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佐田岬半島の石垣、再び(5) 大佐田・井野浦・三崎

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釜木からの続き。

大佐田集落に再びやってきた。ここは前回訪れたのだが、車で集落内に入り神社とお墓を見ただけで、
海沿いに建ち並ぶこれらの建物のことは、普通の民家が並んでいるぐらいにしか意識していなかった。


奥行き方向に長い寄棟屋根の2階建ての建物に、手前へ片流れの屋根をもつ前室がついている。
そんな建物が10棟以上並んでいるのだ。
こんな特徴的な形の建物なのに、あぁ、私の目は節穴だった(苦笑)


これは船蔵であり、松の船小屋と同様縦列で2艘の船が収容できるようになっていて、2軒で1棟の船蔵を
シェアしているのだそうだ。そして住居はその背後に建っており、船蔵が防風の役割を果たしている。
船蔵は船小屋と違って壁があり戸がある。トタンで改修されているものもあるが古いものは、
瓦屋根、板壁で、前室の側壁がない。前室はもとは単なるひさしだったのが進化したのかもしれない。


ここに格納された船は漁業用でなく、なんと農業用の船なんだとか。
平地がわずかな佐田岬半島では、集落から離れた場所に農地を持つ場合があり、船で畑へ出勤するという、
驚くような生活スタイルがあった。まさに海が道であり、船は車だったのだ。


さすがにそういう生活はもうなくなり、今は車や農機具などが収納されているそうだ。
このような船蔵は高浦集落にも1軒残っているが、もう貴重な景観である。


次に、こちらも前回行った井野浦。石垣に囲まれた魅力的な納屋群に目を奪われ、そこからあと数十m
先に見どころがあるとは全く気づいていなかった。。。


これは石垣に囲まれた畑。区画ごとに腰の高さぐらいの石垣が積まれている。


畑にはサツマイモが植えられていた。こんな低い石垣で防風の役割を果たすのかと疑問に思ったが、
サツマイモ目線で見ると(笑)確かに風を遮ってくれている。




「畑の石垣は風当たりを軽減するために海岸線に対して角を向けています。」
言われてみれば、確かにそうなっている。そうすると端には三角形の区画ができることになり、ぱっと見
非効率に思えるが、ものの形はすべて理由があるのである。


さぁ最後に、前回も行った三崎にある高神様の石垣を見に行こう。
途中までは前回歩いたことのある道を車で走るが、途中からはヨソ者には分からない道へ入って行き、
三崎集落を見晴らせるこんもりした高台に到着。


そこには背の高い木が生えており、幹ごと石垣に巻かれている。
高神様とは何の神様なのかよくわからなかったが、この木がご神木なのだろうか。


ずっと昔から村を見守ってきたシンボリックで神聖な場所に違いない。


この日は残念ながら曇っていたが、お天気がよければ格好のサンセットビュースポットなんだろうな!


続く

佐田岬半島 えびすや旅館と三崎のまちなみ

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三崎の高神様で石垣めぐりは終了。あぁ楽しかった〜!ほんとにありがとうございました!!
三崎の港近くにあるえびすや旅館が今日の宿。翌日フェリーで佐賀関へ渡る計画だ。

高嶋さんもおすすめのえびすや旅館は昭和3年創業で雰囲気抜群。通された部屋は落ち着いた和室で、
床柱はこのインパクト!


夕食は特別料理でなく標準的なもので頼んでおいたのだが、アワビが丸々1つついていてびっくり!
バター焼きかお刺身を選べると言うのでお刺身で頂いた。おいしかった〜


建物は中庭を囲むつくりで、共用の座敷やサロンスペースもある。ソファで心地よいBGMを聞きながら
愛媛本を読んで過ごす旅の夜。。。う〜ん、いいなぁ〜


廊下にある共用の洗面所は古いタイル貼り。マジョリカタイルのボーダーもついていてとっても素敵!
歯磨きするのも優雅な気分〜(笑)。

最初は朝7時半のフェリーに乗ろうと思っていたのだが、せっかくなので8時半の便に乗ることにして
宿でちょっとゆっくり。。。

港へ行く前に集落内をくるっと一回りしよう、と思って歩き出したら、うゎうゎ、すごくいい雰囲気の
まちなみがいっぱい!もう少し早起きすればよかったな!
狭い路地に面して軒を連ねる木造2階建ての旅館や民家。前回はこんな路地も歩かなかったなぁ。


この泉屋旅館は人の気配がなかったがもうやっていないのだろうか。今の季節休業中なのだろうか。




家の建て込んだまちなかに突如現れた防潮堤のような石垣。昔はここまで海だった、てな訳ではないし
家の境界を隔てる石垣でもなさそうだし。ちょっと奇妙である。




三崎町中央公民館と、その奥の学校っぽい建物は何だろう?




この魅惑的なY字路!横尾忠則に紹介してあげたい(笑)。




あぁ、もうフェリーが到着した。小走りで港へ向かう。


このフェリー、「ニュー豊予3」で大分県の佐賀関まで70分の船旅。車やバイクで乗り込む人は
結構多いが徒歩客はあまりいない。


昨日と打って変わってすがすがしいお天気!昨日巡った美しい佐田岬半島の海岸線をデッキから眺めながら、
さぁ、九州へ。。。


続く。






佐賀関より九州上陸

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佐田岬半島の三崎港をあとにして、九四フェリーで大分は佐賀関へ向かう。


今回もパスした佐田岬灯台を横目に見ながら、船は西へ。
お天気もよくデッキの上は気持ちいい~!あっちを見たりこっちを見たりしていると70分の船旅は
あっという間。佐賀関港が見えてきた!
佐賀関半島は先端が矢尻のような形をしていて、フェリーはくびれた部分の上(北)側の港に着く。


おや、煙突、巨大な建屋、タンク、・・・佐賀関って工場地帯だったのか。
「佐賀関製錬所」という文字が見える。へぇ、全然知らなかった。


出発前日にネットを見ていたら、佐賀関には太田缶詰工場主屋という近代建築があることを知り、
高嶋さんからもおすすめ頂いたので見に行こうと考えていたのだが、現地に来てみるまでは
歩いて行ける雰囲気なのか、バスがあるのかよく分からず、現地に着いてから考えようと思っていた。

