6月の洋風建築めぐりは京都の蹴上にあるウェスティン都ホテル京都。現在は外資が入っているが元々は
1890(明治23)年のからの126年?の歴史ある都ホテルである。
新本館は村野藤吾の設計で1960(昭和35)年に建て替えられた。2002年に改修されているが
アプローチ沿いの石を埋め込んだコンクリート壁は当時のものらしい。やわらかい曲線の壁は有機的なイメージ。
客室のバルコニーの手すりのパネルは、阿倍野の近鉄百貨店の旧建物にもあった鋳物の透かし模様。
佳水園は新本館と同じ1960年に建てられた。入口の門こそこんな苔むした屋根だが
この客室棟は、新興数寄屋と呼ばれる、村野藤吾が世界的な流れをいちはやく取り入れて作り出した
新しいスタイルである。
なお、佳水園に行くにはロビーからエスカレーターで4階まで上がらねばならない。
敷地が山麓にあるためであるが、その高低差には驚く!
門を入ってすぐに木の植わった築山があるのだが、何とこれは天然の岩盤だとか。ほぉ~!
この場所には大正時代に「喜寿庵」という別荘建築が建っていて、小川治兵衛の長男、白楊が
岩盤をそのまま利用した庭を造っていたのだという。その跡地に佳水園を建てた村野藤吾は
この庭をそのまま活かしたのだ。
白砂の庭を囲んで配置されたいくつもの部屋が廊下でつながれている。屋根の勾配は極端に緩く、
また軒の厚みが薄いのでとても軽やかで、空と一体的となった印象を受ける。
そんなイメージは建物の内部でも感じられる。
白木とサンドベージュの塗り壁の内装に、斬新な変調格子の障子や衝立がポイント的に配されている。
北欧のインテリアとも通じるような軽やかで洗練された空間。これが50年以上前に作られて
いたのだから驚く。
中庭を望む大きな窓には軒先に簾が下げられ、庭からの間接的な光が室内をやわらかく照らす。
中庭の中央には、池ではなくひょうたん型をした芝生の小山が。
ただ、屋根勾配の緩さや樋がないことで雨には弱く、傷みが激しいのだとか。
外国人のお客が多く客室はほぼ満室ということだったが、チェックイン時間前に一部屋見せて頂いた。
部屋は簡素でこじんまりした空間で、村野藤吾が自らデザインした照明器具が残っていた。
床下の換気口のオシャレなこと!
そのあとは、当初あった木造建築「葵殿」の欄間が再現された東館のホールを見学。
京都の三大祭の行列を部屋の四方にぐるりと描いたステンドグラスが見ものだが、オリジナルを
移設したものなのか、復元したものなのか、はっきりしたことは分からないようだった。
葵殿はなくなってしまったが、小川治兵衛作の葵殿庭園は残されており、起伏を生かして作られた滝は
今も水しぶきをあげている。
歴史を重ねる中、それぞれの時代に足し引きされてきた施設が敷地内に混在する都ホテルは、迷路宿の
趣もありおもしろいな!!
解散後お茶をしようとホテルの喫茶室を偵察したが、ちょっと手が出ず・・・(苦笑)
1890(明治23)年のからの126年?の歴史ある都ホテルである。
新本館は村野藤吾の設計で1960(昭和35)年に建て替えられた。2002年に改修されているが
アプローチ沿いの石を埋め込んだコンクリート壁は当時のものらしい。やわらかい曲線の壁は有機的なイメージ。
客室のバルコニーの手すりのパネルは、阿倍野の近鉄百貨店の旧建物にもあった鋳物の透かし模様。
佳水園は新本館と同じ1960年に建てられた。入口の門こそこんな苔むした屋根だが
この客室棟は、新興数寄屋と呼ばれる、村野藤吾が世界的な流れをいちはやく取り入れて作り出した
新しいスタイルである。
なお、佳水園に行くにはロビーからエスカレーターで4階まで上がらねばならない。
敷地が山麓にあるためであるが、その高低差には驚く!
門を入ってすぐに木の植わった築山があるのだが、何とこれは天然の岩盤だとか。ほぉ~!
この場所には大正時代に「喜寿庵」という別荘建築が建っていて、小川治兵衛の長男、白楊が
岩盤をそのまま利用した庭を造っていたのだという。その跡地に佳水園を建てた村野藤吾は
この庭をそのまま活かしたのだ。
白砂の庭を囲んで配置されたいくつもの部屋が廊下でつながれている。屋根の勾配は極端に緩く、
また軒の厚みが薄いのでとても軽やかで、空と一体的となった印象を受ける。
そんなイメージは建物の内部でも感じられる。
白木とサンドベージュの塗り壁の内装に、斬新な変調格子の障子や衝立がポイント的に配されている。
北欧のインテリアとも通じるような軽やかで洗練された空間。これが50年以上前に作られて
いたのだから驚く。
中庭を望む大きな窓には軒先に簾が下げられ、庭からの間接的な光が室内をやわらかく照らす。
中庭の中央には、池ではなくひょうたん型をした芝生の小山が。
ただ、屋根勾配の緩さや樋がないことで雨には弱く、傷みが激しいのだとか。
外国人のお客が多く客室はほぼ満室ということだったが、チェックイン時間前に一部屋見せて頂いた。
部屋は簡素でこじんまりした空間で、村野藤吾が自らデザインした照明器具が残っていた。
床下の換気口のオシャレなこと!
そのあとは、当初あった木造建築「葵殿」の欄間が再現された東館のホールを見学。
京都の三大祭の行列を部屋の四方にぐるりと描いたステンドグラスが見ものだが、オリジナルを
移設したものなのか、復元したものなのか、はっきりしたことは分からないようだった。
葵殿はなくなってしまったが、小川治兵衛作の葵殿庭園は残されており、起伏を生かして作られた滝は
今も水しぶきをあげている。
歴史を重ねる中、それぞれの時代に足し引きされてきた施設が敷地内に混在する都ホテルは、迷路宿の
趣もありおもしろいな!!
解散後お茶をしようとホテルの喫茶室を偵察したが、ちょっと手が出ず・・・(苦笑)