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浜坂のもろもろ風景

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諸寄の宿を拠点にして車でうろうろしていたのだが、浜坂の海岸はとても広くてきれいで気に入った!
犬も大喜び。


香住から浜坂の間には日帰り入浴できる温泉がいくつかあるのだが、ひなびた雰囲気のところはなく、
どこに入るか決めかねていたのだが、浜坂の海岸近くでこの「松の湯」を見つけて即決!

お風呂屋っぽい外観だが温泉である。町外の人は300円。安っ!
シンプルな浴槽ひとつだけで、地元のおばちゃんたちがのんびり入っている、こういう雰囲気がいいね。
正式には浜坂海岸レクリエーションセンターと言い、合宿所のように宿泊もできる施設らしい。夏に来るのもいいなぁ。

車で走っていると必ず目につく、浜坂駅のレンガ造の給水塔。


ほんとに道路際ギリギリのところに建っている。道路をあと少し拡幅するとなると直ちに
解体撤去されてしまいそうな危うい感じである。


大部分をツタに覆われながらもわずかに覗くレンガや石の窓台を見れば、とても丁寧に作られて
いることが分かる。




浜坂の駅舎は反対側にあり、今回ゆっくり見れなかったのだが、まちなかも面白そうだし
またいつか一人で来ることにしよう。


岸田川の河口近くにはこんな魅力的な船だまりもあった。


石組みの浜と簡素な桟橋。いいなぁ。。。




この地方で川べりに咲くのは、菜の花やセイヨウカラシナの黄色い花ではなく、ハマダイコンのピンクの花。
優しい色合い。

近くで工事をやっていたが、ここをコンクリート護岸にするのではあるまいな・・・・

ちょうどホタルイカのシーズンで、さすが産地、スーパーや海産物屋さんでもめちゃくちゃ安い!!
現地でも帰ってからもたらふく食べた(笑)。
生のホタルイカも買って帰って沖漬けを作ったが、なかなかうまくできた。こんな簡単に作れるとは〜
浜坂最高〜!!

高槻の洋館と純喫茶モン

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高槻で朝から仕事をしたあと、ごはんを食べようと阪急とJRの間をうろうろ。
お店がいっぱいあって決めかねているうち、ちらっと目に飛び込んできた、一部が下見板貼ペンキ塗りの
和風とも洋風ともつかない住宅。


玄関側に回り込んでみると、ほほう、いい感じの建物だな。


そしてさらに進むと見えてきたのは、このタダモノではない洋館。な、な、なんじゃ、これは!

そう言えば、高槻駅前に洋館の残るエリアがあると聞いたことがあった。ここのことだったのか。


それにしても豪華。建物の足元は見えないが、塀のタイル使いや屋根裏の通気孔の装飾を見れば、
玄関周りや内部はすごいんだろうなと想像がつく。

歩いてみるとこのあたり一帯、近代に開発された住宅地のようで、当時の建売分譲住宅と思われる
杉皮貼りの和風住宅などもちらほら残っているのだ。




こんなのも。




概して緑のはみ出しが多い筋は古い建物が残っている。




そして、おおっ!煙突だ。


「高槻新温泉」。今もやってるんだろうか?縦ラインを強調した凸型ファサード。いいね!


シャッターは閉まっているが、営業時間の案内が出ているところを見ると、現役のようだ。入りに来たいな!


ちょっと時間を取ってしまったのでお昼はチャチャっと食べないとな、と考えながら歩いていたら・・・
素敵な喫茶店が!

純喫茶モン。ちょっと斜めに踏み込む入口がいい感じ。
例のごとく一歩店内に入ったところで、どこに座ろうか一瞬迷ったあと壁際の端の席に座った。

ほぉ〜、渋い!!シンプルな木製パネルが壁から天井まで一体的に貼られている。


ミックスサンドとミルクティを頼んでおなかを満たしながら、店内を眺めて目の保養もできた。


お勘定のときに聞いてみた。「素敵ですね!何年ぐらいされてるんですか?」
「もう45年になります。古いのがいいんですか・・・?」
いいですとも!!大好きですとも!!


高槻の仕事がある間にまた来よう。

六華苑を駆け足で。

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1月末に行った四日市の旅からもう4ヶ月経ってしまったが・・・ようやく最終回(汗)

阿下喜のまちを歩いたあと、三岐鉄道北勢線に乗る。


あっ。以前来たときシートにくるまれ改修予定と思われた車両が、これだな!
見事によみがえった。よかったね〜


途中で1〜2ヶ所途中下車してもいいなと思っていたが、三岐線と違って古い駅舎はなく、
歩き疲れていたこともあり結局西桑名まで乗り通してしまった。




桑名に着いたらまだ明るくもう少し時間があるので、六華苑を見に行くことにしよう。
バスの時刻を聞いてみるとだいぶ待たねばならず、それなら歩いて行く方が早い、と歩き出す。
このあたりか、と目星をつけて曲がってみると、水路際にレンガの小屋があった。


そして立派な門、塀、レンガの蔵・・・・


形は土蔵だがレンガ造。



しかし開いていない。それに洋館が見当たらない。

こちらへ歩いてきた人に尋ねてみた。「六華苑の入口ってどこでしょうか?」
「ん〜と、向こうの・・・・今からそっちの方へ行くので一緒に行きますか?」「えっほんとですか?」
上品な感じの男性はそこに停めてあった外車で川沿いにある六華苑の入口まで連れて行ってくれた。
こういう時、曲がりなりにも(笑)女二人でよかった。
「あ、もう閉まっていますね。どうされます?」「ちょっと外から見て適当に帰ります。ありがとうございました!」
なんて親切なんだろう。

