパスのC3030と比べて、画像は若干きれいになったが
(当初の悩みは単にリサイズするときのソフトの設定と判明・・・恥)、フォーカスが遅く
ホワイトバランスが何か不安定だったり、昼間の室内でシャッタースピードが1秒になったり、、、
使い勝手などの面でもどうも満足できなかったのだった。それでもいろいろ対応しながら
どうにかこうにか3年使い、レンズ内にゴミが入ったときは修理にも出したし、これからも
壊れるまで(笑)使い続けるつもりだった。

一方でデジタル一眼を使ってみたいなぁという気持ちもあり、重さの面で自信がないので
買うならミラーレスだなぁと考えていた。

で、昨日中之島のバラ園に行って、クリーム色のきれいなバラの花をマクロで撮ろうとしたら・・・
ジージージージー言ってばかりで全然ピントが合わない!何回やっても、位置を変えても、
角度を変えても、、、、あかん。キ〜〜ッ!!!買い替えたる!!

って訳で(苦笑)。

実際調べてみると、私の要求は結局一眼でなくてコンパクトで事足りる、いやむしろ
コンパクトの方がメリットが多いんじゃないか??という総合的結論に至ったのであった。
値段も3万円以下と安いし、一覧表でみるスペックと実際使ってみた感じは違うと思うから、
これからお気軽に使ってみよう。
一眼を構えるかっこよさにも憧れるが、まぁ、また気に入るのが出てきた時に買えばいいや。

カトリック桂教会

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今月の建築巡り講座はカトリック桂教会。
阪急桂駅は仕事で何度か下りたことがあり、いい感じの住宅街やお風呂屋があったりと
興味を惹かれてはいたのだが、こんな教会があったとは知らなかった。

円柱とくじらの背中のような礼拝堂からなる鉄筋コンクリート造の斬新な建物は、どこか
カトリック宝塚教会にも似たシルエット。(あぁこちらも記事にし損ねていたなぁ・・)

家具デザイナーとして名高いアメリカ人、ジョージ・ナカシマによる唯一の建築作品で、
1965(昭和40)年竣工。天気が悪く屋根のスカイラインがはっきり出ないのが残念。。。

礼拝堂はシェル構造で柱のない大空間。屋根のコンクリート厚みはわずか100mmと軽量化され、
一方構造体である壁は200mmと300mm(窓のある壁)の厚みがとられている。


躯体はコンクリートだが、扉や調度品、照明などはジョージお得意の木製なので冷たい感じはない。
打ちっぱなしのコンクリートも、型枠の木目が写った味のある質感。
これは型枠のベニヤ材がまだなかったので細切れの木材を使ったことによるらしいが、
日本人の美意識に合ったため、安藤忠雄以前の1950〜60年頃に流行したのだという。私も好きだ。


インテリアはアメリカ人から見た「日本」のエッセンスがちりばめられたジャパニーズモダン。


アールデコっぽい幾何学形の調度品が多い中、これだけ異質な感じのする装飾的な説教台(?)。


告解室の格子は組木の美しいもの。これもジョージ・ナカシマによるものだろう。
あとで見せてもらった家具作品のカタログにはこのような組木を用いたものがあった。



円柱の部分は洗礼室。帽子のつばのように張り出たひさしが少々野暮ったく感じられるが、
雨の多い日本では仕方ない。ひさしの厚みはおそらく礼拝室の屋根と同じ100mm。
礼拝堂の建物の大きさからすると屋根が紙のように薄いことがわかる。


明るい内部空間。過剰なほど太く密な梁は、今の1.5倍の高さがあったという十字架を支える
ためのものだったのだろう。





礼拝堂は上から見るとひし形をしている。ほれぼれするシャープな側面。


しかし100mmの屋根はさすがに薄すぎ、地震で(?)先端が折れてしまったのだとか。
壁からの張り出しは3mぐらい?斬新なだけに少々無理もあったようだ。



※Nikonのカメラ使用第1回目。天気が悪く難しかったのですが、観想を頂ければうれしいです。

碍子のある路地

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久々、尼崎市役所へむかうためにJR立花から歩いていたら、、、、何じゃこれ??


電気の笠?いや違うな、碍子か。しかしまたこんなにたくさん・・・何のために?

土が道に出ないように押さえにしているのだろうが、う〜ん効果のほどは?

要らなくなったけど捨てるのは忍びない・・・という、この家の人の碍子に対する愛しみを感じさせる、路地の風景。

北大植物園内の建物

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2回目の札幌出張。

昼前に着いてひと仕事ふた仕事したあと、休憩時間を利用して北大植物園へ。
前回夜ごはんを食べてからホテルへ戻る前に近くをうろついていて、入りたいなぁと思っていた。
中に古い建築群があるのだ。16時半に閉まってしまうので、アフターファイブでは見れない。

北海道大学農学部植物園・博物館は重要文化財。
博物館の方が先で1877(明治10)年、植物園は1886(明治19)年に設置されたようだ。
ゲートの脇に、植物園門衛所。1911(明治44)年竣工。新山平四郎設計。


森を抜けると、数棟の建物が見えてくる。その中でひときわ目を引く立派なのが、博物館本館。
1882(明治15)年竣工。ベートマン(アメリカ)原設計、開拓史工業局営繕課実施設計。

ここは中の展示も見れる。内部は比較的きれいに改修されている。

その横に、バチェラー記念館。1898(明治31)年竣工、1962(昭和37)年移築。
これは登録有形文化財。


その横に、博物館事務所。1901(明治34)年竣工。中條精一郎設計。
見ていると中から工事の作業員さんが出てきた。事務所として使っているようだ。




博物館事務所付属博物館便所。1903(明治36)年竣工、1918(大正7)年移築。
明治時代の便所がそのまま残っているとはすごい。窓ガラスにスモークフィルムを貼ってあるのか
中はよく見えなかった。


その奥に、博物館倉庫。倉庫という用途ゆえだろうか、他の建物と違ってペンキは塗られていないが、
マンサード屋根にドーマーウインドウなどインパクトのある建物である。
1885(明治18)年竣工、1900(明治33)年移築。

園外から移築してきたものを除けば一番古い建物なのだな!

その横の建物もまた面白い。博物館事務所付属博物館鳥舎。1924(大正13)年竣工。
孔雀を飼うために建てられたものだというから驚き。こんなおしゃれな建具のはまった鳥舎とは!


