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来る年 2015年

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あけましておめでとうございます

今年も元旦から雪が降り出し寒いお正月となりました。顔が痛いほどの冷たさは
0度以下でしょうか、身が引き締まって、これぞお正月!という気がします。
例年通り実家の家族と共に、年越は近所の神社にて、1日は車で母&兄お勧め
マイナー神社参詣、2日は妹夫婦も加わり長距離散歩。

昨年は仕事も遊びも忙しく充実した一年でした。インプット先行でブログ更新が
追いついてませんが・・・(汗)
しかも終盤は犬が亡くなって失意に沈んだり引越しなどでバタバタしていたので
自分の記事のアップに加え、他の方のブログ訪問もご無沙汰してしまってました。
今年はまた心を入れ替え、ブログ更新、及び活動開始します!
(って毎年書いてる気が・・・苦笑)

2015年が皆さんにとって健康で楽しく実りある一年になりますように!!


マイナー神社のあとに行った多武峰 談山神社の十三重塔


東予の旅 マイントピア別子(東平エリア)

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マイントピア別子 続き

東平はmayumamaさんのレポートを見て是非行きたいと思っていたのだが、
自家用車でない私は有料バスツアーしか行く手段がない。ツアー参加者は12~3人。
マイクロバスでくねくね道を行く。


別子銅山は1691(元禄4)年に住友家により開坑した。最初は露頭の発見された山の上の方で
採鉱されていたが、傾斜した鉱床を掘り進み徐々に深度を増していくと、水平に運び出す坑道が
つくられ、それに伴い拠点施設も下へ下りて来る。東平地区の開発は明治後半である。
採鉱本部が1916(大正5)年から1930(昭和5)年まで置かれ、そのあとさらに下った
端出場に移転することになる。

東洋のマチュピチュと称されるこの山中の秘境の遺構群も、端出場と同じく今は子供や
お年寄りでも安心して見れるようにきっちり整備されて公園のようで、資料館もある。


駐車場から下を見下ろすと、貯鉱庫や選鉱場の箱型の構造物は確かにお城のようであり、
マチュピチュを連想するのもうなずける。
ここは鉱石を貯めておくための貯鉱庫。今は土で埋まってしまっているが、
上の写真のシュートへガラガラと放り込むとこの中へ落ちるようになっている。


ガイドさんの説明を聞きながら、インクライン跡の長大階段を降りる。


きれいすぎて鉱山時代の生々しさはないが、年月を経た石の構造物は美しく迫力がある。


こちらは選鉱場跡。上の貯鉱庫から少しずつ出しながら鉱石を分別したらしい。




こちらのレンガ積みの構造物は東平索道停車場跡。選鉱場の鉱石を下部鉄道の駅までロープウェイで
運んだという。


その下の段にあった社宅跡。住戸は基礎しか残っていない。


資料館に展示された当時の人々の写真が印象深い。
作業場での仲間とのひと休み、奥様方や子供たちのむじゃきな笑顔。最盛期には約3800人もの
人々が暮らしていたという標高750mの山中の共同体は、職場の同僚というよりもう皆が家族の
ような関係だったに違いない。


東平ツアーを堪能して端出場へ戻り、さて町へ下りようと思うがバスがない。
朝からバスの時間に縛られ時間を無駄にしてきたし、これ以上もったいないので歩いて下ることにする。

続く。

東予の旅 山を下る

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マイントピア別子からの続き。

歩道もない銅山川沿いのバス道、歩いている人は誰もいないが、お天気もよく気持ちいい。
これは養蜂だろうか。


古い橋の橋脚や親柱などの遺構もあるし、石垣の美しい斜面の集落などを眺めながらのハイキング。
なにしろ、下り坂なのでごきげんである(笑)。


こんな素敵な吊り橋を見つけた。しかし渡った先の集落には人の気配がない。廃墟か??




古い木造校舎っぽい建物が見えたので立ち寄る。
ゲートボールを楽しんでいたおっちゃんの一人が、これは元幼稚園だと教えてくれた。


案内板によると、ここは別子銅山と新居浜口屋を結ぶ物資運搬の中継基地であった立川中宿で、
1702(元禄15)年に設置されたというからかなり早期のことである。
生活物資の荷上げと粗銅の荷下げが行われ、銅蔵や米蔵が建ち並んでいたとか。


明治になると立川精銅所が設置され、大阪の鰻谷の銅精錬所に取って代わったとも。
それまでは粗銅のまま大阪まで運んであんなまちなかで精錬していたのか!
しかし、鉱山鉄道ができると立川中宿の中継地としての役割は終わり、精錬も新居浜の
港近くの惣開(そうびらき)精錬所に移った。

現在では山間の小集落にしか見えないが、近くには立川イエス之御霊教会などもあり
人とモノと情報の集まる結節点だったことがうかがえる。

山の中にそびえるレンガの煙突が見えてくるともう麓である。煙突は旧山根精錬所のもので
この山は正式には生子(しょうじ)山という名だが「えんとつ山」と呼ばれているらしい。
石垣の立派な門構えの住宅が並ぶ地区もあり、管理職の住宅だったのだろうか。


そして、美しさで言ったらここが新居浜の銅山関係の産業遺産で一番の見所かもしれない
山根競技場観覧席。観覧席が全部石積みなのだ!その美しさは息を飲むほど!!


銅山で働く人々の福利厚生のために、労働奉仕によって1927(昭和2)年に作られた
グラウンドで、観覧席は6万人が収容できるとか!?




