遊子からの続き。
遊子水荷浦で見事な石積みの段畑を見たあと、また助手席で風光明媚な海の風景を見ながら(笑)岩松へ戻ってきた。
生簀の上に建つ小屋群。
ところで今回もう1ヶ所、石垣景観で有名な外泊という場所に行きたいと思っていた。そして石垣とは別に
もうひとつ「えひめの近代化遺産」の冊子に載っていた、愛南町の魚類製造家屋も見に行きたいと思っていた。
どちらも宇和島と宿毛の間にあるのだが、三浦半島とはまたそれぞれ別の半島の、先端に近いところ。
岩松と遊子でゆっくりと楽しんだので両方行くのはちょっと厳しいな。。。少し悩んだが、魚類製造家屋の方へ
行くことにした。
レンタカーは城辺で乗り捨てる予定なので、ここからは自分で行くつもりをしていたのだが、Sさんも行って
みたいとのことで、車2台連ねて行くことに(笑)。今度は遊子よりもさらに手強い由良半島のアップダウンの
くねくね道を延々走ること1時間ほど・・・もうこの先道がないところまで来た。
おぉ、これか!魚類製造家屋とは、大規模な漁を行う網元であった浦和盛三郎が、水産業の隆盛をはかるためには
漁獲だけでなく加工に力を入れなければならないと考え、1889(明治22)年に建てた水産加工場である。
このちょっとヘンテコな名前は浦和盛三郎自身が名づけたもので、棟札にも記されているという。
まるで校舎のように左右に長い2階建ての建物。長すぎて全景が写真に納まらないな(汗)
中央部を除いて窓がなく風変わりな印象。壁は板が隙間なく張られ、軒裏もすべて板でふさいであるのは
やはり吹きつける風に強い構造としているのだろう。
車が停まっていたり窓も開いているところを見ると人がおられるのだろうが、玄関から声をかけてみるも返事なし。
玄関先には砂岩の石畳が敷き詰められていた。この石は「宇和島石」とSさんが言われていたな。
ここも作業場として使っていたのだろう。
横から裏の方へ回ってみると、裏庭で年配の女性が庭作業をされていた。現在の住人の目関さん。
Sさんが土地の言葉で話しかけて少しおしゃべり。中央部が住まいだそうで、昔は多くの従業員さんがここで
暮らしていたとか。半分はマグロをさばいて燻製を作る工場だった。窓がないのはそのためだな。
もう半分は「むろ」だったというのは貯蔵庫のことだろう。
前は静かな青い海。。。路線バスも延々ここまで来るとは言え、こんな、半島のいちばん先端に住まわれていて
不便ではないのだろうか。。。いや、世の中の雑事とは完全に隔離された別世界のようなこの場所で、日がな一日
身の回りのことをして穏やかに過ごすというのも・・・・あぁ、私にはちょっと無理かなぁ。。。(汗)
あぁ、こんな遠くまで先導してくれたSさんに感謝!ひとりだと途中で心が折れてしまったかもしれない(苦笑)。
朝早かったので運転中に眠たくなって危ないので、帰りはゆっくり休み休み走ります、ということでSさんとは
現地でお別れ。
戻る途中、船越というところで小休止。細長い半島を迂回するのが大変なので、陸の細い部分を開削して
運河が作られたところ。昔は船を陸へ引き上げて反対側の海まで運んでいたことから名づけられた地名だろう。
開削した距離は200mくらいか。小船ならともかく大型の船は陸に上げるわけにもいかず、この運河ができて
ずいぶん航行距離が短くなって楽になったのだろうな。
途中15分ほど仮眠して、城辺へ向かう。
CALレンタカーはGSなどに配備する格安レンタカーだが、愛媛県内に拠点が多く、系列GS間なら
乗り捨てができるのだ。これはすごく便利!今回は宇和島で借りて城辺で乗り捨て。そこから路線バスで
宿毛へ向かうという計画。夜に運転するの怖いし、ちょうどよかった!
