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舞鶴の水路風景と若の湯

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18きっぷで西舞鶴へ。
以前入れなくて未練を残した若の湯日の出湯。今回はお風呂だけを目的に行ってハシゴしよう!
ただしお風呂屋は夕方からしか開かないので、ゆっくりめに行くことにして帰りは少し遅くなるな。

駅前でまたレンタサイクルを借りる。4時までちょっとまちなかをうろつくか。


前も見た八幡橋。うーん、やっぱりいいな。こういうむき出しの鉄桁の橋は
この高野川に架かる周りの橋を見てもここだけ。


昭和28年、京都府建造、舞鶴造船所製作と書かれていたが、その上が判別不能。。。飯野産業株式会社??


4時前になったので若の湯へ向かう。相変わらずの堂々の佇まいだ。しかし、ん?
4:30〜と書いてあるじゃないの。ナヌー
店の前で待っていたおばちゃんに聞いてみると、4時半にならずもうすぐ開くとのこと。んー、ほんとかな。
これだと日の出湯の方が早いかも?先にあちらに行ってみよう。


伊佐津川を渡り吉原地区へ。あぁ、こちらも相変わらず風情のある水路風景。今は満潮らしく、
民家の床ひたひたまで水面が迫っている。




「わたくしたちは入江をよごしません 吉原入江を美しくする会」という看板が橋の上に掲げられていた。
水路はややもするとゴミ溜りとなったりするものだが、ペットボトルひとつ浮いておらず、
皆さんの努力でこのように美しく保たれているのだ。


場所はうろ覚えだったが、家が雁行して建ち並ぶ細い道をゆっくり走って行くと日の出湯はすぐに見つかった。
しかし閉まっている。ここも4時半開店かぁ、、、いや、違う。土曜日定休!?ナヌー!!
昨日ネットで調べたら土曜じゃなかったのにぃ〜〜

また宿題が残った。

すごすごと戻る。。。さすがに若の湯はもう開いているだろう。

途中高野川から分かれた水路の横に住吉神社がある。この辺りは前回見ていなかったなぁ。
船溜りに面して小さなドックもあった。

おや、遊覧船が停まっている。ここが乗り場?ではないだろうな。修理のために来ているのだろう。
ここからまちなかの水路や吉原の水路など巡る船が出てればいいのになぁ〜



独特な黄色の土壁の蔵が見える。


ひたひたの細い石橋は私橋か。


さて、若の湯に戻ると暖簾が出ていてすでに自転車がたくさんとまっていた。いいね〜、いきいきしていて。
私も入ろう。


暖簾をくぐると、半間ほどの奥行で横長の空間があり、男女で正面側と横とそれぞれにドアがある。
変わっているな。


正面側のドアを開けると番台と狭い靴脱ぎ場があり、1段上った脱衣所も結構狭い。
そして男女の仕切り壁は普通なのだが、ロッカーが正面側にあるのが何とも不思議な感じ!
そう、間口の広い若の湯、浴室は脱衣所と横並びに配置されているのだ!
一瞬スーパー銭湯に来たような錯覚に陥るが、中に入るとれっきとした昔ながらのお風呂屋だ。

暖簾を入って横の方にあったドアはトイレへつながるドアと判明。玄関からと脱衣所からと
どちらからでもトイレの前へアクセスできる仕組みのようだ。へぇ〜〜

シンプルな二つの浴槽と洗い場は一般的なお風呂屋の2/3か半分ぐらいの広さしかなく、シャワー付の
カランは5ヶ所しかない。お湯に浸かっているとお客が増えてきた。
お客の年齢層は結構若く、子供を3人連れたお母さんもいて、なんとカラン待ちが発生!
一時はなんと13人ものお客が浴室の中でひしめき合う。若の湯、当分安泰だな!!



Tea room MON AMI

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西舞鶴では日の出湯とハシゴのつもりが若の湯一軒になったので、駅前にあったちょっとレトロなビルの
カフェでお茶して帰ろうかな。んー、でも20分じゃゆっくりできないなぁ。あきらめてまちを流して帰ろう。

自転車で駅へ向かいゆるゆる商店街を走っていたら、あら、かわいい喫茶店が。モナミ。
シンプルだけどひらひらのテントとガラスブロック使いが素敵。中はどうだろう。




あぁ〜、気になる。どうしよう。えいっ、入ろう。


おぉ〜〜〜っ!!
期待通り、いや、期待以上の素敵な空間が広がっていた。
お客は誰もいない。写真を撮ることを考えて一番入口に近い席に座り、オレンジジュースを頼んだ。


「あのー、とても素敵なのでお店の中の写真を撮っていいですか?」
カウンターの中のママさんにおずおずと声をかけてみると、一瞬間があってから
「あ、ええ、どうぞ。」


ママさんはあまり誰彼とおしゃべりするような感じではなかったので、嫌がられているかと思ったのだが、
実はびっくりして戸惑われていたようだ。。


「こんな古いだけで。。。」
「いえいえ、通りかかって表構えに惹かれて入ったんです。中も期待にたがわぬ素敵さですね!」
「そんなこと初めて言われました。嬉しくなります。」
「いやぁ〜ほんとに。入ってよかったです!」


聞けば、ママさんは3代目で、もう60年もここで営業されているとか。
「先先代が東京住まいをしていた人でこういう喫茶店をやろうと考えたんですね、舞鶴では一番
早いぐらいじゃないでしょうか。」
なんでも、初代、つまりご主人のおじいさんは俳優だったといい、当時のブロマイドが飾り棚に
控えめに飾ってあった。ふ〜ん、さすがにイケメンだね。


60年前というと昭和29年。日本は戦後復興から高度成長へ向かう活気あふれる時代。
東京風のおしゃれな喫茶店は賑わったことだろう。


内装は何度か変えているという話だが、最初はどんな感じだったのだろうか。
今の70年代っぽいインテリアは、落ち着いていながらとてもかわいくて私好み!
オレンジジュースもまた70年代の味だった(笑)




あぁ、もっとゆっくりしたかったが電車の時間が。。。15分ほどの滞在だけで後ろ髪引かれながらお店を出た。

「あなたの喫茶店」MON AMI。若の湯と並ぶ西舞鶴の一押し!
これからもこの地でがんばってほしいなぁ。

鳳山旧城と薛家古厝 (台湾)

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高雄続き。のんべんだらりんと続けてきたけど、これで最終。。。

高雄は空港が近いので、最終日も昼すぎまではめいっぱい遊べるのがうれしいね!
電車に乗って左営まで出、古蹟となっている鳳山旧城と薛家古厝を見に行こう。ここは、昨日李氏古宅
探し回ってくれているときに、あの兄ちゃんが「薛家なら知っている、あそこは李氏古宅よりいいよ!!」と
絶賛していたので、ちょっと遠いけど見に行かねばと思ったのだった。

