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Channel: まちかど逍遥
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AGCの窓

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京急大師線の終着駅小島新田で貨物線を見たあと、鶴見線にやってきた。
前回来たときはムーンライトながらで早朝に到着し、夜明けの運河に心打たれたっけ。
今回はすでに日が高く前回気付かなかった本山駅跡も見れた一方で、運行本数が少なく
弁天橋駅と浜川崎駅で降りただけ。。。やっぱり行くなら早朝だな。




車窓から見えた旭硝子の工場、AGCの文字が窓になってる!

さすがガラス会社。こういうの好きだなあ〜


鶴見線の記事
本線・大川支線
海芝浦支線
国道駅と浜川崎駅

コーヒーショップコウベ

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大倉山あたりで一仕事終えて、遅い昼食をどこで食べようか。歩いていたらJR神戸駅まで来てしまった。
んっ。
駅の正面にとってもいい感じの喫茶店を発見。間口1.5間ばかりの小さなビルだ。即決で入る。


先客がいたので奥の席に座る。一段下がって天井も低いが奥の壁が一面鏡張りなので圧迫感はない。


ミックスピザセットを注文したらおやつがついてきた。うれしいな!


「お手洗いは3階です」の張り紙に心惹かれて(笑)階段を上がって行ってみると、、、
うわぁ〜!
果たしてトイレは、タイル尽くしの空間であった。。。トイレ前の壁も渋い六角タイルだったが暗くて撮れず。


2階、3階も元はフロアとして使っていたのだな。上に行くほど昭和3〜40年代っぽい内装が残っているが、今は荷物置き場
になっていた。

お勘定のときにマスターに声をかけてみたら、もう50年ぐらいやってます、と。このあたりでは一番古いそうだ。

どこも似たり寄ったりの駅前再開発が行われる昨今であるが、こういうお店が営業を続ける駅前はやっぱり魅力的だ。

神戸駅の駅舎は相変わらずカッコイイ〜

グリルオリエント

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阪神尼崎の仕事のあと、お昼を食べようと商店街へ。
むむっ、なんか良さげな洋食屋。
ランチで950円かぁ・・・ちょっと高いけど入ってみよう。


こじんまりとした店内だが2階もあるらしい。入ってすぐのところに階段が。
おばちゃんの服装が、洋食屋でよく見るメイドスタイルでなく普通の服だからか、庶民的な雰囲気が漂う。
各種のお酒が並んでいるところを見ると夜はスナックになるのかな(笑)。


煮込みハンバーグでも1400円ぐらい、サービスランチが1200円ぐらいする。ドリンクなしで、である。

ステーキセットなど5千円超(!)の各種メニューが壁に貼られているのを見ると、老舗洋食屋のプライドを感じる。
しかし・・・頼む人はいるのだろうか・・・庶民の街、尼崎で。

ふらっと入ってきたおっちゃんが慣れた様子で煮込みハンバーグにコーヒーを頼んでいたし、
常連客が結構ついてるんだろうな。

ハンバーグはニンニクがよくきいておいしかった。
今度お茶しに入って2階に上がってみようっと

高野口の建物めぐり

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今月の建築めぐり講座は少し遠出、南海高野線の橋本からJR和歌山線に乗り換えて2駅の高野口へ。

南海電車の車窓風景は河内長野を過ぎるとぐっと緑の割合を増す。
朝の雨でしっとり湿り気を帯び色を濃くした山里に、満開の桜がもやのようにかかる光景は幻想的。。。

降り立った高野口駅はこんな古い木造駅舎。うわぁ・・・・いいなぁ。


そしてその真ん前に、この立派な木造3階建ての元旅館、「葛城館」が建っているのだ!すごい〜〜
総ガラス張のファサードに圧倒される。2階の窓の高欄の外側にはガラスでなく鏡がはめ込まれているのが特徴的。
明治後期の築とのことなので、全面ガラスは後年増築のタイミングでしつらえられたのかもしれない。

ここから高野山はちょっと距離がある気がするが、鉄道を利用して高野山へ参詣する人々でにぎわったそうだ。

広い土間から2階へ上がる階段。




2階の階段ホールからすぐまた半階下りて廊下が奥へとつながっている。
この建物は前・中・後の3棟からなり、中・後の棟は増築だろう。

前の棟ももともとは2階建てだったのを増築して3階にしたといい、3階へ上がる階段は取ってつけたようだ。

来月、後ろの棟が取り壊され、表の建物は改修・補強の工事を経たのち、活用される予定だという。


このあと、昭和12年竣工の現役木造校舎の残る高野口小学校へ向かう。この学校は川跡に建てられている。


和歌山らしい、青石積みの外まわり。


学校建築も洋風やモダニズムの流れが一般化しつつあったこの時代に、寺院のような重厚な純和風の造形を
見せるこの校舎が作られたことは驚きなのだとか。


中央入口から左右に広がる本館から、裏の校庭に向かって細長い棟が何本も伸び、棟と棟の間は明るい
中庭となっている。すべての教室に光と風が届くこの平面計画はフィンガープランと呼ばれ、
文部省が明治28年に提示したものというが、えらく遅れて採用されたものだ。

中庭が明るいのは平屋建てのせいでもある。昭和9年の室戸台風を教訓に、剛健な構造が取り入れられたのだとか。

床や壁は改修されてずいぶんきれいになってはいるが、今もオリジナルの姿そのままに大切に使われている。


解散してから帰りにmayumamaさんとyumeさんとともに、駅の反対側に見えた「パイル織物資料館」を見に行く。


角部分に飛び出して作られた玄関周りが特徴的。ガラス窓から覗いてみると、物置状態になっているが
菱形の窓や欄間、照明器具など、なかなか素敵な意匠が見られる。


資料館は閉まっていたがmayumamaさんが事務所の人に声をかけてくれたおかげで見学することができた。
もとはこのあたりで盛んだったパイル織物製品の検査所だった建物なのだとか。独特の製法は興味深い。
ただ、見学できたところは製品の展示販売や織物教室に使われている広い部屋で、特筆すべき装飾等はなかった。


いろいろ見れて楽しい「遠足」だった!

