新潟の続き。
北方文化博物館新潟分館に行く前に、その向かいにある旧齋藤家別邸にやってきた。ここも大邸宅だ。
新潟の三大財閥のひとつであった齋藤家の最盛期に、四代目が建てた別荘で1918(大正7)年築。
12年前(平成17年)まで個人所有だったが、現在は市の所有となっている。
ちょうど数寄屋の美意識に着目する「旧齋藤家別邸の美と技10選」という企画展をやっていた。
ここでもボランティアガイドさんがお庭の説明を始められていたので、私たちも便乗してついていく。
江戸の作庭師、二代松本幾次郎とその弟亀吉が作ったと言われる江戸風の名庭園であるが、
この日は雨天のため庭に出るのは禁止だとか。。。えー残念。
池泉式庭園には上の滝と下の滝の2つがあり、音が複層的に聞こえてくる。
池の中央にある島状の部分が庭園の中心となる。池は左右対称でなく「心」の文字のような形を
しているので「心字池」と呼ばれ、作庭の基本パターンのひとつである。
池の向こう側でぐっとせり上がった斜面はもともと自然の砂丘であり、そして庭に生えた大きな松は
もともと防風林、防砂林として植えられたものを庭園に取り込んだのだとか。ほほぉ~
鞍馬石や赤玉などたくさんの銘石が目につく。全国各地で産出する石がここにあるのは、
江戸の町では明治になってから大名屋敷が解体され、その庭園にあった庭石を作庭師が各地で
使ったことによるという。なるほど!
「庭屋一如」(ていおくいちにょ)という言葉は、建物と庭を一体と考える意味のことばで
この屋敷全体にその理念が行き渡っていることが、館内の至るところで感じられる。
庭はいろんな表情がある。小さな茶室の窓からは侘び寂びを感じられる地味な日陰の部分を見せたり、
窓の上の方だけすりガラスを入れることであえて多くの花を見せず少ない花を愛でさせたり、
滝が物陰に隠れるアングルにしたり、切り取り方で各部屋の目的に合ったお庭を見せる仕掛け。
2階に上がるとまたガラッと雰囲気が変わる。座敷に座った目線から池は全く見えず、樹木も
幹は見えずこんもりと茂った葉の部分だけが目に入り、季節ごとのグラデーションを楽しめる。
庭師と大工の連携により計算され尽くした完璧なコラボレーション!!すごいなぁ~
建物が完成してから2年後に庭が完成したという。
しかし、ガイドさんの説明を聞かなければそこまで深く見れず、おかげで庭の奥深さを知ることができた。
建物も凝っている。竹、丸太、皮付の材など自然のままの形を残した材や珍木を使った
数寄屋の意匠が多いが、総じて上質な材が使われている。
キョロキョロして冊子に載っていた意匠を探しながら建物内を回ったが、いくつかは
見つけられなかった。。。
この欄間は菊の花の部分も一枚板から掘り出してある。はめ込んであるのではない。
2階の座敷の書院の裏に曲面扉の地袋がある。書院の透かし彫りをよく見ようと近づくと、
この地袋が目に入る。高い技術の要るこの造作を自慢したいが、これ見よがしでなくさりげなく
気付かせるように仕組まれているのだとか(笑)。面白いなぁ。
この床脇の透かしもわざと分かりにくいところにある。分かる人だけが分かってくれればよい、
というスタンスなのだそうだ。
多色刷りの菖蒲柄の唐紙がふすまに張られている。素敵だな!
ガラスに絵が描かれたきれいな照明器具。
一応トイレもチェック。残念ながら珍しいタイルはなかった。さすがに3匹目のドジョウは
いないわな(笑)
色の異なる杢板を矢羽根状に張り合わせたトイレの天井。斬新だなぁ!
ガイドさんが言われていてはっとしたのは、新潟には城がなく商人のまちであるということ。
長岡藩の領地のあと幕府の直轄地になったと聞くと、現代の東京からの近さも納得できる。
北前船を所有していた新潟商人のや広大な田畑を所有していた大地主の財力は半端でない。
あぁここも見どころが目白押しだった。しかしお庭を歩けなかったのは残念。敷地の8割がお庭だと
いうから、あと6割ぐらいの楽しみを残したということか。庭の一角にある茶室も見れなかったし
もう一度見に来たいなぁ!
