耶馬渓からの続き。
行きしな車でくぐった時に、あれは絶対鉄道のガードだ、廃線跡だな!と確信していたスポットに、
帰り道立ち寄った。
やっぱり、これはどう見ても鉄道のガードだろう。
あっ、これは!もうすっかりサビにまみれ電柱の背後に隠れてしまっているが、踏切ありの標識だ。
やはり緩やかなカーブはどう見ても廃線跡。軽便鉄道か何かだろうか。
近くにいたおっちゃんに尋ねてみた。ここに鉄道が走っていたんですか?
あぁこれは耶馬渓鉄道の跡だよ、ほれ、そこが野呂駅跡だ。
おおぉ・・・いいなぁ!
サイクリングロードになっている小道の片側に、腰の高さぐらいの石積みがそのまま残っていた。
その上には納屋が。
あの小屋は関係ないんですかね?いやいや、あれもそうだよ。ほらここに書いてる。
見るとプラットホームのところにちゃんと説明が書いてあった。納屋と化している建物は
駅舎だったのだ。
国鉄中津駅から守実温泉駅まで36kmの路線。この野呂駅は中津から1/3ぐらいの場所らしい。
さっき行った耶馬渓橋の近くも通っていたようだ。
白黒の写真を見てピンときた。朝車で中津の市街地を出てすぐ、古い鉄道車両をいくつか並べた店が
目に入ったのだったが、あれは耶馬渓鉄道の車両だったのか。
国鉄の車両っぽくもないし全く唐突だったので、鉄道マニアの店主のコレクションだろう、くらいにしか
思っていなかったのだ。
それにしても、プラットホームはかなり長いな!利用者が多かったんだろうか。
竹やぶを過ぎて廃線跡は田園風景の中をずっと先まで伸びている。
今度はガードを渡って反対側へ歩いてみよう。国道212号を越えると築堤はだんだん下りてきて
こちらも畑の間へ吸い込まれていた。ツーリングの自転車が5~6台通り過ぎて行った。
コトコト走ってきた列車がキキーッと音を立てて駅に停まり、人々が乗り、またガタンガタンと
ガードを渡っていく、毎日毎日、そんな風景をここに住む人たちは普通に眺めていたんだろうな。
それがある日を境に、ピタッと列車は来なくなる。廃線ってほんとに寂しいものだ。
耶馬渓鉄道は後年大分交通耶馬渓線となり、1975(昭和50)年に廃止。
もう40年も経つというのに、駅舎もプラットホームも、人々の暮らしのそばに今も残っている。
あぁ、目ざとく見つけられてよかった。
もうあまり時間がないが、例の保存車両も見ておこう。
汽車ポッポというベタな名前のレストランだが、「やまびこ」号、蒸気機関車、貨車のような
木製車両の3台が国道に向かって首を並べているのは愉快だ。
しかも、よく見たら建物に突き刺さっていて、どうやら車両内に席が設けられているようだ。
ちょっと中を見せてもらった。車両内部はレトロなままかと思いきやウッディで落ち着いた山小屋風
インテリア。中にいると耶馬渓鉄道の車両の中にいることを忘れそうだ(笑)。
店内には踏切の警報機があったり写真が飾られているが、鉄カフェのように鉄道グッズなど
ゴテゴテ置いていないのがかえって好感度高し。食事は予約制で、地元の人が普通に食事会などで
訪れる店のようだ。
宿泊もできるらしいが、素泊まり2700円、2食付き3700円って!?安すぎないかぁ?
壁に貼られた写真を見ていると、とってものどか。かわいい車両、素敵な駅舎。あぁ、中津駅から
こんな鉄道に乗って耶馬渓まで行けたら楽しいだろうなぁ。もうかなわぬ夢だが。
長年親しんだ耶馬渓鉄道の思い出ををこうやって大事にしておられる。誰にアピールするでもなく、
地元の人だけ、思い出を共有する人だけがわかる。
あぁ、そんな廃線跡と保存車両をたまたま見つけられてよかった!