左営駅で降りて坂道を上っていくと、整備された公園になっていて、観光バスから客がぞろぞろ降りて
歩いている。ん?こんなメジャーな観光地なのか?・・・と思ったら、蓮池潭という高雄の超メジャーな公園があった。
鳳山旧城はその向かいにあるこんもりした丘らしい。古い石垣が蓮池潭の方にも続いているので
そちらも元は城の一部だったのだろう。

丘は「亀山」と言い、ちょっと入って登ってみたが、丘の斜面に小さな家が並ぶだけでお城らしさはあまりない。
しかし意外と障害物を取り除いて整備されたところよりもこういうごちゃごちゃと広がる家並みこそが、
城が廃れたあと放置されていた時代なども含め、栄枯盛衰の歴史を物語る風景なのかもしれない。




これは北門(拱辰門)。近年改修されたようであるが自然な感じで美しく、周りの風景に溶け込んでいる。


珊瑚質の柔らかそうな石が使われているが、亀甲積みなのが珍しい。


高雄駅からひとつ西へ行ったところに鳳山駅という駅があり、そのあたりが高雄市鳳山区である。
何で左営にあるこの城が鳳山旧城と言うのかとちょっと不思議に思っていたのだが、反乱により陥落して
鳳山の地へ移転され、鳳山「新」城に対し旧城と呼ばれたのだとか。そういえば鳳山駅近くの古蹟も
時間があればとチェックしていたのだったが、あそこが移転先だったんだ。今回は行けなかったが。。。

他に東門、西門が残っているらしいが歩いて回るほどの時間はないので、先へ進み薛家を見に行こう。



進んでいくと、さっきまでの観光客の賑わいは消え、地元の人々の生活圏の商店が並ぶ。
薛家古厝はどこですかと人に聞いて回ると、李氏古宅と違って知名度は高く、皆親切に教えてくれるのだが、
近そうでなかなかたどり着けない。

ようやくたどりついた薛家古厝は閩南式の三合院住宅。
両脇の棟が二段構えになっており正面の主屋の奥にもいくつか建物があるようだ。中庭の床は壁と同じ
色のレンガが敷き詰められ美しい。


高雄では一番規模が大きく保存状態のいい伝統的閩南式建築だというけれど、こんな感じの民家は
ちょくちょく見たことがある気がするなぁ。。。
正直あの兄ちゃんのおすすめ具合はちょっと贔屓目すぎたんじゃないかと思った(苦笑)。


このあとmayumamaさん情報の有名なマンゴーかき氷の店へ行こうと新左営へ移動したのだが、
なんとその店は昼からしか開かないらしく・・・最後にもう一度食べて〆にするつもりだったのになぁ。
う〜ん、残念!!またピーチで食べに行こう〜〜

高雄・台東の旅 終わり。
だらだら続きましたがお付き合いありがとうございました。





2014.06.06〜09 高雄・台東 もくじ

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私は記事を必ずしも時系列で書いておらず、これまで特に目次など作っていなかったのだが
自分自身、書く時に昔の記事を参照しようと思ったらなかなか探せないので(苦笑)、
これからはまとめておくことにしよう。

高雄の倉庫街 (台湾)
鼓山の建築めぐり (台湾)
高雄中学と、屏東線風景 (台湾)
竹田駅で途中下車 (台湾)
南州駅で途中下車 (台湾)
普快車の旅、リベンジ。 (台湾)
ふたつの台東駅 (台湾)
雨の中の廃線跡探訪 (台湾)
台東の建築めぐり (台湾)
東和外科診所 (台湾)
路竹駅と橋頭駅 (台湾)
李氏古宅を見に行く (台湾)
鳳山旧城と薛家古厝 (台湾)

13回にも渡ってしまったのかぁ、長いな・・・(笑)

下山の鉄橋

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西舞鶴へは、前回は小浜線まわりで行き福知山線で帰ったのだが、大阪からだと乗り換え回数は多くても
京都経由で山陰線で行く方が時間的には早いらしい。
実は山陰線は亀岡から先綾部までの区間をこれまで乗った覚えがないので、ちょうどいい。
というわけで、八木、園部、日吉・・・初めての車窓風景を楽しむ。
ガタンガタン・・・おぉっと、鉄橋だ。すごく高い!

うわっ、これは!?
今渡っている橋の横に、古いレンガ積みの高い高い橋脚が立っている。その横にもう一本、ツタに
覆い尽くされた橋脚が。。。その向こうに集落が見える。思わず余部鉄橋と重なった。
列車は鉄橋を渡りきり、ほどなく下山駅に停車。下りよう!・・・しかし、そのあと西舞鶴へたどり着けるかな??
一瞬躊躇したが、行き違いのため○分まで停車します、とのアナウンスで次の列車を検索する余裕が生まれ、
3時半には西舞鶴にたどり着けることが分かったので、めでたく下車することに!


この地に縁もゆかりもない人間は生涯下車することなんてないだろうと思える駅で、ふらっと降りて
歩いていることが、これもまた縁だと感じる。


下山駅の駅前はいくつかの店舗が並んでいるものの大方は閉められひと気は感じられない。
理容院、美容院がなぜか4軒も並んでいるが、そのうち現役なのは1軒だけのようで、そこも
事前連絡が必要らしい。




駅は高いところにあり、坂道を下っていく途中で集落と水田が眼下に広がった。元は藁葺き屋根だったと
思われる急勾配屋根の民家もいくつか見える、静かな山里。


そして・・・来た!うわぁ、高い!!「高屋川橋りょう」と書かれている。下を流れるのが高屋川だろうが、
川を渡るというより、余部鉄橋と同様山から山へ渡る橋だ。
河原にいるおっちゃんと比べると高さが分かるだろうか。


レンガの橋脚もそびえている。おお〜〜っ、すごい光景。


橋脚は一部コンクリートや石を使ってあることが多いが、これはみごとに全部レンガ。
今の橋に架け替えられる前のもので、あと数本の橋脚があったはず。
いったいいつ作られ、いつから放置されているのだろう。検索してみたがわからない。


途中一度列車が通ったが、まわりの山に響き渡るほどのすごい音!!
これなら集落中の人が列車の到着を知るだろう(笑)。


青々した田んぼや民家とからめて撮ろうと思うのだが前に電柱や電線があるので苦労する。。。
あっちこっち、うろうろして写真を撮っていたら時間はあっという間に過ぎてしまった。


ガタンガタン・・・大きな響きをたてて福知山行きの列車がやってきた。
下山駅を出発して少し行った時、ガタンガタン・・・あっ、また鉄橋だ。そして、古いレンガの橋脚も!!
まるで鏡に写したように、下山駅を挟んで前後に同じような鉄橋と、古い橋脚があったのだ。
しかもこちらは橋脚は3本ぐらい見えた。あぁ、半分の時間はこちらを見に来ればよかったか。
いや・・・ちょっと遠いかな??機会があればこちらも訪れたい。

