宮原の続き。
旧井芹銀行の隣にあるなまこ壁の和館が旧井芹家住宅。井芹銀行の創業家、井芹家の分家の邸宅で、
天保3年築、明治3年増築。大きな妻面に水切り瓦と窓がこちゃこちゃとついている。
説明板によると、井芹家は熊本県で有数の地主であり、明治期に醸造業もやっていたようだ。
ここは現在「宮原町まちつくり酒屋」というまちづくり拠点となっている。
張り瓦を八角形に形どったなまこ壁。
同じく説明板によると、薬医門は玄関の移設に伴い設置されたのだとか。
そして、なになに、床に幾何学模様の磁器タイルが使われている、と?タイル?どこにどこに?
現在はカラーコーンで封鎖されている薬医門に近寄ってみると、、、
うわっ!ほんとだ。こんなところにタイルがぁ~
しかも凹凸のあるマジョリカタイルじゃないの。踏まれてボロボロになってしまっているが、
端の方のものはきれいな状態で残っている。シンプルな七宝つなぎ風の花柄はいかにも古く、見たことがあると
思って手持ちの本を見ると、古い珉平焼の湿式タイルにほぼ同じデザインのものがあった。
離れて眺めるだけじゃ気がつかなかったな!
説明板は、北側に移設された玄関の床にもタイルが貼られているような書き方だったので、
カフェの人に声をかけて聞いてみたが、タイルは他にはないと言われていた。
大きく張り出している塀のひさし。
この建物は表の部分がカフェになっているが、それ以外の部分はどうなっているんだろう。
見学できないか聞いてみたら、いいですよと。どうやら貸しスペースとして使っているようだ。
裏庭に面した廊下を歩いて行くと、、、立派な座敷が。
まず目が行くのは欄間。
おお~っ!!分厚い一枚板から彫り出したと見える、大胆な透かし、細やかな細工。
床の間の壁紙も古いままのものらしい。少々傷んでいるが、金色でゴージャス!
四段の違い棚。
奥にもう一間座敷があった。炉が切ってあり茶室としても使われていたようだ。
ガラス戸の向こうにはレンガ塀が見える。
表の間の建具の張紙なども取り替えてしまわず古いままで残っている。
建物は市に寄贈されたらしいが、表側をカフェなどに転用したときにも手を入れてぴかぴかに
しなかったのはあっぱれ!
掃除中だったところにおじゃましたが快く見せていただき感謝~~
カフェにおられた女性お二人と少しお話ししたが、昔はこのエリア全部が井芹家の敷地で、現在
氷川町役場が建っている土地にかつては本家のお宅があって、長い長い壁が続いていたのだとか。
薩摩街道沿いの宮原は宿場町として栄えたところのようで、まちなかの通りには趣が感じられる。
私はこの町の名前すら知らなかったが、最近、石橋を作った石工を取り上げたドキュメンタリー番組の
撮影があったそうで、有名人がロケに来たのだとうれしそうに話されていた。
その番組、すごく興味あって見たかったが、熊本テレビなので大阪では見られないんだって!んー残念。。。
あぁ、おしゃべりまでしてすっかり長居してしまった。石匠館が閉まってしまう。。。
だいたいああいう施設の入場は4時か4時半ぐらいまでだろうからギリギリかな・・・!?
嫌になるほど雨が降り続く熊本、2日目の夕方にしてようやくテンションも上がってきた(笑)
続く。
旧井芹銀行の隣にあるなまこ壁の和館が旧井芹家住宅。井芹銀行の創業家、井芹家の分家の邸宅で、
天保3年築、明治3年増築。大きな妻面に水切り瓦と窓がこちゃこちゃとついている。
説明板によると、井芹家は熊本県で有数の地主であり、明治期に醸造業もやっていたようだ。
ここは現在「宮原町まちつくり酒屋」というまちづくり拠点となっている。
張り瓦を八角形に形どったなまこ壁。
同じく説明板によると、薬医門は玄関の移設に伴い設置されたのだとか。
そして、なになに、床に幾何学模様の磁器タイルが使われている、と?タイル?どこにどこに?
現在はカラーコーンで封鎖されている薬医門に近寄ってみると、、、
うわっ!ほんとだ。こんなところにタイルがぁ~
しかも凹凸のあるマジョリカタイルじゃないの。踏まれてボロボロになってしまっているが、
端の方のものはきれいな状態で残っている。シンプルな七宝つなぎ風の花柄はいかにも古く、見たことがあると
思って手持ちの本を見ると、古い珉平焼の湿式タイルにほぼ同じデザインのものがあった。
離れて眺めるだけじゃ気がつかなかったな!
説明板は、北側に移設された玄関の床にもタイルが貼られているような書き方だったので、
カフェの人に声をかけて聞いてみたが、タイルは他にはないと言われていた。
大きく張り出している塀のひさし。
この建物は表の部分がカフェになっているが、それ以外の部分はどうなっているんだろう。
見学できないか聞いてみたら、いいですよと。どうやら貸しスペースとして使っているようだ。
裏庭に面した廊下を歩いて行くと、、、立派な座敷が。
まず目が行くのは欄間。
おお~っ!!分厚い一枚板から彫り出したと見える、大胆な透かし、細やかな細工。
床の間の壁紙も古いままのものらしい。少々傷んでいるが、金色でゴージャス!
四段の違い棚。
奥にもう一間座敷があった。炉が切ってあり茶室としても使われていたようだ。
ガラス戸の向こうにはレンガ塀が見える。
表の間の建具の張紙なども取り替えてしまわず古いままで残っている。
建物は市に寄贈されたらしいが、表側をカフェなどに転用したときにも手を入れてぴかぴかに
しなかったのはあっぱれ!
掃除中だったところにおじゃましたが快く見せていただき感謝~~
カフェにおられた女性お二人と少しお話ししたが、昔はこのエリア全部が井芹家の敷地で、現在
氷川町役場が建っている土地にかつては本家のお宅があって、長い長い壁が続いていたのだとか。
薩摩街道沿いの宮原は宿場町として栄えたところのようで、まちなかの通りには趣が感じられる。
私はこの町の名前すら知らなかったが、最近、石橋を作った石工を取り上げたドキュメンタリー番組の
撮影があったそうで、有名人がロケに来たのだとうれしそうに話されていた。
その番組、すごく興味あって見たかったが、熊本テレビなので大阪では見られないんだって!んー残念。。。
あぁ、おしゃべりまでしてすっかり長居してしまった。石匠館が閉まってしまう。。。
だいたいああいう施設の入場は4時か4時半ぐらいまでだろうからギリギリかな・・・!?
嫌になるほど雨が降り続く熊本、2日目の夕方にしてようやくテンションも上がってきた(笑)
続く。