寝屋川市役所へ行ったとき、裏手の壁にモザイクを見つけた。
デザイン田中忠雄、レリーフ羽渕紅洲。この市庁舎が建てられた1964(昭和39)年に
2人のコラボで作られた作品だとか。田中忠雄とは、小磯良平と親交があり影響を受けた洋画家、
羽渕紅洲は小川三知に師事しベニス工房を主宰したガラス工芸家で、共に青山学院大学初等部礼拝堂や
同志社大学今出川教会などのステンドグラスの製作に関わったことから交友関係があったという。
説明板によると、「和光」と題されたこの作品は、寝屋川を中心に「田園都市が太陽の恩恵を受け、
平和に近代都市として発展し、育っていくイメージを未来に託す」シンボルとして創られたという。
寝屋川は分かるが近代都市のイメージとかは正直ちょっと・・・わからないが(汗)、色とりどりの
モザイクは美しく、ガラスのテッセラやタイルなどを取り混ぜて、各色の部分で違った表情になっている。
タイルを大胆に割ったもの。
同系色のいろんな破片。
角を落としたガラス片はビーチグラスのようだ。
もともと市役所は商店街側が正面だっただろう、しかしこれがあるのは裏手の目立たないところ。
未来の寝屋川のシンボルなのだからもっと目立つところに取り付ければよかったのにな。
デザイン田中忠雄、レリーフ羽渕紅洲。この市庁舎が建てられた1964(昭和39)年に
2人のコラボで作られた作品だとか。田中忠雄とは、小磯良平と親交があり影響を受けた洋画家、
羽渕紅洲は小川三知に師事しベニス工房を主宰したガラス工芸家で、共に青山学院大学初等部礼拝堂や
同志社大学今出川教会などのステンドグラスの製作に関わったことから交友関係があったという。
説明板によると、「和光」と題されたこの作品は、寝屋川を中心に「田園都市が太陽の恩恵を受け、
平和に近代都市として発展し、育っていくイメージを未来に託す」シンボルとして創られたという。
寝屋川は分かるが近代都市のイメージとかは正直ちょっと・・・わからないが(汗)、色とりどりの
モザイクは美しく、ガラスのテッセラやタイルなどを取り混ぜて、各色の部分で違った表情になっている。
タイルを大胆に割ったもの。
同系色のいろんな破片。
角を落としたガラス片はビーチグラスのようだ。
もともと市役所は商店街側が正面だっただろう、しかしこれがあるのは裏手の目立たないところ。
未来の寝屋川のシンボルなのだからもっと目立つところに取り付ければよかったのにな。