笠間からの続き。
春風萬里荘を出て笠間の窯めぐりをしようかと思ったのだが、笠間のまちなかを車で走ると
車を停めるところがなさそうだったのでめんどくさくなってスルーしてしまった。
1軒あったモルタル塗りの洋風意匠の石塚箪笥店。
よく見たら装飾が取れているところがある。タイルではないが、ああいうのもモルタルで造った
パーツを貼り付けてあるということが分かるな。
洋館風に造りこまれた建物のグラスディというカフェレストランでお昼を食べる。
なんちゃって建築だが結構年季が入っているし気合も入っている(笑)
冷製パスタはとてもおいしかった。
途中で立ち寄った岩瀬駅。
今宵は下館泊。いったん車を返して日暮れまで下館のまちを歩こう。
下館駅裏のビジネスホテルは工事関係者も多く泊まる安い宿だが、トイレバスなしの部屋を取っていた
私を哀れに思ったのか(笑)、今日は空いているからとバストイレ付の部屋に替えてくれた。
ありがとう~~!!これで安心してまちを歩ける。
というのは、その宿の交代制のお風呂は女性が20時までなので、19時ぐらいに戻ってこないと
いけない。まちなかにはお風呂屋もないらしい。
まだ明るいうちにまち歩きを切り上げて戻ってくる自信は全くないので(苦笑)。
下館駅の跨線橋を渡って駅の北側へ。
さっき車を返す前にまちなかを車でひと通り流しておいたのでメドはついている。
左手の坂道を上っていくと現れた、カセキ堂菓子店。パラペットまわりにモルタル塗の洋風装飾が
施された木造建築。
中央部に立ち上がった小さな三角に、桜の花びらと「赤」の文字。
店名の「かせき堂」は「花赤堂」なのだ。ちょっと変わった名前だな。ここは現役の店舗である。
そこから少し歩くと、しましまボーダーがぐぐっと目を引く中澤時計店。うぉ~う!
建物の左右に塔屋のように突き出した部分は、単なる飾りだろうか。よく見ると左右の形が違う。
時計屋らしく中央部には丸い時計がついているが、時間は合っていなかった(笑)。
さて大通りで角を曲がって進み、ちょっと気が向いて中へ入ってみると、おっ、煙突が。
あぁ!ここはお風呂屋だった!松の湯。入口の千鳥&唐破風のダブル構えがキッチュな感じで面白い。
ここが今も営業していれば入りに来たのになぁ~~
ここの大理石風タイルはよく出来ていているが、プリントのようだ。
遠目で撮ろうと少し先から振り向いたところ・・・うわっ!
背後の断崖の上に、洋館があるじゃないの。何だあれは。
もちろん行ってみる。ここは大阪で言うと法円坂や夕陽丘のように2階建ての家の高さぐらいの
段差のある急な崖になっていて、その高台の上にこの堤歯科医院はあった。
玄関先から覗き込んで見たところ、看板に灯りが灯ってはいたが営業しているようには見えない。
よく見えるところはないかと裏庭の方にも回ってみると、そちら側は住まいのようで比較的
シンプルであり、やはり崖に向かって建てられている。お客は崖下から階段を上って来ることに
なっていたようだ。
うっ、カメラの電池がヤバイ。。。スペアを宿に置いてきてしまった。油断したなぁ(汗)
さてこちらは飯沼薬局。左側の塔屋がさっきの中澤時計店と少し似たイメージだがこちらは
明らかにアシンメトリー。右側の低い出っ張り部分は階段だろうか?
その壁の上端に施された模様は、「北の」や「旭座」のように
屋号を織り込んだ模様だと思われ、考えてみるのだがどうもハマらない。。。
かつてここには同じ時代の洋風商店が3軒並んでいたようだが、ここ以外はすでになくなり、
裏手に建っていた石蔵があらわになっていた。立派な軒蛇腹、瓦屋根のてっぺんに屋号の入った
鬼瓦が載っている。今はフリースペースとして貸し出されているようだ。
立派な石蔵が敷地の奥に建てられており、通りに面した商店や家屋が撤去された後も石蔵だけが
残っているというのをよく目にした。ここのはちょっと違うようだが、多くは大谷石が使われている。
もともと人目につかない所に建てられたにもかかわらずそれらはとても立派で、時を経た石の
質感もあって単体でも十分目を引く。今も実用されている生活感をまとう石蔵は魅力的で、
ついつい写真を撮ってしまう。
そこから交差点のはす向かいに建つのが荒川家住宅。
洋館部分は1933(昭和8)年、隣接する店舗は1907(明治40)年の建物。
荒川家は江戸時代から醤油や味噌の醸造業を営んでいたが現在は「荒七」の屋号で酒屋をされている。
三階建ての洋館部分が住居で、宝形造りの屋根がインパクト大!1階に丸窓、2階には4連アーチの窓、
3階には中国風の割付の欄間など盛りだくさんな外観。内部もこだわっているんだろうなぁ。
アーチ部分にはもともとレリーフがあったように見える。
下館という地名はこの旅を計画するまでは知らなかったが、近隣で生産される真岡木綿や結城紬の
集散地として発展した関東屈指の商業の町だったらしい。
荒川家は個人所有の建物では茨城県で最初に登録有形文化財となった、商都下館のシンボル的建物である。
ああっ、ついに電池が・・・!(泣)
