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Channel: まちかど逍遥
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史上最強のスクラッチタイル!?

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陶芸教室の作品展のあとも、まだスクラッチタイルを作り続けている。
最近はちょっと違うパターンのタイルも並行して作っているのでペースは遅めだが・・・
このたび焼き上がってきたスクラッチタイル3枚をご紹介。

マット釉の上に青碧釉を筆で散らしてモヤモヤ感を出した。
赤土の上にこのレモンマット釉を掛けてベースとするのが結構気に入っている。


ワラビは控えめだけどきれいに揃った感じで出た。


次はこれ。きれいな色でしょ!!


私の行っている教室に緑釉がないのだが、何とか鮮やかな緑色が出せないかなぁと
黄色釉にトルコ釉を重ねてみたら、焼き物ではあまり見ないような濃厚な色合いが出せた。


ちょっと泡を吹いたような部分もあるが、、、このつやとむらむら具合が、我ながらうまくいったな!


そしてこれは、レモンマットにトルコをかけたシンプルな色合いのタイルだが、、、


このそそり立つワラビを見て!!こんなダイナミックなワラビは今までになかった。
素焼きの段階で取れずによく残ってくれたもんだな!

ここまでくるとタイルという用途から離れ芸術作品のようだ(笑)

さて今度はどんなスクラッチタイルを作ろうかな。


スクラッチタイルを作ってみた
スクラッチタイルをまた作ってみた
スクラッチタイル 続々と。
陶芸作品展にスクラッチタイル出品

樽見鉄道 本巣駅

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終点樽見から引き返してきた「時刻表50周年」号を本巣で下りる。
もう雨はすっかり上がった。


おおぉ、いいねぇ!!
有人駅舎と本社と車庫とヤードと。端の方には給水塔も見える。
始発駅大垣はJRの間借り、終着駅樽見は無人駅で寂しいが、この本巣駅の堂々たること!!


構内踏切を渡って駅舎の方へ。
職員さんが育てているゴーヤーのカーテンが涼しげ。トイレも古いな。


人砥ぎの改札ラッチを抜けると待合室がある。地味だが味のある、生きた駅だ。


目に止まったのは「レンタサイクル実施中」ののぼり。なになに、無料なの?これは借りない手はない。
最初、約45分後に来る下り列車に乗りもうひと駅訪れるつもりだったが、そちらはあきらめ
次の上り列車まで約1時間半この辺を散策することに。


さっそく駅沿いの小径をゆっくり走り始めると、車庫の陰からぱっと広がる風景。スト〜ップ!




道端に自転車を停めてしばし撮影。そして再び走り出すと、給水塔の手前でスト〜ップ!
朽ちかけた枕木と給水塔が黄昏の光を浴びて何とも言えず美しい。。。




そして跨線橋の手前でスト〜ップ!


雨上がりの雲がドラマチックに広がる。


小さな踏切を渡って反対側へ回り、構内に置かれたラッセル車や保線用の機関車を見に行く。
数メートル走っては、スト〜ップ!の繰り返し。全く自転車の意味がない(笑)


駅をぐるりと回るだけで持ち時間の半分を使ってしまった。


さて、近くに面白そうなまちはあるかな?
あ、そうだ、さっき見えた工場まで行ってみようか。

続く。

住友大阪セメント岐阜工場専用線跡をたどる

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樽見鉄道続き。

セメント工場へ向かって、本巣駅の端の小さな踏切から斜めに伸びる小径を走り、広い通りに出ると
その脇を流れる水路の水の透明なこと!!昨日から雨が続いているというのに、全く濁りがないのだ。
「席田用水」といい根尾川から引かれた疏水。ゲンジボタルが見れると駅の案内板に書いてあった。
とうとうと流れる水をちらちら見ながら自転車で走る。
→席田用水についての詳しいレポートを見つけた。こちら

工場が目の前に見えてきた。
手前に細長い空き地が。・・・ん?これは?


廃線跡か?確かにそうだ!バラストの路盤が残っている。

工場への引き込み線があったのかな〜と思っていたが、これだな!

住友大阪セメント岐阜工場。
帰ってから調べると、大垣までの間でセメント輸送が国鉄時代から行われ、第三セクターに転換する際も
同社が出資したとか。セメント輸送の収益は樽見鉄道にとって営業上の大きな柱であったが、
2006年に終了したらしい。2006年って、たった7年前じゃないか。それまでは貨物列車が
走っているのが見れたのか。。。あぁ、遅すぎたなぁ(涙)


ちなみに、ずいぶん前「樽見鉄道ってどうなん?」と思ってネットで見ていたとき、平日の朝晩のみ
ディーゼル機関車が牽く客車列車が運行していると知ったのだが、平日の朝早くに大垣ってまず無理だなぁ、と
あきらめてそのまま忘れていたが、その列車も2006年で廃止されてしまったらしい(涙涙)。


話は戻って・・・
来るときは廃線跡に全く気づかなかった。どこだったんだろう。逆にたどって行ってみよう。


あぁ、さっきの用水路の反対側を通っていたのか、どうりで。


団地の脇を通る引込線の築堤は現役そのままの趣を残している。あぁいいなぁ。



道から離れた廃線跡は緩やかにカーブして視界から消えた。その先へ先回りしよう。

・・・と、色褪せた案内地図があった。
あっ、セメント工場への引込線が描かれている。しかしどこで本線に合流?


ははぁ、ここで川を渡って、それから?


振り返ると、あっ、さっき自転車で走ってきた道じゃないの!

そういうことか。あぁ、そういうことか。迂闊だった。
この斜めの道の横にずっと沿っていた草地は、ただのあぜ道と思っていた。

戻りながら見ていくと、バラストはあるし水路をわたる橋台はあるし、レールに枕木の車止めまで、
ちゃーんとあるじゃないか!!




