阿倍野からの続き。
昔偶然見つけてから、何度かは近くを通っていたビリヤード場。確かこのあたりだったが、どうなっているかなと
細い横丁を入ってみたら、、、おぉ、今もやっていた!あいかわらずツタに覆われている。
ちょうどお客もいないようなのでちょっと中を見せてもらおうか。
カフェメニューも出ていて、「お茶だけの方もお気軽にお入り下さい」と書いてある。お茶してもいいかな。
ドアを開けると・・・おぉ、広い部屋の中には4台のビリヤード台。音楽のひとつもかかっておらずしんと
静まり返っている。会員制倶楽部のようでもあり、また道場のような雰囲気。これはお茶を飲むという雰囲気ではないな。。
「あのーすみません、古い建物が好きで、、ちょっと建物を見せてもらってもいいですか」「あ、はい、どうぞ」
この店の名は、保名倶楽部。
「ヤスナというのはお名前ですか」「いえ、このあたりは昔、保名村と言って。店の名はそこからつけたんです」
「へぇ~、天王寺村は聞いたことありますが保名村というのは聞いたことなかったです」
聞けば昭和17年からずっとビリヤード場としてやっておられる。気軽に入ってもらえるよう奥の部屋でカフェも始めたと。
昔ビリヤードがとても流行った時代があり、お客の中にはかなり有名になった人もいるそうだ。時代と共にお客は入れ代わり
ずっと昔からの常連客はもう2人だけになったという。お客は年配の人が多く6時を過ぎたら皆家へ帰るので
「この時間はいつもこんな感じですよ」と(笑)。
その女将さん(何と呼ぶべきか・・)のお母さん、南川千代さんがしろうとから始めて、お客にも教えて、
浪速の女ハスラーと呼ばれるまでに。その半生を脚本家をしている息子さんが書籍化し、舞台にもなった。
大事にファイリングされた新聞の切り抜きやインタビュー記事などをいろいろと見せて頂いた。
凜とした方で、写真の姿はもうおそらく90歳近い頃だろうがキューを構えている姿はゾクッとするほどカッコイイ。
千代さんは2013年に96歳で亡くなったが、この店でゲームの審判をしている途中に倒れられたのだとか。
何があってもがんばって来れたのはこの店があったから、という自分の城で、文字通り死ぬまで現役を貫いたわけで、
もう悔いはなかったに違いない。
建物を覆っているツタは最初はちょろっとしたのを植えたがいつの間にかこんな巨大に。一時は切ろうとしたが
「ツタがこの家を守ってくれている」との千代さんの言葉通り、戦災も地震もくぐりぬけ、今も当時の雰囲気
そのままでお客を迎えている。
あとを継がれた現在の女将さんは千代さんの三女で、やはりおしゃれでかつ大阪の人らしい気さくな方。
これからもずっと隠れ家サロンのようなこの店を守っていって頂きたいなぁ!
お礼を言って外へ出たときにはもう真っ暗。阿倍野を出てからまだいくらも歩いていないのに(苦笑)。
王子あたりのレトロなまちなみをふらふら歩いている途中でちょくちょくタイルにも出会う。
色といい、がまがえるの背中みたいじゃない?ガマタイルと命名。それか、オーストリッチ(ダチョウ)か(笑)。
妙なタイルを作ったもんだな(笑)
みさを荘の足元のタイル。
壁に直接屋号を書いた商店も健在。あ、営業しているかどうかは不明。。
窓に直接「うどん」「焼とり」と書いた店も。この建物は元々は喫茶店かな?
これはモルタルのはがれあと補修だろうか、それとも意匠だろうか。なんか面白いな!上の窓の手すりもかわいい。
ちょっと入ったところで渋い大衆食堂を発見。おぉ~~っ!と思って近づいたら、張り紙が・・・・
「長い間ご愛顧頂きましてありがとうございました。閉店致します。店主」
えぇ~~~っ(涙)
メニューが並んでいたであろう両側のガラスケースは板で閉ざされている。朝になればまた開きそうなのに・・・
あぁまた街の個性が消えていく。。
ショーケース下の風車形モザイクタイル。
播磨湯。こちらも、昔一度入ったきり来ていなかった間に廃業してしまった(泣)
面格子も夜見るとシルエットがはっきり現れていいな!