前の鉄柱が立っているスペースにはおりがあったのだろう。


園内は広く花も多い時期で、植物もゆっくり見て回りたかったのだが、、、そういうわけにもいかず、
急ぎ足で出口方面へ向かう。
その途中にあとひとつあるのが、宮部金吾記念館。
1901(明治34)年竣工、1942(昭和17)年移築。中條精一郎の設計と考えられているようだ。
こちらは登録文化財。


ベランダのある形を見ると住宅のように思われるが、札幌農学校の植物学教室を移築して園長室、園事務所
として使われていた建物だという。

ここも内部に入れるようだったが、時間がないのでやむなくパス。


さて、仕事仕事、植物園を出て札幌市役所へ向かう。途中にある札幌グランドホテル
ここが今日の宿だ。
ここも前回来た時にタイルのファサードに惹かれて、今度来るときにはここにしようと思っていたのだ。


2階から上がせり出した造形や六角形使いはいかにも昭和3〜40年代っぽい、と思ったら
やっぱり、1966(昭和41)年にこの本館が当時の「新館」として建てられたということだ。

札幌グランドホテルの歴史

鉄製の重厚な格子だが、ちょうちょがとまったようなデザインがかわいい〜



札幌の仕事は大変でストレスが大きいが、ちょっと息抜きしながらがんばろう。。。





アフター5に札幌建築めぐり

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出張のいいところは残業がないこと(笑)。誰に気兼ねなく定時で終われる。
こんな明るいうちに開放されるなんてこと大阪にいるとなかなかないからなぁ〜。

今年の1月に寝台特急日本海を利用する旅の中で札幌に行って、夜更けの札幌のまちなかを歩き回って
建築探訪したときに、中心部にある有名どころの近代建築は一通り見たが、携帯でさくっと検索すると
大通りより北、創成川より東のエリアにも近代建築が集まっているようだ。

まずは創成川沿いに瀟洒な姿を見せる、日本基督教団札幌教会。1904(明治37)年竣工。
基壇部に「札幌美以教会堂」の文字が見られ、もとはメソジスト系の教会として建てられたとか。
(キリスト教の宗派等については全然わからないのだが・・・)


石造の建物は教会のホームページによると「当時北海道庁土木課技師で札幌教会員の間山千代勝」に
よる設計だという。札幌軟石の色合いがいい。原色の鉄板葺きの屋根も雪国ならではの魅力。

人々の心のよりどころとして100年以上の年月を経てきた建物は、優しさにあふれている。

まちなかにはまだ石造りやレンガ造の倉庫がぽつぽつ残っていて、うまくお店として活用されている
ところもある。「青果輸出入問屋」と書かれたこの倉庫は、1月に来たとき苗穂から中心部へ帰るときに
乗ったバスの窓から見て目を引かれていたもの。おしゃれなコーヒーショップ「石乃蔵」になっている。

文字は石を彫り出してある!すごいな。

こちらはカトリック北1条教会。さっきの日本基督教団の教会に比べ圧倒的に華やかな印象。
聖堂のファサードは近年増築されたようで一見新しく見えるが、この聖堂は1916(大正5)年の築。
この横にある札幌軟石の外壁をもつ司祭館カテドラルホールの方が古く1898(明治31)年の築である。


幼稚園も併設しているようで、裏がこんなにかわいい。


その北側の公園内にあるのは、旧永山武四郎邸。屯田兵生みの親と言われる永山武四郎が明治10年代前半に
私邸として建てた和洋折衷の住宅だ。北3条通りには開拓使工業局の施設や各種工場などが建ち並び、
このエリアは北海道開拓の拠点であったという。


後年、昭和12年ごろに三菱工業セメント株式会社により付設された二階建洋館部分。同社の札幌寮として
使用されていたとか。永山邸の庭園とともに美しい姿で残されている。




こちらは観光地として超有名なサッポロファクトリーレンガ館。旧開拓使麦酒醸造所として
1892(明治25)年に建てられた工場建築であるが、北3条通りに面したファサードは趣向が凝らされ
やはりこの通りが表玄関だったことがよくわかる。


札幌のまちのシンボルのひとつであろうこの煙突、真下から見上げるとすごい迫力!


まちなかの古いレンガ建築もおしゃれなカフェに。


ごはんをどこで食べようか・・・と考えながら、さっきの石乃蔵の前にやってきたら、日が暮れて
さらにいい感じ!写真を撮っていたらお店の方が偶然出てこられて、誘われるままに、お店に入る。


これが大正解。「茶房」石乃蔵、という名ながら、食事も絶品!しかもリーズナブル。
「バー」とか「ビストロ」でなく「茶房」、一人で入っても気兼ねしない気安い雰囲気がうれしい。


和牛のローストビーフ、ピザトースト、ビーフシチュー(ハーフ)にコーヒーをサービスしてくれて、
なんと2000円!?ローストビーフのやわらかいこと、ビーフシチューの深い味わい。
そしてこのボリューム!!おなかいっぱい〜

一人の食事ではもったいない店だ。

石乃蔵から歩いて5分くらいのお風呂屋、七福湯で体をじっくり温めよう。ふぅ〜〜


1時間半ほど温まったのに、ホテルまで帰る10分くらいの道のりで湯冷め寸前!
あぁ北海道の気候はほんとにあなどれない。。。


宜蘭のまちをぐるりとまわる(台湾)

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しばらくあいたが、台湾続き(汗)。

翌日朝から宜蘭へ向かう。どんより曇った天気。北へ進むにつれ山がどんどん迫ってくる。
太魯閣渓谷を過ぎると山はますます迫って屹立し、荒々しい山肌を見せてくる。山自体が石灰岩の岩盤なのだろう。


駅ごとにセメントのプラントや石灰石の積み出し施設や、貨車が留置されたヤードが広がり、ワクワクする風景の連続!
民家は少ない。
蘇澳へ分岐する蘇澳新駅では、かなり広いヤードにいろんな貨車が停まっていて車庫もある。
うわ〜楽しそう。後で寄ろう。時間あるかな?

宜蘭駅を降りると晴れてきた。駅舎はそれほど古くないがどっしりと風格あるデザイン。


宜蘭県の名にもなっている宜蘭のまちは、古くは客家人が住み着いた場所といい、円形の城壁に囲まれていた。
客家円楼の巨大版を想像してみる。台北と同じく日本統治時代に城壁は撤去されその跡に道路が作られた。
今もまちの中心部が環状の道路、旧城路に囲まれているのが地図を見ればよく分かる。
まずは旧城路沿いに歩こうと歩き出しかけると、駅前に古そうなレンガ建築が!
宜蘭は日本統治時代の近代建築がガイドブックにもいくつか載っているくらいだから
他にも見るべきものがあるだろうと踏んでいたのだが、いきなり現れたな。

有名物件も旧城路に沿って並んでいるので回りやすい。まずは日本統治時代に作られた旧宜蘭監獄署の門。

これは門だけを文化財とした、いわば日本的手法の保存物件。

監獄はとうの昔になくなり今は大規模な商業ビルが建っているが、もう一つ、灯台のような形をした塔が
弧を描いた旧城路沿いに残されていた。この「監獄崗哨」は脱獄者を見張るためにおかれたもの。