宇治電ビルディング

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建て替え建て替えと言われてからもうずいぶん経つ気がしていた宇治電ビルディング。
しかしついにほんとに解体が始まるようで、先日前を通ったら建築計画の掲示がでていた。
国道1号線に面して建つ8階建ての鉄筋コンクリート造。昭和12年竣工。
ファサードは一面オフホワイトのタイル貼に、個性的な「宇治電ビルディング」の文字がカッコイイ!


装飾はほとんどない中、テラコッタのレリーフが左右に2か所。柔らかい線で表現された女神像。
有機的な曲線が使われているのはこの建物では唯一ここだけじゃないか。
稲妻や電球が電力会社の本社として建てられたこのビルの起源を象徴している。


足元にはこの時代の建築によく見られる地下室のトップライトのガラスブロックも完全に残っている。

長年この地で歴史を刻んだビルも、解体工事が始まるとあっという間に影も形もなくなってしまうんだろう。
さびしいなぁ。
この跡地に建つ建物は、宇治電ビルディングを越える風格をもって新たな1号線の顔となるだろうか。


雨の妙見口駅

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日曜は昼前から雨。
ふと、雨に濡れた駅舎を見たいなと思い立って、能勢電鉄の妙見口へ出かけた。
家をでたのが3時前、妙見口に到着したのは4時すぎ・・・(苦笑)。


山下までは仕事で何度か行ったことがあったのだが、その先、日生中央と妙見口の両終着駅には
まだ行ったことがなかったのだ。
途中の駅は、それほど古い駅舎はないが、それぞれに興味をそそられ途中下車してみたいと
思わせる駅たちだ。


山下駅を出て加速する暇もなく到着する笹部駅。
光風台駅の前後のトンネルは面白い。ここまでくねくね進んできた単線の線路が
トンネルの直前で分岐して複線になり、複線のままトンネルを抜けて光風台駅に到着、
そして複線のうち1本の線路が駅を出てすぐのトンネルの中で突然終点を迎え、
トンネルを出るときには単線になっている。
ときわ台駅周辺には、廃墟のような工場も。複線用地なのか廃線跡なのか、線路沿いに草地が
続いているのも気になる。引込線があったのかなぁ。。。


妙見口駅に着くまでにやむだろうと高をくくっていた雨は、全然やまず、むしろ
ひどくなってきた。。。なかなか軒から出られない。


能勢電鉄は10分に1本のダイヤ。昼間でもこの頻度ってすごいな・・・
駅に電車が駅に着くと、運転士さんはいったん駅舎へ行くこともなくそそくさと移動して
反対側の運転席へ着くか着かないかのうちに発車のベル。停車時間1分くらいじゃないの!?
沿線や駅の風景は牧歌的でも、運転士さんはのんびりとはしていられないのだ。


雨が小降りになったのを見計らってちょろっとうろつく。



妙見ケーブルもまだ乗ったことがなく、いつか行こうと思っているが、この日も行く時間がない。
夕方からでなくもっと早く家を出ないとな(苦笑)。また出直そう。

和泉砂川駅と長滝駅

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和泉砂川へ藤を見に行ってきた。
びんみんさんがいつかご自分のブログでかかれていたのを読んで、見に行きたいと思っていたのだ。

和泉砂川駅は赤い三角屋根のかわいい駅。次々に駅から出てくる人々は皆藤を見に行くのだろう。
駅前には藤まつりののぼりが立ち、マップを配るおばちゃんも。
梶本さんという個人宅の藤だがすでにまちぐるみの一大イベントだ。

まぁゆっくり、まずはこの素敵な和泉砂川駅を堪能しよう。


海側の駅舎が主であるが、山側の改札口にも小さな三角屋根がある。


かわいい〜
張り出したひさしも三角になっているのがおしゃれだね〜

近所のおばちゃんの恰好のおしゃべりの場に。

駅舎は昭和15年のものらしい。サイディング張りになってしまった部分が多いが、
この柱の木部は昭和15年からのものだろう。浮きだした木目の凹凸が歴史を語る。


藤まつりの藤はそれはそれは美しくて感動!!











梶本邸の藤の公開は5月6日まで。

行きしな車窓から見た長滝駅まで、藤まつりのあと熊野街道を北上したが、余裕で歩ける距離。


和泉砂川駅と同じ赤い鉄板葺きのかわいい駅舎。東岸和田駅とも共通する半寄棟屋根の小屋が改札口となっている。


駅の正面には大きな桜の木が。花の季節には見事なんだろうな〜


今はホーム側のつつじが見事に咲き誇っていた。

出国!

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台湾に行ってきます!
6日に帰りまーす。
皆さんごきげんよう(笑)

札幌で震える・・・

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出張で札幌に来ました。
めちゃくちゃ寒い!!(震)台湾からのギャップが大きすぎ・・・

大阪での格好のまま普通に長袖のスーツで来たら、日が暮れると耐えられないほど寒くなって、
まちをうろつく気も起こらない・・・(汗)
あぁ侮った。。

駅ビルでお寿司食べて、はまなすを見送りに行って、明日の仕事に備えてゆっくりしよう。

明日帰る前にちょろっとうろつけるかな。。

台湾の旅2012

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今年のゴールデンウィークは5/1〜6で台湾に行ってきた。
台湾にはもう10回以上行っているが何度行っても飽きない。行ってみたい場所がいっぱいあるし
一回行った場所にももう一度行きたいと思わせる魅力があるのだ。
建築、鉄道、風土、食べ物、そしてまちの活気!

