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保内の近代建築めぐり その1

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石垣の記事を先に書いたのだが、保内では近代建築めぐりが主目的である。
前回八幡浜の近代建築を巡った時に保内も併せて見ようと何となく考えていたのだが、八幡浜から保内は
バスで40分かかるとか(!)であきらめたのだった。2005年に合併して八幡浜市に編入されたが
全く別のまちと考える方がいい。

まずやって来たのは、旧宇都宮壮十郎邸。どう見ても和館なのだが、トラスの小屋組みや暖炉をもつ
和洋折衷の建物だという。ん〜、外から見ているだけでは信じられないなぁ。


隣に建つ白石和太郎家住宅は和館と洋館があり、和館は今も人が住んでおられるように見える。
1854(嘉永7)年棟上げの武家様式で、座敷などが後から増築されているらしい。

白石家は元は酒造業を営む家であったが明治ごろから鉱山を広く経営し、その後紡績業も手がける。
川之石村の有志により設立された宇和紡績を買い受けて大阪紡績株式会社を作り、それが後の
東洋紡績となる。
公共事業への寄付や教育、政治にも尽力し地元の発展に寄与した家だという。


洋館はこじんまり小さな木造擬洋風の建物で、明治30年代の築と推測されている。
窓や入口まわりのペディメントのレリーフなど装飾が豊か。外壁が黒いのは国防色なのだろうか??




見学ができるはずだが、鍵が閉まっている。
ガラスに顔をつけて中を覗くとエントランスホールもいい感じ。開かないのかなぁ?

近くの商店にいた人に聞いてみるとインターホンがある場所を教えてくれ、ピンポンしたら
開けてもらえた!

エントランスホールには郵便局か医院のようにカウンターがあり、天井には天使のレリーフが。
ぼってりとした金太郎のような天使(笑)。バックには世界地図。
紡績の技師として招いたイギリス人向けの宿舎との伝承もあるそうだが、宿舎には見えないなぁ。


1Fは暖炉のある大きな一部屋。暖炉と言っても薪を入れる空間がないのでせいぜいストーブ置き場だろう。
この建物は1994(平成6)年に当時の保内町が保存のために買い取ったそうで、
時々ここでコンサートを開いたりしているという。




急な階段を上った2階には大小3部屋ある(4部屋だったっけ??)。
戦後1989(平成元)年まで、川之石ドレスメーカー女学院として使われていたといい、
当時の生徒さんの作品や、取り外されたドアノブやレリーフなどが展示されていた。
2階の部屋の天井にもバスケットのレリーフが。

入口部分の屋根は銅板葺き。



白石家から少し先へ行ったところにあるカワイシ本舗。ひなび具合が素敵。
これは元々醸造家だった白石家と関連があるのか、ないのか・・・




川沿いから見えるレンガの煙突。「カワ」の部分が折れてしまったのだろうか??


宮内川のほとりを歩き、東洋紡績川之石工場を見に行こう。


続く。

保内の近代建築めぐり その2

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保内の近代建築めぐり 続き。

宮内川沿いのボードウォークを歩くとこんなものが。

沖合いに浮かぶ佐島に銅の精錬所があり、残滓を固めたカラミレンガを「佐島レンガ」と呼んだという。
明治期に白石家が鉱山経営を広く手がけるようになったが、佐田岬半島や周辺の地域では銅が多く採れたのだ。
町見郷土館で銅鉱山の分布図を見たとき、伊予青石の緑色は銅の色なんじゃないか!?と思ったのだが
それは短絡すぎで、実際はそうではないようだ。化学はワカラン・・・

宮内川に面した大きなレンガ造の建物は東洋紡績川之石工場の原綿倉庫。
1960(昭和35)年に閉鎖され、現在は一部が製材倉庫として使用されているのみだとか。
隣接する保内中学校の校庭も昔は工場の敷地であり、工場棟がたくさん並んでいたのだろうと想像する。



富岡製糸場が世界遺産になって脚光を浴びたが、この川之石工場が同じ頃に作られたことを示す資料が
白石家洋館に保存されているとか。こちらも注目されてお客が増えて町が活気づくといいね。

美名瀬橋。昭和八年三月、工作者安藤松治、との銘板がある。どういう人なのか、検索しても
出てこない。


紡績業が興ったこの保内町ではまた、絹糸の元となる蚕の卵を採る蚕種業もさかんだったらしい。
呉服商の兵頭寅一郎が1884(明治17)年に蚕種製造業を創業、1905(明治38)年に
合資会社日進館を組織した。なんと現在も、愛媛蚕種株式会社として蚕種の製造を続けている。
蚕種の製造・販売をしている西日本で唯一の会社ということで、貴重な現役産業遺産である。


デカイ!道路いっぱいまで建てられた木造3階建は圧迫感がすごい。
洋風の玄関のある事務所棟が古く明治後期(おそらく合資会社となったタイミングだろう)、
木造3階建の蚕室は1919(大正8)年の築だとか。
蚕室の方も、トラス構造の小屋組、防火用のレンガの仕切り壁など、洋風建築の特徴を持つ。

外壁は全面が雨戸のような建具になっており、開いているところから中を覗くと棚が見えるが、
どうも今は掃除中か片付け中のようだ。

奥へ進むと別棟と空中通路でつながっている。いずれも古く、建築当時から全く変わっていなさそう。
あ、トタンは当時なかったかな。


この間の道を入ると裏手は丘になっていて、石垣沿いの小道を登って行くと上は神社の跡地のような場所があった。


うわぁ、ここからだと日進館の建物群がよく見える!レンガの仕切り壁も確かに入っている。

あぁ、いいなぁ!
まちを見下ろしていると、ふと、私はなんでここにいるんだろう、と不思議な気分になる。

景色を堪能してから降りて行くと、おぉ、入口が開いている。
覗くと商店の土間のようなスペースに蚕や絹糸の展示があり、ここまでは開放されているようだった。


ちなみに、ここで「旅の顛末」に書いた悲劇が起こったのである(涙)。

事務所の人にお願いして中庭まで少し入らせてもらった。
すごい!三階建の建物に囲まれた土間。旅館のようでもあり、農家のようでもある。


裏手の畑には蚕のえさとなる桑の木が植えられていた。現役である証拠だ。


さて次は集落のはずれにある公会堂を見に行こう。
途中にはこんな民家も。


ほんとに5月かと思うぐらい暑い日差しの下、10分ぐらい歩いてようやく到着。


木造モルタル塗りで一見医院建築にも見えるが、「公会堂」の文字が誇らしげ。
地元出身の実業家、那須金一の寄付により建てられた。今も公民館として使われている現役の建物だ。


