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2012年 元旦

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あけましておめでとうございます。
よいお正月をお過ごしでしょうか。
昨年当ブログをご愛読頂いた皆様、リアルでいろいろご一緒い頂いた皆様、
大変ありがとうございました!
今年も穏やかで平凡な日々の生活の中で、心ときめく風景やキラリと光る珠玉の
ネタをお届けしよう!と思っています〜

穏やかな生活・・・を希望しているのですが実は、年が明けて1時間経った頃に
飼い犬に手を噛まれ・・・・深夜病院へ行くという穏やかでない年の始まりです(苦笑)
ま、そんなこんなで、皆様本年もよろしくお願いします!




仕事中に見つけたまちなかタイル

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尼崎市役所からの帰りに歩いていたらこんなタイルが。


かわいい〜昭和40年代ぐらいのものだろうか。


こちらは箕面市役所からの帰り道で見つけたタイル。


近年建てられた家で塀も新しいのだが、こんなつやつやのふっくらタイルを塀にポイントとして
取り入れるとは、かなりタイル好きと見たぞ〜


役所通いにもささやかな楽しみがあるのだ(笑)

北へ

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寝台特急日本海が3月で廃止になるという。
前々から寝台特急とフェリーで東北・北海道へ行きたいと考えていながら、遠いし時間もかかるから
つい後回しにしてきたのが、もう期限を切られてしまった。自由に休みが取れない環境では
この三連休が最後のチャンス。
しかし実は直前まで迷っていた。往復日本海なら青森での滞在は約11時間。う〜ん、なんか
完全な乗り鉄になってしまうなぁ。片道フェリーや飛行機を使う案も検討してみたが、
空き状況と金額と楽しみの納得いくバランスを見つけ出せない。一時はあきらめて別府へ温泉に
入りに行く案が濃厚になっていたのだが、クリスマス前に宮古島へ行った時にスカイマーク
という手段を思いつき、バタバタとプランを組み直した。そのプランは、朝イチに札幌へ飛び
夜まで北海道に滞在、夜行の急行はまなすで青森に早朝到着、夕方まで青森に滞在、日本海で
大阪へ帰るというもの。大晦日の夜に予約を完了したのだった。


今日の午前10時半ごろ大阪駅に到着、帰宅した。短い旅だったが充実して楽しかった!
さすがに疲れたので今からお風呂屋に行ってそのあとマッサージ屋に行ってこようっと(笑)。

明日から、感動が薄れないうちにがんばってアップしよう〜〜

江別のまちを歩く

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札幌と青森の旅
連休初日の1月7日、朝の弱い私が5時にちゃんと起きて、神戸空港からスカイマーク便で
札幌へ向けて飛んだ。スカイマークには初めて乗ったが、サービスは必要十分で文句なし。
ANAやJALに比べかなり安いのでこれからはじゃんじゃん使おう。
降り立った新千歳空港は雪景色!
さて、まずは江別へ向かってネットで調べておいた近代建築をいくつか回ろう。
※写真がいつもに比べて汚いのは、カメラの設定を間違ったのだ・・・(大泣)

江別で初めて外へ出た。おぉ〜〜雪!雪!テンションが上がる〜!
冬の北海道や東北の寒さが想像できずマイナスという表示に恐れていたのだが、なんてことはない。
大阪でももっと寒いときがある。足元が滑るのでよちよち歩きにはなるが(笑)。

駅からほど近いところにあった立派な石造の蔵。


素晴らしく味わいのあるこの石はまちなかでよく見かけるもので、「札幌軟石」と呼ばれる
支笏火山の火砕流堆積物からなる溶結凝灰岩だと、後で知った。


休日とあって人々が家の前をせっせと雪かきしている。
道路はおそらく夜のうちに重機でやるのだろう、雪の層の断面が車道と歩道を分けている。
車が歩道に乗り上げる事故なんて絶対起きないだろうなぁ、などと考えながらまち歩き。
楽しくてしょうがない!

屯田兵第三大隊本部火薬庫。1886(明治19)年築で道央で現存する最古のレンガ建築とか。

普通の住宅やマンションも、どこでも煙突があるしマンサード型の屋根が一般的だったり
関西とは全く違う常識が目に新鮮。
高校生ぐらいだったか、母と妹と初めて北海道旅行をしたことがあった。それは冬ではなかったが
住宅地の家々の境界に塀もなく間隔をあけてポンポンと並んでいる様子に、妙な感じを受けた
覚えがある。それは雪をかきやすいようになっているのだな。

地図を見て気になっていた江別第三小学校。やっぱり円形校舎だった!関西で見たことのない
レンガ壁の円形校舎、とっても美しい!→これまで見た円形校舎


地図上で見るとまちをスパッと切るように貫いている「四季の道」、歩きながら携帯で検索してみると、
想像通り廃線跡だ。北海道電力江別火力発電所への専用線だったのが、平成3年に発電所の
閉鎖に伴い廃線となったらしい。


雪に埋もれて真っ白だが、ここにはホタルも飛ぶらしい。鉄道についての説明がないなぁと
思いながら歩いていると、シートに覆われた固まりが(笑)。石炭を運んでいた貨物列車のようだ。


通路から離れて立っていた「火力発電所の仕組み」という説明板に「江別発電所の歴史」の文字が。
読みたくて新雪の中にそろそろと足を踏み出したらズボッとはまり込み、スノーブーツの中にも
雪が入ってきた〜〜!仕方ないのでズームで写真を。(後で見たら全然読めない・・・涙)


