鹿児島の続き。
出水の武家屋敷は約500m四方のエリアが「出水麓伝統的建造物群保存地区」として保全されている。
さすがに全国的に名が知れているだけあって、野田郷とは違いちゃんと駐車場も整備されている。
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ここは上流の武士が住んでいたと見え、門構えやお屋敷も規模が大きく前栽も風格がある。
今も150軒の武家屋敷があり、地図を見ると27箇所の武家門が残っているようだ。
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現役の住宅地であるが、集落内を車が通り抜けるようなロケーションでなく、静かで落ち着いた風情。
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税所邸と竹添邸という2軒の建物が一般公開されている。
玉石垣がほとんどのまちなみの中で、税所邸の大きな切石積みの垣は特別感があるな!
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この地域で最古の武家屋敷と言われる税所邸でガイドさんの説明を聞きながら見学しよう。
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島津藩では領地内に外城という行政区画を設け、外城における統治の中心地を麓(ふもと)と呼んでいた。
ここ出水麓は肥後との国境を警護するための重要な陣地として1600年ごろから建設され、
113ヶ所の外城のうちでも最大規模の外城だった。
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税所家は出水麓で要職を務めた家なので、やはりお屋敷は大きく立派な表玄関がある。
現在の建物は250年前に建てられたと言われる。100軒が燃えたという大火も免れ、8年前まで
実際に住まわれていた。その後保存公開のための修復に4千万円かかったとか!
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広く明るい座敷がお庭に面して3部屋連なる。天井が高く欄間の格子は繊細。
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上座敷と次の間はベンガラを練りこんだこんな赤いしっくい壁。派手~!!
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屋根裏に作られた隠し部屋は、平和な時代にはカイコ部屋となり、その後は穀物倉庫として使われた。
武士はいつでも戦をしているわけではないため、半士半農の暮らしをしていたという。
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半畳分に切り石の囲炉裏が組み込まれている。熱を伝えにくいためか、枠には凝灰岩が使われている。
しかし、すぐ横に畳があるので火の粉が飛んで燃えないかと心配になるが、、、
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門の横にある小屋は何かと聞くとトイレだと。野良仕事などの途中でも行きやすいように造られた
外便所はちょくちょく見かけるが、だいたい裏手にあるものだと思っていた。
こんな表門の横に作るというのは不思議な気がするが、これはトイレに行くついでにちょくちょく往来を
パトロールするためという、何とも国境の武家らしい理由を聞いて納得。。。
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税所邸の隣の竹添邸もまた公開されているお屋敷。こちらもまたガイドさんがおられた。
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建物は税所邸に比べると若干時代が新しそうで、造りも簡素な感じ。
玄関からして違うもんね。驚いたことに、縁側のようなところが玄関なのだという。ほんとに!?
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こちらも奥座敷は赤いしっくい壁。格が高い仕様なのだろうか。
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竹添邸は敷地内に納屋や馬屋、蔵などが点在し、主屋の土間が庭と連続的に使えるように配置される
など、完全に農作業向けの造りとなっている。
庭に置いてあったこの細長い器状の石は別のところから移したものらしいが、戦国時代に血にまみれた
刀を洗った「太刀洗」である。まぁせっせと農業をやっていた時代にはこういうものは不要だっただろう。
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400年前からほとんど変わっていないという出水麓の端正なまちなみをぐるっとひと通り歩き回り
タイムトリップ感を楽しんだが、国境に接した最前線という緊張感よりも何かのんびりした風景にしか
見えなかったのは、やはり私が現代に生きる平和ボケの人間だからだろうか(苦笑)
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さて、そろそろ出発しよう。
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続く。
出水の武家屋敷は約500m四方のエリアが「出水麓伝統的建造物群保存地区」として保全されている。
さすがに全国的に名が知れているだけあって、野田郷とは違いちゃんと駐車場も整備されている。

ここは上流の武士が住んでいたと見え、門構えやお屋敷も規模が大きく前栽も風格がある。
今も150軒の武家屋敷があり、地図を見ると27箇所の武家門が残っているようだ。

現役の住宅地であるが、集落内を車が通り抜けるようなロケーションでなく、静かで落ち着いた風情。

税所邸と竹添邸という2軒の建物が一般公開されている。
玉石垣がほとんどのまちなみの中で、税所邸の大きな切石積みの垣は特別感があるな!

この地域で最古の武家屋敷と言われる税所邸でガイドさんの説明を聞きながら見学しよう。

島津藩では領地内に外城という行政区画を設け、外城における統治の中心地を麓(ふもと)と呼んでいた。
ここ出水麓は肥後との国境を警護するための重要な陣地として1600年ごろから建設され、
113ヶ所の外城のうちでも最大規模の外城だった。

税所家は出水麓で要職を務めた家なので、やはりお屋敷は大きく立派な表玄関がある。
現在の建物は250年前に建てられたと言われる。100軒が燃えたという大火も免れ、8年前まで
実際に住まわれていた。その後保存公開のための修復に4千万円かかったとか!

広く明るい座敷がお庭に面して3部屋連なる。天井が高く欄間の格子は繊細。

上座敷と次の間はベンガラを練りこんだこんな赤いしっくい壁。派手~!!

屋根裏に作られた隠し部屋は、平和な時代にはカイコ部屋となり、その後は穀物倉庫として使われた。
武士はいつでも戦をしているわけではないため、半士半農の暮らしをしていたという。

半畳分に切り石の囲炉裏が組み込まれている。熱を伝えにくいためか、枠には凝灰岩が使われている。
しかし、すぐ横に畳があるので火の粉が飛んで燃えないかと心配になるが、、、

門の横にある小屋は何かと聞くとトイレだと。野良仕事などの途中でも行きやすいように造られた
外便所はちょくちょく見かけるが、だいたい裏手にあるものだと思っていた。
こんな表門の横に作るというのは不思議な気がするが、これはトイレに行くついでにちょくちょく往来を
パトロールするためという、何とも国境の武家らしい理由を聞いて納得。。。

税所邸の隣の竹添邸もまた公開されているお屋敷。こちらもまたガイドさんがおられた。

建物は税所邸に比べると若干時代が新しそうで、造りも簡素な感じ。
玄関からして違うもんね。驚いたことに、縁側のようなところが玄関なのだという。ほんとに!?


こちらも奥座敷は赤いしっくい壁。格が高い仕様なのだろうか。

竹添邸は敷地内に納屋や馬屋、蔵などが点在し、主屋の土間が庭と連続的に使えるように配置される
など、完全に農作業向けの造りとなっている。
庭に置いてあったこの細長い器状の石は別のところから移したものらしいが、戦国時代に血にまみれた
刀を洗った「太刀洗」である。まぁせっせと農業をやっていた時代にはこういうものは不要だっただろう。

400年前からほとんど変わっていないという出水麓の端正なまちなみをぐるっとひと通り歩き回り
タイムトリップ感を楽しんだが、国境に接した最前線という緊張感よりも何かのんびりした風景にしか
見えなかったのは、やはり私が現代に生きる平和ボケの人間だからだろうか(苦笑)

さて、そろそろ出発しよう。

続く。