八丈島の続き。
ここが玉石垣で有名な大里集落。本当にこれまでに見たお屋敷の石垣などよりもさらに高く、長く続く見事な石垣だ!!
こういう石垣が集落じゅうの道路わきを飾っているのだ。何と美しい集落なのだろうか!
角は切り石を積んで強度を確保。やはり腕の良い石工の仕事だな。
さっきお昼をたべたあとに、まちなかの東京都八丈支庁の建物内にある歴史民俗資料館に立ち寄ったらとても面白かった。そこには近藤富蔵コーナーもあり詳しく説明されていた。徳川家譜代の旗本で蝦夷・千島の探検をした近藤重蔵の長男。隣家の7人を殺傷した罪で流罪となり、こちらに来てからは悔い改め、仏像を彫ったり石垣を構築、夜学の開設など、八丈島に多大な貢献をしたという。
八丈島の流刑の始まりについても解説があり、それは1606(慶長11)年に宇喜多秀家からはじまった。豊臣家の五大老で備前の領主であった宇喜多秀家は関ケ原の戦いに敗れ八丈島へ流された。近世の伊豆諸島流人の最初の人であり「八丈島流人の祖」と言われるのは少々気の毒な肩書だが・・・まぁ贅沢な暮らしではないものののんびりと過ごしたようだ。流罪生活は50年間にも及び、八丈島で没した。1871(明治4)年までの265年間に付き人も含め約1900人が入島した。罪人は明治維新後全員が赦免されたが島に残る者もいたようだ。
実は歴史民俗資料館でお話を聞いていたとき、古い伝統的な高倉が昔の民俗資料館の場所に移築されて残っているということだったのだが、その場所がどうもよく分からない。地図にも載っていなくて、人に聞きながらうろうろしていると、なんかすごい建物を見つけた。
これはどう見ても民俗資料館ではなく個人邸なのだが、あの変わった建物は高倉じゃないの!?住人の方がいたらちょっと写真を撮らせてもらいたいと思って玄関まで行ったのだが誰も出て来ない。近くで見ると、1.5mぐらいの高床でハシゴが立てかけてある。柱は丸い石の上に直接載っているし、屋根と上の壁はトタンが張られているものの1階部分は全面縦板張りで横材で押さえてある。これは本当に伝統的な高倉だろう。こんなのが村の中に残っているとは!貴重だから保存してあるというのでもない。床下には雑多なものが置かれ、日常的にハシゴで上り下りしているふうに見える。バリバリ現役なのだ!いや~、感激。
旧歴史民俗資料館を探してうろうろしながら、優婆夷(うばい)宝明神社にも行ってみる。ここには「キリシタン灯篭」がある。
こちらがそのキリシタン灯篭で、足の部分が十字形になっている。とは言っても、キリスト教信仰とは関係がなく、戦国時代のキリシタン大名だった古田織部が始めた形式の灯篭なのだとか。これは仙次郎という石工が作ったもので、彼は腕の良い江戸の石工だったが喧嘩の罪でここへ流されてきたという。
そしてこちらの本殿を見て驚いた!!何と石積の建物で、しかもそれが赤い溶岩の切石積みなのだ。手前の拝殿は木造で本殿のみが石造なのは、台風などの気候に耐えシロアリに食われないよう頑丈に造ったのか、石という素材自体に信仰的な意味があるのか、、、ちょっとよく分からないが、、、
基壇も石積みで、赤い石で白っぽい石を囲んだモザイクのような意匠になっている。こんなの見たことない!白っぽい石は安山岩だろうか、両者は明らかに違った質の石だ。その上の柵も石で造られていた。何と美しい神社の本殿なのだろうか!いや~~興奮。
そしてようやくたどり着けた旧歴史民俗資料館。ここはもともと東京都八丈支庁だった建物で、この島でたぶん唯一の洋風近代建築だろう。
1939(昭和14)年に庁舎新築、1971(昭和46)年に庁舎移転。資料館は1975( 昭和50)年に開館、2018(平成30)年で閉館、建て替えられた支庁舎展示ホール内に移転して再オープンしている。
「東京都八丈支庁」「八丈島歴史民俗資料館」二つの看板が今も玄関に残る。
下見板張り、石積み基礎の上に隙間を開けて木造の建物が載った平屋建。棟はH形で結構大きい。現在は閉め切られ何も使われていないようだし、特に保護もされていないように見える。
そしてその前庭に、聞いていた通り高床の倉がふたつあった。大きい方は6本脚、小さいほうは4本脚で、茅葺屋根。江戸末期頃に建てられたものを平成20年に移築した。高倉はもっと大きい12本脚のものもあるとか。
造りはやはりさっき見た高倉と同じで、壁は縦板張り、はしごをかけた入口部分は縁側のようになっている。
これは小さいほうの倉についていた、自然の曲がった木を利用した足掛けで「ノブ段」と呼ばれる。
この高倉は穀物貯蔵庫として使用されていたもので、「ノブ段」はネズミ対策であり、脚にはネズミ返しもあった。床下は物置や作業場として使われた。
美しい高倉や貴重な旧支庁舎。現在の資料館の場所には持って行くことはできないのだから、この場所ももう少し整備して分かりやすく名前をつけて観光スポットとして案内すればよいのにな。こここそ「ふるさと村」とすればどう!?
さぁそろそろレンタカーを返す時間だ。まちへ戻りレンタカー屋へ向かっていたとき、何度か通りかかって気になっていたこちらの天照皇大神宮に最後行ってみようと思いついた。
上り始めると、玉石の石段が延々続く・・・・
上り切ったところにコンクリートの貯水槽のようなものがあったが、、、まさかここへ上るための石段ではあるまいな(苦笑)。鳥居があったし・・・
さらに行くと、うわぁ・・・・なんと美しい。圧倒される玉石づくしのアプローチに対して、お社は小さなものだった。この玉石積みも含めて信仰の場所なのだろうと思えた。見に来てよかった。
なお、秋には天照皇大神宮祭という大きなお祭りが二日間にわたって開かれ山鉾巡行などもあるらしい。
続く。