去年は出かけすぎていっぱいたまっているので、早く書かねばと焦る。。
次はどれを書こうかと悩むが、充実した旅ほどなかなか手をつけられないうちに埋もれてしまい・・・(汗)
去年の夏の長野旅ももう1年経ってしまった・・・・自分を追い立てるように書き始めよう(苦笑)
関西から長野ってほんとに遠くてなかなか手が(足が?)出ないんだけれど、長野付近で行きたいところを
まとめて行こうと友人らと企画した。行きはやむを得ず夜行バスを使って(汗)早朝に長野駅到着。レンタカーでGO!
まず最初に作新学校に立ち寄る。試合か何か、イベントをやってるのか、駐車場には車がたくさん停まっていて、
建物の前にも停まっている。ん~~写真が撮りづらい(苦笑)
1883(明治16)年築の擬洋風建築。
白い漆喰で塗り込められた壁に縦長窓が並ぶ躯体は一軒洋風なのだが、屋根を見ると洋風とは対極にある。
寄棟の大屋根の上には鴟尾か鳥衾の一種なのか、フック状の飾りがついているし、玄関ひさしは古めかしい瓦屋根。
むくりのついた破風から正面に向かって出っ歯のように本瓦が張り出し、軒先に巴瓦がずらりと並ぶ。
鬼瓦には「作新」の文字。懸魚もついている。すごい取り合わせだな。これぞ擬洋風。
さて、やってきた松代市の「寺町商家」、旧金箱家住宅。着いたときはまだ開いてなかったので、外回りを先に鑑賞。
きれいに改修済み。薬医門の屋根にはシャチが乗っており、箱棟の「胴板瓦」も立体的な龍が表されゴージャス!!
軒先に波乗りうさぎ発見。いっぱいいる~~~
さて、時間になってオープンしたので入ろう。
主屋をはじめとして離れ、質蔵、学問所など7件が長野市指定有形文化財となっており、庭園もある。
金箱家とはいかにも金回りのよさそうな名前だが(笑)、江戸時代末期から昭和初期にかけてこの松代町寺町で
質屋業を中心に幅広い商売を手がけた豪商である。初代は栗屋勘蔵とも名乗ったことから、離れと質蔵の軒先瓦に
「栗勘」の文字が見られる。
主屋が一番古いが、増改築が繰り返され、現在の形になったのは大正時代初期と考えられている。
全体的に老朽化がひどく漆喰壁は剥げ落ち柱は腐りボロボロだったが、4年がかりの修復工事でよみがえった。
現在は文化財として建物が一般公開されているほか、貸し室としていろんなイベントや展示に使われている。
丸窓もある。
さて、ここのメイン、お風呂場を見に行こう。
人研ぎの四角い浴槽の外側と周囲の壁にタイルが貼られているのだ!
壁の茶色のタイルは瀬戸の本業タイルだな。クロムの銅板転写による繊細な模様のタイルで、ときどき見かける。
浴槽の正面には、壁と同じ本業タイルとともに、鮮やかなブルーの七宝繋ぎ模様のタイルが5枚。これは淡陶の
古いタイプの模様で、以前大棟山美術博物館のバックヤードで見つけたのと同じ、湿式のタイルだ。
湿式は粘土から作る製法で、粉末状の材料で作る乾式工法が確立されるより以前なので明治中期~明治40年頃まで
のものと考えられる。
同じタイルが浴槽の側面にも。ちょっと汚れていたがウェットティッシュで拭くと見違えるようにきれいになった。
吸い込まれるような深い青。鮮やかな緑、黄色。これが100年以上も昔のタイルなのだ!
半永久的な美しさ、それがタイルの大きな魅力である。
そして浴槽の横の床面には、よく見る瀬戸の蜀江文の銅板転写本業タイルのクロムバージョンが2枚。
この模様で青色のものは、本業タイルの中でも最もポピュラーであちこちで大量に使われているが、色違いは
たまーにしか見かけないので、レア度が高くちょっとうれしいな!線が細く細かいので、比較的古いものだろう。
あぁなんて素敵なお風呂なの!こんなお風呂ならいつまででも入っていられる(笑)
このお風呂場は洗い場のコンクリート床の上に木の板で床を作ってあるので、これをめくったらその下にも
タイルがあるのだろうか!?
ところで、展示されていた建物の変遷を示すパネルによると、このお風呂場は明治37年の図には
描かれておらず、昭和12年の図に隣接する学問所と共に現れている。その間のいつなのかはその図では
分からなかったが、タイルの時代から言えば、明治後期の増築かなと。。。まぁ、タイルは腐らないので
大正や昭和初期の可能性もあるが、転用でもなければわざわざバラバラの古いタイルを使うこともないだろう。
室内からつながった蔵。
質屋だけに貴重品がザクザク入っていたのだろう、防犯のために蔵の内側全面に鉄のバーを格子状に
はりめぐらせてあった。泥棒が外から漆喰壁を崩したとしても密な鉄格子に守られているというわけだ。万全!!
