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Channel: まちかど逍遥
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鴫野湯

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土曜日の夕方、大阪城公園駅で下車し、ホールのイベント帰りの人波に逆らうように駅を出、北へ向かった。
鴫野湯へ行くのだ。
去年の秋菊水温泉へ向かう途中に見つけてから、行こう行こうと思っていたのでようやくである。

第二寝屋川を渡ってすぐの低いガードをくぐる。
もうずいぶん前、ここに初めて来た時は、橋のたもとに「鐘」という名の喫茶店があったのを
覚えているが、今はもうなかった。このガードは玉造筋を歩いていても見過ごしてしまいそうなほど
ひっそりと影に隠れて存在していたが、今ではアッケラカンと青天の下にさらされ
アスファルト舗装されてしまい、当時のゾクゾクするような雰囲気はなくなっていた。


7年前の記事を見て、このガードは城東線の古い形を残した珍しいものだと、当時Sさんという人が
興奮気味に語っていたのを思い出す。
ここは、上り線と下り線に加え、一番外側に森ノ宮の車両基地への引込み線の計3本の
ガードがあり、引込み線が一番低く近い気がする。
ちょうどオレンジ色の200系の回送列車がやってきた。迫力がある!!


さてここから5分ぐらい歩いた細い路地の奥に鴫野湯はある。しかし路地を覗き込んでも見えない。


敷地の少し奥まったところに立派な建物がデンと控えている。左右対称で中央に煙突。
ほほぉ〜、惚れ惚れするねぇ!!


牛乳石鹸の暖簾は染め抜きで風格があるな!


内部はちょくちょく改修されながら使い続けられているようで、それほど古い感じはなく
昭和レトロな雰囲気。


男女の仕切りやついたてなどは元からのものと見える。それに浴室の壁は白色のストレートエッジの
古いタイルだ。浴室の天井などはきれいに貼りかえられ清潔で気持ちいい。
お湯に浸かってのんびり〜〜


帰りはJR環状線をくぐりまっすぐ地下鉄鶴見緑地線の大阪ビジネスパーク駅へ。
ここへも10分程度と結構近い。

OBPのビジネス街からそれほど離れていないところにこんな鴫野湯があるなんて貴重!
ビジネスマンの方、仕事帰りにひと風呂どうです?

普快車の旅、リベンジ。

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台湾続き

※今回写真がかなり多いですがご容赦を。。。

枋寮からは、2年前にも乗った南廻り線の普快列車の旅。
せっかくの車窓風景が悪天候のために、海は灰色だし薄暗くてシャッタースピードは遅くなるし、
途中で窓を閉めざるを得なくなるし。。。存分に楽しめなかった。でも今回はいいお天気!!


前回始発の枋寮で団体さんが1両ほぼ貸切状態で乗っていたので、今回も混んでいるかなと思っていたけど
心配は杞憂で、どこでも好きなところに座れた。






さぁ出発!


乗客のうち鉄チャン比率はかなり高い。特に最後部は熱心な方々が常に張り付き(苦笑)。


果樹園の中に林立する小さなおうちは、すべてお墓。沖縄にあるのと同じような亀甲墓も見える。


加祿駅で停車。広い貨物ヤードには貨車が停まっている。
しかし前回も今回も、貨物列車と行き違ったことはなかったなぁ。。。


さて、内獅から先が南廻り線の醍醐味!海岸の絶景と轟音のトンネルが交互にやってくる。
おお!海、海!!あの島影は小琉球だろうか。







この枋山から古荘までの山岳路線は、80%ぐらい?はトンネル内だろう。
中央山脈の真下を走っているんだなぁ。。。


さっきまで見えていた海の景色はしばらくおあずけ。代わりに山あいを蛇行する川とトンネルが
次々入れかわる。川といっても今は水がほとんど見えず、場所によっては河川敷が果樹園に
なっているところもある。
深い谷が長年の間に上流から押し流されてきた土砂で徐々に埋まっていったことが見て取れる。

山間はやっぱり天候が不安定な感じ。。。

オレンジ色の機関車のおしりが客車内から見えていたので、一番前まで歩いていこう。




大らかでいいねぇ〜〜!これぞ鉄道の旅、世界の車窓からを見ているようだ。


長い長いトンネルを抜けて、ようやく人里へ戻ってきた。
山岳区間では、もしトンネルが落盤して生き埋めになっても救助はまず来れないだろうな・・・
という一抹の不安が心のどこかにあるのだが、古荘まで来ればひと安心(笑)。


大武を過ぎると再び海岸の絶景に出会える。さっき見た海よりももっと雄大。どこまでもどこまでも
続く波打ち際。「ビーチ」という響きは何となくそぐわない。


前回は雨でどんよりした海だったが、今回は快晴と言わないまでも南国らしい青い海!!
並行して走る道路にはところどころ展望スペースが設けてあり、車で行けばこのパノラマの
中に身を置けるのだ。ちょっとうらやましい。。。



しかし、海辺の砂浜の中に高架道路を作っている区間がある。そんなとこに作ったら
列車の車窓はどうなるのよ〜〜!?

金崙駅でまたしばらく停車。こういう待ち時間がちょくちょくあり、自強号なら枋寮から
台東まで1時間半だが、普快車だと2時間15分ほどかかる。
・・・その時間差が、楽しさの差なんである!!




乗客は皆ここぞとばかりにホームへ飛び出し、好き好きに写真を撮って楽しむ。


おお〜っ、行き違いに青い機関車がやってきた!