港に着いたら、下船した人たちは皆車やバイクで去って行く。取り残された私は、さてどうするか。。。
とりあえず太田缶詰さんに電話して、今からそちらに見学に行きたいのですが開いていますか、
と聞いたら、港まで迎えに来てもらえることに。えっ、ほんとに!?ありがとう~~


太田缶詰のご主人の車で工場に向かいながら、佐賀関製錬所のことを聞いてみた。
1916(大正5)に開設。世界有数の製錬所なんだとか。


昔は近くの鉱山の銅も製錬していたが、現在は外国から船で運んできた銅鉱石を精錬しているのだという。
佐田岬半島には銅山があったので、青石と同じく大分側にも鉱脈は続いているのかと思ったら
大分側には銅山はないらしい。


車はまちなかを通りぬけ、岬の南側の港へ出る。こちらは漁港である。関さば、関あじの水揚げは
年々減っているのだとか。工業港と漁港の距離は約600m、車で走ると一瞬である。
二つの港の間を埋めるようにまちが広がっており、商店街も意外に広いが、やはり現役の店は
少なくなったようだ。

太田缶詰工場については次の記事で紹介することにする。
見学した後はバス停のあるまちなかまでふらふら歩こうと思っていたが、ご主人がまた車で送って下さった。
ありがとうございます~~。ほんとに私は人から親切にしてもらってばかりいるなぁ。感謝、感謝。

ここは早吸日女神社。早吸とは豊後水道のことらしい。
豊後水道の海底に住む大蛸が守っていた神剣をご神体とし、厄除開運の神として信仰を集めているのだとか。
駐車場も整備された立派な佇まいに、ここはどこだったかとちょっと驚いた。
境内には大きな藤棚があり、初夏にはたわわな花房目当ての人々もたくさん訪れるのだろう。


境内の石垣では、赤っぽい色の石が目につく。佐田岬半島では全く見られなかった、いかにも火成岩という
感じの石で、違う地方へ来たのだと感じる。


こちらの石は凝灰岩っぽく、昨日見た井戸枠の「豊後石」と同じものだろうか?

どうしても石に目が行ってしまう(苦笑)。

早吸日女神社社家(小野家住宅)。盟和年間(1764~1769)に建てられ、木材は佐伯藩、瓦は肥後藩
から拝領したと伝えられる。県指定有形文化財に指定されている立派なお屋敷だが公開されていない。
横の坂道をちょっと上り見下ろすと、生活感は全く感じられなかったので、今は人は住んでいないのだろう。



佐賀関のターミナルからは臼杵行きと大分行きのバスが出ているが、臼杵行きは平日のみの運行らしい。
大分行きのバスも2時間に1本ぐらいの本数で、やっぱり車でないとちょっと不便なところである。
まぁ、旅の前半でかなり充実したので、後半は成り行きまかせでゆっくりでいいや、とぐうたら旅(笑)。

続く。

太田缶詰工場の富士山

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続き

佐賀関の港から車で5~6分で太田缶詰の工場に到着。道さえ分かれば歩ける距離。今度来る時はお手間かけずに済むだろう。
細い入口の真正面に見えてきたのは、巨大なソテツの茂みと、その後ろに・・・・うわぁ~、富士山!!


白い洋館のてっぺんに、鮮やかな青い富士山が載っている!今はなき千代見湯を思い出す。
富士山の真ん中に「太」のマーク。聞けば、創業者が日本一の会社になるようにと富士山をトレードマークにしたのだとか。
1907(明治28)年の建物である。


1846(弘化3)年の創業、もともと海産物加工業をしていた創業者は缶詰の技術にいち早く目をつけて、
外国人技術者を呼びよせ缶詰工場を作ったのだという。昔はいろんな海産物の缶詰を作っていて、
日本全国に7ヶ所もの工場を稼動させていたほど景気よかったというが、現在はサザエの缶詰専門で、
工場もこの佐賀関だけとなった。
しかしこのサザエの缶詰が超高級品で、一缶4200円もする(驚愕)!ちょっと手が出ない・・・
ご主人いわくサザエを食べたあとのつけ汁でおいしい炊き込みごはんができ、二度楽しめるのだそうだ。


一見独立した洋館に見えるが、和館の玄関部分が洋館風になっている。かわいい軒飾りやファンライトが
いかにも明治の風情を漂わせる。目の前のソテツの木は六百年モノと言われているとか。。。




純洋風の外観とはうらはらに、上がりかまちがあり畳敷きの玄関の間にはついたてなどが飾られている。
鯖江の恵美写真館を思い出した。あそこも明治の建物。(今調べたところ実に明治28年、偶然にも同じ年だ!)
貴重なのは、この建物は建ってからほとんど手を入れられていないこと。調度品も全てオリジナルのものが
残っているといい、こちらのコート掛けは大阪の家具屋で作ってもらったものなのだとか。


玄関の間から階段を上って、二階の応接室は完全な洋室である。ここでコーヒーを頂きながらお話を伺った。


この応接室は外国人技術者を応対したり商談するのに使われたという。


天井には牡丹の花をかたどったレリーフが。


ところで、サザエの身を取ったあとに貝殻がたくさん残る。こちらではそれを加工して貝ボタンも作っているという。
ははぁ、天井の牡丹はボタンを洒落ていたのだな(笑)。
この額は貝ボタンで描いた富士山と、ボタンのサイズごとの見本を並べた額で、太平洋博覧会に出品した
ものだそうだ。数字が大きくなるほど径は小さくなる。ボタン作りの工程のサンプルなど貴重な資料も
見せていただいた。貝ボタンは近年になって本物志向が高まり問合せが増えているのだとか。


玄関の間の左側の戸を出ると和館の廊下である。その先には二間続きの座敷があり、そこで食事ができる。
今日も予約が入っているといい準備がしてあったが、お昼の時間の前に来たのでここも見せてもらうことができた。


驚くほど高い天井、じゅらく壁も昔のままだというが非常に状態がいい。欄間の透かしや建具の格子も
欠けることなく美しい姿を保っており、素晴らしい!この座敷でゆっくり海の幸を堪能するのもいいなぁ。


裏手には石造の倉庫が。現在は物置のようになっているが、こちらもゆくゆく活用したいと言われていた。


この石は「豊後石」だろうか。手仕事の痕が、まるでつい昨日ノミを入れたかのようにくっきりと残っている。
当時の職人さんの槌音が聞こえるような気がした。


ひとりでしかも素人のアポなし訪問にも関わらず、社長自ら送迎して頂き(私はどんなVIPなんだ!?)
丁寧に応対して下さった太田缶詰さん。
しかも商品を買わなかったのに(!)、桐箱とレトロな紙袋を記念に下さった。
本当にありがとうございました。誰かに贈り物の際には通販で買わせて頂きます!