なるほど、そういうことか。。。
こうして廃線跡はあの遮断機のない小さな踏切までつながっていたのだ。

いやー迂闊だった。

引込線の廃線跡も探訪できたし、本巣駅での滞在は満足満足!!

しかし、思いのほか日が短くなっていた。真夏の感覚で7時半ぐらいまで歩けるかなと思っていたら、
5時半ですでに写真撮影は限界に近く、今から東大垣駅を下りて川の方まで行くなんてもう無理。。。
宿題を残してしまった。これもまた例によって出発が遅かったせい。全く学習しないなぁ〜(悔)。

遅い夏休みも終わり。。。

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朝晩すっかり涼しくなった9月の終わり。先週末にようやく本番の夏休みを取った。
3連休に1日休みをプラスしただけの3泊4日。
GWのマラッカでマレーシアの旅に味をしめて、同じくプラナカン文化の息づくペナン島へ。
短いけど、やっぱりひとりで気ままに行ける旅はやはり気の抜けようが違うね!(笑)

前回のマラッカと同じくエアアジア。さすがに前回より慣れ、予約も搭乗もらくらく・・・ではあったが、
やはりクアラルンプールまで6時間半はツラかったぁ。。。歳かなぁ(笑)
さらに乗り継ぎでペナンの宿に着いたのはもう夜の8時半。


奮発して取った、チョンファッツィーマンション(ブルーマンション)には灯りがともり
幻想的な姿を浮かび上がらせている。2泊の滞在、ワクワクするねぇ〜


これから数回に分けて、旅の記事をアップしていこうと思う。
しかし、ちょっと疲れた。。。いつアップできるか、、、ぼちぼちかなぁ。
忘れないうちに書かないとな!

珈琲専科二丁目の素敵なロゴ

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だいぶ経ってしまったが、、、
2ヶ月ぶりの建築めぐり講座のあとに、例によって喫茶店に入ったのだが、行きしな皆が揃って
目をつけていたのが、この珈琲専科二丁目。普通の昭和なマンションの1階に併設された喫茶店だが、
ちょっとオシャレなファサードが目を引く。中は落ち着いたインテリアでいい雰囲気。


しかし何より私が気に入ったのは、このロゴマーク!
「珈琲専科二丁目」の文字全部を、かなり無理して丸に収めている。この無理矢理感が人間味があって素敵(笑)。


あちこちにこのロゴマークがあしらわれている。カウンターの上のフードにも。入口ドアのガラスにも。




昔はマークと言えば何でも丸にデザインしがちだったのは、家紋や印影になじんできた日本人の性だろうか。
SCOK本町CENTREなど。
私はこういう、洗練されすぎていない(笑)仕事も結構好きなのだ。

ただ、最近また丸に文字をはめ込んだマークが流行っているらしい。
こんなのこんなのこんなのも。

年配のおっちゃんとおばちゃんがやっている、地元密着の喫茶店。35年ぐらい?になるとか。


ミルクティーを頼んだのにレモンティーが出てきたけど(苦笑)、これからもがんばってほしいなぁ。

CAFE TRAIN ORIENT

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現場近くで一度入ってみようと目をつけていた、「オリエント」という名の喫茶店。
駅へ続く空中通路に面した外観は、列車のような窓がずらりと並び、「オリエント急行」をイメージした
デザインだとすぐにわかる。よく見れば「CAFE TRAIN」とな!


オリエント急行はパリからイスタンブールを結んだ国際寝台列車であった。
もちろん乗ったこともないが、アガサクリスティーの小説のタイトルにもなっているオリエント急行の名は
限りない憧れをかきたてる。

つい先日行ってきたマレー半島を縦断して走る「イースタン・オリエント急行」(観光列車)もあるが
かなりお高いみたいだ。。。

本物に乗ることができないので、喫茶オリエントに入ってちょっとした旅気分に浸ることにしよう(笑)。
実は今日はあまり気分がすぐれず、お昼もガッツリは食べられそうになかったので、喫茶店の軽食ぐらいが
ちょうどいい。

店内側の入口はエスカレーター横。車両の前後の両側にドアがあるほんとの客車と同じように、
反対側にも入口がある。



デッドスペースになりがちなこの狭くて細長い空間をなんとうまい具合に使ってあるのだろう!!
考えた人すごい!

垂直L字型のボックスシートは、エンジのモケット張りでラグジュアリー感を演出。
食堂車はまさにこんな雰囲気だったんだろうか。


お手頃なメニューと居心地のよさに、お客が入れ替わり立ち代わりやってくる。


注文したドリアセットは実際はグラタンだったのか・・・予想以上にライトな昼食だったが(苦笑)
まぁ、よしとするか。今度はケーキセットにしてみよう。

赤川鉄橋 渡りおさめ!?

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これまで何度か訪れている赤川鉄橋(城東貨物線淀川橋梁)。
ついに今月いっぱいで人道橋の部分が廃止されるというので、もう一度ぐらい行っとかねばと
思っていたのだが、今日午後3時ごろになって思い立って行ってきた。

先に他のところに寄り道して4時50分ごろに橋に着こうと思っていたのだが、
ちょっと遅れてしまった。。。築堤沿いを歩いている時にやって来た。あぁ、しまった。
桃太郎だしまぁいいか。

鉄橋に近づくにつれ、同じ方向へ向かって歩く人が増えてきた。
ついこないだ兄が行ったときかなりギャラリーが来ていたと聞いていたが、やっぱり休日だしね。
いざ、現地に着いてみると、さすがにたくさんの人々がカメラを構えて待っていた。


大きなレンズをつけた一眼レフは鉄チャンだろうが、普通のおっちゃんやおばちゃんやカップル、
子供連れのおじいちゃん、中高生など、いろんな人々が携帯やスマホやコンパクトカメラを
片手に、名残惜しむように歩いては風景を眺め、写真を撮っている。
そしていつもの通り、自転車、ジョギングの人、ウォーキングの人、散歩の犬・・・
これだけ多くの人に使われ、愛されてきた赤川鉄橋。複線化工事によって人はもう通れなくなる。




かすかな踏み切りの警報機の音が聞こえてきた。来たぞ!
小さな明かりがどんどん大きくなって・・・


来たぁ〜〜〜!!

