熊本の続き。
※これは2016年11月の旅です。
近くに円形分水があるらしいので行ってみよう。
通潤橋から円形分水へ向かう途中に聖橋がある。これもかなり大きなアーチで堂々たる姿だ。
現役の車道は後年横に作られたのだろう、手前の草むした道が1832(天保3)年につくられたもので、
歩行者は今も使っているように見える。
180年以上前に作られた石のアーチ構造が今なお変わらず鑑賞の対象としてだけでなく人々の実用の役に
立っているとは、本当に素晴らしいな!
そこから川沿いの道を走り10分ほど行く。「円形分水」という案内が出ているので安心して進むことができる。
ちゃんと観光資源として位置づけられているのだ。
円形分水は円筒分水とも呼ばれ、たいがい田舎の農地の片隅などにある。長年農地としてままならかった
地域への灌漑施設の一部としてや水争いの続いてきた地域に平和的解決策として作られることが多い。
近年土木遺産として注目されてきており、田舎の観光スポットになっている。
ここでも美しい里山の集落の一角にトイレと駐車スペースが整備されており、一組の先客がいた。
うわぁ、美しい。正円形の同心円状のますの中央から、透明な水がもりもりと湧いている。
コンクリートの縁を乗り越えた水はカーテンのようにふわっと広がりながら全方位に等しく流れ出す。
・・・実際は一部枯れ葉が溜まっていて妨げられていたが(苦笑)
生活がかかっていた時代にはメンテナンスに余念がなかったことだろう。
この円形分水は通潤用水の一部施設である。
通潤用水とは、三方を川に囲まれた高台であるため水に不自由していた白糸台地の農民の強い願いを受けた
惣庄屋の布田保之助の尽力により整備された灌漑用水で、笹原川の上流から取水している。1857年に完成。
円形分水は1956(昭和31)年に完成している。それまでは樋などで分水していたと思われるが
水量をめぐっていさかいもあったことだろう。
用水の水はこの円形分水で正確に7:3に分けられ、そのうち7が通潤用水として通潤橋を通って
白糸台地へ運ばれる。水は用水路を経て上の田から下の田へと無駄なく引かれ利用される。
通潤用水の受益地は118ヘクタール。水が来ることにより荒地が作物を生み出す土地に変わるのだ。
これもまた逆サイフォンの原理であり、ここからいったん地下へ落としたパイプを通じ円形分水の中央に
垂直に湧き上がらせることで、水流に左右されない分水が可能となるのだ。
すっかり葉の落ちたイチョウの脇で、絶え間なく溢れ出す自然の恵み。本当にありがたいことだなぁ。
ところでここの集落に見られる石蔵が実に味わいがある。凝灰岩と見られる濃灰色の石を整形して積み上げ、
なまこ壁のようにしっくい目地を盛り上げてあり、コントラストがくっきりと際立つ。
石造建築の蔵は特に珍しくないが、これはかなり派手で見映えがするな!それも邸宅などでなく
普通の農村で誰に見せるものでもないのにこんな美しい仕上げをしてあるのだ。
小さな集落の中を歩くとすぐ3棟見つかった。土壁と併用しているもの、全部を石積みとしているものがある。
いずれも道路に面した目立つ場所に建ち、少しほころびはあるもののどっしりとして主屋以上の存在感を示している。
このような石蔵は今回の旅の間でもここでしか見かけなかった。
美しい田園の中の美しい集落。こういう風景にふと出会えるのも旅の楽しみ。
続く。
※これは2016年11月の旅です。
近くに円形分水があるらしいので行ってみよう。
通潤橋から円形分水へ向かう途中に聖橋がある。これもかなり大きなアーチで堂々たる姿だ。
現役の車道は後年横に作られたのだろう、手前の草むした道が1832(天保3)年につくられたもので、
歩行者は今も使っているように見える。
180年以上前に作られた石のアーチ構造が今なお変わらず鑑賞の対象としてだけでなく人々の実用の役に
立っているとは、本当に素晴らしいな!
そこから川沿いの道を走り10分ほど行く。「円形分水」という案内が出ているので安心して進むことができる。
ちゃんと観光資源として位置づけられているのだ。
円形分水は円筒分水とも呼ばれ、たいがい田舎の農地の片隅などにある。長年農地としてままならかった
地域への灌漑施設の一部としてや水争いの続いてきた地域に平和的解決策として作られることが多い。
近年土木遺産として注目されてきており、田舎の観光スポットになっている。
ここでも美しい里山の集落の一角にトイレと駐車スペースが整備されており、一組の先客がいた。
うわぁ、美しい。正円形の同心円状のますの中央から、透明な水がもりもりと湧いている。
コンクリートの縁を乗り越えた水はカーテンのようにふわっと広がりながら全方位に等しく流れ出す。
・・・実際は一部枯れ葉が溜まっていて妨げられていたが(苦笑)
生活がかかっていた時代にはメンテナンスに余念がなかったことだろう。
この円形分水は通潤用水の一部施設である。
通潤用水とは、三方を川に囲まれた高台であるため水に不自由していた白糸台地の農民の強い願いを受けた
惣庄屋の布田保之助の尽力により整備された灌漑用水で、笹原川の上流から取水している。1857年に完成。
円形分水は1956(昭和31)年に完成している。それまでは樋などで分水していたと思われるが
水量をめぐっていさかいもあったことだろう。
用水の水はこの円形分水で正確に7:3に分けられ、そのうち7が通潤用水として通潤橋を通って
白糸台地へ運ばれる。水は用水路を経て上の田から下の田へと無駄なく引かれ利用される。
通潤用水の受益地は118ヘクタール。水が来ることにより荒地が作物を生み出す土地に変わるのだ。
これもまた逆サイフォンの原理であり、ここからいったん地下へ落としたパイプを通じ円形分水の中央に
垂直に湧き上がらせることで、水流に左右されない分水が可能となるのだ。
すっかり葉の落ちたイチョウの脇で、絶え間なく溢れ出す自然の恵み。本当にありがたいことだなぁ。
ところでここの集落に見られる石蔵が実に味わいがある。凝灰岩と見られる濃灰色の石を整形して積み上げ、
なまこ壁のようにしっくい目地を盛り上げてあり、コントラストがくっきりと際立つ。
石造建築の蔵は特に珍しくないが、これはかなり派手で見映えがするな!それも邸宅などでなく
普通の農村で誰に見せるものでもないのにこんな美しい仕上げをしてあるのだ。
小さな集落の中を歩くとすぐ3棟見つかった。土壁と併用しているもの、全部を石積みとしているものがある。
いずれも道路に面した目立つ場所に建ち、少しほころびはあるもののどっしりとして主屋以上の存在感を示している。
このような石蔵は今回の旅の間でもここでしか見かけなかった。
美しい田園の中の美しい集落。こういう風景にふと出会えるのも旅の楽しみ。
続く。