列車の旅は続く。海の中に仕掛けられた追い込み漁のような網が見える。


ちょっと曇ってきたなぁ。。。山の上はすっぽりと雲?もや?に覆われている。
天気予報では完全雨マークだったから仕方ないが・・・これでもよくもっている方だ。
しかしドカっと降った雨によって山岳路線で土砂崩れなど起きないかなぁ。。。心配。


いよいよ台東の市街地が遠目に見えてきた。台東駅は郊外にあり市街地から離れている。
そして私は見逃さなかった!これは旧台東駅へと伸びていた線路の廃線跡の築堤だ!
よし、あとで見に行こう。


高雄からちょろちょろ遊びながら約6時間の長い鉄道旅もついに終わり、終着駅台東に到着。
ホームは改修中のようで、駅名標も見当たらず味気ない。。。上野駅のような重厚な頭端駅に
すべり込みたいなぁ〜〜


続く。

長居公園のハス

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友達とその子供と共に自然史博物館へ。長居公園では今ちょうど蓮が見ごろ!!
たくさんの人が池の周りに集まって、望遠レンズを花に向けていた。


花びらの先にポッと紅をさした蓮の花は、何て可憐で美しいんだろう。。。




アジサイ園にはまだ花が残っていた。藤森神社では2週間前の時点ですでに盛りを過ぎていたのに、
こちらは日陰になっているからかな。
藤森神社と違って、ここは園芸種もたくさんあり、色も形もほんとにいろいろ、多様な品種がある。




自然なお庭の侘び寂びはないけど華やかでにぎやかなガーデン。また違った魅力を楽しんだ。



ふたつの台東駅 (台湾)

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台湾続き

台東は以前南廻線で花蓮に行ったときに、列車の乗り換え待ちの間にちょろっと改札を出たので、
駅前の様子は知っていた。がらーんとだだっ広くて「まち」のイメージが全然なかったっけ。


現在の台東「新」駅ができる以前、もっと海寄りのまちなかに駅があった。
というか、駅が港近くに作られ、駅を中心にしてまちが栄えたのだろう。
現在台湾をぐるりと一周している台鉄の路線で一番最後に開通したのが険しい山越え区間である
南廻り線であり、それまで台東は東海岸沿いを走る台東線の終着駅だったのだ。
南廻り線の部分開通時に郊外に設置されていた卑南駅が「台東新駅」となり、全通と共に「旧」駅は廃止された。



南廻り線の普快列車の旅を終え到着した台東駅からタクシーで走ること約15分、
お店がひしめき活気溢れるまちなかの宿にチェックイン。タッチ&ゴーで外へ!
宿の自転車を借りてゆるゆると走り出すと、ビルが途切れ青々とした広場が現れた。ここが旧台東駅。
この「台東鉄道芸術村」はガイドブックにも載っているぐらいで、台東の数少ない観光スポットとなっている。


しかし、一般的にイメージする観光スポットという雰囲気ではない。
広々としたヤード跡は全く手つかずのように見え、レールがまだそのまま残っている。うわぁ・・・


あれは転車台だ。今でも回せそう。


あれは官舎なのだろうか。


カーブしながら奥へ続くレール。おや、これは三角線だ。


南廻り線が全通したのが1991年と言うと平成に入っているのだから意外な気がするが、
それでももう20年以上経つ。
ところがこの台東駅跡に佇むと、まるでそれが去年あたりのことのような感覚にとらわれる。


ホーム、広いヤード、機関庫、、、駅舎こそないものの、すべてが時を止めたようである。
保存されているわけじゃないが、打ち捨てられている、というのでもない。


なんだか、「待っている」と言う表現がしっくりくる。
郊外に去ってしまった駅が、いつの日かまた戻って来るんじゃないか、いつでも戻って来れるように
そのままさわらず置いている、という感じなのだ。


台湾では今年1月、2007年に廃止された深澳線という路線が復活した。イベント運行などでなく
交通機関として復活したのが画期的。日本でも昨年広島の可部線の廃線区間の一部復活について
JR西日本と広島市が合意し話題になった。敷地を売り払わず路盤を維持していればこういうことも
あり得るんだ、と希望の光が見えたものだ。台鉄はそれを日本より先に実現している。




台東旧駅もいつの日にか再び列車がホームに滑り込んでくるのを夢見て、今は静かに待っている。




すでに撤去されてしまった駅舎跡で、この時なにやら工事が行われていた。
もしかして駅舎を復元するんだろうか?また何か驚くようなことをやってくれるのだろう。
高雄港駅のようにどんどんよくなっていく、それは疑わない。今後もまた楽しみである。


ポツリポツリと地元の人が訪れては佇んだり、おしゃべりしたり、、、
旧台東駅は今も台東のまちのシンボルであり、台東市民の憩いの場なのである。


続く。

雨の中の廃線跡探訪 (台湾)

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台湾続き

旧台東駅のことは、ガイドブックにも載っているぐらいで以前から知っていたが、廃線跡のことは
今どうなっているのか知らなかった。
今回出発前に台東の古蹟などをネットで調べていて、橋や駅跡が残っているらしいことを知ったのだった。

旧台東駅の端から道路を渡ると、緑に覆われた細い道が先へと伸びていた。
あぁ、ここも高雄と同じく、サイクリングロード兼遊歩道になっているのか!行ってみよう〜


鬱蒼とした木々の中を自転車で走る。
やはり道路は暑いからだろう、結構人が歩いている。
向かいから歩いて来る人や自転車もいるが、譲り合いながらこの涼しい緑陰をシェアしているようだ。
ゆるやかなカーブ。




何度か車道に出て信号待ち。昔は車が待つ方だったんだろうな。建物の裏手をしばらく走っているうちに、
工場やプラントやタンクなどが見えはじめ、郊外に出てきたことを感じる。


線路が増えて少し開けてきた。あ、これが駅跡だな。工場への引き込み線の痕跡も見える。


馬蘭駅。台東駅と同じく、ホームの駅名標もそのまま、時が止まったような佇まいである。


駅舎の建物は観光施設に生まれ変わったらしいが、あんまりパッとしないな。。。
これからに期待しよう。


南廻り線列車で東海岸へ抜けてから、山あいにかかる不穏な雲が気になっていたが、ついに雨が降ってきた!
しかしこういうこともあろうかと、ちゃーんと折り畳み傘を持って来たのだ!前進あるのみ!

傘を片手に、滑らないよう細心の注意を払いながら自転車を漕ぐ。雨はだんだん本格的になり、
車進入防止用の柵をすり抜けるたびズボンが濡れる。。。
おや、あれは機関車?広い敷地の奥に倉庫らしきものも見える。車両基地跡か?帰りに見てみよう。

ちょくちょく止まって写真を撮っている時間を差し引いてももう30分以上走っている。
そろそろかな、と思った頃、橋が現れた!越える川は水は少ないが河川敷は結構幅が広い。
川の向こうに現在の台鉄路線の築堤が見えた。


そして、、、ウッドデッキのサイクリングロードは終わり。この先レールは薮の中へ消えてしまった。




少し手前に下へ逃げる道があったので下って行くと、ガードをくぐってさっき車窓から見た
分岐部の間に出られた。とは言っても剣先は畑になっているので、両方の線路をきれいに見渡すことは
できなかったが。。。



それでも根元まで遡れて満足満足!