さすがにフレーム内におさめることはできるようになった。ちょっと暗いけど(苦笑)。
1枚だけ撮ったあとは、木製の手すりと一体化して振動を楽しむ。

暗くなる前に帰っていく人が多いが、このあとに機関車の重連回送があるので、
風景を撮りながらもうちょっと待とう。

先日の台風の時には淀川もかなり増水していろいろなものを押し流したのだろう、中洲が
白砂のビーチになっていた。

5時半に日没とはすっかり日が短くなったなぁ。




あっ、来た来た!
今度は左手にスマホで動画を、右手にカメラで写真を、ちょっとよくばり態勢(笑)。

貨物列車を牽いていないのであっという間に通過。あぁ、行っちゃった・・・



これでもう見納めかな、と思うと寂しいなぁ。。。


湊山温泉

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ここのところ仕事が忙しい日々が続き疲れ果てていたので、昨日に続き今日も昼過ぎまで
家でぐうたらしていたが、天気もいいしまた2時ごろからちょろっと出かけることに。

こないだまで仕事で通っていた神戸の北野あたりをうろうろ。実は現場のすぐ近くにいろいろと
建築があったということを知らずにいて、そこの仕事が終わってしばらくしてから知ったのだ。

神戸ムスリムモスク。
幾何学模様のレリーフに西日が当たってくっきりとした印影が美しい。


面する道路は「パールストリート」と言うらしい。実際真珠屋の看板をいくつか見かけたが、
この付近に真珠の加工や貿易に関わる業者が今も20ほど集まっているとか。海寄りでなくこんな
山の手に集まっていたというのは意外な気がするが、それらの業者の多くは外国人だったのだろうか。


非公開のアンダーセン邸。パーティスペースになっているようだ。


この時もウェディングパーティをしていたのだろうか、2階に正装した人々が見えた。


東天閣という中国料理レストランになっている、旧ビショップ邸。


高級レストランなので私には縁がなさそう。。。


かわいい窓!


さて、東天閣の目の前の山本通3丁目バス停からバスに乗り平野で下車。5分ほど歩けば湊山温泉に到着!


ここのことはかなり前に阪神電車のフリーペーパーで知ったのだが、三宮や元町の繁華街から
いくらも離れていない場所にこんなひなびた雰囲気の温泉があることに驚き、行ってみたいと
思っていたのだった。ただ、バスは不便と思っていたが、実際調べてみるとかなり頻繁に走っている。


脇を流れる天王谷川にかかる温泉橋。


ひなびたと言っても建物はそれほど古くなく、券売機で券を買ってカウンターで渡す方式で
あまり風情はないが、お湯は本物!!浴室に入れば硫黄と鉄分の香りがいっぱい。
床や浴槽の縁には温泉津ばりに温泉成分がこびりついている。有馬温泉よりも濃いんじゃない!?
絶妙の温度で、いつまででも入っていられる。


はぁ〜〜〜〜最高に気持ちよかった!!


この平野と言う場所、鉄道の駅もなく中途半端な場所なのに大きな商店街があり、ちょっと裏手には
古い日本家屋が残っていたりして、いったいここはどういう場所!?とちょっとびっくりしたのだが、
有馬街道の入口であり、平安時代には平清盛が住んだ地で、福原京が作られた場所なのだとか。
かつて神戸市電の始終点であったというのを知って、この商店街の大きさに納得。。。


帰りのバスの車窓から見た東天閣。

クアラルンプールにて

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ペナンの帰り、バタワース駅からクアラルンプールへ向けて出発したランカウイ急行。
途中いくつかの駅に停車した覚えはあるが、タンク車が停まっていたBukit Mertajam駅以降は夢うつつ。。。
ウエスト・コースト線はもう電化複線化工事がほぼ完了していて、駅もバタワースで見たとおり更新されて
いっている。そしてその最たるものが、クアラルンプールの新駅、KLセントラル駅である。

目が覚めたらもう都市部の風景、あと数分で終着というので(汗)、カーテンを閉めたまま急いで着替えて
あれよあれよという間にKLセントラル駅に到着。時間は朝7時、出発が遅れた分まるまるずれた形だ。
・・・しかし、窓の外は真っ暗。ここは地下なのである。


客は皆さっさと階段を上がって行ってしまい、ガランとした臭い地下ホームにウンウンとうなりながら
停まっているランカウイ急行。。。
一番後ろの車両だったが、誰もいないホームを延々先頭まで歩いて機関車を見に行こう。
地下鉄のようなホームに汚れた電気機関車は何とも似つかわしくない。。。やはり大屋根に覆われた
地上ホームに滑り込んでほしいなぁ。ちょっとかわいそうな気がした。




途中の車両を覗くと、なんと食堂車もあったらしい。うわ〜、行ってみればよかったなぁ!!