少し歩くと公園内に日本家屋がいくつか固まっていた。レンガや石の塀に囲まれ、集落的な様相を保っている。


メインの建物は行政長官の旧公邸を活用した宜蘭設治紀念館。周囲の平屋の一戸建ては住宅は宜蘭庁官舎区。
庶務課長や農林学校校長の住まいが修復・改修され一般公開されている。まだ時間が早くて入れなかったが。
ここも今残る遺跡を石垣や生け垣も含めて丸ごと保存活用している。


公園の床に、宜蘭のまちの変遷を示した絵図が埋め込まれていて、これは焼き物でできている。


城壁が撤去された跡地には、一時期は線路が伸びていたようだ。面白いなぁ〜


先へ進むと高い煙突が見えてくる。宜蘭酒廠だ。
在台の友人に聞くところによれば、台湾では今もたばこもお酒も専売制で、国営企業みたいなところが
独占的に製造販売しているらしい。各主要都市に日本時代に作られた工場があり、徐々に集約しているのか
郊外に移転しているのか、市街地に大面積を占める工場は廃止されていっている。
跡地はマンションやオフィスビル建設など高度利用されるのかと思いきや、どこでも敷地一帯を公園に整備し
産業遺産として大切にされているのが驚きである。


宜蘭の工場はまだ半分以上の施設が現役で、実際にお酒を作っている。道に面した側の数棟の建物だけが
資料展示や商品の直売所、飲食店、土産物屋などとして使われていている。
観光バスの客が紅麹ソーセージにかぶりつきながら歩く中庭では日本の歌謡曲をアマプロみたいな
おっちゃんが熱唱して並べたCDを売っていた。そしてそのとなりの棟では黙々とお酒が作られているのだ。
俗っぽい観光用のエリアは現役工場のエリアと仕切られておらず、すごくきれいに改修されているわけでもない。


ありのまま、という感じなのだ。どこに行ってもそういう大らかさというか余裕を感じる。
急いで売り払う必要がない。ただちに事業で採算をとる必要がない。それは公営の企業だからできること
なのかもしれない。しかしそんな産業遺産・歴史遺産公園がまちの中心部に整備されることで、まちの魅力が
ぐっと増し、文化とにぎわいと潤いのあるまちになっているんじゃないか。
いったん更地になってから突如できた公園よりもずっと存在価値があり、わがまちのシンボルとして愛着を
持ち続けられる空間なんじゃないか。・・・などといろいろ考えながら紅麹ソーセージを食べる(笑)。

城壁も半周を過ぎた。おや、おしゃれな手作り風の案内看板が。
歴史を解説したレリーフなどによるとこのエリアは宜蘭で最初に人が住み着いた場所らしく、入り組んだ
路地に古い民家や井戸などが残っているようで興味深い。


そろそろと入って行くとさらに細い路地に分かれ、案内板によれば古井戸は人の家の裏庭にあるようなので
ためらっていると、その辺の住人らしきおっちゃんが、古井戸を見に来たのか?そこを入るんだよ、
どうぞどうぞ!(言葉は想像)と言ってくれたので、安心して入って行く。ほんとに、人んちの中庭だ。

家の犬にワンワン吠えられながら古井戸を見る(そりゃ怪しいわな)。

城壁路をぐるりと一周したあと円の内部に入り込み市場を見に行く。
・・・と、こんなのを発見!宜蘭戲院、映画館だな。天井が抜けているところを見るとすでに廃墟か。


いろいろと張り紙がしてあり、のぞき込むとおばちゃんが猫にエサをやっていた。声をかけて
見せてもらおうかと思ったが、ちょっと異様な雰囲気を感じたので見つからないようにささっと
写真を撮ってその場を後にした。


市場はすごい熱気!!ぎゅうぎゅうの人波の中をゴミ収集のパッカー車が進み、店の人はここぞとばかり
ゴミを持ち出して車に押し込む。それをよけながら、お客は買い物をしている。すごいパワーに圧倒。。。
古い商店建築もちらほら見られた。


さぁ、荷物を受け取って、蘇澳へ移動しよう。



まだ続く。

倉吉を駆け足でうろつく

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金曜日に半休を取って、日曜まで2泊で出かけてきた。
天気のせいで当日まで悩んだ今回の旅。行き先。ルート。会社からの抜け出し方・・・・
多すぎる選択に、出かけるまでに疲れた。。。

決まればすべてが順調。出勤前に大阪駅できっぷを買い、仕事も12時ジャストに
終わっていったん家に帰って、着替えて出発。一度乗ってみたいと思っていた気動車の特急、
スーパーはくとの先頭車両の展望席で倉吉へ向かう。

ガガガガ・・・・重い体を引きずるような鈍い動き出しがたまらない。いったん加速度がついてしまえば
軽快に走り、特急のスペシャル感を味わえる。デザインも好きだ。



例によって情報は現地調達。倉吉の古いまちは駅から2〜3kmも離れていると知ってちょっと
諦めかけたが、5時返却の駅前のレンタサイクルを無理やり6時まで借りれるよう頼んで、散策へ。
走り出してすぐ、おや!?この道は?・・・廃線跡だ!う〜ん、いい感じ。


思わず寄り道。
駅方面から地平で伸びてきた線路はこのあたりから徐々に築堤上に上りはじめる。
草はすっきりと刈られ敷地を無断使用されることもなく美しく残っている様子から
廃止されたのはごく最近なのではと思ったが、後で調べると国鉄倉吉線の廃止は昭和60年。
廃線跡トレッキングツアーなどをやっているらしく、観光資源として維持管理されているようだ。
とてもいい具合。


水路を渡るガードは枕木もそのままで風情があるなぁ〜






天神川の土手と同じ高さまで上ってきた築堤は川沿いの道に面して切り立った断面を見せ、
そこで終わっている。北沢産業専用線を思い出す。


迂回して橋を渡り続きを探すと、あった。ここから先は遊歩道として整備されているようなので、
廃線跡探訪は終了し、改めて古い町並みを目指そう。


目星をつけて通りから中へ入ってみると、ちょうど白壁土蔵群の並ぶエリア。ほぅ〜、いい感じ。
水路には石橋がいくつも架けられ、石積みも美しい。




水路沿いと一本南のレトロな商店街をぐるっと回るだけでも楽しいし、飾らない小さな商店が並ぶ
周囲のまちも含めて、もう少しゆっくり歩きたい場所だ。倉吉線の廃線跡ももう少したどりたいな!






あっそうだ。今日の宿泊地をまだ決めてなかったな。温泉津に泊まるか、大田市に泊まるか。
予約サイトで宿の目星はつけてあったので、倉吉駅に向かいながら検索してみると、、、おや。
温泉津の宿がなくなってる。同じように考える人がいるんだな。仕方ない、大田市のビジネスホテルにするか。
特急スーパーまつかぜをホームで待ちながら、再度検索。
なに!?さっきまであった大田市の宿もなくなってるじゃないの!うわっ、今日は野宿かぁ・・・!?

温泉津の観光協会のサイトから小さな宿を選んで片っ端から電話。今から、という無理なお願いながら
4軒目のさわのやさんでお情けを頂き素泊まりで泊めていただけることに。よかったぁ!