続く。

洋食 喫茶 市川

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堺駅近くでランチを探している時、フェニックス通りの向こう側にこのお店を見つけた。
遠くからでもよく見える青いテント。


よくある古い食堂かなと思ったが、ちょっと気になって通りを渡ってみた。


おぉっ、腰壁に変わったタイルが。インクをこぼしてしまったようなタイル。


・・・しかしちょっと気持ち悪い(苦笑)


レトロなショーケースはくすんでおり、やってないのかと思うが灯りもついているし
日替りメニューも出ている。650円?安いな、入ろ(笑)。


食堂のような雰囲気だが壁は合成皮革のクッション状、照明もちょっとおしゃれ。
近畿大学門前のキッチンカロリーに似た雰囲気だ。


ポークカツとオムレツの日替りランチを頼んだら、ステンレスのお皿に乗ってきた。やはり洋食屋だ。
そしておいしかった。


青いテントには「食事 喫茶」と書いてあるが、箸袋には「南海本線堺駅前 洋食 喫茶」の達筆文字。


お客は先客一人だけで他は誰も来なかったが、意外とお手頃なランチの少ない堺駅前で、
よく効いた冷房と静かで落ち着ける空間は、お昼の休憩処として重宝しそうだな!

生駒のアーケード

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最近仕事で通っている生駒。
お昼を食べようと商店街に入り、キョロキョロしていたら、ちょっと逸れた横道が、
なんかただならぬ雰囲気。。。


木造の小屋組をあらわにしたアーケード。何、この私的な空気感。。。


アーケードに覆われた建物のうち、1件は店舗なのだがその他は完全に住居然としている。
2階の窓の手摺など見るとかなり古そうだ。

ここだけ江戸時代に、、、いやそれは言い過ぎか(汗)、戦前の街並みの映画のセットのよう。

その1軒の店舗は「堀内栄養食研究社」という、オリジナルのだしの素などを製造している会社らしく
ショーケースの中にはいろんな商品が置いてある。


このレトロ感というか素朴さに惹かれ、買ってみたい衝動に駆られたが、大袋ばかりだったため
やめておいた。

それにしても商店街でもないこの道路にこんな木造のアーケード、何かいわくがありそうだなぁ。

ジャワ

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今日は用事で阪神尼崎に行ってきて、帰りに気になっていたお店を見に行こうと寄り道を。。。

去年の冬友人のAさんと工場写真展と東高洲橋を見に行ったあとに駅近くの商店街をうろついて、この店を見つけたのだが
もう夕方遅かったので閉まっていた。
ごちゃごちゃとした歓楽街の一角。夜ならあまり近づきたくないようなエリアだが昼間なら大丈夫。
日曜日はお休みかなと思いながら行ってみると営業されていた。


お昼ごはんは食べたところだからお茶で。しかし珈琲屋さんだから紅茶は気まずいかなぁ・・・
と一瞬躊躇した私の目に飛び込んできた「コーヒーフラッペ」の文字。おっ、これにしよう!


ドアを開けたら・・・濃厚な空間が。おぉ〜〜渋い!


厨房側の壁はタイル、フロアの壁は石貼りだ。石は年月を経ていい色合いになっている。
ステンドグラスもあちらこちらに。うわぁ、なんて素敵なんだろう。入ってよかった!




コーヒーフラッペが到着。コーヒーを凍らせたという氷に練乳がたっぷりかかっている。
ひと口食べたら・・・う〜ん、おいしい〜〜


「素敵なお店ですね!もうだいぶ長いことされているんですか?」
「もう57年になります。コーヒー1杯50円の時代からやってるんですよ」
「二階もあるんですか?」
「ありますよ、よかったらどうぞ。」ママさん、わざわざ電気を点けてくれた。




うぉぉ〜〜!
壁は全面タイル貼り。1階よりもたくさんのステンドグラスがある。
それほど古くはなさそうだが、今のものではないな。
聞けば、30年ほど前に裏から火事をもらって二階は柱を残して焼け落ちてしまったそうで、
それを復旧したときのものだとか。


復旧にあたってどのようにするかと考えあぐね、参考にと北野の異人館を見に行ったときに
ステンドグラス教室をやっているのを見て、その先生にお願いしたのだとか。


両側に男の子と女の子、朝と夜とそれぞれ対応するデザインになっていて、ストーリーが
あるのだという。


メルヘンチックでありながら子供っぽくない、素敵なデザイン。色合いも美しい。




ジャワという名からだろう、入口ドアのレリーフガラスはインドネシアの伝統芸能の人形がモチーフに
なっている。


「お客さんからもらったもので」とスイカを出して下さった。皮の薄い金福スイカという品種だとか。
みずみずしくておいしかった!


一人お客さんがおられたものの店内をじっくり見せて頂き写真も撮ることができた。
「また寄って下さいね」と笑顔で見送って下さった親切なママさんに感謝!!


今度来る時は看板メニューのカレーを食べよう〜〜っと。




台東の建築めぐり (台湾)

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台湾続き

廃線跡サイクリングの帰りはもう知った道。しかし雨はまだ降っている。傘を持つ腕と肩が疲れた。。。。

さっきの車両基地跡のような所に差し掛かったら、自転車の休憩所みたいなことが書いてある。入っていいの?


怒られはしないかと半信半疑のまま、ゆるゆると場内へ入ると、、、うわぁ、すごい!
「萬富倉庫」と書かれた建物の一角にかわいい機関車が置かれていた。。


場内を横断するレールが残り、貨車が展示されている。


奥には工場と倉庫、事務所、ホッパーもある。




ここは台糖の工場だったらしい。橋頭のようなさとうきび列車が各地から集まってくるような感じはなく、
最終製品を袋詰めしたり検査する場所だったのではと想像する。


お店があるらしかったが、雨もひどいし時間もないので中には入らず、景色だけ楽しむ。
しかし帰ってから調べてみるとなかなか雰囲気のいいカフェだったようで、雨にも関わらず
おしゃれなカップルが車で乗り付けていたわけだ。


