小薮温泉からの続き。
せっかく車を借りて来たのだから、ついでに車でしか行けないところへ行こうと、今日は河辺町の
屋根付き橋をめぐる計画だ。
所々離合できないような細い道を30分ぐらい走って、最初の龍王橋に到着。結構きれいだ。
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この橋は、秋滝龍王神社へ通じる道にあり、古くから集落のコミュニティ空間として利用されてきた橋を
平成9年に復元したものだとか。
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この奥にもう一つの屋根付き橋、秋滝橋がある。
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こちらはとても小さな橋。苔むしているが、龍王橋と同じタイミングで復元されたもの。
どちらの橋も材は新しいが、割竹で押さえた杉皮葺の屋根、一本の丸竹を使った棟など、オリジナルの姿を
忠実に再現したものと思われる。
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そこからすぐのところに、ふれあい橋がある。先の2つの橋が実存した古い橋の復元であるのに対し、
この橋はコンクリートの桁であり、モニュメント的なものとして公園内に新しく作られたもののようだ。
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屋根は中央が一段高くなっていて、端は寄棟となっている。
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最初の3つがあまり生活感のないものだったので、もっと現役っぽいのを見たいなぁと思いながら先へ進む。
次の豊年橋は道路から民家の裏へ少し入り込んだところにあった。
いずれの橋もちゃんと表示があるので見つけやすく、駐車スペースもわずかながら用意してくれているようだ。
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おお、これは・・・カワイイ♪
あぜ道と呼ぶのがふさわしいような細い道から、民家の庭先(?)へ渡るわずか2mぐらいの橋だ。
現役感は十分。横の小屋と合わせてなんとも味わい深いなぁ!
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近くで作業をしていたおばちゃんに声を掛けて少し話を聞いたら、横の家の人が時々補修しているけど
最近は床板が傷んで重いものを乗せられなくなったとか。確かに材は虫食いだらけでかなりヤバい状態。
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これはもともと河辺川に架かっていた屋根付き橋を1951(昭和26)年に撤去されたときに、
近所の住民が部材をもらい受けてここに移設したもの。おそらくその家の方が補修を続けているのだろう。
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本来その時点で捨てられていた橋が60年以上生き延びたことは奇跡的であり素晴らしいことだ。
しかし今後の存続が心配。。。
次へ向かうが、あろうことか三嶋橋を見落としてしまったようだ。先に帯江橋(おびえばし)を見よう。
こちらは見通しの良い場所にあったので見落とすことはない。1952(昭和27)年完成。
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おぉ、これはなかなかいい感じ!古いし生活感があり、それにこれまでの橋と違って、構造が力強い!
両岸の橋台に踏ん張った斜めの太い材が橋の梁を支えている。そしてそこから短い斜めの材で桁を
ぶら下げるような形になっている。トラスとつり橋を合わせたような構造。変わっているなぁ!
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床板も木目が浮き出て年月を感じさせる。柱の下半分が黒いのはコールタールだろう。
軒下には寄付者の名だろうか、ずらりと名前の書かれた板が打ち付けられている。
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まじまじと眺めて写真を撮っていたら、目の前の一軒家のおっちゃんが話しかけてきた。
この橋を作るとき、大工だったお祖父さんたちが縄で採寸して神社の境内で実物大の型取りをしたとかいう
エピソードや、昔は橋の上が集会や宴会の場であり、今は地区の集会所ができたので場所が変わったが
1月に皆で集まって酒を飲む「おこもり」という行事が今もあるという話など。興味深く聞いた。
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山の上に住む人たちの生活道路として作られたが、今は裏側に車の通れる道ができたので、
対岸の畑に行く人ぐらいしか使わなくなってしまったらしい。
そのおっちゃんは床板の隙間を端材で埋めるなど、自分でちょくちょく補修しているのだという。
当初は地元でお金を集めて作った橋だが、使う人が少なくなったので町に管理を任せ、その後合併でまた
地元に戻って来たのだとか。受益者が少ないので次に大規模修繕が必要になったらもう存続は難しいかも
しれない、という話だった。あぁ、惜しいなぁ。。。
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おっちゃん、屋根付橋についてネットなどで調べたら、日本で百数十ヶ所あるそうで、愛媛県のほか
大分県や東北にもあるのだとか。神社の境内やお城などにあるものはちょくちょく目にするが、
ここのような生活道路として使われている橋がやっぱりいいなぁ。
続く。
せっかく車を借りて来たのだから、ついでに車でしか行けないところへ行こうと、今日は河辺町の
屋根付き橋をめぐる計画だ。
所々離合できないような細い道を30分ぐらい走って、最初の龍王橋に到着。結構きれいだ。