六華苑の入場は4時までらしい。もう5時前。
門はすでに閉ざされていたが、揖斐川の土手道から塀越しに絵に描いたような洋館が見えた。うわぁ・・・

六華苑は二代目諸戸清六邸として1913(大正2)年に竣工。洋館、和館、日本庭園等からなる。
さっき見た蔵もその一部であろうか。洋館はジョサイア・コンドル設計の重要文化財。
諸戸家は「日本一の山林王」と呼ばれた一族であり、今も多くのグループ企業があるようで、
この近辺でも「諸戸○○」の看板をいくつか見かけた。

どこかもっとよく見えるところはないのかなぁ・・・と横の方へ回ってきたら、搬入口っぽい鉄柵の
扉があり、側面だが全景が見れた。あぁ、もう少し早ければなぁ。。。

柵越しに写真を撮っていたら中いた人がこっちを向いたので、ダメモトで聞いてみた。
「すみませーん、ちょっとだけ写真を撮らせてもらえないでしょうか。」
すると・・・扉の中へ入れてくれた!!ありがとう〜〜


おお〜〜っ、すごい!2階建ての建物から突き出す塔屋の高いこと。4階分もあるのだ。
この塔屋は揖斐川の流れを眺めるために作られたのだとか。

もう閉めて帰るところだろうから、邪魔にならないようにぱぱっと数枚写真を撮っただけで、
お礼を言って門を出る。いや〜、桑名の人はなんて親切なんだろう。
心が温かいまま桑名駅に戻り、yumeさんはJRで、私は近鉄で、それぞれ帰途についた。

六華苑公式サイトを見ると、六華苑は300円の入園料で見学することができる。
洋館も南側の芝生広場から見ればサンルームもあり玄関側とはだいぶ違った表情。
和館やお庭もゆっくり見たいし、是非再び訪れたいな!

充実した二日間の旅だった。yumeさん、ありがとう〜〜

冬の四日市へ。
閉まった!末広橋
三岐鉄道 平津駅で途中下車
三岐鉄道 保々駅の周りをうろつく
三岐鉄道 丹生川駅
三岐鉄道 東藤原で貨物三昧!
三岐鉄道 伊勢治田から阿下喜
六華苑を駆け足で





喫茶樫の木

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仕事で連日立花へ。昨日は昼抜き、今日も駅でささっと食べただけなので、ちょっと休憩。。。
いい純喫茶がないかと立花商店街に入ったら、、、いきなりあった(笑)
喫茶樫の木。


外にメニューもなく、あいてるのかどうか一見わからないが、確かに「営業中」と書いてある。
入ってみると、ほほーぅ、昭和のにおい。
本当に、私が子供の頃おじいちゃん家に行ったらこういうにおいがしたもんだ。


カウンターの中にはおばあちゃん。
お客は商店街のおばちゃんやもう何十年も毎日通ってそうなおじいちゃんなど。
駅の目の前だし一見の客もたまには来るのだろうが、外とは空気が違っているようだ。


木の肌合いと、長年タバコの煙で燻されたスタッコ壁。
素敵だなぁ。。。


気の重い仕事をしばし忘れて、リラックス〜

千林大宮の路地植栽

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千林大宮でバス待ち。6〜7分あるのでちょっと商店街のアーケードに入ってみた。
横丁を覗き込むと、おや、いい感じの路地だ。


ふらっと入ってみると、狭い路地に緑があふれている!




これは道路か庭か。。。おそらく私道なのだろうが、長年の間に増殖した緑はもはや家屋以上の
存在感である。


地図を見ると、千林大宮のあたりでも区画整理された長方形の町割りに挟まれところどころ
不定形な区画があり、そういう場所はたいがい戦災を免れたエリアである。
大通りからちょっと中へ入ると新鮮な風景に出会えるのが楽しい。

余部鉄橋

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GWの山陰の続き・・・

余部鉄橋(橋梁)はこれまで数回は訪れているが、4年前に古いトレッスル橋から新しい橋に
架け替えられて興味がなくなってしまった。浜坂からの帰り、通り道なのでまぁ休憩がてら
立ち寄ることにしたのだが、GW中でお天気がよかったせいもあるだろう、ツーリングの
バイクで大にぎわいである。車も多い。

しかし驚いたのは、あのトレッスル橋脚がかなり残されていること。
橋の一部が残されて展望台になるということは当初からニュースで知っていたが、新しい橋の陰に
申し訳程度に残してもなぁと全く期待していなかったのだった。


しかし現地に来てみると印象が違った。
鉄橋は国道178号と川を跨いでいたが、元あった11本の橋脚のうち、駅寄りの3本は完全な形、
次の3本も一部ではあるが基礎及び立ち上がった鉄骨が残っているのだ。

基部だけを見ると6本の橋脚が立ち並ぶ様子がわかる形で保存されている。
川の向こう側の橋脚はすべて撤去されているが、来訪者の目線を考えれば、部材数に比べて効果は高い。
うまく残したな!

橋の下は公園として整備され、餘部駅までの遊歩道も、あいかわらずの急勾配だがきれいに舗装された。
坂道の途中で橋を望むと、鉄骨が重なる眺めを楽しむことができる。


餘部駅のホームは山側から海側に変わり、昔の印象とは全く変わってしまったが、
旧橋に続く線路が枕木やバラストごと残され、そこを歩けるようになっている。


「空の駅」と名づけられた展望台は去年のGWにオープンしたらしいので、ちょうど1年前だ。


旧橋の保存部分の先端まで歩いて行くことができる。もちろん、落下防止のためガラス張り。
足元の覗き窓から下を見ると、電車で通過したのではわからない、橋脚の実際の高さを感じられる。


フェンスの隙間から覗くとレールはぷつりと途切れている。


公園の片隅に説明板が設置されている。1912(明治45)年に余部橋梁が完成したあと、餘部駅が
設置されたのは何と1959(昭和34)年のことであった。余部集落の住民は汽車に乗るため
線路を歩いてトンネルを抜け隣の鎧駅まで行ったという説明と共に、この高い鉄橋の上を行列をなして
渡る人々の写真があった。この危険と不便を解消するため人々は餘部駅の設置を陳情し、
工事が始まると住民自ら大人も子供も総出で石を崖上へ運び上げたという写真。そして悲願の
一番電車を迎えた日の、ホームからはみ出んばかりにして旗を振る人々の写真・・・涙が出そうになる。
鉄道の乗客はその当時と比べると激減してしまっただろうが、余部の人々はこのときの喜びを忘れない
ように今に伝えている。