車道に面した方がおもてであり、ここもまた観光スポットして整備しつつあるようだ。


台湾では古い工場や鉄道が文字通り「遺産」と考えられ、宝石の原石を磨くように
大事に扱われ活かされていると感じる。


台東のまちなかに戻ってきた。わずかな情報を手がかりにして、台東のまちめぐりをする。

旅に出る前にネットで調べていたが、台東は台湾の他のまちよりも、日本統治時代の建築や遺物が
少ない気がする。台湾島は東側に峻険な山脈が切り立ち西側に平野が広がった形状をしている。
中央山脈によって地理的に隔離された東海岸地域は、昔から外部の干渉を受けにくかったのだろう。
日本による統治も難航したようで、その分開発も遅れたのに違いない。

しばらく北東方面へ走ると見えてきた、宝町芸文中心。


ここは日治時代の木造家屋が建ち並ぶエリアで、花蓮宜蘭などと同じようにそのうちの何軒かを
きれいに改修(建て直し)して観光施設として活用しているのだ。
一番大きな家は市長の住居だったようだ。


このエリアの家は全体的に庭がゆったりしており、元は日本人の役人が住んでいたのだろう。
改修されておらずそのままの建物も数軒あり、かなり老朽化しているが、若い人が何かの
拠点として使っているらしいところもあった。




このあと宿のある中心部へ向かいながら自転車でフラフラとまちを見て行く。
ちょっと洋風な中華会館台東分社。


ところで台東旧駅から先、線路は港の方まで伸びていたと見え、道路がカーブを描いている。
沿線は鐡花街という名の街であり、この近くにも宝町と同じような木造家屋が残るエリアが何ヶ所かあった。


鐡花街の歩道にあったレールのオブジェ。


海老蒸し餃子を食べ、山盛りのフルーツが並ぶ夜市を楽しみ、ワンタン麺で夜ごはん。


雨の中半日自転車をこぎ、歩き、傘をさし続け、全身疲れてマッサージを受けたいと探し回ったのだが、
マッサージ屋が全くない!観光客向けの街じゃないからだろうか。1軒ぐらいあってもいいのに〜〜
仕方なく宿で湯船にお湯をはり、だら〜〜っと脱力。ふぅ〜

翌日の天候が気になってテレビをつけても、リアルタイムの情報が全く入らず、やきもき。。。

続く。

東和外科診所 (台湾)

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台湾続き

昨日台東駅からはバスがなくタクシーで来たのだが、200元もかかったので、昨夜バスターミナルで
帰りのバスの時間をちゃんと見ておいた。それまで近くをうろつくことにする。


まずは宿の近くにある台東市中央市場へ行ってみよう。
やっぱり朝は活気があるな! 新鮮な肉や魚、野菜、それに乾物、加工食品、惣菜、雑貨・・・
何でも売っていて歩くだけでワクワクする。


このカラフルなのはお菓子ではなくかまぼこのような練り物。


おや、これは・・・(笑)


コンドミニアム滞在なら、活きのいいエビや珍しい野菜など買ってみるんだけどなぁ。。。


次に台東唯一と言っていいかもしれない洋風建築、東和外科。(この他に洋館があったなら教えてほしい!)
交差点の一角を大きく切り込んだ大面積のファサード。


真っ白に塗られた壁、円盤状の大きな車寄せや中央の円筒形の塔、パラペットのラインがとてもモダン。
白亜の洋館は清潔を象徴しいかにも病院らしいが、実は元は「太和戲院」という映画館だったようだ。
戦後の1952年に地元の豪商が建て、1985年から東和外科診所となったのだとか。


ふらっと入ってみようかと思ったが、朝っぱらから来院者は多くロビーの長椅子にたくさんの人が
待っているのが見えたので自粛しておいた。内部は改修されていそうだ。


さて台東とお別れ。帰りは自強号で、昨日見た風景をおさらいしながら、ビュンと高雄まで。



そして・・・ちょっと高雄を通り越して、駅舎を見に行こう。

続く。

佐田岬半島、旅の顛末。

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5月に愛媛の佐田岬半島へ1泊2日で旅してきた。石垣を見る旅である。
愛媛は何度か行っているのだが、車の運転に自信のない私にとって鉄道から離れた場所は
なかなか行きづらい場所であった。
しかし例によってピーチのセールで松山便が安く取れたことを機に、憧れの佐田岬行を計画したのだった。

実は金曜の夜出発の便を取るつもりが間違えて金曜の早朝便を取ってしまい(汗)・・・有給を取るハメに。
6月に台湾に行くからそれまで目立たないでおくつもりだったのに。
まぁしかし丸二日旅できたので結果的にはよかったのだが。

・・・そんなことはどうでもいい。
意を決して八幡浜で借りたレンタカーを恐る恐る運転して、半島を縦横無尽に(?)走り回り、
思う存分石垣を見れてとても充実した旅だった・・・のだが、
2日目の午後、半島から八幡浜へ戻ってきて車を返し、保内地区の建築めぐりをしていた時のこと。
カメラのモニターに「カードを入れ直して下さい」というメッセージが出て、その後SDカードが
全く認識しなくなってしまったのだ。ええっ!?データ書き込み中に電源を切ってしまったせいか。
急遽近くの電気屋で替えのSDカードを買い、抜いたカードは帰ってPCにつなげば大丈夫と信じて
旅を続けたのであるが、、、これが全くダメだったのである(大泣)。
傷心のあまりこれまでブログで佐田岬の「さ」の字も書けなかった。。。

データ復旧サービスに出したら数万円かかるとか。。。この旅自体、合計費用2万円チョイなのに〜〜
復旧にお金をかけるくらいならもう一度行こうかと本気で考えたりしたが、また運転することを考えると
ゾッとするので。。。踏み切れず今まで放置していた。
しかし時が過ぎて記憶もあいまいになってしまったら、あの旅は丸々なかったことになってしまいそう。。。
それはさすがに悔しい、と、清水の舞台から飛び降りるつもりで復旧サービスに出すことにしたのだ。

2万円+税であっという間に復旧。思い出は金なり。。。

・・・ということで、やーーーっと青石垣の旅の記事に着手できる(苦笑)。
私自身の記憶がクラッシュしないうちに書かねば!