この橋は、秋滝龍王神社へ通じる道にあり、古くから集落のコミュニティ空間として利用されてきた橋を
平成9年に復元したものだとか。


この奥にもう一つの屋根付き橋、秋滝橋がある。

こちらはとても小さな橋。苔むしているが、龍王橋と同じタイミングで復元されたもの。
どちらの橋も材は新しいが、割竹で押さえた杉皮葺の屋根、一本の丸竹を使った棟など、オリジナルの姿を
忠実に再現したものと思われる。


そこからすぐのところに、ふれあい橋がある。先の2つの橋が実存した古い橋の復元であるのに対し、
この橋はコンクリートの桁であり、モニュメント的なものとして公園内に新しく作られたもののようだ。

屋根は中央が一段高くなっていて、端は寄棟となっている。

最初の3つがあまり生活感のないものだったので、もっと現役っぽいのを見たいなぁと思いながら先へ進む。
次の豊年橋は道路から民家の裏へ少し入り込んだところにあった。
いずれの橋もちゃんと表示があるので見つけやすく、駐車スペースもわずかながら用意してくれているようだ。

おお、これは・・・カワイイ♪
あぜ道と呼ぶのがふさわしいような細い道から、民家の庭先(?)へ渡るわずか2mぐらいの橋だ。
現役感は十分。横の小屋と合わせてなんとも味わい深いなぁ!

近くで作業をしていたおばちゃんに声を掛けて少し話を聞いたら、横の家の人が時々補修しているけど
最近は床板が傷んで重いものを乗せられなくなったとか。確かに材は虫食いだらけでかなりヤバい状態。

これはもともと河辺川に架かっていた屋根付き橋を1951(昭和26)年に撤去されたときに、
近所の住民が部材をもらい受けてここに移設したもの。おそらくその家の方が補修を続けているのだろう。

本来その時点で捨てられていた橋が60年以上生き延びたことは奇跡的であり素晴らしいことだ。
しかし今後の存続が心配。。。
次へ向かうが、あろうことか三嶋橋を見落としてしまったようだ。先に帯江橋(おびえばし)を見よう。
こちらは見通しの良い場所にあったので見落とすことはない。1952(昭和27)年完成。

おぉ、これはなかなかいい感じ!古いし生活感があり、それにこれまでの橋と違って、構造が力強い!
両岸の橋台に踏ん張った斜めの太い材が橋の梁を支えている。そしてそこから短い斜めの材で桁を
ぶら下げるような形になっている。トラスとつり橋を合わせたような構造。変わっているなぁ!

床板も木目が浮き出て年月を感じさせる。柱の下半分が黒いのはコールタールだろう。
軒下には寄付者の名だろうか、ずらりと名前の書かれた板が打ち付けられている。

まじまじと眺めて写真を撮っていたら、目の前の一軒家のおっちゃんが話しかけてきた。
この橋を作るとき、大工だったお祖父さんたちが縄で採寸して神社の境内で実物大の型取りをしたとかいう
エピソードや、昔は橋の上が集会や宴会の場であり、今は地区の集会所ができたので場所が変わったが
1月に皆で集まって酒を飲む「おこもり」という行事が今もあるという話など。興味深く聞いた。

山の上に住む人たちの生活道路として作られたが、今は裏側に車の通れる道ができたので、
対岸の畑に行く人ぐらいしか使わなくなってしまったらしい。
そのおっちゃんは床板の隙間を端材で埋めるなど、自分でちょくちょく補修しているのだという。
当初は地元でお金を集めて作った橋だが、使う人が少なくなったので町に管理を任せ、その後合併でまた
地元に戻って来たのだとか。受益者が少ないので次に大規模修繕が必要になったらもう存続は難しいかも
しれない、という話だった。あぁ、惜しいなぁ。。。

おっちゃん、屋根付橋についてネットなどで調べたら、日本で百数十ヶ所あるそうで、愛媛県のほか
大分県や東北にもあるのだとか。神社の境内やお城などにあるものはちょくちょく目にするが、
ここのような生活道路として使われている橋がやっぱりいいなぁ。
続く。