今年のお正月休みの旅、続き。
タイル墓めぐりははじめからそのつもりだったのではなく、最初はカトリック教会をめぐろうと走り出したのだった。
名瀬のまちなかにある名瀬聖心(みこころ)教会は6年前にも見たがやっぱりカッコイイなぁ。→過去記事
船で早朝に着いてうろうろしているときに、ここの入口のところに貼ってあったカトリック教会マップを見て
今日は教会めぐりをしよう!と思い立ったのだ。
奄美でのカトリックの宣教活動は1892(明治24)年からはじまり順調に信者が増えたが、昭和初期の戦時には
弾圧や迫害など苦難の時期を迎える。しかし戦後、アメリカ軍の統治下に置かれたことも要因のひとつだろうが
早い時期に教会は再建に向かい、救援物資の配布など社会福祉活動を通じ島の人々の暮らしにとってはますます
密接なものとなっていったのだろう。
現在島内に31の教会があるそうだが、北部に多く南部は少ない。あとで人に聞いたところによるとやはり
南部は山深く交通の便がよくなかったためだと言い、宣教活動がしにくかったり住人が少なかったせいだろう。
スクーターでとことこ走っていくと集落ごとに教会がある。
カトリック教会はたいがいどこでも扉は開いていて、ご自由にお入りくださいと書いてある。
そして概して内部は外から見るより古かったり雰囲気がよかったりする。
こちらの大熊教会はコンクリート造りのきれいでモダンな建物。幼稚園か公民館のようにも見える。
日当たりのよい高台にそびえ立つ鐘楼は、いかにも集落のシンボルという感じ。
毎週ミサが行われきれいに維持されているのを見ると、敬虔な信徒が今も多くしっかり生活に根付いていることが分かる。
お天気がよく海は青くとっても気持ちいいツーリング!・・・しかし寒い(苦笑)
こちらは芦花部(あしけぶ)教会。簡素な2階建ての建物で、化粧板で覆われた外観はあまり古く見えないし、
大して目を惹かれず立ち去りかけたのだが、壁の一部が少し気になったこともあり、せっかく来たから一応中を
覗いてみようと思い直してアルミサッシのドアを開けてみたのだった。
すると・・・うわっ、なんだこの天井は!!
ギザギザの凹凸があるように見えるのは、矢羽根状に貼られた天井板による目の錯覚だ。
白っぽい外観に惑わされたが、実はこの教会はとても古く、1929(昭和4)年の築。
「台風・火災・戦災・迫害等に耐えた奄美の教会の中で戦前の姿をほぼ原型のまま残している唯一の教会」と
紹介されてもいるらしい(受け売り情報→元ネタはこちら)。
蛍光灯の照明が天井に取り付けられているが、もとはペンダント型の照明がついていたのだろう、
菊型ローゼットが残っていた。
思い直して中を見てよかった~
山越え中にぱっと目の前に現れた濃いピンクの緋寒桜!うわ~~きれい~~!しばしお花見。
海沿いを走っていると古い石垣にも出くわす。加工していない自然石を乱雑に積み上げた石垣は幅が1m以上ある。
民家は石垣に埋もれるようにして建ち海風や波から守られている。
南国らしい水色の海!ひゅ~ひゅ~~!!テンション上がる~~
島南部の西古見で見たのと同じ古いサンゴの石垣もあった。
こちら龍郷にある西郷南洲流謫跡。
西郷隆盛が奄美に3年間流されていたが、その間に愛加那と結婚して住んだ家である。
愛加那は奄美の名家、田畑家の一族であり、田畑家は後に龍家となった。龍郷という地名は龍家の本拠地という
ことなのだろう。
その田畑家の墓地が西郷南洲流謫跡の近くにあり、のぞいてみると、また「絶滅する墓」の本に載っていた
肖像墓を見つけた。ここだったのか!女性と男性の姿を結構リアルに彫った石像が、墓石になっている。
しかしよく偶然に見つけたものだ。呼ばれたのかな(笑)
こちらは龍郷教会。かわいらしい教会だが無人でドアも閉まっていた。
今度は「仏像墓」を見に行く。こちらは町指定文化財になっていてちゃんと案内板も出ていた。
じゃりじゃりの坂道もスクーターですいすい上れるので楽ちん~~
仏像の形をしているが埋葬された人の名前や年齢が彫られた墓石である。凝った彫刻を施した破風型の墓石と共に
1725年代に造られたものという。300年前か。材質は鹿児島の加治木石だそうだ。一部は割れ落ちている。
」
そしてようやくたどり着いた瀬留カトリック教会。広い敷地に急勾配の三角破風が印象的な聖堂と司祭館が建っている。
1908(明治41)年築で、登録有形文化財になっている。
中へ入ってみると、ここもまた驚いた!三廊式で凸型の天井は格間の板の向きを交互に違えてあって
格天井というより籠目のような趣。祭壇や柱も木の色でとても落ち着いた雰囲気で、美しい!