続く。

大分の近代建築+あたみ温泉

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続き

佐賀関から乗った大分駅行きのバスを途中の幸崎駅で降りて、鉄道の車窓風景を楽しみながら大分へ。
初めて降り立った大分駅は、多くの県庁所在地駅の例に漏れず建て替え済みで新築ピカピカの駅だった。
そしてまた大型の駅併設商業施設ビルを建設中。ガランと空いた駅前はついこないだまでの姫路駅を思い出す。

駅でレンタサイクルを借りて建築を見に行こう。
まずはみずほ銀行大分支店。旧大分県農工銀行、1932(昭和7)年。
真っ白でシンプルなファサード、大きなRで迫力があるな!


上から塗装されているが全面テラコッタ貼りと見える。柱部分は細い円柱を束ねたようなデザインで縦ラインが
強調されている。入口上にあしらわれたレリーフや水平に巡らされた細いボーダーもモダンな印象。


次に大分銀行赤レンガ館。クイーンアン様式をベースにした辰野式のゴージャスで派手な建築だ。
1913(大正2)年。


こちらの入口の形は中国風なのか?開口部は普通に四角ながら、石材の丸い額縁に囲まれている。


アートプラザは元大分市立大分図書館として設計された建築。1966(昭和41)年。
設計者の磯崎新は大分の出身なのだという。


四角い筒が空中に突き出した、重力を感じさせない建築は、コンクリートの造形の自由さをいかんなく
発揮したものだ。ここの1Fのカフェでお昼ごはんにしよう。

さてここから西へしばらく走る。西大分駅の北側に富士紡績の工場があり、敷地内にいくつかの近代建築が
残っているらしいので、それを見に行くのだ。

途中の大分港にもレンガ建築がひとつ。BRICK BLOCKという老舗のライブハウスのようだ。

大分港は神戸からのさんふらわあが到着する港。この建物の他にも、古い倉庫がお店として活用されていた。

西大分駅の木造駅舎を見てから、JRのガードを越えて富士紡績の正面玄関へ回ってみる。

おお!タクシー会社のような半円柱の守衛室の後ろに堂々たる姿をみせているのは富士紡績大分工場事務所。


赤い屋根がかわいらしい絵に描いたような洋館だ。1912(明治45)年。
きっちりメンテナンスされ美しい姿で保たれているのはうれしい限り。


左手にはノコギリ屋根の第一工場が。ノコギリの刃の部分がさらにギザギザになっているのが面白い。


敷地内に入って見てよいか尋ねようと思うのだが、守衛室には人がおらず、受付の電話で呼び出しても出ない。うーむ。
仕方ないので入口辺りから写真を撮り、そのあと隣のホームセンターの駐車場に回り込んでみると、
変電所がよく見えるな!ボイラー室もちらりと見える。



まぁ、工場は普通は立入禁止だし、高い塀に囲まれて全く見えないところも多い中で、これだけ見えれば良しとしよう!


建築めぐりをしたあと大分駅へ戻り、レンタサイクルを返却しに行こうと工事現場を迂回していると・・・
おっ、あれは!?
あたみ温泉。豆タイルびっしりのファサード。男女別の入口にはのれんが下がる。
なに?当あたみ温泉はかけ流しです、だって。名前だけでなく本当の温泉なのか。これは、入らずにはいられまい。
臼杵を端折ったので時間はまだ早い。スケジュールには余裕を持っておくもんだね(笑)。


さて、中へ入ると結構狭い。ロッカーも合板に取り替え済みで、全体的にこぎれいな印象。
衝動的に入るほどでもなかったかな・・・と思いきや、浴室の白タイルは古いストレートエッジ、
細いマジョリカボーダーがタイル絵の周りを飾る。いいじゃないの~!


そして何よりお湯がいい!!
熱めとぬるめの大きな浴槽に蛇口からなみなみと注がれるお湯は溢れるに任せ、手元の蛇口のレバーを押せば
薄い褐色のお湯がザバザバと。ちょっとタール臭のようなにおいがするが炭酸水素泉らしい。
このお湯、浸かれば浸かるほど、肌がつるつるに!

お客も次から次へと常連のおばちゃんたちがやってきて賑やか。なので写真は撮れなかったが、
ガッサリ再開発中の駅前で昔ながらのスタイルで営業を続けられているのはあっぱれだし、
お客さんも多いのはうれしいね。今後もこのまま貫いてほしいなあ!

続く。

西大分駅

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続き

西大分駅は古い木造駅舎が残る駅だとネットで写真を見て知っていたが、実際に目に入って来たときは
おおおぉ~~~素敵だぁ~~~と思わず独り言(笑)。


あのピカピカの大分駅の隣に、こんな時間が止まったような駅舎があるなんて、なんて素敵なんだ。
平たい瓦屋根としっくい壁が古さを語るが、なんと明治44年のものらしい。
うわぁ、いいなぁ!いいなぁ!ブツブツ言いながら、兄に写メール(笑)


駅前はコンテナヤードや日通の営業所があり、トレーラーがたくさん停まっている。
壁には大きく「JR貨物 価値を運ぶネットワーク」と書かれた手作りのポスター。
どちらかというと、南四日市駅のように旅客より貨物の役割が大きい駅なのだな。


無人駅なのでちょっと中に入ってみよう。


このタイプのチェアももはやレトロ。木造駅舎に違和感なくなじんでいるように見える。


改札ラッチがないのは元々だろうか。


おっ、すぐそこに貨物列車が停まってるな。実際にガチャンガチャンと積み替え作業もやっており、
生きた貨物駅だ。貨物駅と一緒になった駅は大阪近辺には少なく、旅客ホームからこういう光景を
見られるのは愉快だなぁ。あ、安治川口駅があったか。。。




