3月に行った台湾のことを早く書かないと、次の台湾行きが来てしまう・・・そう思って焦りつつも、他の旅もいろいろ
書かなければならないことがあるので・・・とか何とか言っているうちに、もう次の台湾旅に行ってしまったよ(爆)
ややこしいけど、これは前回の旅。さっさと書いてしまおう(苦笑)
連休がらみの日程で早々とピーチを押さえていたのだが、mayumamaさんも一緒に行くというので、1日ずれの日程で
3日間行動を共にすることにした。私は去年の12月に歩いた台中の、あと半分を見て回りたかったので、
飛行機で桃園空港に着いてすぐ高鉄で台中へ向かった。桃園空港にMRTが伸び、台北駅と鉄道で直結するようになって
大変便利になったが、南へ向かうときの便利さもかなり向上した。
空港からMRTで高鉄桃園駅までわずか15分くらいで到着。高鉄への乗り換えもまっすぐ歩いて行くだけで迷うことなく、
予定より1本早い便に乗ることができた。高鉄台中から在来線新烏日駅への乗り継ぎもスムーズ。すべてが首尾よく行って
お昼には台中のホテルに着いた。早い!!
駅前の麺屋でワンタンを食べていたら、前日台北入りしていたmayumamaさんが到着、無事合流した。
旧台中駅舎の状況を確認してから、まちなかへ繰り出す。
いきなり素敵なタイル物件が現れた!!抽象的でよくわからないが女の子と花かな?
ビルいちめんにモザイク絵が。
いくつか古い建物を見ながら、台中公園へ向かう。これは、台中大戯院、かな?
こちらの建物の窓の面格子が文字に見えそうなんだけど・・・違うか・・・?
台中公園は、もともと湿地や竹林、墓地などが散在する丘陵地であったが、1903(明治36)年に公園として
整備された。もとあった湿地は整地され日と月をかたどった池が造られた。
古い門柱などが残る。開園当時はこちらが正面だったようだ。
台中公園は縦貫鉄道の全通祝賀大会の会場にもなった。来台される閑院宮載仁親王の休憩場所として池上に建てられた
あずまやは当時「池亭」と呼ばれていたが、1999年に台中市の市定古蹟に指定され、「湖心亭」と名づけられた。
カーブを描いた宝形屋根が両側にあり、中央の棟がそれをつなぐような、風変わりな外観。ドーマーウインドウも見える。
今ある建物は、2006~7年にかけて修復工事が行われよみがえった姿である。
宝形屋根を見上げるとキングポストトラスが十字に組み合わされていた。元々は天井板が張られていたと思われる。
現在は誰でも自由に中へ入り池を眺めながら休憩することもできる、市民の憩いの場所となっている。
台中公園にはこういうものもあった。これはラジオ塔じゃない!?
写真を撮りたいのだが、中学校の運動部らしきジャージ姿の生徒が塔のまわりで休憩中だったのでなかなか撮れず(汗)
控えめに数枚(苦笑)
そして台中公園には、タイルの有名物件もあるのだ。
この美しい建造物は、1889年に建てられた呉鸞旂氏の公館の門楼を移築したものという。
呉氏は台中の名士でこの台中公園の整備に際して土地を寄付したのだとか。
これまでに見てきた閩南式の民居とは明らかに違う型式の建物であるが、やはり門の両側にはまとまった数の
マジョリカタイルが貼られていた。
上にも。
さらに2階の壁にもあった。
この門楼を取り囲んでいた柵に小さな獅子がついていた。かわいい~~!東本願寺の伝道院の怪獣みたいじゃない!?(笑)
続く。
書かなければならないことがあるので・・・とか何とか言っているうちに、もう次の台湾旅に行ってしまったよ(爆)
ややこしいけど、これは前回の旅。さっさと書いてしまおう(苦笑)
連休がらみの日程で早々とピーチを押さえていたのだが、mayumamaさんも一緒に行くというので、1日ずれの日程で
3日間行動を共にすることにした。私は去年の12月に歩いた台中の、あと半分を見て回りたかったので、
飛行機で桃園空港に着いてすぐ高鉄で台中へ向かった。桃園空港にMRTが伸び、台北駅と鉄道で直結するようになって
大変便利になったが、南へ向かうときの便利さもかなり向上した。
空港からMRTで高鉄桃園駅までわずか15分くらいで到着。高鉄への乗り換えもまっすぐ歩いて行くだけで迷うことなく、
予定より1本早い便に乗ることができた。高鉄台中から在来線新烏日駅への乗り継ぎもスムーズ。すべてが首尾よく行って
お昼には台中のホテルに着いた。早い!!
駅前の麺屋でワンタンを食べていたら、前日台北入りしていたmayumamaさんが到着、無事合流した。
旧台中駅舎の状況を確認してから、まちなかへ繰り出す。
いきなり素敵なタイル物件が現れた!!抽象的でよくわからないが女の子と花かな?
ビルいちめんにモザイク絵が。
いくつか古い建物を見ながら、台中公園へ向かう。これは、台中大戯院、かな?
こちらの建物の窓の面格子が文字に見えそうなんだけど・・・違うか・・・?
台中公園は、もともと湿地や竹林、墓地などが散在する丘陵地であったが、1903(明治36)年に公園として
整備された。もとあった湿地は整地され日と月をかたどった池が造られた。
古い門柱などが残る。開園当時はこちらが正面だったようだ。
台中公園は縦貫鉄道の全通祝賀大会の会場にもなった。来台される閑院宮載仁親王の休憩場所として池上に建てられた
あずまやは当時「池亭」と呼ばれていたが、1999年に台中市の市定古蹟に指定され、「湖心亭」と名づけられた。
カーブを描いた宝形屋根が両側にあり、中央の棟がそれをつなぐような、風変わりな外観。ドーマーウインドウも見える。
今ある建物は、2006~7年にかけて修復工事が行われよみがえった姿である。
宝形屋根を見上げるとキングポストトラスが十字に組み合わされていた。元々は天井板が張られていたと思われる。
現在は誰でも自由に中へ入り池を眺めながら休憩することもできる、市民の憩いの場所となっている。
台中公園にはこういうものもあった。これはラジオ塔じゃない!?
写真を撮りたいのだが、中学校の運動部らしきジャージ姿の生徒が塔のまわりで休憩中だったのでなかなか撮れず(汗)
控えめに数枚(苦笑)
そして台中公園には、タイルの有名物件もあるのだ。
この美しい建造物は、1889年に建てられた呉鸞旂氏の公館の門楼を移築したものという。
呉氏は台中の名士でこの台中公園の整備に際して土地を寄付したのだとか。
これまでに見てきた閩南式の民居とは明らかに違う型式の建物であるが、やはり門の両側にはまとまった数の
マジョリカタイルが貼られていた。
上にも。
さらに2階の壁にもあった。
この門楼を取り囲んでいた柵に小さな獅子がついていた。かわいい~~!東本願寺の伝道院の怪獣みたいじゃない!?(笑)
続く。