続く。
北方文化博物館新潟分館に行く前に、その向かいにある旧齋藤家別邸にやってきた。ここも大邸宅だ。
新潟の三大財閥のひとつであった齋藤家の最盛期に、四代目が建てた別荘で1918(大正7)年築。
12年前(平成17年)まで個人所有だったが、現在は市の所有となっている。
ちょうど数寄屋の美意識に着目する「旧齋藤家別邸の美と技10選」という企画展をやっていた。
ここでもボランティアガイドさんがお庭の説明を始められていたので、私たちも便乗してついていく。
江戸の作庭師、二代松本幾次郎とその弟亀吉が作ったと言われる江戸風の名庭園であるが、
この日は雨天のため庭に出るのは禁止だとか。。。えー残念。
池泉式庭園には上の滝と下の滝の2つがあり、音が複層的に聞こえてくる。
池の中央にある島状の部分が庭園の中心となる。池は左右対称でなく「心」の文字のような形を
しているので「心字池」と呼ばれ、作庭の基本パターンのひとつである。
池の向こう側でぐっとせり上がった斜面はもともと自然の砂丘であり、そして庭に生えた大きな松は
もともと防風林、防砂林として植えられたものを庭園に取り込んだのだとか。ほほぉ~
鞍馬石や赤玉などたくさんの銘石が目につく。全国各地で産出する石がここにあるのは、
江戸の町では明治になってから大名屋敷が解体され、その庭園にあった庭石を作庭師が各地で
使ったことによるという。なるほど!
「庭屋一如」(ていおくいちにょ)という言葉は、建物と庭を一体と考える意味のことばで
この屋敷全体にその理念が行き渡っていることが、館内の至るところで感じられる。
庭はいろんな表情がある。小さな茶室の窓からは侘び寂びを感じられる地味な日陰の部分を見せたり、
窓の上の方だけすりガラスを入れることであえて多くの花を見せず少ない花を愛でさせたり、
滝が物陰に隠れるアングルにしたり、切り取り方で各部屋の目的に合ったお庭を見せる仕掛け。
2階に上がるとまたガラッと雰囲気が変わる。座敷に座った目線から池は全く見えず、樹木も
幹は見えずこんもりと茂った葉の部分だけが目に入り、季節ごとのグラデーションを楽しめる。
庭師と大工の連携により計算され尽くした完璧なコラボレーション!!すごいなぁ~
建物が完成してから2年後に庭が完成したという。
しかし、ガイドさんの説明を聞かなければそこまで深く見れず、おかげで庭の奥深さを知ることができた。
建物も凝っている。竹、丸太、皮付の材など自然のままの形を残した材や珍木を使った
数寄屋の意匠が多いが、総じて上質な材が使われている。
キョロキョロして冊子に載っていた意匠を探しながら建物内を回ったが、いくつかは
見つけられなかった。。。
この欄間は菊の花の部分も一枚板から掘り出してある。はめ込んであるのではない。
2階の座敷の書院の裏に曲面扉の地袋がある。書院の透かし彫りをよく見ようと近づくと、
この地袋が目に入る。高い技術の要るこの造作を自慢したいが、これ見よがしでなくさりげなく
気付かせるように仕組まれているのだとか(笑)。面白いなぁ。
この床脇の透かしもわざと分かりにくいところにある。分かる人だけが分かってくれればよい、
というスタンスなのだそうだ。
多色刷りの菖蒲柄の唐紙がふすまに張られている。素敵だな!
ガラスに絵が描かれたきれいな照明器具。
一応トイレもチェック。残念ながら珍しいタイルはなかった。さすがに3匹目のドジョウは
いないわな(笑)
色の異なる杢板を矢羽根状に張り合わせたトイレの天井。斬新だなぁ!
ガイドさんが言われていてはっとしたのは、新潟には城がなく商人のまちであるということ。
長岡藩の領地のあと幕府の直轄地になったと聞くと、現代の東京からの近さも納得できる。
北前船を所有していた新潟商人のや広大な田畑を所有していた大地主の財力は半端でない。
あぁここも見どころが目白押しだった。しかしお庭を歩けなかったのは残念。敷地の8割がお庭だと
いうから、あと6割ぐらいの楽しみを残したということか。庭の一角にある茶室も見れなかったし
もう一度見に来たいなぁ!
続く。