西大分駅がフェリー乗り場への最寄り駅。ここからフェリーで神戸へ直通しているのだ。
船は海を介して思わぬところとつながるのが魅力。ワープするみたいで夢が広がる。。。


富士紡績の工場建築を見たあと、駅の裏側の道を走る。駅の裏側から駅舎を見るのが結構好きだ。
留置線が何本も枝分かれし、一番端には車止めが。う~ん、いいねぇ。
脇に自転車を停めて、どう撮れば魅力が伝わるかと、ああでもない、こうでもない、と試行錯誤。
なかなかうまく撮れないのだけれど。。。この時間が楽しい。




さぁそろそろ行こう、と走り出してはいいアングルを見つけて停まり、を何度か繰り返して(笑)
ようやく西大分駅と別れを告げ、大分駅へ戻ったのであった。


続く。

別府めぐり(1) 温泉閣と鉄輪のまち

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大分で衝動的にあたみ温泉に入ってしまったので別府に着いたらもう日暮れ。
バスに乗って今日の宿、鉄輪(かんなわ)の温泉閣へ。


以前母親と妹と弾丸フェリーで来た時に、こんな宿に泊まって夜の温泉街をウロウロしたいなぁと思っていた、
千鳥破風の渋い旅館。意外とお手頃なのである。


一人地獄蒸しの食事を楽しんだあと(さすがに一人じゃ寂しいなぁ(苦笑))、夜の路地をふらふら歩いて
谷の湯へ。相変わらず渋くて素敵だ~!
まちのあちこちで温泉の蒸気がライトアップされていて幻想的。。。こんな控えめな演出はいいね。


前回は熱すぎた記憶があるが、今回はジャスト適温!貸切状態で極楽極楽(笑)





宿にも24時間入れる露天風呂があるというので、寝る前にちゃぽん。今日は温泉を3軒ハシゴだな。
そして朝にも(笑)。


翌朝朝食後、鉄輪を散策。旧冨士屋旅館の「冨士屋Gallery一也百」はまだ開いていないようだった。
門扉の隙間から・・・


しかしすごい大屋根だな。旅館時代に泊まってみたかった。。。


熱の湯のあたりは前回歩いていなかったようで、新鮮な風景だ。すごい高い崖はぎっしり石積み。


まちなかのあちこちで見られる赤い石垣は「別府石」と呼ばれ、数千年前の鶴見岳の噴火の火砕流によって
できた凝灰岩なのだとか。佐賀関の早吸日女神社の石垣もこれに近いものだろうな。


レンガのアーチが二つ並んでいるのは熱の湯源泉跡。中央の小さな凹みにはお地蔵さん(?)が祀られていた。


元は旅館の浴場だったのを共用の洗い場として利用していたところも、今はもう使われていないが
「温泉遺産」として整備されている。

この古い温泉旅館は廃業したようで売り出し中。別荘として買いたいなぁ(笑)


さてそろそろ、バスでグローバルタワーのあたりまで下ろう。今日は別府の近代建築巡りの予定。


デッカイ日時計みたいなタワーの向かいに建つ、古色蒼然とした赤レンガ建築は、京都大学地球熱学研究施設本部
中央部の塔屋が台湾総督府を思い起こさせる。総督府は1919(大正8)年、こちらは1923(大正12)年
竣工だから、ほぼ同時期だ。


程よく改修されバリバリ現役の建物で、見ている間にも研究者らしき人が出入りしていた。


続く。

別府めぐり(2) 聴潮閣と別府石の石垣

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別府公園を通り抜けて聴潮閣高橋記念館(旧高橋欽哉邸)へ。元はその名の通り海の近くに建っていたのを
保存のため1989(平成元)年ここに移設したという。今は佐藤渓美術館となっていて、誰でも入場することができる。


基本は和館で洋風の応接間が併設されている。


洋室と母屋、蔵に囲まれた庭は、東福寺の庭を思わせる市松模様。

裏庭も移設後に京都のお寺(東福寺だったか?うろ覚え)を模して作ったものだと言われていたが、
25年も経つとしっとりなじみ、なかなか雰囲気がある。



見どころはいろいろあるが、お風呂場の小川三知作のステンドグラスは必見。
海草の間を泳ぐ魚のデザインは結構リアルで、お風呂に入るとまるで海の底にいる気分になるね!


いちばん端のイカがデザインされた部分だけ、ちょっと異質。寸法足らずで後から追加したのだろうか。
かわいい~~


洋室部分は本格的な内装で、アールデコ調のデザインも見られる。しかしここは立入り禁止。
入口から眺めるだけ。。。


順路に従い二階へ上ると、明るい座敷。表と裏の両側に縁側(廊下)がついている。


表の縁側のテーブルに色鉛筆が置いてあるのは粋なサービスだな。さすが美術館。
絵心があればこんな窓辺でスケッチのひとときを楽しむのもいいなぁ。


一階の奥の座敷と縁側はカフェになっていて、お庭を眺めながらお茶が飲める。


あまりの心地よさに、あぁ、もう今日はここでゆっくりでいいや・・・という気に(笑)

・・・とは言ってもまぁ、リラックスできたところで聴潮閣を出て、別府市公民館を目指して下る。

途中美しい石垣に目を引かれ何度も寄り道。
別府も近代に都市計画されていたと見え、碁盤目状の区割りになっているが、区画を縁取る別府石の石垣が、
駅の山側では今も結構残っているのだ。


中島町のあたりを歩くと石垣率が高く家も古いものが多く見られた。
ほとんどは和風の家だがこんな洋室付の家もあった。




大小の石を組み合わせて趣向を凝らした素敵な門柱。



邸宅だけでなく小規模な住宅も石垣に囲われている。住宅地開発の時点で道路などインフラとあわせて
行政が整備したのだろうか。

空き家となった邸宅や荒地もちらほら見られ、このまちなみが乱れていかないか心配だ・・・
佐田岬の青石垣と同様、その地で産する石を使った特徴的な景観はほんとに美しい。大切にしてほしいなぁ。


続く。

別府めぐり(3) 別府市中央公民館あたり

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古い大きな壁が見えてきた。あれが別府市中央公民館だな。しかし裏側は地味で倉庫か変電所のようだ。


側面のアーチ窓を見ながら表側へ回る。全体に薄汚れた感じに見えるのは、スクラッチタイル貼りの上から
一時モルタルを塗りこめてあったのを剥がしたのが原因のようだ。せっかくのスクラッチの凹凸が埋まっている。


インパクトのある窓のバルコニー。


吉田鉄郎設計、1928年(昭和3)年竣工。別府市公会堂として建てられ、今は公民館として使われている。
受付で見学させて下さいと断って上へ上がる。写真もOK。


ネットでは見たことあった階段の踊り場のステンドグラス。鮮やかな青に吸い込まれそうだ。素敵だなぁ!


