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2014.12.20~23 熊本~松山の旅 もくじ

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ジェットスターで熊本IN、フェリーで四国へ渡り、ピーチで松山OUTの3泊4日の旅。
ピーチの松山便が安いからついつい使ってしまうのよね~(笑)
今回は大分が充実してたなぁ。それ以外はあまりうまく運ばず、後半疲れてきたのもあり、
長かった割には成果少なめかな。。

熊本~愛媛の旅 プロローグ
南阿蘇鉄道の風景
立野橋梁と第一白川橋梁
長湯温泉へ
豊後竹田の土木遺産巡り
岡城跡
逆光の臼杵
上臼杵駅
臼杵から八幡浜へ渡る
卯之町を歩く
伊予吉田と宇和島再訪


鈴木薄荷

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3月の洋風建築めぐりは神戸にある鈴木薄荷株式会社。阪神大石と新在家の間の住宅地の中に、
その建物はあった。第一印象は、「なんちゅう色!?」(笑)
コーナーを回ったエントランスのひさし以外はそれほど特徴もない割と地味な建物だけに、
この南国カラーは、どういう意図なのか??

1~2階が工場ということで、ドアを入った途端、ハッカの香りに包まれて鼻がスースー、いい香り!

鈴木薄荷は、鈴木商店の流れを汲む会社。
鈴木商店とは、明治2年に神戸で創業し大正期には日本一の年商を誇った財閥・総合商社であったが、
昭和2年に破綻した。多角経営を極めていた鈴木商店の事業会社を引き継いで今に至る企業は、
日本の経済を牽引してきたそうそうたる顔ぶれである。鈴木薄荷も番頭の一人が独立した会社なのだとか。

3階は狭いながら、柱周りや天井にキュビズムやアールデコの意匠が見られる瀟洒なオフィスである。


こんな意匠はあまり見たことがない。




元はホールだったのか、舞台の袖部分にもレリーフが見られた。



屋上にも上らせて頂いた。周りが低層の住宅地なだけに明るく見晴らしが良い。昔はすぐ近くに海が見えたという。

ハッカの苦手な人もいるが、私はハッカ大好きなので、始終くんくんしながら社員の方の説明を興味深く聞いた。
雑草のようなハッカの草を蒸留することで成分を取り出す。和種ハッカはペパーミントなどの洋種よりも
メントール成分が多く含まれているというが、それでも甲子園球場の広さの畑からドラム缶1個分しか
とれないといい、荷が薄くなるから「薄荷」の文字を当てたという説も。

現在インドの提携農場で栽培した和種ハッカを現地で蒸留、日本へ運んでこの工場で精製しているのだとか。
こんな普通のまちなかで?とびっくり。昔は六甲道の駅で降りたらハッカの香りがしたというから
町じゅうがさわやかなアロマに包まれていたに違いない。

製品として、ハッカ油は知っていたが、メントールの結晶というのは初めて見た。
タバコや食品の原料として卸しているそうだ。
うれしいことに、ハッカ油と結晶の瓶入りセットをお土産に頂いた!当初からのものというかわいいラベル。
部屋のアロマやお風呂に数滴、ミントティにも使ってみよう。
いやー今回は結構、建物よりもハッカの方が興味深かった(苦笑)。できれば工場見学もしたかったなぁ。


あの外壁は、国防色になっていたのを建築当初の色に戻そうとしたつもりが意図せぬ明るい色に
なってしまったのだとか。
講師の川島先生によるとオリジナルはサンドベージュのような色らしいが、ハッカのイメージで
薄めのミントグリーンとかどうかな!?


このあと魚崎へ移動して、旧魚崎町役場を見に行ったのだが、こちらもまたド派手なピンク。

なんでこんな色にするかなぁ~~

赤穂化成の洋館

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先日母親と兄と一緒にカキを食べに坂越へ行ってきた。
車でお店に着く直前、目に飛び込んできた木造の洋館。うわっ、何!?

赤穂化成株式会社
赤穂と言えば塩。赤穂東浜塩業組合の流れを汲む会社といい、現在は海洋深層水の研究や商品開発を
しているらしい。

工場内は立ち入り禁止だが、守衛さんに声をかけて写真を撮らせてもらった。
そう、こちらの守衛室もまた古くてかわいいのだ。

しかしこんなのがあるとは思っておらず、カメラをもってこなかったよ。。。母親のカメラを借りて撮る。

これは事務所棟だろう、薄いピンク色の壁がかわいい。(木造の洋館はピンクもありだが、コンクリート造はなぁ・・・)
屋根の半折れ部分の持ち送りなどちょっとした装飾がきいていて、オシャレな雰囲気。


海に面したこの場所で、よくこんなに美しく保たれてきたなぁ!


食べ放題のカキは今年はちょっと小ぶりで感動は薄め。もう一度リベンジしたいなぁ。。。

松江の近代建築めぐり ~その1

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スカイマークの神戸~米子便を使って旅したいとずっと考えていた。
山陰は大阪からでも遠く、米子など特急に乗っても4時間以上かかり、料金も高いのでなかなか
気軽に行けない。そうかと言って夜行バスとかはしんどいし。。。
それが神戸空港から40分で中国山地をひとっ飛びできるんだからすごく便利じゃない!?
しかも早く取れば片道4千円で行けるのだ。

建築めぐりの仲間にその話をしたところ、行きたい行きたいということで、即座にグループツアーが
決まってしまった。車を借りての1泊2日。話がふくらんで結局なぜか米子を見ず松江と鳥取という
米子から東西逆方向に離れた二つのまちを見るツアーとなった(苦笑)。
松江は以前少し歩いたことがあるが、今回は例のごとく他メンバーがちゃんとチェックしてきて
くれたので効率よく回れた。・・・とはいえ、何かと寄り道、写真撮りまくりのため、スケジュールは
常に押し気味だったのだが(汗)。