こんな洋風の外観なのに、畳の座敷になっているらしく興味深い。

さぁ、これで保内の近代建築はだいたい見たので八幡浜へ戻るとするか。早いバスがあるかなぁ?

続く。

大正湯で〆!

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保内 続き。

近代建築めぐりをした後八幡浜へ戻ろうと思うが、バスが一時間半後にしかない。
意外と早く建築を見終わった、というより、保内に到着後まずお昼ごはんを食べようと思っていたのに
お店がなく、おにぎりとお菓子を食べただけで終わったからである(苦笑)。
暑くて汗をかいたし、ちょっと冷たいものを飲んで休憩しようと思っても喫茶店がない。。。

タクシーを呼べば2〜3千円かかるらしい。歩くには遠すぎるしトンネルもある。。。
しかしコンビニのベンチでボーっと時間をつぶすのはもったいなすぎるので、泣く泣くタクシーを
呼んでもらおうとレンタカーを返したエネオスに戻ったら、、、さっきの車がまだ置いてある。
そうだ!1時間車を借りて八幡浜で乗り捨てすればいいじゃないの!
我ながら何ていいことを思いついたんだろう〜!お店も回送の手間が省けるし(笑)

ということで15分後には八幡浜へ。バスと違って早い〜〜
せっかく1時間分借りたので、行きしなバスの車窓から見て気になっていた、八幡浜の一駅手前の
千丈の物件を見に行こう。



前回時間切れで行けなかった港のフェリー乗り場も見ておこう。

そして無事車を返却したあとは、こちらも前回覗かせてもらっただけで終わっていた大正湯へ!




いいねぇ〜!3年前と変わらない姿でしっかり営業されていた。




浴室はおばあちゃんたちでにぎやか。明るいうちに入るお風呂は贅沢〜


沖縄のお風呂屋を思わせる丸い浴槽がかわいいねぇ〜
3つある浴槽のうちお湯が入っているのは中央の1つのみだが、5月と思えない夏日に保内でガンガン歩いて
かいた汗をきれいさっぱり流して、う〜ん爽快!!


前倒しで早く戻って来れたので時間に追われることなくゆっくり入れた。
もともと予定していたバスに乗っていたらカラスの行水ぐらいしかできなかっただろうな。


夕涼みしながらブラブラ八幡浜駅まで歩いてきたら、空港行きのバスはもう待機している。
何と素晴らしいタイムスケジュール。完璧!!


終わり。長らくお付き合いありがとうございました。

三井荘

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京阪土居駅近くを歩いていてふと横道に目をやったら・・・おや、何だあれは!?


三井荘。これアパート?かわいい〜〜!
大きく立ち上がった壁は真っ白に塗られ、入口と窓のひさしにはきれいな緑色のスパニッシュ風瓦が
載せられ、まるでフリルのよう。同じく緑色で揃えられた「三井荘」の文字も丸っこくてかわいいね!
しかもちょっとセットバックした佇まいと前の草地が、なんともほのぼの・・・


つくりは昔ながらの中廊下式のアパート。ビニール袋をぶら下げたおっちゃんが入って行ったので
現役だな(笑)。

こんなかわいければ女子寮でもいけるんじゃない!?

2014.05.16〜17 佐田岬半島の青石垣めぐり もくじ

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3つの揖斐川橋梁

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東大垣駅から、JRの築堤の下を抜けるレンガ造のトンネルを見ながら歩いていると、揖斐川の土手に突き当たった。
坂道を上ると、揖斐川に架かる3つの橋がいっぺんに目に入ってくる。おぉ〜壮観!!

奥の緑色のが、JR東海道線の揖斐川橋梁。手前が、国鉄の初代揖斐川橋梁で人道橋に転用された「揖斐川橋」。


そして左手に単独で架かっているのが、樽見鉄道の揖斐川橋梁。


ダブルワーレントラスの揖斐川橋は斜材もトラス状で、斜めから見るといっそう美しい。


橋脚はレンガの上にコンクリートが乗っておりちょっとバランスが悪いなぁ。


開通当初は単線だったのだな。こうやって見ると汽車が向こうから走って来そうな気がする。


しかし・・・かなり錆びているのが気になるところ。メンテナンスしてあげて〜〜


銘板の文字は「PATENT SHAFT & AXLETREE COLD 1885 WEDNESBURY」と読める。1885年は明治18年。
130年近く前の橋ということになる。すごいなぁ。


こちらの樽見鉄道の揖斐川橋梁も古い。樽見鉄道は元は国鉄樽見線で、この鉄橋は1956(昭和31)年
樽見線の開通時に、御殿場線で不要となった5ヶ所の橋からトラスを持ってきて架設したものらしいが、
部材は明治33年製(曲弦トラス)とあって古めかしい。


古い鉄橋は美しいなぁ。リズミカルに反復する形状は自然の景色と調和する。


土手の上は通行禁止のため、車がガンガン走る道路の路肩を歩いて樽見鉄道をくぐる。
反対側の集落の方へ降りて、駅へ戻ろう。ゆっくり楽しんでちょうど一時間。


駅へ戻る途中に見かけた、濃尾地域で独特の石垣。ふっくら、かわいいなぁ。


少し前までは夜7時半を過ぎてもまだ明るかったのに、もう7時前で夕闇が迫る。
蛍光灯が点くと、ホームシックな気分になるのはなぜだろう(苦笑)。




さぁ、家へ帰ろう。




姫路周辺の小駅をめぐる

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姫路駅へは大阪から新快速で1時間。途中の各停駅にも木造駅舎が残っているなぁと、車窓からちらっと見て
知っていたのだけれど、いつもぴゅっと乗り付けガッツリ爆睡で帰るので(笑)下りることはまずなかった。

