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Channel: まちかど逍遥
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近所にあった引込線

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兄とメールで話してて話題に上がったので、書きかけでほったらかしだった記事を
発掘してきた(笑)。2009年に書いていて、どうまとめようか悩んでそのままに
してしまっていた。もう状況がかわってるかもしれないなぁ。
うまくまとまらなくてもリアルタイムで感動を伝えないとな。。。(反省)


こないだ石山の引き込み線を見に行ったりネットで検索していたときに、
ひょんなことから、うちからごく近いところに引き込み線があったことを知った。
それはJR環状線から分岐していた三菱製紙浪速工場への引き込み線。

野田と西九条の間で南側へ分岐していた市場線は知っていたが、そこから少し
西九条寄りのところからなんと北へ向かって伸びる線があったらしい。
う〜ん、そんなの聞いたことない!急いで手持ちの各年代の地図を広げてみるが、
もちろん線路記号などどこにも見あたらない。地図上に出ていたらとっくに知っていたはずだ。
この廃線跡を歩き近隣の老人などにヒアリングしたとても詳しいレポートがあり、一気に読んだ。
それはもう10年も前に書かれたものだった。今現在、どうなっているのか・・・?
今すぐにでも見に行って確かめたい衝動にかられたが、、、週末まで待って、
現地を見に行ってきた。


野田駅から徐々に下りはじめる市場線のスロープを確かめながら、西へ向かう。
そして踏切跡を示す不自然な坂路。ここのフェンスから向こうを見通し、線路が高架柱の間を
南側へ通り抜けて市場まで続いていたんだなぁ〜、というところまではすでに頭の中にある映像。
その線路は市場線を見送ったあとまだしばらく高架沿いを走っていたのだ。。。


私が初めてここを見たときすでに線路沿いには新しい建て売り住宅が並んでいたから、
廃線跡とは気づかなかったが、例のレポートの写真を見ると、そこに住宅はなく敷地の端に
道路面との段差が現れており、枕木まであったようだ。しかし今はもう面影すらない。





さて道路をわたった続きはどこだろう?







地図を見ると、線路跡は今の街区の真ん中を
通っていたようだ。マンションの隙間をのぞいてみると、隣家と区切るフェンスが
わずかに弧を描いている。これか!?






レポートの作者が探訪のきっかけとなったと自ら言っている「ガレージ曲線」があった場所。
青空駐車場だった当時と違い今はとてもわかりづらいが、敷地の形は確かに廃線跡を語っている。

マンションの先の道路へ回り込んでみたが、続きはまったくわからない。
この先、今ある道路と合流する形となりしばらく平行するはずである。
しかし歩道の部分なのか建物が建っている部分なのかはっきりわからない。




この裏手に高いコンクリートの塀が見えた。これは川跡だ。

まっすぐ行くと浪速通運の社屋に突き当たる。北港通からの進入路がちょうどいい幅だ。






そのまま突っ切っていくと福山通運の巨大な倉庫の正門に至る。航空写真とまったく
同じ建物が今もそのまま建っているのは軽い衝撃だ。この巨大な倉庫は道路に対して
平行に建っていないのがミソ。線路はこの倉庫のプラットフォームに沿って北上していたのだ。
公園と福山通運の境界フェンスは、倉庫の壁から3m位離れている。フェンスの内か外か、
さてどっちだろう?
航空写真を見ると倉庫すれすれに見えるので内側だろう。敷地内には遺構がまだ
残っているかもしれない。
福山通運の裏には市街地住宅が。ここからは公園内の部分だろう。






中津川跡の道に出てきた。整備されきれいな道になっているので名残はなにもないが、
レンゴーの敷地が三菱製紙浪速工場跡地だ。ここの駐車場の最外側を走り、旭硝子の
工場跡地であるコーナン福島大開店の駐車場まで伸びていただろう。
もうまったく想像だけなのだが。





ん〜〜、これはかなり想像力を求められる廃線跡巡りである。


※この記事は、2009-06-16 23:54:08 に書いたものであり、当時の状況です。
 文中に書いている「詳しいレポート」も、今検索したら見つけられず。。。

廃線跡発見。

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大阪市内の主な廃線跡はだいたい見たかな〜と思っていたのだが、この日たまたま、今まで
存在を知らなかった廃線跡を新発見した(笑)。

道ばたのフェンスにあった地図をたまたま見たところ、街の区割りを無視して見事なカーブを
描く小道が。何これ!?


東部市場引き込み線。
JR関西本線の東部市場前駅の北側にある百済貨物駅から、さらにその北側にある大阪市
東部中央市場まで、ほぼ180度の半円を描いて引き込まれていた単線の線路跡が、
実に美しいカーブ具合そのままに、道路になっていたのだ。


今まで全く気づかなかったのは、まぁ私があまりなじみのない地域であることに加え、
私が常々持ち歩いている「日本地学協会」の地図に、全くその道が描かれていないことが
大きい。縮尺の問題ではなく、完全に抜けているのは沿道の住人にとっても失礼なことである。
・・・まぁこの地図は誤字脱字、転記ミス、旧情報、等々満載で、いつもそういう箇所を
見つけてはひとりツッコミを入れている、楽しい地図なのではあるが。。。
昭文社の地図が見にくくて嫌いなのでしょうがない。話が大きく逸れてしまった。