そのあと雪が似合う町村(まちむら)農場の建物を見る。ここはもう農場でなく公園となっており、
建物は内部見学もできるように保存されているが、冬季は閉鎖しているという。


ピンク色がかわいいマンサード屋根の建物は牛舎だったのだろうか。




石造とレンガ造のサイロ。この風雪に耐えてきた石の表情はなんとも趣深い。。。

「牧場町」というそのままな町名もいいなぁ。さて、2駅隣の野幌までバスに乗ってショートカット。

屯田資料館となっている、旧野幌屯田兵第二中隊本部被服庫。1884(明治17)年頃の築。
雪深くて近寄れない。ここも冬季閉鎖。


江別市ガラス工芸館となっている、1943(昭和18)年築の旧石田家住宅。曳き家したとか。


江別グレシャムアンテナショップという喫茶店兼物産店になっている、肥田煉瓦工場の建物。
1951(昭和26)年築。
この野幌あたりでは質の高い土が採れたため道内最大のレンガ産地となったそうだ。
この工場では土管や碍子なども生産されていたらしい。




ここでようやく朝ごはん(!?)、

江別市が建物を活用しようと土地ごと買い取ったらしいが、お店の方いわく、現在のところ
このお店の部分だけしか使われていないという。よい活用案が見つかるといいな。

苗穂駅で衝動下車

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北海道続き。(写真が汚くてスミマセン・・・涙)

空港から札幌に移動したとき、そして江別へ行くとき、車窓から眺めていた苗穂駅。
JRの苗穂工場があり広いヤードがあって楽しそうだが、札幌のまちなかの建築めぐりも
したいし、時間がないかなぁ。
江別からの帰り3度目に通ったとき、決めた。降りよう!!札幌の建築は逃げないだろう。

で、札幌から引き返して苗穂駅ホームに降り立つ。おお〜いいねぇ〜



扇形に広がったヤードには年代物っぽい車両も留まっている。貨物車もあるな!奥のコンテナはえらく
高いところに留まっているようだ。見に行きたいなぁ!


この古い跨線橋、工場の方まで続いてるぞ。この上からだとよく見えそうだ。「JR社員専用」と書いてあるが
鎖などで締め切られていないのが大らか。でも勝手に上るのはまずいなぁ。


人が降りてきた。
あの、ここに上らせてもらえませんか。上から見たいんです。
見るだけなら。でもどこへも行けませんよ。
ありがとうございます!


上から見下ろすと、一面真っ白な中にレールが弧を描いて伸びている。あぁ素敵だなぁ。


しかし結構怖い。客用ならもっと強固な安全柵があるだろうが、さびさびだし揺れるしなんだか
吊り橋を渡っているような気分。。。屋根のない部分はちょっと遠慮しておこう。私が落ちたら
さっきの職員さんはクビになるかもしれないし(苦笑)


駅を出て、さっき車窓から見えていた扇形車庫を見に行こう。
今でも現役なんだな。今は手前に列車が停まっていて見えないが、扇の要には転車台があるのだろう。

扇形車庫は宇和島でも見たが、日本に現存するのは13ヶ所なのだとか。
台湾の彰化で見た大きなのは機関車がずらりと並んで壮観だったな。

今度は逆方向に歩いて長い人道橋を渡ろう。さっきと違いしっかりした橋なので安心して
真ん中まで行けるが、このあたりでは線路もだいぶ集約されてるしヤードから遠いな。


古い車両や貨車を近くで見れないかなとぐるっと歩いてみるが、建物に阻まれて見えない。
古そうなレンガの車庫がちらりと見えた。

日が暮れて寒くなってきた。バスで札幌へ戻ろう。

京都市中央卸売市場厚生会館

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仕事で丹波口に行った帰り、次の電車は15分後!?ちょっと駅前をうろつくか。

さっき気になっていた駅の向かいの古い建物。1階が店舗で上は住宅のようだ。


なになに、京都市中央卸売市場厚生会館?ははぁ、市場で働く人のための住宅なのか。


細い通路があるな。どこへ続いているんだろう。通路に面した小さな店は今はもう営業していないようだ。




奥へ進んで行くと、アールのついた壁が左へ曲がっていて裏へ抜けられるようになっている。


そしてもう一本平行した通路が表へ抜けていた。おぉ、これはまさに路地だ。
飲み屋小路といったところ。
さっきの通路の分かれ道も見に行こう。

うわっ、建物の側面に抜けたと思ったらトイレが。建物の一部だがこの雰囲気はまさに公衆トイレだ。


そして振り向くと、、、あっ!

住戸への入口。アールのついた階段の上り口がなんともいい感じ!!