一昨年訪れ、今度は是非泊まろう、と思った温泉津。しかし夜8時20分の温泉津駅は深夜のように
しーんと静まりかえり、タクシーもいない。8時半受付終了のお風呂に間に合うように道を急ぐ。
なんとかすべりこみで元湯で汗を流すことができた。ふぅ〜っ。

さわのやさんは東京から帰省されていたお孫さん以外に宿泊客は私ひとりのようだ。
無理を言ってしまったな。ほんとにありがとうございます。
部屋でゆっくりカップ麺を食べ(笑)、コイン式テレビも点けずに静かな夜を楽しむ。はぁ〜至福。

続く

温泉津の朝さんぽ

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続き

朝から温泉津のまちをのんびり散歩。


前回その美しさに感激した内藤家のなまこ壁は、近年の異常な豪雨のせいだろう、貼り瓦の部分が完全に
壁から剥離して手前側に倒れてきている。これを直すには壁の土をいったん全部取り去り下地から
やり直さねばならないだろう。いや、この壁だけではない、建物全体的に蝕まれているようで、
修復しようと思っても可能なのかどうか。。。




港はやっぱりいいなぁ。

最近、この温泉津港から沖泊、鞆ヶ浦などをめぐる「漁船クルーズ」が
出ているらしい。へぇ〜!
この日は天候がよくなく欠航していたようだが、乗りたかったぁ〜



前回も目を引かれたこの石垣。オレンジがかったベージュとグレーの石、中にはツートンカラーの石もある。


すごい地層!あの石の出所はここかぁ〜!沖泊の方へ歩いて行って発見。




さぁ、宿を出て駅へ向かおう。


帰りに一本裏側の道を通ったところ、おや!?ピンク色の板張りの洋館が。。。


軒飾りもかわいらしい。こんなところにこんな建物があったとは、前回気づかなかった。


クルーズのほか、福光石石切場とか銀山街道とかやきものの里とか、行ってみたいところがまだいろいろある。
また来たいなぁ、温泉津。

続く

江津と三江線の風景

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温泉津からアクアライナーで江津へ。のどかな風景の中を走ってきて、海際に工場が広がる江津のまちが
見えたときには、久しぶりに大きな町にやってきたなぁという感じがする。


時間はたっぷりとってある。
ねじまきさんのようにレンタカーを借りて三江線の小さな駅を巡ろうかとも迷ったのだが、
観光案内所でもらった地図を見てみると、川戸駅まででも結構な距離がある。勝手の分からない道を
一人で走るのはやっぱり怖い。江津本町の散策もしたいし、やっぱり歩きと鉄道で行くか。。。

江津本町は古くから交通の要所として栄えたまちで、幕政時代には天領とされた。
江津駅から丘ひとつ回りこんだ旧山陰道沿いに石州瓦の美しい町並みが残る。
折りしも、明日の日曜日に神楽が行われるとのことで、まちなかに縄が張り巡らされ、山辺神宮では
人々が準備に清を出していた。

このモダンな旧江津町役場は、山辺神宮の鳥居の中にある。中を覗くと内部は比較的きれいに
改修されているようだ。階段は古い感じだったが装飾は控えめでシンプル。


まちなかにはいくつかの特徴的な民家が見られ、特に一本裏手の水路沿いの道が雰囲気がよいのだが
工事中でカラーコーンで封鎖され旧江津郵便局の真ん前に重機がおいてあった。。。
花田医院の屋根瓦の色は他とは違って黄色っぽく、壁は黒い。昭和12年築のこの建物は
当時の国防色を取り入れたのだとか。しかし、この水色の洋館部分はどうなの??


江津本町駅へ行くには、まちの裏手から伸びる細い道を通り、小さな峠を越えていく。


うわぁ・・・。古い木造駅舎があるわけでなく、棒線ホームに小さな待合所があるのみなのだが
ロケーションがいい。江津から小さなトンネルを抜けたすぐのところ。江の川に面したホーム。


トンネルの路面からもやが立ち上る。
暗い色しかないホームに、アジサイが彩りを添え、クチナシが香りを振りまいていた。






30分ぐらいあるので隣の千金駅前で歩けるかなと思ったが、また間に合わなくなって走って、
それでも列車に乗り遅れたりしたら救いようがない。だいたいの道は地図を見るイメージより遠いものだ。
今はそんな冒険をするよりここでゆっくり過ごそう。


さて、一日数本しかない三江線の列車に乗って、川戸まで行く。


途中の川平駅も是非降りたかったのだが、ふた駅で半日かけるのはさすがに・・・(汗)




蛇行する江の川をさらに遡ったところにある川戸駅も古い木造駅舎が残る駅。
地図で見るとここは他の駅より若干まちが広がっている。ここなら1時間すごせるかな、、、と。


駅前は広く、町を歩いて見ると学校や公共施設などもあり、やはりこの山あいでは中心的な町で
あることが分かる。お酒や醤油の醸造場もあり旧家らしい立派な家が建っている。
しかし建物はそれほど古くない。


ここは文字通り川に挟まれた場所であり、輪中のように高い堤防がまち全体をぐるりと囲んでいる。
川戸駅はちょうどお盆の底にあたる。三江線の線路がその堤防の一部を切り欠いて通っているため、
川が増水したときに閉鎖できる防水扉が上流側と下流側両方に設置されていた。
この扉が閉まるということは列車の運行も止まるということ。道路橋もあるが、孤立した時のことを
考えると恐ろしい。。。


集落の端から端まで歩き回って、やっと江津へ戻る列車が来た。


ゆっくり、のんびり、ワンマンカーで江津へ戻る。広々とした江の川の流れを見ながらの鉄道旅は
とても旅情があるが、これ以上増水したらやっぱり恐怖を感じるだろうな。。。


続く

浜田をうろつく

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江津からアクアライナーで浜田へ向かおう。
途中の小さな駅駅は小さな木造駅舎がよく残り、降り立ってみたいなとそそられるのだが、
衝動的に行動できるほど本数が多くない。サイディング張りになっているところが多いのは
やはり海が近いと木部の傷みが激しいのだろう。


浜田も山陰の主要駅の一つ。
日東紅茶ティーパーラーに入るか、歩くか。1時間半の滞在ではどちらかしか無理。。。
とりあえず歩いて時間が余ったら休憩することにしよう。

浜田のレンタサイクルは1回500円するらしく、一日じっくり回るならいいのだが悩むところ。
結局歩くことにして、浜田城跡に向かって歩き出す。

JRをくぐり市役所を過ぎ、、、約20分と聞いたが広いバス通りは結構長いな。って、バスに
乗れば良かったんだ(愚)。ようやく城山公園の下まで来たが、上っていくと多分ギリギリになる。
ここはスパッと諦めて川向こうのまちなかをうろつきながら駅へ向かおう。


おや、こちらは商店や飲食店が連なり人々の暮らしが見えるまちだ。新町、紺屋町、朝日町。
川に沿って発達した元々のまちなのだろう。


制服屋カタイさんの壁は一見地味だがよく見ると・・・


こんな美しいタイルが!!