南予の段畑を彷彿とさせる(まだ見れてないが・・・汗)石段は、数えると合計27段あった。
この観覧席を埋め尽くす観衆の声援はどれほど活気に溢れていたことだろう。

山根公園は今も新居浜の人々のレクリエーションの場として親しまれている。

隣には大山積神社と別子銅山記念館があった。神社の境内には住友マークの入った
電気機関車が展示され、屋根の上に木を植えた銅山記念館の建築にも興味を引かれたが、
グラウンドに目を奪われ気づくのが遅かった。。。バスの時間が迫っているのだ(汗)。

マイントピアでバスを待ってボーっと1時間つぶす代わりに、山根競技場をはじめ
銅山関係の遺構をたくさん見ることができたわけだが、ここから新居浜のまちなかまでは
まだかなり距離があり、このバスを逃すと痛い。広瀬歴史記念館とあわせて宿題とするか。。



続く

東予の旅 新居浜のまちなかを巡る(1)

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新居浜 続き。

山根公園からバスに乗り、駅をスルーして市内中心部まで移動する。新居浜のまちは結構
広いのだが、駅前には観光案内所もレンタサイクルもない。調べてみると唯一まちなかの
普通の自転車屋さんが自転車を貸してくれるらしいので、そこまでバスで行くのだ。
市役所前のバス停から徒歩10分ほど、、、自転車を借りるのも大変である(汗)。


しかし、いったん借りてしまえばやっぱり自転車の機動力はありがたい。
港近くにある会社社屋や住友倶楽部などの近代建築、町外れを走っていた住友の鉱山鉄道の
廃線跡を見て回るのも、歩きだとかなりつらいもんね。

マナベ小児科(旧芸備銀行新居浜支店)。びっくりするほど普通の町の中にあった。


港近くを走るとデリックが2基。これは安治川のと違ってバリバリ現役のようだ。


住友化学工業愛媛工場歴史資料館(旧住友銀行新居浜支店)。このあたりが惣開という場所。
山間部から精錬所や鉱業所本部がここへ移り、銀行や病院などの機能も揃った、
別子銅山関連事業における臨海部の本拠地であった。今も港は住友関連企業が占有する。


向かいに建つ広田建設の木造社屋。


旧住友病院本館。


港を離れ住友倶楽部へ。奥まっていてよく見えないが、ずいぶんきれいに改修されたようで
ちょっとがっかり。内部はすごいんだろうか。


門柱はレトロなタイル貼り。


次に鉱山鉄道の星越駅舎へ向かおう。ここはあまり資料に載っておらず大して期待も
していなかったのだが、これが大ヒット!駅舎は改修されているものの上品で素敵だし、
隣の売店は駅舎の改修前の雰囲気を髣髴とさせる佇まい。




そして何といっても背後に工場があるのだ!ここは新居浜選鉱場。柵の間から覗くと、さっき見た
東平のマチュピチュとほとんど同じ施設が現役の姿そのままで残っているのである!
今は鉱石を運び込んでいないだろうが工場はなんらか稼動しているような気配だ。


しかもあれはインクラインじゃないの!?うぉ~っ!!東平の大階段はこんな感じだったんだな。


石切場のような雰囲気。興奮する~!ほんの町外れにこんなところが残っているとは。


そして、広々とした周囲の空き地は社宅跡か。建物はなくなっているが区画を分ける道路と
電柱が残っている。
山際の方に目をやると、同じような古い建物がいくつも並んで残っているのが見える。
あのあたりはまだ撤去されていないようだ。えっ、もしかするとまだ人が住んでいるのか!?


この坂道の先の方にも建物が残っているぞ。おや、その手前の橋も気になる。
う~ん、面白い~~

続く。

東予の旅 新居浜のまちなかを巡る(2)

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新居浜 続き

星越駅から見えた橋に近づいてみると、コンクリート製ながら和風なデザインの欄干のアーチ橋。おお!




工場の裏口へ至る橋のようだが入口は住友マークのフェンスで閉ざされている。


下を覗くとレールがわずかに残っているのが見えた。鉱山鉄道がこの下を走っていたのだな!
太鼓橋のように中央部を高くしてあるのは列車の高さを稼ぐためだ。架線の支持部材も見える。


線路跡を少し進むとレンガのトンネルがあった。坑口は厳重にふさがれているが、
国鉄並みの上質なレンガが使われていると見える。「星越トンネル」。いいなぁ。


橋の周辺にポツポツと残る社宅はすでに空き家のようだが、いずれもしっかりした造りで
十分住めそうである。


山手の社宅群の方へ行ってみよう。
おっちゃんたちがぞろぞろと出てきたなと思ったら、住友倶楽部山田ゴルフ場があった。
自転車でうろうろしている私のことを不審げに眺めながら、駐車場へと消えていく人々。
考えてみればここも住友の土地なんだろうな。でも立入禁止と書いていなかったもんね。


この一帯はすごい。綾部で見たグンゼ社宅と似た感じの和風住宅がずらりと並んでいる。
ここは「山田社宅」らしい。




立派な生垣に囲まれた瓦屋根の堂々たる戸建て住宅。まだまだ老朽化していないように
見えるが、これらも取り壊される運命なのだろうか・・・・あぁ、もったいない。




背後に選鉱場が。


興奮冷めやらぬまま社宅を後にし、遊歩道・自転車道になっている鉱山鉄道の廃線跡を
たどって走る。途中の切通しの箇所などとても雰囲気があり、楽しいサイクリングだ。




脇の水路がレールのように見え、今にも機関車が走ってきそう。。。


新居浜駅に近づき廃線跡が道路に吸い込まれていったところで新居浜散策を終了。
あぁ楽しかった~!
・・・しかし駅へは向かわず、一宮神社近くの自転車屋さんへ返却に。。。そしてバスが
来ないので新居浜駅まで延々歩く。あぁ~疲れた~。駅前にレンタサイクル設置を望む。。。
続く。

東予の旅 伊予西条の水路風景(1)

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新居浜からの続き

伊予西条駅は、広い構内に給水塔もあり東予では新居浜、今治に次ぐクラスの主要駅という
認識があったが、どんなまちなのか全くイメージが湧いていなかった。


ただルート的にちょうどいいという理由で泊まることにしたのだが、観光地らしく駅前には
ホテルが軒を連ね、価格崩壊とも言える値段で泊まることができた。
しかし経営は大丈夫なのだろうか・・・?