電化されて久しく、また高架化・橋上駅化が進む山陰線。
丹波口は比較的早くに高架化されたようだが、こういう謎めいた空間が残っているのはおもしろいなぁ〜


最後に裏へ回ってみると、お風呂屋が!最高〜

札幌まちなかの近代建築

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旅に出る前に少しだけチェックしたところ札幌の中心部にいくつかの近代建築があるようだ。
レンガの煙突そびえるサッポロビールの元工場や北海道大学も比較的回りやすい場所だが、
今回は苗穂にも寄ったし、欲張らずぐっと絞って大通公園付近だけ巡ることにしよう。

苗穂からの路線バスは大通公園の東端にある地下バスターミナルに着いた。
地上に上ってくると目の前にはテレビ塔がドカーンと!!うぉ〜、カッコエ〜!
テンション上がりまくり〜

まだうっすら日が残ってるので、テレビ塔は最後に上って夜景を楽しむことにしよう。

2ブロックほど歩いて札幌時計台へ。
時計台の〜下で逢って〜♪さっきから頭の中でずっと回っている昭和歌謡(笑)
5時閉館だが5時10分まで見れるというので駆け足だけどまあいいや、入ろう。

明治11年築の旧札幌農学校演武場である。有名すぎる建物だが、フリルのような軒飾りや
妻面に開拓使のシンボルである星形があしらわれた、下見板貼りの建物はやはり美しい。

内部には下見板の年代を色分けした図が展示されていて、意外にも半分近くが戦前までの
部材であることがわかる。もっと新しくなっているのかと思っていた。
また外壁の塗色の変遷などの資料も興味深い。


2階は屋根裏まで吹き抜けた広いホールとなっていて、時計の構造の解説やメーカーの
ハワード社による取り扱い説明書などが展示されている。
現役の機械式時計台を持つ建物は日本にもう3つしかないらしい。

閉館になったので次にまた3ブロックほど歩いて北海道庁旧本庁舎へ。

ここはゴージャス!お城のような華やかさのある左右対称の赤レンガ建築だ。
見学無料。6時までなのでゆっくり見れるな。さすが観光地、遅くまで開いていて助かる。




内部へ入ると3連アーチ越しに優美な階段がお出迎え。手すりの浮き彫りも素晴らしい。




2階の記念室(旧北海道長官・知事室)のドアの木目が素晴らしい!


もう一つ、大通公園のテレビ塔の対極に、札幌市資料館というのがある。ちょっと遠いけど
好きな感じの建物なので見に行きたい。

途中で出会ったこの建物もかっこいいな。道立文書館別館。


15分くらい歩いただろうか、店の灯りも人通りもまばらになってきたころ、やったどり着いた。
この建物は札幌控訴院として大正15年に建てられた。
華やかな道庁と比べると地味な印象だが、建物の用途にそぐう落ち着いたデザインだ。


ドーマーウィンドウや小さく立ち上がった妻が外観のポイント。そして車寄せの屋根の見付に
あしらわれた「札幌控訴院」のロマン調の文字と、私情を挟まない公正な裁判を象徴する
目隠しをした女神像が見どころだ。

開館は7時まで。よかった。それにしても遠くの施設ほど遅くまで開いているとは気が利いているなぁ。

中に入って驚いた!ホールの正面に階段があるのは古典的な近代建築ではお決まりのパターンだが、
ここのは螺旋階段。しかもこの手すりの複雑な曲線は!ここを降りてくるのはかなり
ドラマチックな絵になりそうだ。


ステンドグラス窓の配された半円形の階段室は、建物の裏側に張りだして、表側とは違った
外観の印象を見る者に与える。

建物も素晴らしいし、「街づくりの歴史展示室」展示がまた興味深い!札幌のまちの
構造や歴史、大通公園の変遷、そして札幌軟石についてもここで知ることができた。
テレビ塔の前をちょろちょろ流れていた創成川は、幕末に直営農場まで水を引くために掘削された運河。
明治2年に明治政府が開拓使を設置してから、官用地と民用地を分けるために設けられた
スペースがのちに大通公園となる。60間四方の町割りも明治期に作られた。
また山で採掘した札幌軟石を市中へ運搬するために引かれた馬車鉄道が市電へと発展したとか。

開拓使。屯田兵。聞き慣れない言葉の響き。フロンティアの歴史と文化に思いを馳せながら
誰も見学者のいない閉館間際の資料館で、ひとり密かに萌えていた(笑)。あぁ来てよかった。

北陸銀行札幌支店もかっこいい!

テレビ塔からの夜景で札幌観光を〆めて、さぁ札幌駅へ向かおう。

急行はまなすで青森へ

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札幌観光を堪能した長い1日だったが、楽しみはまだ終わらない。むしろ今から乗る列車こそが
この旅のメインの1つなのだ。
夜行急行はまなす。これも前から乗りたかった列車。
何がいいかって、DD51形ディーゼル機関車が客車を引っ張るのだ。憧れる〜

札幌駅ホームに定刻で滑り込んできた青い機関車。うわぉ〜!!ポーカーフェイスに努めるが
頬がゆるんでしまう〜(笑)
かっこいいなぁ!





急行はまなすは青函連絡船の代替として1988年に運行開始されたといい比較的歴史は浅いが、
それでも今ではJR唯一の客車急行列車であり夜行旅の旅情を感じさせてくれる貴重な列車だ。


見て、このエンブレム。マイナーな「急行」だが、トワイライトエクスプレスにも引けを取らない
格調高い雰囲気。がんばっているなぁ。


旅費を多少節約するためもあり、B寝台でなくカーペット席を取った。それは寝台料金不要で横になれる、
言わばフェリーの2等船室みたいなもので、今回はじめて乗る。

顔のまわりだけでもカーテンで区切られている分フェリーの2等より快適だ。
おまけにB寝台と同じシーツ付の寝具も備わっている。さすがに浴衣はないが(笑)


苫小牧、登別、室蘭、、、地図上の●でしか見たことのない街まちを、今、列車で通り過ぎてゆく。

さあ明朝の青森着は早い、早めに寝よう。


夢うつつで、函館で20分停車、進行方向が変わります、というアナウンスが聞こえた。
函館駅もスイッチバック駅。機関車の付け替えがあるな。見に行きたいな、まぁいいかな、、、
布団にくるまりながらしばらく迷っていたが、えいやっと起き上がり、スノーブーツを履いて
ホームへ出た。