先日yumeさんとハモを食べに家島諸島の坊勢島を再訪した帰りに、それらの小駅を巡ってきた。
ちょうどその日は姫路港で花火大会があり夕方には通行規制がかかるというので、早めに姫路駅まで戻ってきたのだ。

まずは、御着駅。


駅舎は木造ながら味わいはちと薄め。




駅前には古い町家が数軒あり、「ごちゃく」という駅名の響きとあいまって歴史ありげな雰囲気を
かもし出している。実際、御着城跡や山陽道の宿場町など歴史には事欠かず、町歩きも楽しそうだ。

最近は黒田官兵衛ゆかりの地とのことで注目されているらしい。他サイト参照→こちらなど。

次に来たのが曽根駅。こちらはホームの上屋がいい感じ!駅舎の壁も漆喰が残っているな。




改札を出でみると、、、おお、素敵だね!


山陽本線の姫路までの間にこんな駅が残っているなんて、奇跡的!


全国で素敵なローカル木造駅舎が次々と建て替えられているが、どうして建て替える必要があるのか
理解できないところもある。高架化に伴う場合であればまだわかるが(それでも台湾のように旧駅舎を残して
駅の入口として使うなどできるだろう)、ただ単に潰して同じ形・大きさで新しく建てるのは意味がわからない。

客は多くても、このこじんまりした駅舎で何も不自由はないように見える。ここも建て替えの計画があるのか
ないのか分からないが、いつまでもこのかわいい駅舎に現役でがんばってほしいなぁ。

さて、姫路へ戻り先の新快速で帰るyumeさんを見送ったあと、英賀保(あがほ)駅へ。
いつもホームから見るだけで、すでに新しくなった駅だとばかり思っていたのだが、実は木造駅舎だという
ことを、ねじまきさんのブログで知ったのだった。


バスロータリーが整備され、開けた駅前だが建物はまばら。
今、Googleマップを開けてみてびっくり。駅の南側が立花駅とそっくりの放射状の街区になっているのだ!
ここも田園都市を目指したクチなのだろうか!?






さて最後にやって来たのは竜野駅。
ここまでくると不思議と駅は岡山っぽい雰囲気に包まれている。何が違うのかよくわからないんだけれども。


長いホームの姫路寄りに古い跨線橋が健在。新しいエレベーター付きの跨線橋が完成しているので、
これはいつなくなるかも知れず、見ておくことができてよかった。。。


小さな木造駅舎。英賀保駅よりも時代が遅く入口付近のデザインもあっさりシンプルだが、
門のように構える両脇の木がとってもいいね!




さぁこれにて駅めぐり終了、播州赤穂始発の新快速でぴゅーっと帰ろう。
今日はハモを食べ過ぎてもう晩ごはんもいらないな・・・(笑)





雨を避けて、岡崎へ。

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もう半月ぐらい前のことであるが・・・

いつも18きっぷの期限が迫って来るとやきもきする。
ここのところ週末ごとに大雨で、友達との予定も中止になり土日とも一歩も家を出ずに家に缶詰になったり。
たまった写真の整理をしたりダラダラ過ごすのも飽き飽き。。。
先週の土曜日も出かけようと思っていたのに、金曜の夜の時点で近畿圏はすべて大雨予報。あ〜あ。
・・・ところが、朝天気予報を見ると、豊橋は晴れマークがついてる。よし、東海方面へ出かけよう!
東海道本線なら崖崩れもないだろう。

という訳で、遅い出発となったが、3時間半かけてJR岡崎駅までやってきた。ところがJRの駅を降りてみると
駅前には観光案内所もレンタサイクルもない。
来しなの車内で近代建築の場所はだいたいチェックしていたのだが、スマホで検索してみると
名鉄の東岡崎が観光の中心らしく、あちらの方へ行かないとレンタサイクルもないらしい。
東岡崎へはJR岡崎から愛知環状鉄道と名鉄を乗り継がないといけない。え・・・めんどくさいなぁ。

とりあえず愛知環状鉄道で中岡崎まで行ってカクキューの工場を見よう。
工場の裏手の小路から回って行く。


ここの石垣はひとつひとつの石を整形して積んだ切り石積みであるが、一部の石がL字型のような、
ちょっと不自然な形になっている。「食い込み積み」と名づけよう(笑)。
石はふっくら、クッションエッジ。


おお〜っ、すごい!2棟並んだモノトーンの斬新なこの洋館が味噌屋の事務所だなんて!


側面に受付のようなカウンターがあるな。製品の販売窓口か、来客の手続き場所、それとも
従業員の出勤チェック場所かな?
軒の側にも看板建築のようなパラペットの立ち上がりがあり、大小のひし形の飾りがクール!




工場内見学の受付をしたら、土日は案内なしの自由見学とのこと。あまり時間もかけられないので
ちょうどいいや。事務所棟も内側から見れるが、やっぱり外からの方がきれいに見えるな。




見学コースは決まっているが、実際に今も仕込み中の味噌蔵の中を通ることができる。


ほの暗く、味噌の発酵したしにおいが充満した蔵の中には、巨大な桶がずらりと。壮観・・・
(蔵の内部では写真撮影禁止とのこと。これは入口の外から撮ったもの)
上を見上げれば、高い屋根裏空間に渡しめぐらされた小屋組が見事!