といいながら、明日からちょっと旅に出てきます。帰ってからボチボチと。台湾も終わらせないと〜〜

珈琲館 非酔

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大阪駅前第3ビルでお昼を食べようとうろうろしていた時、渋い看板が目に入った。珈琲館 非酔。
店内を覗くと、おぉ、いい感じの純喫茶。ふらふらっと入ってみた。


こちら側とあちら側の通路から入れる構造でカウンター席のみ。
席に座っても誰からも声がかからない。見ると端の席でおばちゃんがコックリコックリ。。。
常連らしきおっちゃんと目が合ってクスッと。


何度目かの「すみません」の声に、やっとおばちゃん起きてくれた(苦笑)。
ピラフを頼んだら、10分くらいかかりますけどいいですか?と。はい、いいです。
出てきたピラフは冷凍だけど香ばしく炒められていておいしかった。
おばちゃん曰く、うち電子レンジがないからね、フライパンで炒めるから時間がかかるんよ、と。


レトロで素敵ですね。
いやもう古くて。そろそろ改装しようかと思ってるんやけど。
ビルが建った時からやっておられるんですか?
そうよー。もうすぐ40年になるんよ。ずっとやってるとこはうちとあといくつかだけやわ。
ほとんど入れ替わってしもたからね〜

大阪駅前第3ビルは1979(昭和54)年築。へぇ、3ビルって結構新しいんだなぁ(笑)。
確かに、2019年で築40年になる。


おばちゃん、目が覚めて饒舌になり、いろいろおしゃべりしてくれて、気がついたら
この後のアポイントの時間に遅れそうに・・・やばっ!
ありがとう、また来てね、と見送ってくれた。ありがとう〜〜また来ます〜〜

雨の河西橋

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7月の最初の週末のこと、午後から南海電車で和歌山方面へ。雨がポツポツ降り出す中なぜ遠出したのかと言うと、
春にチケット屋で買って使わないまま持っていた南海の株主乗車券が、7月10日で期限切れになるから(苦笑)。
距離関係なく1回分の乗車券なので、遠くまで行く方がお得なのだ。

一応目星はつけていた。
先日ひょんなことから、2007年に和歌山を訪問した時の自分の記事を引っ張り出して読んでいたら、
北島橋の南側にかかる河西橋が加太軽便鉄道の紀ノ川橋梁を廃線後に人道橋に転用したものであることを
後から知って、また行こう思っていたことを思い出したのだ。

というわけで和歌山市駅にやってきた。線路沿いに歩いて、JRと南海のダブル踏切を渡る。
和歌山市駅は南海の駅にJRが乗り入れている形となっている。南海の和歌山市駅は難波駅と双璧の
ターミナルであるのに比べ、端のホームを間借りするJRはいかにもローカル線である。


和歌山市駅到着間際に車窓から見えたレンガ倉庫を見に行くと、その手前に和歌山競輪場が。
こんな駅からすぐのところに競輪場ねぇ。もちろん今日は開催日。警備員が角ごとに立っている。


倉庫の前に1.7mの低いガードが。驚いたことに、ここを車も通っている!


ガードを抜けたところに踏切があるな。ここからJRは川の手前で曲がり和歌山駅へ向かい、
南海線は紀ノ川を渡るために坂道を上るのだ。


さらに進んで行くと、おお、素敵なトンネルが!ここにもちゃんと警備員さんがいる。
水路かと思うほど小さな径のアーチのトンネルで、上から木の枝が覆いかぶさりいい雰囲気!


さっきのガードより低く高さ1.6mぐらいだろうか。警備員のおっちゃんに聞くと、さすがに車は
通れないそうだがバイクは通っていた。歩いて行くと中にセンサーが設置され出口で回転灯が回っていた。
しかし夜は怖いなあ。。。

反対側は30cmほど高いようだ。

そこからさらに進むと紀ノ川の堤防に出た。ここはちょうど南海電鉄紀ノ川橋梁を間近で見られる
スポットなのだが、踏切の幅は狭い上に交互通行で交通量はそこそこあるので、長いこと立ち止まっていられない。


上りと下りの橋桁が別の橋脚に載っており、上りの方が古そう。前にも書いたが、上り線(下流側)は
明治36年のアメリカ製ピントラス、下り線(上流側)は大正11年の曲弦ワーレントラスだ。
トラスがあるのは和歌山寄りの3連のみ。下から見上げようと思ったのだが、橋の下へ下りる道は
閉鎖されており、土手の草むらを下りるのも雨の中なのでやめておく。


下流側からアクセスできるかなと行ってみたが、水際は水上バイクや釣り船などの拠点になっているようで
占拠状態のため近寄れなかった。


土手道を歩いて北島橋を過ぎると、細い橋が見えてきた。


おぉ、これか。川の流れに対して斜めから入り、しばらくカーブを描いて軌道修正してから垂直に渡っている。


美しい橋脚。レンガは使われておらず石造りで、上流側の水切りは今もピンピンだ。
付近には根こそぎ流されたらしい大きな流木が転がっており、台風や集中豪雨の際は恐ろしい様相と
なるのだろう。一部の橋脚は傾いており、中央部がコンクリート橋脚になっている。


しかし・・・へろへろ!1914(大正3)年に架けられたので今年でちょうど100年か!!


実はここに向かいながらスマホで検索していると、この河西橋の架け替え予定のニュース記事を見つけた。
もう工事が始まっているのかと一瞬ドキッとしたが、去年設計業務の入札をしたところで、
新橋の供用開始は平成35年を目指すとか。まだまだだ。ほっ。
河西橋は車は通行できないが、自転車やバイクは通れる。結構大きなバイクも走っており、通行量は結構多い。
確かにこのへろへろ具合だと、ちょっと心もとないな。。。


淀川小橋と同じように、河西小橋(勝手に命名)があった。

合併により南海加太線となったこの路線がジェーン台風の被害を受けての廃線後、紀ノ川橋梁を撤去せず
転用したのは素晴らしい。そして風や暴水にさらされながら100年もの間、両岸の地域をつないできたのだ。
あっぱれなことである。

加古川駅前風景

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先日来、仕事でちょくちょく通っている加古川。
市役所に行った帰りに、古い街並みが見えたので横道を入ってみると、おぉ、とてもいい感じの水路風景が。




さらさら流れる水が涼しげ。


竜山石の基礎をもつ古い町家とレンガの工場が味わい深い。




お地蔵さんがあったり、この筋だけ違う時代の空気が漂っている。




工場の裏には真新しいスーパーがあり、恐らくはここも工場の敷地だったのだろうと想像する。
塀の上から工場を覗くと、なかなか素敵なタイル貼りのエントランスが見えた。


以前駅の南西側をちょろっと歩いたことがあり、「じけまち」と呼ばれるそのエリアにも
古い街並みや水路が見られ、かき小屋の名残のような店などもあって、今の広々した駅前ロータリーとは
全く異質な風景に胸ときめいたものだ。
こちらの一角も、思えばじけまちエリアから続く旧道の延長であり、駅前道路の開発で分断される前は
連続したまちだったのに違いない。