あっ、そうかぁ!ディーゼルなのは北海道内だけだったな。あの青い機関車の姿はすでになく、
ピンク色の電気機関車が今まで最後尾だったところに連結されスタンバイしていた。


深夜3時すぎ、広い函館駅構内は静まり返っている。こういう時間が夜行旅の醍醐味だなぁ。





青函トンネルは夢の中・・・・

×○ト

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阪急十三駅のホームにて。×○ト。

「ト」って止まれのト?まさか“ぼく”と読むわけじゃなかろう(笑)。
カタカナの「ト」は「×」や「○」と並列される記号なのか〜。何かアナログで面白いなぁ。

帰って検索してみたら、扉を閉めるときの合図らしい。とびらの「ト」かぁ〜

列車待ちの間に・・・

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札幌発の夜行列車降りたときから〜♪青森駅は雪の中〜♪
いやぁ〜すごい!ほんとに!北海道より雪深いじゃないの〜


青森5:40着。まだ夜が明けないホームには雪がどんどん降ってくる。
これではまち歩きは厳しいな。今日は乗り鉄だ。
はまなすの機関車を見送ってからホームを移り五所川原へ向かおう。津軽鉄道に乗りに行くのだ。


川部駅で五能線に乗り換え。冬の夜明けは遅い。この頃ようやくうっすら明るくなってきた。
津軽平野の真ん中を走ると見る限りの雪原の背景に岩木山が見えてくる。
津軽富士と呼ばれるのが納得いく美しいシルエット。頂上付近には雲がかかっている。


板柳駅に到着したときアナウンスが入る。
・・・対向列車が大幅に遅れております・・・
ここは単線なので行き違い列車を待たねばならない。
・・・当列車の発車予定時刻は7時50分頃です・・・
ええっ、45分待ち!?とにかく外へ出よう。


実は板柳には、板柳温泉といういいお風呂屋があることを事前チェックしていた。
しかし五能線の本数が少ないので途中下車する余裕はないなとあきらめていたのだ。
これ幸いと駅を飛び出しそのお風呂屋を探すと、駅前20mほどのところにすぐみつかった。
まだ開いていない。そもそも今も営業しているんだろうか。。


雪かきに精を出していたお隣のおっちゃんに聞いてみた。
ああやってるよ、もう開くんじゃないかな。なかなかいいお湯だよ。
よかった〜
5分後ぐらいに戻ってきたら、ご主人が入口のカーテンを明けていた。
発車予定まであと30分・・・入ろ!!


お風呂屋と言っても硫黄の香りかぐわしい温泉銭湯だ。う〜ん、極楽〜!!板柳温泉最高!
列車が予定より早く出発するかもという一抹の不安はあったが、お湯に浸かっていたら、
まぁ乗り遅れたらまたここに戻ってきてゆっくりお風呂に入ればいいや、と気が大きくなる(笑)。

実際はちゃんと5分前に戻り、予定通り出発した。

当初は五所川原駅で1時間ほどまちをうろつこうと思っていたので、45分遅れても予定の
津軽鉄道の列車には間に合った。乗り継ぎには余裕を見ておくものだ。

JRホームから跨線橋でつながった奥のホームが津軽鉄道だ。車庫も隣接している。古い車両も見える。



また吹雪いてきた。





津軽鉄道は1日1往復のストーブ列車が有名だが、こんな朝早くに観光列車が走るはずはない。
走れメロス号と名付けられた気動車である。沿線に太宰治の生家があるのにちなんだ名前らしい。


列車はトコトコ走る。女性のアテンダントさんが終点の津軽中里の手書きの地図を渡してくれながら、
今日は雪がかなり積もってて歩けないかもしれませんよと。




小さな鏡餅がほほえましい。


客の多くは、太宰治の生家であった「斜陽館」がある金木駅で降りるようだ。
その駅で列車の行き違い待ちをするため15分ほど停車するというのでホームへ出た。
アテンダントさんが、「珍しくラッセル車がここまで来ていますよ。」と教えてくれた。
いつもはもっと奥の駅までしか出てこないらしい。やっぱり今日は雪が多いんだ。


終点の津軽中里駅は商業施設ビルの一部を通り抜ける構造で味わいはない。
積雪は歩ける程度だったが駅前は閑散としていた。昨日の夜から飲まず食わずなので何か
食べられる店がないかなと地図を見ながら町のメイン通りを歩いてみたが、何もなかった(苦笑)。
地図によれば見どころもあるようだが、雪に埋もれる冬は観光はちょっと無理そう。。
駅に戻ったらさっきのアテンダントさんが「最北端証明書」をくれた。
ここは日本最北の私鉄の駅だそうだ。

来た時と同じ走れメロス号に乗って五所川原へ戻ろう。

弘前の近代建築と弘南鉄道

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津軽鉄道の津軽中里からの帰り、金木駅でまた列車交換のため停車。
駅員さんが棒状のものを持ってきてこちらの運転士さんに渡した。あれも「スタフ」だという。
金木から終点津軽中里までは一度に1列車しか入れない閉塞区間となっている。
行きしなは輪っか状になったタブレットを目にしたがあれとこれとを交換するのだろうか。