続く。
春風萬里荘を出て笠間の窯めぐりをしようかと思ったのだが、笠間のまちなかを車で走ると
車を停めるところがなさそうだったのでめんどくさくなってスルーしてしまった。
1軒あったモルタル塗りの洋風意匠の石塚箪笥店。
よく見たら装飾が取れているところがある。タイルではないが、ああいうのもモルタルで造った
パーツを貼り付けてあるということが分かるな。
洋館風に造りこまれた建物のグラスディというカフェレストランでお昼を食べる。
なんちゃって建築だが結構年季が入っているし気合も入っている(笑)
冷製パスタはとてもおいしかった。
途中で立ち寄った岩瀬駅。
今宵は下館泊。いったん車を返して日暮れまで下館のまちを歩こう。
下館駅裏のビジネスホテルは工事関係者も多く泊まる安い宿だが、トイレバスなしの部屋を取っていた
私を哀れに思ったのか(笑)、今日は空いているからとバストイレ付の部屋に替えてくれた。
ありがとう~~!!これで安心してまちを歩ける。
というのは、その宿の交代制のお風呂は女性が20時までなので、19時ぐらいに戻ってこないと
いけない。まちなかにはお風呂屋もないらしい。
まだ明るいうちにまち歩きを切り上げて戻ってくる自信は全くないので(苦笑)。
下館駅の跨線橋を渡って駅の北側へ。
さっき車を返す前にまちなかを車でひと通り流しておいたのでメドはついている。
左手の坂道を上っていくと現れた、カセキ堂菓子店。パラペットまわりにモルタル塗の洋風装飾が
施された木造建築。
中央部に立ち上がった小さな三角に、桜の花びらと「赤」の文字。
店名の「かせき堂」は「花赤堂」なのだ。ちょっと変わった名前だな。ここは現役の店舗である。
そこから少し歩くと、しましまボーダーがぐぐっと目を引く中澤時計店。うぉ~う!
建物の左右に塔屋のように突き出した部分は、単なる飾りだろうか。よく見ると左右の形が違う。
時計屋らしく中央部には丸い時計がついているが、時間は合っていなかった(笑)。
さて大通りで角を曲がって進み、ちょっと気が向いて中へ入ってみると、おっ、煙突が。
あぁ!ここはお風呂屋だった!松の湯。入口の千鳥&唐破風のダブル構えがキッチュな感じで面白い。
ここが今も営業していれば入りに来たのになぁ~~
ここの大理石風タイルはよく出来ていているが、プリントのようだ。
遠目で撮ろうと少し先から振り向いたところ・・・うわっ!
背後の断崖の上に、洋館があるじゃないの。何だあれは。
もちろん行ってみる。ここは大阪で言うと法円坂や夕陽丘のように2階建ての家の高さぐらいの
段差のある急な崖になっていて、その高台の上にこの堤歯科医院はあった。
玄関先から覗き込んで見たところ、看板に灯りが灯ってはいたが営業しているようには見えない。
よく見えるところはないかと裏庭の方にも回ってみると、そちら側は住まいのようで比較的
シンプルであり、やはり崖に向かって建てられている。お客は崖下から階段を上って来ることに
なっていたようだ。
うっ、カメラの電池がヤバイ。。。スペアを宿に置いてきてしまった。油断したなぁ(汗)
さてこちらは飯沼薬局。左側の塔屋がさっきの中澤時計店と少し似たイメージだがこちらは
明らかにアシンメトリー。右側の低い出っ張り部分は階段だろうか?
その壁の上端に施された模様は、「北の」や「旭座」のように
屋号を織り込んだ模様だと思われ、考えてみるのだがどうもハマらない。。。
かつてここには同じ時代の洋風商店が3軒並んでいたようだが、ここ以外はすでになくなり、
裏手に建っていた石蔵があらわになっていた。立派な軒蛇腹、瓦屋根のてっぺんに屋号の入った
鬼瓦が載っている。今はフリースペースとして貸し出されているようだ。
立派な石蔵が敷地の奥に建てられており、通りに面した商店や家屋が撤去された後も石蔵だけが
残っているというのをよく目にした。ここのはちょっと違うようだが、多くは大谷石が使われている。
もともと人目につかない所に建てられたにもかかわらずそれらはとても立派で、時を経た石の
質感もあって単体でも十分目を引く。今も実用されている生活感をまとう石蔵は魅力的で、
ついつい写真を撮ってしまう。
そこから交差点のはす向かいに建つのが荒川家住宅。
洋館部分は1933(昭和8)年、隣接する店舗は1907(明治40)年の建物。
荒川家は江戸時代から醤油や味噌の醸造業を営んでいたが現在は「荒七」の屋号で酒屋をされている。
三階建ての洋館部分が住居で、宝形造りの屋根がインパクト大!1階に丸窓、2階には4連アーチの窓、
3階には中国風の割付の欄間など盛りだくさんな外観。内部もこだわっているんだろうなぁ。
アーチ部分にはもともとレリーフがあったように見える。
下館という地名はこの旅を計画するまでは知らなかったが、近隣で生産される真岡木綿や結城紬の
集散地として発展した関東屈指の商業の町だったらしい。
荒川家は個人所有の建物では茨城県で最初に登録有形文化財となった、商都下館のシンボル的建物である。
ああっ、ついに電池が・・・!(泣)
続く。