巨大な複合駅、KLセントラル駅は右も左もわからない。しかも月曜なので通勤客でごった返している。
何とかマンディルームでシャワーを浴び、ロッカーに荷物を預け、LRTのホームにたどり着くまでに
1時間半かかった・・・はぁ〜〜(疲)

チャイナタウンで朝食にワンタン麺を食べてから、クアラルンプール旧駅を見に行く。
KLセントラル駅が隣にできるまで、首都クアラルンプールの中心だった駅。今も使われてはいるが
一介の駅になり下がってしまった。
LRTの車窓からも見えていた旧駅は、KLセントラル駅と違って大屋根のかかった地上駅で、
威風堂々とした駅らしい駅なのである。

今年のGWにマラッカへ行くまでマレーシアを旅したことがなかった私だが、実は一度マレーシア航空の
トランジットが18時間ぐらいあったときに、チャイナタウンまで来てラーメンを食べたことがある。
そのとき駅のホームの写真を1枚撮ったことを覚えているのだが、空港からどうやってチャイナタウンまで
行ったのか、駅からどこへ行ったのか、全く思い出せない(汗)。

LRTのパサール・スニ駅から空中通路を歩いていくと、あぁ、ここだここだ。覚えがある。
あの当時はスバン空港からこのクアラルンプール駅へ、バスで来たんだろうな。
しかし、写真に撮ったホームは新しい部分で、そこからずっと歩いていくと古いイスラム建築の駅舎が
あったとは、当時全く気づいていなかった。。。


空中通路からふと見下ろすと、おや!あれは?
旧駅のいちばん端っこのホームに、古い車両がぽつんと停まっている。


そして、貨車も。

積荷の砂利から草が生えているところを見るともう長らく放置されているようだ。いったいいつから?
それとも保存してあるのだろうか!?急いでホームへ下りて行く。

うわぁ・・・かわいい。リベットが古き良き時代の香りを伝えている。


これは機関車ではないだろうが、どういう車両だったんだろう。車掌車?レバーのようなものは何だろう。


椅子があるが旅客用にしては小さいスペース。作業員を乗せたのだろうな。

もっと近寄って撮ろうと思ったら、中に人が寝ていてびっくり!!



真っ白な砂利を積んだ貨車。


あぁ・・・こういうのを見ると胸がいっぱいになる。




実は、近寄って撮ろうとホームからこの草ぼうぼうの線路にちょいと飛び降りたとき、思いのほか
凹凸があり・・・足をひねってしまった。イテテ・・・
その様子を上から人に見られていて笑われた。。。(恥)


クアラルンプール旧駅とマレー鉄道本社

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クアラルンプール旧駅のホームの中ほどを、なんと車の通る道路が跨いでいる。
そこを境にして、同じ駅ながら雰囲気がガラッと変わる。もちろん、今通ってきた方があとから
増設されたことは一目瞭然である。
貨物列車を見たあと長いホームを歩いて、イスラム風の装飾を満載した古い駅舎へ行く。


ここが元々クアラルンプールの中心駅として人々が日々集散したホームである。
あぁ、寝台急行でここに到着したかったなぁ・・・


KLセントラル駅に主役の座を譲った旧駅は、今や各駅停車しか停まらない。
多くの列車の発着を表示した電光掲示板も、哀れな姿に・・・


いったん外へ出て、ぐるっと回って正面側へ行こう。
見て、この堂々たる姿を!大屋根の妻飾りの美しいこと!


そしてこちらが正面側なのだが・・・道路に肉薄して建っていて引きがとれないので、
う〜ん、うまく撮れないなぁ。。
観光名所になっていて、観光バスがぴったりと乗りつける。
さすがに駅前は手狭であり、新駅に機能移転したのは当然の流れだっただろう。


このあと行ったムルデカスクエアのシティギャラリーの展示で知ったのだが、
KLセントラル駅の建つ場所は、もともと修理工場や転車台のある大きな車両基地であった。
その土地を利用して新駅が計画され、2001年に開業した。設計は日本人の黒川紀章だとか。へぇー


ピロティが車寄せになっていたようだが、今は搬入車の通路と化しているようで、何とも残念。。。


「The Heritage Station Hotel」。ホテルにもなっていたんだなぁ〜
泊まってみたかった。




ここからまた駅の内部へ入る。チケットカウンターや自動改札機が配置された広いコンコースは、
かつて通勤客や旅行者など大勢の人が行き来していたことが想像され物悲しい。。。




地下道を通って向かい側へ渡る。
望楼と尖塔を冠し、まるでお城のような優美な建物だ。素晴らしい・・・


建物の全貌はここまで引かないと見れないのである。。。


そしてクアラルンプール旧駅の向かいに対峙するように建っているのが、マレー鉄道本社である。
こちらもイスラム風建築であるが、白亜の駅舎と対照的な浅黒い色。


こちらも、ドーム、尖塔、アーチ、、、左右対称の威容。




入口からちょっと覗くと、うわぉ〜美しいらせん階段!
警備員が出てきたので、中を見ていいですか?と聞いたら、ダメ、ここはオフィスだから、と。
そりゃそうだろうね。。。


まるで向かい合った白鳥と黒鳥のような、クアラルンプール旧駅とマレー鉄道本社。美しい〜
あぁ、ここを見ただけでもクアラルンプールに立ち寄った甲斐があった!!


このあとムルデカスクエアの建築群を見に行ったのだが、昨夜の寝台急行で冷えたせいか寝不足のせいか、
熱中症気味なのか、しんどくなってきて、帰りの飛行機では事前予約していた機内食にも手をつけず
ぐだぐだでの帰国となってしまった。。。

マレーシア終わり。長らくお付き合いありがとうございました。

本塩釜駅のアズレージョ

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もう半年ほど前に就航記念セールでとりあえず取っておいたピーチの仙台便。
松島に行ってみたところ何も収穫がなく、松島海岸駅から仙石線で本塩釜にやってきた。
ホームから階段を降りると目に飛び込んで来たのは、壁一面のアズレージョ!


