対馬の続き。
久根浜で1軒の石屋根を見つけたあとも、集落を通るたびに石屋根チェック。
おっ!!またあった。ここは久根田舎(くねいなか)という集落。
少し進むと同じ集落内にさらに発見!道路に面して状態のいい小屋が1軒、路地を入ったところに
1軒、川の向こう側に3軒並んでいるぞ!うひょ~!結構かたまっているな!!
どれも同じようなつくりで、規模も同じくらいである。
建物の長手方向が道路に面し、平入りである。間口は太い柱が並んだ5~6スパンのうちの
2ヶ所が戸になっている。戸にはひし形の鉄板で補強された穴がある。
外側を柱で支えられた軒は結構深くて、ちょっとした作業や軒下に農産物を吊るして干したりできる。
さっき久根浜で見たのはちょっとないがしろな感じだったが、ここのは生活感があるし美しく保たれている。
Y字型の木に支えられているこの棒は何だろう。
小屋の前の家の庭先におっちゃんがいたので話しかけて石屋根のことを聞いた。
これは農産物を入れておく小屋で、いちばん新しいものでおっちゃんたちが子供の頃、約50年前に
作られたものだとか。大学の研究者も時々見に来ると言われていた。
また別の小屋の前でおじいちゃんが出てこられたので、また話しかけた。
立派な石屋根ですね!どうやって載せたんですか?石はどこから運んでくるんですか?
おじいちゃん、喜んでいろいろ教えてくれた。
この石屋根の小屋は農作物を保存するための倉庫であり、「小屋」と呼ばれる。
風通しのいい高床になっていて、ねずみが入らないように戸当たりを切り欠いてあったり、
戸を閉めると自動で施錠される「落とし錠」がついていたりと、結構機能的である。
石は対馬で採れる天然の石板で、海からポンポン船で曳いて運び、陸に上げたら修羅のようなそりに
載せて馬で曳いて持ってきたのだという。大きいものは畳一枚分もの大きさがある。
対馬に来て数時間のうちでもいたるところで岩盤が露出しているのを目にしたが、その岩の節理は
板状で、水平でなく斜め45度やそれ以上に傾いているところもある。
地表に露出して風雨や波にさらされた岩盤は節理に水が入り込み徐々に崩れていく。
そういうところから一定の厚みの石板を採って来れるのである。
しかしクレーンやユニックのない時代に畳1枚分もある石板を屋根に載せるのは大仕事だったといい、
集まってくれた手伝いの人たちが何人も並んで石板の下に入り、地面から屋根までかけた緩いスロープを
足並み揃えて上って行き、置いたら上の人が引っ張り上げ、下の人たちはさっと退くのだとか。
施主である家の人は集まってくれた人々に接待するのだという。
各家に小屋があるから、お互いに助け合ってやっていたようだ。
おじいちゃん、ひし形のプレートの穴に棒を差し込んで扉の開閉を実演してくれ、内部も見せてくれた。
その穴にカギを突っ込んで落とし錠を開けるそうで、そのカギのアームの長さが各家で異なっているので
よその家のカギでは開けられないという。このてるてる坊主のようなものは!?
毎年五穀豊穣の願いを込めて、お米とかまどの炭を紙に包んだものをくくりつけるのだとか。
ところで、石屋根はこの「小屋」のみであり、人の住む建物やその他の附属屋でもまったく
見られないのは不思議な気がする。おじいちゃんもなぜかわからないようだったが、昔から母屋は
藁葺きか瓦葺きだったそうだ。そして、万一火事が起こっても食糧が燃えてしまわないよう、
小屋は住まいとは離してかためて建てられるのだそうだ。なるほど、生活の知恵だな!
この石屋根は台風でも落ちることはなく、もちろん火にも強い。しかし思うに、下の木造部分が
先に老朽化してしまうのだろう、新しく建て替えられた小屋はスタイルは同じだが、重い石板を
載せず瓦葺になっている。そして余った石板が引き取られて公園のあずまやに使われたりする
のだな。それはそれでいいことだ。
観光化されていない小さな集落にオリジナルで現役の小屋がこんなにまとまって残っていて、
こうやって実際に造り使ってきた人の話を聞くのはとっても楽しいなぁ!
