熊本空港に降り立って、旅の始まり。
今回は車の運転に堪能なTさんとの旅ということで、熊本空港でレンタカーを借りて直接目的地へGO!!、
実はこの旅程、台風12号が九州、それもちょうど私たちが行こうとしている天草のあたりに上陸することが
ほぼ確実となり、タイミングもぴったり、3日間とも雨、暴風雨という予報だったので、飛行機も欠航に
なるかもしれず、旅行を取りやめるかという話も一度はしたのだが、宿でカンヅメも仕方なし、行ける
ところまで行こうかということで実行したのだった。
しかし飛行機は問題なく飛び、熊本空港もまだ雨が来ていない。これはいけるかも、と希望の光を見出し
早いうちに天草の教会を見に行くことに。
天草の地形はそれまでよく理解していなかったのだが、島である。
対馬と同じように、上島と下島の2つのかたまりがあって、本渡瀬戸という運河がその間を隔てている。
そしてこの島、結構大きい。。。空港を11時半頃出発して、途中でお昼に海鮮丼を食べたりしながら
車で走って、下島のいちばん南端にある崎津教会に着いたのはもう夕方の4時。空が明るくなったり
暗くなったり雨がぱらついたりしながらも風はなく、危険は感じなかった。
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崎津教会は小さな海沿いの集落にあった。民家の屋並の上に槍のように突き出した尖塔。素朴な日本の
漁村風景の中には唐突すぎるような、美しく気品のある建物。
普段着の漁民たちの中にすっと現れたイブニングドレスの西洋人女性、といった感じか。
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内部を見学したいと事前に連絡しておいたので鍵を開けてくれていた。
高いボールト天井。尖塔アーチの重なりが美しい。
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木製サッシの色ガラスを通して差し込む光は優しい色合い。外の不穏な空の色など全く映さない。
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誰もいない静寂の空間は、座っているだけで心が浄化されそうな気がする。
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約460年前日本にキリスト教が伝来して間もなく、天草でルイス・アルメイダ神父による布教が
開始されると瞬く間に信仰が広まり、天草の島民のほぼ100%がキリスト教信者となった。
しかし豊臣・徳川時代にキリスト教は禁止され、キリシタンへの弾圧が激しく行われた。
踏み絵などによる過酷な迫害に対し天草四郎が中心となり起こした反乱が、天草・島原の乱である。
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その後も禁教は続いたが人々は密かに信仰を守り続け、明治維新で禁教が解かれてようやく堂々と
キリスト教徒を名乗ることが可能になった。教会は明治以来3回建て直されており、ゴシック様式の
現建物は1934(昭和9)年に鉄川与助が建てたもの。今もこの崎津集落のほとんどの
住民がキリスト教徒であり、日々の祈りの場としてこの教会が使用されている。
長い長い禁教時代、信仰心を心の中に抑えこんでポーカーフェイスを余儀なくされた人々。
信仰の自由を取り戻した喜びはどれほどだっただろう。
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特徴ある2階ひさしをもつ民家。
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トウヤと呼ばれる細い路地は海への出入口。いいなぁ。
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入り江の海面は静かで、台風がそこまで来ているとは全く感じさせない。
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○に十字の軒先瓦。これは十字架なのだろうか。
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集落の背後の斜面にお墓がある。日本風の御影石の墓石なのだが、左右に凸部のある十字架の形、または
角柱の墓石に十字架が載っている姿は、よそ者には奇異に見える。純粋な洋風のものでなく一見
日本風のお墓なのに十字架であることが、天草の歴史を語っている。
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崎津諏訪神社へ上ってみた。この神社はもちろんキリスト教の伝来以前からの鎮守であり、キリスト教を
信じるようになったからといって廃すものではなかったようだ。村民は神社に参詣しても「アーメンデウス」と
祈っていたという。祈る場所や外見はどうであれ、信仰は心の中のものということだ。
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もう一つの大江教会にも、何とか暗くなる前に見に行きたい。ここは丘の上にあり、塔は遠くからでも
見えているのだけれどなかなかたどり着くことができない(汗)
果樹園のあぜ道のような細い坂道をくねくね走っているうちにさっきまで見えていた教会を見失って、
ナビも迷走・・・レンタカーのノンオペレーションチャージを取られることはもはや避けられない!!と
覚悟も決めた恐ろしいドライブの末、ようやくたどり着いた(大汗)
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大江教会(大江天主堂)はフランス人宣教師ガルニエ神父が信者と共に作ったもので、
1933(昭和8)年に完成している。半円アーチの窓やドーム型の塔を持つロマネスク様式の建物で、
崎津教会のようなボールト天井ではなく天井板が張られている。
こちらは中に入れるものの聖堂内の撮影はご遠慮くださいとのこと。
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雰囲気も崎津教会とは全く異なり、明るいクリーム色に塗られた壁や天井には花弁の形の装飾が。
フリルのような半円アーチの連続模様などかわいらしく、荘厳・神聖・静寂な雰囲気というより
親しみやすくリラックスでき心を開きたくなるような空間に思えた。
村内放送が耳に入って来た。「台風が近づいているので、避難準備を開始して下さい」・・・えっ??
「避難行動に時間を必要とするかたは、計画された避難場所への避難行動を開始してください」
「避難場所へは毛布をお持ち下さい」・・・えっ!?事態はそんなに切羽詰ってきているのか!?
暗いけど雨はポツポツ、風はほとんどないんだけど。こんなのんきに観光している場合じゃないって??
危機感は感じないが急に罪悪感を感じ始めた私たち、早々に大江教会の見学を切り上げ、宿へ向かった。
続く。
今回は車の運転に堪能なTさんとの旅ということで、熊本空港でレンタカーを借りて直接目的地へGO!!、
実はこの旅程、台風12号が九州、それもちょうど私たちが行こうとしている天草のあたりに上陸することが
ほぼ確実となり、タイミングもぴったり、3日間とも雨、暴風雨という予報だったので、飛行機も欠航に
なるかもしれず、旅行を取りやめるかという話も一度はしたのだが、宿でカンヅメも仕方なし、行ける
ところまで行こうかということで実行したのだった。
しかし飛行機は問題なく飛び、熊本空港もまだ雨が来ていない。これはいけるかも、と希望の光を見出し
早いうちに天草の教会を見に行くことに。
天草の地形はそれまでよく理解していなかったのだが、島である。
対馬と同じように、上島と下島の2つのかたまりがあって、本渡瀬戸という運河がその間を隔てている。
そしてこの島、結構大きい。。。空港を11時半頃出発して、途中でお昼に海鮮丼を食べたりしながら
車で走って、下島のいちばん南端にある崎津教会に着いたのはもう夕方の4時。空が明るくなったり
暗くなったり雨がぱらついたりしながらも風はなく、危険は感じなかった。