これらの魅力のもととなっているのは、古いものを活用しながら最新技術も取り入れたり、
西洋文化を取り入れながらアイデンティティを忘れない、台湾の人々の気質だろうか。
地に足のついた大人の国(※厳密には国家ではない)という感じがする。
(同じようなことをこれまでに何回も書いたと思うが・・・)

今回もまた期待以上に充実した旅だった。感動が大きすぎて収まりきらないのだが・・・
何とか8回くらいの記事に凝縮してこれから順次アップしていきたいと思う。

・・・ってまだひとつも書けていないのだが(汗)。ボチボチと。。。

林口線の石炭列車を見に行く(台湾)

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空港から台北のホテルへいったん荷物を置きに行って、林口線の石炭列車を見に行こう。
目的の石炭列車の時間まで少しあるので、台北から各駅停車の「区間車」に乗って山佳駅で途中下車。
山佳駅は台北から4駅目という近さにして日本時代の小さな木造駅舎が今も残る駅なのだ。

列車は大きく弧を描いてホームへ入ってゆく。あっ、ホームが新しい。
すでに橋上駅に変わってしまったようだ。一番端に古い駅舎が静かに佇んでいるのが見えた。

しかし屋根はシートで覆われているな。改札を出て駅前へ回ってみると、正面と側面もだ。

立面写真をプリントした幕で覆う手法は台湾の他のところでもよく見かけるが、元の姿がイメージできるし
改修待ちなのだとはっきりわかるので、ブルーシートよりもガックリ度が軽減される(笑)。




改修されたあとは待合室としてこれからも変わらずこの街の顔であり続けるのだろう。



さぁまた2駅乗って桃園へ。特急も停車する割と大きな駅だ。ここから分岐して海際の林口火力発電廠まで
伸びた貨物線が林口線だ。終点までだと20km近くあるだろうか、結構長い。
面白いのはこの貨物線を利用して2005年から朝夕2便の旅客列車が無料で運行されているのだ。
この列車にも是非乗りたいのだが、この日は夜に台北在住の友人と食事をするので今回は諦めよう。
ちなみに朝の便は7時前に桃園出発。朝6時に台北を出なくてはならず、こちらはかなりハードル高し。

さて、桃園駅に着くと石炭列車はすでに構内にスタンバイ済みだった。おぉ〜、厚狭駅を思い出す。
無蓋の貨車には黒々とした石炭が満載。ん〜生々しくていいねぇ!(笑)

もうすぐ発車時刻、これが走り去る姿をどこで見ようか。ほんとはずっと追って行きたいが時間も足もない。

改札を出て少し歩いて行くと視界の開けたガードがあったのでここで待つことに。
果たして、予定時刻に忠実に石炭列車はやってきた。あぁいいねぇ〜!

浸る間もなく、長い貨車の列はすぐに建物の後ろに消えていった。


駅へ戻ろうと歩き出すと、いい感じに古びた台鉄の倉庫が。今はバイク置き場として使われているようだ。
写真取ってもいい?とおばちゃんに身振りで了解もらって建物内に入る。


整然と並べられたバイク。高い天井の壊れたドーマーウインドウから光が差し込み、なんだか神々しい
くらいの雰囲気を醸し出す。


日本なら、耐震性が・・・・と言って即座に壊すか立入禁止確実だ。


倉庫の裏手に、旅客用の林口線ホームがあった。
林口線は空港の近くを通っているため旅客化の検討がされたらしいが、現在空港へのアクセス用MRTを
別途建設中で、それが完成すれば旅客運用は終了するという。乗れる機会はもう少ないなぁ。乗れるかなぁ。



さてまた台鉄に乗り、台北の一つ東の松山まで行く。台鉄の鉄道工場である台北機廠を見に行くのだ。
台北機廠は本で見ただけで場所は詳しく分からないが、沿線にあることは間違いないだろうとあたりをつけ、
地下化した鉄道敷地上に作られた公園に沿って歩いていく。10分ほど歩くと大きな屋根が見えてきた。
おお、あれだな。


日本統治時代の昭和10年に建設された工場で、長らくこの鉄道天国台湾を支えてきたが、
再開発計画のため移転が決まっているという。


「我愛台鉄」
泣けてくるなぁ!職員の誇りとこよなき愛情により鉄道が維持されてきたのだ。


しかし・・・高い塀に阻まれて中を伺うことができない。どこか覗けるところがないか・・・
塀を右手にぐるりと回ってみる。


あっ!門柱と鉄扉の2cmぐらいの隙間に目を押しつけて見ると、広大な敷地内にレールが伸び、車両が
数台停まっているのがかろうじて見えた。

実は本でこの工場内に従業員用の大浴場があると知って、見たい!!入りたい!!(笑)と思っていたのだが
まったく窺うことすらできずじまいだった。しかしその浴場など一部の施設は産業遺産として保存される
とのこと、あぁよかった。。。

台湾続く。

台中港の貨物線と木造駅舎(台湾)

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台湾続き。

台北機廠の敷地を回りこんでさらに歩いていくと公園になっていた。おや、古い建物が。
台北機廠の一部がもうすでに活用されているのかな!?


うわっ、なんかすごい規模だぞ。なんだこれは?