てなわけで私に新発見された廃線跡。この美しさを見て!
「野田緑道」になっている福島の中央市場の引き込み線とよく似ている。






この完全な弧といい幅といい、引き込み線のありし日を彷彿させるに十分な姿。
荷物を満載した長編成が、機関車に引かれてカーブの向こうへ消えてゆく。。。いいなぁ〜





市場の塀は跡形もないところを見ると、廃線後に建て替えられたのだな。

帰って調べてみると、百済貨物駅は1963(昭和38)年に開業、東部卸売市場は
1964(昭和39)年に開場、引込線も同時に設置されたと思われる。
そして引込線は1985(昭和60)年に廃止されたらしいので、30年近く前だ。
ちなみにJR関西線の東部市場駅はまだ記憶も新しい、1989(平成元)年の開業である。

大阪市 中央卸売市場のあゆみ


長らく関西本線の車窓から愛でていた「百済駅」の看板を掲げた小さな建屋は最近建て替えられ、
真新しく簡素な4階建てのビルディングに変わってしまった。

純喫茶パール

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広島の宿のすぐ近くにあった「京橋会館」はかなり大きな建物。道路に面した1階は店舗や事務所、
上は住宅だったようだ。




すでに閉鎖され、まだ荒れ果ててはいないものの人気の全くない廃墟。
広い中庭には芙蓉の花が咲いていた。





建築計画のお知らせが出ていて、それによるとデイサービスセンターなどを併設した
高齢者専用賃貸住宅に建てかわるらしい。

さてパールへ。やっぱり素敵だなぁ〜!向かいのブランカにも惹かれるがやっぱり王道を行こう。


広い!螺旋階段!昭和32に建てられたモダンな建物。
カーテン越しに市電を眺められる窓際の席に座りエッグセットを注文する。


ゆで卵がトーストされたパンに挟まったタマゴサンド、紅茶とフルーツポンチ(?)が
トレーの中にきれいに収まっている。
モーニングというよりはランチのお値段だが、この雰囲気にゆったり浸れるなら安いものだ。


今日は岩国から徳山間でちろちろ途中下車しながら門司へ向かう予定。再度時刻を確認しておこう。
岩徳線の周防高森、周防花岡の駅舎も見に行きたいのだが、本数が少なすぎてそれだけで
一日終わってしまう。どちらか一方にするとして、まず岩国から岩徳線で周防高森へ行き
約30分後に岩国へ引き返すのがロスが少ない。ちょうどいい時間に引き返せるパターンは
9時29分岩国発しかないので広島発は8時34分発だ。さてそろそろお勘定を。。。ごちそうさま。

どちらから来られたんですか?大阪です。素敵なお店ですねぇ〜。
もう古くて・・・再開発もかかってるし。いつですか?西武が来るとか言ってて白紙になったりでねぇ。。

広島に行ったら絶対パールへ行けと言われて来たんです。あらまぁそうですか、あ、そうだ。
おばちゃん、厨房へ入って行ったと思ったらマッチを一つ持ってきてくれた。これどうぞ。
わ〜ありがとうございます!


壁にはマッチのコレクションが飾ってあった。
これね、お客さんがこうしてくれたんですよ。昔はね、年に4回マッチを作ってねぇ、
これはクリスマスでしょ。私らもうおいてなかったのにお客さんが集めてくれててね。
お客さんに支えられてずっと来たんですよ。
これは横浜のお客さんが作ってくれたの。おばちゃんはうれしそうにこの建物の模型や
いろんなものを次々見せてくれて、飼っているウサギまで見せてくれた(笑)。


折しも今日、建築関係の人たちがここでトークセッションをやるのだとかで、案内のコピーも
見せてくれた。オープンアーキテクチャーのイベントらしい。うわぁ、聞きたかったなぁ。

店内の写真を撮らせてもらっているとお客さんが増えてきたので、二階も見ていいよと
言われたがお礼を言っておいとました。あぁ、朝から素敵な時間を過ごさせてもらった。

岩徳線はとっくにあきらめていた(笑)。

山陽本線沿線の風景

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広島を出て、変化に富む車窓風景を楽しみながらちょろちょろ途中下車。
山陽本線は30分に1本はあるので便利だ。

木造駅舎でなくても、古き良き地方の街の顔、といったこんな駅舎も私は好きだ。


あっ、あれは。大竹と和木の間で海側へ伸びていた廃線跡の築堤。とっても美しい!
次の機会にたどってみたいな。


このあたりレンコンの産地なのだな。窓からははるか遠くまで続く一面のハス田が見える。
花の季節にはどんなにきれいだろう!


海際を走り続ける山陽本線。朝の日の光に輝く海面を眺めながらの電車の旅は、至福。。。

小舟がたくさん浮かんでいるのが見える。遠目にはジャンク船かと思うような船。
写真をアップにして見てみるとやはり帆か旗を掲げているようだ。何漁だろう。





柳井港駅の小さな駅舎を出ると正面に四国・松山や防予諸島の島へ渡る船乗り場がある。


あぁここから四国に渡って瀬戸内海を一周するのもいいな。




柳井のまちをひと歩き。国の重要伝統的建造物群保存地区いわゆる伝建地区が有名だが、
その外側にこんな医院建築もあった。



概して、面白いものは保存地区の外にある。



下松と周防花岡駅

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山陽本線を下松で下車。
今日はあきらめた岩徳線だったが、下松から周防花岡は距離的に近い、バスが出ていないだろうか。
駅前のロータリーに停まっていた防長バスに「花岡方面」と書いてあったので運転士さんに聞いてみた。
このバスは周防花岡駅に行きますか?あぁ駅には行かないですね。駅に行くバスもあるんですか?
ん〜ありますけど今からだと次は・・・・だいぶ先ですね。
運転士さん、親切にバスから降りてきてくれて時刻表を見ながら立ち話。
周防花岡駅を見に行きたいんですけど、岩徳線の本数が少ないから下松から行く方法がないかなと。
う〜んそうですね、このバスで宮の前というところまで行って歩けば行けなくもないですよ。
どのくらい歩きます?10分くらいかなぁ。あ、そうなんですか、駅を見るのはまぁ10分か
15分くらいですけど帰りの便があるかが問題ですね。。。このバス終点まで行ってすぐ
折り返して来ますから20分か30分くらいかな。じゃ、ちょうどいいですね!乗ります乗ります!
もう発車時刻過ぎてるので出ますよ。

