下田の続き。
平滑川沿いの道は、黒船で来航したペリー提督一行が、日米和親条約付録下田条約締結の舞台となった了仙寺まで
行進した道で、「ペリーロード」と呼ばれている。
ペリーロードの東端に建つ旧澤村邸は、下田で数少ない一般公開建物。なまこ壁と伊豆石が使われた伝統的建造物だが、
町家ではなく門があり庭のある邸宅である。1915(大正7)年築と、このあたりでは割と新しい建物だろう。
澤村家は江戸時代から造船業を営んでおり、この邸宅を建てた澤村久右衛門氏は旧下田町の町長も務め、その子正三氏も
下田町議会議員を務めるなど、地域の発展に寄与した名家である。
2008(平成20)年に下田市に寄贈され、2012(平成24)年から一般公開されている。
内部は改修されて割ときれいになっており明るい雰囲気。
裏側に建つなまこ壁の蔵はギャラリーになっていた。
そして表側に張り出している部屋は中を見ると洋風で、「洋館付き住宅」と言えるかもしれない。近代和風らしいな!
ここは無料休憩所としても使える。
和風の主屋からつながる段差の部分はやわらかい曲線になっていた。
旧澤村邸から少し山手へ進むとなまこ壁の蔵があった。
このときは閉まっていたが「下田日待」という雑貨屋になっている。
伊豆石は畑の土留めにも使われていた。いや、これは邸宅の塀だったのだろうか。
平滑川沿いに戻って歩く。植えられた柳の新緑の若芽が風になびいてなんとも風情があるな。
柳と言えば花街。そう、ここもやはり花街だったのだ。
逢坂橋のたもとに建つ風雅な建物は、ギャラリー兼喫茶室の草画房。ここはなまこ壁ではなく、二階の窓は
楕円形に抜いたすりガラスが入るなど近代和風っぽいな・・と思ったらやっぱり大正3年だ。戸袋は銅板貼り。
外からちらっと覗くととてもおしゃれな雰囲気。中も見てみたいけど、大人気で混んでいるしお茶するにはまだ
ちょっと早いので(ランチ前だったので)・・・もう少し歩こう。
草画房の隣には重厚な石蔵、そして角石を積んだ古めかしい洋館が。
いかにもな感じなので「なんちゃって洋館」かと思ったが、本物の明治初期の建物らしい。ページワンという
イタリアンのお店になっていて、イタリアンでランチもありかなとふと思ったが、やっぱりお刺身がいいなと(笑)
カラフルなタイル円柱。
こちらの一面なまこ壁の建物は軒が低くてだいぶ古そうだ。土佐屋という飲み屋だが、入口まで埋もれている感じ(笑)
1854(安政元)年。
少し裏手にある長楽寺は、日露和親条約が締結された場所。歴史の教科書に載っている出来事が本当にあった史実
なのだと今さらながら実感する(苦笑)。
どの店も割とリーズナブルだし落ち着いた感じ。観光地ではあるが安っぽく浮かれた店はなく好感が持てる。
花街らしい意匠も残り散策が楽しいね!
こちらの風待工房というカフェも花街建築。とてもきれいな状態で残っている。
二階の窓を見上げると、おぉっ、窓の桟の割付がひし形でおしゃれ!その上、写真ではわかりにくいが
色ガラスがはまっている。これは内側から見てみたいなぁ~~!!
あとで時間があったらお茶しに来よう。
歩いていると京都の五条あたりの高瀬川の雰囲気を思い出した。
続く。
平滑川沿いの道は、黒船で来航したペリー提督一行が、日米和親条約付録下田条約締結の舞台となった了仙寺まで
行進した道で、「ペリーロード」と呼ばれている。
ペリーロードの東端に建つ旧澤村邸は、下田で数少ない一般公開建物。なまこ壁と伊豆石が使われた伝統的建造物だが、
町家ではなく門があり庭のある邸宅である。1915(大正7)年築と、このあたりでは割と新しい建物だろう。
澤村家は江戸時代から造船業を営んでおり、この邸宅を建てた澤村久右衛門氏は旧下田町の町長も務め、その子正三氏も
下田町議会議員を務めるなど、地域の発展に寄与した名家である。
2008(平成20)年に下田市に寄贈され、2012(平成24)年から一般公開されている。
内部は改修されて割ときれいになっており明るい雰囲気。
裏側に建つなまこ壁の蔵はギャラリーになっていた。
そして表側に張り出している部屋は中を見ると洋風で、「洋館付き住宅」と言えるかもしれない。近代和風らしいな!
ここは無料休憩所としても使える。
和風の主屋からつながる段差の部分はやわらかい曲線になっていた。
旧澤村邸から少し山手へ進むとなまこ壁の蔵があった。
このときは閉まっていたが「下田日待」という雑貨屋になっている。
伊豆石は畑の土留めにも使われていた。いや、これは邸宅の塀だったのだろうか。
平滑川沿いに戻って歩く。植えられた柳の新緑の若芽が風になびいてなんとも風情があるな。
柳と言えば花街。そう、ここもやはり花街だったのだ。
逢坂橋のたもとに建つ風雅な建物は、ギャラリー兼喫茶室の草画房。ここはなまこ壁ではなく、二階の窓は
楕円形に抜いたすりガラスが入るなど近代和風っぽいな・・と思ったらやっぱり大正3年だ。戸袋は銅板貼り。
外からちらっと覗くととてもおしゃれな雰囲気。中も見てみたいけど、大人気で混んでいるしお茶するにはまだ
ちょっと早いので(ランチ前だったので)・・・もう少し歩こう。
草画房の隣には重厚な石蔵、そして角石を積んだ古めかしい洋館が。
いかにもな感じなので「なんちゃって洋館」かと思ったが、本物の明治初期の建物らしい。ページワンという
イタリアンのお店になっていて、イタリアンでランチもありかなとふと思ったが、やっぱりお刺身がいいなと(笑)
カラフルなタイル円柱。
こちらの一面なまこ壁の建物は軒が低くてだいぶ古そうだ。土佐屋という飲み屋だが、入口まで埋もれている感じ(笑)
1854(安政元)年。
少し裏手にある長楽寺は、日露和親条約が締結された場所。歴史の教科書に載っている出来事が本当にあった史実
なのだと今さらながら実感する(苦笑)。
どの店も割とリーズナブルだし落ち着いた感じ。観光地ではあるが安っぽく浮かれた店はなく好感が持てる。
花街らしい意匠も残り散策が楽しいね!
こちらの風待工房というカフェも花街建築。とてもきれいな状態で残っている。
二階の窓を見上げると、おぉっ、窓の桟の割付がひし形でおしゃれ!その上、写真ではわかりにくいが
色ガラスがはまっている。これは内側から見てみたいなぁ~~!!
あとで時間があったらお茶しに来よう。
歩いていると京都の五条あたりの高瀬川の雰囲気を思い出した。
続く。