グンゼ村

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下山駅で下車したため1本遅らせた列車は乗り継ぎが良くなく、綾部で40分ほど待たねばならない。
前回も綾部で乗り継ぎ待ちの間に駅南側の商店街あたりをうろついたのだった。ん?アップしてなかったか(汗)
今回はグンゼの工場のある北側を歩いてみようか。

ロータリーを出て道を渡るとグンゼの研究所があり、もうその一帯はグンゼ関係の敷地らしい。
生垣の間の道路を覗き込むと・・・おや、これは社宅だな。同じ形の瓦屋根の住宅がいくつも並んでいる。


先へ進んで回り込むと、縦横に数本の道が通っており、いろんなタイプの住宅が建っている。
集会所もあり、言わばグンゼの社宅村である。




しかし一帯は柵で囲われ、業者の人が出入りし、何やら工事をしているようだ。
まだ取り壊されてはいないものの、家はほぼ空き家になっていると見え、一部は中身を放り出されて
がらんどうになっている。どうするつもりなんだろう。もしかして再生する!?・・・なんてことはないか。




工場のすぐ横に広がる社宅群。家を8時に出れば余裕で出勤できただろう(笑)。




門の横にあったこの古い建物、今写真を眺めていて気がついたのだが、もしかして浴場だったんじゃないか?
もしそうなら、今はどうなっているんだろう。入れるのかな!?入ってみたい!!


本社の建物など、立派な近代建築があるらしいのだが、時間切れで見にいけなかった。
でも、近々壊されるのかもしれない、姿を変えてしまうかもしれない社宅を見ることができて満足満足。

佐田岬半島の青石垣めぐり? 三崎

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祝・データ復活(笑)
ということで、5月に行った佐田岬半島の青石垣めぐりの記事をぼちぼちアップしていこう。

以前愛媛県の八幡浜伊予長浜などを旅したときに石組の護岸や防波堤を発見して、その美しさに見とれた「伊予青石」。
関西では和歌山のまちかどでよく見られる「紀州青石」があり、徳島で産出する「阿波青石」もある。
中央構造線に沿った三波川変成帯というひとつながりの層が、和歌山から紀伊水道を越え四国の徳島県、
愛媛県にかけて横断しているのであり、愛媛県から大分県を突き刺さんばかりに伸びている佐田岬半島は、
ほぼ青石のかたまりなのである。
このブログで告白している通り青石偏愛の私は、この青石天国に何としても行ってみたい、いや行かねばなるまい!

・・・と言うわけでピーチのセールで松山便を激安で取り、計画を練り始めたのだが、情報が少ない。。。
佐田岬といえば、九四フェリーのアクセスと、亀ヶ池温泉などわずかなスポットしか出てこず、
石垣がどの辺りで見られるのか、路線バスの停留所から歩いて石垣巡りはできるのか、
現地の道路事情はどうなのか。。。。など、私が知りたい情報はほとんど見つからない。
大阪愛媛県事務所に行ったり、伊方町役場に電話したが大した情報は得られず、町見郷土館に
石垣マップというのがあると聞き送ってもらったのだが、これも写真と集落名が書いてある程度。
仕方ない、いつものように出たとこ勝負の行き当たりばったりで行くか。


松山空港から直行バスで八幡浜へ。車でないと石垣巡りは困難ということなので覚悟を決めて
ニコニコレンタカーで車を予約しておいたのだが、行ってみるとコンパクトカーで予約したのに
プリウス(初代)しか空いていないという。そんなぁ〜、狭い集落の道を走るだろうから小さい車がいいのに〜。
料金はコンパクトでいいとか言う問題じゃないよ。第一私はセダンとかほとんど運転したことがない。
しかも、ハイブリッドなんて運転どうやるんですか??
・・・ゴネても車はない、あきらめて恐る恐る出発。。。(汗)

前置きが長くなってしまったが・・・佐田岬半島はほぼ山で、尾根に「メロディライン」という
背骨のような一本の道が通っている。訪れる予定の集落は半島の中にぱらぱら点在しているが、
とりあえずは一番遠い所である三崎集落を目指す。

海からはるか高い山の上を走ること一時間ほどで三崎に到着。5月なのにお天気が良すぎて暑い暑い!
三崎は九州佐賀関へのカーフェリーが発着する港。
尚、灯台のある「佐田岬」は三崎からさらに30分走りそこから徒歩20分とか。そっちは今回はパス。


車を停めてうろつき出すとさっそく、こんな美しい港の護岸に出会う!
水も透明できれい〜〜


上は一般に「谷積み」と呼ばれる、石を矢羽根城状に積んだ石垣。波打ち際は乱積みに見える。
こちらでは「積む」ことを「つく」(おそらく「築く」だろうか)と言うらしく、
谷積みのことを「タテハ」というそうだ。


港に面した小屋の裏にすごく高い石垣発見!うぉ〜っ。これもタテハだ。


細い路地の中に入ると、この石垣が地面から積みあがっていることが分かった。
もしかして裏の家の敷地が一段高いのかと思っていたのだがそうではなく、丸々4mはある石垣。


海からの風防として積まれたのだろう。前の民家はあとから建ったのに違いない。


強い日差しが作り出す濃い陰影。あぁ美しいなぁ〜〜


港近くの神社の石垣も美しい。


港に海産物直売所があったので入ってみた。大きなアワビやらサザエやら、伊勢海老やら、、、
うわぁ〜〜美味しそう〜〜!値段を聞いてみたら、結構安い!へぇ〜


今日は泊まるから持ち帰れないなぁ。しかも自分でさばいて調理する自信全くなし(苦笑)。
おばちゃんといろいろ話をして、テングサとワカメとくろめ塩のみ購入。。。
おみやげにきよみといういい香りのミカンをもらった。ありがとう〜

さて、次に隣接する大佐田・井野浦集落へ行ってみよう。車で海沿いを走るのは気持ちいいなぁ〜
海側だけでなく山側も石垣があったりするのでついついわき見しそうになる。。。
おっ、ちょっとストーーップ!


メロディラインを走っているときからずっと気になっていたもの、それは、みかん山モノレール!!
山の木々の間からちょろっとしっぽのように飛び出しているモノレールのレール。これがかわいくて!
しかも、それがあるのは人の手が入ったみかん畑だから、だいたい石垣も見られるのである。
石垣とモノレールのコラボレーション!!最強〜〜


石垣の階段の美しいこと!


色鮮やかな青石。紫色の帯が入っているものも。う〜ん、いいなぁ。いいなぁ。ぶつぶつ独り言を
言いながら道端に座り込んで写真を撮る(笑)。

あぁ至福・・・佐田岬に来てよかったぁ〜!

