下田の続き。
ペリーロードを歩くと、川沿いの建物だけでなく平滑川の護岸の石積みにも目が留まる。
面白いことに、その石積みに使われている石や積み方は一律でなく、短いスパンで全く違っているのだ。
建物が川沿いギリギリに建っているので石積みは建物の基礎の一部になっているのだろう。建築時に元の護岸を一部
切り崩して作り直す、ということがあちこちで行われたのだろうか。もはやどれが元の護岸なのか分からないぐらいだ。
建物の壁や塀に使われているような、きれいに成形された伊豆(軟)石の切石が布積みにされた護岸。
ちょっと不ぞろいな伊豆石の切石。
左側はトップに載せた写真の続きだが、これは明らかに伊豆石ではなく、山から出てきたいろんな種類の石が
大きさも揃えずそのまま乱積みされているようだ。
右側には全く表情の異なる灰紫色の成形石の布積みが続いている。
割肌を見せたこの石も伊豆軟石と思われる。
同じく凝灰岩系の竜山石も赤竜、青竜、黄竜などあるし、伊豆石にも縞模様の斑石やいろいろな色があるのは
不思議ではない。
こちらは道路側の石積み。灰色や灰紫色や明るいサンドベージュ色の伊豆石が斜め方向に積まれている。
しかしあまり法則性もなく、色もバラバラで特に揃えた感じでもない。
ここは意図的に中央部に白っぽい石を配してあるのかな。
こちらは石の表情からもう少し時代が古そうな谷積みの護岸。排水路の部分が美しく納めてある。
あぁ、こっちの方がもっと古いな!きれいな谷積みで隙間は多いが安定している。これがオリジナルの護岸のように思える。
一方こちらは隙間をほとんど作らないように石を成形してみっちり谷積みしてある。
濃灰色の石は凝灰岩(伊豆石)なのかどうかよくわからず・・・
長年の間には災害で崩れたり、工事のために一部撤去したりしてその時々で積みなおしたこともあったのだろう。
色も形もバラバラで揃っていないが、逆にそれが面白い。下田のまちが経てきた歴史の痕跡なのだ。
揃えて作り直したりせずこれからも修繕は部分的にしてさらに多様な石積み護岸にしてほしいなぁ!
平滑川には石橋もある。ふと見るとここはアーチ橋じゃないか。
アーチを形作る「輪石」や隙間を埋める「壁石」の表面は意匠的に整えられているように見える。
ずいぶん古そうだな。
霊山橋は「りょうせんばし」と読み、明治三十九年二月、と親柱に彫られていた。
了仙寺の「了仙」から字違いで名付けられたのだろうか。
反対側を見ると輪石で積まれておらずアーチ型の一体の石だった。こちらは川上側。災害で損傷した結果かもしれないな。
了仙寺へ続く道は花街の端っこでちょっと怪しげな雰囲気。。。いや、風情とみるべきか(苦笑)
この店の意匠に使われているのは富士山の溶岩石か?
先にも書いたが了仙寺は日米和親条約付録下田条約が締結された場所として、有名な観光スポットである。
了仙寺の裏手に横穴遺跡があるというので本殿の裏へ回ってみると、崖に巨大な穴が空いていた。うわぁ~~、すごい!!
頭上にオーバーハングした伊豆石の岩盤。想像していたよりも巨大な洞窟にちょっと鳥肌・・・
6~7世紀(古墳時代)の地元の有力者のお墓とみられ、中から人骨や勾玉、土器などが発見されたらしい。
いったいここはどこだ?さっきまで町にいたはずなのに・・・
本殿の写真を撮ろうと思ったのだが前にずっと人がいてうまく撮れず・・・写真なし(汗)
続く。
ペリーロードを歩くと、川沿いの建物だけでなく平滑川の護岸の石積みにも目が留まる。
面白いことに、その石積みに使われている石や積み方は一律でなく、短いスパンで全く違っているのだ。
建物が川沿いギリギリに建っているので石積みは建物の基礎の一部になっているのだろう。建築時に元の護岸を一部
切り崩して作り直す、ということがあちこちで行われたのだろうか。もはやどれが元の護岸なのか分からないぐらいだ。
建物の壁や塀に使われているような、きれいに成形された伊豆(軟)石の切石が布積みにされた護岸。
ちょっと不ぞろいな伊豆石の切石。
左側はトップに載せた写真の続きだが、これは明らかに伊豆石ではなく、山から出てきたいろんな種類の石が
大きさも揃えずそのまま乱積みされているようだ。
右側には全く表情の異なる灰紫色の成形石の布積みが続いている。
割肌を見せたこの石も伊豆軟石と思われる。
同じく凝灰岩系の竜山石も赤竜、青竜、黄竜などあるし、伊豆石にも縞模様の斑石やいろいろな色があるのは
不思議ではない。
こちらは道路側の石積み。灰色や灰紫色や明るいサンドベージュ色の伊豆石が斜め方向に積まれている。
しかしあまり法則性もなく、色もバラバラで特に揃えた感じでもない。
ここは意図的に中央部に白っぽい石を配してあるのかな。
こちらは石の表情からもう少し時代が古そうな谷積みの護岸。排水路の部分が美しく納めてある。
あぁ、こっちの方がもっと古いな!きれいな谷積みで隙間は多いが安定している。これがオリジナルの護岸のように思える。
一方こちらは隙間をほとんど作らないように石を成形してみっちり谷積みしてある。
濃灰色の石は凝灰岩(伊豆石)なのかどうかよくわからず・・・
長年の間には災害で崩れたり、工事のために一部撤去したりしてその時々で積みなおしたこともあったのだろう。
色も形もバラバラで揃っていないが、逆にそれが面白い。下田のまちが経てきた歴史の痕跡なのだ。
揃えて作り直したりせずこれからも修繕は部分的にしてさらに多様な石積み護岸にしてほしいなぁ!
平滑川には石橋もある。ふと見るとここはアーチ橋じゃないか。
アーチを形作る「輪石」や隙間を埋める「壁石」の表面は意匠的に整えられているように見える。
ずいぶん古そうだな。
霊山橋は「りょうせんばし」と読み、明治三十九年二月、と親柱に彫られていた。
了仙寺の「了仙」から字違いで名付けられたのだろうか。
反対側を見ると輪石で積まれておらずアーチ型の一体の石だった。こちらは川上側。災害で損傷した結果かもしれないな。
了仙寺へ続く道は花街の端っこでちょっと怪しげな雰囲気。。。いや、風情とみるべきか(苦笑)
この店の意匠に使われているのは富士山の溶岩石か?
先にも書いたが了仙寺は日米和親条約付録下田条約が締結された場所として、有名な観光スポットである。
了仙寺の裏手に横穴遺跡があるというので本殿の裏へ回ってみると、崖に巨大な穴が空いていた。うわぁ~~、すごい!!
頭上にオーバーハングした伊豆石の岩盤。想像していたよりも巨大な洞窟にちょっと鳥肌・・・
6~7世紀(古墳時代)の地元の有力者のお墓とみられ、中から人骨や勾玉、土器などが発見されたらしい。
いったいここはどこだ?さっきまで町にいたはずなのに・・・
本殿の写真を撮ろうと思ったのだが前にずっと人がいてうまく撮れず・・・写真なし(汗)
続く。