田野産婦人科医院。


土壁にアーチ窓はいかにも明治建築。まわりは駐車場などの空き地になっていて、もとはこの一帯が
医院の敷地だったと想像される。



こちらは浅野小児科医院。


ちょっときれいに塗られすぎているが、足元のみペンキが塗られていない。
ぶつぶつと穴のあいた灰色の石は松江城でも見られた。このあたりで採れる石なのだろうか。


松江城の中にある興雲閣は、前回目の前でクローズの憂き目にあったので、今度こそと期待していたが
行ってみると、何と改修中。。。(涙)


松江の官庁や公共建築は、ポストモダンと言うのか、コンクリートのダイナミックで軽やかな造形の建物が多い。
これは昭和34年竣工の島根県庁舎。このあと、県庁舎周辺整備計画に基づき、警察本部、合同庁舎(現県庁南庁舎)、
県立博物館、県民会館、武道館、図書館等が整備された。だいたい同じ時代の建築だからだろうか、
それともコンセプトを統一したのか、イメージが揃っていて、広々と明るい官庁街である。


こちらは元料亭の蓬莱荘。外観はすっかりきれいになっていて見るべきものは門ぐらいかと思ったが、
出て来られた店員さんに声をかけると快く内部を見学させて頂けることに。




これがかなりよかった!内部は古いままで、各部屋それぞれに凝った装飾が施されている。
渡り廊下が橋になっていたり、船底天井や網代天井など。


数奇屋建築のように変わった材が使われているところも。


二つ上の写真の右側の部屋は入口に小橋があしらわれている。


変わった割付の天井、押さえ縁に皮付きの木材が使われている。

食事も意外とリーズナブルで、ランチ場所の候補にも上がっていたのだが、今回は西洋軒にした。
是非次の機会に!

そのあとはカラコロ工房という観光複合施設になっている旧日本銀行松江支店へ。京橋川沿いに建つ
松江のランドマークだ。


内部はいくつかに仕切られ、いろんなお店が入っていてとってもにぎやか!しかし銀行特有の吹き抜け構造、
中央部に残る古いカウンターが生かされていないのはちょっと残念。。。


こちらは美術館になっている旧山陰合同銀行松江支店。


2階に上るとずらりと並ぶイオニア式柱頭を間近で見ることができる。


続く。

松江の近代建築めぐり ~その2

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松江続き。

歓楽街の中を抜けてトラヤ洋装店へ向かう。途中にこんな石蔵が。黄色っぽい石は来待石と思われる。
壁だけでなく軒まわりも石で組まれているな。
地元産の石で作られた蔵、かつてはもっとたくさん見られたのだろうか。


トラヤ洋装店は相変わらずガレージとして使われているだけのようだが、現状維持してくれていてホッとした。

しかし、嫌になるほどの逆光!!日よけにしたマップの端が写り込んでしまった(汗)。

葡萄、樽・・・この来待石に彫られたレリーフはワインを作っている様子にも見える。洋装店なのにお酒??

川沿いに隣接する酒屋があるし、近隣には老舗の酒屋もあったので、これは元々は酒屋の建物として
建てられたのかもしれない。

川を渡り、見学予約していた元遊郭で料亭の巴庵へ。ケバケバしい歓楽街の中に埋もれるようにして建つ
巴庵は、周りとは一線を画し風格を保っていた。
よく見学を承諾してくれたなーと思うが、やはり建物に誇りを持っておられるに違いない。


川本家などもそうだったように中庭をめぐる配置で、小分けされた部屋もあるが広い座敷もある。




今のお店はテナントとして入っているそうだが、改造は許されておらず着物の生地を建具に貼ったり
工夫しておられるそうだ。


見学を終えてお礼を言って立ち去る時、対応してくれた店長(と思われる方)は玄関口に正座して深々と
頭を下げて見送って下さった。食事をした客でもなく営業時間外に邪魔しただけの私たちに対して、
こちらが恐縮してしまうような対応は、やはり格を重んじておられると思った。
それでも意外にお手頃なメニューがあり、一度ここで食事もしてみたいなぁ。


西へ歩いて、出雲ビルへ。略していづビル(笑)。お店が入っているようなので上ってみよう。


素敵な郵便受けに目が留まる。鉄っぽく見えるが木製で、薄い板を曲げて作ってあるようだ。


驚いたことにこの郵便受け、ちょうつがいでこれごとパタンと開くようになっているのだ。
面白いなぁ!


居心地よさそうなカフェが入っていて、ここでお茶をするかと心が揺れたが、休憩は
松江の名物(?)ぼてぼて茶を飲もうと皆で決めていたので、残念ながらスルー。。


車で移動、愛隣会館へ。
1893(明治26)年に松江を襲った大洪水で親を失った子供たちのために、福田平治という人が
自宅で孤児院を開設し、その後家業の印刷所を売り払ってこの地に移転したのだという。


生涯社会的弱者の救済事業に献身した福田平治翁の顕彰碑と共に、まちの片隅にひっそりと佇んでいる。


島根大学旧奥谷宿舎(旧制松江高等学校外国人宿舎)。屋根の構成が魅力的な木造の住宅建築。
今は島根大学のサテライトミュージアムになっているようで内部にも入れたが、かなりきれいに
改修済みで、建築的な見どころはあまりない感じ(汗)。

そのときはモンテッソーリ教育の展示をやっていて、友人が子供にこの教育を取り入れている
という話を聞いていたので興味深く見学した。

最後にぼてぼて茶の店へ行ってみたのだが、駐車場が近くになくてあきらめ、、、
老舗の和菓子屋へお土産を買いに行ったついでに聞いてみると、近くの商店街の中村茶舗で
ぼてぼて茶の茶葉が売っているとのこと。
そこでは一人が一袋400円のお茶を買っただけだったが、全員にお抹茶を出して下さり、
和やかな会話を楽しみ、松江のもてなしの心に皆感動したのだった。


さてもう夕方。松江に予定より随分長居してしまったが、今夜の宿、三朝へこれから2時間のドライブ。。。

三朝温泉 木屋旅館

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松江からの続き。

松江からレンタカーで走り、三朝温泉に着いた時にはもう夜7時を過ぎていた。
今日の宿は、明治元年創業、登録有形文化財の宿、木屋旅館。
通された部屋は、4人ではちょっと手狭なものの、一番古い明治時代の建物で川沿いの角部屋。


