名古屋近代建築観察会 前編からの続き。
栄の三越は元「オリエンタル中村百貨店」であり、建物の隅切り面にはかつて岡本太郎の壁画があったそうだ。
壁から浮かび上がる造形。中日ビルといい、栄の夜景は華やかだったんだなぁ~
栄のランドマークになっているパチンコ屋の大観覧車が、パチンコ台をイメージして作られ、ゴンドラも
パチンコ玉を模した球形になっているなど、スタッフの方から面白いエピソードを聞いたあとだったので、
こちらの三越屋上の観覧車についても話があるかと思ったが、残念ながら言及は無し(笑)。
しかしこのおもちゃみたいな観覧車も貴重なのだ。オリエンタルビル屋上観覧車は、1954(昭和29)年の
百貨店開業時に設置された初代を、1956(昭和31)年の増築時に入れ替えたもので、有形登録文化財になっている。
昔はデパートの屋上には必ずと言っていいほど小さな遊園地があった。屋上ではないが、何年か前に京都市動物園で
小さな観覧車にいい歳こいてyumeさんと2人で乗ったなぁ(爆)。観覧車や回転展望台は小さいほど楽しい!!
残念ながら三越屋上の観覧車は2005(平成17)年に営業を休止したそうだ(休止ってことは復活アリ!?)。
広小路に華やかさを振りまいているゴージャス仕様の街路灯は、バブル絶頂期の1989(平成元)年に開催された
世界デザイン博覧会に際し整備されたものだとか。何か新地のビルにでもついてそうな照明だと思っていた(笑)
そして今回のメイン、丸栄百貨店へ!
名古屋の元呉服商十一屋と、京都の丸物百貨店を前身とする三星百貨店が合併し、1939(昭和14)年に
「栄町で丸く栄えるように」との思いを込めて「丸栄百貨店」という名で開業した。
広小路の1ブロックをまるまる陣取る威容は、増築を重ねたものだという。最初は地上3階地下2階建て
だった建物を、戦後、縦に、横にと広げたのだ。その増改築工事を、村野藤吾が手がけた。
既存部分の構成を生かしながら新たな部材をつけ加え、下から上に向かってグラデーションのついた
「鳩羽紫色」のモザイクタイルで覆う。開口部には新たにガラスブロックを嵌め、商品を外光から守りながら
中の人の動きが感じられるようなファサードを実現した。
丸栄百貨店は1953(昭和28)年度に日本建築学会賞を、百貨店で初めて受賞している。
しかし・・・ここも今年の6月で営業を終了し、建物は解体されることが決まっているのだ。。。
ここも外観のことを以前「名古屋ビルめぐり 丸栄百貨店」の記事で書いているが、今回は特別見学会として
丸栄の方が内部まで案内して下さった。
この西面のモザイク壁画は第2期(1956(昭和31)年)の増築工事で作られたものである。
西日を嫌うために窓はなく(非常口はあるが)、壁全面を使った大壁画となった。
ここに使われたタイルは泰山タイルと聞いていたが、緑色の部分は大佛タイルだという説明に驚いた。
大佛タイルはグリル東洋軒で使われていて、前回記事を書く時にちょっとネットで調べていたのだが、何となく
こんな大面積の外壁のタイルを作るようなイメージがなかったので、意外な気がした。
泰山タイルも時代が合わないと言われていた。ちょっと謎めいているなぁ。
ここで村瀬さんのイラスト解説書が配られ皆感嘆!この壁画のデザインを解明しようと、平面上に再現してみたが
やっぱり分からないと(笑)。まるで落書きのようで、見ようによって何にでも見える抽象的なデザインだが
私は織物がモチーフだろうと思っている。十一屋や丸物が呉服商だったことと関係あるだろうか。
建物の中へ。エレベーター扉は東郷青児デザイン。
地下へ下りて狭いところへ順番に入り込み、上を見上げると、丸いガラスブロックがぎっしりと!!
うわぁ、多い!!近代建築ではよくあるトップライトだが、こんなに密なのはあまり見ないな(笑)
さっき店の入口を入るときに足元が凸凹していた部分があったのだが、このガラスブロックを
埋めた部分だった。この暗い地下のバックヤードも、当時はかなり明るかっただろう。
5階へ上り、案内されたのは、あの西壁の大壁画の中央にある非常口。交代で1~2人ずつドアの外へ出ると、
あの大佛タイルだという緑色のタイルが目の前に!!おぉ~っ!!ちょっとテンションが上がるが
後ろには行列ができているので、急いでタイルの写真を数枚撮る。きれいなモスグリーン。
不透明の釉薬がぽってりとかかったタイルは、遠目で見て小口タイルだと思っていたのだが、大きさはほぼ
小口タイルと同じだが、実際はひとつひとつ手で切り分けたように少しゆがんだ、温かみのあるタイルだった。
これが手作りとすれば、これだけの壁を埋めるタイルを作るのはいったいどれほどの作業だっただろう!