また少し走ると、おや、この建物は?学校っぽい。車を停めて覗きに行くと、三崎オリコの里 コットンという
施設のようだ。佐田岬裂織り保存会の方が手織りを実演しており、体験もできるらしい。


やはり旧大佐田小学校で、掲示板には「うがいをしよう」など子供の字で書かれた掲示物が今も貼ってあった。

昔は染織マニアだった私としては裂き織りにも興味を引かれたのだが、今回は石垣巡りの旅、まだまだ
行くところがたくさんある(汗)・・・また次の機会としよう。

続く。


佐田岬半島の青石垣めぐり? 井野浦・大佐田

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佐田岬 続き。

三崎から井野浦集落にやってきた。港沿いの道をずっと奥まで進むと民家が途切れ、その代わりに
小さな小屋がカーブした道に沿ってずらりと立ち並ぶ光景が目の前にあらわれた。おぉ〜〜、壮観!
小屋は間口が狭く奥行きが長い、うなぎの寝床状である。簡素すぎる造りから明らかに
住居ではないことはわかるが、納屋よりはちゃんとしている。
これは船倉なのだ!
伊根の舟屋のように海の上に作られるものでなく、船を陸上に上げてしまっておくガレージ。
いつもカニを食べに行く佐津でも見たな。


今はこの向かい側はムーンビーチというキャンプ場になっており、実際この小屋から船を出し入れできる
状況にはない。裏の畑のための納屋や作業場として使われているようだ。


小屋の前に、軒を隠すように石垣がめぐらされている。


海辺の石だろう、角が取れた比較的小さな石が丹念に平積みされ、モルタルなどの接着剤は
使っていないのに、どっしりと安定感がある。




あぁ、なんて美しいんだろう。。。しばらくこの前をうろうろと歩き回り石垣を愛でる。(怪しい・・)


集落の前の港では、何やら海草を広げて干している人が。ひじきかと思ったがそうではないらしい。
名前を聞いたが忘れてしまった。。。おっちゃん曰く今年は出来がよくいい値がつくのだとか。




集落内もちょっと歩いてみよう。


平地はほんの少ししかなく裏へ行くとすぐ山で、石垣もどんどん高くなってくる。


そしてみかん山モノレールの始発駅(笑)。


勾配は1000パーミル??(笑)
こんな細いレール一本ですごいなぁ。動いているところは見れていないが、人も乗るんだろうか。
興味津々。


ところで佐田岬に来てからずっと、なんか独特のにおいがするなぁと思っていたのだが、
みかんの花の香りだった。山じゅうがこの香りに包まれているのである。
こちらに住む人にとっては「ふるさとの香り」なんだろうな。


車で少し戻り、大佐田の集落へ入る。石垣マップに載っていた小さな写真の風景を探すのだ。
あった!

集落の真ん中あたり、あぜ道のような狭い小道に面して、3mはありそうな石垣がそびえ、
石垣に埋もれるようにして鳥居が立っている。

石垣の基部は幅1m以上あるだろうか。


いかにも積みやすそうな角ばった石。苔むした石垣は神社に似つかわしい。


横の方の石垣は一度崩れたのだろうか、ここから石も積み方も変わっている。
こういう斜めの積み方を「落としづき」というらしい。


段々畑ならぬ段々墓。急斜面に作られたお墓も石垣が積まれている。

ほんとに、生活のあらゆる場所に石垣があるなぁ。

続く。

佐田岬半島の青石垣めぐり? 名取

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佐田岬 続き。

さて次に名取集落へ向かおう。地図では井野浦の隣なのだが、お昼を食べた三崎の店のおばちゃんによると、
直接行くよりもメロディラインへ戻りまた山を下りる方が早いのだとか。

名取集落の中のどのあたりにマップに載っている写真の石垣があるのか・・・全く分からないので
とりあえず港へ下りてみることに。


高低差がすごい!


斜面は石垣が組まれたみかん畑。よく見ると、石垣の上に生垣が作られ、その内側に後生大事に
みかんの木が植えられている。海からの風を防ぎ、日は当たるように考えられているのだ。




くねくねした道を降りていくと、途中までは民家がありこんな白っぽい石垣が見られる。
しかし道はだんだん細くなり、両脇の草がぼうぼうとはみ出してくる。
いったい、この道は使われているのか?この先にある港は使われているのか??


ひと気のない、放棄されたような港。防波堤の横の浜は透明な水がキラキラしてる。うわぁ〜〜い!
砂浜でなく小石の浜であるが、水がことのほかきれいに見えるのは、浜辺の石が主に青石と白い大理石
から成っているからだな。


さて、港から途中まで引き返して、歩いていた人に写真を示して尋ねてみた。
「こういう石垣はどこにありますか?」
「あぁ、もう少し先の細い道を降りて行ったとこですよ、車ではちょっと行けないですねぇ」
ずっと進んでみたけどわからず、集落が途切れてしまった。


ずっと先の分かれ道まで行ってUターンし、下の方から石段を上って来たおばあちゃんに聞いてみた。
「あぁ、もっと下の方だねぇ」
う〜〜ん、下へ行くにはどこから行けばいいのか??途方にくれている私に、おばあちゃん、
「ひとりで来なすったの?」
「はい、石垣を見に来たんです。」
「へぇ、えらいねぇ」


おばあちゃんと会話して、ちょっと車を停めさせてもらって石段を降りて行くと、そこここに見事な
石垣がある。マップの写真のところだけではないのだ。
おばあちゃん、「よかったらこれ持って行き」とみかんをくれた。ありがとう〜〜




別の立派な石垣も見れたし、もうほんとにあきらめて次へ行こうかとも思ったが、代表的な石垣景観を
見ずに帰れば「名取に行って来た」と言えないなぁと思い直し、最後にもう一回人に聞いてみた。
車で出かけようとしていたおばちゃんと女の子、よそ者の私に口で説明してもわかるまいと思ったのだろう、
案内するからついてきて、と軽自動車で走り出した。私が何度もうろうろしていたのに走っていなかった道。
キツネにつままれたような思いでついて走り、車を停めて歩いていくと、、、おぉ、ここだ!!
ありがとう〜〜〜なんて親切なんだろう。
石垣の中に水神様をまつった祠が埋まっているような感じ。下は水が湧いていたようだ。


ここは少し前までは後ろに家が建っていて、この石垣は正しくは「垣」でなく家の一部であったらしい
のだが、老朽化しすぎて取り壊されたのだとか。そこには大量の廃材が積まれたままだった。


ぐるりの石垣は残っている。お城の石垣か防波堤かというほど反り返ったつくりで、しかも私の背よりも高い。
コンクリートで目地を詰めてもおらず、雑然と積んでいっただけに見えるのに、よく崩れないなぁと感心する。
時々こんなぴょこんと飛び出した石もあり、変化がついて楽しい。


付近をうろうろすると、ため息の出るような石垣風景がいっぱい!
石のひとつひとつを見ても味わい深い色や質感。石垣全体を見てもまた調和していて美しい。
そして海、空、坂道、民家、周りのすべてが石垣をさらに魅力的に見せる。
あぁ、なんて素晴らしい佐田岬!!車で来てよかったぁ〜