さて、木屋旅館の目当ては何と言ってもお風呂である。
三朝温泉は「ラドン含有ラジウム塩化物泉」ということで、免疫力や自然治癒力を高める効果があるのだとか。
夕食を食べてから温泉街を一通り歩いたあと、ラジウム温泉のスペシャリスト「ラヂムリエ」(笑)
に館内を案内してもらいながら、ラジウム温泉の効能・入浴方法、三朝温泉の歴史やお祭りなど、
多岐にわたるお話を聞かせていただいた。




木屋旅館の建物は、明治時代に建てられ、大正、昭和に増築が繰り返されたのだとか。旅館の真下に
源泉があり、地下の湯脈に沿って建てられているので道が曲がっているそうだ。
増築が繰り返されていることと地下の源泉の湯気抜きの関係で、館内の廊下はくねくね、上ったり
下りたりまるで迷路のように入り組んでいる。

これは飲泉カップのコレクション。飾り棚や椅子など、調度品類も古くて素敵なものが多数。

この日ほぼ満室だったため客室内は見れなかったが、廊下からのアプローチ部分も各部屋凝った
意匠が見られた。


この宿には、貸切の家族風呂が2つ、男女別の大浴場、蒸し風呂、そしてオンドルもある。
源泉の家族風呂「楽泉の湯」は人気のため競争率が高く、人が出てきた瞬間にささっと入る。


うぉ~~~っ!!一面にマジョリカタイルが!これぞ一番の目当てなのであった。


ここは明治時代に建てられた棟の地下だが、さすがにこのタイルは明治時代ではないだろう。
しかし緑色のリボン状の模様はくっきり美しい。タイルをうっとり眺めながら湯船に浸かり、
飲泉用の湯壷から汲んだ温泉を飲む・・・う~ん極楽だねぇ~~


ところで三朝温泉の温泉街は車一台が何とか通れるくらいの幅の道に旅館が建ち並び
足湯や娯楽場なんかもある。


この「中湯」はとっても惹かれたのだが、あとで聞くとジモ専だとか。もうすぐ旅行者にも
開放されるとの話も。。。


「岡山大学医学部附属病院三朝医療センター分室」と書かれたこの建物も古そうで、
全体的にちょっと洋館っぽい佇まい。こちらも後でラヂムリエに聞いたところによると、
中はすっかり新しくなっているそうだ。温泉療法を受けることができるが事前に受付が必要らしい。


翌朝も楽泉の湯で朝風呂を楽しみ、部屋へ戻ってマッタリ。。。外へ繰り出す人、温泉を何杯も飲む人、
思い思いに三朝温泉を満喫した。


朝食後鳥取へ向かう前にちょっと車を停めて、手の届かなかった宿、旅館大橋を外から見学。
さすがにこの立派な唐破風のエントランスを見ると、木屋旅館さえビジネス旅館に思えてしまう。

お茶でもできればと思ったが、喫茶室などはないようで、あっさりフラれてしまった(苦笑)。

大橋の名に洒落たのか、建物が小さな水路をまたぐ部分には欄干の意匠が。


この水路の横には通路があったので通ってみると、この橋、単なる飾りでなく本当に橋なんだ!
橋の上に建物が載っているのか。すごいな!


通り抜けたら三朝川の川原へ出た。こちら側から見るとこの建物が川に向かって開放されているのがわかる。
表側はリニューアルされているが、川側は古き良き旅館建築の趣をそのまま残している。
あぁ、泊まってみたいなぁ。。。


さて、そろそろ鳥取へ向かおう。

続く。

山野住宅の門柱

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文化住宅というべきか、テラスハウスというべきか、古くて居心地良さそうな共同住宅。こういうの好きだなぁ。
敷地の入口には立派な門柱があって、表札代わりに住宅名が書かれている。


遠目で見ても、なんかキラキラしているなと思ったら、ガラスのテッセラ(細片)で文字が作られている!
さりげなくおしゃれだなぁ~


このあたりをうろついていると、素敵な昭和のオブジェがいろいろ見つかる。これもその一つ。


とっても状態がいいので新しいものかと思ってしまうが、マミーショップなんて今ないよね!

単なる懐かしグッズの紹介はこのブログの趣旨ではないのだけれど、ついでだからいいか(笑)。

鳥取の近代建築めぐり

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三朝からの続き。

三朝から鳥取までもたっぷり1時間。
まずはちょっと山手の方の物件から見ることにして、公園の向かいにあるグランドアパートを目指す。
うわぁ!アパートってこれ!?なんだか映画に出てきそうな洋館じゃないの。
空き家のようにも見えるが、車が停まっているし玄関まわりは住んでいる気配がある。


アパートらしくないのはそのはず、旧佐々木家という邸宅だったらしい。
見ると隣の家も反対側の隣も洋風の屋根だったり洋室付きだったりする。
この辺はちょっとセレブな人々が住む場所だったのだろう。


第二次大戦後には接収され進駐軍将校の宿舎になっていたとか。


そのあと県庁に車を停め仁風閣を見に行く。
昼食を12時に鳥取駅近くのたくみ割烹で予約しているため、見学はかなり駆け足となってしまうが、
外すわけにはいかない。気が急くときに限って、周辺を工事しているせいでぐるりと反対側まで
回り込まねばならない(汗)。

広い芝生の庭の中央に建つ白亜の洋館はまるで外国のお城のようだ。
1907(明治40)年に皇太子行啓のために造られた。
青々とした芝生の奥に日本庭園もあり、ウェディングの撮影が行われていた。

外観をぐるっと見て回った後中へ入る。
明治の迎賓館なので本格的な洋風意匠が満載である。モールディングがめぐらされた高い天井、
ゴージャスな装飾のついたカーテンボックス、腰板張りの壁。そして暖炉も必需品。


いくつかの暖炉にはタイルが貼られていた。
御座所という一番豪華な部屋の暖炉に貼られていたのは美しいグリーンのタイル。
イギリス製のビクトリアンタイルだ。フラックスマンという有名な陶芸家の作とか。