さて、小倉へ戻り阪九フェリーで一路泉大津へ。いったん家に帰って一息入れてから、会社へ。
うん、このフェリー使えるな!またこのパターンで旅しよう~
終わり。
行きしな車でくぐった時に、あれは絶対鉄道のガードだ、廃線跡だな!と確信していたスポットに、
帰り道立ち寄った。
やっぱり、これはどう見ても鉄道のガードだろう。
あっ、これは!もうすっかりサビにまみれ電柱の背後に隠れてしまっているが、踏切ありの標識だ。
やはり緩やかなカーブはどう見ても廃線跡。軽便鉄道か何かだろうか。
近くにいたおっちゃんに尋ねてみた。ここに鉄道が走っていたんですか?
あぁこれは耶馬渓鉄道の跡だよ、ほれ、そこが野呂駅跡だ。
おおぉ・・・いいなぁ!
サイクリングロードになっている小道の片側に、腰の高さぐらいの石積みがそのまま残っていた。
その上には納屋が。
あの小屋は関係ないんですかね?いやいや、あれもそうだよ。ほらここに書いてる。
見るとプラットホームのところにちゃんと説明が書いてあった。納屋と化している建物は
駅舎だったのだ。
国鉄中津駅から守実温泉駅まで36kmの路線。この野呂駅は中津から1/3ぐらいの場所らしい。
さっき行った耶馬渓橋の近くも通っていたようだ。
白黒の写真を見てピンときた。朝車で中津の市街地を出てすぐ、古い鉄道車両をいくつか並べた店が
目に入ったのだったが、あれは耶馬渓鉄道の車両だったのか。
国鉄の車両っぽくもないし全く唐突だったので、鉄道マニアの店主のコレクションだろう、くらいにしか
思っていなかったのだ。
それにしても、プラットホームはかなり長いな!利用者が多かったんだろうか。
竹やぶを過ぎて廃線跡は田園風景の中をずっと先まで伸びている。
今度はガードを渡って反対側へ歩いてみよう。国道212号を越えると築堤はだんだん下りてきて
こちらも畑の間へ吸い込まれていた。ツーリングの自転車が5~6台通り過ぎて行った。
コトコト走ってきた列車がキキーッと音を立てて駅に停まり、人々が乗り、またガタンガタンと
ガードを渡っていく、毎日毎日、そんな風景をここに住む人たちは普通に眺めていたんだろうな。
それがある日を境に、ピタッと列車は来なくなる。廃線ってほんとに寂しいものだ。
耶馬渓鉄道は後年大分交通耶馬渓線となり、1975(昭和50)年に廃止。
もう40年も経つというのに、駅舎もプラットホームも、人々の暮らしのそばに今も残っている。
あぁ、目ざとく見つけられてよかった。
もうあまり時間がないが、例の保存車両も見ておこう。
汽車ポッポというベタな名前のレストランだが、「やまびこ」号、蒸気機関車、貨車のような
木製車両の3台が国道に向かって首を並べているのは愉快だ。
しかも、よく見たら建物に突き刺さっていて、どうやら車両内に席が設けられているようだ。
ちょっと中を見せてもらった。車両内部はレトロなままかと思いきやウッディで落ち着いた山小屋風
インテリア。中にいると耶馬渓鉄道の車両の中にいることを忘れそうだ(笑)。
店内には踏切の警報機があったり写真が飾られているが、鉄カフェのように鉄道グッズなど
ゴテゴテ置いていないのがかえって好感度高し。食事は予約制で、地元の人が普通に食事会などで
訪れる店のようだ。
宿泊もできるらしいが、素泊まり2700円、2食付き3700円って!?安すぎないかぁ?
壁に貼られた写真を見ていると、とってものどか。かわいい車両、素敵な駅舎。あぁ、中津駅から
こんな鉄道に乗って耶馬渓まで行けたら楽しいだろうなぁ。もうかなわぬ夢だが。
長年親しんだ耶馬渓鉄道の思い出ををこうやって大事にしておられる。誰にアピールするでもなく、
地元の人だけ、思い出を共有する人だけがわかる。
あぁ、そんな廃線跡と保存車両をたまたま見つけられてよかった!
さて、小倉へ戻り阪九フェリーで一路泉大津へ。いったん家に帰って一息入れてから、会社へ。
うん、このフェリー使えるな!またこのパターンで旅しよう~
終わり。