鉄橋の老朽化による架け替えはやむを得なかったことだろうが、地域の歴史でありシンボルであり
貴重な観光資源でもあった余部鉄橋。元の姿を想像する助けとなる数々の工夫からは、
何とか残したいという地元の方々の強い思いが感じられた。


詳しくは→こちら

この余部橋梁や田君川橋梁、竹野川橋梁の他にも、山陰線にはたたずまいに心惹かれる橋が多い。

安木川橋梁。丁寧に積み上げられたレンガの橋台と橋脚が美しく状態もよい。下を流れる川の
くねり具合もいいね!




明るく広々とした矢田川の河川敷をまたぐ矢田川橋梁。橋脚は円筒形の石積み。


河口に近い川の青さが印象的。背景の山では野生の藤が咲き乱れていた。


※それぞれ撮影日が違うためその日の天気によって写真の色合いが異なっています(苦笑)

山陰海岸の駅舎めぐり

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GWの山陰の旅は車で行ったが、駅舎もいくつか見に行くことができた。

泊まった宿から諸寄駅はすぐ近くだった。朝犬の散歩がてら見に行くが、集落より一段
高いところに位置する駅舎は、姿は見えるもののアクセス路が見当たらない。




いったん宿に戻りチェックアウトしてから再度車で出かける。集落の中をぐるぐる進み
ようやく見つけた道はさっきのところからすぐであった(汗)。
狭いガードをくぐり線路沿いの道を上ると、あっ、駅舎だ。駅前広場で行き止まりになっていて
いい感じ。


ほほう、小さい駅舎ながら入口の枠など木材は装飾的な仕上げが施され、足元には石が
張られているなど、プチ山荘風。




木製の柱の下部が腐ったのだろう。木材を継ぎ合わせて丁寧に補修してある。えらい!


う〜ん、見晴らしがいいなぁ!石州瓦特有の赤と黒の甍の波が広がる。
そしてその向こうに海!


ちょうど鳥取方面行きの列車がやって来た。
あぁ、ふるさとの駅はこんなであって欲しい。。。という、理想の駅舎のひとつである。



いつも電車でカニを食べに行くときホーム側から見ていた香住駅を、今回ようやく
正面から見ることができた。


一見四角い飾り気のない駅舎だが、カニ爪のオブジェがイカしてるなぁ〜


カニ爪はホームにもあり、列車を撮るときのいいアクセントとなっている。
こういう、リアルで無口なオブジェは好きである。


脇にある木造屋根は貨物の扱いがあった時代の名残だな。この駅でも海産物をたくさん積み込んだことだろう。





こちらもいつも通過していた竹野駅。現役感の強い、古きよき木造駅舎である。
海水浴場として有名な竹野であるが、駅は意外に海からは少し離れたところにあった。


カニ行きのときホームから見る竹野駅はいつもにぎわっていたが、この時期はがらんとしていた。



ここには古い支柱を持つ跨線橋が残っている。カニマークはさすがに今はついていないな(笑)。
さっきの香住駅にも同じような跨線橋があった。

魚類運搬車軌道跡を見に行った鎧駅、給水塔を見た浜坂駅など、素敵な駅が多い山陰地方。
去年の末に大雪の中命からがら(苦笑)カニを食べに行ったときに、非難ごうごう浴びながら立ち寄って
もらった柴山駅、カニのシーズン毎度おなじみの佐津駅も、近いうちにこっそりアップしておこう。





台東の宿にて

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東京の台東区ではありません(笑)。台湾の台東です。
夏休み第一弾で3泊4日の高雄行き。そして高雄から1泊2日の旅内旅で台東へ。

いやぁ〜、いろいろ、よかったぁ!!感動しっぱなし。
天気はちょっと不安定だけど、雨ニモマケズ、ガシガシ活動してきました。
また帰ったら(いつになるかわからないけど・・・)レポートします。
まだ半分あるので、天気がよくなることを祈って下さい〜〜

しかし、海外の地方都市の宿でもWi-Fiでネットできるなんて、
時代は変わったなぁ〜(笑)

灘のお風呂屋

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神戸から直帰。せっかくなので神戸のお風呂屋に入って帰るか。どっかあるかな?
検索してみると、灘あたりには意外と古いお風呂屋があるらしい。


割塚温泉へ行こうとJR灘駅で降りてみると、おや、灘駅の北側って見たことのないまちだな。
古い灘駅舎が壊される時には少し話題になったものの、建て替えられてからは気にもしていなかった。
しかし駅前広場とあわせてなかなかいい感じ。

そして駅前で営業しているのは、大衆食堂、雀荘。。。灘って、そういう大衆的な雰囲気のまちだったのか。
知らなかった。

歩き出すとすぐ、阪急の高架が斜めに横断している。その高架のコンクリートアーチのカッコイイこと!!
このねじれ方の大胆なことと言ったら!しばし見惚れる・・・・


この近くの同じようなねじりまんぼを昼間に見たことがあるが、夜に見ると一層迫力があるな。


下り坂を進むとJRと阪急の高架に挟まれた剣先。うわぁ、こんな風景見たことなかったな。新鮮!


阪急の高架をくぐって山手へ出て、国道を渡り一本北側の道を西へ。幅の狭い道沿いに
近所の人たちのたまり場のようなカラオケ喫茶や飲み屋や美容院などの電飾看板がポツポツと見える。


へぇ、こんな裏通りに、と思いながら歩いて行くと、前方に商店街のアーケードが見えてきた。
そして、、、大日商店街の入口に、割塚温泉のインパクトある建物がどーんと。


おぉ〜〜っ、素敵じゃないの〜〜!