ホームで見ていると、茶色の機関車が客車を牽いてやってきた。ストーブ列車だ!
せっかくだから乗りたかったなぁ。やはり観光客が多い。


津軽鉄道はこのストーブ列車にしてもアテンダントにしても、グッズの数々にしても、
よそから来る客をもてなそうといろんなアイデアで営業努力をされているのが感じられる。
地方鉄道はどこも経営が厳しく廃止に至ってしまうことも多いが、何とかがんばって情緒ある
鉄道を存続させてもらうために、私たち観光客はお金を落とすよう心がけたい。

余談だが、私は常々気になっていることがある。JRの幹線の特急やローカル線や私鉄まで
1枚で乗り放題の企画きっぷがよくあるが、ローカル線や私鉄は自動改札でないことが多いので
実際の乗車データが取れないのに、どういう計算で金額が配分されているのだろう。
全線の通常料金の比率で按分しているとしたら、ローカル線に入るお金はわずかなのだろう。
今回も「津軽フリーパス」というお得なきっぷを使ったが、そんなことが気になっていた。
本当はパスなど使わず通常料金を払って乗ればよいのだが、まぁこちらのふところも無限ではなく、、、
お得なパスを使ってその分何度も来たり口コミで他の人が行きたいなと思ってくれれば
いいのかなと。。。
津軽フリーパス

津軽五所川原駅はとてもいい感じ!隣に津軽鉄道本社もある。


金木駅での行き違いが遅れたため、当初大鰐温泉まで行って弘南鉄道大鰐線に乗るつもりだったが、
次の列車は弘前止まり。逆ルートに変更して中央弘前から弘南鉄道に乗ることにしよう。


中央弘前駅はJRからだいぶ離れたまちなかにある。弘前のまちも近代建築が数多くあり、
それらをゆっくり巡りたいとも思うのだが、弘南鉄道黒石線にも乗って青森のまちも歩こうと
思うとあまり時間がない。
約40分で中央弘前駅まで移動がてら建築を見よう。たいそう立派な橋上駅を出て歩き出す。


しかし失敗。。。選択がまずかった。最初に目指した日本キリスト教団弘前教会は思った以上に
遠く、カトリック弘前教会、青森銀行記念館まで回ったらもう時間がやばくなって、すぐ隣の
旧弘前市立図書館と旧東奥義塾外人教師館も見に行けなかった〜




駅の隣の日本聖公会弘前昇天教会も走りながら写真をとっただけ(汗)

最初から駅周辺だけに絞っておけばよかったな。最後は汗をかくほど走った。。。ゼイゼイ。。

木造モルタル塗りの弘前中央駅の駅舎は、昭和の駄菓子屋に入って行くみたい。



ステンレス車両でなく丸っこい鉄の車両が似合うのにな。

弘前のまちなかを抜け、郊外の文教地区を過ぎ、田園地帯の中を走る。
途中の駅は弘前中央と同じく四角いフォルムのものが多いが年月を経て味わいがある。


東急車両も葉っぱをつけたら青森仕様。


あっ、車両基地だ!

津軽大沢駅で、鉄道の写真を撮りに来たらしいカップルが降りた。
ん〜チェックしていなかったなぁ。私も降りたいが今降りたら次の列車はいつだろう。
このあとの乗り継ぎは??
ドアが閉まるまでの間いろんなことが頭に浮かんだが、歯がゆい思いのまま発車した。。
あぁやっぱり旅はもっとゆっくりしたいなぁ。。。

終着大鰐駅はJRの大鰐温泉駅と一緒になっている。8分の乗り継ぎで弘前に戻るJR列車が出る。




後から思えば、ここで私はJRに乗らずまた弘南鉄道で津軽大沢へ行き、心ゆくまで車両基地を
楽しんでから弘前中央に戻り、さっき見逃した近代建築を日暮れまで巡り、青森へ戻れば
よかったのだ。

というのは、見たいものを我慢して先を急いで乗りに行った弘南鉄道黒石線では、2日連続
早起きの疲れが出てうつらうつらしてしまい、車窓風景を往復ともほとんど覚えていないのだ!(爆)
終点の黒石も古い街並みが残っているらしいが日が傾いてきて寒くなってきたので
折り返し列車でとんぼ返り。青森に着くころにはもう真っ暗で雪もまた吹雪いてきた。
青森のまちを少し歩いてみたが冷たい風と雪が吹き付け、もう早く日本海に乗ってゆっくり
したい〜という気分。
今日は前半よかったが後半はイマイチだったなぁ。

近鉄伏見の疏水橋梁

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最近京都方面の仕事が多い。
昨日伏見に行ったときに、近鉄線が伏見駅の南側で疏水を斜めに渡る橋がカッコいいのを発見!
上路式のトラス鉄橋だ。

タイトルに「疏水橋梁」と勝手に書いているが、正式名称はわからない(苦笑)。

レンガの古い橋台も見えるな。今のトラスはコンクリートの橋台に載っているので、
あれは先代の橋のものなのか、それとも橋台をかさ上げしたのか?
まぁスパンから見てもう少し短い桁が載っていたのだろうな。




リベット打ちの力強いトラスが道路から間近で見れるナイススポットだ。
疏水の水量が多ければさらに迫力あるだろう。


JR桃山駅もよさそう。このあたりの近鉄京都線、京阪本線、JR奈良線の線路の変遷に
ついて、以前兄から聞いたことがあるのを思い出したが、内容忘れた。。。
もう一度ちゃんと調べてから探索に来よう。

日本海で大阪へ

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弘前から青森へ戻る奥羽本線車内でのアナウンス。
・・・遅延や運休している列車がありますので青森から乗り継ぎの方はご注意下さい・・・
どきっ。日本海が運休になったら何で帰ろう。。。


駅に着いて聞いたら日本海は運休の連絡は入っていないとのこと。ああよかった!