こちらは岡の川と呼ばれる水源。今も生活用水として使われているのだとか。


この急勾配の土地で、溜り水は大事にされてきたに違いない。

あぁ、あきらめなくてほんとによかった。。。

続く。

岸和田の近代建築

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ちょっと前に仕事で岸和田に。

岸和田はこれまで何度も行ったことがあり、駅前の近代建築やレトロな商店街や路地、岸和田城下やだんじりも
見たことがあったが、まだ見るべきところはあった。
かじやまちは紀州街道に面しており、まちなみとしてはこちらがメジャーのようだ(苦笑)。

渡辺節設計の旧和泉銀行本店、昭和8年築。アーチやメダリオンなどの古典的な装飾があるがタイル張り、
全体のフォルムはすっきりシンプルでモダニズムへの過渡期っぽい雰囲気をまとっている。


かじやまち事務所として使われている岸和田中央会館は元岸和田貯蓄銀行。上の旧和泉銀行本店と
半円アーチや腰張り、パラペット部のボーダーなどが似ているのは、同じくらいの年代だから自然とそうなったのか。
それともどちらかがまねたのか?


こちらはスクラッチタイル貼り。


洋館ばかりでなく商家も並ぶ。モルタル塗りの蔵は質屋だったんだろうか。


成協信用組合岸和田支店は旧四十三銀行。
ゴテゴテとにぎやかな装飾とレンガ色は上二つの洋館よりもずっと古いことを物語る。
1919(大正8)年の建築当時のまま今も現役で使われているというのはすごい!

銀行や商店が立ち並ぶ紀州街道沿いは、岸和田の商業の中心だったのだ。

砲弾のような風変わりな飾りが乗った欄干橋。これはどういういわれがあるのだろう。

佐田岬半島の青石垣めぐり? 神崎

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佐田岬 続き。

名取からメロディラインに戻り、「神崎」と書かれた分かれ道の表示を目にしたとき、
半ば衝動的に曲がってしまった。「かんざき」と思っていたが「じんのさき」と読むらしい。
佐田岬半島の北側は地図で見ても海岸線が深く切れ込み、険しい地形が想像できる。
その細く突き出た岬の先端にある集落に行こうなどとなぜ考えたのか。今にして思えば、
気の迷いとしか言いようがない(苦笑)。


いきなりこの写真であるが、ここに来るまでの道のりはほんとに命からがらだったのだ。。。。
途中までは時々現れるみかん山モノレールなど愛でながらまぁ機嫌よく走っていたのだが、
途中からの道と言ったら・・・どんどん道幅が狭くなり、車のわだちもほとんどなく、落ち葉が
吹き溜まっている。崖のきわだがガードレールもなく、もちろん対向車をかわすスペースも
ないくねくね道が延々続くのだ。。。しかもプリウスで。。。写真を撮る余裕なんて全くない。
恐ろしくなって諦めて帰ろうかと思ってもUターンもできず。。。集落に出てきたときは
心から「助かった」と思った(汗)。


伊方町神崎。港へ降りると、美しい青石積みの護岸。うわぁ〜美しいなぁ!




青石だが海水に浸食されたような質感。


港に突き出た波止の先端まで歩いていく。風が強くて吹き飛ばされそうで結構怖いが、向かいにある
総石積みの波止の裏側を見たかったのだ。


石積みの護岸や波止はあちこちで見られるのだが、ほとんどは一部がコンクリートで固められている。
実はこれも港の内側は一部コンクリートになっている。しかしてっぺんと外側は純石積みで、
こちら側から見ると全くオリジナルに見えた。

後から聞いたところによると、岬の反対側の港に完全オリジナルの石積み波止が残っているのだとか。
しかしそれこそ死と隣り合わせのような道を通らねばたどり着けないのだろう。
先に分かっていたとしても一人で行く自信はないな(汗)。

こんな険しいところにある神崎集落であるが意外にも集落は結構大きく、港のすぐそばにも民家がある。
このとき人の姿は見当たらなかったが、名取の港よりもずっと人の気配、生活のにおいがある。


ここに住んでいたらどこへ行くにも車よりも船の方が便利だろう。


ここまでの道のりの苦労も忘れ、暮らしに息づいた青石垣の美しさにこみ上げる感動。。。


もやい柱も青石。いいねぇ〜


さて、再びオソロシイ道を引き返し(いったいどこをどう通って戻ったのか分からないのだが・・・)、
どうにかこうにかメロディラインに戻ることができた。。

今夜の宿のある塩成集落へ向かう。(写真は翌朝のもの)


続く。

立花の住宅

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立花駅の北側を地図で見ると、放射状に道路が伸び台形の街割りになっていて田園調布を思わせるのだが、
実際のまちは商店街やスーパーやパチンコ屋などが住宅と混在した庶民的な町である。
商店街には喫茶樫の木などレトロなお店も多い。

しかしちょっとその辺をうろついてみると古い住宅もあった。


平屋建ての落ち着いた佇まいのお宅。石張りの柱が山荘風でいいなぁ。ラチスの格子も雰囲気がある。




こちらも平屋建ての板張りの民家。玄関は側面にあり、樹木のアーチをくぐるアプローチが素敵!


実は隣のお宅はここと同じ形なのだが、真ん中でスッパリと切られて半分が3階建てに建て替えられている。
もともと二戸一だったのだろうか。同じ形の住宅がいくつか並んで建てられていたに違いないが
この2軒の他にはもう全く見当たらなかった。


駅の南側も、一応放射状になっていたらしいが、震災後の再開発で分かりにくくなったようだ。
立花駅前の区画整理について分かりやすく書かれたサイトを見つけた。→こちら

千里南地区センタービルの跡地

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久々に阪急南千里駅へ行った。
3年ほど前に仕事で通っていた時期があって、駅からの道すがらに通り抜けていた、千里南地区センタービル
水平に広がるファサードや足下のやはず張りのタイルが気に入っていたが、駅前再開発のため解体されると
いう話が当時からニュースになっていた。

今日ホームに降り立ってみると、、、ない。あの建物はすでに消えていた。


基礎のコンクリートがわずかに残り、重機がガーガー動いている。ぽっかり空いた敷地の片隅には、
分別された鉄筋やらパイプやらが積み上げられていた。


あぁ。

昭和30年代から開発された千里ニュータウン各地の団地も建て替えが進み、若い世代にも人気らしいが、
地区のシンボルでもあっただろう村野藤吾建築が、ひっそりと姿を消したのは寂しいことだ。

駅西側のスターハウスはまだ何とか健在である。

佐田岬半島の青石垣めぐり(5) 塩成、三机

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佐田岬 続き。

神崎から戻り、向かった今夜の宿は塩成集落にある民宿。行程上、佐田岬半島の中央あたりで
泊まりたいと思っていて、メロディラインからあまり夜道を長いこと走らず済むところで、石垣があれば尚よし。
塩成は石垣マップにも載っていたし、ぴったりだ!
しかし海水浴をするでもない中途半端なシーズン。町見郷土館から送ってもらった宿情報の資料から
良さげなところに電話してみるも、出ない、今はやってない、など。
「たからや」さんも、おばあちゃんが電話に出て、体調崩してからはあんまりお客を泊めてないんだと。。。
しかし、お部屋だけなら用意できます、と言っていただけたので、お願いした。