なんて親切なんだろう〜!「このバスは行きません、次のバスに乗って下さい」で終わっても
仕方ない旅人のわがままを、観光案内所の人でもないバスの運転士さんが、出発時間が過ぎて
いるのを気にしながらも、何とかかなえる方法をと親身になって考えてくれるなんて!
あぁ、こういう地元の人の親切に触れた時が旅の醍醐味を感じるなぁ。。
バスの中でもいろいろ話をしながら、自分も前職では全国あちこち行ってたんですよ、と
言われるので聞いたらなんと元は競輪選手だったとか。へぇ〜驚いた!!


宮の前バス停から周防花岡駅は思ったよりも近く、5分くらいで着いた。
うわ〜かわいい!

この腰折れ型の切妻のファサードは周防高森駅とよく似ている。


ちょうど岩徳線の下り列車がガガーッと音を立てながらやってきた。
これに乗って徳山へ出てもよかったんだけど、下松の町も歩きたいから、乗らずに見送ろう。


気動車のあの音はいいなぁ〜。薄い煙をなびかせながら、黄色い列車は新幹線の高架の向こうへ
消えていった。


バス停から駅までの間ではこんなディテールも見つけた。


木製アールデコ欄間。


戻ってきたバスに乗り込むとさっきの運転士さん「間にあいましたね」とにっこり。

ちょうどこの時期山口県では国体開催中で、下松の会場の一つとなっていた下松市民体育館
バスの窓からちらっと見えたんだけど、とてもカッコイイ!
今調べてみたらどうも、昭和36年築だが老朽化に伴い新体育館が建設されたようだ。
この旧体育館はもう使われなくなるのだろうか。


下松駅まで戻ってバスを降り、まちを歩こう。
駅近くの古い歓楽街の中にこんな建物を発見!うわぁ〜、何これ!?遊郭建築!?
いや、そうじゃないみたい。道幅いっぱいに引いて写真を撮ろうとしていたら、向かいの
18禁の店から人が数人出てきた・・・焦って「この建物すごいですね、お医者さんですか?」と
おばちゃんに聞いた。「あぁ、もともと石崎内科がそっちでやってたんじゃない。珍しいの?」
やっぱりそうか。ちょっとこわもてなおっちゃんも建物を見上げて「古いな・・」
何とか睨まれずにすんだようだ。昼間でよかったぁ。。。

それにしてもすごいインパクトだ!周防花岡駅のファサードと相通ずるのはたまたまか(笑)

駅周辺をぐるぐる歩き回ってみたが他に古そうな建物は見当たらなかった。
もう少し広域を回れたら、市民体育館など公共建築や海側の工場引込線跡も見たかった。
レンタサイクルは見当たらなかったなぁ。


このあとまた山陽本線で西へ向かい門司まで行き、新門司から名門大洋フェリーで大阪南港へ。
2泊2日の短い旅。今回も楽しかったなぁ〜

六曜社と兄弟タイル

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タイトルに六曜社とあるが、これは六曜社ではなくスマートコーヒーである(笑)。


京都の寺町三条にあるこの素敵な老舗コーヒー店に行ったのはもう先月のこと。
名前は知っていたがまだ行ったことがなく、yumeさんに連れられてランチしに来た
この日が初めてだった。
あぁなんて上品でおしゃれで、居心地のいい雰囲気・・・・目と心と舌の保養〜


ところでここの向かいのギャラリー。あれっ、このタイルは・・・見たことある!?


六曜社のタイルとそっくり!!いや、ちょっと違う。六曜社のはぶつぶつがあったはず。
そして釉薬がもっとたっぷりかかっていたな。そしてここのは、デカい!!約30cm角だ。
(あちらは確か15cmか18cmぐらい)

六曜社のタイルは清水焼らしいが、同じメーカーでバージョン違いとして作られたものだろうか。
それとも、これらの兄弟タイルは汎用品として広く出回っていたんだろうか。

京都大学花山天文台

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以前本に載っていた写真を見て、行きたいと思っていた京都大学花山天文台
一般公開があったので行ってきた。
あいにくぐずついた天気だったが、山の上でシャトルバスを降りて歩く道すがらの緑が
しっとりつややかに光って、雨もなかなか悪くない。

「花山」は「はなやま」でなく「かさん」「かざん」と読むと、今調べて知った。
華頂→花山と転じたらしく、この山は華頂山とか花山山と呼ばれるそうだ。その美しい名と
裏腹に、途中の東山ドライブウェイの沿道は不法投棄がひどいのは嘆かわしいことだが。

今回の公開は天文学とか宇宙とかに親しむためのイベントであり建築物としての見学は
主催者の意図するところではないようであったが、特にダメと言われるわけでもなく
あちこち見て回った。
白亜のモダニズム近代建築である本館は1929(昭和4)年築。直線と円弧からなる
デザインは当時どれほど先進的なイメージを見る者に与えたであろうか。


起伏のある場所に建っているため入口は2階にある。
中に入ってもやはり幾何学的でクールな空間だが、木製のドア、陶製のルームプレートなどが
適度に印象を和らげる。窓のサッシはすべて新しくなっている。


入って廊下を左手に進むとドームを頂く円柱部分だ。中心部に柱、その周りを回る廊下、
そしてその外側に小部屋がいくつかあるらしくドアが並んでいる。
直径10mぐらいの円筒の中が同心円構造になっているので廊下はかなり狭苦しい。


それに比べ階段は吹き抜けで広く明るい。中3階に秘密の小部屋・・・?


