十分の続き。
ここが新平渓炭坑の坑口。
中へ入って見学することができるが、天井や壁が落ちてこないかと背筋がゾワゾワするので
さっさと出てくる(汗)。
建物の中には当時の写真や映像、そして当時使っていた道具なども展示されている。
石炭の層は45度の角度で重なっていた。地表に近いところからどんどん深いところへ掘り進んでいくのは
鉱山の常。暗く狭い穴ぐらの奥深くもぐって作業するなんて、閉所恐怖症の私は気が狂いそうだ(汗)。
中央に見えるとがった山が「十分寮富士」と呼ばれたボタ山。この下は鉱夫長屋もそのまま残っている。
ほんとに閉山になったときから全くそのまま時が止まったようだ。
フォトジェニックな風景は写真撮影意欲を掻き立てる。あちこち考えながら写真を撮ったり、
鉱山の最盛期に思いを馳せながらいろいろ見て回っていたら、半日ぐらいゆっくり滞在できそうだが、
引き返すトロッコに乗れとおばちゃんに催促されてしまった(苦笑)。
十分の駅に戻ってきた。せっかく平渓線の一日券を買ったので、終点のチントンへも行っておこう。
ここもずいぶん前に訪れ、日式宿舎を転用したカフェでお茶を飲んだな。
構内にはさっき十分でも見た積み込み用のコンクリート構造物があるが、ここではその上にお店が
しつらえられている。商売人はたくましいな!!
チントンの駅前にも炭鉱の小さな資料館がある。展示資料を見ると平渓線沿線の一帯がほぼすべて
炭鉱だったことが分かる。というか、石炭の積み出しのため炭鉱を縫うように平渓線を作ったのだ。
川を渡った方にも村があり、廃墟となったレンガの工場などがあった。
次の列車で引き返し、平渓で下車。ここは駅前に屋台などがずらりと並び、焼きフランクフルトの
有名店もあるらしく、観光客で賑わっている。十分と並ぶ観光スポットのようだ。
私も有名店のフランクフルトを食べてみようと列に並びかけたが、途中で諦めた(苦笑)。
もう少し続く。
ここが新平渓炭坑の坑口。
中へ入って見学することができるが、天井や壁が落ちてこないかと背筋がゾワゾワするので
さっさと出てくる(汗)。
建物の中には当時の写真や映像、そして当時使っていた道具なども展示されている。
石炭の層は45度の角度で重なっていた。地表に近いところからどんどん深いところへ掘り進んでいくのは
鉱山の常。暗く狭い穴ぐらの奥深くもぐって作業するなんて、閉所恐怖症の私は気が狂いそうだ(汗)。
中央に見えるとがった山が「十分寮富士」と呼ばれたボタ山。この下は鉱夫長屋もそのまま残っている。
ほんとに閉山になったときから全くそのまま時が止まったようだ。
フォトジェニックな風景は写真撮影意欲を掻き立てる。あちこち考えながら写真を撮ったり、
鉱山の最盛期に思いを馳せながらいろいろ見て回っていたら、半日ぐらいゆっくり滞在できそうだが、
引き返すトロッコに乗れとおばちゃんに催促されてしまった(苦笑)。
十分の駅に戻ってきた。せっかく平渓線の一日券を買ったので、終点のチントンへも行っておこう。
ここもずいぶん前に訪れ、日式宿舎を転用したカフェでお茶を飲んだな。
構内にはさっき十分でも見た積み込み用のコンクリート構造物があるが、ここではその上にお店が
しつらえられている。商売人はたくましいな!!
チントンの駅前にも炭鉱の小さな資料館がある。展示資料を見ると平渓線沿線の一帯がほぼすべて
炭鉱だったことが分かる。というか、石炭の積み出しのため炭鉱を縫うように平渓線を作ったのだ。
川を渡った方にも村があり、廃墟となったレンガの工場などがあった。
次の列車で引き返し、平渓で下車。ここは駅前に屋台などがずらりと並び、焼きフランクフルトの
有名店もあるらしく、観光客で賑わっている。十分と並ぶ観光スポットのようだ。
私も有名店のフランクフルトを食べてみようと列に並びかけたが、途中で諦めた(苦笑)。
もう少し続く。