2019年夏の台南の続き。
夕暮れまでまだしばらくあるので、安平方面へ走ってみよう。
こちらはフェイスブックでも見ていた旧魚市場の建物。1936(昭和11)年築らしい。
鋼板塀に囲まれた建物はもぬけの殻で、屋根もなく四枚の壁のみが残っているだけの状態。。。
半切妻の屋根が乗っていたと思われる妻壁に目のような2つの丸窓がある特徴的な顔。
円柱がコンクリートの梁を支えているような格好で、柱頭が接する部分は段々の形状になっているのが面白い。
隙間から中を覗くと、内部の構造の一部が残っており、市場だったことを思わせる。
妻壁の三角の部分はレンガ積みのようだな。
日本なら大して注目も浴びず知らぬ間に壊されてしまうような地味な市場の建物も、活用できないかと考える。
全部つぶして新しく建てる方が確実に楽で安いだろうが、一時的なコストではなく、新しい建物にはない
価値を認めているのだろう。ほんとに、台湾は徹底している。すごいな。。
近くにあった建物は魚市場と共通するような段々のデザイン。ここも魚の卸し店だったのだろう、「魚」の文字入りの
マークがあしらわれていた。おしゃれ~!
こういう建物もきっと彼らは見逃さない。もし空き家になったときには間違いなく素敵なお店に変えてしまうだろう。
さて安平へ。以前にも行っていてかなり歩き回ったのだったが、電動バイクでもう一度ぐるっと回ってみよう。
あっ、まちはずれの道路脇に墓地があるな。なだらかな丘には小さなお墓がぎっしり。草に半分埋もれている。
シンガポールのBukit Brown(ブキッブラウン)墓地で見たような、マジョリカタイルの貼られたお墓はないかと
少し見てみたが、時代がもう少し新しいのだろう、レリーフ装飾やプリントタイルやモザイクタイルはあったが
古いマジョリカタイルは見あたらなかった。
アームチェアが並んでいるような台湾のお墓。
野犬に吠えられ身の危険を感じたので退散(苦笑)
もうかなり日か傾いてきたが、、、バイクを停めちょっと歩こう。
安平は台南駅周辺の市街地から海側に5kmほど離れた古いまち。オランダが交易の拠点として台湾に目をつけ、
東インド会社を置いた。1624年にオランダが建設したゼーランディア城の跡地(安平古堡)は国家一級古蹟となっている。
その後オランダは鄭成功により駆逐されるが、安平は清朝の1865年に開港後、交易の玄関口として栄え、
ヨーロッパ各国が貿易会社を置いた。
大きなアーチが並ぶ徳記洋行は、イギリスが開設した貿易会社の建物で、当時の様子を今に伝える唯一の洋行建築である。
かつてこの横に英国領事館も並んでいた。
徳記洋行の前の公園の一角に説明板があり昔の写真が載っていた。現在公園になっているこの場所は当時は港であり
汽船が直接ここまで入ってきていたのだ。
安平は観光地であり表通りに軒を連ねるグルメの店も大きな人気だが、やっぱり老街の路地歩きが醍醐味。
老街には清代から残る家も多く、剣獅子と呼ばれる魔よけのシンボルがあちこちに見られる。
これはコウモリ?