使っている部屋は見れませんと言われたのだが、それは2階のメインルームだった。窓越しに中を見やると、、、
あっ、あの青いタイル!「タイルの本」で酒井さんの連載で見たのをここへ来て思い出した。
あれがこの建物だったのかぁ。



階段はシンプルながら一面大理石で豪華。
ホールにも大理石とタイル貼り壁噴水があり、天使の小便小僧が福助顔で笑える(笑)。

3階は使用中ではなく入ることができた。しかしタイルはない。
畳敷きだがこれは文化教室のために入れたものだろう。この部屋の暖炉も濃灰色の大理石製で、
薄い灰色の斑点は美濃赤坂の金生山化石館で見たフズリナと思われる。赤坂産の大理石なのだろうか。


階段の上は外から見えていた塔屋。見上げると天井に星形のレリーフ、放物アーチの小窓が。


建物内を一通り見てからもう一度2階の部屋を覗き込んでみるが、終わりそうな気配もない。。。
受付で聞いてみる。「2階の部屋は何時に空きますか?」「4時ぐらいでしょうか」
今2時半、待つには長いなぁ ・・・あぁ、この部屋を見ずに帰るなんて。。。残念すぎる(涙)

尚、大ホールはドアをちょっと開けてみたが真っ暗で何も見えなかった。

未練を残しながら、、、先へ進もう。
公民館の窓から見えて気になっていたこの建物を見に行く。


洋館かと思いきや、玄関周りは和風の旅館を思わせる不思議な雰囲気。
タダモノではない香りがするが、一般の民家のようだ。


現在別府市児童館となっているこの建物は、もと別府郵便局電話局電話分室。
別府市中央公民館と同じ吉田鉄郎の設計。こちらも1928年(昭和3)。


赤いレンガタイル貼りは古典っぽい印象を受けるが、アーチ使いは少なめで公民館よりもシンプルデザイン。
吉田鉄郎といえば大阪中央郵便局と東京中央郵便局の都会的なビルディングのイメージしかなかったが、
その前にはこれらのような過渡的なスタイルの建物を作っていたのか。


児童館の向かいの友永パン屋は有名みたいで、見ている間にも車で続々お客がやって来る。

ガラス越しに見えるのはメロンパン、チョコレートパン、レーズンパン・・・素朴なパンばかり。
買ってみようかと思ったが、店内はごった返しているのであきらめ、先へ進むことにしよう。

続く。

別府めぐり(4) 浜脇新地あたり

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児童館から東別府駅方面へ向けて歩く。
別府のまちは地図を眺めているだけでいろいろ興味を引かれる。山の手の田園都市風の住宅地や
めぐらされた水路、そして区画整理されたきれいな長方形の町割の中をいきなり斜めにまっすぐ貫く
道路があったり、古道の名残らしき道が残っていたりするのも不思議な感じ。

後理髪館の銘板が素敵。残念ながら今はもうやっておられないようだ。


南国らしさを強く印象づけている朝見川沿いのヤシの並木は、今調べてみたところ「ワシントニアパーム」
という種類で、1972(昭和47)年に植えられたものらしい。2mそこそこと思われる苗木が
養生されている様子が写っていて興味深い。→こちら
40年の年月を経てあの高さまですくすくと育ったと思うと、「しばらく見ない間に大きくなったねぇ」と
なんだか親戚のおばちゃんのような気分になる(笑)


東別府駅の手前の浜脇に遊郭があったことを知ったのは、温泉閣だったか聴潮閣だったかで
壁に貼られた別府の古地図(レプリカ)を見たから。
朝見川を渡ったところ一帯が新地だったらしい。


何か名残が残っているかなと思ったら、やっぱりあった。木造の旅館風の建物と、タイル貼の
モダンな建物が2軒並んでいる。




このきれいな水色のタイルの壁!


布目タイルっぽいけど厳密には布目ではなく格子状の模様のついたタイルだ。


水色も濃淡や色合いが微妙に違っていて味わいがあるね!



どちらの建物も人の気配はしなかった。

さて、ネットで見ていた風変わりな洋館、H邸を探すとすぐに見つかった。
2階建ながらまわりの和風民家より頭ひとつ高く、ハーフティンバーの意匠と角の塔屋がインパクト大!
バリバリ洋館な外観なのにいぶし瓦がちょっと重そう。塔屋と同じ銅板葺かスレートが似合いそうだが。


大正初期の建築らしいが、ここに住む人はいったいどういう人なのか。。。
なんでも、別府の政財界に貢献した人なのだとか。→こちら


一本裏の道を歩くと立派な造りの和風の民家が多いが、遊郭と関係があるのかどうかは不明。


別府八湯のひとつである浜脇温泉は、別府温泉発祥の地と言われ昔は相当賑わっていたらしいが
今はすっかり寂れている様子。駅近くに残っている古い旅館建築も営業していなさそうな雰囲気で。
再開発された一角に「湯都ピア浜脇」があるが、温泉地としての風情は消えてしまったようだ。

しかしそのおかげで東別府駅には木造の駅舎が今も残っている。

続く。

別府めぐり(5) 東別府駅と東町温泉

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浜脇のまちを抜けて東別府駅へ。
ここは大分駅の隣の西大分駅と同じく、にぎやかな別府駅のひとつ隣ながら古い木造駅舎が現役で残っている。
道路から石垣に縁取られたスロープを上った高みに駅舎があった。おぉ!

