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Channel: まちかど逍遥
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大島町郷土資料館

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伊豆大島の続き。

大島町郷土資料館の敷地内には大島の伝統的な民家が復元展示されている。復元と言っても実際に島内の集落に建っていた
家を移築したもので、説明板によると1861(文久元)年の築という。ここの木製の説明板もずいぶん年季が入っていて、
長年過酷な風雨にさらされたためだろう、墨書きされた文字だけが浮き彫りのように盛り上がっていた。


石造りの井戸(?)。大島では井戸を掘っても真水が出ないので、1954(昭和29)年に岡田簡易水道が
でき給水開始されるまで、川の水や潤沢な雨水を溜めて使っていたという。


3間x5間の小さな建物の2/5ほどを土間が占め、部屋らしい部屋はいろりのある8畳1間のみ。3畳の小部屋や
板の間がついている。


耐風耐震に重点を置いた構造で、柱は杉が主に使われ、大黒柱にはケヤキ、梁には地産の黒松が使用されたとのこと。
「曲がり梁」という独特の様式が見られるという。


展示してあった写真はこの建物の移築元なのかどうかは分からないが大正時代のもので、小さな家に大勢の人がおり、
島の人々の質素な暮らしぶりがリアルに写し出されている。


資料館の方は昭和の建物であまりぱっとしない建物だが、展示は結構面白い。
これは島の大きさ一覧のポスター。
もちろん佐渡島が1番。淡路島は4番。伊豆大島は24番目だ。このポスターには400あまりの島が載っていて
こうやって全部並べてくれると分かりやすくて面白い。家の壁に貼っておきたいなぁ~~


これは「三原山滑走台」という乗り物。レールに乗ったカートで滑り降りるもので、600mの長さがあった。
三原山の火山観光のために1935(昭和10)年に造られたが、太平洋戦争に突入した1942(昭和17)年に
軍の命令で撤去されてしまった。遺構は今でも残っているらしい。
「御下山は世界最初の滑走機に乗って」と書かれた文字を見ると、上りには使えなかったのかな。
上りにこそ使いたいと思うヘタレな私(笑)


港のある元町のまちなみは、結構道幅も広くて建物もあまり古いものが残っていないなと思っていたら、やはり
大火があって焼けたかららしい。1965(昭和40)年に起こり、一晩燃え続けて元町の市街地の7割が壊滅したとか。
死者は出なかったそうだが、大惨事である。。。
記憶をもとに作られた火事で焼ける前の地図。波浮港の細い通りと似たようなまちなみが港から山に向かって広がって
いたのだろうな。


そしてこのインパクトある写真!!モンブランではない。これも火山の噴出物らしいが、写真に目を奪われて
説明をちゃんと読まなかった(悔)。文字部分がピンボケで読めないし(苦)


船で埋め尽くされた波浮港の写真も大きく引き伸ばされたものが展示されていた。他にも「ソーメン絞り」という模様の
昔の女性の着物なども展示され、いろいろと興味深いものがたくさんあって、地味だがとても楽しめた。


これは空港。のり面がバウムクーヘンになってる(笑)。あの地層大切断面を模してペイントされてるだけなのだが、
インパクトあるなぁ!何も知らずに降り立った人は何なのか分からないだろうけど、あれを見たあとなら面白いと思える。




帰りは元町港ならいいなと思っていたのだが、また岡田港から。この手作りの板が毎朝港に掲げられる。裏は「元町港」。


岡田港のターミナルの向かいにあるレストランで「べっこう寿司」と「あしたばの天ぷら」を。べっこう寿司はカメ肉かと
思いがちだが、白身の魚をタレに漬けたもの。あした葉は雑草みたいな野菜だが、てんぷらはサクサクしておいしかった!




さるびあ丸がやって来た。


港内でくるりと転回して舳先を外海に向けてから着岸。




さらば、伊豆大島。帰りは昼行便なので景色を楽しめる・・・が、さすがに30分もすると海の真ん中で
飽きてくるので、寝たり、お風呂に入ったり、レストランで食事したりと船旅を楽しむ。何せ6時間もあるからね。




お客はそれほど多くなくゆったり過ごしていたのが、夕方横浜に着いたらどかっと人が乗って来たのには驚いた!
横浜~東京だけ乗るって、そういう使い方もあるのか!


東京からだととってもお手軽に行ける伊豆大島。船旅も楽しめて、南国気分も味わえてとても楽しかった!
八丈島や三宅島、伊豆七島の他の島も、こっちにいる間に行ってみたいな!


おわり。

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