カクキュー見学の後めざすは岡崎公園。観光案内所とレンタサイクルがあるというので、歩いて向かう。

mayumamaさんのブログにちらっと出ていた龍城温泉が、途中にあるようなので見て行こう。
車線の道路から一本入った細い路地を歩いて見えてきたのは、、、なんと!!
すごい!!高々とそびえた煙突が煙を吐いている。うわぁ〜〜〜っ、いいなあ!


年季の入った板壁は味わいありすぎ!龍城温泉、絶対入って帰ろう。
岡崎に来てよかったなぁ〜。ここに出会えただけで今日はもう満足(笑)。


とりあえず岡崎公園へ行ってみたら、何と、レンタサイクルの受付は2時半までとかで、
今すでに3時半なので貸してもらえなかった。もし借りれていたとしても返却が4時期限とのこと。
はぁ、何て使い勝手の悪い。管理側の都合だけじゃないか。。。
ちょっと失望して、しかしあきらめがついた。今日は町巡りはやめにして、ゆっくりお風呂に入ろう。

龍城温泉のまわりは古い建物がぽつぽつ残っている。
二戸一の住宅。こういうのがたくさん建っていたのだろうか。


和田内科医院は風格のある門と手入れの行き届いた庭木が、この奥に洋館が建っていたと想像させる。


白十材木店。1号線と248号線の二つの国道が交わる八帖交差点のすぐそばの広い土の広場に
古い倉庫や作業場が建つ光景はいやおうなく目を引かれる。


龍城温泉の向かいにある志貴小児科医院。表に洋風の建物が二棟ある。


立派な門!ここで診てもらうのはかなり敷居が高いな・・・
今はもうここでは診療されていないようである。



さて、お風呂に入ろう。こんなこともあろうかとちゃんとお風呂セットは持ってきている(笑)。

続く。

龍城温泉で、沈没。

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岡崎 続き。

いざ、龍城温泉へ!




マキの木のアーチをくぐるアプローチが気分を高揚させる!!ワクワク〜〜


「龍城」というのは、岡崎城のことを言うらしい。
「ゆ」の文字の後ろに豆タイルのモザイクがあるのだが、隠れてしまっているのが残念。。。


暖簾をくぐって一歩入ると・・・おぉ〜、レトロ!
番台、木製ロッカー、丸カゴ、天井扇・・・昔ながらのスタイルをずっと守っておられるようだ。




イラストがかわいいロッカーの扉はガラス窓になっていて広告を入れる方式。ナイスアイデア!
これ、「ロッカー扉サポーター制度」として今でも取り入れられるんじゃない!?


これぞ「日本の夏」。暑いけど(笑)




おおっ、手洗い場の下にマジョリカタイルが。


浴室も全面モザイクタイル貼りだが、あまり見ないサイズ・形状のタイル使いがいっぱい!


先客のおばあちゃんが、ここの方がシャワーの調子がいいよ、と教えてくれた。
浴室の戸も開けっ放しで心地よい外からの風が入ってくる。あぁ〜極楽。。。
洗い場のタイルに寝転がって昼寝したい。。。(笑)

建物を巡った後では帰りの電車が気になってこんなゆっくりできなかっただろうな。
何とも贅沢な午後。。。

さっき私が外観の写真を撮っていたのを見ていた番台のおばちゃん、
「今お客さんいないから写真撮っていいよ」と。ありがとう〜

大正14年の建物なのだとか。悪くなったところはちょこちょこ手を入れているが、出来るだけ
この姿のまま変えないようにしているのだそうだ。うんうん、なかなかできないですよ。素晴らしい!


岡崎市内にはもう2軒しかお風呂屋は残っていないそうだ。
この古いお風呂をこのままの姿で守り続けていることに誇りを持っておられる。あぁ素敵だなぁ。

脱衣所に置いてあったイラストマップを見ながらいろいろお話して、今度はもっと早い時間に
出ておいで、レンタサイクルで2時間も走れば結構見て回れるよ、と。
ほんとに。今日もお天気の不安がなければもっと早く出たんだけれど。しかしもしそうなら
岡崎に来てなかっただろう。これも縁だな。


今回は結局カクキューしか見れてないから、リベンジに来ないと。そしてまたこの龍城温泉に入りに来よう!!

純喫茶 紫苑

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前々からずっと気になっていたお店。何度か前を通りかかった時には閉まっている様子だったり、
メニューも出ていないし内部の様子が伺い知れないので躊躇してしまっていたのだが、
今日はあちら方面で仕事をしたあと天下茶屋駅に向かって歩いていたら、久々にこのお店の前に出てきたのだ。
見ると「営業中」の札が出ている。ちょうどお昼時なので、入ってみよう。


おぉ・・・。
カーテンでぴっちり目隠しされたガラスドアから、ラウンジとかスナックのような夜の雰囲気があるのかと
想像していたが、いやいや、「純喫茶」の文字通り爽やかな店内。
野草が小さな花器に活けられ、リースのような草の実のつるが壁を飾る。


表にメニューが出ていないので軽食はやっていないかも知れないと覚悟はしていたが、
サンドイッチならできるというので頼むと、ふかふかの食パンのミックスサンドが出てきた。おいしい!


店内には電子ピアノ(エレクトーン?)が置かれていた。ママさんが弾かれるのだろうか。
聞けばもう50年ほどここで営業されてるとのこと。おそらく先代から引き継がれたのだろう。
インテリアに趣向を凝らしたり藤の木も手入れをされたりして、お店を大事にして楽しまれている様子が
伝わってくる。


静かなBGMを聞きながら、ひととき外部の喧騒を忘れ心なごむランチタイムを過ごすことができた。

南千里駅の小さな自然

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阪急南千里駅のホームに木が生えているのをご存知だろうか。

ここに。


飛び出しているのは待合室だろう。
おそらくこの木は正式に植えられたものではなく、いつしか鳥が落とした糞に混じっていた種が芽を出し
成長したものじゃないかと想像する。


南千里ももともとなだらかな千里丘陵の端で雑木林が広がっていた場所だろう。
そこにはこんな鳥たちがたくさん住んでいたに違いない。


「千里へ来る主な鳥」と書かれたこのプレートは木製の野鳥図鑑で、梅田方面行きのホームに掲げられている。
よく見ると、名前の他に「渡り鳥」「留鳥(りゅうちょう、と読むらしい。渡らない鳥のこと)」など、
そして鳴き声の書かれたものもある。
味気ないホームにちょっと異質な、温かみのある手作りのプレート。なかなかいいね!