信者の方が来られたので少しお話しして、奄美のカトリックの歴史などについてお聞きした。
スクーターでのツーリングはこの辺で折り返し。
来た道はくねくね山越えや海沿いの道で車は少なく、ぱっと広がる景色に心躍らせる楽しいツーリングだったが、
食べるところが全くなかった(汗)。たまにある店も臨時休業だったり、イートインはダメだったり、、、
もう2時も過ぎているし昼抜きだな・・・と諦めかけていた時に見つけた「営業中」ののぼり。
「ブラッセリ―テイラ」という店。半信半疑でドアを開けると、ランチできると。あーよかった!
しかもパスタランチは何でも作りますよというので、オイル系でお任せしたら、きのこと干しエビのペペロンチーノを
作ってくれて、ボリュームがあって小鉢もついて900円って、なんと良心的!
ご主人といろいろお話しして帰りにみかんももらって、素敵なランチだった!
帰り道は国道58号線でショートカット。車が多くてちょっと怖かったけどまぁ無事に名瀬のまちまで戻り、
古田町マリア教会を見に行く。
レンガ調の円形の建物はとてもおしゃれでスタイリッシュ!2002(平成14)年落成。
島の北東部の笠利町にはもっとたくさんの素敵な教会があるようなので、また次回は車でめぐってみよう。
少しまちなかをうろついてからレンタルバイクを返却。ガソリン満タン入れたら、なんと1.1リットルで
200円の請求!?えーーっ、一日中走り回ったのにたったそれだけ?スクーターってそんなに燃費がいいのか。
買おうかな(笑)
続く。
タイル墓めぐりははじめからそのつもりだったのではなく、最初はカトリック教会をめぐろうと走り出したのだった。
名瀬のまちなかにある名瀬聖心(みこころ)教会は6年前にも見たがやっぱりカッコイイなぁ。→過去記事
船で早朝に着いてうろうろしているときに、ここの入口のところに貼ってあったカトリック教会マップを見て
今日は教会めぐりをしよう!と思い立ったのだ。
奄美でのカトリックの宣教活動は1892(明治24)年からはじまり順調に信者が増えたが、昭和初期の戦時には
弾圧や迫害など苦難の時期を迎える。しかし戦後、アメリカ軍の統治下に置かれたことも要因のひとつだろうが
早い時期に教会は再建に向かい、救援物資の配布など社会福祉活動を通じ島の人々の暮らしにとってはますます
密接なものとなっていったのだろう。
現在島内に31の教会があるそうだが、北部に多く南部は少ない。あとで人に聞いたところによるとやはり
南部は山深く交通の便がよくなかったためだと言い、宣教活動がしにくかったり住人が少なかったせいだろう。
スクーターでとことこ走っていくと集落ごとに教会がある。
カトリック教会はたいがいどこでも扉は開いていて、ご自由にお入りくださいと書いてある。
そして概して内部は外から見るより古かったり雰囲気がよかったりする。
こちらの大熊教会はコンクリート造りのきれいでモダンな建物。幼稚園か公民館のようにも見える。
日当たりのよい高台にそびえ立つ鐘楼は、いかにも集落のシンボルという感じ。
毎週ミサが行われきれいに維持されているのを見ると、敬虔な信徒が今も多くしっかり生活に根付いていることが分かる。
お天気がよく海は青くとっても気持ちいいツーリング!・・・しかし寒い(苦笑)
こちらは芦花部(あしけぶ)教会。簡素な2階建ての建物で、化粧板で覆われた外観はあまり古く見えないし、
大して目を惹かれず立ち去りかけたのだが、壁の一部が少し気になったこともあり、せっかく来たから一応中を
覗いてみようと思い直してアルミサッシのドアを開けてみたのだった。
すると・・・うわっ、なんだこの天井は!!