右側には王子、左側には王女の顔のレリーフがあるらしいが、この部屋は立ち入り禁止のため、
王女の顔は拝めなかった。

こちらの畳敷きの部屋の暖炉にもタイルがあった。


銅版プリントタイルと思われる。


塔屋の部分には美しいカーブを描く螺旋階段が。残念ながらここも立入禁止だった。


そろそろ行かないと時間がヤバイ・・・
ここから県庁に置いた車まで戻るか、それともバスかタクシーでまっすぐたくみ割烹まで行くか。。。
仁風閣から駅前までは2kmぐらいあるので12時には完全に間に合わない。
しかしその途中にチェックしている近代建築が2件ほどあるのでそれを見がてら歩いて行こうとの案が。
たくみ割烹は混んでいて遅れたら迷惑がかかるんじゃないかと小心者の私はドキドキするのだが、
連絡一本、合理的な行動を貫くmayumamaさん(笑)。


おかげで見れたのがこれ、わらべ館(旧県立図書館)。


そしてこちらの五臓円ビル。「五臓円」とは物々しい名前だが、薬局だったようだ。


鳥取市内に現存する最古の鉄筋コンクリート造建築という。渋い外観にピンクの縁取りが
ちょっとかわいすぎる。。。今はギャラリーやカフェの入ったまちの拠点となっているという。


明るい緑やベージュなどミックスカラーのスクラッチタイルは商船三井築港ビルのタイルと似ているな。
いろんな色合いが混じって深い味のある質感を作り出している。


階段の手すりの穴に嵌っている格子は意味ありげな模様。木のようでもあり錨のようでもあり
文字のようでもあり。。。


続く。



鳥取の円形病院

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鳥取の続き。

たくみ割烹での昼食は2階の個室に通され、うれしいような、残念なような・・・1階の方が器などが
たくさん飾られ民芸を感じられるインテリアだったから。


まぁそれでも料理が来るまで廊下に飾られた額などを見たり料理の器を愛でながら食事をし、
帰りがけに1階も見せてもらった。


昼食後は隣の鳥取民藝美術館で焼き物や木工品などを鑑賞して目の保養。
島根~鳥取の数々の民芸窯へはゆっくり訪れたいと思っている。今回もひとつぐらい行けるか?という
話も出たが、見だしたら他へ行けなくなるので今回はパスしたのだった。
ま、結果的にそんな時間は全くなかったのだが(苦笑)。



さてこのあとも同行メンバーのいざないで、何かレアな建物に入れるというのでついていく。
・・・おや、あれのこと?

うわぁ~、円形!!すごい!鳥取にこんなのがあったのか!
円形校舎はいろいろ見ているが、これは円形病院だ。

旧横田胃腸科外科医院。今日はイベントをやっているので中へ入れるらしい。うぉ~~興奮!

院長が引退され空き家となっていたこの素敵な建物を活用して、ホスピテイル・プロジェクトという活動が
行われている。アーティストによる展示、ワークショップ、講演会などが開かれ、一般の人もこの空間を
楽しむことができる。

1階はワークショップをやっていたのか作りかけの屋台のような造作物が通路いっぱいにに置かれ、
建物がどうなっているのかもよくわからない状態。。。


階段を上がって2階へ行くと、おぉ、丸い。。
円筒の中心に柱があり、その周りに水場が。廊下の外側に部屋のドアが並んでいる。




そのうちの一室は、人々が持ち寄った本を集めた図書室となっていた。月1回開館しているとか。
お茶も飲めるらしく、時間があればここでまったりしたいなぁ。


部屋の大きさはいろいろで、ドアとドアの間に壁がほとんどとれないほど細かく仕切られている部屋もある。
開いているドアから中を覗くと、まるでショートケーキのような細い三角形(もはや扇形ではない)の
スペースで、両側の壁に手が届きそうな部屋は病室だったんだろうが、狭すぎないか?(笑)


小分けされた部屋はカプセルホテルや個人オフィスとして使えそう。占い部屋にもぴったり(笑)。
これが新しい駅前ビルだと全く面白くない。やっぱり、今では作れ(ら)ない構造や形もそうだし、
歴史やストーリーのある建物の魅力に、人々は吸い寄せられるのだろう。
そういう建物に寄ってくる感性が、まちを面白くするのだと思う。

いろんな法的制約もあるだろうが、これからの活用がとても楽しみ!!

さぁ、車へ戻ろう。時間が迫って来ているのでタクシーに乗ろうと思うのだが、探すと来ないもの。
結局歩いてしまった。
通りすがりの鳥取赤十字病院がインパクト大!


この突き出た部分はスロープだ。しかも水平連続窓。うぉ~っ!変わっているなぁ。
去年だったか、洋風建築めぐり講座で階段の代わりにスロープのある小学校を見学したのを思い出した。


こちらも目を引かれる建物。鳥取敬愛高等学校の校舎。L字型をしたかなり大きな建物。

鳥取は戦後建築も面白いなぁ!

一面豆タイルのモザイク画は小さき花園幼稚園。歩道橋が真ん前にあるので正面から全体を眺められないのが
ちょっと残念。。。


もうタイムリミットが来ているのに最後のあがきで鳥取三洋電機の建物を見に行く。
パナソニックに買収された三洋電機の直轄する最後の事業である三洋テクノソリューションズ鳥取
投資ファンドに売却されることが決まり、三洋電機が消滅することになる、というニュースを少し前に見たが
その三洋テクノの母体が、1966(昭和41)年に設立された鳥取三洋電機だという。
旧鳥取大学跡地に作られたという工場がここだったんだな。この洋館は鳥取大学農学部の前身である
旧鳥取高等農業学校の建物なのだとか。
三洋消滅のニュースを象徴するような広大な空き地がなんとも寒々しく、ぽつんと佇むこの建物が
とても寂しげに見えた。。。


もちろん中には入れず、柵の外からぱぱっと写真を撮ったら、一路空港へ!!
ナビの到着時刻はチェックインに完全に間に合わない時刻を表示しており、もうこれは運転手の
Tさんと天に任せるしかないと、平静を装いながらも、飛行機に乗り遅れたら特急で帰るしかないなぁと
考えていた・・・(汗)。
しかしTさんの華麗な運転のおかげでぐんぐんと到着時間は短縮され、何とか間に合った!!