いつ誰が作ったのか知らないが結構古そうだ。もしかしてニュータウンが開発され駅が開業した
1963(昭和38)年ごろに設置されたのだろうか?・・・さすがにそこまでは古くないかな。
少し年月が経ちまちが発展してきたころに、千里丘陵の自然を懐かしんで設置されたのだろうか。
今の千里にもこんな多種多様な野鳥が来ているだろうか。

「野鳥を守りましょう」
建て替えの進む千里ニュータウン、野鳥が暮らす自然を保って共生できればいいね。


商店街のシャッター

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豊中市役所へ行った帰り、岡町の駅前で改修中の店舗の前を通りかかったところ、
シャッターにペンキで絵を描いているおっちゃんが。

ん?横にピラッとテープで貼ってあるのは、この絵の見本だな。
なに、それを見ながらフリーハンドで直接描いてるってか??すごい職人技!
思わず立ち止まって見てしまった。


メロン、牛、スイカ、カニ、アスパラ・・・お惣菜屋か飲食店か。懐かしいタッチのイラストに
ほっこりした気分になりながら、昔はお店の看板なんかも、紙一枚見ながら手で描いていたんだなぁと、
ロゴやら商標やらの扱いにうるさい昨今と比べて大らかな時代に愛しく思いを馳せたのであった。

喫茶 NEW white

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仕事帰りにあびこ筋を北上して昭和町の駅前(駅上?)までやってきたら、
喫茶ホワイトのかわいい佇まいが目に飛び込んできた。


そうそう、ここ、何度も見てるけど素敵だなぁ。
たばこ屋か散髪屋みたいな雰囲気で、あびこ筋に面しているのが奇跡としか思えない。


壁の文字をよく見たら「white」の上に小さく「NEW」と書かれている。
十分年季が入ってますけど(笑)、2代目の建物なんだろう。
思えばまだ入ったことがなかったな。今日はお昼ゆっくりできなかったし、ちょっと入ってみよう。


ドアを開けると、、、うわぁ、昭和。誰かの家の台所におじゃましたみたいだ。
数人のお客は趣味の集まりみたいな感じでバリバリ内輪の空気感(汗)。


それでも店主のおっちゃんがにこやかに注文を聞いてくれたので、アイスミルクティーを頼むと、
「サンドは?」と。なになに?一見客の私には意味が分からないよ。
なんでも、コーヒーセットと言って、モーニングのようにトーストかサンドとゆで卵がつくのがデフォルトらしい。
これで300円って!?すごい!


すっかりおやつタイムである(笑)。


夏には各種フラッペもあるようで、また暑い盛りに涼みに来よう。
これからもあびこ筋沿いでがんばってほしいな!

北畠自治会町会

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こないだ仕事の現場へ向かって歩いていたら、横道に何かすごく古そうな住宅が見えた。何だ、あれは?


気になって帰りにまたそのあたりを通って歩いてみたら、、、うわぁ〜〜、すごい!
年季の入った下見板張りの住宅が何棟も立ち並んでいるのである。それも、道の両側に。




そして反対側の道にも。道路側に妻を並べたほぼ同形の住宅は、総二階建てのシンプルな構成。
角地の家は若干形が変わっている部分もある。




これらは明らかに戦前に建てられた建売住宅だな。前面道路はアスファルト舗装をしていない土の道で、
今どきもうほとんど見られない懐かしい風景。




「北畠自治会町会」と書かれた石碑があった。


西田辺や昭和町あたりは大学時代からなじみのある場所だったのだがここは通ったことがなかったな。
しかし、まちの姿がめまぐるしく変わっていく現代にあって、これだけの数の住宅が、ほぼ原型を
とどめた良好な状態で、しかも現役の住まいとして残っているとは、奇跡じゃないだろうか!?


阿倍野〜住吉〜住之江あたりは古い戦前の長屋、洋風長屋や高塀のある長屋や庭付きのテラスハウスなど
実にさまざまなタイプの長屋が残っている場所だが、それらも空き家が増え老朽化が進み、
どんどん解体されていっている。帝塚山あたりのお屋敷も風格ある生垣の内側はほとんどが今風の建物だ。


びんみんさんが5年前に書かれたブログ記事によると、これは大正15年に開発された大阪市営北畠住宅
であるとのこと。戦前の市営住宅はいい材料を使って堅牢に建てていたんだな。
それに町会による結束が固かったことで、道路も含め維持管理が徹底されてきたのだろう。
建て替えられた家も同じような形であり、異質感を軽減するため配慮されているように見える。


この素晴らしく貴重な景観は、エリアまるごと文化財にしてもいいんじゃないか?
・・・いや、外部からの干渉なしで、今までと同じようにこれからも、当事者の意思で維持され続けることが理想だなぁ。
(外部の人間の身勝手な理想で書いてすみません)

船旅礼讃

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オレンジフェリーで大阪南港から東予へ向けて出航。
するすると氷の上をすべるように進む船。夜風が涼しい。
あぁ、船旅はいいなぁ〜

オレンジフェリーは何回か乗っているのだが、今回驚いたことは、
フェリーターミナルの埠頭に停泊していた船が、いざ出航となったときに、
何と、まるで転車台に乗っているかのように、その場で180度転回するのだ!
両側の岸壁の間の距離はせいぜい3〜400mぐらいだろうか。その細い内港へ
頭から入ってきた船は、くるっと向きを変えて、また頭から出て行くのだ。
すごいな!!

・・・そんなことに感動しながら、さぁ、旅へ出発!