発車時刻の30分前、跨線橋やホームには鉄チャンが続々と集まってきていた。皆カメラを
ベストポジションに据え、日本海が来るのを待っている。そこにアナウンスが。
・・・車庫でポイントが切り替わらないトラブルのため日本海の入線が遅れます・・・
あとは帰るだけ、多少の遅れは何でもない。

長いホームを港側へ歩いて行ってみる。青函連絡船の名残はあるのだろうか。
ほんとは八甲田丸を見に行こうと思っていたのだが、17時閉館だったので断念。
せめてホームで物思いにふけろうと思ったが、下調べ不足でどこがどうなっていたのかわからず。。。


さて本来の発車時刻になろうという頃、待望の寝台特急日本海のヘッドライトが見えてきて
ホームはにわかに色めき立つ!!
100人ぐらいはいただろうか、ギャラリー環視のホームに、列車が滑り込む。


青森駅は奥羽本線と元東北本線である青い森鉄道がともに港に向かって引き込まれる形の
ターミナルなので、日本海はどういうふうに現れるのかなと思っていた。
機関車が客車を引っ張って入ってきたあと先頭側に付け替えるか、機関車が客車を押しながら
バックで入ってくるのか。果たして、はじめに見えてきたのは赤いディーゼル機関車、
次に青い客車が、そして最後にローズピンクの電気機関車が。なるほど〜。



さて、そろそろ車内に入ろう。B寝台の5号車だ。

日本海はA寝台とB寝台の2種類の車両で編成されており、個室や座席やカーペット席はない。
A寝台は寝台料金がB寝台の1、5倍するのだが、快適さも1、5倍なのだろうか。
私は夜行列車では今まで、B寝台二段(銀河・今回の日本海)の他に、B寝台三段(きたぐに)、
ソロ個室(北陸なはサンライズ瀬戸)、デュエット個室(なは)、カーペット(はまなす)、
自由席(きたぐに)、に乗ったことがあるが、A寝台は経験していない。もちろんスイートとか
デラックスとかもなく、、、要は安いクラスだけである(苦笑)

上段には窓がないし、いったんハシゴを上ってしまうと、下に他のお客がいるのでうろうろ
しにくいのが難。当日になれば下段にキャンセルが出るかと思ったが、甘かった。。。
あぁ常日頃からこの乗車率なら、廃止まで話は至らなかっただろうに。
葬式鉄でなく日常の交通手段として鉄道を日々使わなければ。
自分の番号のところにいくとすでに下段の人たちが来ていた。予想してはいたが男性である。
しかも連れ同士らしい。なおさら出入りしにくいなぁ。。。

まだ巣ごもるには時間が早い。北陸みたいにシャワー室もないし食堂車やラウンジもないから
車窓を眺めて旅気分に浸れる場所は、通路の壁に組み込まれた折りたたみ椅子を開いて座る
ぐらいのものである。

大阪までですか。下段の人が声をかけてきた。はい、そうです。よかった、気さくな人みたいだ。
二言三言話してみると、下段で向かい合わせのお二人は知り合い同士だがなんと全くの偶然で
乗り合わせたらしい。そんなことがあるなんてすごいな!その驚きで一気に打ち解けた(?)。
お二人ともバリバリの鉄チャンで、今の旅の話や昔の鉄道の思い出話などいろいろ聞きながら
日本海の旅を楽しんだ。私もますます鉄道旅をしたくなった!
都の旅人さんと、たびびとさん、その節はありがとうございました〜


日の出は金沢あたり。敦賀での機関車つけ替えを見に出たときにはもうすっかり朝だ。

青森からここまで働いてくれたピンクの機関車が切り離され、車庫へ帰って行く。

そのあとに現れたのは・・・3年前に廃止されたはずの寝台特急はやぶさのテールマーク!


代わってここから大阪まで連れて行ってくれるのは・・・トワイライト色の機関車だ。
よろしくね!




湖西線でサンダーバードに追い越されながら、なぜか優越感が胸に広がってゆく。
ゆっくり旅をするって贅沢なんだよ。。。

京都から大阪。何度となく見慣れた風景も、客車の窓で切り取られると「旅の車窓」になる。

10:27大阪駅着。楽しかった旅も終わりだ。



あの雪に埋もれた青森駅から大阪まで、ずっと走り続けてくれた日本海。ありがとう!

私は「鉄道マニア」でも「鉄チャン」でも、はたまた「鉄子」でもないと思っているけど、
ほんと、鉄道っていいよね!!

コオの壁

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ここのところ鉄道ネタばかりでうんざりしている方々へ(笑)、とっておきの街ネタを。

仕事で扇町へ行った帰り、東梅田へ向かって野崎町、太融寺町、と歩いてきたら、
いい感じの喫茶店を発見!?
レストランカフェ コオ。あれ、入口にゴミ箱、、、もう廃業しているのかぁ。


しかしこの壁は・・・遠目にはレンガに見えたけど、なにやらすごいぞ!