しかし、のれんが出ていない。よく見ると「定休日」の張り紙が。
えーっ、そうなの?ネットで見た情報は古かったのかなぁ、それとも臨時休業?
ま、廃業じゃないことは確かなので、また今度リベンジするとしよう。


大日商店街を少し歩いてみたら、もちろんこの時はシャッターばかりだったけど、レトロっぽい店も
ちらほらあり面白そう。今度昼間に歩いてみよう。


実はこの近くでもう一軒目をつけていたので、そちらへ向かうことにする。

途中の街路樹がえらいことに。。。年季入りまくりのイチョウ、放置していて交通に支障が出ないのか?
大らかなまちだなぁ。。

5分くらい歩いて宮本温泉に到着。赤いネオンがいい感じ。




御影石製のシンプルな浴槽と石畳の床は、改修時に元の部材を使ったものらしい。素晴らしいなぁ。


ゆっくり浸かってリラ〜ックス!


湯上りはまた楽しい夜の散歩。。。


神戸臨港貨物線跡の遊歩道

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宮本温泉を出て、阪神電車で帰宅しようと南へ下りてきたら、あっ、これは。
以前見た貨物線跡のガードだ。


今調べると2009年にこのあたりを歩いた記事を書いている。
その頃、廃止後しばらく放置されていた神戸臨港貨物線跡は工事が始まったばかりのようだった。
今、廃線跡の築堤はレベルもそのままに明るい遊歩道に生まれ変わっていた。

この貨物線は阪神・淡路大震災を乗り越えたが2003(平成15)年に廃止されている。
10数年前にはまだ貨物列車が走っていたんだな・・・あぁ。

沿線にはマンションがめっきり増えた。この遊歩道は駅までの格好のアクセスルートとして、また
夜でもジョギングする人、散歩する人、座って語らう人々・・・近隣住民の生活の場としてすっかり
定着しているようだ。


なめらかな舗装が施され、場所によっては陸上のトラックのような走りやすい舗装材も使われている。
台湾の高雄のサイクリングロードのようにレールまで残してあったり・・・はしないが、
こんなしゃれたオブジェを配置するとは、なかなかやるね。


ここだけ遊歩道の幅を狭くしてレンガの橋台を生かしてある。


このあたりは築堤ののり面の表情をうまく残してあるな。




灘駅に近づくにつれレベルは下がっていき、灘駅南口のメインストリートに当たって遊歩道は終わっていた。
貨物線のにおいは薄めだが、比較的元の姿を尊重してあってなかなかいい遊歩道だ。

ここから東灘信号場へと続いていた部分は、JRの車窓から見たところ早くから開発されたようだ。
逆に神戸港へと続いていた部分は今どうなっているのか。国道2号線を斜めに横断していた古いガードを
車でくぐったことがある。貨物列車が通りすぎるのを見た記憶も・・・あるような、ないような・・・・
今度そちらも見に行ってみよう。

南へ下り、阪神岩屋駅から阪神電車でgo home!


※iphoneの写真はやっぱり粗い・・・それはそれで味があるけども。

高雄の倉庫街 (台湾)

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ピーチのセールでまた高雄へ!
高雄国際空港は地下鉄の駅と直結していて、まちの中心部まで15分。福岡空港並の便利さだ。


宿の地図を印刷し忘れぐるぐる探し回ったロスはあったが、3時には街へ繰り出した。
とりあえず旧市街へ向かい、塩埕埔駅近くで超ボリュームワンタンを食べてから、
初高雄のmayumamaさんを案内して倉庫街〜廃線跡経由で港の建築を見に行く。


台湾最大の港、高雄港のうちでも、このあたりは日本統治時代に整備された「旧港」であり、
現在は港湾機能のメインはもっと東の方に移っている。
周辺にはたくさんの古い倉庫が残っており、それらは実にいろんな形、用途で活用されている。
この台糖のレンガ倉庫は屋根を抜いてあり、妻壁を背にステージがしつらえられた青空ライブハウスだ。
屋根を抜いて使うとは、目からうろこが落ちる思い。


廃線跡に面した台鉄の倉庫ももうすっかり賑わいが定着した。


ほんとに、夕方近いというのに、あっちもこっちも人でいっぱいなのである。
新しい商業施設やアミューズメント施設を建てたわけではない。ただ古い倉庫と貨物線の廃線跡があるのみ。
それでこれだけの人を吸い寄せる魅力のあるエリアを作り出したのだ。すごい!!

古い倉庫を活用したまちづくりをしたい人々はぜひ高雄の視察をおすすめする。

高雄港の埠頭の方へ入るのは実は今回初めて。香蕉碼頭(Banana Piar)に建つ
この施設は「香蕉棚」を転用したもので、商業施設、バナナの資料展示、二階にはウェディング関係の
施設などが入っている。


鉄筋をトラス状に組んだ柱や梁が、オリジナルの構造のようだ。


建築と呼ぶにはあまりに簡易な構造であるが、バナナ輸出の拠点となっていた歴史を伝える建物として
大事にされているのだ。高雄の人々はわがまちに誇りを持ち、歴史をリスペクトしていると感じる。


香蕉碼頭の奥にあるのは、高雄港港史館。高雄港税関事務所として1916(大正5)年に建てられた。
もう少し時間が早ければ中に入れたのだが、外観のみ。。。


レンガ造のしっかりした建物だが、アシンメトリーなのが変わっているな。


他にはもう少し時代があとの少しモダニズムの香りのする建物もあった。


倉庫群の前に水田!?
このあたりの倉庫のいくつかはシンプルに展示場として使われていた。
この時は建築会社各社による最先端のマンションの展示が行われていた。ギャップが面白い(笑)