ピンクと透き通ったグリーンのニュアンスが一枚一枚違って惚れ惚れするほど素敵!


こんな建物もあった。鉄板で覆われているがモルタル塗りのモダンな建物だったに違いない。


ちらりと見えた薄いグリーンの板張りの壁に惹かれて近寄ってみると、なんだこれは!?寮?


「みどり会館」。木立に隠れるようにしてひっそりと建ち、謎めいた雰囲気に満ちている。


入口のらんまや妻面の飾りを見るとなかなか粋なデザインだ。


見つけてよかったぁ〜

もう少し歩き続けたかったがタイムリミット。益田へ行く特急おき5号に乗らなければ。

小走りで駅へ戻ると、特急おき5号は山口県内大雨のため浜田止めとなります、とのアナウンスが。
なぬー!?
浜田に到着時、山口県から来る上り列車が大雨で遅れていると聞いたが、下りにも影響が出始めたようだ。
山口線は完全に運転を見合わせているらしくそのため新山口行きのおきは浜田止めとなったらしい。
せめて益田まで行ってくれたらいいのに〜(涙)

このあとねじまきさんお勧めの飯浦に行きたかったのだが、無理だな。とにかく宿を取った東萩まで
無事たどり着けるだろうか!?情報はパラパラとしか入ってこない。そのうち代替バスが出るという話が
出たが、次の各停列車は通常運行するようなので少し待って電車に乗ることにする。
あぁ、早くにめどが立っていればこの時間、日東紅茶ティーパーラーに行けたのにたなぁ。
不確定なのが一番困る。

荒れた海、暗い空。。。雨こそ降っていないものの、今から大雨洪水警報のエリアへあえて
飛び込んでいくのだと思うとちょっと気が重い。






益田は小雨が降っていた。接続列車がないので次の便まで1時間ばかりある。
あのお風呂屋が開いていたら入ろうかと思いついたが、残念ながら廃業してしまったようだ。。

ま、駅前の回転ずしはなかなかおいしかったのでよしとしよう。
思えばこれが旅の間で食べた唯一食事らしい食事であった(苦笑)

車窓から見た飯浦は、今は歩き回りたいような雰囲気ではなかった。また次の機会に。
いろいろあったが何とか旅が続行でき、東萩の民宿藤の家さんに到着して一安心。旅は余裕を見ておくものだ。

続く

萩から長門へ

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翌朝の出発は遅めなので、渡船に乗りに行こうと萩の家さんの前の道を歩いていったら、
運河沿いに古い旅館の並ぶ風情あるまちなみに出くわす。前回通っていない道だな。


こんな木の橋があったり。まったく観光客は来なさそうな日常感。


静かな裏道に面して立派な旅館が建つ。


こんな木造アーチ窓のある民家も。


こちらも風格ある「芳和荘」。今はもうやっていなさそう。


渡船乗り場に着いたら、対岸に赤い旗が。欠航のしるしだ。昨日の大雨警報がまだ影響しているのか。残念・・・
もう駅へ向かおう。


雨はすっかり上がり晴れ間さえ見えてきた。
東萩駅に着いたらまだダイヤは乱れていて、普通列車が25分遅れだとか。連絡しているはずの美祢線の
列車も待たないという。次の美祢線列車はお昼ごろ。えらい番狂わせだなぁ〜

先に来た上り列車で、急遽隣の越ヶ浜駅へ行ってみることに。25分遅れの長門市行きが来るまで
うろうろしたらちょうどいいや。

越ヶ浜駅は印象的なロケーション。高台にあるホームからは石州瓦の屋並と、海も見える。


ちょうど駅へやってきて運転士さんから「下りは25分遅れ」と聞いて愕然としたおばちゃん、
ホームの端へ向かって歩き出すからいったいどこへ行くのかと見ていたら、なんと線路に下りて
歩き出した!!待ってられないから歩いて東萩まで行くつもりらしい。おいおい・・・
スタンドバイミーだな!無事着いたのだろうか。。。


東萩と越ヶ浜の間には「反射炉」があるらしく見に行きたかったが、25分では無理。
駅の前の港を見てから、左手に突き出す岬の方まで歩いてみた。岬の付け根のビーチまで歩くと
もうタイムリミット(苦笑)。タッチ&ゴーで駅へ急ぐ。乗り遅れたらまた大変だ。。。ゼイゼイ


しかし、待てども待てども列車は姿を現さない。くちなしの香りの漂うホームで、写真を撮りながら待つ。
こんなことならビーチでもう少しゆっくりしてもよかったな・・・なんて。


結局50分遅れでやってきたワンマン列車に乗り込み、長門市へ向かう。もう、なるようになれ!




滞在予定していなかった長門市で1時間以上ある。観光案内所でレンタサイクルがあるかと聞いてみたが
この駅前にはないらしい。仙崎へ行けばあるというのだが、いや、その仙崎へ、自転車で行きたいんだよ。

仕方ない、いつものように駅の周りをうろつくか。

駅の反対側には広い車両基地があり、転車台もあった。ぐるっと回ってみる。


古い医院建築を1件見つけた他は、JR宿舎と寂れた商店街・飲み屋街・・・昔は鉄道の町として
賑わったのだろうが、今は寂しい駅前だ。。。




長門湯本の路地裏を歩く

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待ちわびた厚狭行きがやってきて、長門市を後にした。


美祢線を2駅、長門湯本で下車。これまで2回美祢線に乗ったが車窓から見える温泉街を眺めて
今度はここに泊まりたいなと思っていたのだ。今回も1泊はここに泊まろうと考えたのだが、
タイムスケジュール的にどうしても中途半端になってしまうため断念し、立ち寄りにしたのだった。


駅を出ると駅前はガランとしていてタクシーが1台待っているのみで、ちょっと拍子抜け。。。
温泉津にしても、温泉地の駅前ってこんなもんか。もう少しは華があってもいい気がするのだが。。。
ホテルの集まる温泉街までたいした距離ではないはず。タクシーのおっちゃんの視線を感じてちょっと
申し訳ない気もしつつ、歩き出す。


普通の田舎町を通り抜けて歩いていくと温泉街がいきなり現れた!川の両岸に旅館やホテルが立ち並び
城崎のようだ。めあての公衆浴場、恩湯の唐破風はすぐ目に飛び込んできた。
しかし今入るとまた汗をかいてしまうな・・・うろついて雰囲気を楽しんでからにしよう。


恩湯の横に細い道が奥へ続いている。おや、いい感じ。行ってみよう。


ほほう、これは現在白木屋グランドホテルとなっている白木屋旅館の旧の建物だな。木造三階建ての
この建物は今はもう使っていないようだが、とても風流な佇まい。こちらに泊まりたかったな。。。



この先にもうひとつの公衆浴場、礼湯があった。こんな近接して2つの公衆浴場があるのか。

そしてその脇にはまた、吸い込まれそうに魅力的な路地が・・・


こんな細い路地に面しても旅館がある。予約名が掲げられているところを見ると今もちゃんと現役で
きっと常連のお客がついているんだな。


路地はくねくねと奥へ続いている。ゆっくりたどっていくと家並を見下ろす階段が。うぉ〜!


