大牟田の続き。
宮浦坑跡からアップダウンのある道をさらに10分あまり走り、早鐘眼鏡橋へ。
これは1674(延宝2)年に作られた灌漑用の水路橋。日本最古の石造アーチ型水路橋といい、
重要文化財となっている。遊歩道があるはずなのだが、フェンスで閉ざされ近づけない。。。
湾曲した水路の奥にそれらしいアーチの一部分が何とか見えた。
先へ進もう。三池炭鉱専用鉄道は、宮浦のヤードから港へ至る部分はすでに廃線となっているが
その鉄道敷は緑の空地となって残っている。
切通しの部分には古レール材で作られた鉄橋が架かっていた。
路面や手すりは改修されているが構造はそのままのようだ。
廃線跡を追いかけてさらに進むと、草原に建つレンガの建物とやぐらが見えてきた。宮原坑跡である。
やぐらには大きな滑車がついていて、レンガの建物内に設置された巻上げ機でワイヤーを引っ張り
立坑内のカゴを昇降させる仕組みらしい。
宮原坑は明治から大正期を通じて年間40万トンの出炭を誇った三池炭鉱の主力坑であった。
隣の万田坑にも同じようなやぐらが残っており、あちらはもう少しいろんな遺構が見られるようだが
もうタイムリミットが近づいている。残念だがパスする。。。
ちょうどこの日は宮原坑の公開日のようで、雨にもかかわらずポツポツと人が訪れては中へ入って行った。
恨めしげに眺めながら敷地をぐるっと回り、駅へと向かう。
最後に旧三池集治監を経由して行こう。レンガの外塀が残っている。
ここに送られた囚人は宮原坑で石炭採掘作業に従事させられたという。
高い塀の中は現在、三池工業高校のグラウンドとなっている。
さて、大牟田駅へ戻りJRで熊本へ移動。そこからバスで空港へ行こうと思ったら・・・(大汗)・・・
何とか大阪へたどり着くことができ、ホッ。
いや~しかし、今回は珍しく優雅な気分に浸り、おいしいものを食べておなかいっぱいになった旅だった!
終わり
宮浦坑跡からアップダウンのある道をさらに10分あまり走り、早鐘眼鏡橋へ。
これは1674(延宝2)年に作られた灌漑用の水路橋。日本最古の石造アーチ型水路橋といい、
重要文化財となっている。遊歩道があるはずなのだが、フェンスで閉ざされ近づけない。。。
湾曲した水路の奥にそれらしいアーチの一部分が何とか見えた。
先へ進もう。三池炭鉱専用鉄道は、宮浦のヤードから港へ至る部分はすでに廃線となっているが
その鉄道敷は緑の空地となって残っている。
切通しの部分には古レール材で作られた鉄橋が架かっていた。
路面や手すりは改修されているが構造はそのままのようだ。
廃線跡を追いかけてさらに進むと、草原に建つレンガの建物とやぐらが見えてきた。宮原坑跡である。
やぐらには大きな滑車がついていて、レンガの建物内に設置された巻上げ機でワイヤーを引っ張り
立坑内のカゴを昇降させる仕組みらしい。
宮原坑は明治から大正期を通じて年間40万トンの出炭を誇った三池炭鉱の主力坑であった。
隣の万田坑にも同じようなやぐらが残っており、あちらはもう少しいろんな遺構が見られるようだが
もうタイムリミットが近づいている。残念だがパスする。。。
ちょうどこの日は宮原坑の公開日のようで、雨にもかかわらずポツポツと人が訪れては中へ入って行った。
恨めしげに眺めながら敷地をぐるっと回り、駅へと向かう。
最後に旧三池集治監を経由して行こう。レンガの外塀が残っている。
ここに送られた囚人は宮原坑で石炭採掘作業に従事させられたという。
高い塀の中は現在、三池工業高校のグラウンドとなっている。
さて、大牟田駅へ戻りJRで熊本へ移動。そこからバスで空港へ行こうと思ったら・・・(大汗)・・・
何とか大阪へたどり着くことができ、ホッ。
いや~しかし、今回は珍しく優雅な気分に浸り、おいしいものを食べておなかいっぱいになった旅だった!
終わり