メロディラインから九十九折の下り坂を走り塩成集落に到着したのは夕方6時前。集落内に
何か食べるところぐらいはあるだろうと思っていたら、何もない。。。メロディライン沿いの
喫茶店へうどんを食べに再び車で上る(苦笑)。
その代わり朝食は用意して頂いて、とれたてのしらすをどんぶりいっぱい出してくれて、
ごはんより多いぐらい山盛り乗っけてとき卵をかけてしらす丼にして食べた。おいしい〜〜

このたからやさん、泊めて頂いたお部屋は床の間にケース入りの人形やら造花やら本やら置いてあって
ほんとにおばあちゃんちに泊まりに来ているような気がした(笑)。

翌朝は8時前に宿を出て港の方へ走ってみる。宿のあった集落内ではあまり石垣を見かけなかったのだ。


こじんまりした港。ここも数軒の民家の裏へ行けばもう切り立った崖。
水路沿いに美しい石垣が見られた。


古い板張りの民家と、こちらもかなり古そうな石垣のくすんだ色あいに、蕗の葉の緑色が鮮やか!


畑と民家の間の道をちょっと入ってみよう。


うわぁ、これは飛び出した岩盤を取り込むように積まれた石垣だ。
道を通すところだけ岩盤を砕いて撤去し、崩れた石を周りに積んだように見える。
表面に板を当てながら積んだかのように、表面が平らに仕上がっているのが不思議。


おぉ、なんて美しい階段なんだろう。。。これは机上で設計できるものではなく、
現場合わせの妙と言うしかない。いったいどういう人が積んだのだろうか。

手前の畑には境界石代わりに立てられた石が。



港に面した崖面は、段々畑でもなくお墓でもない。ただ裏山へ上るジグザグの道があるのみ。
これが一面コンクリートだとしたら、どれほどつまらないか・・・いや、この地方以外だと
ほぼ100%コンクリートであろう。こんな景観はここにしかない。




塩成港から戻る途中の海辺には、テトラポッドと混じって大きな青石の塊がゴロゴロと転がっていた。



さて、塩成からメロディラインの下をくぐるとほどなく半島の北岸へ出る。
このあたりは道も広くすいすい走れる(笑)。そして三机集落に到着!
しかし例によって目当ての石垣のありかは分からず、三机湾に面した海沿いの道を奥まで行ってみるが
行き止まりで、注連縄の張られた青石が立っている。神社かと思ったら、須賀公園という
レジャースポットらしく、キャンプ場もあるそうな。へええー

三机湾は天然の砂嘴に囲まれたラグーン状になっていて、海面はプールのように静か。小魚の楽園だ。

集落の方へ引き返して一本内側の道を走り、さらに内側の道に入り込むと・・・
おおっ、高い石垣と素敵な階段が。よしよし、いい感じ!近づいてきたな〜〜
・・・ところが・・・

道は集落の中へ入るほどに狭くなり、両側をこすらないかと気が気でない。何せ、プリウスである(泣)。
途中で、もうこれ以上進めなくなった。。。
民家の小さな空き地に逃げ込んだものの、車1台分くらいのスペースで、道路も車幅ぎりぎりしかなく、
隣の家の壁にぶつかりそうになりながら20回ぐらい切り返して、ほうほうのていで抜け出した!!
ったく・・・ニコニコレンタカーのやつぅ〜〜〜(恨)

もと来た道をそろそろと戻りつつふと横を見ると、、、あっ、あれだ!!


小道の奥に見えたのは、丘を背に立つお寺の石垣。すごく高い!長養寺と書かれている。


うわぉ〜〜〜見事な石垣!階段がお寺の正面からずれていて斜めに取り付いているのが面白い。
階段はコンクリートになっているが、側面から見ると石積みでできていることがわかる。
塀がレンガなのも面白いな。


部分によって平積みやおとしづきや乱れづきなどいろんな積み方が混ざっていて、規則性はなさそう。
なんだか、本能のままに積み上げた、という感じ。それにしても、これらの石垣は石積み専門職人が積むのだろうか。
いや、これだけ広い地域でこれだけ日常風景として大量の石垣があることを考えれば、わざわざ専門の
石工を呼んで来るのではなく、住民が自らの手で積んでいたと思えるのだがどうだろうか。
この地方の人々は皆昔から日常的に石積みを作ったり補修したりしていて、ガーデニング感覚で
実はプロと言えるほどの凄腕を持っているのかもしれないな。

井戸の周りにも青石が使われている。

細いところにはまりこんでしまったおかげで、目当ての石垣を見つけることができたという幸運。
ニコニコレンタカーさまさまだったか!?(笑)

続く。

守口のまちなみと標柱

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春ごろから仕事で通っていた守口の現場は駅から遠かったのだが、京阪の滝井から歩いたり土居から歩いたり
守口市から歩いたりしていたが、結構古いまちなみがあって行き帰りの道のりを楽しめた。




お風呂屋も多く、かなりの高密度である。少なくとも4軒は見た。すべて現役なのだから、
今もそれだけ需要があるということ、すごいな。




古い商店なども残っている。


長屋や路地ばかりでなく立派なお屋敷も。




ここも大きいな。地主だろうか、地元の名士なんだろうか。




・・・と、ふとガレージを覗き込んだら・・・おや、あれは何?


「出入橋」と書かれた標柱が建っている。もしかして、これは大阪市電の??それとも市バスの?
遠目だが古びていて本物っぽい。しかしなんでこんなところに?
払い下げ、またはオークションで落札されたのだろうか。


守口市内の民家の庭にひっそりと残されていたとは。。。懐かしい人に出会ったようなほっこりした気分で
そこを離れ、角の信号で立ち止まり同じ家の庭をふと見やると、あれっ、ここにもあるじゃないの!
二つも落札されてたのか〜。さてはまだあるんじゃないか??

見回してみたけどさすがに3つ目は見つからなかった。(笑)

大垣市役所のモザイク

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久々に少し遠方の仕事があり大垣へ。

以前大垣駅前の工場跡地の住宅開発が進んでいることを書いたが、その当時残っていた高い煙突と
変電所のような建物
はすでに影も形もなく、商業施設の建設が進んでいる。

大垣市役所は大垣城の裏の方にあり駅から少し離れている。
典型的な昭和の役所という建物で、好きなタイプだ(笑)。


エントランスのタイルがきれい!宇宙、又は海を思わせる複雑で深い色合いと質感。



両脇の壁に配されたアラベスクのような五角形の窓もいいね〜
「大」の字を図案化した、大垣市の市章である。


そして中に入ると、、、おぉ、二階まで吹き抜けた高い天井。ホールの中央にある階段は途中の踊り場で
左右ふたてに分かれ二階の回廊へとつながる。堂々たる近代建築の役所にいるような気分だ。
階段の踊り場に面する正面の壁は、巨大なモザイク壁画で飾られている。

落ち着いた色合い、絵本の世界のような風景のモザイクに惹かれ、階段を上ってみた。

おぉっ。これは御影石や大理石などのかけらで作られたモザイクだ。さすが矢橋大理石のお膝元だな!

