4月の新潟の続き。
ピアBandaiから吹きすさぶ小雨の中30分ぐらい歩いてようやく小澤邸に到着した。
あ、入る前に帰りのバスの時刻はしっかりチェックしておかねば。
小澤邸は17世紀にできた昔の新潟町の一角に建つ町家で、商家らしいシンプルな外観。
中に入ると、ちょうどウェディングの撮影をやっていて、それのジャマにならないようにボランティアガイドの方が
順不同で案内して下さった。
小澤家は江戸中期にこの地で商売を始めた。2隻の廻船を所有し、米を北海道へ、数の子を関西へ運び、各地の文化を
新潟へ持ち帰った。明治20年に鉄道が開通して北前船は廃れていくが、運送・倉庫業、回米問屋、地主経営、石油商など
多角経営で財をなし、政財界でも活躍するほどの豪商となった。
この建物は2001(平成13)年までは小澤家の方が住まわれていたが、翌年土地と共に市へ寄贈され、
曳き家、耐震補強を経て2011(平成23)年より、北前船の時代館として公開されている。
明治初期に建てられ、1880(明治13)年の大火のあと主屋を再建、明治末頃に新座敷などを増築、造園も行った。
2代目七三郎が齋藤家から嫁をもらったことから、新座敷、離れ座敷や庭園は齋藤家住宅と似たつくりになっているとか。
シャンデリアは古いもの。3灯のもあった。
陶製のアジャスター。おしゃれだね!どこの焼き物かな?(説明あったかもだが・・・忘れた汗)
有田焼かな?
端に向かってテーパーのついた障子の桟。こんなの見たことないなぁ~
藤の間の床の間はこんな寄せ木細工。こんなのも初めて見たかも・・・
書院の欄間は険しい岩場と日本海の風景を描いたもの。
大海原には帆船が2隻。これは小澤家所有の北前船だろうか。遊び心が感じられるなぁ~
こちらの欄間の透かし模様はなにやらオリエンタルな雰囲気が・・・左右対称だからだろうか?
新座敷の裏の土間付きの廊下は、目立たない場所なのにかわいい模様入りすりガラスの建具がはまっていた。
その土間に面して浴室がある。隣接する手洗いがいちめんタイル貼りでかわいい!
シンクの底は八角形タイル。
浴室との境の窓は凝った形で、あられガラスがはまっている。壁には豆タイルがみっしりと。
そしてその下の洗面台は白無地タイルが四半張りに!!役物を使った丁寧な仕上げで感嘆!
お風呂場にはタイルはなかったが、「鉄砲風呂」と呼ばれる、鉄の筒のついた浴槽が設置されていた(多分復刻)。
トイレには少し。これは戦後のタイルかな。
さてお庭は、作庭者は不明というがなかなか立派だ。広いが池泉回遊式ではなく、一部が芝生になっていて明るい。
青石を水に見立てたこんな池が。
四国の黒松が植えられ、船で各地から運んだ石が配されている。その中でやはり佐渡の赤玉は存在感が違う!!
両津という所で採れたが今はもう採れず、こんな大きな赤玉はすごい価値なのだとか。それがあちらにも、こちらにも。
京都の清水六兵衛作の灯籠も置かれている。
道具蔵では小澤家の着物を展示してあった。
お庭の中ほどに張り出した2.5階建ての部屋が気になったが、非公開だった。見晴らしよさそうだったが残念。。。
しかし、外から見るとこれほどの邸宅や庭園があるとも全く分からず、いい意味で裏切られた建物だったな。
見終わって外へ出ると雨は止んでいた。
続く。
ピアBandaiから吹きすさぶ小雨の中30分ぐらい歩いてようやく小澤邸に到着した。
あ、入る前に帰りのバスの時刻はしっかりチェックしておかねば。
小澤邸は17世紀にできた昔の新潟町の一角に建つ町家で、商家らしいシンプルな外観。
中に入ると、ちょうどウェディングの撮影をやっていて、それのジャマにならないようにボランティアガイドの方が
順不同で案内して下さった。
小澤家は江戸中期にこの地で商売を始めた。2隻の廻船を所有し、米を北海道へ、数の子を関西へ運び、各地の文化を
新潟へ持ち帰った。明治20年に鉄道が開通して北前船は廃れていくが、運送・倉庫業、回米問屋、地主経営、石油商など
多角経営で財をなし、政財界でも活躍するほどの豪商となった。
この建物は2001(平成13)年までは小澤家の方が住まわれていたが、翌年土地と共に市へ寄贈され、
曳き家、耐震補強を経て2011(平成23)年より、北前船の時代館として公開されている。
明治初期に建てられ、1880(明治13)年の大火のあと主屋を再建、明治末頃に新座敷などを増築、造園も行った。
2代目七三郎が齋藤家から嫁をもらったことから、新座敷、離れ座敷や庭園は齋藤家住宅と似たつくりになっているとか。
シャンデリアは古いもの。3灯のもあった。
陶製のアジャスター。おしゃれだね!どこの焼き物かな?(説明あったかもだが・・・忘れた汗)
有田焼かな?
端に向かってテーパーのついた障子の桟。こんなの見たことないなぁ~
藤の間の床の間はこんな寄せ木細工。こんなのも初めて見たかも・・・
書院の欄間は険しい岩場と日本海の風景を描いたもの。
大海原には帆船が2隻。これは小澤家所有の北前船だろうか。遊び心が感じられるなぁ~
こちらの欄間の透かし模様はなにやらオリエンタルな雰囲気が・・・左右対称だからだろうか?
新座敷の裏の土間付きの廊下は、目立たない場所なのにかわいい模様入りすりガラスの建具がはまっていた。
その土間に面して浴室がある。隣接する手洗いがいちめんタイル貼りでかわいい!
シンクの底は八角形タイル。
浴室との境の窓は凝った形で、あられガラスがはまっている。壁には豆タイルがみっしりと。
そしてその下の洗面台は白無地タイルが四半張りに!!役物を使った丁寧な仕上げで感嘆!
お風呂場にはタイルはなかったが、「鉄砲風呂」と呼ばれる、鉄の筒のついた浴槽が設置されていた(多分復刻)。
トイレには少し。これは戦後のタイルかな。
さてお庭は、作庭者は不明というがなかなか立派だ。広いが池泉回遊式ではなく、一部が芝生になっていて明るい。
青石を水に見立てたこんな池が。
四国の黒松が植えられ、船で各地から運んだ石が配されている。その中でやはり佐渡の赤玉は存在感が違う!!
両津という所で採れたが今はもう採れず、こんな大きな赤玉はすごい価値なのだとか。それがあちらにも、こちらにも。
京都の清水六兵衛作の灯籠も置かれている。
道具蔵では小澤家の着物を展示してあった。
お庭の中ほどに張り出した2.5階建ての部屋が気になったが、非公開だった。見晴らしよさそうだったが残念。。。
しかし、外から見るとこれほどの邸宅や庭園があるとも全く分からず、いい意味で裏切られた建物だったな。
見終わって外へ出ると雨は止んでいた。
続く。