路竹駅と橋頭駅 (台湾)

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もうだいぶ経ってしまっているが・・・台湾続き

台東から自強号で高雄に戻り、そのまま高鉄(新幹線)の乗換駅である新左営も過ぎ、路竹駅にやってきた。
駅舎を見るためである。


構内は結構広く、駅舎と反対側には屋根の落ちた古い倉庫が。。。


南国の強い日差しや雨を避けるための深いひさし。
路竹駅は南州駅のようなコンクリート駅舎だが、入口と出口が別になったつくりは竹田駅などの木造駅舎とほぼ同じ。
ちょうどこれらの中間の時代に作られたのだろうと想像する。


改札にはICカードリーダも備え付けられていた。


意外と多くの人が乗降し賑やかだ。待合室の中は天井が高くとても開放感がある。


四角いフォルム、白い壁や等間隔に並んだ円柱もモダンだが、窓枠の木部が温かみを添える。素敵だなぁ〜
必要にして十分、ひとつの理想的な駅舎モデルじゃないかと思う。


鉄道好きカップル(?)が長いこと記念写真を撮っていてなかなかどいてくれなかったので(苦笑)
付近を一周して屋台で買ったからあげをつまみながら戻って来ると、撮影も終わっていた(笑)。




路竹から少し戻り、橋頭へやってきた。


ここはもう新しい橋上駅に変わってしまっているのだが、古い木造駅舎も大事に残されているのだ。
橋上の通路から下を見下ろすと、低い寄棟の屋根が見えた。


おぉ、駅前広場に面して素敵な古い駅舎がそのままの姿で建っている。
路竹駅と似ているが若干小さい。しかし路竹駅にはなかったかわいい丸窓も見え、アシンメトリー
ながらも絶妙なバランス。


この時は閉ざされていたが時々は開けるのだろうか。ガラス窓から内部を覗いてみるときれいな
状態で保たれていた。


横の方へ回ってみたがここからホームへは入れなさそうだ。
上に改札口があるので待合室として使われることはないのだろうが、やっぱり地上駅舎は駅の顔だなぁ!


ここからMRTの橋頭糖廠駅まで歩く。散策ルートとなっているようで、案内板があった。


1kmあまりの距離だが中国風の赤瓦の古い民家や、ちょっと洋風意匠の民家、立派な廟などもある。




「旧戯園」?ホールのようなものだったんだろうか。


さて、MRT橋頭糖廠駅からぴゅーっと高雄の宿へ戻り、mayumamaさんと再び合流。。。

続く。

李家古宅を見に行く (台湾)

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台湾続き

橋頭からいったん宿に戻り、mayumamaさんが前金天主堂を見に行っている間に私は高雄市立歴史博物館へ行く。
以前来たときは時間がなくゆっくり内部を見れなかったし、高雄の歴史についての展示を見たかったのだ。
MRTの駅を出ると、うわぁ、急に大雨が降ってきた!mayumamaさん、大丈夫かなぁ。。。
小走りで行ってみると、あらら、ちょうど外壁の改修工事中で、緑色の素敵な建物はシートに覆われている。
でも展示はやっているようだ。入場料を払おうと窓口へ行くと・・・えっ、タダなの?太っ腹〜


1992年まで高雄市政府であった建物はとても美しい。円柱の並ぶエントランスホールの中央に
シンボリックな階段、見上げれば吹き抜けの高い天井。親柱のレリーフも素晴らしい。




展示室を順に見ていく。
多数展示された昔の写真には、港湾工事や造船、鉄道敷設、水道管の敷設工事など近代化真っ只中の
高雄のまちの様子や、人々の暮らしがいきいきと映し出されていた。
完成直後と見える台湾煉瓦工場打狗工場のあの特徴的な2本の煙突が写っている写真もあった。
これはあそこだろうか、これはあの辺だろうか、と興味津々に見ていると時間がなくなってきた。


別の部屋では、二・二八事件についての詳しい展示もある。
二・二八事件は、第二次世界大戦後日本が台湾から撤退したあと、中国大陸からやって来た中国国民党(外省人)と、
旧来の台湾人(本省人)との間で起こった大規模な抗争。台湾全土に広がり、ここ高雄市政府も悲劇の舞台となった。
膨大な犠牲者を出した二・二八事件が武力鎮圧された後も40年間もの間戒厳令が敷かれ、今の自由な台湾に
なったのは、本省人である李登輝氏が直接選挙で総統に選ばれてからの、つい20年ほど前のことという。

民主化が進んで平和な現在の日々においても、台湾の人々はこの事件のことを決して忘れておらず
心の根底に息づいているのだと、展示を見て思った。

さて、そろそろ行かなければ。MRTの駅でレンタサイクルを借り、mayumamaさんと落ち合って
市定古蹟である李氏古宅を見に行こう。
まだ走ったことがなかった、高雄港の貨物線廃線跡サイクリングロードの西半分。こちらは民家の裏を抜ける
地味なコースで、観光客もほとんど走っていないが、車がビュンビュン走る道路から離れて安全に
サイクリングできるのは実用的にもありがたい。




台東のサイクリングロードでは現路線からの分岐点ぎりぎりまで行けたが、ここでは少し手前で
行き止まりになっており、分岐部分が今どうなっているのか確認することはできなかった。。


ここから車道へ出、山麓のセメント工場の廃墟などを見ながら延々北上。
遠くに煉瓦工場の2本の煙突が見えた。


ネットで見つけた大まかな位置図をもとに探し回ったが見つからない。人に聞いても、メジャーでないので
よく分からないようだ。廟の前で尋ねたミニバイクの兄ちゃんが、ついてこいと先導してくれたが
やはり分からない。あちらこちらでいろんな人に尋ね回ってくれ、悪いのでもういいですと言っても
もう意地になって探してくれて、ついに見つかった!!


