有福温泉の続き。
温泉街の中を貫いている1本の道路を除くと、あとの道は全部階段か路地である。
石段の中央が磨り減っているのが年月を感じさせる。
たまご色というか、山吹色というか、黄色っぽい色で壁を塗られた建物が目に付くな。
集落のいちばん奥の方まで行くとこんな古い土壁の民家があった。あぁこの色か。
もともとのまちなみはこの色の土壁があちらこちらに見られたのだろう。
いつの間にか修景されたものばかりになってしまってオリジナルが何か分からなくなってしまったのか。
さて、御前湯へ入ろう。入口周りには凹凸のあるちょっと変わったタイルが貼られている。
よく見るとパターンがあるので型で整形したタイルだが、黄色っぽいのからこげ茶、緑色っぽいのまで
色合いはさまざまで、トルコブルーがそれに重なることで遠目には虹色のような不思議な色に見える。
近くで見ても透明釉の溜まりが美しい。
ドアを開けると吹き抜けのホールの中央に六角形のブースがドンと。その中におばあちゃんが座っていて
券売機で買ったチケットを受け取ってくれる。おばあちゃん曰く、内部は改装され二階に休憩室が
できたそうだが、それももうだいぶ前のようだ。
脱衣所も浴室も旅館の大浴場並みに広く、予想通り混じり物のないお湯だった。
お風呂を上がったら二階の休憩室へ行ってみよう。
エントランスホールをぐるりと回りこむように階段があって、おばちゃんのブースを360度
俯瞰しながら二階へ上る(笑)
装飾的な手すり。
階段ホールや休憩所の壁には有福温泉の昔の写真が貼ってあった。見ていると面白い。
御前湯も路地も今とほとんど変わっていないように見える。
「昔のまちを研究してらっしゃるの?」休憩所に居合わせたおばちゃんから声をかけられた。
「研究ではないですけど、古い温泉とか好きなんです。昔の写真と路地は全く変わってませんよね」
「昔はもっと賑わってたんですよ、劇団もあってね」「へぇ~そうなんですね~」
芝居小屋の写真や芸妓さんみたいな人々の集合写真もあって華やかだ。
おばちゃんはここのお湯がいいので週に2~3回近くのまちから通っておられるそうだが、
バスの便が少なくて不便だと言われていた。確かに、次のバスまでまだ小一時間ある。
観光客はほとんどマイカーで来るだろうが、逆に地元のお年寄りなどはバスで来るしかなく
1日数本の便じゃ不便だな。
観光客であるがバス利用の私はこれからちょっと歩く。元小学校の建物を見に行くのだ。
来しなのバスの車窓で見てバスの運ちゃんに聞いたら、数年前に統廃合で廃校になってしまったという
有福小学校。下有福バス停のそばと覚えておいて後から調べてみると1.5kmぐらいなので
ちょっとしたハイキング気分でバス道を歩いていると、浜田行きバスが追い越して行った。
あっ、バスに乗ればよかったんだ。・・・ま、30分ぐらいで目的地に到着。
おお~!道路から近いところにある洋風の建物が講堂兼体育館だろう。しかしこの円柱を並べた
このファサードは、いち小学校の講堂というより、まちの公会堂ばりじゃない!?