古い民家が並ぶ。こういう風景こそ路地歩きの醍醐味!




階段下のこの辻がとてもフォトジェニックで、何とかこの感動を伝えたいとあっちからこっちから
試行錯誤して撮っていたらメディアの容量がなくなった。さて交換しようと思ったら、なんと持ってきて
いたのは64MBのSDカード。はぁ〜〜っ??(絶句)
・・・何で私はいつもこうなんだろう・・・・嫌になる。




恩湯で汗を流した後、駅への戻りは違う道を歩く。
炎のようなオレンジ色のオニユリが道端に咲いていた。



あぁいいお湯だった!

続く

厚保の東芝小屋

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長門湯本温泉に浸かったあとは、ゆっくり美祢線の駅舎めぐり。
美祢線は私が最初に訪れたあと、重安の石灰石の積み出し設備などが一掃されてしまったようである。
美祢の宇部興産への貨物列車は細々と運行されているようであるが貨物の香りはずいぶん薄れてしまって
寂しくなった。それでも、小さな木造駅舎がよく残る美祢線はなお魅力的である。

厚保(あつ)駅も素敵なたたずまいを見せる駅。


出札窓口は無情に板で塞がれているが、ホームの木の柱やベンチは過ごしてきた年月を静かに語るようだ。

・・・おや。あれは何だ!?

うわっ、東芝とブリジストンの色鮮やかな看板が、小屋の壁に転用されているのだ!

逆さま向いた文字が、すでに看板としての機能を終えていることを見る人に教えている。

なんと美しい小屋!ぐるりと周囲を回って見ても抜け目なし、実にバランスよく東芝とブリジストンが
配置されている。いやぁ〜いいなぁ!素敵だなぁ〜!


しかし東芝取扱店の江藤電気さんはどうなったんだろう。駅の目の前にはパナソニック取扱店の
井上電気商会さんが1軒だけ営業されているようだが、そのむかし、2軒の電気屋が厚保駅前を舞台に
激しい営業合戦を繰り広げ、結果パナソニックが勝ち残った・・・な〜んて話があったりして(笑)

木造駅舎にも負けず劣らず素敵な小屋に出会えて、30分間の厚保滞在を2倍楽しめた!

四郎ヶ原駅も厚保駅とおなじような構造の木造駅舎。


この駅の特徴となるのは、駅前のカイヅカイブキの巨木。幹は複雑に捻れながら屋根より高くそびえ、
うっとうしいほど濃い緑色の葉を振り乱している。

この木ってこんなに大きくなるのか・・・たぶんカイヅカイブキだと思うんだけど、もしかしたらヒノキ?



湯ノ峠(ゆのとう)はその名から温泉が滝になって流れているイメージを描くが、普通の駅だった(笑)。


厚狭川と道に挟まれたロケーション。駅前が狭いので横向きにアレンジされた設計になっている。


川は駅の裏側を濁々と流れ、ホームは川に張り出すように造られている。
大雨が降ったら崩れないか心配だ。
こんな狭い敷地でも無理して複線に造られているのは、やはり貨物列車が頻繁に走っていた頃は
どの駅でも行き違いできる必要があったのだろう。今は全線単線で問題ないかも。。。


厚狭川は美祢線の線路を縫うように右へ左へ、そのたびに列車は細い橋を渡る。こんな川沿いギリギリを
走る区間は徐行運転しないとはずみで川へ転げ落ちてしまいそうな気がする。

1905(明治38)年に厚狭から南大嶺まで開通した美祢線は、今年でもう107年。
一時は全線不通となりこのまま廃止になるのではと心配したが、復旧してほんとによかった。

その南大嶺駅は木造駅舎ではないが、かつてここから石灰石積み出し用の貨物線が大嶺まで伸びており
貨物の香りが感じられるかと降りてみた。
広いヤードは今はポカンと空間だけが空いていて寂しい限り。。。

日も落ちてきた。旅の最後が寂しい駅となってしまったが、そろそろ終わりにしよう。

厚狭からこだまとさくらを乗り継いで新大阪へ。こだまもさくらも4列シートでゆったり〜!
N700系のぞみがなんと見劣りすることか!

しかし厚狭駅の売店は駅弁もパンもおにぎりさえ売っておらず。。。
朝食以降絶食状態でめっちゃおなかがすいてたので、柿ピー2袋食べちゃったよ!(爆)


山陰〜美祢線の旅おわり。

飛騨古川と高山

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mayumamaさんと建築めぐり講座のお仲間と3人で女子旅〜!・・・なんて、大学出てから家族を除くと
たぶん初めてかも???
目的はmayumamaさんが是非行きたいと言う下呂温泉の湯之島館。私はその存在を知らなかったが、
湯之島館のサイトを見るとタイルがすごい!!
それで大阪から気動車の特急ワイドビューひだに乗って出かけたのである。

すでにmayumamaさんが素晴らしいタイルの一部をアップされているので、私はすぐ後を追いかけるより、
後ろから書いていこうかと(笑)

2日目は高山に行く予定だったが、せっかくだから少し先の飛騨古川も行くことに。
駅前の観光案内所で聞いたところ、駅から5分くらいにある鯉の泳ぐ水路沿いの白壁土蔵と
修景された歴史的街並みが見どころで、近代建築はないらしい。


水路沿いは観光客が多くおしゃれなお店もあるようだ。しかし「何か」ないかな・・・おや、あれは?