夕映えの伊予西条駅舎。素敵だなぁ~~

新居浜で疲れたのでちょっと休憩してから、夕ご飯探しがてらまちをうろつく。
駅近くの商店街はことごとく閉まっているが、天然レトロな店がちらほら。
昼間に来たら開いてるのだろうか。




古そうな建物を見つけた。元は医院だろうか?

商店街に隣接するエリアは歓楽街だが、ひとりで入れそうな店は見つからない。
一日歩き回って疲れたし、結局コンビニ飯をホテルでゆったりと(苦笑)。

さて翌日は駅前のレンタサイクルを借りてまちをうろつく。普通の自転車と電動自転車
どちらでも同じ料金というので、電動自転車を試す。最初ちょっと戸惑うが、軽いし楽~
だいたい電動は普通の自転車の倍ぐらいの料金設定が多いが、どちらも同じだなんて、太っ腹!!

伊予西条は市内の各所にうちぬきと呼ばれる湧水があるらしい。
観光案内所でもらった水めぐりマップに沿って走ってみることに。すると、、、さすが水のまち、
細い水路が家々の間を流れ、そこここに様々な表情の水辺風景が展開していた!

流れる水が清廉なだけでも十分魅力的だが、加えてまわりの建物や構造物、岸辺の具合も趣深い。

水路の奥をふと覗いてみると、家々の裏手にラグーンのような水辺が広がっている!
アヒルがゆうゆうと泳ぎ、老夫婦が小さな子供を遊ばせている。うわぁ・・・

私も自転車を停めて細い水路ぎわの通路を通って入っていく。

小船を引き上げておくためか、岸はなだらかな傾斜になっていて、何と全面石組みの「スベリ」である。


ここは、町の中のオアシスだ。日がな一日、この水辺にデッキチェアを置いて過ごすのもいいなぁ~(笑)
私有地か水路敷かよくわからないあいまいな感じ・・・だから手を入れられないまま残っているのだろうか。


後ろ髪引かれながらラグーンを後にして先へ進む。


これらの水路には船が通っていたのだろう、他のところでも少し広がった舟入のような場所が設けられていた。
そして水路へ下りる青石の階段も。


まちなかには打ち抜きと呼ばれる、石鎚山系を水源とする自噴井戸が多数点在し、
道端にせせらぎを作ってあったりする。
これも打ち抜きの流れを集めたものだろう、西条陣屋の四方の堀には浅く清らかな水が漲っていた。


堀に囲まれた陣屋の敷地には現在西条高校や教会などがあるほか、一部は住宅も建っているようだった。


堀の水はいったん暗渠となり港の入堀へ。おお、水が青い!
港もまた魅力的な風景がひろがっていた。


続く。

東予の旅 伊予西条の水路風景(2)

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伊予西条の続き。

入堀は「本陣川」という名らしいが、川というよりもう港である。海に出る直前に目指すものはあった。


弘法水。これもうちぬき。不思議なことに、もう完全に海水域であるこの場所に真水が湧き出している。


この勢い!とうとうとあふれ出す水は大地の恵み、見ているだけでありがたい気分になる。
年配の夫婦が車を停めタンクを持って汲みに来た。私はペットボトルも何も持ってこなかったなぁ。。。


港をあとにして再びまちなかへ戻ってきた。縦横に流れる水路はときにこんな立体交差も。
水の流れる風景はなんと心をすがすがしくすることだろう。


陣屋の堀に続く水路を今度は逆上って追いかけていく。水路は実にいろんな表情を見せる。
こんな幅広い場所もあるが、「川」というより「流れのある池」といった趣。


水路の一部は公園になっていて、きらきら明るい水辺に遊歩道が整備され文化会館などの施設もあり、
さわやかなお散歩コースだ。


護岸の石組みは玉石を矢羽根状に組んであり凝っている~


さて、駅の裏側へ回ってきた。
駅の裏側って好きなんだな。こういう枕木の柵とか古い小屋があったり、保線とか貨物とか車両整備とかの
バックヤード的な風景が見れたり、繁茂した雑草が実にいい具合にからみついていて絵になったりする。


木造の小屋にコスモスが映える。


レンガのかわいい倉庫が。ランプ小屋かな。

伊予西条駅では近年駅前再開発が行われたとか。しかしロータリーを整理したのみのようで、
新居浜駅と違って旧来のまちがすぐ目の前に広がっているのがいい。
裏側にもきれいなロータリーが整備され、エレベーター付の連絡橋で正面へ渡れる。
旧車庫を利用したものだろう、鉄道公園のようなものもできていた。

そこを通り過ぎるとまた田んぼ、そして官舎か?平屋の長屋群が。その真ん中にも水路が流れていた。

玉石組の美しい護岸。

いや~結構楽しめたなぁ、伊予西条。泊まってよかった!電動自転車の快適さも覚えたし。


さて次は今治へ移動しよう。


予讃線の小駅は惹かれるものもちらほらあったが、車窓からでガマンガマン・・・





また機会があれば訪れたいな。

続く

東予の旅 今治のまちをうろつく(1)

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伊予西条からの続き。

あとから気づいたのだが、今治へ向かう電車は乗る便を選ばないとえらく時間をロスする。
私の乗った便は失敗。。。途中の壬生川駅でなんと20分待ち(涙)。

ともかく、今治へやって来た。
今治と言えばタオル、造船。しかし目的は、今治ラジウム温泉である。あの建物を是非見たい!
自転車で走り出すと、魅力的な純喫茶があちこちで目に付く。時間があれば入りたいなぁ。




伊予西条の続きかと見まごう水路風景も。こちらの水は汚いけど(苦笑)。


川面に片持ちで張り出した建物、ずらりと並ぶ自家用の橋。この無法ぶりが面白い(笑)。




レトロな建物がポツポツ残るまちを走り抜け、港の方へ行ってみよう。


今治のまちも結構広い。自転車を借りれてよかったぁ。




以前は大阪からのフェリーが今治にも寄港していたと思うが、今はこの港から発着するのは
近隣の島への船のみのようだ。しまなみ海道や明石海峡大橋が開通して航路とともに町も
衰退してしまった典型である。寂しいなぁ。。。




遠くからでも目を引く、今治港湾ビル。かっこいい~!!