壁を構成するかたまりは大きさも形もバラバラ。そして・・・


表面にガラスがへばりついているもの、窯変しているもの、結晶になっているもの、焦げているもの、、、
その表面は多種多様な質感を見せている。瀬戸の窯垣にも若干似たおもむきがあるな。




いったいこれは何なのか?焼き物?石?廃材?芸術作品???どうやって作ったのか?



ガラス工場の炉の耐火煉瓦だろうか?

天満は大阪のガラス業発祥の地といい、ガラス工場がたくさんあったらしいから、
そういう古い工場跡から発掘された廃材を店の壁に利用した・・・・とか何とか。
そんな逸話があれば楽しいんだけど(笑)。


「美しい」「かわいい」「渋い」・・・う〜む、ぴったりはまる言葉が見つからないが、
本能的に惹かれる壁だ。


コオの思い出サイトを見つけました。とても素敵なお店だったようですが2007年12月で閉店したとあります。

石の博物館

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京都に「石の博物館」があるのはご存知だろうか。

京都駅の北側、伊勢丹前の地上にある。
つい通り過ぎてしまいそうな場所だが、たくさんの種類の大理石・御影石が
見本帳のように並んでいる。その数288種!


あっこれはあの近代建築で使われているやつじゃない?これはあそこの?・・・・



建材用の石をこれだけ一度に見れるところはなかなかないのでは?

ラピスラズリのようなコバルトブルーの入った御影石や赤橙ピンクと多色の大理石など、
変わった色の石もあって、美しさにため息。。。京都駅ビル、なかなか乙なことするね。





京都駅ビルにはこのうち73種類の石が使われているらしく、探すのも面白そうだ。
そう思って駅ビルを見てみると、なるほど、外壁だけでもいろんな石が使われている。
ただし面積に比して厚みは薄そう。


ひとつひとつ見ていっても飽きない。というかじっくり見ていると時間がかかりすぎて
お昼ご飯を食べ損ねてしまうな・・・(苦笑)
これ全部「カタログにしてほしいよ〜


岡町の商店街

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豊中市役所に行くのに阪急岡町駅で降り、原田神社の森を背負う駅前の商店の前を通って
岡町商店街に入っていくと、見どころ満載で一向に歩が進まない!
岡町は以前にも仕事で通ったことがあって、ゆっくり散策したいと手帳に書いていながら
まだ来れてなかったのだ。




ラーメン太郎の店構えのレトロなこと!


中華料理屋の来夢来人(ライムライト)。こういう当て字系のお店も懐かしい感じだが
この暖簾のオリジナルキャラクター?ロゴマーク?のおちゃめさ!ハマムラに対抗か!?

しかし、「ライムラ」が目目鼻口なのは分かるが、首筋からアゴが「ト」だろうか?
ではもうひとつの「イ」は?頭から顔のラインを「イ」と読ませるには無理があるし、、、
鼻を2度読ませるのか・・・?
その謎を解くには店に入ってカウンターのご主人に聞くしかない。思う壺(笑)。

商店と並んで原田神社の裏参詣道がある。


履物とタマゴのお店マルキ。その組み合わせの意外性もさながら、売ってるのは陶器類という謎(笑)。


うわぁ〜、いいなぁ!!タイル文字で「酒」。隠れているけど実は手前のウインドーの下にもる。


整ってない文字の素人感がいい。ちょっと字がおかしいのもご愛嬌・・・?


店舗の2階に丸窓が!よく見るとその隣の小窓、ブラケット照明、ひさし付の看板もすごく
おしゃれじゃないの!「KEYAK」?あぁけやき堂薬局だから「KEYAKI」か。
じゃあ、丸窓の周囲の壁のレリーフも欅の葉だな。

町のご神木である欅の木にちなんだ屋号なのだろう。

そして3年半前に入って感激した喫茶店、エーワンもしっかり営業中!
やっぱりこの外観はたまらない〜!私の中で純喫茶ナンバーワンかも。


商店街の中に十字路が。厳密に言うと五差路、原田神社の境内への動線を含めると六差路かな。
このあたりに数年前まで桜湯という激渋のお風呂屋が路地をちょいと入ったところに
あったのだが、前に見たときすでに廃業されており、今は駐車場になってしまった。


この左手の道のカーブに惹かれて入っていく。これは中津から妙見山まで至る能勢街道だという。
能瀬街道沿いの商店のすき間は原田神社の境内に直接つながっている。


こうして見て歩くと原田神社という核に薄皮のように貼りついた商店街は、お祭りの夜店の
小屋掛けを彷彿させる。
原田神社を通る街道ができ、神社のまわりに参詣者めあての出店ができ、次第に定着して
いったという歴史を体現しているような街並みだ。面白いなぁ。


この岡町商店街、桜塚商店街はほどよく賑わっていて、大資本スーパーはライフが一番端に
控えめに入っているが、古い店といいバランスを保っているように見える。
とても住みやすそうな街だ。

帰りにエーワンでお茶を飲んで帰りたかったのだが、次のアポイントまで時間がない!
また休みの日に来よう。

幼稚園の門

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素敵なアイワンワーク。これがついているのは・・・・


ときわ幼稚園の門。
カラフルに塗られポップな装いになってはいるが、元は青石の小端とレンガをあしらった
落ち着いた門柱だったのだろうな。

京都駅のすぐ北側の静かな一角。元はお屋敷だったんだろうか。

柳宗悦展と中央谷町ビルのタイル

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大阪歴史博物館で開催中の「柳宗悦展―暮らしへのまなざし―」を見てきた。
14時から写真家の藤本巧氏による記念講演会があったのでそれを聞くつもりでいたのだが、
先着250人というから余裕だろうと高をくくっていたら、何と満席!え〜っ
仕方ない。うだうだして家を出るのが遅れた私が悪い。。。