ギザギザの凹凸があるように見えるのは、矢羽根状に貼られた天井板による目の錯覚だ。
白っぽい外観に惑わされたが、実はこの教会はとても古く、1929(昭和4)年の築。
「台風・火災・戦災・迫害等に耐えた奄美の教会の中で戦前の姿をほぼ原型のまま残している唯一の教会」と
紹介されてもいるらしい(受け売り情報→元ネタはこちら)。
蛍光灯の照明が天井に取り付けられているが、もとはペンダント型の照明がついていたのだろう、
菊型ローゼットが残っていた。
思い直して中を見てよかった~
山越え中にぱっと目の前に現れた濃いピンクの緋寒桜!うわ~~きれい~~!しばしお花見。
海沿いを走っていると古い石垣にも出くわす。加工していない自然石を乱雑に積み上げた石垣は幅が1m以上ある。
民家は石垣に埋もれるようにして建ち海風や波から守られている。
南国らしい水色の海!ひゅ~ひゅ~~!!テンション上がる~~
島南部の西古見で見たのと同じ古いサンゴの石垣もあった。
こちら龍郷にある西郷南洲流謫跡。
西郷隆盛が奄美に3年間流されていたが、その間に愛加那と結婚して住んだ家である。
愛加那は奄美の名家、田畑家の一族であり、田畑家は後に龍家となった。龍郷という地名は龍家の本拠地という
ことなのだろう。
その田畑家の墓地が西郷南洲流謫跡の近くにあり、のぞいてみると、また「絶滅する墓」の本に載っていた
肖像墓を見つけた。ここだったのか!女性と男性の姿を結構リアルに彫った石像が、墓石になっている。
しかしよく偶然に見つけたものだ。呼ばれたのかな(笑)
こちらは龍郷教会。かわいらしい教会だが無人でドアも閉まっていた。
今度は「仏像墓」を見に行く。こちらは町指定文化財になっていてちゃんと案内板も出ていた。
じゃりじゃりの坂道もスクーターですいすい上れるので楽ちん~~
仏像の形をしているが埋葬された人の名前や年齢が彫られた墓石である。凝った彫刻を施した破風型の墓石と共に
1725年代に造られたものという。300年前か。材質は鹿児島の加治木石だそうだ。一部は割れ落ちている。
」
そしてようやくたどり着いた瀬留カトリック教会。広い敷地に急勾配の三角破風が印象的な聖堂と司祭館が建っている。
1908(明治41)年築で、登録有形文化財になっている。
中へ入ってみると、ここもまた驚いた!三廊式で凸型の天井は格間の板の向きを交互に違えてあって
格天井というより籠目のような趣。祭壇や柱も木の色でとても落ち着いた雰囲気で、美しい!
信者の方が来られたので少しお話しして、奄美のカトリックの歴史などについてお聞きした。
スクーターでのツーリングはこの辺で折り返し。
来た道はくねくね山越えや海沿いの道で車は少なく、ぱっと広がる景色に心躍らせる楽しいツーリングだったが、
食べるところが全くなかった(汗)。たまにある店も臨時休業だったり、イートインはダメだったり、、、
もう2時も過ぎているし昼抜きだな・・・と諦めかけていた時に見つけた「営業中」ののぼり。
「ブラッセリ―テイラ」という店。半信半疑でドアを開けると、ランチできると。あーよかった!
しかもパスタランチは何でも作りますよというので、オイル系でお任せしたら、きのこと干しエビのペペロンチーノを
作ってくれて、ボリュームがあって小鉢もついて900円って、なんと良心的!
ご主人といろいろお話しして帰りにみかんももらって、素敵なランチだった!
帰り道は国道58号線でショートカット。車が多くてちょっと怖かったけどまぁ無事に名瀬のまちまで戻り、
古田町マリア教会を見に行く。
レンガ調の円形の建物はとてもおしゃれでスタイリッシュ!2002(平成14)年落成。
島の北東部の笠利町にはもっとたくさんの素敵な教会があるようなので、また次回は車でめぐってみよう。
少しまちなかをうろついてからレンタルバイクを返却。ガソリン満タン入れたら、なんと1.1リットルで
200円の請求!?えーーっ、一日中走り回ったのにたったそれだけ?スクーターってそんなに燃費がいいのか。
買おうかな(笑)
続く。