崎津教会は小さな海沿いの集落にあった。民家の屋並の上に槍のように突き出した尖塔。素朴な日本の
漁村風景の中には唐突すぎるような、美しく気品のある建物。
普段着の漁民たちの中にすっと現れたイブニングドレスの西洋人女性、といった感じか。

内部を見学したいと事前に連絡しておいたので鍵を開けてくれていた。
高いボールト天井。尖塔アーチの重なりが美しい。

木製サッシの色ガラスを通して差し込む光は優しい色合い。外の不穏な空の色など全く映さない。

誰もいない静寂の空間は、座っているだけで心が浄化されそうな気がする。

約460年前日本にキリスト教が伝来して間もなく、天草でルイス・アルメイダ神父による布教が
開始されると瞬く間に信仰が広まり、天草の島民のほぼ100%がキリスト教信者となった。
しかし豊臣・徳川時代にキリスト教は禁止され、キリシタンへの弾圧が激しく行われた。
踏み絵などによる過酷な迫害に対し天草四郎が中心となり起こした反乱が、天草・島原の乱である。

その後も禁教は続いたが人々は密かに信仰を守り続け、明治維新で禁教が解かれてようやく堂々と
キリスト教徒を名乗ることが可能になった。教会は明治以来3回建て直されており、ゴシック様式の
現建物は1934(昭和9)年に鉄川与助が建てたもの。今もこの崎津集落のほとんどの
住民がキリスト教徒であり、日々の祈りの場としてこの教会が使用されている。
長い長い禁教時代、信仰心を心の中に抑えこんでポーカーフェイスを余儀なくされた人々。
信仰の自由を取り戻した喜びはどれほどだっただろう。

特徴ある2階ひさしをもつ民家。

トウヤと呼ばれる細い路地は海への出入口。いいなぁ。

入り江の海面は静かで、台風がそこまで来ているとは全く感じさせない。

○に十字の軒先瓦。これは十字架なのだろうか。

集落の背後の斜面にお墓がある。日本風の御影石の墓石なのだが、左右に凸部のある十字架の形、または
角柱の墓石に十字架が載っている姿は、よそ者には奇異に見える。純粋な洋風のものでなく一見
日本風のお墓なのに十字架であることが、天草の歴史を語っている。

崎津諏訪神社へ上ってみた。この神社はもちろんキリスト教の伝来以前からの鎮守であり、キリスト教を
信じるようになったからといって廃すものではなかったようだ。村民は神社に参詣しても「アーメンデウス」と
祈っていたという。祈る場所や外見はどうであれ、信仰は心の中のものということだ。


もう一つの大江教会にも、何とか暗くなる前に見に行きたい。ここは丘の上にあり、塔は遠くからでも
見えているのだけれどなかなかたどり着くことができない(汗)
果樹園のあぜ道のような細い坂道をくねくね走っているうちにさっきまで見えていた教会を見失って、
ナビも迷走・・・レンタカーのノンオペレーションチャージを取られることはもはや避けられない!!と
覚悟も決めた恐ろしいドライブの末、ようやくたどり着いた(大汗)

大江教会(大江天主堂)はフランス人宣教師ガルニエ神父が信者と共に作ったもので、
1933(昭和8)年に完成している。半円アーチの窓やドーム型の塔を持つロマネスク様式の建物で、
崎津教会のようなボールト天井ではなく天井板が張られている。
こちらは中に入れるものの聖堂内の撮影はご遠慮くださいとのこと。

雰囲気も崎津教会とは全く異なり、明るいクリーム色に塗られた壁や天井には花弁の形の装飾が。
フリルのような半円アーチの連続模様などかわいらしく、荘厳・神聖・静寂な雰囲気というより
親しみやすくリラックスでき心を開きたくなるような空間に思えた。
村内放送が耳に入って来た。「台風が近づいているので、避難準備を開始して下さい」・・・えっ??
「避難行動に時間を必要とするかたは、計画された避難場所への避難行動を開始してください」
「避難場所へは毛布をお持ち下さい」・・・えっ!?事態はそんなに切羽詰ってきているのか!?
暗いけど雨はポツポツ、風はほとんどないんだけど。こんなのんきに観光している場合じゃないって??
危機感は感じないが急に罪悪感を感じ始めた私たち、早々に大江教会の見学を切り上げ、宿へ向かった。
続く。