少しまちへ入ったところに古い石積みの堤防が残っていた。これより先は近代以降に
埋め立てられて築港されたのだな。


港の周辺には商店街が面で広がっている。港町として古くから栄えた今治で、このあたりが
中心地だったのだろう。立派な商店建築や町家も残っている。


うぉっ、なんだこの建物は!


地味な存在の小口タイルが色とりどり集められこんな派手に!


最近改修されたものだろうか。面白いなぁ!


そしてそんな商店街の一角に、今治ラジウム温泉はあった。

続く。

喫茶バイパスと珈琲館玉一

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今日は久々にヒットな純喫茶を見つけた。
仕事で福島方面へ行ったときに聖天通商店街を歩くとレトロな純喫茶が目に付く。
今週末にでもお茶を飲みに来ようか。

「売れても占い」のコピーがユニークな聖天通商店街、活性化事例として結構昔から
注目されていた記憶があるが、昔ながらの素朴なお店もたくさんあるんだな。

一仕事終えるとちょうどお昼どき。そうだ、ランチしに入ろう。
聖天通商店街のいちばん西端の一見地味なビル、この1Fが喫茶店とは、来る時には
うかつにも気づかなかった。


喫茶バイパス。名前にも惹かれる。
一面ガラス窓だが外の光が反射して内部がよく見えない。。。しかし照明の感じはかなりレトロ。
よし、ここに入ろう。


ほぉ~~っ。
ガラス扉を押し開けた途端、カウンター上の「COFFEE」の文字が目に飛び込んで来た!
そこは洋食屋のような、食堂のような、、、広島駅前にあった純喫茶パールや神戸元町のEVIANを思い出した。

地元のおっちゃんたちが一人で来て新聞を読んでいる。お客は皆マスターと顔なじみみたいだ。



フルーツの乗ったサラダとゆで卵がセットになったエビピラフは、なんと、驚愕の450円!
お茶一杯の金額じゃないか~。しかも冷凍や業務用のチューブ入りではなさそうで、普通においしかった。

そんな激安なので長時間粘るのははばかられる。お茶を頼めばよいのだが、せっかくなので
もう1軒ハシゴしよう(笑)。

お勘定の時にママさんに聞いたら、1970年からやっているという。今年で44年。
まだまだこの雰囲気を保ち続けてほしいなぁ!

こちらも角地を占める珈琲館玉一。観葉植物の間からあめ色の空間が垣間見える。
二階はグループ席のようで結構な大バコ。


この置き看板が秀逸!
網目のように見える茶色の部分、なんか不思議なデザインと思ったら、文字になっているのだ。
読めるだろうか。


しばらく凝視して、左右に「珈琲」の文字、中央上に「喫茶」中央に玉一のマークと
下の行に「総本店」の文字が読み取れた。
看板の上の方は、「COFFEE」「TAMAICHI」「TEAROOM」と三行で。
素敵だなぁ!

中は割と新しくなっているが、雰囲気は抜群。


古いアンティークなレジスターが置いてある。マスター曰く、当時100万円(!?)したもので、
50台限定品なのだとか。ボタンが壊れてもう開かないが中にはお金が入ったままだそうだ。
さっきのバイパスにも同じレジがあったような気がする。

お店はもう80年やっているということだ。すごいな!

他にも間口の小さな隠れ家のような喫茶店がポツポツ。また探索に来よう。

名古屋テレビ塔

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昨日名古屋の仕事が終わったのが5時。もういいだろう、直帰にして、名古屋テレビ塔へ。
こないだから毎週名古屋に来ているが、ようやくのチャンスだ。

地下鉄久屋大通駅から地上に上がると、、、おお~っ、高い!


つい数日前に博多ポートタワーを眺めた目で見ると、天にそびえる摩天楼のようだ(笑)
でも実際比べると倍ぐらいあるんじゃないかな。通天閣別府タワーよりもだいぶ高いな。
さっぽろテレビ塔とは・・・同じくらいかな?

1954(昭和29)年に開業。内藤多仲のタワー6兄弟の長男である。

シュッとしたフォルム、アーチで支えるタワーはエッフェル塔のようでとても優美。
下のフロアはブライダルサロン等になっていて一般に開放されていないらしく、
上の展望台は700円。こないだの博多ポートタワーが無料、別府タワーが200円
だったことを思うと高いなぁ。でも通天閣は700円、せっかくなので上ってみよう。


エレベーターはガラス張り。どんどん上る。おお、みるみる夜景が広がって行く。

ドアが開いて地上90mのスカイデッキへ降り立つと、、、あれ、ほんとに展望台だけなの?


斜めの梁があちこちに張り出すフロアには、ソファと双眼鏡とメダル作成機があるぐらい。
喫茶とか土産物コーナーもないし、タワーの概要や歴史などのパネル展示もないのか。
久屋大通がドーンと伸びる夜景はとても素晴らしいのだけど、通天閣の満載サービスを
知っているだけに、「700円払って夜景だけ・・・?」(苦笑)


「恋人の聖地」とか興味ないし、ソファでべったり寄り添うカップルを尻目に
スマホで写真をパシパシ(笑)




ぐるっとフロアを回ると、小さな階段の前に「屋外展望台」と。なに、屋外って?


上ってみると、ほんとだ!全面格子に囲まれた虫かご状態ではあるが、確かに屋外。


ひゅ~!寒風が吹き付ける~。この高さでガラス越しでなく、夜風に震えながら、
雨に打たれながら、直接夜景を見られるタワーはなかなかないだろう。これは確かに稀少だな。


見上げれば、ライトアップされた鉄骨構造が。いいねぇ!