そしてこちらはなんとトイレ。
ボロボロの屋根の落ちたレンガ倉庫でもつぶしてしまわず、こんな大胆な使い方をするとは。


からみついたガジュマルもそのまま、いやむしろ装飾として残してあるのだろう。
見ようによっては建物に結び付けたリボンのようだ。


そしてこちらの倉庫街を抜けると、、、高雄港駅の貨物ヤード跡。あぁ。。
初めてここを訪れたときは貨物線が廃止された直後で、バラストもあらわで今にも列車が走って
来そうな気がしたものだ。来るたびに少しずつ整備され、草が青々と茂り、公園らしくなってきた。
2009年
2011年
2012年


今では、広場のあちこちにオブジェが配置され、人々が思い思いに遊んでいる。
敷地を横断するボードウォークを歩く人、自転車に乗る人、犬と散歩する人・・・
旧高雄港駅には展示車両が追加されていた。
すっかり都会のオアシスとして親しまれた貨物ヤード跡。レールや鉄道関連の部材も撤去されず
残っているが、もはや自己主張せず自然に溶け込んでいるようである。


はぁ〜〜、やっぱり高雄への恋はまだまだ醒めそうにない。

鼓山の建築めぐり (台湾)

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高雄続き。

4回目の高雄でもまだ見ていないところがあるものだ。
今回事前にネットで古蹟を調べたところ、壽山のふもとの鼓山あたりにいくつかの日本統治時代の
建築が残っているようだ。フェリー乗り場近辺よりもう少し北寄りのエリア。
さっき食べたワンタンを消化するべく歩き回る!

まずは、元・愛国婦人会館。現在は「紅十字育幼中心」、幼稚園だな。


上の建物と似た趣の武徳殿振武館。建物の前にシンボリックなガジュマルの木が生えている。
1924(大正13)年竣工。


武道の場らしい的と矢のデザイン。


唐破風のポルティコを支えるのは、中央部が膨らんだ角型と丸型の柱が3本ずつ。

きれいに手入れされ、今も武道場として現役である。

おや、これは何だろう、警察署だろうか。古そうだが新しいようにも見える。

今ネットで調べていたら、やっぱり元・高雄警察署らしい。戦災を受けたが戦後建物を買い取った
貿易会社により修復されたのだとか。

1階がアーケードになった元・山形屋は書店であった。文化の発信地らしく押し出しの強い鋭角のファサード。


外壁のレンガはきれいに直され、オシャレな台湾レストラン「壹貳樓」に生まれ変わった。
時間があれば食事をしたかったが、今日は旗津で海鮮の予定・・・


この向かいには旧三和銀行だという建物が。裏側などほんとにボロボロで崩れかけているのだが、
今から改修する予定なのか、建物全体を大屋根で覆ってある。
さすがの私でも、こんなにボロボロになれば解体もやむなしと思ってしまうが、そんな状態からでも
直して使おうとは・・・全く、本気である。


日治時代に「哈瑪星(ハマセン)」と呼ばれたこの旧市街には、当時こういう貿易関係の会社や銀行や
官公庁の建物が集まっていて、ビジネスの中心地だったのだろう。今も残るこれらの建物を見れば
当時の賑わいに思いを馳せることができる。


積み重ねた年月は何物をもってしても代えがたい価値となることを高雄の人々は知っていて、
古い建物を何度も修繕しながら今まで使い続け、これからも使い続けるのだ。


薄暮の中にたたずむ高雄港駅。


まちなかの古い商店建築もセンスひとつでこんなおしゃれなビストロに。


こちらは雑貨屋とブックカフェ。


コの字型をした建物の中央部の入口には暖簾がかかり、ぐるりとめぐるバルコニーには緑がいっぱい!
うわぁ、素敵だなぁ。。。mayumamaさんがちょっと入ってみたら入口でお金を払うようになっている
らしく、すごすごと戻ってきた(苦笑)。

お金を払うのはやぶさかでなく、こんなカフェで本を見ながらゆっくりお茶を飲みたかったのだが、
あまり時間のない私たちは後ろ髪を引かれながら鼓山輪渡駅(フェリー乗り場)へ向かった。

フェリーで旗津へ渡って海鮮の夕食を。


そして帰りに哨船頭街でデザートが鉄板!黒タピオカの豆花とマンゴー雪花冰。夢のようにおいしい〜〜〜



一日目から、あぁ満喫!!

高雄中学と、屏東線風景 (台湾)

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台湾続き。

2日目の朝は7時から活動開始。気合い入ってる〜(笑)
私は今から1泊で台東へ、mayumamaさんは屏東に行くというので、途中まで一緒に行くことに。
その前に、駅近くの高雄中学を見に行こう。以前ホテルへ向かうタクシーの車窓から見えて
気になっていたのだ。

高雄州立高雄中学校は日治時代の旧制中学校であり、現在の正式名は高雄市立高雄高級中学、
日本でいう高校である。
台湾が日本の国土の一部であった1922(大正11)年、本土と同じ教育制度で創立された。


名門校らしい賢そうな風貌の生徒たち。
守衛室に建物の写真を撮ってもよいかと声をかけたら快く入れてくれた。
オープンな回廊が南国らしく涼しげ。ヤシの木も絶妙なアクセントになっている。


かなり大規模な学校である。校舎平面図によると、渡り廊下でつながれた裏の棟と、
さらにその裏にもう1棟日治時代の校舎があるようだが、そこまで入り込むのは遠慮しておく。


直線や円からなる階段の装飾。




グラウンドはとても広く、高雄駅のすぐ近くまで長いレンガ塀が続いていた。



さて高雄駅の構内は数年前からずっと工事中。通路から見下ろすと地面をザックリと掘り返している。
2009年に初めて来た時、旧駅舎はすでに脇へよけられ、仮駅舎だった気がする。
しかし今のように乗車ホームまで50mも100mも歩くことはなかったと思う。

高雄駅を出てからも沿線では工事が続く。市街地部分は高架でなく地下化するのだろうか。

旧高屏渓橋梁は真ん中が途切れた姿のまま変わっていないが、よく見ると屏東側の部分に人が
何人か歩いている!?余部鉄橋のように展望台として公開されたのか!
屏東側橋詰の青い客車の展示と併せて、散策路として整備されたと見える。素晴らしいな!


