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Channel: まちかど逍遥
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近所にあった引込線

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兄とメールで話してて話題に上がったので、書きかけでほったらかしだった記事を
発掘してきた(笑)。2009年に書いていて、どうまとめようか悩んでそのままに
してしまっていた。もう状況がかわってるかもしれないなぁ。
うまくまとまらなくてもリアルタイムで感動を伝えないとな。。。(反省)


こないだ石山の引き込み線を見に行ったりネットで検索していたときに、
ひょんなことから、うちからごく近いところに引き込み線があったことを知った。
それはJR環状線から分岐していた三菱製紙浪速工場への引き込み線。

野田と西九条の間で南側へ分岐していた市場線は知っていたが、そこから少し
西九条寄りのところからなんと北へ向かって伸びる線があったらしい。
う〜ん、そんなの聞いたことない!急いで手持ちの各年代の地図を広げてみるが、
もちろん線路記号などどこにも見あたらない。地図上に出ていたらとっくに知っていたはずだ。
この廃線跡を歩き近隣の老人などにヒアリングしたとても詳しいレポートがあり、一気に読んだ。
それはもう10年も前に書かれたものだった。今現在、どうなっているのか・・・?
今すぐにでも見に行って確かめたい衝動にかられたが、、、週末まで待って、
現地を見に行ってきた。


野田駅から徐々に下りはじめる市場線のスロープを確かめながら、西へ向かう。
そして踏切跡を示す不自然な坂路。ここのフェンスから向こうを見通し、線路が高架柱の間を
南側へ通り抜けて市場まで続いていたんだなぁ〜、というところまではすでに頭の中にある映像。
その線路は市場線を見送ったあとまだしばらく高架沿いを走っていたのだ。。。


私が初めてここを見たときすでに線路沿いには新しい建て売り住宅が並んでいたから、
廃線跡とは気づかなかったが、例のレポートの写真を見ると、そこに住宅はなく敷地の端に
道路面との段差が現れており、枕木まであったようだ。しかし今はもう面影すらない。





さて道路をわたった続きはどこだろう?







地図を見ると、線路跡は今の街区の真ん中を
通っていたようだ。マンションの隙間をのぞいてみると、隣家と区切るフェンスが
わずかに弧を描いている。これか!?






レポートの作者が探訪のきっかけとなったと自ら言っている「ガレージ曲線」があった場所。
青空駐車場だった当時と違い今はとてもわかりづらいが、敷地の形は確かに廃線跡を語っている。

マンションの先の道路へ回り込んでみたが、続きはまったくわからない。
この先、今ある道路と合流する形となりしばらく平行するはずである。
しかし歩道の部分なのか建物が建っている部分なのかはっきりわからない。




この裏手に高いコンクリートの塀が見えた。これは川跡だ。

まっすぐ行くと浪速通運の社屋に突き当たる。北港通からの進入路がちょうどいい幅だ。






そのまま突っ切っていくと福山通運の巨大な倉庫の正門に至る。航空写真とまったく
同じ建物が今もそのまま建っているのは軽い衝撃だ。この巨大な倉庫は道路に対して
平行に建っていないのがミソ。線路はこの倉庫のプラットフォームに沿って北上していたのだ。
公園と福山通運の境界フェンスは、倉庫の壁から3m位離れている。フェンスの内か外か、
さてどっちだろう?
航空写真を見ると倉庫すれすれに見えるので内側だろう。敷地内には遺構がまだ
残っているかもしれない。
福山通運の裏には市街地住宅が。ここからは公園内の部分だろう。






中津川跡の道に出てきた。整備されきれいな道になっているので名残はなにもないが、
レンゴーの敷地が三菱製紙浪速工場跡地だ。ここの駐車場の最外側を走り、旭硝子の
工場跡地であるコーナン福島大開店の駐車場まで伸びていただろう。
もうまったく想像だけなのだが。





ん〜〜、これはかなり想像力を求められる廃線跡巡りである。


※この記事は、2009-06-16 23:54:08 に書いたものであり、当時の状況です。
 文中に書いている「詳しいレポート」も、今検索したら見つけられず。。。

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