寒くなってきたので屋内に戻り、700円の元を取るため、モニター前のソファに座って
映像を見ながらくつろぐ(笑)。
このタワーは地下鉄より先にできたのか、足下を掘り返している写真などが映し出され興味深い。
2012年にアナログ設備を撤去、今はもうテレビ塔の機能は終了したらしい。へぇー

去年開業60周年を迎えた名古屋のシンボルテレビ塔、ますます魅力アップしてほしいな!



東予の旅 今治のまちをうろつく(2)

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今治の続き

現れた!今治ラジウム温泉の威容、いや異様!?一見お城かラブホテルか、という
ドエライ建築である。ひぇ~!
1927(昭和2)年の建築。あきらかに増築の1・2階のファサードが残念な感じ。。。


ホテル青雲閣?喫茶部?ここで宿泊もできたのか。お風呂屋と思っていたが、
健康ランド的な施設だったんだな。


この痛そうなひさしは~~!鋭角の出隅は欠けもせずよく保っているなぁ。


しかし、閉まっている。えーっ、入る気満々でいたのに。。。
休業なのか、廃業なのか。もう閉めてだいぶ経つような雰囲気。。。


ドームの部分が浴場だな。レンガの煙突の向こう側にも同じドームがある。
男女で左右対称になっているようだ。

未練たらしく周りをぐるぐると回ってから、あきらめてそこを去る(苦笑)

近くにもお風呂屋があった。一瞬心ときめいたが、定休日やら営業時間やらの
表示がないのが不安をそそる。暖簾はあるのでまだ開いてないだけかな?




時間が浮いたのでゆっくりできる。純喫茶に入ろうか、それとも駅前で見つけた
お風呂屋に入ろうか、などと考えながらうろうろ。

駅からほど近いエリアに醸造所や旅館なども残るが、今治に近代建築は意外なほど少ない。
今治も産業で栄えた町だからかつてはたくさんあったはずだが、今治空襲でほとんどが
消失してしまったようだ。
そんな中ラジウム温泉は鉄筋コンクリート造だったため残ったのだとか。貴重である。






今治駅前の広いロータリーのすぐ横には昭和のにおいのする飲み屋街が息絶え絶えで残っている。
まだがんばって営業しているところもあるようだ。





どこもここも、新しく、キレイに、なっていく駅前。
駅前の顔的な商店街や飲屋街が一掃されてしまうところも多いが、その地その地で
長らく親しまれてきた個店こそが駅前の魅力、まちの魅力。何とか共存してほしいなぁ。

結局そうこうしているうちにいい時間に。

続く。


東予の旅 波止浜の港風景

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今治からの続き

電車にひと駅乗って小さな木造駅舎が残る波止浜へ。駅前にはシンボリックな大きな木が一本と
広々した天然ロータリー。

ここでは約1時間の滞在予定だ。古い町は駅から2kmぐらい離れており、早足で行かねば。

途中ゴルフ場のあるあたりに立っていた説明板によると、この辺りには昔塩田が広がっていたらしい。
1683(天和3)年に長谷部九兵衛の功労により完成した県内最古の入浜式塩田だそうで、
波止浜は塩業で大いに繁栄したとのこと。この唐突なゴルフ場も塩田だったのだな。

おや、川の堤防の中に立つ鳥居。堤防に接して神社があるのだが、川から参拝するのか?
神社の対岸に川に面した鳥居があるのはちょくちょく見かけるが、川の中とは、不思議な光景だな。
厳島神社みたいだ。


ネットで調べてみたところ、隣接する龍神社に龍神様が行き来しやすいように、参拝口の石段の
前の海の中に建立されたものだとか。堤防ができたから妙なことになったのだな。
厳島神社も龍神様なんだろうか。


海に平行する道沿いに並ぶ立派な町家は、塩田で儲けた家であろう。


玄関周りの板張りが変わっている。同じような意匠を数ヶ所で見かけたので、このあたりの
特徴的な意匠なのだろう。


洋風意匠もわずかながら。




路地を覗きこむと、小さな飲み屋や旅館の向こうに、船!このまちには今治造船所があるのだ。



波止浜の造船所の歴史について詳しい資料を見つけた→こちら

これによると、塩田で作った塩を千石船で売りさばき、醸造業その他の多角経営で財をなした人々が
海運業の隆盛に合わせて明治末期に近代造船所を作ったのだとか。


今治の造船業の功労者は、松山の石崎汽船の石崎家の本家にあたる石崎金久という人で、
時代に翻弄されながらも優れた経営手腕とアイデアで今治の造船業を世界に名だたるものに
育てあげたのだ。


ぐるっと回って海沿いをぶらぶら歩くと目の前に巨大な船が見える。すでに進水しているから
艤装中なのだろう。浮き桟橋におりて座ると気持ち良くて、なんかもう日暮れまでここで
ゴロッとして船を眺めていようかなという気になってきた。


しかしもう一ヶ所、菊間に行きたい。駅へ戻るとするか。

おや、あの建物は?
路地の間からちらりと見えたのは、飛田医院。おお、こんなところにも洋風建築があったのか。
見落とさなくてよかった。


さて、時間がヤバい。小走りがだんだんダッシュに。。。(汗)
駅についたら、電車は行ってしまっていた。時刻を間違って覚えていたようだ。ゼイゼイ。。。

こんなことなら、浮き桟橋でゴロッしてるんだったよ(苦笑)

続く。

東予の旅 夕映えの菊間港

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波止浜から続き

菊間はひっそりと静かな駅だが立派な駅舎になっている。瓦の製造地として栄えたまちらしく
駅舎にも瓦がふんだんに使われているな。建て替えられたのか、大幅改修なのかちょっと不明。。。