よく見かける形のタイルで、実際はアズレージョではないのだろうが、
私はすぐに京都駅のアズレージョを思い出した。
青色の濃淡で描かれた波模様はまさにポルトガルの雰囲気!


一部剥落しているのは地震のせいだろうか。




さざ波。ゆったりとした穏やかな海。
その海がまさかあんな津波になって迫って来ようとは。。。


一番隅に、「Yoshiio Murakami 11,1981」と読める銘があった。

駅員さんにあの作品の作者についてわかりますかと聞いてみたが、
今わからない、市の観光課に聞いて下さい、とのことだった。
ネットで検索してみたが何も出てこない。今度平日に役所に電話してみよう。


鴫野の菊水温泉へ

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なんとなく家を出る気分にならない今日この頃。気候のいい時期にはいつもこんな感じ。
しかも家にいて何をするわけでもなくゴロゴロ、うつらうつら、もったいない。。。
土曜日、3時ごろになってやっと出かける気になり、その場の思いつきで鴫野あたりをちょっとうろつく。


平野川と第二寝屋川の分岐部にかかる城見橋。


そこから西を見れば、あぁ・・・美しい夕景。


城東区では以前、本町湯まねき湯昌の湯、などに入り、古いお風呂屋の密集地であることを
知ったのだが、今日は菊水温泉へ行ってみることに。
古くて素晴らしいと聞いていたのだが、どこの駅からも10分以上歩かねばならない立地ゆえに、
今回やっとの訪問となった。

菊水温泉は旧平野川沿いの土手道から下ったとても古い集落の中にある。
集落内にはなんと茅葺屋根の民家まであるのだ(もちろん今は鉄板で覆われているが)。
今は深い垂直護岸の平野川も、見かけよりずっと古い歴史を持つことが、衛門橋の旧字体から分かる。


昭和の空気感に満ち満ちた集落の細い路地の奥に、そびえ立つ煙突が1本。


裏の窯場には切りそろえられた木材が山積み。薪で焚いてるんだ。。。


おお。高い塀に囲まれた、大阪の定番スタイル。期待が高まる。。。




う〜ん、素敵。
脱衣所はレトロそのもの。番台のママさんいわく、昭和31年ぐらいからやっているのだそうだ。


木製ロッカーの扉はピカピカ。1年に1回は塗りなおしているのだとか。
この美しさはまめな手入れの賜物なのだ。


私が古いお風呂が好きで入りに来たのだと言っておしゃべりしていると、見学会イベント時の
写真を見せてくれたり、「これ見ていろいろ回ってみたら」と浴場組合の小さな冊子を下さった。
うわぁ〜、ありがとう〜〜!


入れ替わり立ちかわり、近所のおばちゃんやおばあちゃんが入りに来る。お風呂屋の密集地でも
固定客が相当いるらしい。
お客が途切れた一瞬に写真を撮らせてもらって、カメラを仕舞ったと同時にまたお客がやってきた。


ありがとう、いいお湯でした!!

緑橋駅まで歩いて10分少々。しかしバスもあるな。
これからお風呂屋の季節。また会社帰りに来よう〜

カネボウ運河跡と鴫野湯

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こないだ菊水温泉に行った日のこと。
JR京橋駅の南出口なんて今まで使ったことない。こんな出口あったなんて知ってた?


寝屋川を渡って歩きながら、地図に載っていたどう見ても水路跡の細長い緑地を見に行く。
あ、あれだな・・・うぉ。


この低さは。水面がそのまま土になった状態だ。




こんなところに親柱が鎮座。「桜橋」かぁ。
もちろん元はこの場所でなく道路の部分に橋が架かっており、そのたもとに建っていたのだ。
そして、今はお寺が建っている場所から、この水路は寝屋川につながっていたのだな。


公園内を歩くといかにも川跡の雰囲気を思う存分感じられる(笑)。
道路を挟んで3ブロック続いているが、公園の入口は植栽によって狭められ、非常に閉鎖的な
感じがする。町会が管理している関係だろうか、よそ者を入りにくくしているのかも知れない。

ここにも城東橋と刻まれた親柱が。



帰ってから検索してみると、びんみんさんが以前この公園のことを詳しく調べられていて、地図と共に
アップされていた。→こちら
それによるとこの水路はカネボウの鴫野工場への水運のために掘削された通称「カネボウ運河」で、
例に漏れず戦後数年のうちに埋め立てられたようである。

この公園は、OBPから抜けてくる広い道路までで終わっているが、その南側も川幅そのままの区画が
残っており、あとから歩いてみたがすべて住宅地になっていた。
その区画の両側の道は狭いが、どちらからも入れる構造を存分に生かし、川幅をめいっぱい使った
超効率的なマンションなどもあり(笑)感心しきり。今じゃ絶対建てられない。

そしてこの近くにあるのが、こちらの鴫野湯。
見て!この素晴らしい佇まい。菊水温泉に勝るとも劣らない。


今ではマンションがまわりに建っているが、ここは戦後からずっと変わっていないのだろう。


この日は菊水温泉にしようと決めたので、鴫野湯はちょっと偵察だけ。
う〜ん、中も期待できそう・・・近いうちに入りに来よう。


亀井邸 (仙台の旅)

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本塩釜駅で下車し、ちょろっとまちを歩く。
塩釜神社という大きな神社の鳥居と石畳の参道があったので、ちょっくらお参りしておこうかと
上っていったのが幸いした。上ったのは裏参道だったとあとから知ったが、その中ほどに
「大正ロマン感じる 亀井邸」との案内看板があり、入ってみた。すると、これが素晴らしい!


うおっ!!玄関にはモザイクタイルが!




