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Channel: まちかど逍遥
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真岡の建築めぐり その2

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真岡の続き。

さてこちらは岡部記念館、金鈴荘。
明治中期に真岡木綿問屋、鈴木屋の2代目岡部久四郎が別荘として建てたもの。


土蔵造りの建物で、内部は黒檀、紫檀、タガヤサンといった硬い木を多用している。
材料を長年かけて集め、大工や職人をわざわざ事前に東京で修行させたという、気合の入れよう。


案内人のおっちゃんがいたので20分ぐらいで説明してほしいとお願いし、案内してもらった。
1952(昭和27)年まで、岡部家の別荘として、呉服店の展示会や商談などに使われたそうだ。
その後1988(昭和63年)まで割烹料理店として利用されており、「金鈴荘」はその時の
名前だという。

四つの座敷が横一列に並び、その周りを廊下がぐるりと一周する変わった間取りは料亭向けだな、
庭に面した廊下の梁は何と長さ7間分の一本モノのケヤキの丸太が使われている。


ガラスも古い手吹きガラスが使われているが、先の東日本大震災でも一枚も割れなかったとか。

しかし震災のときは震度5で、しっくい壁がはがれ、屋根瓦も落ち、痛ましい姿に。
その後復旧に7000万円かかったが、文化遺産として残すことができた一方、通りに面した
店の建物は復旧に1億円かかるとのことで断念したそうだ。解体撤去され現在は駐車場となっている。

急すぎる階段。最初はここしかなかったが危なすぎるので、後年別のところにもう少し
緩やかな階段を造ったというが、いやいやそちらも結構な急勾配。これだけ高級な材を集めて
造ったのに、階段はないがしろ!?


商談の接待で使われた2階は、板の間が芸者さんの舞台となり、接待客が座敷から鑑賞したという。
最盛期には置屋が5軒、芸者さんが100名もいたのだとか。




ふすまの枠まで黒檀。


基礎にはこのあたりではよく見られる大谷石でなく、角礫凝灰岩(磯山石)が使われていると
いうことだったが、間近で見られなかった。


岡部家の人物についてのエピソードを聞きながら1階、2階と見て回っていると20分の予定が
30分、40分と・・・(汗)。結局1時間近くいてしまった。

案内のおっちゃんにお礼を言って金鈴荘を後にした。

車で少し走り旧大内村役場を見に行く。小さな集落だろうから現地に行ったら分かるはずと
楽観していたら見当たらず、あっちこっちで引き返してうろうろ(汗)。
豆三という豆腐屋で豆腐ソフトを食べて店の人に聞いてみたらすぐ近くだったが、細いわき道自体
知らなければ絶対通り過ぎてしまうだろう。


あった。正面の連続アーチのテラスがおしゃれだな!
角部分が塔屋のように少し出っ張っていることで、変化のついたフォルムになっている。
3階の角部分の変わった窓の配置や鋭角の装飾が面白い。


1929(昭和4)年築。


側面の入口の庇はこんな階段状の持ち送りになっていた。


この建物はボーイスカウトの拠点になっているようで、建物の横で手旗信号の練習をやっていた。
外観をひと通り見終わってから声をかけて建物の中に入れるかと聞くと、快く見せていただけた。


1階は郷土資料を展示する「大内資料館」ということだが、公開されているようには見えないな。。。


2階はボーイスカウトとガールスカウトの集会所になっていて、簡易的に改装されていた。


全体的にかなり老朽化している旧大内町役場。これでも日常的に使われているだけマシなのだろうか。


真岡に全部で1時間の予定がかなり押してしまった(汗)。

続く。

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