天井に向かってラッパ状に広がる3階の柱。う〜ん、素敵だ!




3階から鉄製の階段を上っていくと、、、おお!


半球型のドームはなんと板張りだ。驚き!


周囲をぐるっとめぐっているレール状の部材と車輪が目に入る。このドームが回るのか?
ガーッと音を立てて回りだした。うわっ!回転展望台みたいだぁ〜


スタッフの人にいろいろ話を聞く。このドームを支える鉄骨は川崎造船所が作ったのだとか。
なるほど、美しい放射状のトラスの骨は船底を彷彿とさせる。
回転展望台は鉄道の技術を使って作られたらしいが、天文台は造船とは面白い。




直径45cmの屈折望遠鏡は星を追ってくるくる回るようになっているが、それを支える
ピラーと呼ばれる支柱は、地震が来ても動かないように、建物の柱とは別に地中に打ち込んだ杭に
固定されているらしい。ただしそれも長年のうちに軸がずれてきて(?)微調整が必要なため、
下階で見たあの太い柱の中には人が入れるようになっているそうな!?
なんと、同心円はもう一重あったのだ!柱の中を覗いてみたかったが、残念ながら立入禁止。。。
望遠鏡は昭和45年に今のものに付け替えられたがピラーは開設時からずっとそのまま使われて
おり、世界的に見てもかなり希少なのだとか。

階段の穴が数枚の扇形の鉄板によりぴっちりと閉められるようになっているのは、室内の空気の
揺らぎをできる限り抑えるためなのだとか。部屋が矩形でなく半球形になっているのも
どちらの方向でも空気を同じ状態に安定させるためという。なるほど。精密な画像を得るために
空気まで制御していたとは。

2Fと3Fの天井に見える台形の開口部の痕跡についてもスタッフの人に聞いてみたが
わからないという。望遠鏡の搬入口だろうか。


建物のことだけでなく、望遠鏡の構造や月、木星や土星の話など興味深い話も聞け、
いろいろ疑問にも答えて下さり、なかなか有意義で楽しい天文台見学だった。

船、山に登る

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地下鉄蹴上駅から京都大学花山天文台へ向かう臨時のシャトルバスに乗って、
東山ドライブウェイをぐんぐん登っていく途中、山の中腹に突如現れたのは・・・廃墟?

これが気になって、天文台見学のあと雨のそぼ降る山道を歩いて下ることにした。

半分よりさらに下りたあたりで、見えてきた見えてきた。
なんでこんなところに!?ぐにゃぐにゃとまるで腸みたいな、プールのスライダーが!
「アクアパーク東山」




山を越えたら琵琶湖があるのに、なんでこんなところにプールを作ろうと思ったんだろう。
滋賀県に流れ出る客を京都府内に食い止めようとしたのか?

濁った池にぽつんと浮かぶヨットが哀れを誘う。。。

山道をぐるりと回って下りてきたら、こちらがパークの入口だったらしい。
「雨水貯水池」??
ええっ、まさかあのプールが貯水池??転用?それとも初めから兼用で作られていたとか?
スライダーはもともとおまけだったのか(笑)。


ビル街にUFO現る!?

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今日は午後から広島に日帰り出張。
打合せを終えて市役所へ向かおうと、大通りから繁華なまちなかに入っていくと、
ビルの間から見えたのは、、、


うわっ、あれは!?
広島国際ホテル」。回転展望レストランだ!
二層に重なった大小の円盤を見上げると、まるで空から降りてきたUFOのようだ。

青いタイルもいいな。

・・・・さて、回っているんだろうか!?

ホテルのフロントで聞いてみるとそれはやはりレストランで、回っているという!!
やった!(笑) 喫茶もできるらしい。


市役所での仕事を終えて夕方また戻ってきた。さてお茶でもしよう。


再びフロントに聞くと・・・・何と、喫茶は4時までとか。え〜っそうなの〜〜?ショック。
見るだけでも見せてもらえませんか。。。どうぞ。エレベーター8階でお乗り換え下さい。


この時はディナータイムの準備のまっただ中。おじゃまします。
うわぁ〜〜!下から見上げた時も半径が小さいと思ったが、やっぱり小さいな。
手柄山の回転展望台と同じくらいのスケール感。テーブルの足元にスリットがある。


空庭BisとろKURUKURU」というレストラン。おしゃれな雰囲気だがカジュアルなお値段だ。
お兄ちゃんにちょこっと話を聞いた。5時からディナータイムだが、節電のためお客さんが
入ってから床を回転させるとか。2時間で1周というゆっくりなスピードは、ディナーコースを
食べる間に1周する速さ。電源入れましょうか、とお兄ちゃんサービスしてくれた。ありがと〜


ここは上層部で、下層の方はレストランの個室だとか。帰りにちょっと覗くと、
さすがにこじんまり!少人数でまったりするにはいいかも。しかし細切れなので円形が
あまり感じられないのは残念。1周全部貸切!の方がいいんじゃない!?


広島国際ホテルは今年45周年を迎えたそうだ。ということは昭和41年開業か。
回転展望台真っ盛りの時代だ。→過去の回転展望台の記事を検索

今の現場が始まったらランチを食べに来よう〜(笑)。

刷毛目壁

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広島出張の最後に、パールでお茶だけ飲んで帰ろうと広電を猿猴町電停で降りたら、
目の前になんか変わった意匠の壁が!?