上がり框には瓢箪と星型の象嵌。


天井は折上げ格天井と。これはいったい何者の家!?


これは、塩釜の総合商社で石油販売などを手がけた亀井商店の創業者である亀井文平が大正13年に
建てた住宅だそうだ。亀井商店は現在東証一部上場企業のカメイ株式会社の前身である。
塩釜発祥の大企業の隆盛を今に伝える建物だ。→詳しくはこちら
1Fにはジオラマが置いてあり、おっちゃんが詳しく説明してくれた。
石釜は明治20年に鉄道が開通したが、これはずいぶん早い時期である。それは、鉄道敷設の資材である
枕木やレールを石釜港から荷揚げしたからなのだとか。ここを起点として、東北の鉄道網が順次整備されて
いったということだ。

ジオラマで内港や運河となっている場所はすでに埋め立てられ、ずいぶん地形が変わってしまったが、
元運河であったという道路に面して軒を並べている古い建築群が、面影を伝える。

和館の母屋に洋室が付属した「和洋併置式住宅」。
しかし和館の方にも、玄関のタイルをはじめとしていろんな洋風のエッセンスがちりばめられている。




こちらが洋館部分。塩釜神社のある高台の中腹に建つので見晴らし抜群。港が一望できただろう。


洋館もまた、和風の意匠が織り交ぜられている。組子の雪見障子とか、上下窓の細部にはこのような装飾。
桐の「押込箪笥」が仕込まれた押入れもあった。


2階は立派な続き間の座敷がある。上質な材料が使われていて状態もとてもいい。


欄間や書院の格子など繊細な意匠も素晴らしい。ふすまの引き手もこんなこうもり型。




洋館の屋根をちゃんと片流れにしてあるところなどは実際的。



いや〜、こんなすごい建物があったとは。チェックしてなかったがたまたま見つけてよかった!

旧塩釜公民館 (仙台の旅)

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亀井邸のおっちゃん曰く、塩釜でも3m程度の津波が押し寄せたのだとか。松島や塩釜では前に島がある
など地形のおかげで波の力が弱まり、被害は他の町からすると比較的少なかったのだそうだ。
それでも塩釜で60人ほどの方が亡くなられたといい、宮町のあたりを歩くと更地が目立つ。
しかし古い商店や建物もちょこちょこ残っている。
大山米穀店。


太田屋味噌醤油醸造所。


石積みが目につく。石積みだからこそ先の津波にも耐え残ったのだろうか。
この石は大谷石のような柔らかい凝灰岩であるが、緑色はしていない。


浦霞醸造元 (株)佐浦。


モダンな意匠をもつこの建物は、空き家??


さて、塩釜に来た目当ては旧塩釜公民館であった。
亀井邸で思わぬ寄り道となり、そのあとやっぱり塩釜神社も行っとこうと思って石段の続きを上ったら、
思いのほか上まで続いていて、小走りで本殿まで行きお参りしてから表参道の202段の石段を駆け下り、
ゼイハー言いながらようやくここにたどり着いたのである。


おお〜〜っ!すごい。この放物線を描いた斬新なフォルムは!



・・・しかし時間がほとんどない。実はこのあと秋保温泉に行こうと思っているのだ(苦笑)。
大急ぎで周囲を見て回ろう。

こちらが正面。帰ってから見つけた毎日新聞の記事によると、1950(昭和25)年築、
1Fは鉄筋コンクリート造、2Fは木造だとか。


そして特徴的なドーム屋根の大講堂は1957(昭和32)年の増築という。


本館の外壁の下半分やこの写真の中庭に面した柱などに使われているのが「塩釜石」らしい。
これはさっき見たまちなかの醸造所や蔵などにも使われていた石と同じものであろう。


玄関が開いている。ちょっと覗きに行くと人がおり、「中を見せてもらっていいですか?」と聞くと
どうぞと。うわぁ、ラッキー!・・・しかし時間が・・・




でもこの機会を逃すのも惜しい。講堂へ続く通路を一目散。


・・・うおおおぉ!!


なんという迫力!両側から斜めにせりあがった柱がそのまま頭上で優美な放物アーチを描く。


これぞ構造美の極み!!

あぁもうここで沈没してしまおうか・・・そんな思いもよぎったが、もう片付けて閉めるような
雰囲気だったので、大急ぎで写真を撮りお礼を言って、本塩釜駅へ向かって猛ダッシュ!

ちなみに、この建物はこれまで市公民館本町分室として使われていたが、市の文化財に指定され、
今後美術館を併設して活用を図るため、12月から来年3月末まで改修に入る予定らしい。
今の姿を見ておくことができてよかった!!

陸前山王駅 (仙台の旅)

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翌日は前日と打って変わってからっと晴れ。う〜ん、すがすがしい!・・・というより暑い。。。
前日松島へ行きしな目をつけておいた陸前山王駅へ、朝から行ってみる。


あっ、タンク車が停まっている!
この駅をチェックした理由は、広いヤードがあって、分岐する貨物線が見えたから(笑)。
仙台臨海鉄道がここから仙台港を結んでいるのだが、震災で大きなダメージを受けたようだ。
その後何とか復旧して、1年ほど前から運行再開しているらしいのだが、もちろん発着時刻などはわからない。



このタンク車はいつ動きだすんだろう。
気になりつつ、駅を出てうろついてみることに。



どうしようもない逆光。。。


何とか光の側に回ろうと歩いていくと、とってもいい感じの踏切が!