佐田岬半島の石垣、再び(1) 正野・串

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前回佐田岬半島の青石垣めぐりをしたときに、時間の制約や運転技術の不安から見に行けなかった場所へ、
連れて行ってもらう機会に恵まれた。

今回の旅は元はと言えば、八幡浜から臼杵と別府へ渡る宇和島運輸のフェリーを使って、面白い旅のルートが
組めないかと考え始めたのだった。
南予はまだ見ていない町や見たい風景もある。一方、大分方面の駅舎めぐりもしたいし別府も再訪したい。
前回の旅でちょっとだけレンタカーも使う自信がついたので、八幡浜を拠点に半日遊んでから九州へ渡ろうか。
いや、それとも佐田岬の続きを攻めて三崎から佐賀関に渡るのというのも面白いな・・・
と考えて、前回もお世話になった町見郷土館の高嶋さんに相談したところ、案内して頂けることになった。

例のごとく朝一のピーチで松山へ入り、空港から直行バスで八幡浜へ。
八幡浜駅で合流した高嶋さんの車で一気に正野まで直行。さすが慣れた運転で、三崎を過ぎ正野まで
約1時間で到着した。早っ!
海鮮のお昼ごはんを食べてから、いざ、あの写真の巨大防風石垣と対面へ。


おお・・・デカイ!
見上げる石垣は高さ5mぐらいあるだろうか。床面にも石組みがあり、防潮堤の役割も果たしていたと思われる。
長さは約100mあるとか。はぁ〜、すごいな!
ここの石垣は「野坂の石垣」と言って、水産庁の「未来へ残したい漁業・漁村の歴史文化財100選」に
選ばれており、佐田岬半島の見どころとしてインターネットでも出てくる数少ないスポットのひとつである(笑)。


開口部が1ヶ所。中は民家の敷地らしい。まぐさには大きな平たい石が使われている。




こんな巨大な石垣でも厳しい自然の前に崩れることがあったようで、ところどころ積み直した跡が見られる。
大部分は平積みなのだが、部分的にタテハになっているのだ。崩れた部分を補修するのはタテハの方が
多少角度で調整できるからうまくいくのかもしれない。


こちらの民家の石垣も素晴らしい。乱雑に積んでいるのにきれいなRになっている。高さ3m以上あるな。
コンクリートで掲示板が作られているのが面白い。


教員住宅横の石垣を見ると台形の断面がよくわかる。

教員住宅とは言っても、小学校はすでに統廃合されてなくなったといい、空き家である。もったいないなぁ。。。
この建物を建てるときに土器がたくさん出土したのだとか。こんな辺鄙と思える土地に
古代から人が住んでいたとは驚きである。
正野には古い神社もあり、いろんな地方から人が船でこの地にやって来たことがわかるのだとか。

正野から、隣接する集落を巡りながら、佐田岬の指先部分をぐるっと回って憧れの北岸線を行くことに。
メロディラインは三崎で終わっているのでくねくね山道を走る。
隣の串集落で車を停めて、家々の間の路地へ分け入っていく。


ここでもやはり暮らしは石垣に囲まれている。




ところで、件の石垣マップに「超レアな赤紫色の石」というのが載っていて、前回見れなかったその赤い石を
今回は是非とも見たいと思っていた。青石垣のように赤い石垣が見られるのか!?と思っていたのだが
そうではなく青石垣の中にポツポツと混じっているのだとかで、ちょっとガッカリしたのだけれど
どれほど赤いのか、どんな赤なのか、コケや汚れで紫っぽく見える石もあるがそれとは全く違うのか、
実物を見なければ納得できないと思っていた。

そしてこのあたりの石垣の中にあきらかに茶色い石が混じっているのを見つけた。


確かに赤くレバーのようだ。・・・しかし、赤紫色ではないなぁ。


集落の中の辻にはちょくちょく井戸が見られる。よく古い井戸は石材で井桁に組んであったりするが、
ここの井戸は丸くてコンクリート製の土管のようなものを使っているのかなと意外に思えた。


ところが、なんとこの丸い井戸の枠は石材を削り出したものだった!
「豊後石」と呼んでいるそうで、灰色の柔らかい凝灰岩のような石だ。確かに、よく見るとノミの跡が
くっきりついている。

豊後石とは、豊後(大分県)で採れる石なのであろう。井戸枠に適した石を対岸から取り寄せたのだろうか。
それとも製品として出回っていたのだろうか。

築地塀のような土の入った石垣があるなと思ったら、ここは牛を飼う部屋なのだそうだ。
石垣だと体が当たると傷つくし冷気が通って寒いからというのもあるだろう。
こんな急傾斜で狭い耕地で牛が要ったのかと不思議に思ったが、使役用でなく肉牛の子牛の飼育であったそうだ。

ネットで調べてみると、佐田岬半島では江戸時代から昭和40年頃まで牛馬の飼育がさかんであったらしく、
こういう母屋に併設された牛飼い部屋を「駄屋」と呼んだらしい。
今では牛の飼育はほぼ廃れてしまったが、このような風景から昔の産業を知るきっかけとなるのである。

続く

佐田岬半島の石垣、再び(2) 与侈・明神

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からの続き。

「与侈」と書いて「よぼこり」と読める人はほぼいないだろう(笑)。難読地名である。

ところで、山の斜面からちょろっと飛び出しているみかん山モノレール(モノラック)のしっぽを愛でる私に、
高嶋さん曰く、みかん用の索道(ロープウェイ)もありましたよ、と。今はもうほとんどなくなったが、
見たことがあるという。串から与侈に差し掛かったとき、果たして、その実物が姿を現した!!