「停車場建設記念碑」には「明治四十五年六月吉日定之」と刻まれている。
豊州鉄道浜脇停車場として明治44年に開業。

駅員さんが駅舎の前の落ち葉をほうきでせっせと掃き集めていた。頭上は桜の木だ。春は見事なんだろうな。
装飾もなくシンプルな形の駅舎だが、大切に手入れされ美しく保たれている。


駅本屋は平成15年に別府市指定有形文化財となっている。それを受け平成16年に全面改修されたらしいが
吊戸や窓枠などの建具やカウンターも木材で作られ、オリジナルの姿が尊重されている。
古く愛らしい田舎の駅が知らぬ間に建て替えられてしまうことを思うと、この小駅の価値がちゃんと認められ
守られているのはうれしいことだ。


駅員さんがホームへ向かうとほどなく上り下り両方の電車がやってきた。私はもう少し、写真を撮ったり
滞在を楽しみたい。次の別府行きは30分後、ローカル線と違って次々来るから安心だ。


駅のまわりをうろつくと、駅の真下をくぐるレンガのトンネルがあった。
緻密に積まれた美しいトンネルを、水路と人路で仲良く半分こ。人路は後から作られたんだろう。


駅の正面側の階段も素敵だなぁ。


そして、、、あっ、こんな駅近のお風呂があったのか!さっき横を通って来たのに気づかなかった。
東町温泉。ちょっと覗くと、う~ん、いかにも「ジモ専」、よいなぁ!入りたいなぁ!


しかし窓口に人がいない。どうしようかとウロウロしていたら、入りに来たおっちゃんが、
「そこにお金置いて入ればいいよ」と教えてくれた。よし、せっかくなので入ろ!




地底へ下りていくようなアプローチ。わくわく・・・


おおぉ~~~!
大きな空間の真ん中にぽつんと丸い浴槽がひとつ。かわいい~~
浴室と一体の脱衣所の片隅に置かれた「カクイわた」のホーロー看板付ベビーベッドが
観光用でなく地元住民の普段使いの浴場らしくていいね!

まだ日も高い時間で女風呂に他のお客はおらず、写真を撮ったりゆったり湯船に浸かったり満喫。。。

あぁいいお湯でした。。


さて東別府駅へ戻り、ひと駅乗って再び別府へ。


続く。

別府めぐり(6) 別府タワーに上る。

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続き

東別府駅からひと駅電車に乗って別府駅に戻ってきた。
今回の別府泊にあたり鉄輪の温泉閣と悩んだ山田別荘を、次回のために偵察しに行こう。

駅にほど近い春日温泉は木造の建物の側面に入口がある。おばあちゃんが手押し車を押しながら入りに来る、
昔ながらの公衆浴場。素敵だねぇ!入りたいねぇ!



・・・しかし、フェリーの時間まであまり余裕もないので、次回に取っておこう。

北浜あたりは前回もちょろっと歩いたが、駅から少し離れただけで意外に古い民家や旅館などが残っている。
敷地が大きく石垣や生垣に囲まれた庭を持つ。今は小さな住宅や商店が混在しているがもとはこのような邸宅ばかりが
建ち並ぶ街だったのだろうか。


山田別荘もそうした建物のひとつで、洋室の応接間が付属した和館である。泊まってみたいなぁ。


近年若女将がリニューアルされたようで、おしゃれな雰囲気。


L字型の小路を入ると素敵なデザインの石垣が目に入ってきた。




ちょっと隠れたロケーションにあるこの落ち着いた建物は、質屋。

もう少し北の方へ行けば前回も歩いた花街跡の「北部旅館街」もあり、レトロな別府のまち歩きはとても楽しいなぁ。

最後に、前回は見上げただけだった別府タワーに上ろう。
内藤多仲のタワー6兄弟の3男(タワーは男なのか?)で、1957(昭和32)年竣工。

これまでタワーに「上る」ことに特にこだわりがなかったので、6兄弟の中では札幌のテレビ塔と
通天閣しか上ったことがない。

下層階はカラオケ屋で、安っぽいボードに覆われたファサードはガッカリだが、エレベーターで逆台形の展望室に
上るとやっぱりいいね!


あまり余計な演出もなく、有料双眼鏡に、記念メダル販売機に、、、昭和のタワーそのままだ。


広い別府のまちが一望。ガラスはヒビが入っていて痛々しいが、修理をする予定はないのだろうか。
建て替えという話になってしまいそうで不安。。。



この後乗る大阪南港行のさんふらわあがすでに港に停泊しているのが見えた。

このタワー建設時の基礎工事や足場組などの古い写真が展示されていて興味津々!
浜の風景もだいぶ変わったようだ。


さぁ、長かった愛媛~大分の旅もこれで終わり。帰りは船中泊なので3泊3日の旅だった。


インプットが多すぎてブログアップが大変(苦笑)!
この3日後にまたオレンジフェリーで東予へ向かっているので、あぁ~もう、自分で自分の首を締めてる~(汗)

旅ネタに長らくお付き合いありがとうございました。近場の小ネタもそのうち。。。


終わり。

2014.09.20~23 佐田岬・大分・別府の旅 もくじ

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近況。。

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近ごろちょっとバタバタしていて、さらに仕事も超忙しくて、かなりバテ気味・・・というか
脳が変に高揚していて寝不足。。。
そんな中11月の連休に、春ごろから建築めぐりの面々と計画していた信州旅行に行って来た。
上諏訪、上田、別所温泉、岡谷など、これまであまり縁がなくほぼ未踏の地だった信州。
いつもの適当なひとり旅と違って、同行の皆さんが事前に資料を収集して綿密な計画を立ててくれ、
現地でも見るべき建築をテキパキと効率よく巡り、お風呂にも入れたし充実した食事も楽しむことができた。
私のために駅舎や鉄道関係の構造物等もルートに組み込んでくれ、上田電鉄も全線乗ることができた。
さらに紅葉のベストシーズンに当たったこともあり、この上ない大満足の旅となった。
何よりも趣味の合う仲間と一緒に和気あいあいと旅ができたことが、今までにない楽しさで、
グループ旅行というのもいいなぁと思ったのだった。

一緒に行ったひろ009さんmayumamaさんはすでにそれぞれブログにアップされているが
私はまだ手をつけられそうにない・・・

ということで、お二人のブログをお楽しみ下さい。。。(爆)

大久保駅近くの洋館

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もう半月以上書いていない。。。
写真を整理したり落ち着いて文章を考える余裕がなく・・・(汗)
しかし小ネタはないこともないので、お手軽にアップできるかなと、gooブログの投稿アプリを
ダウンロードしてみた。試してみよう。


ここのところ仕事でちょくちょく行っている明石。ひろ009さんのブログで見た大久保駅前の洋館を、
JRの車窓からあぁあれだなといつも見ていたものの立ち寄る余裕もなく、昨日ようやく
電車待ちの間に前まで行ってきた。駅から3分ほど。


写真では見ていたけど実際に見るとほんとにすごい!
腰から折れた急勾配屋根のスパニッシュ瓦が鱗のように見えて、ドーマーウインドウが目のように見える・・・
何とも異様な雰囲気。
ガラスが割れ黒々とあいた窓からは雨が相当吹き込んでいるだろう。背景の青空が痛々しさを引き立てている。
いったんこうなってしまってはもう手出しができなさそうに見えるが、オール石造ということは
構造部分は大丈夫なんじゃないだろうか・・・?