ちょうど東北本線から貨物線が分岐する部分。車一台分の幅の狭い踏切なのだが、結構車が通る。
次々来るので、立ち止まって写真を撮ったりなんかしていると非常にジャマ(汗)


「とまれ」の文字と共にあったこのイラスト(というかマーク?)、めっちゃカワイイ〜


貨物線の次の踏切まで行ってみたが、仙台港からは列車が来る気配もなく。。。
仙台港駅まで行ってみたいが、歩いて行くには遠すぎる・・・
あっ、駅構内にいたタンク車が動き出している!こっちへ来るのか!?
・・・と思いきや、東北本線を走り去った。


陸前山王駅へ戻ってきた。相変わらずえげつない逆光。。。う〜ん、ちょっと曇ってよ。。

この駅は木造駅舎で、めちゃくちゃ古くはなさそうだが、良き時代の国鉄型だ。

駅の事務室にはJR貨物の看板がかかっている。この駅は旅客よりも貨物が主要なんだな。






広い構内。その向こうには田畑が広がる。
雪景色もよさそうだなぁ〜


さていったん仙台のまちなかへ戻ろう。


東北大学の建物たち (仙台の旅)

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最近仕事が忙しかったり気分的に低調のためしばらく滞っているが・・・ボチボチと。


仙台では一応建築めぐりをする予定でリストを持って来ていた。しかし仙台のまちは結構広い!
その中で固まってあるのが、東北大学と東北学院大学。キャンパスを歩いてめぐってきた。

東北大学の片平キャンパスは仙台のまちのど真ん中に位置する。東北帝国大学創設の地であり、
多数の理工系の研究所が集まっている。
広いキャンパス内をつぶさに見たわけではないが、松並木のメイン通路を歩くだけでも、
近代建築校舎をいくつも見つけられる。

WPI-AIMR本館


東北大学本部棟 1


東北大学史料館


旧第二高等中学校物理学教室


多元物質科学研究所 南1号館


こういう古い建物がかもし出す空気は新興のキャンパスではどうがんばってもまとい得ない。
長い歴史や教育理念の具現として、ここで学ぶ人の人格の深いところに影響を与えていると
思うので、老朽化老朽化と言わず大事に維持してほしいと思う。

ところでキャンパス内でひときわ古い、というか異質な建物に目を引かれた。瓦屋根?


おおっ、これは!スレート屋根じゃないの!さすが東北、雄勝スレートだな。


穴が空いているから雨漏りしているのは確実。ということはこの建物も隣と同様建て替え
られる日が近いのだろう・・・


大学生協や理容室が入っているらしい。
入口から中を覗いてみると、中廊下型のアパートのような雰囲気。
私の大学にも裏手に行くと寮だか部室だかなんとか研究所だかよくわからない巣窟のような
ボロい建物がいろいろあったが今ではもう一掃されているだろう。
これはこれでレアな感じがするのでおいといてもらいたいものだ(笑)。


こちらはキャンパス最奥の建物、21世紀情報通信研究開発センター。
この建物が東北大学の中で一番好きかも。


全面スクラッチタイル貼りで縦長窓が配され、中央の通路は鍵石の装飾を持つ楕円アーチ。
下だけ見るとよくありそうな感じ。ところが3階部分は連続水平窓となっているのが斬新!!




水平連続窓の部分は1〜2階と比べ壁ごと30cm程度せり出している。そのせり出しは一部、
2階や1階まで続いていて、角が丸く面取りされているのがとてもモダンな印象を受ける。


この素晴らしい出隅のタイルを見て!!感動〜〜

沖縄出張帰りに、日の出湯。

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常に仕事でキュウキュウしている私であるが、ここ最近は特に出張が続いているのに加え
プライベートのお出かけも重なり体力的に疲れている(苦笑)。
なので、金曜日の沖縄出張というまわりからうらやましがられる今回の機会も、
特に活用することなく(笑)まじめに仕事だけして帰ることに。
ま、飛行機を夕方遅い便で取っていたので、最後にお風呂だけ入ってきた。

日の出湯。
ここは10年ほど昔一度か二度入りに来たことがある。
その頃は沖縄本島で5〜6軒営業していたお風呂屋は、現在では2軒だけになってしまったらしく
ここはその貴重なお風呂屋のうちの1軒で、県庁からほど近い那覇の中心部にある。

ちなみにもう1軒は沖縄市のコザにある中の湯。

前回来た時とまったく変わっていない様子にほっとした。
脱衣所と一体化した浴室に、常連のおばちゃん5人ほどがおしゃべりしながら入浴中。
シャワーはなくお湯と水のカランがえらく高い位置にあるのも変わっていない。
カラン下の丸いシンク(トイレの手洗い用?)に洗面器を置いたら、立ったまま使うのに
ちょうどいい高さである。しかし立ったまま髪を洗うって変な感じだなぁ・・・

洗い終わってからお湯に浸かっているときふとおばちゃんを見ると、あの高いカランからお湯と水を
出しっぱなしにして、小さなシンクの排水口からジャーと落ちるお湯を地べたで洗面器に受けている。
ははぁ〜、なるほど!そうやって使うのかぁ〜

ドライヤーはやっぱりなかったけど、沖縄だから大丈夫。この日は気温20〜24度だった。

帰る前に日の出湯でその日の疲れを洗い流す。すべての沖縄出張者にこれをお勧めしたい。
日の出湯にはこれからもがんばって続けてほしいな!