いかに教育に力を入れていたか、この建物から伝わってくる。
運動場の奥の数段高いところに構える2階建の木造建築が校舎だ。
今は他の用途に使っているのかどうなのかわからないが、グラウンドはきれいに均されゴミひとつない。
また明日には生徒たちがやって来て元気に体操してそうな、気がする。
門柱には、有福小学校の歴史が刻まれたプレートがつけられていた。
明治8年の開校から続いた歴史は平成27年3月に幕を閉じた。あぁ、つい去年じゃないか。。。
さてそろそろバスが来る時間だ。ポカポカ陽気の下、バス停のベンチに座って田んぼを見ていたら、
日本人でよかった・・・と幸せな気分になってくる。
江津方面行きのバスは律儀にほとんど遅れることなくやって来た。再び有福温泉を経由すると、
さっき御前湯で言葉を交わしたおばちゃんが乗って来られ、私の顔を見てちょっとびっくりした顔(笑)
30分ほどで江津駅に到着。
続く。
温泉街の中を貫いている1本の道路を除くと、あとの道は全部階段か路地である。
石段の中央が磨り減っているのが年月を感じさせる。
たまご色というか、山吹色というか、黄色っぽい色で壁を塗られた建物が目に付くな。
集落のいちばん奥の方まで行くとこんな古い土壁の民家があった。あぁこの色か。
もともとのまちなみはこの色の土壁があちらこちらに見られたのだろう。
いつの間にか修景されたものばかりになってしまってオリジナルが何か分からなくなってしまったのか。
さて、御前湯へ入ろう。入口周りには凹凸のあるちょっと変わったタイルが貼られている。
よく見るとパターンがあるので型で整形したタイルだが、黄色っぽいのからこげ茶、緑色っぽいのまで
色合いはさまざまで、トルコブルーがそれに重なることで遠目には虹色のような不思議な色に見える。
近くで見ても透明釉の溜まりが美しい。
ドアを開けると吹き抜けのホールの中央に六角形のブースがドンと。その中におばあちゃんが座っていて
券売機で買ったチケットを受け取ってくれる。おばあちゃん曰く、内部は改装され二階に休憩室が
できたそうだが、それももうだいぶ前のようだ。
脱衣所も浴室も旅館の大浴場並みに広く、予想通り混じり物のないお湯だった。
お風呂を上がったら二階の休憩室へ行ってみよう。
エントランスホールをぐるりと回りこむように階段があって、おばちゃんのブースを360度
俯瞰しながら二階へ上る(笑)
装飾的な手すり。
階段ホールや休憩所の壁には有福温泉の昔の写真が貼ってあった。見ていると面白い。
御前湯も路地も今とほとんど変わっていないように見える。
「昔のまちを研究してらっしゃるの?」休憩所に居合わせたおばちゃんから声をかけられた。
「研究ではないですけど、古い温泉とか好きなんです。昔の写真と路地は全く変わってませんよね」
「昔はもっと賑わってたんですよ、劇団もあってね」「へぇ~そうなんですね~」
芝居小屋の写真や芸妓さんみたいな人々の集合写真もあって華やかだ。
おばちゃんはここのお湯がいいので週に2~3回近くのまちから通っておられるそうだが、
バスの便が少なくて不便だと言われていた。確かに、次のバスまでまだ小一時間ある。
観光客はほとんどマイカーで来るだろうが、逆に地元のお年寄りなどはバスで来るしかなく
1日数本の便じゃ不便だな。
観光客であるがバス利用の私はこれからちょっと歩く。元小学校の建物を見に行くのだ。
来しなのバスの車窓で見てバスの運ちゃんに聞いたら、数年前に統廃合で廃校になってしまったという
有福小学校。下有福バス停のそばと覚えておいて後から調べてみると1.5kmぐらいなので
ちょっとしたハイキング気分でバス道を歩いていると、浜田行きバスが追い越して行った。
あっ、バスに乗ればよかったんだ。・・・ま、30分ぐらいで目的地に到着。
おお~!道路から近いところにある洋風の建物が講堂兼体育館だろう。しかしこの円柱を並べた
このファサードは、いち小学校の講堂というより、まちの公会堂ばりじゃない!?
いかに教育に力を入れていたか、この建物から伝わってくる。
運動場の奥の数段高いところに構える2階建の木造建築が校舎だ。
今は他の用途に使っているのかどうなのかわからないが、グラウンドはきれいに均されゴミひとつない。
また明日には生徒たちがやって来て元気に体操してそうな、気がする。
門柱には、有福小学校の歴史が刻まれたプレートがつけられていた。
明治8年の開校から続いた歴史は平成27年3月に幕を閉じた。あぁ、つい去年じゃないか。。。
さてそろそろバスが来る時間だ。ポカポカ陽気の下、バス停のベンチに座って田んぼを見ていたら、
日本人でよかった・・・と幸せな気分になってくる。
江津方面行きのバスは律儀にほとんど遅れることなくやって来た。再び有福温泉を経由すると、
さっき御前湯で言葉を交わしたおばちゃんが乗って来られ、私の顔を見てちょっとびっくりした顔(笑)
30分ほどで江津駅に到着。
続く。