帰りがけに採れたてのトマトまで頂いた。おじいちゃん、ありがとう~~
細いくねくね山道を抜けて走る。・・・しかし、私も車の運転に慣れたものだなぁ~~
恐々の佐田岬ドライブから思えば、進歩したものだ(笑)。
続く。
久根浜で1軒の石屋根を見つけたあとも、集落を通るたびに石屋根チェック。
おっ!!またあった。ここは久根田舎(くねいなか)という集落。
少し進むと同じ集落内にさらに発見!道路に面して状態のいい小屋が1軒、路地を入ったところに
1軒、川の向こう側に3軒並んでいるぞ!うひょ~!結構かたまっているな!!
どれも同じようなつくりで、規模も同じくらいである。
建物の長手方向が道路に面し、平入りである。間口は太い柱が並んだ5~6スパンのうちの
2ヶ所が戸になっている。戸にはひし形の鉄板で補強された穴がある。
外側を柱で支えられた軒は結構深くて、ちょっとした作業や軒下に農産物を吊るして干したりできる。
さっき久根浜で見たのはちょっとないがしろな感じだったが、ここのは生活感があるし美しく保たれている。
Y字型の木に支えられているこの棒は何だろう。
小屋の前の家の庭先におっちゃんがいたので話しかけて石屋根のことを聞いた。
これは農産物を入れておく小屋で、いちばん新しいものでおっちゃんたちが子供の頃、約50年前に
作られたものだとか。大学の研究者も時々見に来ると言われていた。
また別の小屋の前でおじいちゃんが出てこられたので、また話しかけた。
立派な石屋根ですね!どうやって載せたんですか?石はどこから運んでくるんですか?
おじいちゃん、喜んでいろいろ教えてくれた。
この石屋根の小屋は農作物を保存するための倉庫であり、「小屋」と呼ばれる。
風通しのいい高床になっていて、ねずみが入らないように戸当たりを切り欠いてあったり、
戸を閉めると自動で施錠される「落とし錠」がついていたりと、結構機能的である。
石は対馬で採れる天然の石板で、海からポンポン船で曳いて運び、陸に上げたら修羅のようなそりに
載せて馬で曳いて持ってきたのだという。大きいものは畳一枚分もの大きさがある。
対馬に来て数時間のうちでもいたるところで岩盤が露出しているのを目にしたが、その岩の節理は
板状で、水平でなく斜め45度やそれ以上に傾いているところもある。
地表に露出して風雨や波にさらされた岩盤は節理に水が入り込み徐々に崩れていく。
そういうところから一定の厚みの石板を採って来れるのである。
しかしクレーンやユニックのない時代に畳1枚分もある石板を屋根に載せるのは大仕事だったといい、
集まってくれた手伝いの人たちが何人も並んで石板の下に入り、地面から屋根までかけた緩いスロープを
足並み揃えて上って行き、置いたら上の人が引っ張り上げ、下の人たちはさっと退くのだとか。
施主である家の人は集まってくれた人々に接待するのだという。
各家に小屋があるから、お互いに助け合ってやっていたようだ。
おじいちゃん、ひし形のプレートの穴に棒を差し込んで扉の開閉を実演してくれ、内部も見せてくれた。
その穴にカギを突っ込んで落とし錠を開けるそうで、そのカギのアームの長さが各家で異なっているので
よその家のカギでは開けられないという。このてるてる坊主のようなものは!?
毎年五穀豊穣の願いを込めて、お米とかまどの炭を紙に包んだものをくくりつけるのだとか。
ところで、石屋根はこの「小屋」のみであり、人の住む建物やその他の附属屋でもまったく
見られないのは不思議な気がする。おじいちゃんもなぜかわからないようだったが、昔から母屋は
藁葺きか瓦葺きだったそうだ。そして、万一火事が起こっても食糧が燃えてしまわないよう、
小屋は住まいとは離してかためて建てられるのだそうだ。なるほど、生活の知恵だな!
この石屋根は台風でも落ちることはなく、もちろん火にも強い。しかし思うに、下の木造部分が
先に老朽化してしまうのだろう、新しく建て替えられた小屋はスタイルは同じだが、重い石板を
載せず瓦葺になっている。そして余った石板が引き取られて公園のあずまやに使われたりする
のだな。それはそれでいいことだ。
観光化されていない小さな集落にオリジナルで現役の小屋がこんなにまとまって残っていて、
こうやって実際に造り使ってきた人の話を聞くのはとっても楽しいなぁ!
帰りがけに採れたてのトマトまで頂いた。おじいちゃん、ありがとう~~
細いくねくね山道を抜けて走る。・・・しかし、私も車の運転に慣れたものだなぁ~~
恐々の佐田岬ドライブから思えば、進歩したものだ(笑)。
続く。