もう使われていないらしい古いビルの側面。
隣はつい最近まで建物があったのであろう真新しいアスファルトの駐車場である。

密着していた建物を無理矢理引き剥がしたのかな。
接着剤で貼り付けられていたのはどんな壁だったのか。


しかし、このダイナミックな刷毛目を見て!何とも芸術的ではないか。


武田双雲も真っ青!?(爆)



いや〜面白い。

秋晴れのヴォーリズサロン

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土曜日はさわやかな秋晴れの京都へ、ヴォーリズサロンに参加してきた。
一粒の会が毎年開催されている、講話と懇親の会。
今年は赤レンガのヴォーリズ建築校舎のある同志社大学が会場で、一粒社ヴォーリズ
建築事務所顧問の矢野義(ただし)さんから楽しく興味深いお話を聞かせていただいた。
あくまで使う人の使いやすさ快適さを第一とした建物たちが生まれてきた背景にある、
ヴォーリズさんのユーモアと愛に溢れた人となり、一方では厳格なピューリタン精神を
所員のプライベートにも求めた完璧主義的一面も知ることができた。

その後、学祭で賑わうキャンパス内を歩き、ヴォーリズ建築を見学。

アーモスト館は見たことがなかった。ヴォーリズ建築としてはほとんど例のないシンメトリーな形の
アメリカジョージアン・リバイバル様式。


1932(昭和7)年の竣工で、少し前まで寮として使われていたそうだが、改修されて
今は滞在施設として使われているらしい。


ちらりと覗いた入口の足元には椿窯製と思しきタイルが。


そして大学近くの静かな住宅街の一角に建つバザールカフェへ移動。
こちらも1919(大正8)年築のヴォーリズ建築で元宣教師住宅。


道路から見ると普通の住宅なのだが、脇の通路を抜けると隠れ家のようなカフェが。

もとは家族の団らんの場であったであろう暖炉のある部屋でお茶を頂く。
家族で過ごすに必要十分な広さの空間は、お茶を飲みに訪れる客も親密な気分にさせてくれる。
ヴォーリズさんの愛は建築を通して今も私たちに十分伝わってくるようだ。


第2部の懇親会も、おいしいお料理と和やかな雰囲気で心温まるひとときを過ごさせて頂いた。
ありがとうございました!

大和郡山 川本邸見学

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以前歩いたことのある大和郡山、そのとき見た洞泉寺町の木造三階建の元遊郭、川本邸の
内部を見学できる機会があったので行ってきた。mayumamaさんも来られていた。
旧川本邸保存活用プロジェクト」主催の「城下町たてもの散歩」というイベントで、
あわせて登録文化財になっている2軒の建物も見学できた。

まずは明治初期に建てられた商家、葉本邸。つし二階のむしこ窓に分銅モチーフの装飾が
あしらわれているのは両替商だったから。一般的な町家の2倍ほどある間口から商売の
規模が窺える。内部も明治時代からほとんど変わっていないようで、土間やかまどが
そのまま残り、頭上には煙抜きの越屋根が見える。
建物の右端の上客用の入口を入ると坪庭で、座敷のさらに奥には茶室があるらしい。そこは
今回非公開だったが、高名な指物師の監修を受けて作られ繊細なディテールが見られるとか。



次に、城下町の中で異彩を放つ元杉山小児科医院の洋館。道路に面してハーフティンバーの
妻が大きく立ち上がり、屋根の上には空を突き刺さんばかりの大きなピナクル(尖塔)が5つも。
大正10年頃に別の医師が建てた洋館を、昭和30年ごろ先代が譲り受けたとか。
今は2代目院長であるご主人の趣味のアトリエ兼ギャラリーとして使われている。
いろんなアートのご趣味をお持ちのようだが、特に部屋の窓窓を飾るステンドグラス作品の
数々は、この洋館にもとからあったかのようにぴたりとはまって魅力を高めている。



さて最後に川本邸。あぁここに入れるとは〜

昭和33年の売春防止法施行により廃業したあと下宿として使われていた時代もあったそうだが、
その後建物の価値を見いだされ、建て替え寸前に大和郡山市が買い取ることで救われた。
しかし耐震上の問題等のため空き家のまま長らく放置されていたのを、市民ボランティアが
中心となり活用に動き始めたのだとか。
旧川本邸とは?(旧川本邸保存活用プロジェクトのサイト)

玄関土間の脇に池が。建物はロの字形に廊下が廻り、座敷の雪見障子越しに中庭が見える。


当初は埃まみれで土足で上がっていたが有志の方々で大掃除をして、今では畳も障子もピカピカ。
繊細な格子などが壊れていなかったのは幸いだ。


水周りはやはりみどころ。
お風呂には洗面台と同じ小口サイズの白いタイルがなんと天井近くまでみっしりと!


そして天井には川本家の家紋(土佐柏?)のしっくい装飾が。しかも色付き。すごい!

トイレの個室の板戸は松竹梅の柄違いの透かし模様。昔は床がガラス張りで金魚を泳がせて
いたとか。男子用便所には雷文のマジョリカタイルが見られた。個室の中ももしや・・・
開けてみればよかったな。

2階と3階は客室が廊下沿いに並ぶ。幅1間のほんとに小さな部屋で、直球である。。。


外から見えたハート型の窓は吹き抜けの壁に明けられたもの。


大正時代にすでにハートの概念があったそうだ。へ〜〜〜


廊下にガス灯が。土壁からガス管が突き出している。配管を巡らすのは大変だっただろうな。


3階へ上る階段が、2階の廊下からすると釣り合わないほど幅の広いのは、ここから上へ
上がれるのは上客だけだったから。


特殊なまちというイメージが広がる懸念から保存活用に反対の声もあるが、
箱本と呼ばれる自治制度もあった城下町大和郡山の繁栄の中で生まれてきた文化風俗の
歴史を語るものとして、この建物の存在価値があるのではないか、、、そんなようなことを、
案内してくれたボランティアの建築学生さんが言われていた。