こんもりと通りに張り出した前栽と、家並みの間からちらりと見えた尖塔に惹かれて近寄って見ると、
おおっ!近代建築じゃないか〜!
「河合療院」。その向かいには新しい建物の医院が建っていて、この建物はもう医院としては使われて
いないようだ。


積極的なmayumamaさんがドアを開けて中を見せてほしいと頼んでみるが断られる。そらそうだわな。。。
それでも、この建物は昭和3年の築だとか向かいで医院をされている息子さんで3代目なのだとか
いろいろとお話を伺えた。栗の板が使われているという玄関まわりの廊下や受付は鏡のようにピカピカで、
突然の訪問だというのに埃ひとつ落ちていない。今も毎日患者さんを迎えるかのように美しく保たれ
きれいな百合の花が飾られていた。、
造りのいい建物に住んでいると仕立てのいい服を着たときのように気分がいい、この建物からパワーを
もらえる、と奥様はおっしゃっていた。


怪しいものではないと分かって頂けたのか、なんとこのあと、建築当初からほとんど手が入っていない
診察室や手術室、居住スペースの玄関なども見せて頂いた。奥様が昭和26年に嫁いで来られてから
全然変わっていないとか。すごい!!感激の連続なのだが、建物内部の写真はこれだけにとどめておく。


昔は他にも何軒かの洋館があったがすでに取り壊されたらしい。急いで更地にしなくていい余裕が
あったから残ったのだとおっしゃっていたが、確かにそうで、なかなかそういう余裕はないものである。
ともあれ、この河合療院は飛騨古川のまちのきらりと光る宝石であり続けてほしい。

貴重な経験をありがとうございました。
(河合療院は今年国登録文化財に答申された)

さて、思わぬところで満喫したのでお昼を食べる時間もないまま高山へ向かう(苦笑)。

高山線も木造駅舎がたくさんあり、しかも状態がいい。これは上枝(ほずえ)駅。


高山の駅はモダンな白箱型。ここも古い町並みが有名な観光地だが、変に和風を意識したデザインなどでなく
こういう純粋な駅舎が残っていることはうれしいことだ。


高山は昔高校の修学旅行で来たはずだが、みたらしを食べたことぐらいしか覚えていない(汗)。
ネット情報の近代建築をめぐって歩くがいずれも小粒で、このレベルの物件まで情報が出回っている
ぐらいだからもう掘り出し物は何もなさそう。。。

高山市制記念館はベタな観光スポットではあるが、明治28年築の旧高山町役場の建物がよく残っている。


二階の議場の天井がすごい!「変形折上げ格天井」は壁に近い3マス分が緩やかな曲面となっており
曲面どうしがぶつかる角の部分は三次元曲面となっていて、ホールのような雰囲気の大空間だ。



古い町並みの微妙に外側を歩く。
さてそろそろ・・・と思ったころに、「高山昭和館」の足元にタイルを発見!!
ここはもともと映画館だったようで切符売りの窓口もあるが、その腰壁にみっしりと・・・!


水色の丸のニュアンスカラーが素敵〜〜カワイイ〜〜
幅木のように一番足元に張られているのは、本業タイルだ!


反対側は竹と雀の柄のタイルが使われている。


なんでここに本業タイルを使おうとしたのか、当時の施主か職人に聞いてみたい。


おとなりの店先の滑り止めクリンカータイル。こちらもかわいいなぁ〜


またぎりぎりになっちゃったよ!車内で食べるお弁当を吟味する暇もない(汗)。
帰りもワイドビューひだで大阪直行。しかし特急でも高山は遠いなぁ・・・・



飛騨小坂駅

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湯之島館に行く前に、せっかくなので下呂から特急で二駅先まで乗って、飛騨小坂(おさか)駅を見に行く。
ここのログハウス風の特徴ある駅舎は名駅舎として有名。

1933(昭和8)年開業。全体のフォルムは高山本線の他の木造駅舎と大して変わらないが、
確かに丸太の装飾が見える。


ホームの待合室もおそろいの意匠になっている。


ホームから地下道を抜けて駅舎へ。おお〜っ!素敵〜




杉丸太をふんだんにつかったこの駅舎は林業の盛んだったこの地の象徴であった。
普通の丸太小屋のように水平に並べたのではなく、ヘリンボーン状にしてあるのが心憎い。


神社を模して造られたといい、車寄せの棟部分にはクロスした千木が取り付けられている。
御嶽山の玄関口として、1960年代頃は参拝客や登山客が詰め掛けたという。


まるでねじれているかのように見える、インパクトある車寄せの柱!しめ縄をイメージさせる


足元はコンクリートに川石を埋め込んである。意匠上の効果に加え、雨にも強いに違いない。


このときは私たち以外には地元の人らしき人が数人下車しただけだったが、
駅前に現役の飲食店が並んでいるところを見ると、昔に比べて減ったとは言え今も客はかなり来るのだろう。


ここから山の中へバスで15分行ったところにある湯屋温泉は、天然サイダーのような炭酸泉が湧いて
いるらしく、飲泉好きの私としては興味津々だったのだが、特急の到着が少し遅れてバスはすでに
行ってしまったようだ。。。まぁ今回は湯之島館が控えているので、次の機会に。


港町小学校の円形校舎

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仕事で呉へ。広島から乗った呉線の普通電車のボックス席はビーチサンダル履きで浮き輪を抱えた
若者グループや子供連れでいっぱい。うきうきした気分が車内に満ちていた。平日の昼間から・・・?
そうか、今は夏休みか。楽しそう〜。これぞ夏!!
水尻で半分、かるが浜で残りの半分。広島市民はこのあたりで海水浴をするんだな。。。

呉のひとつ手前の川原石駅で目が釘付け!!うわっ、これはなに!?病院みたいだけど円形校舎?
とっさにくすんだ窓ガラス越しに写真を撮った。新しそうに見えるがこの形からすると古いはず。。。


帰ってから調べると、これは港町小学校の円形校舎で1962(昭和37)年竣工、1995(平成7)年
に大規模改修されたようだ。内部は円形のロビーを中心に放射状に教室が並んでいるらしい。

思いもよらないところで円形校舎に遭遇した。次回呉に来たら途中下車してみよ!!

吉浦駅で途中下車

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海沿いを走る呉線は風光明媚な上にちょこちょこ素敵な木造駅舎もある。
行きしな円形校舎とともに目をつけていた駅のひとつ、吉浦駅に、帰りしなちろっと途中下車した。


ホーム上屋がいい感じ!駅構内は広い。キングポストトラスに支えられた大屋根は、今はトイレが収まっているが
もとは貨物扱いのスペースだったと思われる。待合所は2層分の高さまで抜けていて広々!
かつては今よりもずっと乗降客が多かったのだろうと想像される。


自転車で埋まった駅前広場にはソテツの植わった植栽、脇にはタクシーの営業所、正面には吉浦本町商店街の
ネオンアーチ。完璧。(笑)

しかし完全な逆光!