駅前のまちを歩いてみる。古い木造の商店が目に付くが、駅前には瓦屋は見当たらないな。


時々洋風意匠の建物も見かける。医院か何かだったのだろうか。




おっ、あれは。菊間温泉、お風呂屋だ!しかし近寄ってみるともうやっていないようだ。
あぁ、ここも廃業か。。。やっていたら入りたかったなぁ、今治で入れなかったので。。




唐破風の玄関、細い格子、二階の窓・・・割と新しそうだけれど、花街を思わせる建物。


ジグザグ歩いて港のほうへ行くと瓦の工場らしき建物があった。
菊間の瓦はいぶし銀。瀬戸内の乾燥した気候が瓦作りに適し、内海の港が原料や瓦製品の運搬に
適していたことで、750年以上も前からこのまちで瓦が作られてきたとか。

もう少し歩くと漁港である。


石積み波止、簡易な小屋掛け装置、柱にくくりつけられた御守り。
日常的に繰り返される暮らしに密着した数々の造作は、なんと美しいのだろう。。。


獲ってきた魚をここでおばちゃんたちが処理するんだろうな。




松山へ向かう電車の車窓から、現役らしい瓦工場がいくつか見えた。
そしてサンセット。ちょっと曇ってるけど(苦笑)。
新居浜・別子、伊予西条、今治、波止浜、と巡ってきた東予の旅もようやく終わり。

いや~今回も楽しかった!!


佐田岬・大分・別府の旅から連チャンでちょっと疲れたけど。。。

2014.09.27~29 東予の旅 もくじ

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グリルニュートモヒロとTEA ROOMリベラ

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こないだと同じ福島の仕事でまた聖天通商店街を歩く。今日は最初からここでお昼を食べようとのもくろみ。
玉一にしようか、パイパスにしようか、それとも他にいいランチがあるかな~
キョロキョロしながら歩いていると、おっ、渋いお店が。


グリルニュートモヒロ。こないだはうかつにも見落としていたようだな。
庶民的なメニュー。入ろう!


カウンターのみ、数えていないが8席ぐらいだろうか。片隅に置かれた石油ストーブの上には
やかんが。うわぁ、懐かしい雰囲気~~


日替りランチを頼むと目の前で大将が(マスターというより大将が似つかわしい/笑)カレイの
フライとクリームコロッケを揚げてくれた。カレイも美味しかったがクリームコロッケは絶品。
常連の先客と大将の慣れた会話、一見の客の入る余地もない。地元に愛されている洋食屋だ。

ランチは「だいたい」2時ぐらいまでらしい。入った時すでに2時過ぎだったので
長居せずおいとまする。しかしアポは3時、まだ時間があるな。どこかでお茶を飲むか・・・

ということで、TEA ROOMリベラ。ここは前に目をつけていたお店である。


半間踏み込んだポーチからドアを開けると、、、溶け込むような飴色世界。いいなぁ~!




トイレを借りたら、まぁ懐かしいシール!昔よく見かけたよねぇ~

外は冷たい雨。まだまだマッタリしていたいけど、ミルクティーを飲み終わったら仕事仕事!


雲仙観光ホテル

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11月に雲仙に行っていたことは以前に書いたが、憧れの雲仙観光ホテルは期待通りとても素晴らしく、
セレブな気分でホテル滞在を楽しんだので、旅のもろもろと共に記事を書き足しておこう。


午後のピーチ便で長崎へ飛んできて、諫早行きのバスに乗る。事前に調べてあったので
直通バスがないことは分かっていた。バスは途中大村駅を経由したのだが、車窓から見ると
大村駅舎素敵じゃないの~~!あぁ、次回は絶対鉄道の旅をして大村駅も訪れよう。。。
ひとり下車したバックパックの兄ちゃんを見送りながら、心に誓う。

その後もバスはあちらこちら回り道をしてなかなか前へ進まない・・・空港から諫早まで
距離的には知れているのに、45分もかかるのは路線バスだから仕方ないか。
しかし・・・バスの車内でスマホで乗換検索したところ・・・JRだと大村駅から諫早の所要は
十数分!?しかも、さっき大村駅で下車していたら、駅舎を20分ぐらいゆっくり見てから
移動しても、バスより早く諫早に着くじゃないか!!さっきの兄ちゃんはそれを知ってたのか。
あぁ・・・痛たたた。もっとよく調べておくんだった(涙)。

諫早バスターミナルは諫早駅のすぐ前。恨めしい思いで雲仙行きのバスを待つ。
雲仙へはここからまた1時間半ほどかかる。はぁ、遠いなぁ。途中で日も暮れ、真っ暗な中
火山へ上って行く感じだけは分かる。途中からお客は私ひとり。。。心細いことこの上ない。
そして、6時半ですでに深夜のようにひっそりとした雲仙の山の上に降り立ったのだった。

しかしきらびやかなイルミネーションの奥に浮かび上がる雲仙観光ホテルのシルエットが
見えると一気にテンションアップ!チェックインも後まわしにして写真をたくさん撮る
(大半がブレてたけど・・・苦笑)。


雲仙観光ホテルが誕生したのは1935(昭和10)年、外貨獲得のための国策として作られた
ホテルのひとつで、「観光」という言葉を冠した最初のホテルだという。
戦後は米軍に接収された歴史もあるが、80年もの間変わらず山の上で客を迎えて来たのだ。


開業当時の姿をよく伝える1階のエントランスホール、ロビー。


夕食をここのダイニングで食べることにしたのは、まわりには全く食べるところが
見当たらなかったこともある。雲仙の山の上はメインストリートに面してホテルが
ずらりと並んでいるのだが、このホテルのある場所は端の方であり、みやげ物屋や食堂が
ある辺りからはちょっと離れているのだ。
結果的に、とても充実のディナーだったので満足満足!