建物のオーナーさんや建築家、アーティストなども一体となって、街を盛り上げていこうと
いう熱い思いに満ちた大和郡山だった。
貴重な機会をありがとうございました。

喫茶レモン

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大和郡山のたてもの散歩の帰りにmayumamaさんとお茶する。
前回から目をつけていた、アシンメトリーな壁の張り出しがかわいい喫茶レモン。


ミルクティーを頼んだ私に不本意そうに「え、ミルクティー?」と聞き返してきたおばちゃん。
この店はサイフォンで入れるコーヒーが自慢なのだそう。失礼しました。
mayumamaさんがコーヒーを頼んで、私はやっぱり紅茶に、、、ごめんなさいね〜
(胃が痛くなるので・・・)

豆を挽いてから使い込まれたサイフォンで入れるコーヒーの芳しい香りが漂う。。

店を始めてもう30年以上になるとか。改装もできないで古い店で、と謙遜されるが、
いやいや素敵ですよ〜!ペパーミントカラーの壁にかかる黒電話がいい味。
「つなげば使える」のだがコードレスを使っているそうだ(笑)。

ドアを出たら足元にレンガが!入るときは気づかなかったなぁ。
照明で陰影がはっきり出たからだな。
いろんな会社の刻印入りだ。近くの建物に使われていたものなのか、それとも
ここのご主人がレンガコレクターだったのか!?今度行ったら聞いてみよう(笑)。

見立てグレーチング

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兄と伊賀鉄道の廃線跡を歩きに行ったとき。
ふと道端の側溝に目をとめた。

なんじゃこりゃ!?グレーチングかと思ったら、キャタピラじゃないの〜


ぱっと見違和感なかったから見過ごしそうになったよ!
切り開いたら確かに形状はピッタリだ。

素晴らしき転用。でもちょっと・・・つまづきそう?

新田用水の円筒分水

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こちらも伊賀鉄道廃線跡巡り中。
田んぼの中を伸びる初瀬街道を歩いていたら、目の前を横切る堤が。
おお、天井川か。道の部分だけ堤が切れている。
堤上に登ってみるとゴボゴボと音を立てて水が噴き出していた。サイフォンか!


そこに張られていた新聞の記事によると、「新田用水」という灌漑用水路らしい。
美旗新田の開発を行った伊賀藩加判奉行加納直盛を中心として、1655年に作られたが
大雨で水源の大池が不能となったため、直盛の子である直堅が前深瀬川から引き直した
全長約14kmの水路が1676年に完成した。これはその一部のようだ。


桜並木の天井川を端まで歩いて行くと、、、、おや、あれは。


円筒分水だ!おお〜美しい!中央の筒から湧き出す水が15方(たぶん・・)に開けられた
四角い窓から外側へあふれ出す。外側の筒は窓5個(たぶん・・)ずつで仕切られていて、
水は正確に三分の一の量ずつ別々の水路へ流れていくようになっている。これぞ機能美!


こういう素晴らしい土木遺産が、ひっそりと、しっかりと、残っているのはうれしいことだ。


大手前配水池

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もう3週間前のことになるが・・・・
母がメールで教えてくれたので旧大阪市立博物館(元旧陸軍第四師団司令部庁舎)の
特別公開に行ってきた。大阪城復興80周年記念イベントの一環とか。
土曜日は雨だったが日曜は一転いいお天気。久しぶりの大阪城公園は大にぎわいだ。


市博時代、仕事で(大学の時だったか?)入ったことがあるはずだがすでに記憶がない。


さすが軍事施設。重厚堅牢にして優美。見学できたのは1Fのエントランスホールと階段、
2階中央の貴賓室、それに車寄せの上にあたるバルコニーにも出ることができた。


内部も美しいが、手作業の跡が鮮明に残る外装の石も素敵だ。




ところでこの建物と天守閣の間にあるこんもりした山。これは何だ?


「大手前配水池」。柴島浄水場から引いた水をいったんここに貯めたのちに周辺区域に送って
いるのだそうだ。そういえば本で読んだことがある。
それに府庁に近い側に「高地区配水喞筒場」という建物があったな。


1895(明治28)年に造られた施設が今も続けて使われているとは!
この施設の特別公開もしてほしいなぁ。しているのかなぁ?

伊賀鉄道廃線跡を、延々歩く

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大和西大寺発新王寺行き急行に乗りに行ったあと、西田原本駅で兄にピックアップしてもらい、
伊賀鉄道廃線跡を歩きに行った。12kmぐらいだというのだが、ヘタレな私は
そんなに歩けるかなぁ・・・とちょっと渋々。

今、JR関西本線の伊賀上野と近鉄の伊賀神戸を結んでいる伊賀鉄道は、近鉄が伊賀線を分離して
つくった子会社であるが、同じ路線ながら全く別の会社の伊賀鉄道があったのだ。

1916(大正5)年に伊賀軌道が現伊賀上野〜現上野市間を開業したあと、伊賀鉄道に社名変更。
1922(大正11)年に現上野市から西名張までを開通させた。
伊賀鉄道は1929(昭和4)年に大阪電気軌道に合併され、参宮急行電鉄を経て近畿日本鉄道に。
近鉄時代の1964(昭和39)年に伊賀神戸〜西名張間が廃止された。


