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Channel: まちかど逍遥
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中播磨の旅 〜網干の近代建築

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だいぶあいてしまったが・・・・中播磨の旅、続き。

港からタクシーでぴゅっと飾磨駅まで行き山陽電車で網干へ移動。日暮れまで近代建築めぐりをしよう。
網干は何度か来ているが、有名なタケダ洋品店以外の近代建築は見ておらず、今回yumeさんが
調べて来てくれて初めて知ったものがほとんど。

網干をうろつく
・北沢産業専用線跡をたどる その1 その2 その3

タケダ洋品店の少し手前にある旧長久医院。このそばを2回は通っているが知らなかったなぁ。
隣の広い空き地は最近なにかを解体したばかりのようで、おかげで建物がよく見える。

現在はデイサービスなぎさという福祉施設として使用されている。

そのそばにはお風呂屋が!でももうやっていないみたい、残念。。。


タケダ洋品店はあいかわらずの堂々たる姿をアーケードの骨組み越しに見せていた。


旧網干銀行本店。大正末頃の築らしい。


今では工場地帯はあるもののまちなかは寂れ気味であるが、
銀行が設立されるぐらいだから網干というまちのかつての繁栄がしのばれる。


さて、yumeさんのマップを頼りに、タムラ技研と東京電機工業の建物を探しに行こう。
商店街から住宅地の中へ入ったら・・・どっかで見たような(笑)。

無理があるというか、開き直っている(爆)

ちょっと歩いてみるが普通の住宅街である。こんなところに古い建築があるんだろうか??
人が通りかかったので尋ねてみることに。会社名を言ってわかるだろうかと思いながら。
するとそのおばちゃんはまちのイベントに関わっている方らしくよくご存知で、案内してくれると。
タムラ技研の前を通り、そこからさらに南へ下った東京電機工業の古い木造の事務所があった。

旧網干塩務局網干出張所。赤穂の塩は今も有名だが、昔は網干や姫路でも塩が作られていたらしい。
近代化とともに塩田は工業地帯に置き換わっていったのだろう。

おばちゃん、この会社の人と知り合いらしく、「人がいたらちょっと話してあげるんだけど」との
ことだったが、日曜なので断念、門のところから写真を撮るのみでガマン。
明治の建築がきれいに手入れされて使われ続けているのはうれしいことだ。

裏の方にも作業場か倉庫か木造の古い建物が何棟かあるのが見えた。
おばちゃん曰く、イベントの時には敷地内に入れるらしいので、また機会があれば行ってみよう。

お家の事情で早く帰らないといけないyumeさんと別れ、ひとりで網干商工会館を見に行く。


揖保川から分かれた運河の水門のところは目立つ場所であり、公園にかかる人道橋も前回
渡ったはずなのだが、全く見てなかったなぁ。運河の風情に心を奪われていたせいか。。。


窓はアルミサッシになっているものの、タイル貼りの柱や丸窓などほぼオリジナルの姿と思われ
魅力的な建物だが、木造モルタル塗りは老朽化が顕著で、行く末が心配である。


あと網干の近代建築といえばダイセル異人館も有名であるが、日も暮れかけた今から工場地帯へ
行くのもためらわれ、こちらもまたの機会に。

これで網干は終わりにしてお風呂に入って帰ろう。
飾磨に再び降り立ち、ネット検索で見つけた中島湯に行ってみたら、休業中との張り紙。
うわぁ〜ショック!


失意のまま、昨日見た薬師湯へ。こちらはちゃんと営業していて、ほっ。




あったかいお湯に浸かり、2日間の疲れをリセット。ふぅ〜



湯ざめしないように帽子、マフラー、手袋で完全防備して、山陽電車と阪神電車で約2時間。。。
やっぱり冷めてしまったな(苦笑)

中播磨の旅モニターツアーの充実した二日間はこれにて終了。(ツアーと言ってもルートは自由)
お誘い頂いたyumeさん、ありがとうございました。


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