慌しくも充実した二日間、同行の皆さんほんとにありがとうございました。

おわり。

2015.3.21~22 松江、三朝、鳥取の旅 もくじ

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スカイマークの神戸~米子便を使いたいという個人的にあたためていた計画から、一気に4人の
グループ旅行に発展。結果、米子を全く見ないで素通り(苦笑)、松江と鳥取という米子からはるか
離れた町で、建築三昧の旅となった。

松江の近代建築めぐり ~その1
松江の近代建築めぐり ~その2
三朝温泉 木屋旅館
鳥取の近代建築めぐり
鳥取の円形病院

同行の皆さん、ありがとうございました~

宝塚温泉の珈琲館

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仕事で宝塚へ。宝来橋を渡って温泉街の方へ行ったのは初めてかも。
宝塚に温泉のイメージは薄いが、宝塚温泉は鎌倉時代から存在が知られたという意外に古い温泉だったようだ。
明治初期に近代的な温泉場が作られ鉄道開通により客が増え、一大温泉場として発展してきたが、
風情のある温泉街らしいまちなみは今はすっかりなくなってしまったと聞いていた。
 →興味深い宝塚温泉の歴史はこちら

仕事の後駅へ戻ろうと歩いていたら・・・おや、あの建物はなに?


何か古そうな建物だ。窓の格子もいい感じ。喫茶店になっているのか~。
しかし、ドアを押してみたが閉まっていて電気も消えていた。


外壁は布目タイル、らんまの格子は木製でアールデコ崩れのようなデザイン。
大正~昭和初期の香りが素敵だなぁ。


新しく取り付けられた「珈琲館」という切り文字看板の上、壁に取り付けられた文字は
元の屋号だろうが、何と読むのだろう?
左端は「金」だが、右の二文字がよくわからない。「金星堂」?「金里堂」?
しかしスマホで検索しても全く出てこない。
「珈琲館」で検索しても出てこないのは不思議。もう閉店してしまったのだろうか。。。


いろいろ単語を組み合わせて検索していると、やっとひとつ引っかかったサイトから、
その建物が「とり金旅館」という旅館だったという情報を得た。・・・はっ!!
ここでようやく気がついた。あぁ、右から読むのか。
「○○金」だから○○は「とり」のはず。じゃあ真ん中の文字は「里」で合っているな。一番右は?
「と」なら「登」だろうが、どう見ても「登」には見えないよなぁ。他にどんな文字を当てる??

数年前から書道をやっている妹に解読してもらおうと写真をメールで送った。
妹が草書の字典で調べてくれ、この文字が確かに「登」のくずし字であることが判明。へぇ~
これにてめでたく「登里金(とりきん)」と解読成功!

しかしこれを入れて検索しても全くヒットしない。何で~~???何かいわくつきなんだろうか??・・・謎。


陸の上の舟

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仕事で阪神大石駅で下りて、都賀川沿いの桜を愛でながら歩く。


今年は雨や風で散ってしまうのが早く、桜の時季が短かった気がするが、この辺りではまだ残っていた。



期せずしてお花見ができてラッキーだった~

途中で川から逸れ、集落の中の道を歩いていたら、、、おや、船が。
海の近くとはいえこの辺りに造船所はないから、自家所有のボートを陸に上げて家の前の空き地に
置いてあるんだろう。


・・・ん?この船、よく見たらコンクリートじゃないの!?
どう見ても「乗ることがなくなって空き地に放置された船」。形はリアルなのだが、これが水に浮くとは思えない。
しかしモニュメントにしてはロケーションが殺風景すぎるし、アートにも見えない。何だこれは??

いったいどういう意図で作られ、ここに置かれているのだろうか。謎である。

・・・それともまさかこれ、水に浮かぶのか!?

と冗談半分で検索してみたところ、なんと、コンクリート船というものがあるらしい。
19世紀半ばから世界中で作られたが鋼製に比べ経済性に劣るためいったんは消えたのだとか。
それが日本でも第二次世界大戦中に船が不足し、再びコンクリート船の研究が進められ実際に作られた。
それは本当に水に浮き、実際に貨物輸送などに使われていたらしい。
そして何と、広島県の安浦で、武智丸という船が防波堤として今も湾内に置かれているというのだ!へぇ~!!

北九州の若松にある軍艦防波堤(響灘沈艦護岸)という、老朽化した軍艦(普通の鋼鉄製)を固めた防波堤のことは
情報として知っていたが、安浦のコンクリート船防波堤は知らなかった。
処分する戦艦を防波堤代わりに沈めたというのは各地の港であっただろうが、船の姿がそのまま
分かるような形で地表に現れている例はそれほど多くないだろうし、コンクリート船はそれ自体
少ないと思う。

検索していると、広島県の音戸の坪井漁港では戦時中に油槽船として作られたコンクリート船が使われないまま
防波堤にされているというのもあるらしい。
いやぁ、面白い。是非見に行きたいなぁ!!

私が見たコンクリート船も、あながち実用品だったのかも!?

石垣風タイル

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これまでに大阪市営地下鉄のタイルシリーズの記事をいろいろ載せてきたが、ここ1年ぐらいで
駅の改修工事が進んで姿を消してしまったタイルもあり、各駅で地域の特色を表そうとした人々の
工夫の跡がなくなってしまったようで寂しく思っている。

特注品の動物園前駅のタイルをはじめとして工芸品的な魅力を持つものも多いが、それも開通当初の
ものではなく、途中何度か駅の改修プロジェクトがあったのではないかと思われる。
谷町線の小口タイルを使ったモザイク風の模様などは、昭和4~50年代頃の改修で貼られたものでは
ないかと想像している。

さて今日仕事の後大国町駅から地下鉄に乗ろうと思ったら、、、地下への降り口の腰壁に素敵な意匠が。


一見石張りかと思ったら、焼き物。タイルなのだ!