さて伊賀神戸駅から歩く。廃線跡はいきなり草むらに阻まれ迂回。。。
近鉄の線路を斜めにくぐったところから、いい感じに残った廃線跡が続いていた。


うわぁ・・・水路を渡る小さなガード。枕木もそのままに雰囲気満点!
背後の築堤を近鉄電車が走り抜けていく。


お天気も良くさわやか。田んぼの中の廃線道を歩くのは気持ちいい〜


わだちがレールに見えてくる。。。
近づいたり離れたりしながら進んでいく。線路跡を歩いていたら藪に突っ込んで進めなくなったり・・・


兄のナビで歩いて行くと、うわっ、すごい!二重のアーチが〜!!上が伊賀鉄道。その築堤をくぐる
人道トンネルの下に水路があるのだ。

トンネルの中には墨書きで名前の書かれた木製の農機具が放置されていた。

すごい遺構が隠れているなぁ。。。

水路越え、平地、築堤、切通し、、、、それにしても多様なロケーションが楽しめる!
新田用水をくぐる部分はトンネルがあるらしいが、藪に埋もれた切通しは深すぎて、下りてみた兄も
よくわからなかったようだ。

それからしばらくは圃場整備が進み全く痕跡すら残っていない広々とした田園地帯がつづく。
そしてその真ん中を流れる川まで来たとき、何の前触れもなく再び姿を現した線路!おお〜〜っ


その前にも後ろにも鉄道の面影は何もないどころか、さっきの新田用水の下のトンネルと
この土手を直線で結んでも土地の高さが合わない。圃場整備で地面をかなり切り盛りしているようだ。
この間に美旗新田駅もあったはずなのだが。。。

この地域の圃場整備は昭和48年に着手、昭和59年に完成したらしい。田園地帯の一番端に記念碑があった。

キャタピラグレーチングを見つけたのはこのあたり。

このあと痕跡が分からない区間が続き、上り道があってかなり疲れてきた。
うまい具合にバスがやってきたのでショートカットすることに・・・

桔梗が丘駅で一息ついたあと気を取り直して再出発。ここからはまた結構痕跡があって、水路の下の
石積みなどを覗き込んだり、蔵持駅跡の雰囲気を味わったりしながら歩く。だいぶ日も落ちてきた。

このカーブがとってもいい雰囲気。このあたり八丁駅跡か。

もう名張のまちは近い。
車の往来する名張街道と平行に、あぜ道と化した伊賀鉄道の廃線跡は続いている。




終点の西名張駅跡は近鉄名張駅からはずいぶん離れたところにあったようだ。
兄のネット情報によると、ショッピングセンターリバーナにほど近い、この材木屋のあたりだろうと。
うん、なんとなくそんな気がする。こちらが街の中心地だったのだ。

土地の高騰を嫌ってまちはずれに造られたという参宮急行名張駅。
皮肉なことに西名張は寂れて伊賀鉄道は廃線となり、近鉄名張駅は現在まで存続している。
自分だけ得をしようという欲深い人々が土地を買い占めたりしなかったら、参宮急行の駅は西名張駅に
隣接して造られ、名張街道と2つの鉄道が集まるこのまちは違う運命をたどっていたかも・・・?

あぁよく歩いた!疲れた!!長い一日だった〜

きんせ旅館のめくるめくタイル

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タイルの本という雑誌に載っていた京都島原の「きんせ旅館」に、タイル好きのmayumamaさんを
誘って行ってきた。旅館という名だが宿泊はできずカフェ&バーとしての営業である。
島原は京都の六花街のひとつだったところで、山陰線丹波口駅の南東にあたる一辺約200mの
エリア。今は静かな住宅地であるが、改修保存されている島原大門の他にも花街の名残が
ちらほら見える。とは言っても目を引くような華やかでキッチュな装飾などはなく、落ち着いた
町家の両開き戸や格子や飾り窓や御簾のかけられた二階の窓辺などから雰囲気が感じられる。


2時頃現地に着くと、え、まさか!?閉まってる・・・・今日休みか!?
事前に確認しておかなかった自分のうかつさに一瞬呆然としてしまったが、近所の方曰く
いつも4時から営業してるよ、夜がメインやからね、と。あぁそうなのか〜
小一時間周辺のまちを見て回り戻ってきたらオープンしていた。よかったぁ!


はやる気持ちを抑えつつ、ガラリと戸を開けると・・・・・うわぁ!!!


雑誌で見た通りのめくるめく世界が広がっていた!タイルタイル〜〜!!


このタイルの一枚一枚の美しさ。そしてランダムに並べて貼られた全体の色彩と構成の美しさ!
少しの不自然な隙間もなく埋め尽くされている。興奮で言葉が出ない・・・

玄関のたたきの部分には花模様のモザイクタイル、また左手の一段上がった部分には大理石の
モザイクが敷き詰められ、このエントランスホールだけでももう気が狂いそうに素敵なのだ。

牡丹柄のステンドグラスの横のドアを入るとカフェ。折上げ格天井の部屋はダンスホールみたいだ。
落ち着いた木の内装。このときは1組のグループがおられたので写真を撮れなかったが、
裏庭からの光に浮かび上がったバラの花と蝶々の模様のステンドグラスも素晴らしいものだった。


またすぐ左手には、つい1週間前に伝法の鴻池本店で見たのとよく似た、鳥モチーフの
ステンドグラス。これはキジだろうか?それとも架空の鳥だろうか?他にもツバメの柄も。