駅は道路からコンクリートの階段8段分、約1.5m高くなっている。今はスロープに隠れてしまっているが、
もとは基礎が石積みだったようだ。また建物の大部分は白い板が張られ木部も白く塗られているが、
端の方は年季の入った板張りの外壁を見せ、当初の姿を彷彿させる。


吉浦本町商店街は平日の昼間というのに営業している店は少なく、栄華はすでに過去のものという感じ。
清酒水龍のネオンが泣いている。。。




駅の裏側へ回ってみると1棟のマンションが寒々しく建っていた。
このすぐ裏はもう海で、マリーナになっているのだろうか、クルーザーが見える。

国鉄のシンボル(笑)立派な斑入りのリュウゼツラン。

少し歩くと中小の工場がいくつか建っている。もう少し呉寄りに比較的大きな工場も車窓から見えていた。
海上保安大学校や海上自衛隊の施設も立地しているようだ。
今も朝夕には工場の従業員が群をなして駅と工場の間を行き来するのだろうか。


帰ってからネットで検索してみると、今ガランと広く空いた場所には貨物ヤードがあり、海上自衛隊まで
専用線が伸びていたらしい。私はやっぱり貨物の香りを嗅ぎつけたのだろうか(笑)


この駅舎は1946(昭和21)年完成というから終戦後すぐに建てられたことになる。


吉浦駅から広島へ戻る電車に乗る直前に、車内で食べようと思って横のスーパーでカップのかき氷を買ったら、
やって来た安芸路ライナーはロングシートで、しかも満員。。。うわぁ〜しまった!(汗)
バッグの中で30分・・・・。広島駅のベンチで恐る恐る開けたら、おお!まだ固形を保っていた!(笑)

電車に乗る前にアイスは買うものじゃないね(爆)

湯之島館のタイル

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話が前後してしまったが・・・・
飛騨小坂駅の素敵な駅舎を見たあと下呂に戻り、ボリュームたっぷりの「けいちゃん定食」を食す。
誰かと一緒の旅はおいしいものが食べられるからいいねぇ〜(笑)
それにしても下呂は暑い!!!山あいだから涼しいとは全くの妄想であった。まち散策を早めに切り上げ、
送迎バスにて湯之島館へ。

山道を上り切ったところに現れた豪華な玄関!!テンションが上がる〜〜

案内された部屋は木造三階建建築の本館2階。創業当初からの建物で、上質な続き間の座敷に
広縁がついたゆったりした空間。窓の景色は見事な杉木立。しかし明るいうちに館内を見て回りたい。

一息つく間もなく荷物だけ置いて、まずは洋館の1階にある家族風呂を見に行こう。
うおぉ・・・・!


すごい!この廊下の美しさといったら、絨毯を敷き詰めたというよりまるでお花畑のようではないか!
クラクラするほどの興奮・・・


この廊下に面して、4つの家族風呂が並んでいるのだが、それぞれ6畳程度の脱衣所と、2〜3人
入れるくらいの大きさの浴室があり、またこれがそれぞれ趣向を凝らしてあるのだ!
この赤紫のタイルにはため息が出る。。。天井も白いモザイクタイルがみっしり貼られた「七宝泉」。


こちらは2色の布目タイルを市松に貼った「不老泉」の浴室。

※家族風呂をもっと見たい方はmayumamaさんのブログで堪能できます→こちら

家族風呂の真上は「クラブムーンライト」。吹き抜けのダンスホールがあり、華やかな世界が広がる。
洋館から別棟のコテージ「七重八重の間」「雲井の間」「山楽荘」へ続く渡り廊下はこんなタイル貼りで
とても絵になる!




色味を抑えたシンプルなデザインのステンドグラスやスマートな金属づかいの手すりなど
落ち着いた階段室に赤い絨毯が映える。




洋館の2階(3階?)にはビリヤード室、カラオケルームと並び、この「音楽室」はダンスホールの
上に張り出したロフト上のスペース。アールデコデザインの飾り枠や手すりが圧巻。。。
かなり濃密な空間である。


またここの壁は荒く波頭を立てたスタッコに青海波の型押しという凝った意匠。

各部屋の壁は仕上げ材や模様が違っていて、それぞれ手仕事の跡が見られる手の込んだものである。

※クラブや音楽室をもっと見たい方はmayumamaさんのブログで堪能できます→こちら

さて廊下の突き当たりには・・・・


うわぉ〜〜!!すごいタイル〜〜!!


形は全部同じ正方形で布目の模様も同じなのだが、色、質感、風合い、、、バリエーション豊か!


おっ、このタイルいいなぁ〜


あっ、これもいいな〜


こんな楽しい卓球室ってある!?

※卓球室をもっと見たい方はmayumamaさんのブログで堪能できます→こちら

湯之島館のタイル2

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廊下に飾ってあった湯之島館の古い鳥瞰図を見ると、玄関、本館、洋館や離れの部屋なども描かれ、
新館である景山荘を除いたほとんどの施設が創業から間もないうちに出来上がっておりその後現在まで
ほとんど変わっていないことが分かる。


洋館の基礎部の美しい石張が廊下から見える。


クラブムーンライトのあるアールデコの洋館から廊下続きのこちらの棟も、山小屋風の温かい雰囲気の洋館。
木々に囲まれたバルコニーには元の噴水を利用した「山の足湯」があり、温泉に足を浸しながら
ゆったりくつろぐことができる。


この1階部分がとても気になるが、下へ降りる階段は立ち入り禁止。


この棟にはリラクゼーションルームなどがある。
このときはお店が開いておらず、このステンドグラスを内側から見ることはかなわなかったが。。。


階段の手すり部分に造りつけの照明が素敵!!


この上は会議室。


素敵なステンドグラス〜〜


広い会議室の正面には暖炉型のストーブ置き場がど〜んと!凝灰岩を彫りだしたものだ。


この部屋の腰壁をよく見るととても凝っている。櫛目の引かれた黒い部分は着色された漆喰だろうか、
板とボーダー状になっていて、それらの境目にはちょうな仕上げのような意匠を施された細い木材が
挟まっている。う〜ん、渋くて素敵!


この奥にはサンルームが。実際は木々に囲まれてあまり太陽光が入らず薄暗かった。時間帯によるのかな?
ガラスの屋根が開くようになっているみたいだが、開けると虫がいっぱい入ってきそう・・・



春慶荘は茅葺屋根と鮮やかな壁が目を引く独立したコテージで、複数の部屋の内部の柱や建具やはすべて
飛騨の伝統工芸である春慶塗となっている。漆の落ち着いた赤色が空間を引き締めている。
春慶塗といえば食器や花器などの小物がほとんどでせいぜい家具ぐらいはあるが、
建築物にに施されたのは珍しいとか。


湯之島館では温泉付きの部屋も多いが、この春慶荘では室内から伸びる長い廊下を歩いていった先に
離れの浴室がある。これが脱衣所。そして・・・


うおおぉ〜〜!このタイルは!!


床の正方形のもかなり味があるが・・・


なにこのタイル!?見たことない雰囲気!
クロコダイル柄かと思ったがよく見るとアジサイ柄?ん〜このタイルを眺めながらお風呂に入りたい〜


案内して下さった方いわく、一度宴会場のこけら葺のひさしの一部がタバコの火で燃えたことがあるのだとか。
危うく消しとめ、燃えた部分を補修されたというが、この旅館はほとんどが創業当時からの古い木造建築
であり、火は命取りである。大切に守り続けておられる湯之島館の方々や、日本のすばらしい建築遺産を
楽しみたい私たち皆のために、ここに泊まる人は心ある行動をして頂きたいと思う。

いや〜素晴らしかった。食事も豪華で満足。サービスもよかった。。。また泊まりたい。
お手ごろなツアーもあるので、皆さんも是非行ってみられては!?
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