粗い質感の土に織部釉の濃淡。玉石タイルのように台形やおにぎり形の大小など、見たところ少なくとも
10バターンはある。大きいものは30cmぐらいとかなり大きく、まぁちょっと大味だが、個性的なのでよし。




すべての入口でこのタイルが使われているのか見て回ってはいないが、地上の景観まで配慮していたということ。
なんで大国町で石垣風?という疑問はあるが、ミスマッチが面白いからよし(笑)。

浜坂のほたるいか祭り

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今年の春は週末何かと予定が入っていたため18きっぷを買っていなかったのだが、
1回ぐらいどこか行きたいなぁと思ってチケット屋など覗いては、1回残り券の値段の高さにもう諦めていた。
ところが期間最終週の土曜日になって、なんと1回分譲ってもらえることになった!小道さんありがとう~


こないだからほたるいかを食べに行きたいと思って乗り継ぎを調べてあった、浜坂へ行くことに。
そして何とうまい具合に日曜日にほたるいか祭りをやるというじゃないの!
但しイベントは13時半まで。これは途中特急に乗ってでも早く浜坂に辿り着きたい!
・・・というわけで、上郡から鳥取までスーパーいなばでショートカットして、12時過ぎに浜坂に到着した。
いつの間にか雨は止んでいる。


港まで結構あるので、駅前の観光案内所で2時間400円の電動自転車を借りて、スイスイと会場まで行く。
朝からずっと車窓は雨っぽかったので、中止かもなぁと思っていたが、ほたるいか祭りは盛況!


無料の試食をたらふく食べ、ほたるいかお好み焼きを買い食い、そして釜揚げと生のほたるいかを購入!
小一時間ほたるいか祭りを堪能した。




そのあと港を少しうろついたのだが、人気のない船溜りはなんとも風情があって、フォトジェニックだ。


古い木造の建屋の下にはカゴや網やロープなど、普段使いの漁業の道具がきれいに格納され、
船は等間隔に岸へ引きあげられている。


背景にはそそり立った岩、木々の間から立ち上る靄。人の営みの美と自然の美の調和。
あぁ、なんと美しいのだろう。


お祭りの楽しげなアナウンスが聞こえてくるが、ここには誰もいない。この風景を独り占めである。
あぁ、何という贅沢。。。

霧雨の粒がだんだん大きくなってきたので、そろそろ移動する。

ジオパーク館から出てきたら雨は本降りになっていた。浜坂のビーチは雨に煙り、白い波頭を立てている。
去年の春に犬を連れてここに来たことを思い出す。犬は去年の秋に病気で亡くなってしまった。

傘をさしながら浜坂の街並みの中を走り、「石垣並の味原小径」へ。曲がりくねった小さな水路沿いに
建つ家々の基礎の石積みが、雨に濡れて美しい。


ふっくらした切石積は柔らかい凝灰岩。竜山石のように色味も多彩だ。





雨もひどいので、もう鳥取へ移動することに。

鳥取はこないだ行ったとき入れなかった駅前の温泉銭湯に入ろうという魂胆。雨で寒いし早いとこ温まろう。
しかしマップの情報を見ると、4ヶ所あるお風呂屋のうち私が入りたい宝温泉が16時からだとは!
ん~、せっかく早く来たのに16時まで時間をつぶすか、諦めて他へ行くか、それともハシゴするか・・・
悩みながら鳥取駅で下りたら、おや、見知った姿が・・・
昨日写真展の撤収でご一緒していた前村さんが!偶然にびっくり(笑)。浜田へ向かうという前村さんと別れ、
とりあえず4ヶ所のお風呂屋を一通り見ながら歩いていくが、あぁ、やっぱり宝温泉がいいなぁ。。。

10分ほど前だったが、「もう入れますか?」と聞いたら、「いいですよ」と。あぁ、よかった!
帰りの電車が16時58分とあまり時間がないので少しでも早く入れるのはありがたい。しかも一番風呂だ~!

硫酸塩泉で、源泉を少し加熱しているが、混ぜものはしていないとか。

昭和そのままの脱衣所、中央に一つだけのシンプルな浴槽。シャワーなしでカランのみ。素朴・・・
あぁ、ここに来てよかった!
湯温はそれほど高くないのに入るとピリピリとしてとてもあたたまるお湯だった。

4軒のうちで駅から一番遠いところにある宝温泉。
満喫しすぎてちょっと長居しすぎてしまい、またまた駅まで走るハメに・・・ゼイゼイ(汗)
危うく予定の列車に乗り遅れるところだったが、鳥取着の対向列車が遅れていたため出発が3分遅れ。
ホームへ駆け込んだらもう汗だく・・・せっかくさっぱりしたのにぃ~

帰りは智頭急行の各駅停車で、暮れゆく山あいの田園風景に心癒された。

にわか仕立てで現地滞在時間5時間の短い日帰り旅だったが楽しく有意義な一日だった!

お風呂に入りに、泉佐野へ。

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日曜日の午後、選挙に行って、日々の買い物をして、さて時間が空いた。このところ肩凝りがひどいし、
ゆっくりお風呂に浸かりたいなぁ。どっかいいお風呂屋ないかな・・・
というわけで3時頃から泉佐野へ。

久しぶりなので駅前をちょっとうろついてから、お風呂屋へ向かう。
大将軍湯はずっと前から目をつけていて何度か入ろうと思ったのだが一時休業していた?今まで入れないまま
すっかり忘れていたのだが、ネットで見て今もやっているらしいことを知った。
ただ定休日の情報が交錯しているようだったが、あぁやっぱり「本日休業」。。。


しかし、入り組んだ集落の中に佇む、変わらぬ姿にほっとひと安心。




裏側も雰囲気抜群。この一帯丸ごと保存したい!