食後も館内をゆっくり探索、ビリヤード室、図書室などがまた素晴らしい空間だ。


充実したパブリックスペースがこのホテルの魅力とのことだが、あちこち魅力的すぎて
一晩で使い切れない(苦笑)。



ところでフロントで聞いたのだが、ホテルでは長崎空港から無料送迎バスを運行しているという。
一日一便だけだが、路線バスと違いホテルへ直行するので1時間半くらいで着くとか。
路線バスだと乗換含め3時間たっぷりかかるから半分じゃないの~!しかもお金も結構かかったし。
しまったなぁ。ま、ピーチ便の時間じゃそのバスには乗れないんだけどね。

さわやかな朝!
シングルの安いプランなので部屋はスタンダードなクラスだったが、アメニティも充実しており
窓からは地獄の煙を背景にした雲仙のまちが見晴らせて、ゆったりくつろげる。
11時までゆっくり滞在できるのがうれしい。


充実の朝食の後は、地獄地帯や雲仙のまちなかを歩き回る。
食べ過ぎた朝食を消化するため中心部から2~3km離れた小地獄温泉へも歩いて行く。


散歩から戻ってきたら他の部屋を掃除していたのでちょっと覗いたら、
「ここはウィリアムモリスの壁紙を一面に貼った部屋ですよ」と。さらに、「階段ホールに面した
部屋はスイートルームなんですか?」と聞いたら、「見られますか?どうぞ、いいですよ」と
快く見せて下さった。


昭和天皇も泊まったという部屋はエントランスのちょうど上で、1室のみの特別室らしい。
いいなぁ~!遠慮してあまり写真を撮れなかったが。。。


バーも営業中は写真を撮れなかったが、さすがに朝は営業していないので思う存分(笑)。


別荘に来ているかのような暖炉前の席。
夜はちらっと覗いただけだったが、抑えた照明で大人の社交場といった雰囲気だった。
ガキな私にはちょっと踏み込めない。。。


床も壁もタイルがふんだんに使われている。床の乱張りタイルは甲子園ホテルのような
泰山タイルではなく、もう少しおとなしいもの。形や色合いもパターンがあるようだ。


ここでお茶だけでも飲めたらいいのになぁ。。。


今度来るときは、チェックインタイムの最初からチェックアウトタイムまでめいっぱい滞在を
楽しみたいなぁ。そしてバーや図書室やビリヤード場も使って、往復無料送迎バスも利用すれば
宿泊料金は全然高くないよ!

続く。

珈琲ライオン

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名古屋で打合せ前にランチを食べよう。さて何かいいお店があるかな?
ということで検索して見つけた、珈琲ライオン。純喫茶だがランチもお手頃のようだ。


おお~っ!何と素敵な佇まい。。。
道路からセットバックすることで確保されたアプローチには、ショーケースと植込みが。


控えめな入口ドアを入ると、正面にカウンターが。その奥がホールだが、左半分の席は沈み込んだように
一段低くなっている。そして一番奥のコーナーはなぜか舞台のように一段高くなっているのだ。
中央にはライオンならぬ狛犬。あ、これは獅子なんだったっけ?じゃ、ライオンか。
壁には浮世絵風の絵が飾ってあり和洋混合の不思議な雰囲気だ。
懐かしいような切ないような、ちょっと薄暗い蛍光灯の灯り。


どこに座るか迷うところだが、大人しく(笑)フラットの席に陣取る。
後から入って来たお客が迷うことなく奥まで行き、慣れた様子で電気をつけて席を陣取った。
区役所の近くであり御用達のランチ処になっているようだ。

ランチセットはサンドイッチにバナナとゆで卵つき。ふわふわのパンでおいしい~
これで650円。やっぱり庶民的だね!

さて仕事へ。歩いていると、おっ、カッコいいデパートだな。丸栄。


その反対側の壁を見てびっくり。あぁ!村野藤吾か。ドウトンのタイル壁と共通する。素敵だなぁ~


夕方までみっちり仕事。昼間楽しんだから今日はまっすぐ帰ろうと思ったが、大垣の物件の様子を見に
在来線で途中下車。そこからの帰り、ちょうど大阪行のワイドビューひだに乗れた。ラッキー!!

気動車特急は旅行気分。いいね~!


雲仙のホテルめぐり

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雲仙の続き。

雲仙観光ホテルをチェックアウトして近くの別のカジュアルなホテルへ移動(苦笑)、
荷物を置いて再び地獄めぐり。湿原の方も歩いたが干からびていてそっちはイマイチだったな。

通りに並ぶ昭和全開のホテルたちをウォッチングしながら歩き回る。
こちらは富貴屋ホテル。瓦のような焼き物使いで有機的で和風なファサードを作り出している。
最上階のひさしが少し張り出しているのもバランスがいい。部分的に六角形デザインが取り入れられ
ミッドセンチュリーな香りも。


こちらは九州ホテル。出桁造りのような軒まわりの意匠や障子のような窓のデザインは
日本建築っぽく、緩やかな勾配屋根は山小屋を思わせる。
六角形の窓などモダンデザインも混ぜ込んで、山の上のリゾート地にふさわしいイメージに
なっていると思う。


朝見つけた、タイルの素敵な湯元ホテルに入ってみる。
ここは文字通り雲仙温泉の源泉の湯守役として、元禄8年に創業した老舗ホテルだそうだ。


喫茶室でお茶しようと思ったのだが、残念なことに喫茶室はないという。


それでも見学をお願いしたら快く承諾頂け、ロビーのシャンデリアの下でゆっくり座り、
写真も撮らせてもらった。こういう雰囲気がやっぱりいいなぁ。




このタイル貼りの梁が素敵だぁ~!



どこかで外湯に入りたいなと思いながら歩いていて、見つけたのがこの名もなき公衆浴場。即決!!