それにタイルも、夜に街灯の光や車のヘッドライトの光で見ると、微妙な陰影が現れたり色も昼間と違って妖しく光ったり
結構夜歩きは楽しいのである。
夜格子、夜タイル、おすすめ!これから流行るよ~~(爆)
阿倍野から、結局2時間半ほどかかって家に帰り着いた。楽しかった~
昔偶然見つけてから、何度かは近くを通っていたビリヤード場。確かこのあたりだったが、どうなっているかなと
細い横丁を入ってみたら、、、おぉ、今もやっていた!あいかわらずツタに覆われている。
ちょうどお客もいないようなのでちょっと中を見せてもらおうか。
カフェメニューも出ていて、「お茶だけの方もお気軽にお入り下さい」と書いてある。お茶してもいいかな。
ドアを開けると・・・おぉ、広い部屋の中には4台のビリヤード台。音楽のひとつもかかっておらずしんと
静まり返っている。会員制倶楽部のようでもあり、また道場のような雰囲気。これはお茶を飲むという雰囲気ではないな。。
「あのーすみません、古い建物が好きで、、ちょっと建物を見せてもらってもいいですか」「あ、はい、どうぞ」
この店の名は、保名倶楽部。
「ヤスナというのはお名前ですか」「いえ、このあたりは昔、保名村と言って。店の名はそこからつけたんです」
「へぇ~、天王寺村は聞いたことありますが保名村というのは聞いたことなかったです」
聞けば昭和17年からずっとビリヤード場としてやっておられる。気軽に入ってもらえるよう奥の部屋でカフェも始めたと。
昔ビリヤードがとても流行った時代があり、お客の中にはかなり有名になった人もいるそうだ。時代と共にお客は入れ代わり
ずっと昔からの常連客はもう2人だけになったという。お客は年配の人が多く6時を過ぎたら皆家へ帰るので
「この時間はいつもこんな感じですよ」と(笑)。
その女将さん(何と呼ぶべきか・・)のお母さん、南川千代さんがしろうとから始めて、お客にも教えて、
浪速の女ハスラーと呼ばれるまでに。その半生を脚本家をしている息子さんが書籍化し、舞台にもなった。
大事にファイリングされた新聞の切り抜きやインタビュー記事などをいろいろと見せて頂いた。
凜とした方で、写真の姿はもうおそらく90歳近い頃だろうがキューを構えている姿はゾクッとするほどカッコイイ。
千代さんは2013年に96歳で亡くなったが、この店でゲームの審判をしている途中に倒れられたのだとか。
何があってもがんばって来れたのはこの店があったから、という自分の城で、文字通り死ぬまで現役を貫いたわけで、
もう悔いはなかったに違いない。
建物を覆っているツタは最初はちょろっとしたのを植えたがいつの間にかこんな巨大に。一時は切ろうとしたが
「ツタがこの家を守ってくれている」との千代さんの言葉通り、戦災も地震もくぐりぬけ、今も当時の雰囲気
そのままでお客を迎えている。
あとを継がれた現在の女将さんは千代さんの三女で、やはりおしゃれでかつ大阪の人らしい気さくな方。
これからもずっと隠れ家サロンのようなこの店を守っていって頂きたいなぁ!
お礼を言って外へ出たときにはもう真っ暗。阿倍野を出てからまだいくらも歩いていないのに(苦笑)。
王子あたりのレトロなまちなみをふらふら歩いている途中でちょくちょくタイルにも出会う。
色といい、がまがえるの背中みたいじゃない?ガマタイルと命名。それか、オーストリッチ(ダチョウ)か(笑)。
妙なタイルを作ったもんだな(笑)
みさを荘の足元のタイル。
壁に直接屋号を書いた商店も健在。あ、営業しているかどうかは不明。。
窓に直接「うどん」「焼とり」と書いた店も。この建物は元々は喫茶店かな?
これはモルタルのはがれあと補修だろうか、それとも意匠だろうか。なんか面白いな!上の窓の手すりもかわいい。
ちょっと入ったところで渋い大衆食堂を発見。おぉ~~っ!と思って近づいたら、張り紙が・・・・
「長い間ご愛顧頂きましてありがとうございました。閉店致します。店主」
えぇ~~~っ(涙)
メニューが並んでいたであろう両側のガラスケースは板で閉ざされている。朝になればまた開きそうなのに・・・
あぁまた街の個性が消えていく。。
ショーケース下の風車形モザイクタイル。
播磨湯。こちらも、昔一度入ったきり来ていなかった間に廃業してしまった(泣)
面格子も夜見るとシルエットがはっきり現れていいな!
それにタイルも、夜に街灯の光や車のヘッドライトの光で見ると、微妙な陰影が現れたり色も昼間と違って妖しく光ったり
結構夜歩きは楽しいのである。
夜格子、夜タイル、おすすめ!これから流行るよ~~(爆)
阿倍野から、結局2時間半ほどかかって家に帰り着いた。楽しかった~