小田原からの続き。
ランチにお蕎麦を食べたあと、電車で大磯まで移動してきた。
この時期、神奈川県の相模湾沿岸部の市町では「湘南邸園文化祭」が開催されていた。箱根の木造文化財旅館の
見学会もその一環である。
豊かな緑と海が広がり風光明媚な湘南地域は、明治期から政財界人・文化人らが別荘、保養地を構え滞在して
さまざまな文化を発信してきた。今も残る閑静な邸宅や庭園をアートと融合させ、新しい文化発信や交流の場として
活用、地域の活性化につなげることを目的として開催されているイベントである。
今回で13回目とのことだったが、これまで聞いたことがなかったのは遠いから目を留めていなかったのか。
それとも今回が明治元年から150年の年にあたるため特に大規模にやっているのか。
「明治記念大磯邸園」は、元は海岸沿いの砂丘か松林だったような雰囲気の場所だ。
伊藤博文、大隈重信、陸奥宗光といった、明治期の立憲政治の確立などに重要な役割を果たした政治家の邸宅が
隣接して残る一帯の土地で、保存・活用のため整備されている。
友人の一人がここの見学プログラムを申込んでおいてくれた。
まず最初は、1897(明治30)年に建てられた旧大隈重信邸。と言っても大隈重信が使用したのはたった4年で
古河市兵衛に譲渡、その後古河電工株式会社が維持してきたとか。居室部分はほぼオリジナルのままの姿だという。
和風ながら大きな車寄せのある玄関。
玄関を入ると正面に大きな丸い鏡が掲げられている。背後の壁は細い縦ストライプの模様で実にモダン。
玄関から続く板の間の応接間は船底天井。
さすがにこのあたりは古河電工の時代に改装しているのだろうか。
応接間から続く広縁は、縁というには広すぎるな。ほぼ部屋だ(笑)。
ここは「富士の間」と呼ばれる宴会場だが、今は部屋の中央にガラスケースがドンと置かれ、襖絵が展示されて
いるのであまり広さが分からないが、16畳+10畳で26畳の大広間である。
富士の間の床の間は百日紅の床柱。
書院はシンプルな縞の格子に菊花の透かし彫り。
欄間は菊水の透かし彫り。
中庭越しに見えるのは「神代の間」と呼ばれる棟。
この旧大隈重信邸は、中央に一本の直線の廊下が端から端まで貫いており、その左右に千鳥状に部屋が配置されているという
ちょっと変わった平面構成だ。
こちら神代の間。神代杉がふんだんに使われているのでこの名がつけられている。
神代杉とは、知らなかったのだが、千年以上もの間地中や湖底に埋もれていた杉なのだとか!それはほとんど
木の化石なのでは!?珪化木のようなものだろうか。窓ガラスは手吹き円筒法で作られたもの。
窓の桟のパターンはちょっと中国風なイメージを感じさせるな。
明治中期の築だがモダンな近代和風のようでとてもクールな建物だった。
続く。
ランチにお蕎麦を食べたあと、電車で大磯まで移動してきた。
この時期、神奈川県の相模湾沿岸部の市町では「湘南邸園文化祭」が開催されていた。箱根の木造文化財旅館の
見学会もその一環である。
豊かな緑と海が広がり風光明媚な湘南地域は、明治期から政財界人・文化人らが別荘、保養地を構え滞在して
さまざまな文化を発信してきた。今も残る閑静な邸宅や庭園をアートと融合させ、新しい文化発信や交流の場として
活用、地域の活性化につなげることを目的として開催されているイベントである。
今回で13回目とのことだったが、これまで聞いたことがなかったのは遠いから目を留めていなかったのか。
それとも今回が明治元年から150年の年にあたるため特に大規模にやっているのか。
「明治記念大磯邸園」は、元は海岸沿いの砂丘か松林だったような雰囲気の場所だ。
伊藤博文、大隈重信、陸奥宗光といった、明治期の立憲政治の確立などに重要な役割を果たした政治家の邸宅が
隣接して残る一帯の土地で、保存・活用のため整備されている。
友人の一人がここの見学プログラムを申込んでおいてくれた。
まず最初は、1897(明治30)年に建てられた旧大隈重信邸。と言っても大隈重信が使用したのはたった4年で
古河市兵衛に譲渡、その後古河電工株式会社が維持してきたとか。居室部分はほぼオリジナルのままの姿だという。
和風ながら大きな車寄せのある玄関。
玄関を入ると正面に大きな丸い鏡が掲げられている。背後の壁は細い縦ストライプの模様で実にモダン。
玄関から続く板の間の応接間は船底天井。
さすがにこのあたりは古河電工の時代に改装しているのだろうか。
応接間から続く広縁は、縁というには広すぎるな。ほぼ部屋だ(笑)。
ここは「富士の間」と呼ばれる宴会場だが、今は部屋の中央にガラスケースがドンと置かれ、襖絵が展示されて
いるのであまり広さが分からないが、16畳+10畳で26畳の大広間である。
富士の間の床の間は百日紅の床柱。
書院はシンプルな縞の格子に菊花の透かし彫り。
欄間は菊水の透かし彫り。
中庭越しに見えるのは「神代の間」と呼ばれる棟。
この旧大隈重信邸は、中央に一本の直線の廊下が端から端まで貫いており、その左右に千鳥状に部屋が配置されているという
ちょっと変わった平面構成だ。
こちら神代の間。神代杉がふんだんに使われているのでこの名がつけられている。
神代杉とは、知らなかったのだが、千年以上もの間地中や湖底に埋もれていた杉なのだとか!それはほとんど
木の化石なのでは!?珪化木のようなものだろうか。窓ガラスは手吹き円筒法で作られたもの。
窓の桟のパターンはちょっと中国風なイメージを感じさせるな。
明治中期の築だがモダンな近代和風のようでとてもクールな建物だった。
続く。