タイルは太い目地を取って貼られている。目地の太さを変えることによって、同じ色のタイルで濃淡を
表現しているのだ。タイルでそんなことをした人はそれまでにもそのあとにも誰かいただろうか!?
本当に村野藤吾の発想はすごいなぁ!
ところでここでは下にカメラマンが待ち構えていて皆が顔を出して手を振るところを撮ってくれるという
サプライズだったのだが、私は全く気づかず、タイルにカメラを向けている姿が写し出されていた(爆)
屋上へ出る。何とここにはケーブルの支柱が立っていたという。えっ!?ケーブル!?
やはり丸栄でも屋上のアミューズメント施設として乗り物があったらしい。イラストのイメージからすると
ケーブルというか懸垂式のモノレールのようだ。建物の際に沿って空中を動くとはスリル抜群だっただろうな!
乗り物好きの私だが、ちょっと遠慮しておきたい・・・(汗)
大きな丸栄の看板が誇らしげ。屋上の一角には神社もまつられていた。
そして少しセットバックしたところにある機械棟は、これも村野藤吾の手にによるもので、機能的で
研ぎ澄まされた美しい空間だった。
そこに保管されていたのは、オリジナルの東郷青児のエレベーター扉。
機械棟の屋上へ出た。さすがに一般の人が上るところではないので、手すりの間隔が大きく、近寄ったら
落ちてしまいそうだ。ひぇ~~っ(怖)
この看板は元は回転するようになっていたのだな。名古屋のまちのどこからでもこの赤い文字が見えたことだろう。
トワイライトの美しい光に包まれながら、ずっと案内していただいた丸栄の方からの説明があった。
この店の歴史を誇りつつやはり閉店してしまう悔しさがにじみ出るようで、聞いていて胸がきゅんとなったが、
お金を稼げなくなった百貨店建築は形を変えていくべきだと村野藤吾も考えるに違いない、という
村瀬さんの言葉に、何となく納得したというか、仕方ないことだという気がした。
この跡に建てられる建物が、村野藤吾に負けない「思い」をもった名建築となることを祈ろう。。。
ドラマチックな演出に皆感動・・・この丸栄の屋上の光景はずっと忘れないだろう。
このあと丸栄さんから全員にお土産も頂いた。素晴らしい近代建築観察会を、ありがとうございました!
続く。
栄の三越は元「オリエンタル中村百貨店」であり、建物の隅切り面にはかつて岡本太郎の壁画があったそうだ。
壁から浮かび上がる造形。中日ビルといい、栄の夜景は華やかだったんだなぁ~
栄のランドマークになっているパチンコ屋の大観覧車が、パチンコ台をイメージして作られ、ゴンドラも
パチンコ玉を模した球形になっているなど、スタッフの方から面白いエピソードを聞いたあとだったので、
こちらの三越屋上の観覧車についても話があるかと思ったが、残念ながら言及は無し(笑)。
しかしこのおもちゃみたいな観覧車も貴重なのだ。オリエンタルビル屋上観覧車は、1954(昭和29)年の
百貨店開業時に設置された初代を、1956(昭和31)年の増築時に入れ替えたもので、有形登録文化財になっている。
昔はデパートの屋上には必ずと言っていいほど小さな遊園地があった。屋上ではないが、何年か前に京都市動物園で
小さな観覧車にいい歳こいてyumeさんと2人で乗ったなぁ(爆)。観覧車や回転展望台は小さいほど楽しい!!
残念ながら三越屋上の観覧車は2005(平成17)年に営業を休止したそうだ(休止ってことは復活アリ!?)。
広小路に華やかさを振りまいているゴージャス仕様の街路灯は、バブル絶頂期の1989(平成元)年に開催された
世界デザイン博覧会に際し整備されたものだとか。何か新地のビルにでもついてそうな照明だと思っていた(笑)
そして今回のメイン、丸栄百貨店へ!