地図に印をつけていた場所とは全く違っており、しかも入り組んだ住宅街。これは私たちだけでは
到底見つけられなかっただろう。ほんとにほんとにありがとう!!
恩を売るでもなく、片手をちょいと上げて涼しい顔で去っていった兄ちゃん。あぁ台湾の人は
なんて親切なんだろう〜〜


塀越しに見える立派な洋風意匠の李氏古宅に興奮しながら近づいていくと、庭に放された犬が
恐ろしい形相で吠えまくる〜〜〜かみ殺されそう〜〜〜
女性が出てきたので、建物を見せてもらえないかとお願いしたところ、お庭へ入れて下さった。
犬はうそのように静かになり、鎖でつながれ奥へ。飼い主の言うことをよく聞く賢いやつだ。


その女性はビジネスウーマンらしく英語がペラペラだったが、私たちの方が全くだったので(汗)
日本語世代のおばあさんを連れてきて下さり、飲み物とお菓子まで出して頂いて、中庭で
いろいろお話を聞くことができた。


1931(昭和6)年に建てられた、陳中和記念館と並ぶ風格ある洋風建築。
おばあさんと同じ83歳なのだとか。中央部のレリーフには「李」の文字が見える。1Fの入口の上の
華麗なレリーフには屋号があらわされていた。

こんなところまで来る日本人はあまりいないのだろう。
おばあさんは日本語を話すのはもう何十年ぶりと言われていたが、久しぶりに日本語を話すのが
うれしいようで、時々言葉が思い出せずに詰まられながらも次々と流暢で美しい日本語を話された。
別れ際も名残惜しそうに手を握られ、私たちはとても温かい気持ちで李氏古宅を後にした。

付近のまちの中でもこの一角は古い中国風の民家が見られ、不整形の路地や井戸も残っている。
これらの民家も改修され活用されようとしている風に見えた。今後日本人もちょくちょく
訪れるようになるのかもしれない。


雨がまた降ってきた。傘をさしながら日が落ちた車道を自転車で走る。。。
行きしなは気づかなかった、踏切跡を見つけた。セメント工場のある山麓の方にも引込み線が
たくさん伸びていたのに違いない。


続く。

雨の多奈川線

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河西橋を見たあと、みさき公園で乗り換えて多奈川にやってきた。
少し前に、ねじまきさんのブログで深日港駅の記事を読んで、多奈川線を再訪したいなと思っていたのだった。


私自身は2007年に多奈川駅に来ているが、その時はタッチ&ゴーで乗ってきた電車で引き返してしまったのだ。
次の電車まで時間がありすぎるというのが理由だったが、よく見れば手前の深日港駅までったの500mじゃないか!(爆)
・・・というわけで、今回は時間を気にせずゆっくり駅を堪能することにしたのだった。


わずか3駅の支線だが、頭端型の立派な終着駅である。現在は1線分しか使われていないのが
さびしいが、立ち入り禁止部分のホームはまだ先まで続いている。。




駅の北側には新日本工機の大きな工場があり、かつてはここへの引込み線などあったのだろうか・・・


改札を出て線路沿いを引き返して歩き出すとすぐ、深日港駅のホームが見えてきた。近っ(笑)。


ホーム側から見ても魅力的な駅だなぁ。線路沿いのフェンスにはいっぱい穴があいていた。
鉄道ファンが写真を撮るためにカットした・・・のでないことを祈りたい。


深日港駅には、2008年に再訪して降り立っている
6年ぶりに来たわけであるが、駅舎はあの時と全く変わらぬ姿で佇んでいた。
フェリー客用の臨時改札もそのまま・・・よかった。


ねじまきさん情報によると、今年、深日・洲本航路の復活に向けた需要調査が行われるらしい。
ぜひとも復活して、この木製ラッチにも再び日の目を見せてやりたい!!


もちろんもうひと駅歩く。
深日港駅を出てから線路は徐々に高度を上げていく一方、集落内の道は線路から離れていく。
次に線路が見えたらもうこんな高さ。


展望台のように突き出した深日町駅のホームが家々の屋根の上から見えている。あまりにも長すぎるんじゃない!?
もちろんこの辺りには電車は停まらないので締め切られているはず。。。
カーブミラーの先には、駅の真下をくぐる道が続いていた。


深日町駅にも2008年に今回と同じように深日港駅から歩いている。
今回多奈川線に来た一番の目的は、深日町駅の横にあるこの国道26号架道橋をよく見たかったのだ。
この橋は、橋自体は桁橋なのだが支柱がトラスとアーチを組み合わせたような美しい形状をしている。
ラチス柱が3本、2径間の、これ自体立派な橋になりそうだ。
しかも橋に垂直でなく斜めに立っていて、見映えがする。雨でクリアに写っていないのが残念。。。


深日町駅も前回から全く変わらない姿でそこにあった。


3つのコンクリートアーチは何のために開けられたのか。。。
駅の東側を流れる川にかかる鉄橋を見に行こうと思ったら、えらい遠回りしないと近づけず・・・
危うく予定の帰り電車を逃してしまうところだった。。。


駅の中には古い便所と井戸がある。これも貴重。


多奈川駅、深日港駅、深日町駅。それぞれに特徴ある構造とロケーションで、素晴らしく魅力的な駅たちだ。
しかもほとんど手を入れられていない姿は、イマジネーションが掻き立てられる。

あぁ、多奈川線よ、永遠なれ!(笑)

マレー鉄道の寝台急行 〜前編

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先日の3連休をからめて早めの夏休みを取り、マレーシアに行ってきた。
去年の秋ペナンへ行った帰りにマレー鉄道の寝台急行に乗ったのだが、味をしめて今回も計画に組み込んだ(笑)。
今回の目的地は東海岸の島だったので、クアラルンプールから内陸部を通り東海岸へ直通する寝台急行、
SENANDUNG WAU号に乗ることにした。
クアラルンプールからいったん南下して途中GEMASで方向転換し、再度北上しながらマレー半島を
斜めに縦断するのである。

エアアジア便で夕方到着して、KLセントラル駅の駅ナカで夕食を済ませたあと、20時20分発の
SENANDUNG WAU号に乗り込んだ。
マレー鉄道はネットで予約できて印刷したEチケットを持参するだけ。とっても便利!!
私たちの車両は後ろから3両目。結構ギリギリにホームへ行ったので、先頭の機関車を見に行けなかった。