続く。
次はどれを書こうかと悩むが、充実した旅ほどなかなか手をつけられないうちに埋もれてしまい・・・(汗)
去年の夏の長野旅ももう1年経ってしまった・・・・自分を追い立てるように書き始めよう(苦笑)
関西から長野ってほんとに遠くてなかなか手が(足が?)出ないんだけれど、長野付近で行きたいところを
まとめて行こうと友人らと企画した。行きはやむを得ず夜行バスを使って(汗)早朝に長野駅到着。レンタカーでGO!
まず最初に作新学校に立ち寄る。試合か何か、イベントをやってるのか、駐車場には車がたくさん停まっていて、
建物の前にも停まっている。ん~~写真が撮りづらい(苦笑)
1883(明治16)年築の擬洋風建築。
白い漆喰で塗り込められた壁に縦長窓が並ぶ躯体は一軒洋風なのだが、屋根を見ると洋風とは対極にある。
寄棟の大屋根の上には鴟尾か鳥衾の一種なのか、フック状の飾りがついているし、玄関ひさしは古めかしい瓦屋根。
むくりのついた破風から正面に向かって出っ歯のように本瓦が張り出し、軒先に巴瓦がずらりと並ぶ。
鬼瓦には「作新」の文字。懸魚もついている。すごい取り合わせだな。これぞ擬洋風。
さて、やってきた松代市の「寺町商家」、旧金箱家住宅。着いたときはまだ開いてなかったので、外回りを先に鑑賞。
きれいに改修済み。薬医門の屋根にはシャチが乗っており、箱棟の「胴板瓦」も立体的な龍が表されゴージャス!!
軒先に波乗りうさぎ発見。いっぱいいる~~~
さて、時間になってオープンしたので入ろう。
主屋をはじめとして離れ、質蔵、学問所など7件が長野市指定有形文化財となっており、庭園もある。
金箱家とはいかにも金回りのよさそうな名前だが(笑)、江戸時代末期から昭和初期にかけてこの松代町寺町で
質屋業を中心に幅広い商売を手がけた豪商である。初代は栗屋勘蔵とも名乗ったことから、離れと質蔵の軒先瓦に
「栗勘」の文字が見られる。
主屋が一番古いが、増改築が繰り返され、現在の形になったのは大正時代初期と考えられている。
全体的に老朽化がひどく漆喰壁は剥げ落ち柱は腐りボロボロだったが、4年がかりの修復工事でよみがえった。
現在は文化財として建物が一般公開されているほか、貸し室としていろんなイベントや展示に使われている。
丸窓もある。
さて、ここのメイン、お風呂場を見に行こう。
人研ぎの四角い浴槽の外側と周囲の壁にタイルが貼られているのだ!
壁の茶色のタイルは瀬戸の本業タイルだな。クロムの銅板転写による繊細な模様のタイルで、ときどき見かける。
浴槽の正面には、壁と同じ本業タイルとともに、鮮やかなブルーの七宝繋ぎ模様のタイルが5枚。これは淡陶の
古いタイプの模様で、以前大棟山美術博物館のバックヤードで見つけたのと同じ、湿式のタイルだ。
湿式は粘土から作る製法で、粉末状の材料で作る乾式工法が確立されるより以前なので明治中期~明治40年頃まで
のものと考えられる。
同じタイルが浴槽の側面にも。ちょっと汚れていたがウェットティッシュで拭くと見違えるようにきれいになった。
吸い込まれるような深い青。鮮やかな緑、黄色。これが100年以上も昔のタイルなのだ!
半永久的な美しさ、それがタイルの大きな魅力である。
そして浴槽の横の床面には、よく見る瀬戸の蜀江文の銅板転写本業タイルのクロムバージョンが2枚。
この模様で青色のものは、本業タイルの中でも最もポピュラーであちこちで大量に使われているが、色違いは
たまーにしか見かけないので、レア度が高くちょっとうれしいな!線が細く細かいので、比較的古いものだろう。
あぁなんて素敵なお風呂なの!こんなお風呂ならいつまででも入っていられる(笑)
このお風呂場は洗い場のコンクリート床の上に木の板で床を作ってあるので、これをめくったらその下にも
タイルがあるのだろうか!?
ところで、展示されていた建物の変遷を示すパネルによると、このお風呂場は明治37年の図には
描かれておらず、昭和12年の図に隣接する学問所と共に現れている。その間のいつなのかはその図では
分からなかったが、タイルの時代から言えば、明治後期の増築かなと。。。まぁ、タイルは腐らないので
大正や昭和初期の可能性もあるが、転用でもなければわざわざバラバラの古いタイルを使うこともないだろう。
室内からつながった蔵。
質屋だけに貴重品がザクザク入っていたのだろう、防犯のために蔵の内側全面に鉄のバーを格子状に
はりめぐらせてあった。泥棒が外から漆喰壁を崩したとしても密な鉄格子に守られているというわけだ。万全!!
続く。