名古屋の元呉服商十一屋と、京都の丸物百貨店を前身とする三星百貨店が合併し、1939(昭和14)年に
「栄町で丸く栄えるように」との思いを込めて「丸栄百貨店」という名で開業した。
広小路の1ブロックをまるまる陣取る威容は、増築を重ねたものだという。最初は地上3階地下2階建て
だった建物を、戦後、縦に、横にと広げたのだ。その増改築工事を、村野藤吾が手がけた。
既存部分の構成を生かしながら新たな部材をつけ加え、下から上に向かってグラデーションのついた
「鳩羽紫色」のモザイクタイルで覆う。開口部には新たにガラスブロックを嵌め、商品を外光から守りながら
中の人の動きが感じられるようなファサードを実現した。
丸栄百貨店は1953(昭和28)年度に日本建築学会賞を、百貨店で初めて受賞している。
しかし・・・ここも今年の6月で営業を終了し、建物は解体されることが決まっているのだ。。。
ここも外観のことを以前「名古屋ビルめぐり 丸栄百貨店」の記事で書いているが、今回は特別見学会として
丸栄の方が内部まで案内して下さった。
この西面のモザイク壁画は第2期(1956(昭和31)年)の増築工事で作られたものである。
西日を嫌うために窓はなく(非常口はあるが)、壁全面を使った大壁画となった。
ここに使われたタイルは泰山タイルと聞いていたが、緑色の部分は大佛タイルだという説明に驚いた。
大佛タイルはグリル東洋軒で使われていて、前回記事を書く時にちょっとネットで調べていたのだが、何となく
こんな大面積の外壁のタイルを作るようなイメージがなかったので、意外な気がした。
泰山タイルも時代が合わないと言われていた。ちょっと謎めいているなぁ。
ここで村瀬さんのイラスト解説書が配られ皆感嘆!この壁画のデザインを解明しようと、平面上に再現してみたが
やっぱり分からないと(笑)。まるで落書きのようで、見ようによって何にでも見える抽象的なデザインだが
私は織物がモチーフだろうと思っている。十一屋や丸物が呉服商だったことと関係あるだろうか。
建物の中へ。エレベーター扉は東郷青児デザイン。
地下へ下りて狭いところへ順番に入り込み、上を見上げると、丸いガラスブロックがぎっしりと!!
うわぁ、多い!!近代建築ではよくあるトップライトだが、こんなに密なのはあまり見ないな(笑)
さっき店の入口を入るときに足元が凸凹していた部分があったのだが、このガラスブロックを
埋めた部分だった。この暗い地下のバックヤードも、当時はかなり明るかっただろう。
5階へ上り、案内されたのは、あの西壁の大壁画の中央にある非常口。交代で1~2人ずつドアの外へ出ると、
あの大佛タイルだという緑色のタイルが目の前に!!おぉ~っ!!ちょっとテンションが上がるが
後ろには行列ができているので、急いでタイルの写真を数枚撮る。きれいなモスグリーン。
不透明の釉薬がぽってりとかかったタイルは、遠目で見て小口タイルだと思っていたのだが、大きさはほぼ
小口タイルと同じだが、実際はひとつひとつ手で切り分けたように少しゆがんだ、温かみのあるタイルだった。
これが手作りとすれば、これだけの壁を埋めるタイルを作るのはいったいどれほどの作業だっただろう!
タイルは太い目地を取って貼られている。目地の太さを変えることによって、同じ色のタイルで濃淡を
表現しているのだ。タイルでそんなことをした人はそれまでにもそのあとにも誰かいただろうか!?
本当に村野藤吾の発想はすごいなぁ!
ところでここでは下にカメラマンが待ち構えていて皆が顔を出して手を振るところを撮ってくれるという
サプライズだったのだが、私は全く気づかず、タイルにカメラを向けている姿が写し出されていた(爆)
屋上へ出る。何とここにはケーブルの支柱が立っていたという。えっ!?ケーブル!?
やはり丸栄でも屋上のアミューズメント施設として乗り物があったらしい。イラストのイメージからすると
ケーブルというか懸垂式のモノレールのようだ。建物の際に沿って空中を動くとはスリル抜群だっただろうな!
乗り物好きの私だが、ちょっと遠慮しておきたい・・・(汗)
大きな丸栄の看板が誇らしげ。屋上の一角には神社もまつられていた。
そして少しセットバックしたところにある機械棟は、これも村野藤吾の手にによるもので、機能的で
研ぎ澄まされた美しい空間だった。
そこに保管されていたのは、オリジナルの東郷青児のエレベーター扉。
機械棟の屋上へ出た。さすがに一般の人が上るところではないので、手すりの間隔が大きく、近寄ったら
落ちてしまいそうだ。ひぇ~~っ(怖)
この看板は元は回転するようになっていたのだな。名古屋のまちのどこからでもこの赤い文字が見えたことだろう。
トワイライトの美しい光に包まれながら、ずっと案内していただいた丸栄の方からの説明があった。
この店の歴史を誇りつつやはり閉店してしまう悔しさがにじみ出るようで、聞いていて胸がきゅんとなったが、
お金を稼げなくなった百貨店建築は形を変えていくべきだと村野藤吾も考えるに違いない、という
村瀬さんの言葉に、何となく納得したというか、仕方ないことだという気がした。
この跡に建てられる建物が、村野藤吾に負けない「思い」をもった名建築となることを祈ろう。。。
ドラマチックな演出に皆感動・・・この丸栄の屋上の光景はずっと忘れないだろう。
このあと丸栄さんから全員にお土産も頂いた。素晴らしい近代建築観察会を、ありがとうございました!
続く。