続く。
遊子水荷浦で見事な石積みの段畑を見たあと、また助手席で風光明媚な海の風景を見ながら(笑)岩松へ戻ってきた。
生簀の上に建つ小屋群。
ところで今回もう1ヶ所、石垣景観で有名な外泊という場所に行きたいと思っていた。そして石垣とは別に
もうひとつ「えひめの近代化遺産」の冊子に載っていた、愛南町の魚類製造家屋も見に行きたいと思っていた。
どちらも宇和島と宿毛の間にあるのだが、三浦半島とはまたそれぞれ別の半島の、先端に近いところ。
岩松と遊子でゆっくりと楽しんだので両方行くのはちょっと厳しいな。。。少し悩んだが、魚類製造家屋の方へ
行くことにした。
レンタカーは城辺で乗り捨てる予定なので、ここからは自分で行くつもりをしていたのだが、Sさんも行って
みたいとのことで、車2台連ねて行くことに(笑)。今度は遊子よりもさらに手強い由良半島のアップダウンの
くねくね道を延々走ること1時間ほど・・・もうこの先道がないところまで来た。
おぉ、これか!魚類製造家屋とは、大規模な漁を行う網元であった浦和盛三郎が、水産業の隆盛をはかるためには
漁獲だけでなく加工に力を入れなければならないと考え、1889(明治22)年に建てた水産加工場である。
このちょっとヘンテコな名前は浦和盛三郎自身が名づけたもので、棟札にも記されているという。
まるで校舎のように左右に長い2階建ての建物。長すぎて全景が写真に納まらないな(汗)
中央部を除いて窓がなく風変わりな印象。壁は板が隙間なく張られ、軒裏もすべて板でふさいであるのは
やはり吹きつける風に強い構造としているのだろう。
車が停まっていたり窓も開いているところを見ると人がおられるのだろうが、玄関から声をかけてみるも返事なし。
玄関先には砂岩の石畳が敷き詰められていた。この石は「宇和島石」とSさんが言われていたな。
ここも作業場として使っていたのだろう。
横から裏の方へ回ってみると、裏庭で年配の女性が庭作業をされていた。現在の住人の目関さん。
Sさんが土地の言葉で話しかけて少しおしゃべり。中央部が住まいだそうで、昔は多くの従業員さんがここで
暮らしていたとか。半分はマグロをさばいて燻製を作る工場だった。窓がないのはそのためだな。
もう半分は「むろ」だったというのは貯蔵庫のことだろう。
前は静かな青い海。。。路線バスも延々ここまで来るとは言え、こんな、半島のいちばん先端に住まわれていて
不便ではないのだろうか。。。いや、世の中の雑事とは完全に隔離された別世界のようなこの場所で、日がな一日
身の回りのことをして穏やかに過ごすというのも・・・・あぁ、私にはちょっと無理かなぁ。。。(汗)
あぁ、こんな遠くまで先導してくれたSさんに感謝!ひとりだと途中で心が折れてしまったかもしれない(苦笑)。
朝早かったので運転中に眠たくなって危ないので、帰りはゆっくり休み休み走ります、ということでSさんとは
現地でお別れ。
戻る途中、船越というところで小休止。細長い半島を迂回するのが大変なので、陸の細い部分を開削して
運河が作られたところ。昔は船を陸へ引き上げて反対側の海まで運んでいたことから名づけられた地名だろう。
開削した距離は200mくらいか。小船ならともかく大型の船は陸に上げるわけにもいかず、この運河ができて
ずいぶん航行距離が短くなって楽になったのだろうな。
途中15分ほど仮眠して、城辺へ向かう。
CALレンタカーはGSなどに配備する格安レンタカーだが、愛媛県内に拠点が多く、系列GS間なら
乗り捨てができるのだ。これはすごく便利!今回は宇和島で借りて城辺で乗り捨て。そこから路線バスで
宿毛へ向かうという計画。夜に運転するの怖いし、ちょうどよかった!
続く。