「松山文創園区」。元たばこ工場らしい。
木造の小ぶりな建物の横に作業場のような切妻型の建物、煙突のある大きな倉庫、そして
学校か役所かと思わせるような、延々と壁が続く巨大な建物。広い中庭には噴水がある。
これらの建物群を、丸ごと保存活用しようとしているのか!?何というスケール・・・


中央の四角い建物の短辺で50mぐらいあるだろうか。使い切れないほどの広さだ。


敷地内を歩いていくとさらに5棟の倉庫。そして裏手には事務所棟らしき建物が。これがとても素敵だ。
日本でも見かけるモダニズムが入った頃のデザイン。
ボーダータイルを水平にめぐらし、直線的でありながらもクラフト感のある、私の好きなタイプの建物。
ファサード中央の窓を見て!紀伊中ノ島駅を彷彿させる(こちらのほうが規模が大きいが)ラチス格子!

う〜ん、素敵!

台北機廠を見ていたはずなのにいつの間に松山文創園区に入っていたのか?という謎はさておき、
あぁ台湾の「本気」を見せつけられた気がする。


翌日、高鉄(新幹線)で台中まで行き台鉄に乗り換え、台中港駅へ向かう。この駅は「港」という名を
持ちながら海からはずいぶん内陸にある。ここからまた海へ向けて貨物線が伸びているのだ。
ホームに降り立ち、貨物列車のいる駅風景をしばらく楽しんだあと、跨線橋を渡って改札口に向かうと、
いかにも場違いな客に職員さんは不思議そうな顔。高雄への移動を兼ねているのでスーツケース連れ
なのだ。。。何とか荷物を預かってもらうことに成功、身軽になって歩き出す。

貨物列車の時刻は一応本でチェックしていて、平日なので動いていると思うが、ほんとにその通りに
来るのかどうかはわからない。

この貨物線では腕木式信号機が現役で使われている。

田んぼのあぜ道を通って線路ぎわに来た。あぁここで貨物列車が見れたら迫力あるなぁ〜!


写真を撮っていると民家からおっちゃんが出てきて何か話しかけてきたが、私は中国語も台湾語も
(英語も・・・)全くできないので、貨物列車の運行状況を聞くこともできないのがなんとももどかしい。


そろそろのはずなので踏切の音に耳を澄ましながらあぜ道で待つが、予定時刻を過ぎても踏み切りは
うんともすんとも言わない。今日は運休かなぁ、遅れてるのかなぁ。。。
次の移動の時間もあるのでじりじりと駅へ戻りながら、それでも頭の中ではアングルを考えながら。。。

一瞬、ほかのものに気を取られていたとき、、、ああーっ!!貨物列車がぁ〜〜!しまったぁ〜〜っ!

いちばん間の悪いときに遭遇してしまった(涙)。橋の上とかなら良かったのにぃ〜

まぁ走ってるのを見れたからよしとするか。。。駅へ急ぎ、構内に停まった貨物列車を見よう。
ホキやワムのような貨車の後ろにジープとか救急車を積んだ編成が。軍用なんだろうか。
最後尾には客車?人運搬用の車両も。おもしろいなぁ。

台中港駅、とても気に入った!


次に追分駅で下車。ここは海線と山線を直通できるデルタ線があり、追分という名前が相応しい。


台鉄では現在、高架化、橋上駅化、バリアフリー化など、駅や線路の改修工事が急ピッチで進め
られていて、鉄道風景もどんどん変貌していってるのだが、この追分駅では構内踏切が健在だ!
うれしいなぁ〜




各駅には「許願池」というのが必ずと言っていいほどある。改札口とは別に池へのアクセス路を設けて
あるところを見ると、列車に乗らなくてもこの池にお参りするためだけに駅に来る人もいるようだ。
女の子が熱心にお祈りしていた。文字から想像すると、許しを請う、懺悔する場所なのだろうか。

日本の駅でも時々池を見かけるが(たいがい水が涸れているが)、あれも許願池なのだろうか。

こちらも木造駅舎の残る林鳳営駅。


「空襲時期旅客疏散標示図」って、、、いつのだろう。まさか今も・・・?


ほんとはあといくつか途中下車するつもりだったのだが、疲れてきたのでもう高雄へ直行する。

続く。

八戸ノ里の洋館

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仕事で八戸ノ里に行って道を歩いていると、ちらりと見えた気になる門柱。
ちょいと横道を入って見てみると・・・うむ、古い。


うっそうと茂った植栽の陰に埋もれるように、静かに建つ木造家屋。
昼間でも室内は暗いであろう、窓には灯りがともっていた。


そこから少し歩くと、また古そうな門柱が目に入る。


見るとこちらも素敵な佇まいの洋館風住宅!うわぁ〜特に玄関まわりの魅力的なこと。。。


一角は落ち着いた雰囲気漂う住宅地。ここも昭和初期ぐらいに区画整理された場所なのかな。
駅から近いこの場所で、いつまでもひっそり残り続けてほしい。

屏東線と枋寮のまち(台湾)

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台湾続き。

林鳳営駅を見たあと、新営から自強号に乗って高雄入り。恋する高雄での一夜を楽しむべく、
駅前の宿に荷物を置いてすぐにMRTで西子湾へ。旧高雄港駅には青い旧型客車が仲間入りしていた。
フェリーで旗津へ渡って海鮮を食べ、帰りに雪花氷を食べてから夜市をうろついて、あぁ満喫。



さて翌日、ここから先が今回の旅のメイン。今日は一日乗り鉄だ。
高雄から先の「屏東腺」では徐々にローカル色を増し、枋寮から台東までの「南廻り線」では
深い山越えとなる。非電化の区間も残るため、機動車やディーゼル機関車牽引の客車列車が走る
フォトジェニックな路線である。
その南廻り線を1日1本走る「普快車」は、ガラス越しでない車窓風景を風とともに楽しめる
鉄道の旅の真骨頂とも言える列車であり、これに乗るのが今回の旅の目的であった。