道端に小さな箱とデリックを思わせる構造物。そこからワイヤーが崖下へ向かって伸びている。おお〜っ!
銘板には「ちぐさ索道株式会社 昭和46年9月製作」とあった。モノラックを作っている会社らしい。
伊方の方ではこういう索道を「サルギカイ」と呼んでいたそうな。奈良の十津川には人力ロープウェイ
「野猿(やえん)」というものもあるが、いずれもサルがぶら下がる姿を連想したものだな。


錆びておりもう使われなくなって久しいと見えるが、下の小屋も含めほぼ完全なセットで残っている。
これは産業遺産として残すべきではないか!?いや、是非とも残してほしい。


そこから少し走る間にいくつか同じような索道の跡が残っていたが、草に覆われていたりワイヤーが
なくなっていたりで、完全なものは少ない。

復活させられないかなぁ!

与侈の集落もひとまわり。どこの集落でも神社にはひときわ古い石垣がある。


アコウの木が溶けるように石垣と一体化していた。木が先か、石垣が先か!?


さて、いよいよ北岸地帯へ!憧れの松集落へ向かうのだ。

途中の明神地区に差し掛かったところで車が停まる。納屋の前の石垣の石を見ると、赤紫色の石がいくつかある。
おおっ、これか!確かに赤い!


うわぁ、ようやく見れた。念願の赤石。
これは「赤鉄鉱紅れん石石英片岩」というもので、青石(緑色片岩)の間に層状に挟まって出てくるらしい。
リアス式の北岸地域の崖の先端部分に露出しているのが見られるのだとか。レア〜

珍しいものが次々見れて気分も高まる〜〜。しかしなかなか松にたどり着けないなぁ(苦笑)。

「まだもう1ヶ所気になるスポットがありますよ」
おお〜っ、このかわいい石積み波止は、どうして素通りできようか!?


小さな港には誰もおらず静か。。。あぁなんて素敵な場所なんだろう。。。


緩やかにカーブした波止。天面はコンクリートが載っているが、ちょんちょんと飛び出したもやい石は
これまた青石である。ロープが無造作に巻きついていて日々使われていることが分かる。
誰に見せるでもない、純粋に使うための施設。それがこんなに美しいとは。。。


青く澄んだ水を見ていると心が洗われる。あぁ、この波止の上で日がな一日ボーっとしているのもいいなぁ。。


植物の生えたもやい石。この意図なき造形の美しさよ・・・


さてそろそろ車へ戻ろうとしたら・・・うわっ!!
さっき下りて来た道路際の石積みが、一面赤石じゃないの!!


あのレアな赤い石が、目の前にずらりと!これは思い描いていた幻の赤石垣だ!すごい〜〜〜


この石垣を積んだ人も、珍しい赤い石ばかりの石垣を作ってみたくて、わざと寄せて積んだに違いない。
しかし全部積むほどは手に入らなかったので、タテハの2列分を赤石で積み、その下の濃い色の青石との
コントラストを楽しんだのだろう。いいねぇ〜〜オシャレだねぇ〜〜


そういう目で見回すと、対岸の崖が赤く見える。気のせいかと思ったが、写真を拡大してみるとやはり
この崖は全部赤石の岩盤だ!緑色片岩に挟まれたレアな赤石の層も、このあたりはかなり幅広いと見える。
ここから採ってくれば全面赤石垣も夢じゃないな!!


続く。

佐田岬半島の石垣、再び(3) 松

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明神からの続き。

興奮の赤石垣を見たあとは、いよいよ松へ。
松では青石でできた「スベリ」と呼ばれる施設が残っているというので、前から見たいと思っていた。
例の石垣マップには載っていないのだが、ECPRという冊子に写真が載っていたのを見たのだ。
前回の石垣めぐりのきっかけは、近代建築写真展の撤収のときにこの冊子をもらって読んで、
それで俄然愛媛に行きたくなったのだった(笑)。

神崎への道のりに負けず劣らずのくねくね道を走り、松の漁港へ到着。
意外なことに今までになく人がたくさんいる。ここは釣りのメッカのようだ。

おお〜っ、これかぁ!スベリとは、船小屋へ船を滑り上げるための斜面のことである。
これもタテハというのだろうか、矢羽根状に並べて敷かれた青石は明るい青緑色だ。


水に浸かっている部分も青石の石畳が続いている。水に洗われた青石はひときわ鮮やかな色を放つ。
あぁ・・・美しいなぁ。寝転びたい衝動に駆られる・・・


たぶん一人なら靴を脱いで水に入っていただろう(笑)。


陸地に目をやれば、簡素な船小屋が数棟並んで建っている。


壁はなく屋根だけのオープンなもので、高さは低い。簡素なつくりの割にやたら柱が太いな!
海際で波風にあおられても大丈夫なように、丸太を地中深くまで打ち込んであるのだそうだ。
屋根はほとんどトタンに変わっているが、朽ちて草に埋もれかけた古い船小屋には瓦が見られた。


縦列で2艘の船を格納できるようになっている。エンジンを積んだ船が入れてあった。現役だな。
佐田岬半島でこのような船小屋が残るのももうここぐらいだといい、貴重な産業遺産である。
(現役だから遺産ではないか!?)


長く伸びた突堤の先で釣り人が何人か糸を垂れている。この突堤ももちろん青石積みなのだが、
コンクリートでがっちり固められているので味わいは薄い。


先の方へ歩いていくと、おや、横の崖が青い。緑色というより水色と言っていいような明るいブルー。きれ〜い!
スベリに使われているのもここの石だろう。青石と言っても実にいろんな色合いがあるものだ。


波に打たれて自然にボロボロと崩れていっている。不思議なことに、ミルフィーユのように積み重なった
層の方向だけでなく、層に対して垂直方向にもきれいにスッパリと割れるのだという。


山深い入江の小さな港。なんだか夢の中のような景色。。。


日暮れまでここにいたい気がしたが、そういうわけにもいかない。後ろ髪引かれながら
松の港をあとにする。。。


佐田岬の先端に立つ佐田岬灯台は、駐車場からアップダウンの山道を片道20分ぐらい歩かねばならないらしい。
今日は石垣三昧でいきましょうということで、今回もやっぱりパス(汗)。
その代わりと言っては何だが、通り道にあった見舞崎灯台を鑑賞。

