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Channel: まちかど逍遥
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山陰海岸ジオパーク 岩井窯

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鉱山めぐりからの続き。

鉱山跡めぐりを終え、ガイドさんに岩井窯まで送ってもらった。実は、いわみガイドクラブに
電話で問い合わせたときに、岩井窯でごはんを食べてはどうかと提案を頂いたのだった。


人里から少し離れた静かな谷筋にある、登り窯を備えた広々した敷地。


お手頃なメニューがあるとのことで喜んで提案に従ったのだが、これがよかった。
窯の敷地内にある喫茶HANAでは1000円前後のメニューがある。食事処花の方はコース料理で
ちょっとお昼には手が出ないが、こっちなら大丈夫(笑)。
昨日から食べ続けなので少し軽めにしようとゆば雑炊を頼んだ。ゆばがとろとろでおいしい!

そばがきぜんざいやあんみつなどのスイーツにも惹かれたが、、、いかんいかん。

窯の主宰者である山本教行氏は、鳥取の民芸運動の第一人者である吉田璋也に出会い、バーナード・
リーチに影響されて陶芸を志した。1971(昭和46)年にこの地で独立。リアルタイムの民芸運動に
接した最後の世代なのかもしれない。




作品展示館(ショップ)を見ると、なにげない中にも愛着を感じるような素敵な器ばかり。
しかしやっぱりちょっとお高いので手が出ず、、、(汗)
参考館では民芸色の強い山本教行氏の過去作品で目の保養。タイルの衝立など、自分でも
作ってみたいなぁと思うようなものがいろいろ。


トイレの手洗いシンクや傘立ても素敵!






岩井窯から歩いて岩井温泉に戻り、気になっていたゆかむりギャラリーをちらりと覗く。


見るからに元旅館な建物は花屋旅館の旧館であり、帳場だった部屋が現在は尾崎翠資料館となっている。
尾崎翠(おざきみどり)とは、私は知らなかったのだが、岩井温泉生まれで昭和初期に活躍した小説家。


内部も旅館時代の趣がそのまま残る。ここに泊まりたかったなぁ!




さてバスで岩美駅へ向かおう。岩美駅と岩井温泉の間をつなぐバス通りが「およし道路」と
呼ばれる道で、それに沿う形で1926(大正15)年、岩井町営軌道が敷かれた。
鉱山からの鉱石運搬と、次々やって来る岩井温泉への入湯客を運んだが、1944(昭和19)年に
廃止(正確には休止)となったようだ。

少し歩いていわみ工芸村に行ってみたが、予約制だからか大したものは見られなかった。
建物は旧本庄小学校の木造校舎を利用したもので、ま、これを見れたのでよしとしよう。





そこからほど近い「道の駅きなんせ岩美」で買い物を楽しんだあと、駅へ戻る。

岩美駅もかわいい木造駅舎。来た時の逆ルートのバスでも鳥取へ出れるのだが、
この駅から列車に乗りたくてスケジュールを組んだのだった。


おっ、KIOSKが現役!!


こんなのどかなところに建つ小さな駅だが、有人駅でもあり、結構利用者があるのだな。


やってきたのは山陰海岸ジオライナー。なんとまぁ、この旅にぴったりじゃないの!

鳥取で民芸美術館を見て、たくみ割烹店でハヤシライスセットを食べて、スーパーはくとで一路大阪へ。

後半は雨だったが本降りにはならず、山陰海岸の多様な地形、豊かな風土、季節感も感じることができた。
温泉、グルメ、風景、産業、建築、焼き物、鉄道・・・なかなか充実したジオパークの旅だったな!!

終わり。

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