5cm角程度の石のかけらがザクザクと並べられ、よく見るとところどころ鮮やかな青や赤や銀色の
ガラスのテッセラが嵌り、スパイスとなっている。

受付のお姉ちゃんに、あのモザイクは有名な方の作品ですか?と聞いてみた。
時々尋ねられることがあるのか、お姉ちゃんはすぐに答えてくれた。
「矢橋六郎さんという岐阜県出身の洋画家の方の作品です。」
ほぅ、矢橋。矢橋ってあの大理石の矢橋と関係ある人ですか?
お姉ちゃん、そこまでは即答できなかったが、タブレットでサクッと検索してくれ、岐阜県庁にも作品が
あるそうですよ、と。へぇ、行く機会があれば見てみよう。


帰ってからゆっくり検索してみると、やはり矢橋六郎氏は矢橋大理石の創業者の息子で、
芸術の道を進みながらも家の事業にも関わっていたという。
大理石のクズなど捨てるほどあっただろうから、彼が石を芸術表現に用いるようになったのは自然である。
地元出身の芸術家の作品が市役所の一番目につく場所の壁を飾っているのは、郷土愛が育まれそうでいいね!

矢橋六郎氏の経歴の説明や芸術的評価が、ある画廊のサイトに載っていた。→こちら

岐阜県庁のほかにも、岐阜県や愛知県内をはじめ全国のビルに矢橋六郎氏のモザイク壁画作品があるらしい。
これからは気をつけて見てみよう。

佐田岬半島の青石垣めぐり(6) 加周、九町

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佐田岬 続き。

三机を後にして次に目指すのは、亀ヶ池温泉、ではなく、同じ加周の集落にあるという石垣。
池のまわりの集落をぐるりと車で回ってみたが見当たらない。小さな集落なのにおかしいなぁ。
もう一度回ってきて、人に聞こうかと車を道の端に寄せたら、、、あった、あれだ!
グラウンド越しに高さ4〜5mはあろうかという石垣が見えていた。


伊方町立二見小学校。
地図を見ると、ひと山向こうに「二見本浦」という地名があり、二見集会所というのもある。
二見というのはこのあたり広く指す地名で加周というのが字であろうか。
とにかく、門が開いていたので中へ入り、職員室に声をかけようとしたのだが、土曜日だからか
閉まっていて誰もいない。


クラブ活動の子供たちの元気な声と先生の叱咤激励の声が聞こえてくる体育館を横目に、
ちょっとグラウンドへ入らせてもらおう。もし誰かに呼び止められたらこの石垣マップを見せようっと。。。
・・・しかし、すごいな。。。


このチマチマと積み上げられた石垣の美しいこと!!
亀ヶ池はもともと海とつながっていたと想像できるが、ちょうど池と海を隔てる堰堤状の部分に
二見小学校は位置しており、海からの強い風を防ぐためのにこの巨大な石垣が作られたようだ。
この石垣に守られ、子供たちはグラウンドで安心して走り回れるのだ。


この石垣の足元にベンチがひとつある。そのベンチはグラウンドではなく石垣の方を向いている。
ということは、石垣をゆっくりと愛でるために据えられたベンチだな。気が利いている(笑)。


石垣ビューのベンチでゆっくりしたかったのだが、時間があまりない。
ここから海沿いを走りひと山越えたところに、町見郷土館がある。
石垣マップや宿の資料を送って頂いて電話でも少し問い合わせしたので、お礼を兼ねてちょっと行って
みようと思っていたのだ。地域の地理や歴史、産業などの興味深い展示があるかもしれない。

町見郷土館は旧町見中学校の校舎を利用した資料館(建築的にはどうということもない)。
訪問すると、学芸員の高嶋さんが慌てて館内の照明を点けてくれた(笑)。館内を一回りしたが石垣の資料は
壁に貼られた地質図とマップ作りの時の石垣調査の写真ぐらいだった。もっとゆっくり展示を見れば
急勾配の土地に住む人々の暮らしぶりについて理解を深めることができただろうが、何せ、あまり時間がない(汗)。
高嶋さんは石垣の専門家ではないそうだが、いろいろお話して質問もできた(もう石垣めぐりの旅も
終わりがけではあったが・・・次回の参考に)。ありがとうございました。

さて、もう直行しないと無理かな・・・と思いながら車を走らせていると、おや、あれは何だ?
ツタに覆い尽くされているが、洋館のように見える。


車を止めて見に行くと、ガラスは割れ廃墟と化しているが大理石の銘板に「○○○○院」の文字が見える。
医院だな。へぇ、こんなところにも、モダンな洋館の医院があったのか。
ツタを取り払えば、立派な姿が見られることだろう。(こんな感じ?それともこんな感じ?)


そこから1分ぐらい走ったとき、またスト〜ップ!


うわぁ・・・美しい。
バス通りに面した民家の石垣。これも落としづきの一種だろうか、青石が2個ずつリズミカルに斜めに
積まれていて、籠目というか、織物のような趣をかもし出しているのだ。


緑色のグラデーション。


近所のおばあちゃんに声をかけられた。どうもこの家の娘か何かと思われたようだ。
ちょっと会話すると、前はこの生垣はもっとうっそうと茂っていたのだが、家を建て替えたときに
さっぱりと切ってしまわれたのだとか。確かにこの石垣の風格からすれば、木立の間に古いお屋敷が見え隠れ
しそうなものだが、あらわになっている家は立派ではあるが割と新しいハウスメーカーの建物に見える。


この石垣と門だけ古いまま変わらず残っているそうだ。アプローチの石段も魅力的〜〜


おばあちゃんにさっきの医院建築についても聞いてみたら、確か、何か教えてくれたのだが
メモも取っておらず、時間が経ちすぎて忘れてしまった・・・(汗汗)

しかし、どこへ行っても皆親切でほんとうれしいなぁ。

続く。

大垣のまちなかの建物たち

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大垣には、美濃赤坂線西濃鉄道養老鉄道樽見鉄道など多くの鉄道が集まっており、また
昼飯線廃線跡住友大阪セメント岐阜工場専用線跡や、墨俣のまちなど、これまで何度も訪れている。
大垣駅南側エリアも何度か、北側も一度歩いているが、大垣城の西側や南側は歩いたことがなかった。
大垣城をぐるっと囲むように水門川が流れているが、これは堀の役割をしていたのだろう。市役所も城内にあり、
そこへ行く途中のまちは古い建物がいろいろあって楽しい。

