2019年の旧木下家住宅からの続き。
さて、舞子公園には移情閣(孫文記念館)と旧武藤山治邸(旧鐘紡舞子倶楽部)という二つの素晴らしい
近代建築があるが、8月の遠足で同行した仲間たちはすでに見学した人が多かったので、旧木下家住宅から
電車で須磨へ移動し、須磨観光ハウスへお茶をしに行くことに。
山陽電車の須磨浦公園駅から公園内の坂道を上っていくのだが、これがかなり急で、しかも本当にこの道で
合っているのか!?と不安を感じるような道で、、、猛暑の8月の午後、ちょっと過酷だった(汗)
「須磨観光ハウス 味と宿 花月」は、舞子ホテルと違って今も宿泊施設として現役である。
源義経の合戦場であり源氏物語の舞台ともなった須磨の地。ロゴマークには源氏香文様が用いられている。
石段を上ってゆくにしたがい木々の間から建物が姿を現してくると、坂道の疲れも吹っ飛ぶ!!
ハーフティンバーの三角破風、石貼りの壁、木製建具の格子窓・・・山小屋風の素敵な建物だ。
「花月」という名に違和感を感じるほど純洋風なのだが(笑)、宿泊棟は逆に純和風らしい。
須磨観光ハウスの公式フェイスブックに上げられていた昭和12年5月15日の神戸市公報の記載によると、
この建物は1937(昭和12)年に誕生。
1938(昭和13)年完成という情報もあり、先行して部分開業し、翌年グランドオープンしたということだろう。
当初から食堂と貸室の営業で、昼の時間帯の貸室と夜の貸室(宿泊)の料金が書かれている。
運営はみかど食堂に委託していたように読める。
大阪湾を見晴らす鉢伏山の中腹という風光明媚なロケーション、英国風ハーフティンバーのおしゃれな宿。
神戸観光公式サイトには、神戸市迎賓館として建てられた、と書いてあるが、公報では観光客の利用が想定された
記載があり、特にVIP向けでもなかったようだ。ま、利用者は上流市民であったのは確かだろう(笑)
上記の公報のコピー以外に情報は極端に少なく、現在の須磨観光ハウスの公式サイトにも建物の歴史について
記載がない。神戸観光公式サイトに「建築百選」に選ばれているとあるが、誰が選んだ百選??建築百選自体
検索しても出てこないんだけど。。。何でこんなに情報が少ないのか不思議なほど。
中へ入ろう。エントランスホールはダンスホールのように広かった。広すぎてちょっとガランとした感じ。。。
事前に聞いたところでは、喫茶はアフターヌーンティしか予約できず混んでいたら待ってもらうかも・・・と
いうことだったが、全く問題なし(苦笑)。パーティが入っている日もあるのだろうが。
山小屋のランプのような、ノスタルジックで素敵なデザインの照明だな!
案内されたのは海に向かった大きな窓のある食堂の一隅。うわぉ~
舞子ホテルでのランチ後ほどないのでアフタヌーンティはちょっとキツイな、ということで皆冷たい飲み物を
頼んだのだが、正直ちょっと期待はずれ・・・(汗)
ホットならよかったのか、それともコース料理やアフタヌーンティなら満足度が高いのか・・・
ま、建物内を見学させてもらったから、料金は見学料で飲み物はサービスと考えればいいけど(苦笑)
入口付近の壁のボーダータイル。
階段の踊り場に設えられた休憩スペース。
上は客室なのでここまでにしておこう。
こんな施設が神戸にあって実際に宿泊もできるなんて知らなかったなぁ。
レストランやカフェは続けても、宿泊施設としての運営はやはり人件費やお風呂など設備のメンテナンスも
負担が大きいからだろう、やめてしまうところが多い。今の時代に営業を続けているとは奇跡に近い。。。
早いうちに泊まっておきたいなぁ!
山を下り、JR須磨駅までぶらぶら歩くことに。このあたりは一ノ谷の合戦が行われた場所。海と山の間に
挟まれた平地は幅100mもなく、そこにJR山陽本線と山陽電車と国道1号線がひしめき合っている。
軌道敷と道路敷以外の部分は公園となっている。
こんなリアルなコンクリート船の遊具があるのは神戸らしいな!
須磨駅の近くの線路ぎわの住宅の間にこんな地下道の入口があって、ギョッ!どこへ通じているんだろう!?