休みで残念だったが、他にも古いお風呂屋があることをネットでチェック済みで、入りっぱぐれることは
ないだろうとの目論見もあり、次へ向かう(笑)。



今度は駅の山側へ歩いていく。この辺り以前もちょっと歩いたが、こんな駅近にお風呂屋があることは
気づいていなかったな。立派な枝ぶりの松の向こうに・・・日の出湯。

写真を撮っていると次々人が出てきて、カメラを持っている私は人々の日常生活の中に
土足で踏み込んでいるような後ろめたい気持ちに・・・ちゃちゃっと撮り終えて入ろう!

ほぉ~~!内部も駅前と思えない高品質レトロ。シンプルな構成のお風呂でリラ~っクス。
脱衣所も浴室も、常に3~4人とは言え、次から次からお客さんがやってきては入れ替わる。
常連さんと朗らかに話す番台のおばちゃん。おばちゃんとのおしゃべりを楽しみにしている
お客もいるんだろうな。


はぁ~~あったまった。
帰り際に日の出湯の夜の顔を撮ろうと構えていたら、やっぱり次から次から人が出入り。
繁盛しているなぁ!


大将軍湯の代わりに入った日の出湯だったが、とても満足!また泉佐野に来よう。

二つのタワー

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もうすでに3ヶ月も経ってしまったが、1月の3連休に行った旅の記事を・・・・

ジェットスターの早朝便で福岡空港へ。
福岡空港はもうおそらく10年ぶりくらいで、かなり久々だが相変わらずまちに近くて便利~
博多駅に地下鉄で6分なんて、そんな大都市の空港は他にないだろう。
まだ9時前だ。このままJRで久留米へ直行する予定だったが、せっかくなのでちょっとタワーを見て行こう。

ネットでアクセスを調べると、地下鉄で西新まで行ってバスに乗り換えて港まで・・・と。
段取りよく乗ったバスの車窓からは、ヤフオクドーム、ヒルトン・・・そして見えてきたのは、
ギンギラギンのミラーガラス張りのスリムなタワー。うわっ、これは福岡タワーだ!

私が行こうとしていたのは、博多ポートタワー。全然ちゃうやん・・・(苦笑)
情けないやら悔しいやら・・・(恥)

よし、今から博多ポートタワーも行くもんね!!二つのタワーをハシゴだ!
バスと地下鉄で天神まで戻り、またバスに乗り換え。そして、、、、おぉ、これよ、これ!


内藤多仲のタワー6兄弟の末っ子。1964(昭和39)年に完成した高さ100mのタワーである。
展望台は70mの高さで、六兄弟のうちでは別府タワーに次いで低い。


頭でっかちで東尋坊タワーのようなフォルム。鉄骨の質感は薄めだけど、やっぱり昭和のタワーは素敵。
ギンギラギンの福岡タワーより断然カッコイイ!
まわりがごちゃごちゃしているのもいいんだよ。足下にはフェリー乗り場、土産物屋、フードコートの
ような(?)食事処。外国人観光客が次々とやってくる。


フェリー乗り場は改修工事中。ここから、近隣の島へ市営渡船が出ているほか、壱岐や対馬、
五島へ行く船もでているのだ。どちらも乗ってみたいなぁ~。夢が広がる~






タワー違いのおかげで時間もかなり押しているし、上まで上るのはどうしようか。。。
展望台入場料800円もお金払ってトンボ帰りじゃあもったいないしなぁ・・・と思ったのだが、
それは福岡タワーの料金だった(笑)。何とここは無料なんだって!?え~っ、ほんとに??
じゃあささっと上ることにしよう。

「いま韓国のお客さんが出られたところなのでゆっくり見れますよ」
チャ~ンス!しかし無料だなんて、太っ腹!維持は大丈夫なのかなぁ。

エレベーターは上昇中全く外が見えない。上に着いたらいきなり視界が開けた!
おお、こじんまりしているが逆台形断面のガラス張りは確かに昭和のタワー。いいねぇ!
ガラスが曇っているのが難点だが、360度、博多湾を見渡せる。双眼鏡はデジタルの今仕様になっているな。
意外とメンテナンスが入っているようだ。


博多パラダイスのメイン施設として開業したが営業不振で売却、「博多プレイランド」となったが閉園。
一時期福岡市民図書館が入っていたこともあったが、1975(昭和50年)福岡市に移管され、
博多港PRセンターとして現在に至っているとか。
1964年の開業から去年で50周年を迎えた博多ポートタワー。まだまだ、現役でがんばって!
福岡タワーには負けてないよ~!


お客が増えて来たのでそろそろ下りよう。
さて、またバスで天神へ戻り、西鉄で久留米へ向かう。

続く。


久留米をうろつく ~高牟礼会館

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博多からの続き。

西鉄久留米駅でレンタサイクルを借りて、まずはJR久大本線の南久留米駅を見に行こう。
地下の駐輪場から地上へ出てきたら、どっち向いてるのかさっぱりわからなくなり、しばしキョロキョロ、
地図をくるくる(汗)。決して方向オンチではないんだけど、、、駅前は複雑な構造なんである。

ようやく理解して走り出す。通りに面して古そうな家が。


裏手の方が面白そうなので入り込んで、田舎のような細いくねくね道を行く。
洋館付きのお宅もあるし、楽しいなぁ~




おや、あれは何?覗き込んだ道の奥になんかただならぬ気配。


ふらふらと近寄っていくと、おぉ!すごい洋館が。
「高牟礼会館」。問合せ先は「公益財団法人久留米文化振興会」となっている。
久留米の近代建築もちょっとチェックしてあったが、これは知らなかった。


住宅ではなさそうなのでそろそろと門を入り、受付のおっちゃんに見せてもらえるか聞いてみた。


今は文化教室の場所として使われているそうで、ちょっと戸惑った様子ながらも、まぁいいですよと。
玄関もロビーもいい感じ!奥にあるお庭が窓越しに見えている。


右手に会議室が2つ。第2会議室は、エンボスの金属板天井、大理石のマントルピースがあるものの
比較的おとなしい装飾で、こじんまり実用的な印象。


換気口を兼ねた照明の台座部分。


第3会議室は、偉い人の部屋だったんだろうか、それとも応接室だったのだろうか。
天井は木製で豪華なつくりになっていて、マントルピースもある。





変に改修もされておらず、使い続けられてきたそのままの感じが好印象。

ロビーの左手には和館がつながっており、ガラス戸の向こうに廊下が奥まで伸びていた。
その先へ入るのはちょっと遠慮して、受付のおっちゃんと少し話をする。聞いた内容は、、、忘れてしまった(汗)
やっぱりすぐ書かないとなぁ。。。