この辺りには小さな工場などが立地している。今も川べりで枡を作っている「ますや」さん。
マンションの横に何やら機械が置いてあって不思議な風景。




これはチーズケーキプリンセスというお菓子屋さん。古い洋館っぽい建物と思ったら、
もともと洋裁学校だった建物なのだとか。


美しく整備された船だまりの近くに廃工場があったり・・・




こんな花街っぽい建物も。


「きくのや」さんだろうか、手すりに透かし文字が。もちろん今は普通の住宅だろう。


その並びにはこんな建物も。今は向こう半分がデリ(お惣菜屋さん)になっているようだが、
気になって近づいてみると、「大垣ドレスメーカー学院」の文字が。


ドレスメーカー学院は、1926(大正15)年創立のアパレル専門学校。各地に系列校があるようで、
いろんなまちでこういう戦後の古い建物で残っている「ドレメ」をちょくちょく目にする。
しかし大垣の系列校は今はもうなくなったようだ。


さっきのチーズケーキ屋さんももと洋裁学校だったし、やはり文化も商業もお城の周りに
集まったんだろうな。

老朽化と言って簡単につぶさず記憶を残したままこうやって使い続けられているのはうれしいなぁ。

喫茶・食堂 ニュー大橋。時間があればこういう地元系の喫茶店にも入りたかったのだが。


ひときわ立派なお屋敷があった。


きれいに揃った石垣が素敵。表札を見ると「矢橋」とあった。


割烹旅館、菊水。風格のある外観。泊まれるのだろうか??




検索してみたら、予約サイトで出てきた。素泊まりならすごく安く泊まれるようだ。へぇ〜〜
でも割烹旅館で素泊まりなんて、顰蹙かなぁ?(苦笑)


近年あちこちの都市で駅前エリアの再開発が進むが、ここはまだ昭和レトロが健在。ほっとする。。。


あぁ、大垣は見所がたくさんあって楽しい町だなぁ!

夕暮れの東大垣駅

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市役所から駅に戻ってきたらちょうど5時、仕事終了!
平日なので帰りが遅くなるのは嫌だけど、大垣でひとつだけ寄り道したいところがあった。
樽見鉄道の東大垣駅。以前、樽見鉄道に乗りに来たときに時間切れで訪問できず心残りだったのだ。
大垣からひと駅なのでお手頃だ。うまい具合にもうすぐ出発する列車が停まっている。ラッキ〜

きっぷを買って、帰宅する高校生たちと共に車内へ。列車はまもなく出発したが、もしかして
間違ってJRに乗ってしまったかと思うぐらい、いつまでたってもJRから離れない樽見鉄道。
ようやく独り立ち(笑)したと思ったら、東大垣駅到着である。

おぉ・・・・視界の開けた築堤上にホームと小さな上屋がポツンと。あぁ、やっと降り立つことができた。


大垣から乗ってきた気動車を見送り、行き違いの大垣行きの運転士さんに「乗らない」アピールを(笑)。




ホームの景色を独り占めでゆっくり堪能したら、構内踏切を渡って駅舎の方へ行こう。


駅舎はプレハブのような簡素な箱型。窓口は閉ざされ無人である。


下車したはいいが、上下線ともさっき見送ったので、次の列車は1時間15分後(汗)。
大垣まで歩くには遠すぎるしバスもない。ここでそんなに長時間過ごせるかなぁと不安半分。


駅を出て、ホームから見えたJRの築堤のトンネルを見に行こう。
夕暮れの空をバックに佇むホームの上屋。いいねぇ・・・


あぁ、あった。ん?これはねじりまんぼだな。築堤に対してトンネルが斜めに通っているのだ。


腰の高さまでは平積みしてあり、その上だけがねじれている。


この構造美。ため息がでる。。。


写真を撮っていると自転車に乗った犬連れのおっちゃんが立ち止まり、これは古いよ、明治29年に
できたんや、と教えてくれた。先に長浜から大垣まで開通し、そのあと岐阜から大垣まで開通したのだと。
(岐阜〜大垣開通は明治20年らしいので、トンネルの建設も実際はもう少し早いと思われるが・・・)
そして、向こうにもレンガのトンネルがあるよ、鉄橋も古いよ、と教えてくれたので行ってみることに。


あぁ、これか。石とレンガを併用したトンネルで、さっきのねじりまんぼよりも径は大きい。
こちらは築堤に対して垂直に通っており、ねじれていない。


そしてその次にあったのは双子のトンネル。ひとつは水路用、ひとつは道路である。
このあたりまで来ると築堤はかなりの高さになっている。揖斐川の堤防を越えるためだ。


続く。


佐田岬半島の青石垣めぐり(7) 保内

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佐田岬 続き。

九町から車を飛ばし、11時半ギリギリで保内のSSへたどり着いた。八幡浜で借りたレンタカーを
保内で乗り捨てにしたのは、ここでは近代建築めぐりをする予定なので、その間レンタカー代や
駐車場代が加算されるのはもったいないから。帰りはバスに乗る予定。
さて無事車を返却して身軽になったのはいいけど、ひとつ問題が。昨日から3ヶ所でお土産に頂いたミカンたち、
大小10個ぐらいある(苦笑)。重いけど預けるところもなく、持ち歩くしかないな。。。(汗)


ここ保内町にもやっぱり青石がある。宮内川沿いのタテハの美しい護岸は、八幡浜の千丈川
見たのと同じだが、こちらの方が広い範囲で残っている。


河口に近い方では、川沿いに建つ家ごとに直接川へアクセスできるような構造など、
オリジナルの状態がよく残っており、昔ながらの雰囲気が感じられる。


排水口の石積みも崩れにくくするため逆台形の開口となっている。なんと美しい。。。



河口まで来ると浅瀬にてんてんと人がいて、土を引っ掻いている。潮干狩りのようだ。
なんの貝が採れるんだろう、シジミかな?

まちなかを歩いてもいろんなところに使われた青石にいちいち目を引きつけられる。。




古くくすんだ板壁と青石は鉄板コンビ。


何気ない塀も青石だとこんなに素敵。これがコンクリートブロックだったら・・・?


単なる敷地の仕切りではなく、もうこれ自体がメインと言ってもいい!


集落の裏手はすぐ山で、石積みやみかん山モノレールも見られる。


石積みが坂道を美しく飾り、引き込まれるような魅惑の景観を作り出している。




畑へ至る小道の美しいこと!!


今、私の目を楽しませてくれるこれらの石垣や石積みの構造物は、すべて現役で使われているもの。
用の美、と言うか、必要なものだからこそ、長年の間ちょこちょこメンテナンスされてきたのに違いない。
廃墟になればすぐに荒れてしまうだろう。人の営みのそばでこそ、美しく維持されるのだ。
石垣も生きている!


さて、青石垣めぐりはこれで終わり(長すぎ・・・?苦笑)。
このあともまだ旅は続く。。。
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