左手奥にはもう一部屋あり、中央にソファが1セットぽつんと。
こちらの部屋は私たちだけで独占だ。




トイレは古い町家スタイルで裏の離れにある。廊下に出るとそこもタイルだらけの空間。。


壁は玄関と同じような乱貼りタイル。非常に見栄えのする大型のタイルが効果的に使われ、
間を埋めるタイルはどれも大きさが違うのに一定の目地幅でぴたりとおさまっているのが不思議だ。
やはりイレギュラーな大きさの小さなタイルが使われているのは苦心の跡と思われるが、
現場で加工したような形跡がなくその大きさに合わせたタイルをわざわざ焼いているんじゃ
ないかと思わせる。単に余った半端タイルを寄せ集めただけではない気がするのだ。
だとしたら、まず別の場所で並べて構成を考え、不足する大きさや色ののタイルを作ってから
現場で貼ったのではないだろうか。今ならパソコン上で簡単に並シミュレーションできるだろうが
当時はどんな作業だったんだろうか。


廊下の淵の水色のタイル、この色合いすごく好み!釉薬を重ねているのかな。


そしてトイレもすごかった!この床のタイル〜〜〜


見て!この吸い込まれそうな色!頬ずりしたくなるこの質感!(トイレの床だけど)
あぁいつまでもここにいたい(笑)


この建物はもともとは江戸時代に建てられたものであるが、タイルやステンドグラスなど
洋風の意匠は大正の終わり〜昭和の初めごろに改修されたと考えられているそうだ。
もともと揚屋だったこの建物を明治時代に買い取って旅館業を始められたが、その初代の孫に
当たる現オーナーが、もとからあった部材や調度品を生かして2009年から今の店を
ひっそりと営業されている。あえて宣伝することもなく、大人数のお客は断ることもあると
言うほど、雰囲気を大事にしておられるようだ。


「きんせ旅館」の名の通り、また宿泊できるように準備中だとか。
2階はほとん和室だというが一部洋風意匠もあるらしく、晴れて旅館となった時には
泊まりに来たいなぁ!


あぁ、こんなめくるめく世界が広がっているとは、純和風の外観からは想像だにできななかった。
逆に、この近所にある建物も中に入ればこういう意匠が残っているのかなぁ!?

あぁ、京都はほんとに奥が深い。

旧鴻池本店&本宅

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もう2週間も前になるが・・12月の洋館めぐりは此花区伝法にある旧鴻池本店と本宅の見学。
ここは以前に何回か外観を見たことがある。辰野式を反転させたような白地に赤帯は特異で印象深い。
古典的な建物かと思いきや細部を見れば装飾要素は幾何学的な線で構成され、セセッションの影響が見える。
クールな印象を受ける表側の表情とは裏腹な明るいサンルームが、伝法川跡に面してあるのも知っていた。
しかし内部があれほどまでに柔らかな曲線に飾られているとは、実際に入って見るまでは想像もできなかった。

1910(明治43)年竣工。洋館は現在のゼネコンの鴻池組の本店として、和館は創業者の居宅
として建てられたもの。

玄関の欄間のステンドグラス中央には社章の「北」マーク。


鴻池組の「鴻」の字は「おおとり=鳳凰」の意味があるといい、ステンドグラスには鳳凰が
描かれている。繊細なライン、色使い、ガラスの柄使いは日本人の感性。こういうのを見ると
日本人であることを誇らしく思う。・・・って私にはできないけど。


洋館の内部は、調度品、暖炉、天井装飾・・・外観からは想像もつかないのびのびとした
有機的な曲線使いのアールヌーボーデザインで埋め尽くされていた。
同じく参加されたひろ009さんmayumamaさんがそれぞれのブログで
「アールヌーボーの館」の美しさを余すところなく伝えておられるのでそちらを見て頂くことにして
こちらでは地味〜な写真を載せることに・・・というのは、実は写真がイマイチだったのだ(苦笑)

サンルームの端にトイレが。ヴェランダコロニアル様式の泉布観もこういう廊下の端に
トイレがあった気がする。明治の洋館の特徴だろうか。




洋館と和館をつなぐ短い廊下を抜けると・・・和館の方もすごい!

趣向を凝らしたパターンを並べた廊下の天井。和館1Fはどこも暗くて撮るのに苦心・・・・


壁のわずかなスペースに埋め込まれたタイルの手洗い。うわ〜いいなぁ!


タイル張りのお風呂が階段下に設けられているのには驚いた。

トイレやキッチンも洋風に改修されている。やはり痛みの早い水まわりは改修の機会が
多かったということだろうか。

和館と洋館の天井高の違いにより、二階はこんなに段差がある。絨毯が素敵。


こんな繊細な指物や、透かし彫りの欄間が素晴らしい。


洋館とイメージを合わせたサンルーム風縁側は、後からガラスが入れられたように見える。


驚いたのはこの暗室。和館の一番端っこにこんな秘密の小部屋があったとは!

見どころがいっぱいありすぎて案内に追い付かないし、暗い中で写真をうまく撮れず
悔しい。もう少しゆっくり見れたら・・・というのはわがままだな。
休日出勤で案内していただいた鴻池の方々、ありがとうございました!

喫茶北浜

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平野町1丁目にある取引先へ行く度によさげだなぁと思って覗きこんでいた、喫茶北浜。
ちょうどいい機会があったので入ってみた。


おぉ・・・なんと・・・!期待以上に、温かみのある空間が広がっていた。。


カウンターの工芸風タイルが目に飛び込んでくる。七宝を思わせる美しい花房模様。


厚く塗りつけられたモルタル壁の凹凸の陰影が際立つ。


かなり迷って一段上がったテーブル席につく。
奥にはサロンのような席もあり、一度座るとまったり長居してしまいそうだ。

お客は次々とやってきて絶えることがない。
時々店内を眺めて愛でつつ、日報を書く(笑)。

素敵なお店ですね。このタイルが特にいいですね。
ああそれは先代の時からのものなんですよ。
だいぶ長いんですか?
大阪万博の年に先代が始めて、来年で42年になります。。。


あぁ船場の懐の深さよ。。。

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