地元の人用の共同浴場は、一般はお断りのところもあるが、ここはお金を払えば入れる。
素朴すぎる温泉。。。別府の鉄輪の谷の湯なども似た感じ。こういう渋いところが
私の好みなんである(笑)。

しかしだいぶ遠かったのでちょっと湯冷めしてしまったな。。。

夕食は豚しゃぶの食べ放題。それを目当てに宿を選んだ訳ではないのだが(苦笑)、
他の料理と共にたらふく肉を食べた上、島原名産のそうめんも薦められ、もう限界。。。ごちそうさま。

翌日の朝食はビュッフェだったがまたついつい。。。今回は本当に食べすぎだ(苦)。
バスに乗る前に温泉入り納めしたいと、湯の里共同浴場へ駆け足で。
外湯はどこも10時オープンで、バスは10時半なのでほんとに駆け込みだ。
しかし朝湯でぬくぬくあったまったおかげで、多比良港までのバス内では暑いぐらいだった。


11月末までキャンペーンで雲仙~多比良港のバスが無料だったのだが、寂しいことに
お客は私の他はおっちゃん1人だけ。バスを乗り継いで来るのも不便だし皆マイカーか送迎バスで
来るのだろうな。しかし、雲仙から熊本方面へは、島原港から熊本港、島原港から三池港(大牟田)、
多比良港から長洲港と、3つも船のルートがあるのだ。ワクワクするね!


ほんとは三池港に入りたかったのだけど、こっちのバスが無料というので今回は
この有明フェリーにしたのだ。一番メジャーなのは島原~熊本便だろうが、このルートも
40分に1本と意外に高い頻度で運航されており、お客も多い。
船はピカピカの新造船だし、往来の需要がそれなりにあるらしい。


長洲港から駅まで、雲仙から同行だったおっちゃんが車で送ってくれた。感謝、感謝!!
みかんもどっさりもらって感謝、感謝(汗)。

続く。

雨の中、大牟田の近代化産業遺産めぐり

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雲仙からの続き。

長洲駅からJRで大牟田へ移動。見知らぬ土地でザーザー降りの雨ほどテンションの下がることはない。


大牟田は三井三池炭鉱のあったところで、炭鉱関連の産業遺産がたくさん残っているらしい。


最初の計画では大牟田に1泊して一日かけてめぐるつもりだったが、雲仙のリゾート気分にはまり(苦笑)
連泊してしまったので、今日は2時間ぐらいしかとれない。しかしこの雨・・・


意を決して駅前の観光案内書で自転車を借り、走り出すとすぐに大牟田市庁舎の堂々たる雄姿が。


県庁所在地でもない地方の一都市にこれほど立派な庁舎が建ったことからも、炭鉱のまちの
隆盛ぶりの一端がうかがえる。


旧三池炭鉱専用鉄道を見に行こう。元は内陸部にある万田坑、宮原坑などの坑口施設と港、化学工場を
結んでいた専用鉄道の一部路線が、閉山後も三井化学大牟田工場の専用線として使われている。


おお、あれだ!広いヤードでは実際に貨物列車が動いていた。背後にはコンビナート。


うわぁ・・・いいなぁ。

生きているのは宮浦あたりにある工場群からJR大牟田駅までの部分である。



古い形の電気機関車も停まっている。

雨の中しばらく写真を撮り、そろそろ行こうとしたら、後ろでガガーっと音がして、振り返ると
あの古い電気機関車が貨物列車を引っ張っていった。おぉ、現役でがんばっているんだな!

丘を上って行くと煙突が見えてきた。ここは宮浦坑跡。宮浦石炭記念公園となっている。
そびえ立つレンガの煙突には登録文化財のプレートが。


斜めに地中へ入っていく坑口は閉ざされているが、斜坑人車や坑内機械などが展示されている。


ここから地下数百メートルも下りていくなんて、閉所恐怖症の私には耐えられない。。。


高台であるこの公園の一隅からはさっきのヤードが一望できる。

さぁ、どんどん先へ進もう。雨は相変わらずザーザー降り。。。

続く。

雨の中、大牟田の近代化産業遺産めぐり その2

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大牟田の続き。

宮浦坑跡からアップダウンのある道をさらに10分あまり走り、早鐘眼鏡橋へ。
これは1674(延宝2)年に作られた灌漑用の水路橋。日本最古の石造アーチ型水路橋といい、
重要文化財となっている。遊歩道があるはずなのだが、フェンスで閉ざされ近づけない。。。

湾曲した水路の奥にそれらしいアーチの一部分が何とか見えた。

先へ進もう。三池炭鉱専用鉄道は、宮浦のヤードから港へ至る部分はすでに廃線となっているが
その鉄道敷は緑の空地となって残っている。


切通しの部分には古レール材で作られた鉄橋が架かっていた。


路面や手すりは改修されているが構造はそのままのようだ。




廃線跡を追いかけてさらに進むと、草原に建つレンガの建物とやぐらが見えてきた。宮原坑跡である。


やぐらには大きな滑車がついていて、レンガの建物内に設置された巻上げ機でワイヤーを引っ張り
立坑内のカゴを昇降させる仕組みらしい。


宮原坑は明治から大正期を通じて年間40万トンの出炭を誇った三池炭鉱の主力坑であった。
隣の万田坑にも同じようなやぐらが残っており、あちらはもう少しいろんな遺構が見られるようだが
もうタイムリミットが近づいている。残念だがパスする。。。


ちょうどこの日は宮原坑の公開日のようで、雨にもかかわらずポツポツと人が訪れては中へ入って行った。
恨めしげに眺めながら敷地をぐるっと回り、駅へと向かう。

最後に旧三池集治監を経由して行こう。レンガの外塀が残っている。
ここに送られた囚人は宮原坑で石炭採掘作業に従事させられたという。


高い塀の中は現在、三池工業高校のグラウンドとなっている。


さて、大牟田駅へ戻りJRで熊本へ移動。そこからバスで空港へ行こうと思ったら・・・(大汗)・・・

何とか大阪へたどり着くことができ、ホッ。
いや~しかし、今回は珍しく優雅な気分に浸り、おいしいものを食べておなかいっぱいになった旅だった!

終わり
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