屏東止まりの区間車が終着駅に近づくと、高架柱と大きな上屋の骨組みが見えてきた。
うわっ、屏東駅よおまえもか。。。
地方の主要都市らしく活気がある町。日本統治時代のものではないが、1960年代につくられた
出入動線分離型の機能的な駅舎は波型のひさしがカッコ良くて好きだった。
次に訪れる時はもう新駅舎が供用されているだろう。。。あぁ。

前に見たかわいいトラバーサーも撤去されてしまったようだ。



屏東のまちをうろつくmayumamaさんと別れ、ここからは別行動。
私は枋寮行きの区間車に乗り替える。

前回枋寮から台東まで乗った旧型客車の普快列車は、今もまだかろうじて生きながらえている。
前回は乗って間もなく雨が降り出して雷雨となり、海際を走るハイライト区間も一面灰色だったので、
リベンジする計画。しかし今回も梅雨時期で天気は不安定。どうかなぁ。。。

広々としたプランテーションのヤシ林の中を列車は走る。すでに高架になっている区間は
車窓の眺めが断然いい。屏東から枋寮まで今はまだ単線だが、高架工事が完成したら複線となる。
そうなれば今よりも列車の本数を増やせるし、対向列車待ちの停車も要らないから、所要時間の
短縮にもなるだろう。

人々の生活の至近距離にあった線路が隔離され、身近な鉄道風景がなくなるのはさびしいが、
鉄道の発展のためには避けて通れない道か・・・

枋寮へ直行してもまだ時間が早いので、ちょっと寄り道。。。
まずは日治時代の木造駅舎が残る竹田駅で下車しよう。

あら!竹田駅はもう高架に切り替わっているじゃないの!

続く。


神戸臨港貨物線跡、再び。

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宮本温泉の帰りにたまたま出くわした神戸臨港貨物線跡の遊歩道
こないだは神戸市立科学技術高校横のガードのところから上って灘駅前までの間を歩いたので、
西半分を見に行こうと、3時すぎごろ家を出た(遅!)。

雨がぱらついてきたが、律儀にも(笑)あのガードの脇の階段を上ったところからスタート。
2号線の南側のHAT神戸あたりに行ったことがあり、あの辺で終わっていることは
だいたいわかっているので、距離は知れている。


おや?いきなり現れたこれは??
ミニチュアのレールじゃないの。こないだは暗くて見えなかったのか。
わざわざフェンスで囲ってあるところを見ると、時々列車の模型を走らせるのだろうか。


ポイントもあって、実際に切り替えられるようになっている。
廃線跡を模型の列車が走る・・・おもしろいな!誰が設置したのだろう。まさかJR貨物??


右手に学校、左手にマンションを見ながら進んで行くと、道路を横断する架道橋の手前で
小さな線路は終わっていた。何の説明も書かれておらず、謎。。。


架道橋はなかなかいい感じ!十字路の対角を結んでひとまたぎ。
「架平成21年10月」と書かれている。欄干が新しいのは見て分かるが、桁も新しく
架け替えたのだろうか。
古い桁をそのまま使っているなら嬉しいが、新しく架けたのだとしても、それはまた
「わざわざ」と思えば嬉しいことだ。

このあたりの築堤の法面はナチュラルな感じで元の雰囲気が残っているなと思ったら、
工事の乗り入れ用のアスファルトも残っていた。あまり手を入れていないのか。
予算が尽きてしまったのか(笑)

そしてほどなくクライマックス。国道2号線の大横断!阪神国道架道橋である。

こちらもさっきと同じく架平成21年10月と書かれているが、
この狭さとこの形は元からのものだと思うが・・・改修年月という意味なのだろうか。
飾磨港線の新日鉄広畑製鉄所へ続く廃線跡で渡った橋もこんな感じだったな。

おや、架線柱も残っている。ガイシもついているし、色あせたプレートもついている。

こういう小物は素敵なアクセサリーだ。いいじゃな〜い!

やっぱり10車線を斜めにひと跨ぎはさすがにちとしんどいようで、途中に支柱がある。
橋台は複線用になっているな。


・・・えっ、これは何??


うわぁ、さっきのは模型のレールだったが、これは本物だ!!路盤も元々のままっぽい。
この一部分だけ、まったく手をつけずに保存したのか。


あぁ、さっきの模型のレールはこれの伏線だった気がしてきた。なんて素敵なんだろう。
しかもこのあたりはまだ周りがマンション開発されておらず、背景が古い倉庫や工場なのが
またいいじゃないの〜


積み重ねられた古い枕木もつる草に覆われつつあり、なんとも言いがたい趣。。。
廃線跡を整備する際にはがした枕木を野ざらしで積んでおくというのは、鉄道好きの
人の発案だろうな。それとも整備以前から積んであったものか。


まるでローカル線の駅の片隅にいるかのような感覚にとらわれる。・・・あぁ、いいなぁ。


一番端に説明板があった。1869(慶応4)年の神戸港が開港、1907(明治40)年に
貨物駅の灘駅ができ、小野浜駅(後の神戸港駅)で貨物の取り扱いが始まったという。
大正15年の地図には、神戸港駅からさらに港の第1〜4突堤の先端まで、
毛細血管のように伸びていた引き込み線の線路が記されていた。


ここで遊歩道は終わり。この先の廃線跡は阪神高速沿いであるが、きれいに舗装され
もう全くわからない。

地上に降りて国道2号線の方へ歩いていく。

阪神国道架道橋のたもとに古い祠があった。「乙女塚古墳」と書かれた石碑もあった。
乙女塚は御影の方ではなかったっけ?移設されたのだろうか。


昔見た記憶は、まったくこんな感じだったな。いつの間にか、列車は走らなくなっていたのだ。


あぁ、たった600mほどの距離だったが、見ごたえたっぷり。
私は臨港貨物線の現役の時をほとんど知らず、整備が開始されるまでも全く意識して見たことが
なかったが、遊歩道になったからこうして歩くことができ、貨物線に思いを馳せることが
できるのだから、ほんとにうれしいことである。
しかも残された数々の痕跡や設置されたオブジェからは、臨港貨物線や神戸港への愛情が
いっぱい感じられ、高雄の貨物線に負けずとも劣らず、神戸もなかなかやるな!!





