2020年3月の岩手旅の続き。
歩いていると重厚な蔵や古そうな住宅などが出てきて寄り道しながら歩く。
アンバランスなほど大きな鬼瓦。ちょっと見たことないタイプだな・・・
急勾配の屋根は元藁葺き屋根だなと思って近づいたら、石川啄木の新婚の家だった。
このあたりからちょっとバスでショートカットしようと思って最寄りのバス停で時刻を見ると、次のバスまで
10分ぐらいあるので、石川啄木の家をダッシュで見学しよう。
小さく見えるが意外と広くて、大小10部屋ぐらいあるのには驚いた!内部は特に目立った意匠もない。
石川啄木は1905(明治38)年に結婚してこの家に住んだが、わずか3週間で転居したとか。
だから「石川啄木旧居」とか「旧石川啄木邸」とかでなく「新婚の家」なのだな(苦笑)。
それでもここが石川啄木の盛岡での唯一の遺跡(?)だということで、大切にされている。
バスの時刻の1分前ぐらいに大通りへ出てバス停に向かって歩いていたら、バスが目の前を通り過ぎて行った。
おや、あれは別のバスかな・・・?ちょっと嫌な予感がしながら、バス停に着いて待っていたけど、5分過ぎても
10分すぎても目的のバスは来ない。やっぱり、あれが乗ろうと思っていたバスだったんだ。定刻前なのに
客がいないと思って通過したんだな(苦)。これだから旅先の路線バスは当てにならない。。。
仕方ないのでぶらぶら歩き始め、途中でやって来た次のバスに乗り岩手県公会堂へ。まぁここは前回も見たのだが。
激しいスクラッチタイル。白い土と赤い土が混ざったようなまだらスクラッチは伊賀上野の旧桑町温泉などにも
使われていて、関西圏ではたまに見かける。伊賀焼なのかなと思ったりしたけど、違うか・・・
スクラッチの役物を惜しげもなく使ったこの段々が素敵だね!
公会堂のホールの入口は反対側にあり、こちらのエントランスホールは学校建築のようだ。
前回夜に訪れたとき、親切にあちこち案内して下さり、ホールも見せて頂いた。→前回の記事
地下のフランス料理店「公会堂多賀」は別の店に変わっていた。
後から検索してみると、2017(平成29)年3月に、90年の歴史に終止符を打ったとか・・・
あぁそうだったのか・・・入ってみたかった。残念(涙)
ガマの穂みたいなかわいいカットの植え込み。
北ホテル。ここには最初に訪れた光原社の支店「北の光原社」が入っていて、タイル貼りのファサードがいい感じ。
こじんまりかわいい近代建築ビル。1階は新しくなっているようだが2階は濃い色のモルタル壁に三連アーチ窓、
端の方には公会堂と同じまだらスクラッチタイルが使われているようだ。
ビルの側面にタイルモザイク発見。何を表しているのかはちょっと不明・・・
さて、ここから中津川を渡って、前回行かなかったエリアへ。
橋のたもとに建つこの建物、丸窓やひし形の窓があって目を引く。なんの建物だろうか?
妻壁に小さな丸窓が6つも並んでいるなんて、しかもガラスがはまっていて木製の桟までついている。
面白いなぁ!
近づいてみると二戸一の建物で、片方は古本屋だった。店内へ入って本棚を見てみるとなかなか興味を惹かれる
ラインナップ。まぁ今はあまり本を集めないことにしているのでさらっと流して・・・と。
お店の方にちょっと建物のことを尋ねてみると、1936(昭和11)年の建物で、元々は借家だったのを
払い下げてもらったのだとか。蕎麦屋だったか何だったかの店をやっていた時代もあったらしい。
向かいのお肉屋さんの壁に赤い皿型タイルが使われていた。
このタイルは他でも見たことがあるのだが、角の部分が面白い!半分サイズの長方形にあわせて凹みも楕円形に
なっていて、それがL字型につながって出隅の役物になっている。・・・なかなかやるな(笑)
三方の出隅もあるのだろうか!?
