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天心邸へ

北茨城の続き。

野口雨情生家
を後にして五浦海岸へ向かう。そそり立つ崖が複雑に入り組んだ地形の五浦海岸は、
茨城県北ジオパーク構想のジオサイトの一つ。
美術史家で日本美術院を創設した岡倉天心はこのロケーションをいたく気に入り活動拠点とした。
崖上の広い敷地に、自邸である「天心邸」の他、六角堂、長屋門などの「天心遺跡」が残り、現在は
茨城大学五浦美術研究所として管理、活用されている。

受付事務所として使用されている長屋門。
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茨城大学に移管されたあと、1963(昭和38)年に建てられた天心記念館。天心と日本美術院関係者に
関する資料が展示されている。
この年代の建物はなかなかカッコイイ。
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そこに展示されていた、五浦海岸の奇岩風景をつくっている「炭酸塩コンクリ―ション」という岩石についての
説明が興味深かった。堆積物に鉱物がしみ込んでつくられるもので、「天然のセメント」と言われるほど硬い。
五浦海岸の炭酸塩コンクリ―ションは「砂岩が石灰化して砂質石灰岩となったもの」といい、
これほど広範囲に分布しているのは世界的に珍しいのだとか。
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山道のような切通しの小径を歩いていく。両側の法面には青々と苔がむし、割石を埋め込んだ石畳は
何とも風雅で、京都のお寺の庭園を歩いているような錯覚を起こす。。。
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小径を抜けるとこの風景!そう、ここは海岸の崖の上なのだ。
五浦海岸の名は、大小5つの入江があることから名づけられた。
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そして明るい芝生の広場に面して建つこちらの建物が天心邸。もともとここに建っていた観浦楼という鮑料理の
店の建物で仮住まいを始めた天心が、その部材を再利用して自らの設計で1904(明治37)年に建てたもの。
天心はここで心身を充実させ、日本とボストンを往復して活動した。
日本美術院を東京から五浦に移し、横山大観、菱田春草、下村観山といった画家らがこの地で創作に励んだ。
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中へは入れないが建具は開け放たれており覗き込むことができる。
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もとは隣に離れ座敷が付属し、主屋ももっと大きかったようだが、昭和戦前に縮小されたらしい。
離れ座敷の跡地には浴室のタイルだけが残っている。締め切られて立ち入ることができないが
四角く白いタイルと、花形や扇型、ひょうたん型、桜、雪輪・・・いろんな形をした比較的大型のタイルが
残っている。
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真四角で印花文の入ったタイルもあるが瀬戸のものとは明らかに違う。色、釉薬の雰囲気など見たことない感じ。
このタイルについて書かれた文献を事務所で見せてもらった。明治43年頃に天心が奥様に依頼して手配した
ものと書かれていたが、タイルの製造元は判明していないようだ。昔の写真を見るともっとたくさんあったが
だいぶ剥がれてしまったという。
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東日本大震災の津波では天心邸の床下まで浸水し、芝生の庭がしばらくの間池のような状態だったとか。
こんな崖の上まで!?全く、想像もつかない。。。
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崖上でそうだから、この広場から石段で降りたところに建っていた「六角堂」はもうひとたまりもなかった。
津波が引いた後には基礎しか残っていなかったらしい。この六角堂も天心が自ら設計した建物で
登録文化財だったが、失われたため現在のものは復元建物である。再建を願う人々から寄付金、また
材料や技術の提供を受け2012(平成24)年に完成した。
しかしすごいところに建てたものだな。。。岡倉天心はここで波の音を聞きながら瞑想したり思索にふけったとか。
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岡倉天心って、彼自身がアーティストというわけでもなく、何をした人なのか正直よくわかっていなかったが、
東京美術学校の設立に尽力し、日本美術院を創設し、美術史の研究、美術評論、アーティストの養成などを通して
日本の美術界に大きな貢献をした人だとわかった。
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天心邸のあと、近くの市場食堂でランチを。メニューがたくさんあって迷いに迷ったが・・・
あまり食べたことのないものをと、あんこう丼を。あんこうの天ぷらを卵とじにしてある。
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あっさりしていて「これがあんこうか!」という独特の味はなかったけど(苦笑)おいしかった!
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続く。

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