神戸臨港貨物線跡、再び。 〜その前に

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前記事で、3時すぎに家を出たにしては日が暮れるのが早い、と気づいた方、お見事(笑)。
4時半に阪神岩屋に着いてからまず向かったのはJR灘駅の東側、貨物ヤードと
遊歩道の始まり部分までの間。
せっかくなので、根元がどうなっているかちゃんと見ておこうと思ったのだ。

JR灘駅前から歩き出す。駅近の廃線跡はやはりマンションである。セキュリティの厳重そうな、
落ち着いたマンション、「摩耶シティ」。


その先道路との立体交差がありややこしい地形になっているが、ややこしい部分は公園や
駐車場として使われている。


おや、公園に何かある。おおっ、レールじゃないか!終点の車止めもあるぞ。




公園の上を橋がまたいでいるようだが、公園は橋の手前で終わっていて、レールも途切れている。


この小さな橋は、「タカバシ」というらしい。説明板には貨物線を越えていた時代の写真があった。
現在の橋の部材は比較的新しいが、形状は基本的に変わっていないようだ。



しかし下を貨物列車が通っていたにしては低すぎる。いや、違う。公園の方が盛り土されているのだ。
ということは、あの車止めは後からそれらしく作られたものだな。
それでも雰囲気があるし、実用のまま残っているタカバシと合わせて、貨物線跡の歴史を伝える
気の利いたオブジェである。



さて、道路を斜めにくぐった貨物線跡の続きはまたマンション。駅に近いし高く売れるんだろう。


その向こうには兵庫県予防医学協会。この辺りはもう、貨物ヤードだな。
右側のコンクリート構造物には「西郷川橋りょう」のプレートが。
ヤードだったときは予防医学協会の場所もこの高さまで盛り土がしてあったと思われる。


向こう側に渡れるところがないか探していたが、あった、レンガのトンネルだ。
細い通路なのに人通りが多い。


内部には石積みの部分も見られ、トンネルの南半分が神戸線開通当時のものなんだろう。
盛り土を崩した時に入口部分が少し削り取られてしまったようだが、同じように石積みが
あったと思われる。


北半分はすでに掘り返され青天井となっていた。
出口近くには石積みの土留めやレンガと古いコンクリートの橋台などが残っていた。
これはあえて残してあるのだろうか。




灘の貨物ヤードの北側は未踏の地だったが、低層の住宅が広がっていた。このあたりから
北へ向かって勾配が始まり、西郷川のような細い川が地面を縦に刻む。
神戸のまちが六甲山の山すそであることをすでに感じる。


車窓からも見ていた広い敷地はすでに新しい土が入れられ、普通の更地になっている。
順次マンションや商業施設が作られるのだろう。そして人の流れが変わってゆく。


さて、岩屋駅前に戻り、ちょっとお茶を。。。
貨物線跡遊歩道を端まで見てから、こないだのリベンジで割塚温泉へ行くつもりなので、
時間がまだ早いなと(笑)。

というわけで、遊歩道の続きを歩き出したのは夕方6時頃だったんである、実は。

タイル作家への道(笑)

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このブログでも書いているとおり、2年ほど前から通い始めた陶芸教室でタイルを作っている。
その陶芸教室の作品展で、去年はスクラッチタイルを出品したのだが、今年は
例のぷちぷちタイルを出品することにした。というか、それしか作っていないので(笑)

ぷちぷちタイル その1
ぷちぷちタイル その2
ぷちぷちタイル その3
ぷちぷちタイル その4

焼き物は木の肌によく合う。
今回の会場も谷六の古い木造の長屋を改装したスペースというので楽しみ!
ぷちぷちタイルの実物を見てみたい方はどうぞ〜

6/28(土)13:00〜18:00
6/29(日)11:00〜17:00

刻家(ときや)
〒540-0013
大阪市中央区内久宝寺町2丁目7番14号
TEL/FAX 06-6777-7014

※私は会場におりませんのでご自由に。帰りにはいろは湯へ!

藤森神社のアジサイ

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日曜日に友達と藤森神社へアジサイを見に行って来た。
朝から雨だったけど京阪電車を降りる頃には上がっていてラッキー。

さぁ、カメラを・・・あれっ!?
電源を入れたと同時に電池がなくなってしまった。そんなぁ〜(涙)
昨日神戸臨港貨物線跡で思いのほか撮ってしまったせいだ。iphoneで撮るしかないな。。。

アジサイの花は少し盛りを過ぎていたけど、先の雨でしっとりみずみずしい色。




濃いピンクや水色の鮮やかな花はゴージャス!
淡く優しい色合いのは、むかし実家の庭に咲いていたなぁ。建て替え前の古い家の庭を思い出す。


子供の頃は「歯抜け」みたいであまり好きでなかったガクアジサイ、大人になってからは
こちらの方が好きになってきた。中央の弾けたようなぷちぷちがかわいい〜
大きな花びらに見えるところはガクで、このぷちぷちが花である。

白や緑っぽいアジサイが好きなのだが、ここには少ししかなかった。
また花のかたまりが塔状になったカシワバアジサイも好きなのだが、こちらもあまりなくて残念。
野趣を感じるようなのが好きだな。