体がコウモリになった剣獅子もある。
古い珊瑚の塀も港町安平ならでは。しかし、澎湖島ならともかく、昔は台南の沖でも珊瑚礁があったのだろうか。
近代のこんな洋風意匠の家も。
ギリシャ風円柱や水平ラインの装飾などに飾られているが、形は四合院の門庁そのままである。
間口が狭いテラスハウス風の町家。
戦後の一面モザイクタイルの家も。
古都台南の発祥の地と言える安平の路地裏。お店になっているところもあるが、多くの建物では住民が普通に暮らしている。
生活をじゃますることのないよう静かに歩きたい。
日が落ちてきたので戻ろう。すっかりお昼を食べ損ねたな・・・
続く。
夕暮れまでまだしばらくあるので、安平方面へ走ってみよう。
こちらはフェイスブックでも見ていた旧魚市場の建物。1936(昭和11)年築らしい。
鋼板塀に囲まれた建物はもぬけの殻で、屋根もなく四枚の壁のみが残っているだけの状態。。。
半切妻の屋根が乗っていたと思われる妻壁に目のような2つの丸窓がある特徴的な顔。
円柱がコンクリートの梁を支えているような格好で、柱頭が接する部分は段々の形状になっているのが面白い。
隙間から中を覗くと、内部の構造の一部が残っており、市場だったことを思わせる。
妻壁の三角の部分はレンガ積みのようだな。
日本なら大して注目も浴びず知らぬ間に壊されてしまうような地味な市場の建物も、活用できないかと考える。
全部つぶして新しく建てる方が確実に楽で安いだろうが、一時的なコストではなく、新しい建物にはない
価値を認めているのだろう。ほんとに、台湾は徹底している。すごいな。。
近くにあった建物は魚市場と共通するような段々のデザイン。ここも魚の卸し店だったのだろう、「魚」の文字入りの
マークがあしらわれていた。おしゃれ~!
こういう建物もきっと彼らは見逃さない。もし空き家になったときには間違いなく素敵なお店に変えてしまうだろう。
さて安平へ。以前にも行っていてかなり歩き回ったのだったが、電動バイクでもう一度ぐるっと回ってみよう。
あっ、まちはずれの道路脇に墓地があるな。なだらかな丘には小さなお墓がぎっしり。草に半分埋もれている。
シンガポールのBukit Brown(ブキッブラウン)墓地で見たような、マジョリカタイルの貼られたお墓はないかと
少し見てみたが、時代がもう少し新しいのだろう、レリーフ装飾やプリントタイルやモザイクタイルはあったが
古いマジョリカタイルは見あたらなかった。
アームチェアが並んでいるような台湾のお墓。
野犬に吠えられ身の危険を感じたので退散(苦笑)
もうかなり日か傾いてきたが、、、バイクを停めちょっと歩こう。
安平は台南駅周辺の市街地から海側に5kmほど離れた古いまち。オランダが交易の拠点として台湾に目をつけ、
東インド会社を置いた。1624年にオランダが建設したゼーランディア城の跡地(安平古堡)は国家一級古蹟となっている。
その後オランダは鄭成功により駆逐されるが、安平は清朝の1865年に開港後、交易の玄関口として栄え、
ヨーロッパ各国が貿易会社を置いた。
大きなアーチが並ぶ徳記洋行は、イギリスが開設した貿易会社の建物で、当時の様子を今に伝える唯一の洋行建築である。
かつてこの横に英国領事館も並んでいた。
徳記洋行の前の公園の一角に説明板があり昔の写真が載っていた。現在公園になっているこの場所は当時は港であり
汽船が直接ここまで入ってきていたのだ。
安平は観光地であり表通りに軒を連ねるグルメの店も大きな人気だが、やっぱり老街の路地歩きが醍醐味。
老街には清代から残る家も多く、剣獅子と呼ばれる魔よけのシンボルがあちこちに見られる。
これはコウモリ?
体がコウモリになった剣獅子もある。
古い珊瑚の塀も港町安平ならでは。しかし、澎湖島ならともかく、昔は台南の沖でも珊瑚礁があったのだろうか。
近代のこんな洋風意匠の家も。
ギリシャ風円柱や水平ラインの装飾などに飾られているが、形は四合院の門庁そのままである。
間口が狭いテラスハウス風の町家。
戦後の一面モザイクタイルの家も。
古都台南の発祥の地と言える安平の路地裏。お店になっているところもあるが、多くの建物では住民が普通に暮らしている。
生活をじゃますることのないよう静かに歩きたい。
日が落ちてきたので戻ろう。すっかりお昼を食べ損ねたな・・・
続く。