今回使った「TRパス」は台鉄3日間乗り放題のきっぷ。これは高鉄(新幹線)には乗れず、
在来線の特急だけでかなり長距離を乗り3日間移動しまくるような旅でないと元を取るのが難しい
微妙な値段設定である。
実は私のスケジュールでは高鉄も使うし3日目は移動しない予定だったので、原価割れは承知の上だ。
それでも気ままに途中下車したり飛び乗ったり、急な予定変更にも対応できることを考えれば
使う価値があると思う。ま、願わくは1日単位で買えるようにしてほしいのだが。


珍しく予定より早く高雄駅に着いたので一本早い区間車で屏東まで先回りしよう。
以前も見た高屏渓の旧橋梁、川原に転がったトラスはすでに撤去され、安全に見学できるように
整備されたらしい。ここにも青い旧型客車が運び込まれているのが見えた。

旧型客車がどんどん廃車されていっているのが知れる。

前回も歩いた屏東、30分ほど駅前をうろついてから駅へ戻り、枋寮行きの区間車を待つ。
屏東から南廻り線の起点である枋寮までの区間は、未踏なので楽しみではあったが、正直それほど
期待していなかった。ところが、ヘッドライトを光らせてやってきたのは・・・・
おお!オレンジ色の機関車!急激にテンションが上がる!!


区間車なのに特急に乗っているような贅沢な気分。ただし窓は開かない。乗客は一両に数名のみだ。
小駅にも丁寧に停車しつつプランテーションのヤシ林やレンブーの果樹園の間をのんびり進んでいく。


ディーゼル機関車特有のガガガガ・・・という音と、加速度を感じさせないじわじわとしたスタートを
駅ごとに楽しめる区間車の旅。あぁいいなぁ。。。


しかし高雄から枋寮までの「屏東線」は高架工事が急ピッチで進んでいる。
仮設ホームになっている駅が多く、橋上駅がすでに完成しているところもある。


車掌さんが何か話しかけてきた。
・・・ごめんなさい、わからない。私日本人です。TRパスで旅していて、枋寮から普快車に乗るんです・・・
身振りのみで話す(苦笑)。
あぁ、日本人。でも普快車だと枋寮でだいぶ待たないといけないよ?
枋寮でちょっとまちをうろうろして写真を撮ったりして遊んでから乗るんです。
あぁ、そうなの。


同じ車両でラジオをつけながらごきげんでくつろいでいたおっちゃんも話に加わってきた。
ギリギリ日本語世代らしく、片言の日本語を交えて話しかけてくる。
枋寮に自転車あるよ!金、要らない!わかるか?
自転車屋さんなのかな?おっちゃん、確かに自転車のタイヤを一本抱えて乗車している。


そうこうしているうちに枋寮着。この駅には荷物預かりがなかったのだが、車掌さんがはからってくれて
事務所にスーツケースを置かせてもらえた。そしてどういうシステムか分からないが、駅構内に
おっちゃん所有の貸出用自転車が3台あり、ありがたく貸してもらった。


枋寮は南廻り線の起点であり台湾南部の主要駅であるが、いたってローカルな田舎のまちだ。
駅から少し行くと海。外海に面した海岸は波が強いのだろう、テトラポッドもすでに半分埋もれている。
海沿いに自転車で走っていくと船だまりがあり、枋寮唯一の観光スポットと言えそうな橋があった。
その上に上ると港とまちが見渡せる。うん、なかなかいいね。


港から先の海沿いはずっと公園になっていて、ゆっくり散歩するのもよさそうだ。


飾らない日常生活の場としてのまち。市場はどこの町でも賑わっている。
ところどころで古い中国式の民家も見える。タイルを貼った民家もあった。




そろそろ駅へ戻ろう。おっちゃんの自転車のおかげで枋寮観光もできた。ありがとう〜


続く。

枋寮〜台東 山越えの旅(台湾)

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台湾続き。

枋寮のまち散策から戻るとホームにはすでに青い列車が停まっていた。おぉ!あれに乗るのだ〜

小走りで地下通路を渡りホームに行くと、ワイワイガヤガヤ・・・団体さんが代わる代わる写真を撮っていた。
なんだこれは。今しがたの自強号で着いたのだろう。あきらかにこの列車に乗るツアーだ。子供もいるが
多くは普通のおっちゃんおばちゃん。すごい人気なんだな。。。ちょっと驚いた。


団体さんはお行儀よく後ろの車両にまとまって乗ってくれたので、個人旅行の私は前の車両でゆったりと、
おばちゃんたちにまみれることなく旅を楽しむことが出来た。
写真を撮りやすい編成の後方の車両を陣取られたと言えなくもないが、まぁいいよ。

さて出発。そろそろとスピードを増して行く。もちろん窓は開け放し、風が心地よい。
梅雨入りして天気がよくないこともあるだろうが、車内は冷房はまったく要らないくらい快適。

枋寮の集落が終わると果樹園が広がる山すその風景。山がどんどん近づいてくる。


内獅駅は海のすぐそば!!ここから次の枋山までは海景色を楽しめる。しかしこの天気が恨めしい。。


さぁここが山岳路線の入口。枋寮から台東間は現在環状になっている台鉄路線のうち最後につながった区間で、
開業したのはつい20年前の1992年。そのため駅舎はいずれも比較的新しく、コンクリート造タイル貼りだ。