ガク片が小さくやや細い形をした白い花は「アナベル」という品種だと、フラワーデザインをしている
友達が教えてくれた。かわいいなぁ〜


カタツムリって久しぶり!!絵に描いたようにツノを伸ばしていた。


アジサイを堪能したあとは境内の休憩処でお団子を。。。
中にあんこが入っていておいしい!小腹をちょうどよく満たしてくれた。


四条に出てランチを食べ、街をうろうろして最後は元・明倫小学校の中にある前田珈琲でお茶。
ボリュームたっぷりのシフォンケーキ、おいしい〜〜

外を歩いている間は全く降らなかったのに、帰りの京阪電車で再び雨が降ってきた。
これは絶対に日ごろの行いのおかげだな!(笑)

竹田駅で途中下車 (台湾)

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台湾続き。

竹田駅はすでに高架駅になっており、見下ろすと工事中の下りホームごしに瓦屋根が見える。
前回通ったときすでに木造駅舎は現役を引退していたが、仮設ホームの裏に佇んでいたのを車窓から眺めていた。

地上へ降りぐるっと回って見に行くと、一帯は公園になっていて、戦後の倉庫を転用した
「地方芸術文化館」や、池上一郎博士の蔵書を元にした「池上文庫」もある。


そして旧竹田駅舎。うわぁ。。。美しいなぁ。

日治時代の標準的な、というか、日本でもおなじみのスタイルだ。
待合室からホームへ入って乗車し、下車した人は外側の回廊部分を通って駅の外へ出る。

こちらはホーム側。元々線路があったところは万能塀で遮られ現在工事中。


そのまま。。。




駅舎はこのとき閉まっていたが、現在お店として使われているようで、ガラス窓から
中を覗くと、竹田の特産品や手作りらしい品物がにぎやかに並べられていた。


驚いたことに付属の小さな建物も残されている。あれは油品倉庫、そしてこれは・・・
お風呂だ!へぇ〜


長年親しんだ駅の風景を丸ごと残すなんてすごいなぁ。やはり台鉄が国営で余裕があるからだろうか。


脇に立てられた案内板を見ると、サイクリングコースに組み込まれているらしく、10人ぐらいの
自転車の一行が涼んでいた。爽やかな笑顔で駅舎をバックに写真を撮っていたのが印象的。
駅は鉄チャンだけのものではないのだ。


観光スポットとして今や有名になっている旧竹田駅舎、その反対側は伝統的な住宅がポツポツと見られ
ごくプライベートな生活風景があった。家から出てきたおっちゃんに、「写真撮っていい?」と
身振りで聞いたら、笑顔で「いいよ」と。
こういうちょっとしたコミュニケーションも旅の楽しみの要素。


さてまた移動して、次は南州駅へ向かおう。


続く。

南州駅で途中下車 (台湾)

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台湾続き。

竹田駅から客車列車の区間車に乗り込むと、おや、女性の車掌さんだ。


日本で見ていた天気予報では雨模様だったけど、いいお天気。ヤシ林の中を走り抜けるのは爽快!


次に降り立ったのは南州駅。ここは前回通った時に、裏側にある砂糖工場の機関車が木立の間から
顔を覗かせていたのを、停車中の列車の車窓から見たのだった。それをもう一度ちゃんと見ようと
思って来たのだ。ここはまだ地上駅で、工事の槌音は聞こえていない。


結構大きな駅だな。今乗ってきた区間車は自転車を乗せる車両2両も連結しているのでかなりの長編成。
ホームはこんなに長いのに、先頭の機関車をホームから外して停車した。


駅舎も、いいなぁ。。。赤色の帯がビシッと決まっているな!


駅前はにぎやか。右の方へずっと歩いて行くと踏切があり、渡った向こう側が南州糖廠である。




踏切からは広い駅構内が一望できる。古い倉庫、積まれた枕木や車止めなど・・・いいなぁ。




糖廠はすでに操業は終了していて、今は観光用の施設として一般に公開されている。
まだ10時半ぐらいだというのに大勢の人々がぞろぞろと歩いて出てきた。どうもツアー客のようだ。


引込み線の廃線跡もこんな感じで明瞭に残っている。

橋頭糖廠などと同様、ここでもサトウキビ運搬用トロッコを改造した観光トロッコに乗れるらしい。
観光用と言ってもこちら台湾ではつい近年まで実際に使っていた車両ほとんどそのままの姿であり、
ミーハーだけど一度乗ってみたいな。
工場も橋頭よりも小規模な感じで豪華なクラブ建築等はないだろうが、機会があれば中に入ってみたい。

南国の濃い陰影が美しい。


前に見た引込み線。糖廠の敷地内の木立の間へ消え入っている。
現役のころはトロッコを引いたサトウキビ列車がここから本線に出入りしていたのだ。


さっきの団体さんが乗り込んでいたのは、ちょいちょい途中下車しながら台湾一周する企画列車のようだった。
添乗員さんがホームで乗り遅れ客がいないか念入りに確認していた。あ・・・私は別口ですよ。

さぁ私もそろそろ移動しよう。

続く。





割塚温泉、リベンジ。

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神戸臨海貨物線跡の遊歩道一番西端まで歩いたあと、割塚温泉へ向かう。
こないだ休みだったのでリベンジだ。定休日は水曜日だから、今日は大丈夫!

2号線沿いの阪神電鉄の変電所から北上。大日商店街の反対側から歩いて東端の割塚温泉へ。


おお!やっぱり明かりがついているといいなぁ〜




内部は外観ほど古い感じではなかったが清潔で、ちょうどいい温度のお湯にゆっくり
浸かってリラックスしていたら、9時になってしまった。。。


お客さんは滞在中私の他に2人だけと少なかったのが気になる。。。
割塚温泉、がんばってほしいなぁ。


阪神春日野道へ向かう途中に見つけた、総ステンレスほこら。


阪急駅と阪神駅をつなぐ春日野商店街は、横丁に震災前からのまちの趣が残っていた。






阪神春日野道駅から、家に帰ったらもう10時過ぎ。。。すっかり夜型散策になってしまったけど
盛りだくさんで楽しかった!


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