JRの線路をくぐって海岸へ出るための通路だろうな。入ってみたかったが皆において行かれるので断念(笑)
友人たちとの真夏の遠足は終了だが、12月に1人で舞子ホテル、旧木下家住宅とあわせて移情閣と
旧武藤山治邸にも行って来たのでこのまま続けて書いてしまおう。
続く。
さて、舞子公園には移情閣(孫文記念館)と旧武藤山治邸(旧鐘紡舞子倶楽部)という二つの素晴らしい
近代建築があるが、8月の遠足で同行した仲間たちはすでに見学した人が多かったので、旧木下家住宅から
電車で須磨へ移動し、須磨観光ハウスへお茶をしに行くことに。
山陽電車の須磨浦公園駅から公園内の坂道を上っていくのだが、これがかなり急で、しかも本当にこの道で
合っているのか!?と不安を感じるような道で、、、猛暑の8月の午後、ちょっと過酷だった(汗)
「須磨観光ハウス 味と宿 花月」は、舞子ホテルと違って今も宿泊施設として現役である。
源義経の合戦場であり源氏物語の舞台ともなった須磨の地。ロゴマークには源氏香文様が用いられている。
石段を上ってゆくにしたがい木々の間から建物が姿を現してくると、坂道の疲れも吹っ飛ぶ!!
ハーフティンバーの三角破風、石貼りの壁、木製建具の格子窓・・・山小屋風の素敵な建物だ。
「花月」という名に違和感を感じるほど純洋風なのだが(笑)、宿泊棟は逆に純和風らしい。
須磨観光ハウスの公式フェイスブックに上げられていた昭和12年5月15日の神戸市公報の記載によると、
この建物は1937(昭和12)年に誕生。
1938(昭和13)年完成という情報もあり、先行して部分開業し、翌年グランドオープンしたということだろう。
当初から食堂と貸室の営業で、昼の時間帯の貸室と夜の貸室(宿泊)の料金が書かれている。
運営はみかど食堂に委託していたように読める。
大阪湾を見晴らす鉢伏山の中腹という風光明媚なロケーション、英国風ハーフティンバーのおしゃれな宿。
神戸観光公式サイトには、神戸市迎賓館として建てられた、と書いてあるが、公報では観光客の利用が想定された
記載があり、特にVIP向けでもなかったようだ。ま、利用者は上流市民であったのは確かだろう(笑)
上記の公報のコピー以外に情報は極端に少なく、現在の須磨観光ハウスの公式サイトにも建物の歴史について
記載がない。神戸観光公式サイトに「建築百選」に選ばれているとあるが、誰が選んだ百選??建築百選自体
検索しても出てこないんだけど。。。何でこんなに情報が少ないのか不思議なほど。
中へ入ろう。エントランスホールはダンスホールのように広かった。広すぎてちょっとガランとした感じ。。。
事前に聞いたところでは、喫茶はアフターヌーンティしか予約できず混んでいたら待ってもらうかも・・・と
いうことだったが、全く問題なし(苦笑)。パーティが入っている日もあるのだろうが。
山小屋のランプのような、ノスタルジックで素敵なデザインの照明だな!
案内されたのは海に向かった大きな窓のある食堂の一隅。うわぉ~
舞子ホテルでのランチ後ほどないのでアフタヌーンティはちょっとキツイな、ということで皆冷たい飲み物を
頼んだのだが、正直ちょっと期待はずれ・・・(汗)
ホットならよかったのか、それともコース料理やアフタヌーンティなら満足度が高いのか・・・
ま、建物内を見学させてもらったから、料金は見学料で飲み物はサービスと考えればいいけど(苦笑)
入口付近の壁のボーダータイル。
階段の踊り場に設えられた休憩スペース。
上は客室なのでここまでにしておこう。
こんな施設が神戸にあって実際に宿泊もできるなんて知らなかったなぁ。
レストランやカフェは続けても、宿泊施設としての運営はやはり人件費やお風呂など設備のメンテナンスも
負担が大きいからだろう、やめてしまうところが多い。今の時代に営業を続けているとは奇跡に近い。。。
早いうちに泊まっておきたいなぁ!
山を下り、JR須磨駅までぶらぶら歩くことに。このあたりは一ノ谷の合戦が行われた場所。海と山の間に
挟まれた平地は幅100mもなく、そこにJR山陽本線と山陽電車と国道1号線がひしめき合っている。
軌道敷と道路敷以外の部分は公園となっている。
こんなリアルなコンクリート船の遊具があるのは神戸らしいな!
須磨駅の近くの線路ぎわの住宅の間にこんな地下道の入口があって、ギョッ!どこへ通じているんだろう!?
JRの線路をくぐって海岸へ出るための通路だろうな。入ってみたかったが皆において行かれるので断念(笑)
友人たちとの真夏の遠足は終了だが、12月に1人で舞子ホテル、旧木下家住宅とあわせて移情閣と
旧武藤山治邸にも行って来たのでこのまま続けて書いてしまおう。
続く。