枋山から次の古荘まで約27kmの間で山脈を越える。その間に駅はないが信号場が設けられ、
特急の追い越しや対抗列車の通過待ちをする。枋野信号場は駅のように立派。

駐在の職員さんは運転士さん、車掌さんとつかの間のおしゃべりを楽しむ。
ほとんどの列車は枋寮を出ると大武までノンストップで、この間の駅に停まる列車は上下合わせて
1日4本しかないのだ。


地図で見ると台湾島のしっぽのつけ根を横断する程度と思うかもしれないが、実際に中央山脈を貫く
大変さは、トンネルの数と長さが物語る。機関車の煙こそないもののトンネル内での耳をつんざく走行音と
風にはちょっとひるんでしまい、窓を閉めようかと何度も思ったが、こういう経験もできなくなると思うと
もったいないので我慢する(苦笑)。


長い長いトンネルを抜けてようやく古荘駅に到着。ここでも上り自強号を通過待ち。
待ってばかりのような気がするが、時刻表を見る限り、下り特急の追い越し待ちが2本だ。
その間にローカル駅のホームに降り立つことができるのでこれも各駅停車の旅の貴重な時間。


大武から瀧渓の間はまた海岸線沿いを走る。黒い砂浜がはるかに続く車窓風景は絶景!
天気が悪く薄暗いのと線路脇に生い茂る潅木のせいでなかなかきれいに撮れないのが悔しい。。。。


渡る川はどこも幅が広くくろぐろとした河川敷を細い水流がくねくねと蛇行している。
もうすぐ上流で降った雨が濁流となってこの川幅いっぱいに押し寄せるのだろうか。


瀧渓〜知本間の各駅間が長いのは、それぞれ間にあった駅が廃止されたかららしい。
ホームや駅舎はそのまま放置されているようで、車窓を眺めていると突然現れ、
あれっ?各駅停車なのに通過?と一瞬驚く。
集落はほとんど見当たらないしずっと線路に平行して道路が走っているので、間引きもやむを得ないか。。


雨が激しくなってきた。仕方なく窓を閉める(苦笑)。


あぁもうすぐ台東、枋寮から2時間乗ってきた普快車の旅ももうすぐ終わりだ。


しかし、文字通り台湾東部の主要都市である台東に近づいているというのに、ぜんぜん都会の
香りがしないなぁ。。。

続く。



ガラスドアの取っ手

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自動ドアが広く普及してこういう味のあるガラスドアも少なくなった。


どっしりした焼き物でできたこの取っ手は、囲碁用品の専門店のもの。


この取っ手がニセゴイシウツボの柄に似ているのは偶然か、店主のシャレか(笑)。

花蓮の夜歩き(台湾)

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台湾続き。

普快列車で到着した台東。今回、ここでは乗り継ぎのみ。
それにしても、駅のホームの造りもさっきまでのローカル駅とあまり変わらない。
一緒に乗ってきた団体さんは、ここで自強号に乗り替えて高雄へ戻る日帰りツアーのようだ。

花蓮までの座席指定を取りにいったん改札を出る。待合室にはまぁまぁ人がいたものの、駅前風景はこんな感じ。
今の台東駅はもともと市街地にあった旧駅を廃して1982年に郊外に設置されたもの。
すでに30年経つと言うのにこの寂しさと言ったら。もし台東が目的地だったなら恐ろしく不安になりそうだ。


ここから花蓮までは自強号でも2時間40分かかる。売店で駅弁とお茶を買っておこう。
さすがに自強号はお客がいっぱいで、席もぎりぎり取れた感じ。よかったぁ〜


隣の席にも人がいるのでうろつきもできず、おとなしく遅い昼食を食べる。

あっ、駅弁売りのおねえちゃんがいる。ここで買えばよかったな!


雨は降り続いている。山は白く霞み、もはや少しの晴れ間もなくなった。
まぁ、窓の開かない自強号の旅だから、雨の風景もまたよし。・・・・しかし冷房が寒い。。。


夕方5時半、花蓮到着。朝8時に高雄を出てからほぼ丸一日乗り鉄だった。
さすがに花蓮駅はにぎやか!少し前に着いた太魯閣(タロコ)号も停まっていて写真を撮る人も多数。
あぁ、ターミナルはこれでなくっちゃ!


花蓮駅も台東と同じくもとは市街地にあった。1979年に作られた現在の花蓮駅前は台東に比べれば
賑やかだが、いまだ旧駅周辺の方がまちの中心であることは否めない。
花蓮には2連泊する予定。旧駅付近に宿をとり、日暮れから夕食探しを兼ねて散策しよう。

宿から市場が近い。今は閉まっているが朝は賑やかなんだろうな。おや、この市場は川の上にあるぞ。
水上ビルみたいだ。


ここが旧花蓮駅跡だな。広大だっただろう構内の敷地は意外にも、いまだガランとした空地が多い。
建物の残るエリアは「東線鉄道遺跡−旧工務段、警務段文化園区」としてちゃんと整備されていた。


旧駅に至る線路は繁華街の中を貫いており、廃線跡の敷地はすでに商店などが建っていたり
遊歩道になっている。


おしゃれな店が並ぶ遊歩道には、本物のレールが埋め込まれ、蒸気機関車のミニチュアや鉄道をモチーフ
としたオブジェなどがそこここに配されている。踏切跡も現役時代を彷彿とさせる。


町はずれに防空壕が残され説明板が設置されていた。防空壕というのは日本時代特有のものらしい。へぇ〜

花蓮の夜は長い。結構遅くまでお店が開いているし明るいので、まちの中心部だけなら夕方からでも
かなりつぶさに見て回ることができる。歩き疲れたら夜市で雪花氷を食べて・・・と。

そろそろ宿に戻ろうと思ったら、なんだこれ!?社宅?きれいになっているようだが。。。


板塀に囲まれているのでどこかよく見えるところはないかとぐるりと回り込んだら、、、うわっ!
こんなのがあった!花蓮旧酒廠らしい。

明日明るいときに見に来なければ!