ひろ009さんのブログに書かれているように、この建物は数奇な運命をたどったらしい。
見ていると建物の無念さが伝わってくるようだ。


※スマホ写真を直接アップするのでうまく撮れているか確認できず不安・・・

雲仙にて

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昨日の大久保の洋館の記事の投稿時刻が変な時間なのは、もちろん仕事中に書いていたのではなく(汗)
午後休みを取って出かけているからである。
雲仙観光ホテルにずっと泊まりたいと思っていたのだが、半月ほど前に安いシングルのプランを見つけて
衝動的に予約してしまったのだった。思い立ったが吉日。忙しいからこそ何としてでも行くぞと、
万事を繰り合わせて金曜半日休んだのだ。その後何人かに一緒に行かないかと声をかけたが、
急な話では誰も来てくれず(苦笑)いつものごとく一人旅である。

長崎空港からバスを乗り継いでやって来た雲仙観光ホテルは、期待通り優雅な気分にどっぷり浸れる
素敵な建物とホスピタリティ。


せっかくなので6600円もするコースの夕食を食べたが、木調の落ち着いたダイニングで
見た目も味も素晴らしいお料理を堪能して満足満足!


翌日船で熊本へ渡り日曜日は大牟田の産業遺産を見て回ろうと思っていたのだが、宿の温泉に浸かりながら、
天気も悪いようだし、大牟田をやめて雲仙に連泊しようとこれまた衝動的に思い立って、
脱衣所の鏡の前で(笑)スマホで雲仙の宿を予約した。取ってあった大牟田の宿はキャンセル。
ただし、雲仙観光ホテルは土曜日は高いので(苦笑)近所のもう少しお手頃な宿に。。。

朝食もまた大満足。卵料理を選べるだけでなく、目玉焼は両面焼きか片面かと聞いてくれるあたり、
やはり高級ホテルである。

充実の朝食を消化せねばと、地獄地帯を歩き回り、雲仙のホテルエリア隅々まで歩き回った。


いや~、地獄はすごい!!地球のパワーはすごい!

今日は一日中地獄をさまよって大量に硫黄を吸った(笑)。ランチは温泉卵二つ。

ところで雲仙は昭和40年代に旅館からホテルへ続々建て替わったらしく、どこもここも昭和全開である。
そんなホテル群の中で目を引かれたのが、湯元ホテル。何にって、このタイルだよ!!


昭和44年頃に建てられた当時のもので、一枚一枚色合いが違う。これがアプローチからエントランス、
各階のバルコニーの見付けまで、大量に貼られているのだ。
ロビーも渋い!楕円アーチのコンクリート梁を覆う海老茶色のタイルは、ちょうなで削った木材のような趣。
これは新鮮だな!シャンデリアも素晴らしい。
ここでお茶でも飲んでゆっくり浸ろうと思ったのだか、残念ながら喫茶はやってないらしく、、、
快く見学だけさせて頂いたのだった。
※ロビーの写真はカメラでしか撮っておらず、、、また後ほど。

湯元ホテルは雲仙で一番古い1695(元禄8)年創業で、来年で創業320年なのだとか!


ホテルの温泉はどこでもたいがい日帰り入浴可だが、どこか渋い外湯に入りたいなぁと思っていて、
マップに載っていた4ヶ所の共同浴場を全部偵察し、新湯温泉館がいちばんジモ専っぽいかなと
目星をつけていた。ところが・・・こんな温泉を見つけてしまった。入ろ!!

う~ん、いいねぇ!
これもまた、雲仙温泉である。


熊本から、帰路。

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前日の夕食、そして朝食ともにすごいボリュームだったがペロリと食べてしまった。
いったい私の満腹中枢はどうなっているのか(汗)、罪悪感から朝食後また30分ほど
地獄を小走りでうろついてから宿を出て、バス待ちの間に共同浴場にちゃぽん(笑)
多比良港(長崎県)行の無料バスで乗り合わせたおっちゃんに、フェリーの到着先である
長洲港(熊本県)からJR長洲駅まで車で送ってもらい、さらにデッカいみかんを
山盛りもらった。その数17個!重たいけどありがとう~。でも重たい~(苦笑)


2時間だけ大牟田で遊ぼう。雲仙の朝は青空だったがこちらでは予報通りの雨。
しかも本降りである。まぁ濡れてもあとは帰るだけ。自転車を借りて市庁舎、
三井化学大牟田工場の専用線、宮原坑などを見て回る。

見始めるとやっぱり時間が足りず(苦笑)、タイムリミットで慌てて熊本へ移動。

帰りは熊本空港からジェットスター便を取ってある。ジェットスターも熊本空港も初めてだ。
数日前に阿蘇山が噴火したことを兄からのメールで知ったのだが、問い合わせたところ
今日は通常運行という。
駅の案内所でバス乗り場を確認して、お弁当を買ってから乗り場へ。
空港バスのきっぷを買って、所要時間を聞いたら、約一時間と。えっそんなにかかる?
チェックしていた特急やまびこ号だと15:51発で16:38に着くはず。
これですよね?と聞いたら、「やまびこ号は大分行きなので空港では降車できません、
次の空港行きバスは16:05発です」だって。完全に間に合わないじゃないの!!
うわぁ~、お弁当を買わなければよかった(涙)。
落ち着け。。。他の手段はないか?
ジェットスターは払戻しできず、今から取れても
大手キャリアとなり2~3万円はかかるだろう。新幹線で帰る方がまだ安いか。
それにしたって今からだと正規運賃になるので2万円弱。あいたたた。。。
打ちひしがれながら駅へ戻る途中、目に入ったのはタクシー。「空港までどのくらい
かかりますか?」「空いてれば3~40分ですね。料金は5千円くらいです。」
・・・よっしゃ、これに賭けよう!