東北学院大学の建物たち (仙台の旅)

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仙台続き。

さて、東北学院大学の土樋キャンパスは、東北大学の片平キャンパスに隣接していることから
東北大学の派生的な学校なのかと思いきや、そうではなく、私塾「仙台神学校」を前身とする
歴史のある大学のようだ。

こちらのキャンパス内にもいくつか古い建築が残っている。
東北学院大学のシンボル、本館。
1926(昭和元)年、専門部校舎として完成。戦火を免れ戦後の大学再興の拠点となった。


エントランスホール見上げ。


美しいラーハウザー記念礼拝堂!!
本館もそうだが、東北大学では見られなかった中世風のゴシック建築が、神学校らしい。




1932(昭和7)年に完成。鉄筋コンクリート造だが、表面に秋保産の石材が使われているという。
樹脂吹付けで固めてあるのは震災後の改修だろうか。


このとき特別礼拝が行われているようで中を覗くのは控えたが、帰ってから他の人のブログ等を見ると
美しいステンドグラスがあって素晴らしい空間が広がっているようだ。残念。。。


地下が資料館になっていて、かつてあった校舎の一部なども展示されていた。
さっき東北大学で見たのもこれと同じ雄勝石だろう。


もう少し行ったところに、デフォレスト館(旧シップル館)があった。
1886(明治19)年に、宣教師J・H・デフォレスト師の住居として建てられたものとか。


こちらは本館や礼拝堂とは一転して、いかにも明治な木造のコロニアル建築。ベランダや建具がかわいい〜
この建物の屋根が元は上の写真のスレートで葺かれていたんだな。




今は閉ざされているようだが、ぐるりと四方から眺められるのがうれしい。



しかし・・・実は、さっきからカメラの電池の残量が1となっており、いつ切れるかいつ切れるかと
ずっと気が気ではなかった(苦笑)。
もちろん予備の電池は持って来ているのだが、荷物の中に入れたまま宿に預けてしまっていたのだ。。。(愚)

尾道造船の進水式を見てきた

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金曜日の沖縄出張からそそくさと帰ってきたのは、翌日に尾道造船の進水式を見に行く予定を
入れていたから。
今年8月に、宇野の三井造船で進水式を見てきて、また他でも見たい!と機会をうかがって
いたら、尾道造船でちょうど土曜日に開催されるというので、よっしゃ!!と早くから
行く気満々で友人を誘っていたのだった。出張のおかげでバタバタと慌しくなってしまった。。。

こだま指定席きっぷという安いきっぷを使って新幹線でGO!福山から東尾道まで行ってバス。
ちょっと早く着いたので、隣に建つレンガ造の中国電力山波変電所を見に行く。


大正12年に旧広島電気(株)尾道発電所として建てられたものとか。元は隣に2本の煙突を擁する
建物群があったようだが今はこの建物だけが残り、現役の変電所として使われている。


さて、そろそろ造船所へ向かおう。どこからともなく、人が続々と集まってきている。


広い敷地内には作りかけの巨大な船のパーツがゴロゴロと。うぉ〜〜っ!期待が高まる〜


宇野の三井造船ではゆるい勾配のついた地面の上に木で台が組まれ、その上に船が直接載っていたが、
こちら尾道造船では、2階建ての建物ぐらいの高さのコンクリート製の滑り台がしつらえてあり、
船はその上にあった。式は写真右側の式台で行われるが、見学客はここをくぐって反対側へ行く。


こないだ見たのは6万6千トンだったが、今回は7万9千トンのタンカー。デカイ!!!
デカすぎる上に手前に修理中のRORO船「かりゆし」がいたので、全貌がよく見えない。。。

船名の「MORNING IBIS」という文字は最初から明らかになっていたので、ここでは
命名式を兼ねていないのかと思ったが、あとから写真を見ると、向こう側だけ紅白幕で隠してあった。

船は高いところにあるので三井造船のときのようにすぐそばでは見ることはできず、観客は
少し離れたところに散らばってスタンバイ。式典の進行具合はこちらからは全く分からず。


船首の水切り部分が垂直になっているのが尾道造船の開発技術らしい。


さぁ、このくす玉が割れるのを、観客はカメラを掲げて今か今かと待ち構えている。
式の進行状況が分からないので、じっと見つめているしかないのだ。
ずいぶん長いこと待たされたが、花火の音がパーンパーンと鳴り響き、旗を持った作業員が何やら
合図をしているのが見えた。いよいよだな!カメラをズームアップして息を飲む。


ガガガ〜〜〜〜轟音と共にみるみる滑り降りていくMORNING IBIS号。
えっ、えっ、くす玉が先じゃないの!?待って、待って〜〜〜!(汗)
あわててズームダウンするが焦ってワタワタしてしまう。あぁ〜、くす玉が今ごろ〜〜(泣)


クレーンと高い足場の向こうで紙テープをなびかせ、船は海に向かって加速する。
あっという間に、MORNING IBIS号はかりゆし号の向こうへと消えていった・・・


写真は上の2枚のみ。スマホで動画も撮ろうと思っていたのに、それもままならず。。。(涙)
かりゆし号の上に上がらせてもらっている人がいたが、あちらが正解だったなぁ。
あぁ、段取り確認不足とロケハン不足。。。悔しい。せっかく新幹線で来たのになぁ。
ドックの先端の方まで行って無事進水したMORNING IBIS号を遠目に眺める。
これから海上で艤装作業が続けられ、竣工は来年5月の予定とか。


悔しさをなぐさめるかのように(苦笑)そのあと餅撒きが行われた。
来るとき「餅撒き台」の張り紙が気になっていたのだ。
船主のNAKATA MARITIME関係者により紅白ペアのお餅(袋入)が撒かれ、
観客は飢えたコイのように口をパクパクしながら宙に舞った餅をめがけて手を伸ばす。
地面に落ちた餅を這いつくばって拾い集める。自分の方へ投げてくれと手を振る。
いや〜、本能のままに食べ物にがっつく、餅撒きって楽しいなぁ(爆)。
お餅はかなりたくさん撒かれたが私は3袋しか取れなかった。まだまだ修行が足りん(笑)。
進水式も餅撒きも、またリベンジに来るとしよう〜


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