続く。

雨の花蓮を自転車でうろつく(台湾)

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台湾続き。

さて今日は宿で自転車を借りて1日花蓮のまちを見て回ろう。天気予報は雨。
出発して間もなく雨が降ってきた。コンビニで傘を買い、サイクリングを続ける。

昨日見た旧駅跡を過ぎ、海沿いに続く公園を走っていくとサイクリングコースの案内板が。
ははぁ、ここも高雄と同じく貨物線の廃線跡が自転車道になっているのか。ガイドブックでよく見る
美しい海岸「七星潭」まで12kmか、よし、行ってみよう。


廃線跡らしいいい感じの道が続き、丘を上る途中の旧米崙駅跡にはあずまやが作られている。
臨港線には貨物列車のみでなく旅客列車も走っていて、この駅は学生たちで賑わっていたとか。

いつのまにか廃線跡から外れ、丘を一気に下って港へ出る。


おや、線路が。花蓮港駅は現役だったのか!いいねぇ〜


大型トラックが疾走する港湾地帯で、巨大なプラントと敷地内に伸びる線路をかいま見ながら自転車道をたどる。






軍港(?)と漁港の横を過ぎ、広々した草地広がる丘に上ると、港湾風景から一転、ビーチだ!!


波打ち際には大理石のかたまりがゴロゴロ。さすが大理石の産地。


ゆったりしたアップダウンのある台地上を走り抜けるのは気持ちいい〜!牛もいるよ〜

雨は降ったり止んだり。



切り出された石のかたまりが向こうの丘にずらりと並べられているのが見える。すごい量だ!
もしかすると船で運んできた輸入品なのかもしれないな。


自転車をとめて、灯台を見に草むらの道を行くと、スライスされた大理石の置き場があった。
赤、白、緑、黒・・・・いろんな色の大理石の分厚い板!すごい贅沢・・・
時折パンパンという音が近くで聞こえる。石を加工している音なんだろうか?音はすれども姿は見えず。

先へ進むと軍事施設の門が。「演習場」。さっきの音は銃の音か!?
うろうろしてたら流れ弾に当たったりして・・・怖い怖い。

航空局の施設や産廃処理施設の横を通り、自転車道は続く。
このコースはさながら花蓮の産業見学サイクリングだ。道も変化に富んで飽きることがない。

ゆるやかな丘を走り続けて、ぱっと視界が開けたその先に・・・うわぁ〜〜!
目の前に広がったのは、遙か彼方まで続く美しい弓なりの海岸線。手前側にも延々砂浜が続いている。
これがあの七星潭か!素晴らしい眺め。あぁ傘を差しながらでもここまで見に来て良かったぁ〜〜



厚い雲に覆われた空は灰色で、遠くの方は白く煙って雨の激しさを思わせる。
こんな天気でも美しいのだから、青空ならどれほど感動するだろうなぁ。

自転車道はこの先、ちょっと信じられないようなことになっていた。
ここから海岸まで降りる階段がくねくねと九十九折りになっていて、その脇にスロープが併設されているのだ!
階段と同じ勾配だから乗って下るのは無理だろう。じゃあ押して下りるのか!?・・・無理無理無理。
何せ、この高低差をいったん下りてしまえば、再び上ってこないといけないのだ。ここで引き返すことを即決。


ところで、これまでバシバシ写真を撮ってきたが、七星海岸を目前にしてメディアがいっぱいになった。
今回はちゃ〜んと予備を持ってきてるもんね!
・・・・しかし・・・ない。
うわ〜っ!予備を持っているのは電池だけで、メディアの予備はスーツケースの中だ!
撮影サイズを小さくして要らない画像を消しながらみみっちく撮る。。。あぁ情けない(涙)。全然進歩していないな。
激しい雨が降り出さないうちに急いで戻ろう。宿でメディアを入れ替えて出直さなければ。。。

続く。

ヴォーリズさんの設計室展

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NPO法人ヴォーリズ建築保存再生運動一粒の会による企画展「ヴォーリズさんの設計室展」を見に
久しぶりに近江八幡へ行ってきた。
会場である旧八幡郵便局の2階はもともと電話交換室として使われていた空間。


なんともいえずやさしく心地よい、ヴォーリズさん設計の住宅。
それは明るく健康的な暮らし、子供ののびのび健やかな成長を考えて作られているから。
著書「吾家の設計」「吾家の設備」に示された住まいの理想形を、ひと部屋ずつ読み解き机上の模型で実現。
現代日本の住宅事情からするとなかなか難しいが、そのスピリットだけでも取り入れたい。

お店も増えどんどん魅力アップしている近江八幡のまち歩きとあわせて行ってみては!?

