2019年の山形旅の続き。
最後にやって来たこの建物は、1878(明治11)年に県立病院として建てられた、済生館本館。
見ての通り擬洋風建築だが、こんな風変りな建物はなかなかお目にかかれないだろう。
こちらも重要文化財に指定され、現在は山形市郷土館として公開されている。あぁ重要文化財の多いこと!
裏手の方にある入口から建物内へ入ると、反復された木製アーチ、色ガラスのはまったファンライトなど、
明治初期の建築らしい意匠におお~~っと感嘆するが、それどころではなかった(笑)。
正面から見ただけでもぎょっとする異様だが、なんとこの建物は中央に中庭のあるドーナツ型だったのだ!
ええ~~っ、びっくり。まるで円形校舎、いや客家円楼じゃないか!
正確には円形でなく十四角形らしい。ドーナツの穴の直径は12~3mぐらいだろうか。外から見たイメージ
よりも広いな!各病室は中庭を囲むように並んでいて、内側にぐるっと吹きさらしの廊下がめぐっている。
廊下に出ればどこからでもお互いが見える。
全体が平屋建てだが正面の一部だけが4階建て(?)の塔屋となっている。塔屋の下が玄関だった。
山形県のサイトによると、この風変りな建物は、棟梁原口祐之のもと山形の宮大工と300人の職人たちの
手によって、当初7か月で造り上げられたのだとか。当時横浜にあったイギリス海軍病院を参考にしたと
言われているそうだが、元となった海軍病院はどんなのだったのか。おそらくまるっきり違うだろう(笑)
洋風のおさまりなど苦労しただろうが、モノマネだけでなくいろいろと日本人ならではの工夫を付け加え
日本人の美的感覚をちりばめて作ったに違いなく、そういうのが明治の擬洋風の面白いところ。
階段は奥行きのある正面の塔屋部分に配置されており、優雅な手すりがついているが、ちょっと妙な感じ。。。
途中までまっすぐ上ったところで長い踊り場があって、しばらくしてまた階段が始まるが、その先は天井を
切り欠いて通し、塔屋の壁沿いにぐねっと曲げて2階へつなげている。なんか無理やり感が半端ない(笑)。
構造上天井がここしか抜けなかったのだろうか、それなら階段の始まりをもう少し奥からにすれば
よかったのでは・・・とか思ってしまうが、踊り場から来訪者を確認するなどの目的があったのかも・・・?
ファンライトの色ガラスがカラフル!しかしこれは色が淡く明治のものではなさそうな感じだな。
玄関の上にあたる2階の部屋。
ここから中庭がきれいに見渡せた。美しい瓦屋根のおさまり。
塔屋へ上る螺旋階段。
唐草の彫刻がどことなく寺院風だ。
3階以上は立入禁止だったので見れなかったが、展示されていた写真によると、こんな色ガラスのはまった
星形の窓があるらしい!
実はこの建物は、復元建物である。
済生館の現役の最晩年にあたる昭和30年代後半には建物は相当老朽化しており、解体することになったが、
現在地である霞城公園内に復原保存することが決まった。1967(昭和42)年より、解体しながら調査を
行い、現場主任の兼子元吉氏が復元設計図を作り上げたが、長年の間に原形が損なわれており相当苦労したとか。
復元建物とは言え装飾まで細かく再現されていて明治の擬洋風建築の頑張った感までリアルに伝わってくる。
昭和の棟梁、職人、あっぱれ!
→山形県のサイト こちら
その解体復元工事の資料展示もあったが、帰りの時間が迫っていたため、ダッシュでの見学となってしまい
じっくり見れなかったのはちょっと残念だった。。
さて、まだまだ日は高いが友人と別れバスで仙台へ。空港へ移動する前に仙台駅で牛タンを食べたかったが
そんな時間はなかったな・・・(苦笑)
おわり。
最後にやって来たこの建物は、1878(明治11)年に県立病院として建てられた、済生館本館。
見ての通り擬洋風建築だが、こんな風変りな建物はなかなかお目にかかれないだろう。
こちらも重要文化財に指定され、現在は山形市郷土館として公開されている。あぁ重要文化財の多いこと!
裏手の方にある入口から建物内へ入ると、反復された木製アーチ、色ガラスのはまったファンライトなど、
明治初期の建築らしい意匠におお~~っと感嘆するが、それどころではなかった(笑)。
正面から見ただけでもぎょっとする異様だが、なんとこの建物は中央に中庭のあるドーナツ型だったのだ!
ええ~~っ、びっくり。まるで円形校舎、いや客家円楼じゃないか!
正確には円形でなく十四角形らしい。ドーナツの穴の直径は12~3mぐらいだろうか。外から見たイメージ
よりも広いな!各病室は中庭を囲むように並んでいて、内側にぐるっと吹きさらしの廊下がめぐっている。
廊下に出ればどこからでもお互いが見える。
全体が平屋建てだが正面の一部だけが4階建て(?)の塔屋となっている。塔屋の下が玄関だった。
山形県のサイトによると、この風変りな建物は、棟梁原口祐之のもと山形の宮大工と300人の職人たちの
手によって、当初7か月で造り上げられたのだとか。当時横浜にあったイギリス海軍病院を参考にしたと
言われているそうだが、元となった海軍病院はどんなのだったのか。おそらくまるっきり違うだろう(笑)
洋風のおさまりなど苦労しただろうが、モノマネだけでなくいろいろと日本人ならではの工夫を付け加え
日本人の美的感覚をちりばめて作ったに違いなく、そういうのが明治の擬洋風の面白いところ。
階段は奥行きのある正面の塔屋部分に配置されており、優雅な手すりがついているが、ちょっと妙な感じ。。。
途中までまっすぐ上ったところで長い踊り場があって、しばらくしてまた階段が始まるが、その先は天井を
切り欠いて通し、塔屋の壁沿いにぐねっと曲げて2階へつなげている。なんか無理やり感が半端ない(笑)。
構造上天井がここしか抜けなかったのだろうか、それなら階段の始まりをもう少し奥からにすれば
よかったのでは・・・とか思ってしまうが、踊り場から来訪者を確認するなどの目的があったのかも・・・?
ファンライトの色ガラスがカラフル!しかしこれは色が淡く明治のものではなさそうな感じだな。
玄関の上にあたる2階の部屋。
ここから中庭がきれいに見渡せた。美しい瓦屋根のおさまり。
塔屋へ上る螺旋階段。
唐草の彫刻がどことなく寺院風だ。
3階以上は立入禁止だったので見れなかったが、展示されていた写真によると、こんな色ガラスのはまった
星形の窓があるらしい!
実はこの建物は、復元建物である。
済生館の現役の最晩年にあたる昭和30年代後半には建物は相当老朽化しており、解体することになったが、
現在地である霞城公園内に復原保存することが決まった。1967(昭和42)年より、解体しながら調査を
行い、現場主任の兼子元吉氏が復元設計図を作り上げたが、長年の間に原形が損なわれており相当苦労したとか。
復元建物とは言え装飾まで細かく再現されていて明治の擬洋風建築の頑張った感までリアルに伝わってくる。
昭和の棟梁、職人、あっぱれ!
→山形県のサイト こちら
その解体復元工事の資料展示もあったが、帰りの時間が迫っていたため、ダッシュでの見学となってしまい
じっくり見れなかったのはちょっと残念だった。。
さて、まだまだ日は高いが友人と別れバスで仙台へ。空港へ移動する前に仙台駅で牛タンを食べたかったが
そんな時間はなかったな・・・(苦笑)
おわり。