佐田岬半島のいちばんの観光スポットである佐田岬灯台へ行ける日はいつか来るのだろうか(苦笑)。

続く。


佐田岬半島の石垣、再び(4) 平磯・釜木

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からの続き。

海岸線に沿って平磯集落にやって来た。ここで見られるのは大理石の白い石垣。白い石は名取でも見たが、
タテハに積まれた白石垣は初めてだ。


大理石は石灰岩が熱変性作用を受けてできる。ここの石は南予地方の内陸部で見られるカルストの
石灰岩の層と関係があるのだろうか。四国カルストはまだ行ったことがないが訪れたい場所のひとつ。


斜面に建つ家々は割合簡素な造りが多かったが、この平磯集落には立派な門構えのお屋敷がある。
これは地域の有力者の家らしい。


見事な落としづき。ほぼ垂直に差し込まれている。くさびのように、槌で叩き込むのだろうか。


石垣から石垣へと頭上を渡る水のパイプは、ゆる〜く適当な感じでくくりつけられ、なんとも自由奔放な
曲線を描いている。このパイプは結構どこでもこんな具合で、コンクリート製の掲示板の貼り付けられ具合と
通じる、適当さというか大らかさというか(笑)、チマチマ丹念に積まれた石垣とギャップが感じられて面白い。


家と家の間の細い路地は迷路のように続いている。主要な路地に最近手すりが設置されたらしい。
避難経路としてなので、景観としては無粋だが仕方ないのかなぁ。。。

だいたいの方向感覚で進んでいったら畑のあぜになり、まさかの行き止まり!?そんな逍遥もまた楽し。


あるお宅の玄関先に白い犬が鎖につながれずに座っていたので、ちょっと頭をなでてやるとえらく喜んで
いつまでもいつまでも私たちの後をついて来た。最後はまいて逃げるように集落を出たのだが(苦笑)、
外部の客が来てなでてくれることなどめったにないのだろう、うれしかったんだねぇ。


お隣の釜木では山の斜面の石垣に祠がビルトインされ、観音様が祀られている。これも石垣マップに
載っていた場所。


「あ、蛍光灯が新しくなっています」
へぇ、ちゃんと取替えたりしているんだな。


そこに至る道の脇も一面石垣で、その上に民家が建っていたりする。そしてその隙間に木が・・・
まさに自然と人間の共存(笑)。


白い玉石が水玉状に埋め込まれた釜木小学校の可愛い校門。ここもすでに廃校しているとか。寂しいなぁ。。。
統廃合された地域の子供たちはバスで三崎の小学校に通うという。毎日あのくねくね道を通学するのか。
大変だなぁ。

昔は、各集落をつなぐ船の航路があったという。それ、いいなぁ!海から各集落を巡ってみたいなぁ!

こんな細い水路へ下りるための階段が作りつけられていた。かわいい〜〜〜


しかしまぁ、どこもここも石垣だらけ。佐田岬半島は石垣でできている、と言ってもいいくらいだ(笑)。
実にいろんな用途、造形、積み方、石の色合いや質感など、いくら見ても全く飽きない。


しかもそれは単なる飾りでなく、風土に根ざし生活の必要から生まれたものである。
手近な材料を使って作られ長年維持されてきた。
人々が昔からこの地で一生懸命生きてきた、その営みがここにしかない素晴らしい景観を作り出しているのだ。




さぁ、もう日暮れも迫ってきたので北岸周遊はこの辺りまでにして、前回近くまで行きながら
見過ごしていた、大佐田の船蔵と井野浦の畑を見に行くことにする。

天気は相変わらずどんより。
それでも、前日までの予報では完全に雨だったのに、今日八幡浜に着いて以降はほとんど降っていない。
期待をこめて傘を置いて来たのがよかったのだろうか、いや、やはり日ごろの行いの賜物であろう!(笑)

続く。

池田駅前をうろつく

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阪急宝塚線の駅は、普段あまり縁がないからか、駅前をうろつくと不思議な気分になる。
駅は高架で新しく、駅前には立派な商業施設があったりするのに、そのすぐ横には古いまちなみが
静かに息づいている。

池田の駅前も、サンシティという大きな商業施設の向かいに古い市場がある。


「池田中央市場」。
中に入ってみると、平台に商品をずらりと並べた昔ながらのスタイルで、レトロであるが
結構地元のお客が入っていて、寂れているわけではないのだ。




裏口の方から出ると、古い住宅地である。


このあたりは池田室町住宅という、阪急電鉄が最初に開発した分譲住宅地である。
鉄道と住宅地をセットで作る手法は今でこそ一般的だが、その草分けであった。


古い和風住宅が前栽に半ば隠れるように並んで建っている。増築されている家もあるが
玄関の形などだいたい共通しており、中産階級をターゲットにした建売住宅の開発当時の姿を
とどめていると思われる。


前にも一度このあたりを散策したことがあるのだが、古い住宅はあまり見つけられず、
やはり震災以降結構建て替わってしまったんだなと思っていたが、いちばん駅に近いこのあたりは
歩いていなかったようだ。。。


ひょっこり出てきた、池田温泉。うおっ!
一瞬心が躍ったが、どう見てもやっていなさそう。。。すでに廃業していると見える(涙)。




隣は広い駐車場になっていて奥深いお風呂屋の建物の全景がよく見えた。・・・と、一番奥に
見えるのは・・・煙突?うわぁ、ちょん切られている〜〜〜(涙)


先端から半分ぐらいは撤去され、痛々しいぎざぎざの断面をさらしている。。。あぁ、残念。


駅から山手の方へちょっと行ったところある歴史的建造物集積地区には、元銀行などの洋風近代建築が並び
小林一三記念館などとともに観光ルートとして整備されている。

商業地と住宅地、新しい町と古い町、観光的な面と日常の暮らし、神聖なものと俗っぽいもの、
いろんな要素がせめぎ合って紙一重で隣接している、まちってそういう多様性が魅力なのだ。


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