約30分で空港到着。
タクシーのおっちゃんの助言によりバスのきっぷも空港で払い戻してもらえ、
損害を最小限で抑えて無事ジェットスターで関空へ帰ることができたのであった。。。


あぁ、ゆったり優雅な旅のはずだったのに最後にドタバタなのは、やっぱり人間性が
出るもんだなぁ~(苦笑)

あんず

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こないだから仕事で通っている垂水。
広いバスロータリーがあって表玄関らしい駅北側に対し、
海神社とごちゃっとした建物の隙間を掻き分けて作ったような小さなロータリーのある駅南側。
その一角に、落ち着いた喫茶店があるのを前からチェックしていた。


珈琲専門店あんず。ある日の夕方、休憩に入ってみた。


渋い。。。

大人の溜まり場風でお客のおばちゃんたちも静かに話していてどことなく上品な感じ。

文字通りここは珈琲屋で、紅茶メニューは一行のみ。ここは空気を読んで(笑)
アイスカフェオレを注文。


芳しい珈琲の香りに包まれながら、いろいろまとめ事など。香りは好きなんである。


gooブログアプリ

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こないだからPCの接続ができなかったこともあり、ブログをスマホから
アプリを使って直接アップしていたのだけれど、実は写真がめっちゃデカいまま
貼りついているということを、今日PCで開いてみて始めて知った(汗)。

しかもスマホの写真だからアングルもいいかげんだし、画質もボロボロ、
見るに耐えない!!と急いで写真を縮小して差し替えたけど、
あのアプリは文章の下書き用ぐらいかぁ。。。

東予の旅 マイントピア別子(端出場エリア)

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長いことブログ更新をサボっていて、その間にもいろいろ行ってるのでいいかげん書かねば
忘れていってしまう・・・ということで、前回の佐田岬の翌週に行った東予旅から。
もう3ヶ月も経ってしまっているが(汗)。

金曜の夜大阪南港から出発したオレンジフェリーは、翌朝6:00に東予港に到着。
夜行バスと同じく早朝に放り出される感はちょっと寂しいのだが、港のターミナルには人がいて
バスも待機しているのでやはり安心感がある。


伊予西条や新居浜へ向かう連絡バスはなんと無料である。鉄道や飛行機、いや夜行バスに
対抗してのことだろう、涙ぐましいサービスではないか。。

1時間かけて到着した新居浜駅前はきれいなロータリーに駐車場、隣接地に建設中の文化施設。
ガランとだだっ広くて味気ないことこの上ない。駅前喫茶でモーニングでもと思っていたのだが、
駅併設のパン屋カフェの他は食べ物屋も商店も何にもない。真新しいスーパーがひとつ。
既存のまちから隔離された駅のつまらないこと。。。


植栽の擁壁や上屋の柱にカラミレンガが使われているのが救いで、鉱山の町であったまちの
記憶をわずかに語っている。

さて、マイントピア行のバスが8時15分発しかないのでカフェで1時間をつぶし、なんか
ダラダラした旅の幕開け。。。

バスに乗ったら意外と近くて、8時半すぎにマイントピアに到着。
施設もまだ開いてないので、この周辺の産業遺産を見て回ろう。
ここ端出場地区は、1930(昭和5)年から1973(昭和48)年の閉坑まで、
別子銅山の採鉱本部があった場所である。

真っ先に目に留まるのが川の対岸に建つレンガの旧水力発電所。1912(明治45)年完成。
落差597.18mは当時日本一を誇った水力発電所であり、海底ケーブル敷設により
四阪島精錬所への送電も担った。


内部には、運転開始時のドイツ製発電機や水車が残っているという。


あとからガイドのおっちゃんに聞いた話だが、先般の原発の停止を受けて、何と四国電力が
再稼働を一時模索していたらしい。老朽化しすぎていて最終的には断念したというが、
これを使おうとは、思い切ったことを考えるなぁ!


このトラス鉄橋は、鉱山の大動脈だった第四通洞へ降りてゆく鉱山鉄道の軌道跡。
第四通洞の坑口前で軌道がほぼ直角にクロスしていたらしい。
マイントピアの公式サイトに、現役の頃の写真が載っていて興味深い。




鉱山鉄道はこの端出場から山へ向かう上部鉄道とまちへ向かう下部鉄道から成っていた。
縦横無尽に敷設された鉱山鉄道のおかげで輸送は効率化し、産銅量は飛躍的に増加したのである。


向こうの谷間に見える赤い鉄橋は打除鉄橋(=芦谷川橋)。1893(明治26)年完成の
ドイツ製ボーストリング・ワーレントラス橋。ピン接合された曲弦が美しいフォルムを見せる。




向こう側に見えている坑口は中尾トンネル。

こちらでは観光鉄道としてトロッコ列車に乗れるようになっている。駅も再現され、
ホームにはかつて使われていた車両が展示されていた。
その先の鉱山観光エリアは元の鉱道を利用しているらしいが子供向けっぽいので入らず、、、

こちらは住友企業の旧接待館の賓客用玄関と特別室を移築した、泉寿亭。
1937(昭和12)年、新居浜の港近く、現在別子銅山記念図書館のある場所に建てられた。
一部とはいえ、ゆったりとられた空間や造りを見ると、産業隆盛期の余裕が感じられる。




ひっそり木々に隠れているが、駐車場の横にもスポットがある。
こちらは1919(大正8)年完成の端出場貯鉱庫跡。この上から鉱石運搬車が鉱石を
落とすようになっていたようだ。


これは川沿いに伸びていた下部鉄道の廃線跡だろう。

あとは資料館で映像を見たりボランティアガイドのおっちゃんと話したりして、
11時からの東平(とうなる)行きバスツアー出発までの2時間半をなんとか過ごす。。

実はマイントピアは産業遺産だけでなく、温浴施設、バーベキュー場、グラウンドゴルフ場など
あまり関係ない施設もあってちょっと鼻白むのだが、やはり大人の趣味だけでなく子供も
遊べるような施設でないとお客が来てくれないのだろう。悩ましいところである。

続く
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