出発後まもなく地上に出た。と言っても夜なので車窓はほぼ真っ暗である。


真ん中に通路を挟んで左右に2段の寝台。下段は若干料金が高いが、ちょこまか動くには断然下段がいい。
寝台車以外には座席もある。ワゴン販売がやってきたので、嬉しがって飲み物とお菓子を買う。


そして、何とこの列車には食堂車もある。いいなぁ!
とはいえ、さっき駅でガッツリ食べたので今は無理。朝ごはんを食べに来よう。


停車駅は大まかに言えば1時間に1回ぐらいの間隔。
進行方向が反転するGEMAS駅では機関車の付け替えがあるはずだ。夜中24時近い到着だが
ホームへ見に出よう。


セットしておいたアラームのおかげでGEMAS駅で寝過ごすことなく、停車するなりホームへ飛び出した。


GEMAS駅は近代的でかなり大きな駅。 早くも機関車が近づいてきている。長いな、重連だろうか?
見てる間にガッチャンと連結した。青いシャツの兄ちゃんがひらりと線路に飛び降り、何やら接続して完了。
出発するのが怖くて機関車の顔を撮らずに戻ってしまった。
しかし後から聞いたら十分停車時間はあったのだ。しまったなぁ〜。到着駅で写真を撮ろう。




えらく痛んだ窓ガラス。。。石が跳ねたのだろうか?まさか弾痕じゃあるまいな。。。


さぁ、進行方向を変えてGEMASを出発。


水を買おうと食堂車へ行ってみると、夜でもやっているようで、数人の客?スタッフ?が
お茶を飲んでいた。


実はこの時期、ムスリムはラマダン(断食)に入っており、日の出ているうちは食べ物を口にしない。
その分夜は夜遅くまで飲食するのだろう。カウンターではお菓子やお弁当も売っていたが、水だけ購入。


真夜中ふと目を覚ますと駅に停車するところだった。今までになくかわいらしい駅。
眠いが降りてみよう。


KUALA LIPIS駅。木造駅舎のようだ。停車時間はまだあるだろうか。。。


様子をうかがいつつ駅の外へ出てみるが外観はぱっとしなかった(というかよく見えなかった)。


さぁ、あとは夜が明けるまで寝るとするか。


続く。

マレー鉄道の寝台急行 〜後編

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マレー鉄道 続き。

この路線の見どころは、マレー半島のジャングルの中を縦断する部分である。
SENANDUNG WAU号は夜行列車であるが、ちょうどジャングル越えの半分ぐらいのところで
夜が明けるはず。ジャングルの中で朝日を迎える・・・これはかなり期待が高まる!

KUALA LIPIS駅から先は熟睡していたのだろう、記憶がない。
がたん、という振動で目が覚めるともう薄明るい。窓の外を見てみると、うわぁ〜!!すごい風景が!


垂直に切り立った崖。朝もやのせいもあり幻想的な風景。大急ぎでカメラをONにして窓越しに撮ったが
もう列車は動き出している。あ〜〜!あれは列車の初動の振動だったのか。


GUA MUSANG駅。あぁ、時間的にもここが一番のハイライトだったなぁ。夜明け前の静かなホームに
一歩でも降り立ってみたかったなぁ。。。


この後はうっそうとした場所もあるが割合開けていて、だんだん人里へ近づいていく感じ。


朝日がもやの中から顔を出した。列車で迎えるサンライズ・・・・あぁいいなぁ!
茶色に濁った川を何度も渡る。

ちなみに、写真がボヤーっとしているのは、朝もやのせいと、窓ガラスが汚れているせいである(苦笑)。



おなかがすいたので何か買おうかと食堂車へ行ってみたが、、、そう、朝日が昇ってまた断食が始まっている。
ムスリムの皆さんはすでに食事を終えて二度寝の時間なのである。スタッフも仕事終えて床や椅子で爆睡。。。
さすがに起こせず、すごすご退散。。。


夜の間に列車は1時間あまり遅れているようだが、今回はこの列車旅も目的のひとつ。
寝台でゆったりのんびり車窓を楽しもう。




うわぁ・・・
KRAI駅の広大なヤードにはレンガ積みのホーム跡や給水塔などが見られたが、もう今は
使われていないよう。並んだ車庫には貨車が停まっていた。
ふらっと気ままに途中下車してみたいなぁ。。。




さて・・・もうお昼なのだが食糧が何にもない。食堂車も昼間は閉まっているというので、停車駅で売店に
走ろうと思うのだが、多くの駅には売店がなかったりあっても閉まっていて、売店がある駅に限って、
ホームに降りた途端ピーっと発車の笛が鳴るのである。。。あぁ、ワゴンでもっと買っておくんだった。


あぁ、市場がうらめしい・・・(苦笑)


ガタンと列車が止まった。あっ、この駅には売店があるかな!?ホームへ出ようとカーテンを開けると
多くの人が降りるようだ。急に胸騒ぎがして、出口へ向かう隣の兄ちゃんに「ここはどこ?」と聞くと、
「ワカバル」と。ええっ、降りる駅だ!!!母と妹をけしかけて、皆広げていた荷物を慌ててひっつかみ
這い出すように何とか下車した。。。危ない危ない。食糧調達にすっかり気を取られていた。


ホームでは取り急ぎ荷物をバッグの中へ押し込んで・・・
そんな状態だったから、私たちが降りてすぐ発車するSENANDUNG WAU号の前に回りこんで
機関車を撮影する余裕はなかった(涙)。ちょっと追いかけたが、後姿を見送るのみ。。。


WAKAF BHARU駅は、明るくおおらかで旅情をたっぷり感じさせてくれる素敵な駅だった。
初めて降り立つ駅で勝手も何もわからないが、タクシー手配のおっちゃんがいて行き先別の料金表が
ちゃんとあって、良質なタクシーに乗れて、めでたく目的地まで到着することができたのであった。
マレーシアはほんと、旅しやすいなぁ!


このあと島に渡り、青い海を満喫〜〜!!


ばんかむ

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最近よく行く西宮。阪神西宮でのランチ場所を探していて、一度お茶したことのあるこのお店へ。
ばんかむ。バンカメじゃないよ(笑)

正しくはVから始まるようだけど意味は不明。

日替わりランチを頼んだらとても豪華でボリュームたっぷり。しかも食後の紅茶はポットサーブ♪




落ち着いた空間でゆったりした気分でランチしたあとは、対戦モードに切り替え役所へ出撃ーーー(苦笑)
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