展示はとても充実したものだった。民衆の工芸の中の美。私が好きなのもまさにそれである。
建築も工芸品も、デザイナーが権威を振りかざして作ったものや高く売るために作ったものでなく、
民衆が必要から作りだしたもの、心地よさを求めて作ったもの、信仰心から作ったもの、
そういうものに本当の美が宿る。まったくもって共感する。
価値を高めるためのデザイン、機能を犠牲にしたデザインは気に入らない。
商業的な臭いを嗅いだとたんに冷めてしまう。私はひねくれた消費者である(苦笑)。

日本、朝鮮、沖縄、台湾・・・各地で「アノニマス・デザイン(無意識の美)」を次々と発見
していく作業はどれほどワクワク興奮したことだろう。
情報が氾濫し商業主義に覆い尽くされた現代、それはもう絶滅してしまったのではないだろうか。

しかし、まちなかで忘れられていたり美しさに気付かれていないものはまだまだある。
この「まちかど逍遥」ブログで私は、そういうものたちに「眼」を向けて、美しさを見いだし、
紹介していくことを目指している。

・・・などと大層なことを言っているが、自分自身でハードルを上げてしまっているな。。(汗)
実際はまちなかで「おおっ」と目を引かれた超個人趣味的なモノを紹介するだけである。

歴博からの帰りに見つけた中央谷町ビルの壁のタイル。


いろんなパターンで波打ったタイルをランダムに並べて貼ることで模様が現れる。


それほど古いものではないが石のような質感がいい。




そのあとは、大手湯にちゃぽん。
ビジネス街の片隅に残る昭和レトロなお風呂屋。はぁ〜極楽!

谷町四丁目駅から徒歩10分。歴博帰りにどうぞ!

本町駅のタイルが・・・

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ここのところ駅の改修工事をよく目にする。会社の最寄りの淀屋橋駅も、壁を引っぺがして
下地のコンクリートがむき出しになった状態が長らく続いている。

さて比較的古い地下鉄の駅のタイルはなかなか味があるという話は以前ここで書いたが、
御堂筋線の本町駅のホームのタイルは昔から変わった色の取り合わせだと思っていた。
赤と緑、補色である。200□ぐらいだろうか、ちょっと大きめのサイズで他の駅ではあまり見ない。
御堂筋線と中央線の赤と緑かとも考えたが、赤は血のように深いワインレッド。緑はかなり
くすんでいるがややパステルがかったグリーン。一般的にみてあまりセンスのいい色合わせとは
思えないが、、、やっぱり何かを象徴している色なのだろうか。
(※赤のタイルの横の緑は広告を貼るためのボードである)

しかしこんな変わった色のタイルも個性である。この洗練されていない感じも私は結構好きで(笑)
いつも電車待ちの間に眺めている。

ところが!!
今日会社帰りに乗り換えようと本町で降りたところ、、、端っこが引っぺがされてる!!

あいたたた・・・・これもなくなるのか、残念。。。。(涙)

大阪セルロイド会館

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今月の洋館めぐり講座は東成区の今里にある大阪セルロイド会館


存在は知っていたが実際に見たのは初めて。これまで本などで見ていた印象よりも
ずいぶんきれいなのは近年外壁を塗り直したせいだろう。
この建物は西田勇という人の設計で1931(昭和6)年の築。
戦前大阪府営繕課に在職し北野中学や今宮中学などのモダニズム的建築を設計した人だという。
内部もかなり改修されているが、アール部分の階段は設計者の意図したイメージを今に伝えている。






西田勇はタイル使いの好きな人だったようで、この建物にも趣のあるタイルが各所に使われ、
竣工当時のものと思われるタイルがところどころに露出している。




北入口の扉周りに貼られた無釉の色土タイル。


サッシもほとんど交換されているが、南側壁面にある小さな丸窓の鉄製サッシはオリジナルだろう。
丸い輪に指をかけて押すとガラスが回転して開く構造である。


鉄板から切り出したような手作りっぽい造作。


資料室でこの建物の設計資料などを見せていただく。

この部屋のショーケースには懐かしいセルロイド製品の数々が展示されている。
そしてお話を伺ったところによると、あのセルロイドの原料は何と、綿(コットン)なのだ!
硝酸綿に樟脳と溶剤を加えて繊維を溶かして生地作るのだという。そうか、セルロースかぁ。


石油製品であるプラスチックが作られるまでは、このセルロイドが軽くカラフルな材質として、
金属製品やべっ甲の安価な代替品としても大いにもてはやされたのだ。

今里は「十河与三郎が大阪セルロイド、中谷岩次郎が中谷セルロイドを設立した場所」であり、
セルロイド関連の会社もたくさんあったという。

しかしセルロイドは燃えやすいのが弱点で密閉空間では自然発火することもあるらしい。
プラスチックにとって代わられ、セルロイド会社も合成樹脂や他の化学製品を作るようになった。

歴史あるダイセル(元・大日本セルロイド)堺工場もなくなってしまった。
時代の流れとはいえ、あのレンガ建築を近代化遺産としてもう少し残してほしかったなぁ。

しかしセルロイド産業が息づいていた今里のまちなかに、このセルロイド会館が残っていることは
とても有意義なことだ。
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