続く。
歩いていると重厚な蔵や古そうな住宅などが出てきて寄り道しながら歩く。
アンバランスなほど大きな鬼瓦。ちょっと見たことないタイプだな・・・
急勾配の屋根は元藁葺き屋根だなと思って近づいたら、石川啄木の新婚の家だった。
このあたりからちょっとバスでショートカットしようと思って最寄りのバス停で時刻を見ると、次のバスまで
10分ぐらいあるので、石川啄木の家をダッシュで見学しよう。
小さく見えるが意外と広くて、大小10部屋ぐらいあるのには驚いた!内部は特に目立った意匠もない。
石川啄木は1905(明治38)年に結婚してこの家に住んだが、わずか3週間で転居したとか。
だから「石川啄木旧居」とか「旧石川啄木邸」とかでなく「新婚の家」なのだな(苦笑)。
それでもここが石川啄木の盛岡での唯一の遺跡(?)だということで、大切にされている。
バスの時刻の1分前ぐらいに大通りへ出てバス停に向かって歩いていたら、バスが目の前を通り過ぎて行った。
おや、あれは別のバスかな・・・?ちょっと嫌な予感がしながら、バス停に着いて待っていたけど、5分過ぎても
10分すぎても目的のバスは来ない。やっぱり、あれが乗ろうと思っていたバスだったんだ。定刻前なのに
客がいないと思って通過したんだな(苦)。これだから旅先の路線バスは当てにならない。。。
仕方ないのでぶらぶら歩き始め、途中でやって来た次のバスに乗り岩手県公会堂へ。まぁここは前回も見たのだが。
激しいスクラッチタイル。白い土と赤い土が混ざったようなまだらスクラッチは伊賀上野の旧桑町温泉などにも
使われていて、関西圏ではたまに見かける。伊賀焼なのかなと思ったりしたけど、違うか・・・
スクラッチの役物を惜しげもなく使ったこの段々が素敵だね!
公会堂のホールの入口は反対側にあり、こちらのエントランスホールは学校建築のようだ。
前回夜に訪れたとき、親切にあちこち案内して下さり、ホールも見せて頂いた。→前回の記事
地下のフランス料理店「公会堂多賀」は別の店に変わっていた。
後から検索してみると、2017(平成29)年3月に、90年の歴史に終止符を打ったとか・・・
あぁそうだったのか・・・入ってみたかった。残念(涙)
ガマの穂みたいなかわいいカットの植え込み。
北ホテル。ここには最初に訪れた光原社の支店「北の光原社」が入っていて、タイル貼りのファサードがいい感じ。
こじんまりかわいい近代建築ビル。1階は新しくなっているようだが2階は濃い色のモルタル壁に三連アーチ窓、
端の方には公会堂と同じまだらスクラッチタイルが使われているようだ。
ビルの側面にタイルモザイク発見。何を表しているのかはちょっと不明・・・
さて、ここから中津川を渡って、前回行かなかったエリアへ。
橋のたもとに建つこの建物、丸窓やひし形の窓があって目を引く。なんの建物だろうか?
妻壁に小さな丸窓が6つも並んでいるなんて、しかもガラスがはまっていて木製の桟までついている。
面白いなぁ!
近づいてみると二戸一の建物で、片方は古本屋だった。店内へ入って本棚を見てみるとなかなか興味を惹かれる
ラインナップ。まぁ今はあまり本を集めないことにしているのでさらっと流して・・・と。
お店の方にちょっと建物のことを尋ねてみると、1936(昭和11)年の建物で、元々は借家だったのを
払い下げてもらったのだとか。蕎麦屋だったか何だったかの店をやっていた時代もあったらしい。
向かいのお肉屋さんの壁に赤い皿型タイルが使われていた。
このタイルは他でも見たことがあるのだが、角の部分が面白い!半分サイズの長方形にあわせて凹みも楕円形に
なっていて、それがL字型につながって出隅の役物になっている。・・・なかなかやるな(笑)
三方の出隅もあるのだろうか!?
続く。