ネットで検索してみたところ、あまり知られていないようで情報が少ししかでてこないが、
もとは旧有馬藩士の板垣別邸として明治期に建てられたものだとか。。。
こちらのサイトによると、国分村役場、旧陸軍第18師団長官舎として使用され、戦後は米軍により接収、その後
久留米市長公舎、助役公舎、市職員共済会館「高牟礼荘」への転用を経て、現在は文化施設となっているそうだ。

建物の側面もハーフティンバーでかなり凝った意匠となっている。窓が段違いに並んでいるところはトイレ。
壁にキラキラと木漏れ日が降り注いでとても美しいなぁ!


裏庭は洋館付近は明るい広場になっていて、和館に面した方は緑が濃くなっている。
外から和館を覗くと、豪華ではないが上質な感じの座敷がいくつも並んでいた。


住宅街の中にひっそりと、こんな素敵な洋館が隠れているなんて、久留米って面白いなぁ~!


続く。

珈琲館サモア

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なんばの府立体育館近くの珈琲館サモア、ずっと前から気になっていたが、先日ちょうどお昼時に
通りかかったので入ってみた。


名前からして内部は南国っぽい雰囲気なのかとちょっと想像したが、南国は全く関係ないようだ(笑)。
コーヒー豆の産地なんだろうか。
カウンターとテーブル席があって割と広く、カラオケもできるらしい(笑)。


頼んだカルボナーラのお味は置いといて・・・


キャラクターのぬいぐるみがぶら下がっていたりと、とっても庶民的な「ラウンジ」サモアであった。

珈琲屋 よしの

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各停駅であるJR学研都市線の野崎駅は、昔一度降りたことがあったな。
駅の目の前に水路が線路と並行して走り、改札を出るとすぐ橋という駅前構造が、京阪の藤森あたりと
似た感じで印象に残っていた(景観はもちろん疏水に負けるが/苦笑)。
今もその時と変わらぬ、素朴で、上りホームへ直アクセスの古い構造で、結構私好みの駅。


電車が来るまであと10分くらいあるのでちょっと駅前を偵察、と思ったら、早速水路の向こうの渋そうな
喫茶店が目に入った。近寄ってみると、おおっ、なかなか良さげじゃないの!

珈琲屋よしの、COFFEE HOUSEよしの、COFFEE SHOPよしの、、、

ランチはしっかりした定食があるな。・・・と、店のママさんが出てこられ「もうランチやってますよ」と。
それじゃあまだちょっと時間は早いけど食べていくことにするか。
ドアを開けると、、、おおぉ、いい感じ!

クランク状の古いカウンター、明るい窓際のテーブル席。手前には特別席っぽい少し引き込んだテーブル席が。
どこに座ろうか迷うところだが、タイミングよく特別席が空いたのでそこへしっぽり。
しかし店を見渡すには中央あたりのテーブル席がよかったかも。。。

素敵な純喫茶はサンドイッチぐらいの軽食しかないところも多いがガッツリ食べられる定食があるのは
ありがたい。周辺で働く人が多いということだろう。

リバーサイドのオアシス、いつまでも頑張ってほしいなぁ。

久留米をうろつく ~南久留米駅

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久留米続き。

高牟礼会館を出て、またもや「ここはどこ?」状態。観光案内所でもらったマップにはこの辺りは載っていないため
スマホでグーグルマップを見ながら、あらぬ方角へ折れ曲がる道を自転車で進んで行く。
大型の商業施設が建つ通りへ出、こんなところにあの南久留米駅の木造駅舎があるのか??と不審に思い始めた頃、
唐突にそれは現れた。
おおっ!


大通りの正面に堂々と、古い木造駅舎が建っていた。横には寄り添うようにタクシー会社が。
そこだけまわりから隔離されて時間が止まったようだ。山間部のローカル線にでもいると錯覚してしまいそう。。。


つい数ヶ月前に訪れた東別府西大分上臼杵東中津、南熊本、、、私鉄でも彦根口、西大垣、、、
主要駅のすぐそばにひっそりと残る木造駅舎をいろいろ見てきたが、ここもそんな駅のひとつ。




昭和3年。蟻!?


南久留米駅は有人駅。レトロを売りにした感は全然なく、手を入れながら使い続けられたそのまま・・・
こういう歳のとり方をしたい・・・そう思わせるような駅だ。


今は築堤の下の通路をくぐり島式ホームへ上るようになっているが、もとは駅舎側から直接アクセスできる
ホームがあったのだろうか。ツツジに半分埋もれかけた階段やスロープの先は、フェンスで閉ざされていた。


ミスマッチ?いやいや、この駅が先にここにあったのだ。周辺の開発状況に左右されることなく、
これからもデーンと構えていてほしいなぁ。


南久留米駅から北へ向かい、またちょろちょろ寄り道しながら久留米駅へ向かう。


現代的なまちのところどころに古い「むら」を感じさせる景観や昭和な景観が混在していて、走っている
だけで楽しい気分。



西鉄久留米駅を越えて今度は都心部をうろつこう。

チェックしていた近代建築の点をつないでめぐりながらも、地元密着型のお店や商店街、歓楽街など、
まち全体が面白い。
西鉄の駅も、バスターミナルと一体になっていて、構内には自家製とみられるお餅を売る店、野菜を売る店、
漬物を売る店などが軒を連ねていた。ここには古き良き「駅前」がある。


古いものが現役で使われている。年代の違うものがいろいろ混ざっている。共存している。


オフィス街、商店街、歓楽街、、、それぞれのエリアの境界が交じり合いゆるやかに広がっている。


まちってそういうもの。




久留米は福岡県では三番目の大都市。質の違うものを受け入れる、懐の広いまちは魅力的だ。


続く。
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