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Channel: まちかど逍遥
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唐津の近代建築 その2

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唐津の続き。

高取邸と並んで唐津の栄華を今に伝える近代建築が、旧唐津銀行。こちらは市指定の重要文化財だ。
武雄温泉と同じく唐津出身の辰野金吾が監修した建物。実際の設計は弟子の田中実と言うが
地元唐津に残る辰野式建築はこれが唯一ということで、大切にされている。

赤レンガ色のタイルと石材の赤白コントラスト、しましま模様、屋根まわりの緑青など、
他の辰野式建築と同様古典的で派手なイメージの外観。

1885(明治18)年に唐津銀行を設立した初代頭取大島小太郎は、唐津藩が設置した「耐恒寮」
の第1期生として辰野金吾や曽禰達蔵などともに学んだ人物で、唐津のインフラ整備や経済発展に
貢献した。

この建物は平成9年まで銀行として使われたあと市へ寄贈され、保存のための改修工事を経て
平成23年から一般公開されている。このときは2月末で大島家秘蔵のひな飾りなどが展示されていた。

唐津銀行は現在の佐賀銀行の前身のひとつ。建物は比較的こじんまりしたサイズだが、窓口カウンターは
この優雅さ。見上げれば高い吹き抜けにシャンデリアがぶら下がる。カウンターの繊細な鉄格子は
手作りで復原したのだとか。


重厚な金庫の中にも入ることができる。


石炭の産地らしく各部屋に石炭暖炉がある。それぞれデザインが異なり、これは執務室内の暖炉。


二階に上ると吹き抜けから下階を見下ろすことができる。細長いながらも、回廊をぐるっと一周
めぐらしてある。


2階の応接室(?)はひときわ豪華な内装。天井のレリーフ、木製の装飾に囲まれた窓やドアなど。


塔屋へ上る螺旋階段。このタイプは他でも見たことがあるな。


裏側に後年増築された棟の窓から、屋根がよく見えた。


さて、旧唐津銀行にあった歴史的建築のマップを見て、旅館綿屋へ向かう。
町田川沿いに建つこの旅館は割烹料理店として明治9年に創業。玄関周りが雰囲気がある。

知らなかったのだが、この旅館は天然温泉があり、立ち寄り湯も受け付けているらしい。もっと早く
気づけば帰る前に入るスケジュールで計画したのに。。。それに建物の内部も偵察できたのになぁ。

右側にひと部屋の洋館がくっついている。ドア周りには軒飾りなど凝った意匠が施されている。

綿屋のサイトで内部の写真が載っていた。→こちら

そして玄関で上を見上げると・・・うわぁ、六角形の格天井だ!!こんなの見たことないなぁ~

外からチラッと見ただけでも凄そう。今度は是非温泉に入ろうっと。
・・・それにしてもめちゃくちゃ冷えてきた。凍える・・・

同じく唐津銀行のマップで見た旧酒蔵の建物、西の木屋と東の木屋を見てから駅へ向かおうと歩き
出したら、雪が横なぐりに降ってきた。さむっ!!

これは西の木屋。

こちらが東の木屋。そのうち空が変な色になってきた。もう帰ろう。


商店街にあった唐津焼窯元の店は、足元に焼き物の破片が大胆に埋め込まれていて素敵だなぁ~


唐津から筑肥線で姪浜経由で福岡空港まで1本、約1時間半で帰れるからとっても便利。
ジェットスターの最終便なので18時まで唐津で遊べて堪能した。




あとは車内で寝てるだけ、、、と安心していたら、乗る列車の到着が遅れている。15分遅れで
来た列車に乗り込んだら、20分ぐらい走ったところで、「この先強風のため運転を見合わせて
おります」とのアナウンスが・・・はぁっ?あの程度の風で止まるか?
余裕をみて1時間前に着く予定をしていたので多少の遅れは対応できるつもりだったが、ヤバい。
スマホで飛行機の運航情報を調べながら、代替手段を考える。新幹線は高いので避けたいが
夜行バスやフェリーだと仕事に間に合わないし・・・しばらく待って動き出したが筑前前原での
乗継も20分ぐらい待たされ、もう飛行機は絶望的。欠航になって返金されることを望む。。

結局博多駅でちょうど飛行機の出発予定時間となったので、あきらめて下車し、新幹線で
新大阪へ帰った。鹿児島に続き痛い経験となった(泣)。まぁ、当日中に帰れたので幸いとしよう。

後からわかったことだが、ジェットスターの最終便は欠航にならず飛び、しかも出発時間は
大幅に遅れたようなので、もしかしてまっすぐ空港へ向かっていたら乗れたのか・・・??
飛行機のチケット代は戻ってこず、新幹線の通常料金が持ち出し。あ痛たたた・・・

最後に大きな落とし穴があったが(泣)、佐賀という地の魅力をいろいろと知れた旅だったな!

終わり。

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