ヴォーリズさんの設計室展 第1期は7/8までの土日曜開催。
開館時間は10:00〜15:00と短め。休館日等もあるので事前にサイトで確認を。

花蓮の建物めぐり(台湾)

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台湾続き。

七星潭からの帰りは港の方の自転車道を通らずまちなかの道を行く。
地図で見ると碁盤目状のまちが続いているのだが、実際は丘陵地である。フウフウ。。。
おや、丘の上にいくつかの日本家屋が。県定古蹟の「花蓮台肥招待所」。そしてこちらは・・・

奇業檜木館。食事もできるらしい。ちょうどお昼どき、雨も激しくなってきたので雨宿りがてらランチにしよう。


おお、玄関には珍しく工芸タイル風の味のあるタイルが使われている。


うわぁ、いい感じ。中はかなり改修されているが、床の間を残して元和室の味が感じられる個室や、
木戸がそのまま使われたトイレ。。。増築部分も雰囲気がいい。

お料理は薬膳料理のようなランチがとてもおいしく、デザートとお茶までついて350元くらいとお値段もお手頃。

しかしメディアの余裕がなく数枚しか撮れず・・・(涙)。急いでメディアを取りに帰ろう。
自転車で丘をびゅーんと下りながら、ふと目についた建物。なんだあれは!?


すごい!橋のたもとの一角に日本家屋が大小10軒ほど並んでいるのだ。
いずれも空き家のようであるがそのさまは一種異様な雰囲気。。。


比較的大きな2棟のうち1棟は丸ごと大屋根で覆ってある。他方はきれいに改修済みで公開もしているようだ。
興奮気味に写真を撮っているとどこからかおっちゃんが現れ、雨戸を開けはじめたので上がらせてもらうと
座敷には昔の花蓮のまちのジオラマが置かれていた。うわぁ〜〜、鳥肌。
なだらかな丘陵地に日本瓦の家並みが一面に広がっている!!完全に日本のまちだ。これが日本統治時代か。


管理のおっちゃんが、花蓮の古蹟マップを持ってきてくれた。ここは「将軍府」という場所だとか。
花蓮のまちなかには他にもポツポツと洋風建築や日本統治時代の建物があるらしいが、ガイドブックには
松園別館ぐらいしか載っておらず、他はあまり知られていなさそうだ。


花蓮県で45人が死亡し270棟の家屋が全壊したという1951年の花蓮大地震で、日本瓦の家並みも
かなり倒壊したことだろう。まとまって残るエリアは貴重なようで、今丸ごと保存しようとしている。
そして補修予算が確保できるまでこうやって屋根をかけて守っているのだ・・・すごい。

日本の作った建物を戦後もずっと使い続け、空き家になってからもこうして保存してくれているのを見ると、
日本人としてはやはりうれしい。建物に成り代わって「ありがとう〜〜」と言いたくなる。

ホテルに戻って雨に濡れた服を着替えてメディアも替えて、さぁ出直し。
もう一度山の手へ行く前に、昨夜見ていた宿の近所の花蓮旧酒廠へ。うわっ結構広いな!
昨日は道路沿いの洋館と社宅っぽい和風長屋を見たが、敷地内には造りもスタイルも違う何棟もの
建物が建ち並んでいた。うぉぉ〜〜!


醸造所だったらしいがすでに完全に工場の機能はなくなっているようで、どの建物も空き家である。
しかし・・・やはりここでも改修作業のまっただ中!!丸ごと「花蓮創意文化園区」になるらしい。


あっちの建物でもこっちの建物でも、内装、空調、屋根の葺き替え、、、本気で使うための整備なのだ。


すごい。。。
まだ工事中で一般公開されていないが、敷地内には自由に入って歩き回り写真を撮ることもできる。
もちろん建物内に立ち入ったり資材置き場に近寄ったりすると警備員に声をかけられるが
バリケードや幕での閉鎖は一切なし。自己責任で。大人の対応である。


黙々と仕事を進めていく作業員、着々と仕上がっていく建物を日々目にしていたら、過去に思いを馳せ
未来に希望がふくらむことだろう。わが町、この施設への深い愛着が育まれるに違いない。
あぁなんてワクワクするだろう。

台湾は産業遺産、歴史遺産を修復保存するだけでなく、活用することにも非常に積極的である。
あちこち見て感じるのは、完璧に計画ができてから着手するのではなく、できるところから手をつけていこう、
使いながら直していこう、使い方はこれからどんどん考えていこう、という身軽なスタンス。
おそらく戦後今まで手を加えながら使い続けてきた、その延長で新しい用途を受け入れる感覚なのではないか。

日本のように、まずは厳重に封鎖してから念入りに計画を練り、事業者を決め予算を取って、
塀の中で完璧に工事を仕上げてから、ある日ジャジャーンと盛大にお披露目。それはむかし目にしていた
建物とはかけ離れた印象に変わっている・・・というのでは、愛着を持ちにくい。


そのあとは古蹟マップを見ながら自転車でうろうろ。
「旧花蓮港高等女学校宿舎」「花蓮港山林事務所」「林務局宿舎」「菁華林苑」・・・・点在して残る
建築物はだいたい古蹟か文化財になっている。


そして丘を上り松園別館へ。ここは1943年に軍部の兵事部オフィスとして建てられたもので
戦後はアメリカ軍顧問団の将校レジャーセンターとなっていたこともあるそうな。
国所有となってからホテル用地として売却する話もあったが地元住民の反対によりとりやめ、
松林に囲まれた風光明媚なこの一帯は歴史的風景特区に制定されたという。


1Fの展示スペースには、改修される前の荒れた状態の建物の写真や、つい先年までここに住んでいた
老人の写真が展示されており、胸を打たれる。
2階や別棟は、雑貨店、お庭を見ながら食事のできるスペースなどとして利用されている。


ここからは花蓮のまちが一望できる。甍の波はすでに過去のものだが、花蓮のまちの歴史に思いを
馳せながらのんびりするのにはうってつけの場所だ。


帰りに再び将軍府へ行って思う存分写真を撮り、その後花蓮駅まで足をのばして、駅前で
えびワンタンを食べてから宿へ戻り、まちなかでマッサージしたり夜市をうろうろ。。。あぁ楽しい街だ(笑)。

続く。
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