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Channel: まちかど逍遥
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李家古宅を見に行く (台湾)

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台湾続き

橋頭からいったん宿に戻り、mayumamaさんが前金天主堂を見に行っている間に私は高雄市立歴史博物館へ行く。
以前来たときは時間がなくゆっくり内部を見れなかったし、高雄の歴史についての展示を見たかったのだ。
MRTの駅を出ると、うわぁ、急に大雨が降ってきた!mayumamaさん、大丈夫かなぁ。。。
小走りで行ってみると、あらら、ちょうど外壁の改修工事中で、緑色の素敵な建物はシートに覆われている。
でも展示はやっているようだ。入場料を払おうと窓口へ行くと・・・えっ、タダなの?太っ腹〜


1992年まで高雄市政府であった建物はとても美しい。円柱の並ぶエントランスホールの中央に
シンボリックな階段、見上げれば吹き抜けの高い天井。親柱のレリーフも素晴らしい。




展示室を順に見ていく。
多数展示された昔の写真には、港湾工事や造船、鉄道敷設、水道管の敷設工事など近代化真っ只中の
高雄のまちの様子や、人々の暮らしがいきいきと映し出されていた。
完成直後と見える台湾煉瓦工場打狗工場のあの特徴的な2本の煙突が写っている写真もあった。
これはあそこだろうか、これはあの辺だろうか、と興味津々に見ていると時間がなくなってきた。


別の部屋では、二・二八事件についての詳しい展示もある。
二・二八事件は、第二次世界大戦後日本が台湾から撤退したあと、中国大陸からやって来た中国国民党(外省人)と、
旧来の台湾人(本省人)との間で起こった大規模な抗争。台湾全土に広がり、ここ高雄市政府も悲劇の舞台となった。
膨大な犠牲者を出した二・二八事件が武力鎮圧された後も40年間もの間戒厳令が敷かれ、今の自由な台湾に
なったのは、本省人である李登輝氏が直接選挙で総統に選ばれてからの、つい20年ほど前のことという。

民主化が進んで平和な現在の日々においても、台湾の人々はこの事件のことを決して忘れておらず
心の根底に息づいているのだと、展示を見て思った。

さて、そろそろ行かなければ。MRTの駅でレンタサイクルを借り、mayumamaさんと落ち合って
市定古蹟である李氏古宅を見に行こう。
まだ走ったことがなかった、高雄港の貨物線廃線跡サイクリングロードの西半分。こちらは民家の裏を抜ける
地味なコースで、観光客もほとんど走っていないが、車がビュンビュン走る道路から離れて安全に
サイクリングできるのは実用的にもありがたい。




台東のサイクリングロードでは現路線からの分岐点ぎりぎりまで行けたが、ここでは少し手前で
行き止まりになっており、分岐部分が今どうなっているのか確認することはできなかった。。


ここから車道へ出、山麓のセメント工場の廃墟などを見ながら延々北上。
遠くに煉瓦工場の2本の煙突が見えた。


ネットで見つけた大まかな位置図をもとに探し回ったが見つからない。人に聞いても、メジャーでないので
よく分からないようだ。廟の前で尋ねたミニバイクの兄ちゃんが、ついてこいと先導してくれたが
やはり分からない。あちらこちらでいろんな人に尋ね回ってくれ、悪いのでもういいですと言っても
もう意地になって探してくれて、ついに見つかった!!


地図に印をつけていた場所とは全く違っており、しかも入り組んだ住宅街。これは私たちだけでは
到底見つけられなかっただろう。ほんとにほんとにありがとう!!
恩を売るでもなく、片手をちょいと上げて涼しい顔で去っていった兄ちゃん。あぁ台湾の人は
なんて親切なんだろう〜〜


塀越しに見える立派な洋風意匠の李氏古宅に興奮しながら近づいていくと、庭に放された犬が
恐ろしい形相で吠えまくる〜〜〜かみ殺されそう〜〜〜
女性が出てきたので、建物を見せてもらえないかとお願いしたところ、お庭へ入れて下さった。
犬はうそのように静かになり、鎖でつながれ奥へ。飼い主の言うことをよく聞く賢いやつだ。


その女性はビジネスウーマンらしく英語がペラペラだったが、私たちの方が全くだったので(汗)
日本語世代のおばあさんを連れてきて下さり、飲み物とお菓子まで出して頂いて、中庭で
いろいろお話を聞くことができた。


1931(昭和6)年に建てられた、陳中和記念館と並ぶ風格ある洋風建築。
おばあさんと同じ83歳なのだとか。中央部のレリーフには「李」の文字が見える。1Fの入口の上の
華麗なレリーフには屋号があらわされていた。

こんなところまで来る日本人はあまりいないのだろう。
おばあさんは日本語を話すのはもう何十年ぶりと言われていたが、久しぶりに日本語を話すのが
うれしいようで、時々言葉が思い出せずに詰まられながらも次々と流暢で美しい日本語を話された。
別れ際も名残惜しそうに手を握られ、私たちはとても温かい気持ちで李氏古宅を後にした。

付近のまちの中でもこの一角は古い中国風の民家が見られ、不整形の路地や井戸も残っている。
これらの民家も改修され活用されようとしている風に見えた。今後日本人もちょくちょく
訪れるようになるのかもしれない。


雨がまた降ってきた。傘をさしながら日が落ちた車道を自転車で走る。。。
行きしなは気づかなかった、踏切跡を見つけた。セメント工場のある山麓の方にも引込み線が
たくさん伸びていたのに違いない。


続く。


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